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バビロンの塔

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バビロンの塔



 その洋館は都心の中にひっそりと建てられていた。
 乱立したビルに周囲を囲まれている為に窓から差し込む日光は少なく、昼間から室内は薄暗い。
 だが、詩人のような感受性に富み、情緒豊かな人間がこの部屋を見たなら神殿のような神聖さと荘厳さがあると評しただろう。

 そんな洋館の一室で椅子にもたれ掛かって書物のページを捲っていた部屋の主は廊下から響く複数の足音に小さく嘆息。
 書物――自身のグリモワールを閉じて膝の上に置く。
 時を同じくして部屋の唯一の扉が乱暴に開かれる。
 雪崩れ込んできたのは黒いローブを身に纏い、杖を手にした一団であった。

「客人に対してもてなしの用意しておらず申し訳ない」

 殺気すら滲ませる来訪者に対して部屋の主は自分のペースを崩さなかった。
 或いは、その程度では心に極小な波紋すら起きなかったのかもしれない。

「しかし、魔術師の工房に土足で踏み入るとは感心出来ないな。この場で殺されても文句は言えまい」

 軽く腰を浮かせてそれまでより深く椅子に腰かける。
 余裕な主に苛立ちを覗かせながら一団の先頭にいた壮年の男が声を張り上げる

「魔術結社『新世界』(N∴M∴)の≪天界の開放者≫シェム・カディンギルに間違いないな」
「『協会』か。てっきり教会の方が速いと思っていたが」

 『協会』
 魔女狩りが盛んだった中世ヨーロッパに魔術師により結成された一大組織であり、その背景から主な活動は魔術師の存在を一般人から秘匿する事にある。
 それでも基本的には事後処理がメインであり、何も起こっていない状況で物々しい雰囲気を漂わせて工房に突入する事は滅多にない。
 これは魔術師という人種の本質が探究者である事に起因する。
 にも拘らず協会が強行的な行動に出る時はそれだけ危機意識を持っている事を意味する。

「魔術師の行動が大多数の利益を損なうと明白な場合は事前の介入が許されている」
「ほう。それで何が利益を損なうと?」
「貴公が神代に一度潰えた『塔』の建設を目論んでいるという情報があるが、事実か?」

 詰問に対し、シェムは薄ら笑いを浮かべて首をゆっくりと縦に振る。
 目論見が露見した事に焦る様子はなく、逆に喜んでいる様子すら窺える。

「ああ。この場所に『塔』を建てるつもりだ。諸君なら気付いただろう? この建物がエーテル(第五元素)で満たされている事に」
「そんな危険な真似は捨て置けない!」

 来訪者の必死な様子にシェムは初めて表情を変化させた。
 何事か思案する顔へと。

「失敗すれば再び神罰が下される。――まあ、大洪水くらいは起きるか」
「成功しても世界は大きく変貌してしまう」
「故に『新世界』だ。尤も、盟主は違う方法で世界を変革させようとしているが」
「御託はいい。そしてこれが最後通牒だ。今すぐ中止しろ」
「はは。ギリシアの神々から決して開けてはならぬと箱を渡された女は我慢したか?」

 止める気はないと判断し、集結した協会の魔術師達は一斉に魔術の詠唱を始める。
 室内の魔力が彼等の言霊に応じて一点に集中して変質を開始する。
 手加減するつもりはなく、工房を完全に破壊するつもりだった。

 が、それを嘲うように突然異変が起こった。
 収束していた魔力が霧散したのである。
 魔術の発動プロセスを途中で失敗した際の現象であるが、彼等は熟練の魔術師であり、全員が同時に失敗したとは考えにくい。
 ならば原因は一つしかないのだが、奇妙な事にシェムの方を向く者は一人もいなかった。
 その代わりに全員が総身を震わせながら周囲をきょろきょろと見渡している。
 まるで未知の世界に一人で放りだされた子供のように。

「私の本来の能力――『神門(Gate Of Deity)』の副産物なのだがな。存外、こういうときは役に立つ」

 膝の上に置いていたグリモワールを小脇に抱えてシェムは立ち上がる。

「私は門を開く鍵だが、いざ開こうとすると邪魔が入る。神代と同じようにな。
かつて、神は人々の言葉を乱した。そうしてしまえば愚かな企ては出来ないと判断したのだろう。
しかし、今の世界を見れば分かるように言葉の垣根を越えてしまった。
故に、再び神の世界に近付こうとする者には上記に加えてより強大な神罰が下される」

 生徒を前にした教師のようにシェムは丁寧に説明していく。

「簡単に言うと自分以外の人間の行動の意味が理解出来なくなっている。言葉も乱されているので魔術の詠唱もしくじる」

 相変わらず怯えながら周囲を警戒する魔術師達の間を通り抜けて開け放たれたままの扉の前に立つ。

「今の私では単独で『塔』が建てられず、門を開くにも他者の協力が必要なので大いに困っている」

 シェムが愚痴るが、彼の言葉を理解出来る人間はこの空間に一人たりともいなかった。
 予想通りとはいえ何の反応も返ってこない事に落胆したように軽く息を吐く。

「やはり何も分からないか。私がここから逃げようとしている事も」










 洋館から出たシェムは眼前に広がっていた光景に一瞬だけ呆気に取られた。
 青ざめた馬に騎乗した屈強な男がいたからである。
 その男からは蛇の尾が伸び、端的に人外の存在であると誇示していた。

「バシン……王からの出迎えか」

 男――バシンは無言だったが、男の頭上に滞空していた鴉がシェムの前まで飛んでくる。

「申シ訳アリマセン。連絡ガ遅レマシタ」
「構う事はない。連絡があろうとなかろうと行動に変化はなく、私の能力は一対多でこそ効果を発揮する」

 鴉が喋った事に対する驚きはなく、当然とばかりに受け答えをする。

「他はどうなっている?」
「本拠ハ詰メテイタ者デ迎撃ガ完了シテイマス。各々ノ工房ニイタ方ニツイテハ現在確認中デス」
「そうか。まあ、心配はいらないか」
「本拠ノ方モ捕縛サレタリ死亡シタ者ハ結社カラ除名シヨウト笑イナガラ話シ合ッテイマシタ」
「やはり誰も心配していないな」

 シェムは頬を緩めて小さな笑み零す。

「今後ノ方針ヲ決メルノデ本拠ニ帰還シテホシイト」
「了承した。では工房は破棄しよう」

 シェムにとって研究成果と言えるのは大きく見積もっても手にしているグリモワールくらいなのでこのまま破棄しても惜しくない。
 優れた竜穴を失うのは些か辛いかもしれないが。

「宜シイノデ? 身動キ出来ナイ有象無象ナドスグニ排除出来ルノデハ」
「強制的に彼等の動きを封じている訳ではないし、未だに全員が健在だ」

 そも、外で何者かが待機している事を認識した段階でシェムは一時的に能力を解除している。
 そうしなれば伝言を受け取る事も出来なかったのだが、近いうちに彼等が外に飛び出してくるだろう。
 再度能力を使えば彼等は混乱(バラル)し、恐怖と疑心暗鬼で動きを止めるだろうがその間はシェム自身も魔術を使えない。
 神の力を悪用しているにすぎないので中々思い通りにいかないのだ。

「分カリマシタ」

 鴉も納得したようでバシンの肩に止まる。
 シェムは一度だけ振り向いて洋館を一瞥したが、すぐに視線を戻す。
 同時に一陣の風が吹き、舞い上がった砂埃が彼等の姿を覆い隠す。
 視界が晴れた時、そこには誰の姿も存在しなかった。

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