アットウィキロゴ
創作発表板@wiki
掲示板 掲示板 ページ検索 ページ検索 メニュー メニュー

創作発表板@wiki

老人と無限桃花

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

老人と無限桃花

作者:わんこ ◆TC02kfS2Q2
投稿日時:2011/08/27(土) 01:49:25.51


 「美味しい」

 これ以上の感想は求めるな。
 色気を出して複雑な修飾をすることは無粋だろう。
 無限桃花が口にしたラーメンの感想はこれだった。

 はるばる長い道のりをたどり、やっと着いた先はあばやらのようなラーメン屋であった。
 彼女のような若い娘が訪ねるような店ではない。ましてやラーメン屋。一人でこのような所へ来るのは桃花にとっても初めて。
だが、桃花がここに来るのは会いたい人が居るためなのだから、ここが何屋だろうが驚いてはいけない。しかし、本当に古い店だ。
求めていた行く先は本当にここなのか、刀を杖にして歩いた日々は正しかったのか、命よりも大事なみどりの黒髪を失う危機に遭ってまで
桃花が追い求めていた人物は本当にここにいるのだろうか。暖簾がない。仕方なく扉を叩き店の主が現れるまで待つが、時間が長く感じる。
 声もせず立て付けの悪い扉が開くと、枯れた老人が現れた。この老人が店を切り盛りしているのだろうか。カウンターには本や新聞が
散らばり、雑然という二文字のためにあるような世界であった。

 「娘さん、どうぞ」
 「お邪魔します」

 桃花が玄関を潜るとこぎれいな店内が一目で見渡せる。確かに客は多い店のようには見えないが、長くいても落ち着いてられるような
不思議な魅力があった。例えるなら図書館のような、例えるなら書店のような。事実、本棚には多くの古書が並んでいるのだ。
しかも昭和初期から出版されたハードカバーの仰々しい全書から、今は老人となった元少年が回し読みしていたような雑誌が揃っている。
老人が言うには「今でこそ『少年誌』と言えばマンガ雑誌のことを言うが、このころはほとんどが読み物ばかり」という。
 一冊桃花は手に取りページを捲ると、けして質は良くない紙にモノクロの写真や写植が並びインクの香りが未だに漂う錯覚に陥った。

 「ご注文は?」

 そうだ。ラーメン屋に来ているんだから、一杯は頂かなければ申し訳ない。「ラ、ラーメンで」と畏まって桃花は注文した。
ぱらぱらと雑誌を捲ると読者投稿のページに当たった。この子たちはこの頃物書きになることをきっと夢見ていたのではないのだろうかと、
一文一文桃花は丁寧に文字をたどる。あらびきながらも瑞々しい文章、けして新しいとは言えない表現、書きたいという欲求が彼らの
筆をきっと動かしていたのだろう。ふと、桃花はひとりの名に目を留める。

 「もしかして」

 その名を持つ老人は今、厨房で麺を茹でていた。湯気に囲まれながらラーメンを作る姿は幸せそうに桃花の目には映った。
やが老人は茹で上がった麺を掬い上げると、しゃっしゃとお湯を切る。腕が逞しく見えた。ことことと鍋の中で鶏がらスープの香りが
店の中で漂う。あっさりとした醤油ラーメン。どんぶりをお湯で温めて、口にするのに程よい温度になるように用意をはじめる。
 その名を持つ少年はかつて、雑誌に文章を投稿していた。貴重な便箋に生き生きとペンを走らせる姿は幸せそうだろうと桃花は想像した。
やがて少年は書きあがった短い小説を封筒に入れると、心弾ませながらポストへ走る。腕がか細く見えるかもしれない。からんからんと
下駄の音砂利だらけの道に響く。胸のすくような冒険もの。次の号にも載りますようにと貯金箱の小銭を覗いてほくそえむ。

 「お待たせしました」
 「はいっ」
 「驚いたでしょう。その雑誌を見て」
 「ええ。名前はかねてから存じていましたが、その方が今やこのようなことをしているとは」

 冷めないうちにと勧めるので、桃花は手を合わせて割り箸を割った。
 品の良いどんぶりには薄い醤油スープとやや太い麺。しなちくやチャーシューも控えめに味を添える。
汁を木のお玉のようなレンゲで浸すとゆっくりと渦を巻きながらネギが流れ込んでゆく。そして一口。
 あっさりとした関東風の味。麺も程よく柔らかく、桃花のような若い娘にもお誂えであった。

 「ところで……。わたしは噂を聞いてここまで来たのです。『かつて玄人はだしの物書きがいた』と。
  訪ねまわった結果ここにたどり着いたわけなのです。そう。あなたに会いに……」
 「とんでもない。わしはただのラーメン屋ですよ」
 「そうです。何故、あなたが物書きにならなかったのか。何故、店を切り盛りしているのか」

 老人はどんぶりをふきんで磨きながら話し始めた。

 「答えは単純です。ラーメン作りが面白かったから。学生時代下宿で夜な夜な小説もどきを書いていたものです。そして、
  丁度腹が減る頃を狙って必ず夜鳴きの屋台が現れる。僅かな小銭を握ってよく屋台のラーメンを頂いたんですよ。
  その味が忘れられなかった。そのお陰で創作に力が入ることもあったし、削がれることもあった。良い思いでですよ」
 「だけど、あなたはラーメン屋を選んだ。物書きを捨てて」
 「正しくは迷ったんですよ。ラーメン屋に弟子入りするか、物書きに弟子入りするか。はじめはラーメンの修行の傍ら物書きも
  続けようと思っていたんですが、それは若い者が陥る目のくらみだったんです。しかし、けしてそれは悪いことではない。
  ラーメンも物書きも食べていただける人、読んでいただける人から『美味い』だの『面白い』だのと言葉を頂けるから
  それはそれで正解だったのかもしれません。そして、気がつくと物書きのことなど忘れてしまっていたのです」

 何故だ。何故、書くことを辞めてしまわねばならないのか。自由に書き、世に著す。書き手、描き手にとってこれほど
幸せなことは無いのだろうか。書きたくても書けない、描きたくても描けないヤツなんてごまんと居るのに何故だ。
 桃花はくるくるとスープで廻る小さな油を見つめながら自問自答を繰り返す。

 「書いてください」
 「もう、すっかり老いぼれたわしには」
 「読みたいんです。あなたの作品を」
 「いつになることかな……」

 にこにこと微笑みながら少年の日を思い出し老人は、最新号の文芸雑誌をカウンターから引ったくり捲っていた。
 桃花は何のために戦い、何のために諦めなければならないのか悩み続けた。

 「冷めますよ。ラーメンは早く頂ければならないけれど、小説はいつでもどうぞ」
 「あの……」
 「はい」

 頬を己の名の通り桃の花のように赤らめて、桃花は呟く。

 「美味しい」


   おしまい。




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最近更新されたスレッド
ウィキ募集バナー