「なんだろ、あれ」
「傘みたいなものが乗っかってるようでござるけど……」
薄汚れた球体の上にボロボロの傘と折れた棒が転がっている。
大きさから果実やごみの類のものではないと考え、彼方はほんの少しの好奇心から近づいてその物体が何かを確認してみた。
しかしそれが何かであるか認識した瞬間、彼方は背筋にぞっとしたものを感じた。
「………あ、こ、これって、う、うちくびだああああ!!!!」
閉じられた瞳、半開きの口、薄汚れた髪、それはまさしく生首そのものであった。
彼方は驚きのあまりみょんを放りだしてしまい、その物体から尻餅付きながらズリズリと距離を取っていった。
「あわわわ、体がないってことはまさかの殺人現場だ……だ、だれか名探偵をぉ~」
「いでぇーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!か、か、か、かなた殿ぉォォ!!
どうせゆっくりでござろう!いでぇぇぇ!!だから怯えてないで早くゥゥ!ゆっくりしないでぇぇぇ!」
必死に叫ぶみょんの言葉を信じ改めてその物体を見てみると、人間の生首にはある首の切れ跡がないことに気付く。
確かにゆっくりだと彼方は安堵の息をつき、放りだしたみょんを慌てながらもすぐに回収した。
「驚くのはいいけど人のこともっと考えてほしいみょん……死ぬかと思った」
「で、でもこのゆっくり全然動かないよ……もしかしたら死んじゃってるのかも」
野垂れ死にしてる人やゆっくりにはあんま関わりたくないなと思いつつも生死だけは気にかかり、彼方はそのゆっくりを近くの棒で何回かつつく。
けれど反応は全く無く埋葬してあげる勇気もない。
なのでそのままほっといて行こうかと思った矢先、そのゆっくりは不意に立ち上がったのだ。
「
びっくりしていってね!!!」
「…………………チッ、死んだふりかよ」
「い、いや、いま目がさめたのぉ!」
紫の唐傘、水色の髪、左右で色が違う瞳、どうやらこの薄汚れたゆっくりはこがさだったようだ。
こがさは近くに落ちていた棒を拾うと慌てた様子で辺りを見回し始めた。
「一体全体どうしてこんなところにいるみょん?」
「あ、いやその。やべぇどんだけねてたんだろ。はやくにげないとにげないと」
こがさはみょんの質問など聞く耳もたずといった様子であっという間にどこか立ち去ってしまう。
ゆっくりしてない奴だなと思いつつ彼方達は気を取り直して再び進み始めた。
「さっきのこがさ……あれってもしかして守矢の兵なんじゃないかみょん?傘に守矢国の印が書いてあったでござる」
「よく分かるね、でもなんでその守矢の兵がこんなところにいたの?」
「なんでってここは守矢国みょん、いてもおかしくないでござるよ」
「じゃあなんであのゆっくりは自国であんなボロボロになってたんだろ」
ふと、静かな森に妙な血気盛んな音が鳴り響いたような気がした。
二人は嫌な予感を覚え、歩を止め回りを警戒し始める。
「……戦いで逃げのびたと考えるのが普通みょん」
「でも、国境線はここよりずっと東だよ」
「負けたのなら……国境線が西に移動したとしたら」
今度は怒涛の足音と金属がぶつかり合う音が聴覚を支配していく。
まるで大軍が押し寄せてくるような、鎧がぶつかり合うような、そんな感じの音がどんどん大きくなっていった。
「ね……………………ヤバくない?」
「真っ直ぐとか言ってる場合じゃないみょん!!博麗軍がやってきたぁぁぁぁ!!!」
東から紅白の旗を上げた博麗軍が森を突き抜けるように怒涛の勢いで押し寄せ、みょんと彼方は命の危険を本能で察知し全力で逃げ去った。
例え相手に敵意が無かったとしてもあんな大軍と出くわしたら二人は路上の小石のように容易く蹴散らされてしまうことだろう。
もう方向など気にしている場合ではない。ただ目の前に迫る危機から回避しようと二人は森の奥深くへと入っていくのであった。
「遭難ですか」
「そうなんです」
あの後二人は意味もなくいきり立った博麗軍に追われたり、崖から滑り落ちたり、泥沼でネチョ展開になりながらもなんとか生きて逃げることが出来た。
しかし始めに歩いていた道とは随分離れてしまい戻ることもできず、二人は深い森の中で途方に暮れていた。
「そーなのかー」
「そーなんす!」
「………どうすんだよ」
闇雲に進んでも目的地に行けるはずもなく、だからと言って立ち尽くしているのも何なので彼方はみょんを抱えて近くの切り株に腰かけた。
日はまだ高く、木漏れ日が彼方達の体を優しく照らしていく。焦りで感覚が一周してしまったのだろうか、その光はいつもより美しく輝いて見えた。
「はぁ、どっちに行けばいいんだろ。誰かと会えればなぁ」
「せめて暗くなる前にどこか人が住んでる場所へ行ければいいのにみょん」
積極的に明るい方向に考えてみてはいるものの、全く人やゆっくりが通った様子の無い地面を見ていると憂鬱な気分にしかない。
二人はほぼ同時に大きなため息をついてごろんと草の上に横たわった。
「なにかあればいいんだけどなぁ」
「野生動物しかいないと思うみょん」
「……………………………お」
あまりにも退屈なので寝返りを打とうと横を向いた時、彼方の目に不思議な物体が映る。
それは木の上からぶら下げられている直径九寸程度の物体、それ以外のことは距離があって分からなかったが明らかに人の手が入ったものだということは理解出来た。
「……ふふ、なんだろな」
期待と好奇心を胸に彼方は立ちあがり、一人でその物体へと近づいて行く。
その物体が何であろうと人やゆっくりがいたことには変わりない。けれどその物体の形状がはっきりして彼方は足を止め息をのんだ。
「な、な、な、な、な、生………」
閉じられた瞳、半開きの口、生気の無い肌、その生首らしき物体を見て彼方は再び叫びそうになったが、同時に先ほどの状況を思い出しその物体を観察する。
一番の重要事項として首の切れ跡がないことを確認すると彼方は安堵しその生首がゆっくりであると確信した。
「も、もうっ二度もびっくりさせないでよ」
そう強めに言うものの彼女の心はすっかり安心きっていた。
何かしら人の痕跡があればいいなと思っていたけれど、直接こうしてゆっくりに出会えたのは運がいいことの何者でもない。
問題なのは、目の前のゆっくりが生きているのかどうかだ。
「……さっきも思ったけどゆっくりの生死ってどうやって確かめようか」
ゆっくりには人間のような脈は無くその場のさじ加減で生き死にが決まる適当なナマモノだ。
とりあえず触ってみたりして反応があるか確かめてみたがその最中彼方はそのゆっくりに違和感を覚えた。
「ゆっくりの肌ってこんな硬さだったっけ」
先ほどまでみょんを抱えていたからゆっくりを触った時の感触はしっかりと覚えている。
しかし、このゆっくりの肌は今まで触ったゆっくりの肌とは別物にしか思えなかった。まるで普通の人間の皮膚のような感触なのだ。
「………」
そしてそのゆっくりと真正面で向かい合った時、彼方は最大の違和感に気が付いた。
「ゆっくりって鼻があったっけ?」
「……カァァァァァァ………」
妙なうめき声を上がったかと思うとその変なゆっくりは突然ゆっくりにあるまじき牙をむき出しにして彼方に襲いかかった!!
彼方は危険を察してその場から逃げようとするが、変なゆっくりは咄嗟に牙を彼方の腕にえぐりこませて彼方を離そうとしないのだ。
「いっでえええええええええええええええ!!!!にぎゃああああああ!!」
「けけけ、久しぶりの人間さね」
そのまま変なゆっくりは不気味なにやけ笑いを浮かべながら、紐に引っ張られるように彼方を木の上まで引き上げようとする。
けれどここで主役、ゆっくりみょんが颯爽と駆けつけ変なゆっくりに自慢の羊羹剣で一閃を浴びせたのだ。
「うおりゃーーーー!!みょん!」
「うぎゃああああああああ!!!」
その一撃で変なゆっくりは怯んだもののしぶとく彼方の腕を噛みついたまま放さない。
彼方も牙が食い込むことを覚悟して変なゆっくりにひざ蹴りを何度も叩きこむがそれでも自分の腕が痛むだけで放す様子を見せなかった。
あの身体能力の高いみょんでさえまともに入れば昏倒する彼方のひざ蹴り。それを耐えていることはこいつがまともでないことを証明していた。
「せ、折角の獲物……絶対放してなるものかぁぁぁ!!」
「こんにゃろっ!こんにゃろっ!」
「かなた殿ッ!出来るだけ体をそいつから離すでござる!!」
「やれるもんならやってるよ!でもこいつの牙が深く刺さってどうしても放せないッ!」
「そっちのはなすじゃなくて!!」
彼方はみょんの言っていることをようやく理解したようで、痛みを堪えながら体を出来るだけ変なゆっくりから遠ざける。
みょんはそれを見届け終わるとすぐにその変なゆっくりに向かって一気に飛びかかっていった!
「秋山流!『浮羽浮和時間!』」
変なゆっくりの真下まで近づくとみょんは揉み上げで掴んでいた羊羹剣を口に咥え、回転しながら一気に飛び跳ねる。
以前使っていた時は勢いが付いた泡で吹き飛ばす技であったが、元々の使い方は螺旋回転によって相手を何回も切り裂く技だ。
ほとんど斬れない剣『羊羹剣』によって幾度にわたり薙ぎ払われた変なゆっくりはようやく彼方の腕から口を放したのであった。
「グハッ……が、が、が」
「いでででででででででぇぇぇ!!このっ!乙女の柔肌に何てことしてくれやがるっ」
「乙女(笑)柔肌(笑)」
みょんに嘲笑されたことも含めて彼方は憎しみと怒りを込めてその変なゆっくりに対してヤクザ蹴りを繰り出すが、
その変なゆっくりはすぐに糸に引かれるように木の上へと登っていってしまい、彼方の怒りはそのまま嘲笑したみょんにぶつけられていった。
「くそっ!!なんだよあのゆっくり!みょんさんの親戚か何か!?」
「う、腕怪我してるのに元気そうでござる……あ、やめてまだ火傷の傷なおってないみょん」
そうやってしばらくはどつきあっていた二人だが流石にここに留まるのは危険と判断したのか、離れた場所に移動しそこで治療を行うことにした。
尤も治療道具など無いため服等を使って止血することしか出来なかったのだが。
「……で、あれって何?ゆっくり?」
「むむ、似たようなものなら見たことあるけど……やっぱりあれはゆっくりじゃないみょん」
確かに生首という点ではゆっくりと同じで、鼻があるゆっくりだって実際に存在している。そもそもゆっくりの定義そのものが難しいことなのだ。
けれどあの生首は根本的に何かが違う。根拠はないが一人のゆっくりとしてみょんはそう確信していた。
「ゆっくりじゃないんだ、でも人間の生首が動くだなんて……まるで化物じゃん」
「化物……か」
頭の中ではそんな存在を一応否定するするみょんであったが心の奥底では妙な怖気を感じ始めている。
今までは単なる普通の森だと思っていた、けれど今となってはまるで不気味な闇に包まれてるような気がしてならないのだ。
「ええい!みょんは自分で見たものしか信じないみょん。いるっていうのなら姿を現しやがれでござる!」
「そんな露骨な伏線みたいなこと言わないでよ……」
心の奥底の恐怖を振り払うためにみょんは威勢よく虚空に向かって威嚇するが、突然突風が吹き荒れ哀れ無様に転がってしまう。
あまりの滑稽さに彼方はつい笑ってしまったがそれと同時に妙なことに気が付いた。
ここは途方もない森の奥。回りは幾多の木で囲まれているというのにゆっくりが吹き飛ぶほどの風が吹くはずがない。
この風は、人為的に起こされたものだ!
「そこか!!」
彼方はとっさに風上の方に向かって落ちていた棒を投げつける。
向かい風によって威力は大分削がれるものの棒は地面に落ちずに飛んでいき、パキンと言う音と共に妙な声が木の上からあがったのであった。
「うおっ!」
「手ごたえありぃ!」
「く、くそっ!油断していたわ!」
声があがると同時に突風は止み、その声の主は頭を摩りながら彼方達の目の前に舞い降りた。
「「……………」」
二人は驚愕した。
声の主は先ほどの化物とは違ってきちんと四肢と言うものがあったけれど首から上の方は人間の顔ではなかったのだ。
顔中を覆った黒毛、鋭く光った瞳、そして太く尖った嘴。被りものとは思えないくらいほどの生々しい鳥の頭がそこにあった。
「か、怪奇!鳥人間!」
「そんな安易な名前じゃねぇ!わたしは烏天狗!」
「烏天狗ぅ!?」
よく洒落本などに妖怪の一つとして出てくるためその名前を聞いたことがないわけじゃない。
けれどこの世界は現実。まさかこんな合成獣のような生物が実在するとはみょんも彼方も思っていなかったのだ。
視野が狭いと思うだろうがそれは至極当然のこと。今まで出会ったことのない存在のことを信じると言う方がおかしいのである。
「いや、おまえらゆっくりも十分化物みたいなもんじゃないですか」
「あ~きこえないみょん」
「まぁいい、それにしても久しぶりの獲物。貰っていきますよ」
「えへへ、わたしを攫って行っちゃいたいだって」
勝手に囚われの王女気取りになって赤面する彼方を見てみょんは酷く呆れる。
しかし烏天狗が扇を振りかざすと落ち葉が紐のように繋がっていき、そのまま彼方を縛り上げていった。
「なにぃ!?まさか本当にかなた殿を!?」
「あ~ん、攫われちゃうん。みょんさん助けてぇ~~」
「若いおなごは肉は柔らかくて栄養もいい、こいつ一人分で食糧一カ月分になりそうかな」
「げえええええ!食べられんの!?!はやく助けてええええええええ!!!」
自分が食料として攫われるということを彼方はようやく気付き必死に暴れるが、木の葉の紐は針金と思えるほど彼方の体をより強く縛りあげていく。
そして烏天狗は背中に生えた大きな烏の翼を羽ばたかせ、彼方を空の彼方まで連れ去ろうとしたのだ。
「みょおおおお!!!」
だがそう簡単には問屋がおろさない。
みょんは必死に飛び跳ねて地面から離れつつあった彼方の足になんとかしがみついたのだ。
「ぬおっ!生意気なゆっくりッ!おっちね!」
しかしみょんがしがみついたことに気付いた烏天狗は扇で風を起こしみょんを振り払おうとする。
その風を全身に受けながらもみょんはなんとか耐えることができたが、耐えるのが精一杯で彼方を縛っている木の葉のところまで登ることが出来なかった。
「くのぉぉ!」
「みょ、みょんさん!………今からあいつに向かって飛ばします!頑張ってください!!」
「へ?みょっみょおおおおおおお!!」
正直最初みょんは彼方の言っていることが理解できなかったが、次の瞬間その言葉の意味を知った。
彼方は空中に浮きながらも足を思いっきり振り上げみょんを烏天狗のところまで飛ばしたのだ!
「な、何ィィィィィィィィィぃぃ!!!」
「そのまま刀振り下ろしちゃえええええええ!!!」
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
みょんの体は烏天狗より上に舞い上がり、そのまま重力に引かれて落下していく。
そしてみょんは刀を構えて烏天狗の頭に振りかぶった!!!
「よっと」
「みょおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ………」
けれど相手は空を自由に飛ぶ烏の妖怪烏天狗。みょんの渾身の一撃もひらりとかわされそのままみょんは地面に向かって真っ逆さまに落ちていった。
「みょんさあああああああああああん!!」
「ふん、ゆっくりのくせに妖怪様に歯向かうからこうなるんですよ。さてこいつどうしようかなペロペロしたら喉元ガブリ……」
「ふええええええええええええん!!!!!」
彼方は泣いていた。
みょんがあまりにも無様に落ちていったからではない。ましてやこれから迫る死について恐怖したわけでもない。
折角覇剣『舞星命伝』を治す為ここまで来たのに、こんな現実感のない本の中のような存在に殺されるというのが悔しくて悔しくて堪らなかったからだ。
もはや悲しみを通り越して憤りさえ感じるようになってきた。
「ちくしょおおおおおおおおおおおお!!!」
「くけけっ泣こうが喚こうがお前の運命はもう……ぬっ!?」
したり顔で彼方を自分の家へ戻っていこうとする烏天狗であったが突如翼の真横を何かが素通りする。
翼には直接命中しなかったがその物体が発した衝撃で羽根が何枚かもげ落ちてしまった。
「な、何だ!?」
「…その人を放しなさい!!」
その物体が放たれた方向をみるとそこには弓を片手に携えた一人の少女がいた。
しっかり整った顔つきに新緑のような髪、きっちりと着こなした巫女服、背中に矢筒を背負ったその少女は再び弓を構える。
「…放さないと……撃ちますよ!!!」
「くそっ!タツミの巫女めっ!!うあああ!!」
少女は有無も言わせず矢を放ち、烏天狗の翼を完全に貫いた。
そのおかげで彼方を縛っていた木の葉の術が解け、彼方はそのまま地面に落ちていった。
「あ~落ちていく~ぎょえっ」
「く、くっ!何のためらいもなく撃ちやがって!常識をわきまえろ!」
「…知らぬ存ぜぬ退かぬ媚びぬ省みぬ!!!」
「このおおお!!いい気になりやがって!!」
片翼を撃ち抜かれた烏天狗はこのまま戦うのは不利と考えたのか木の上を渡って一目散に逃走する。
少女はそれを追わず弓を背中に戻しそのまま彼方達が落ちたところに向かって走っていった。
「…あの…あなた達大丈夫ですか」
「むごごごごごご(腰より上全部埋まってるけど首の方は大丈夫)」
「ぐももももももん(みょんは全身埋まってるみょん)」
「…なんて器用な人たち……」
このみょんすぎる光景に感心しつつ呆れつつ、少女はこの二人を救助する準備を始める。
この二人がいればこの閉じられた
理想郷でも退屈も紛れそうだ、そう思って少女はほっこりとほほ笑んだ。