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「報復の断章3」

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「報復の断章3」




(…なあリリベル、君の復讐が終わったら、私はどうやって暮らすんだろう?)
「…二百年分の未払い賃金があるでショウ? ワタシが閻魔庁に掛け合ってアゲマス。)


垂れ込める黒雲から重苦しい雷鳴が絶え間なく響く。ようやく『我蛾妃の塔』から足を踏み出した悪魔リリベルは、塔の広い敷地を埋め尽くす地獄の軍勢と対峙した。
…鬼、鬼、鬼。戦装束に身を包んだ精悍な獄卒たちは、怒りに満ちた表情でリリベルと、彼女が肩に担いだ人質を完全に包囲している。

「…う…う…」

ドサリと湿っぽい地面に投げ出され、力無く横たわった人質が呻いた。彼女の名は胡蝶角。獄卒にして由緒ある茨木一門の鬼姫だ。

「…じゃあね、チビ鬼サン…」

瀕死の彼女に冷たい一瞥を向けたリリベルは、怯む素振りもなく待ち受ける大軍との距離を詰めていった。鬼たちの遥か背後で翻る、閻魔王家の旗だけをひたと睨み据えて。
人質が駆け寄った救護隊に運ばれてゆくと、それを合図に数名の鬼がリリベルの歩みを阻むように進み出る。いずれも若いが、恐ろしく戦慣れした風貌の鬼たちだった。

(…おやおや、話が違うな。謀られたんじゃないか?)

カタカタと振動しながら、リリベルの心に語りかけるのは『顎』。彼女の身体をきわどく覆い、今は防具の役割を務めるこの妖は、奈落の底でリリベルが出逢った、たった一人の盟友だった。

「…大丈夫デス『おさがり』、いえ、『顎』、あなたの知りたい事はしっかりと教えてアゲマス…」

自らの名前も知らず、暗闇の中で偶然にも生まれた付喪神、閻魔庁の便利な備品だった『顎』は、ただひとつの見返りだけを求めて、この悪魔の少女と行動を共にしていた。
冷たい拘束具に過ぎなかった彼のなかで、その覚醒と共に芽生えた疑問。『生命』の意味とは?そして『死』とは?
リリベルは答えた。その答えは暗い塔の外、自分が孤独な疾走を続ける復讐の道にある、と。
その言葉を信じた『おさがり』、巨大な鉤爪にも似た『顎』は、文字通りリリベルにぴったりと寄り添い、長らくその住まいであった窓の無い塔から初めて外界に出たのだった。

「…見ていなさい。このリリベルの死に様が、ベリアル栄光の歴史に刻まれるワタシの生きた意味デス…」

いまや互いの間合いに入った鬼たちとリリベルは、憎悪に満ちた視線を注ぎあう。正面にいた棘だらけの黒い鬼が、傍らで音もなく抜刀した女鬼に向けて呆れた声を発した。

「…おいおい怜角、こりゃ何の冗談だ? 陛下どころか、俺らの相手にもならん小悪魔じゃねえか?」

怜角と呼ばれた女鬼は、黒鬼に無言の同意を示しながら無造作にリリベルの前へと脚を進めた。そして彼女が手にした一振りの太刀は、眩しく閃きながらリリベルの手元へと舞った。

「…使いなさい。丸腰じゃ…それこそ冗談にもならない。」

嘲るような鬼たちの言葉にも眉ひとつ動かさず、リリベルはおもむろに受け取った太刀を振るう。重い唸りを発して空を切った太刀はまずまず悪い造りではない。

「…で? 鬼の試し斬りも無料サービス中デスカ?」

立ちふさがったままの怜角に向かい、小首を傾げたリリベルは無邪気な声で尋ねる。怜角はゆっくりと喉元に突き付けられた切っ先を無視し、表情を変えず悪魔に答えた。

「…試してみる?」

怜角の切れ長な眼が次第に妖しい光を帯びてゆく。逆立ち、ざわざわと蠢く彼女の長い黒髪は、いつの間にかリリベルの握った太刀の柄まで絡み付いていた。

「…キサマでしたか…」

どこか嬉しげなリリベルの囁き。しかし美しい二人の魔物による応酬は、いつの間にか近づいた煌びやかな一団によってあっけなく終わりを告げた。

二人を遮ったのは、地獄の様式美を体現した古風かつ鮮やかな礼装の女たち、典雅な香りを振りまく閻魔庁宮廷侍女団だ。彼女たちを率いる夜魔族の侍女長は、あたりに充満する濃密な殺気に臆することもなく、柔和な物腰で怜角に語りかけた。

「…ごきげんようニャ、怜角どの。」

「……」

リリベルが黙って刀を降ろす。侍女長の声は淀みなく、この敷地に集まった全ての者の耳に届いた。

「…おかしいニャ、大帝陛下におかれては、畏れ多くも今日、茨木翁の御自害をお止めになるため、そこなる悪魔と直々に刃を交えられるとの事…」

すっと細くなる侍女長の瞳。いつになく感情の窺えぬ厳粛な面立ちは、整然と居並ぶ侍女たち全てに共通するものだった。

「…しかし獄卒隊諸卿はどういう訳かその悪魔と争っておられる様に見える。これは…陛下が偽りの御言葉で人質を救い、悪魔を騙し討ちにする計略…という事かニャ?」

「…いえ…私は、悪魔に太刀を貸す役目を仰せつかっただけです…」

俯いて答えた怜角と周囲の鬼たちが、悔しげな表情でリリベルの周囲から遠ざかる。細い眉を下げた侍女長は、満足げに喉を鳴らして言葉を続けた。

「…良かったニャ。仮ににも名誉ある獄卒隊士が、同期の仲間を傷つけられた怨みで、大帝陛下の御意向を蔑ろにする、などと…」

侍女長の視線の先には、偶然に地獄に居合わせた来賓、妖狐や精霊の君主、様々な魔物たちが固唾を呑んで成り行きを見守っていた。閻魔大帝と悪魔の果たし合いという前代未聞の事件は、いかなる魔物にとっても大きな関心事なのだ。

「…私のように愚かな誤解をする方が出ては一大事ニャ。獄卒諸卿におかれては、くれぐれも御自重のほどを…」

侍女長が雅やかな衣装を翻してその言葉を締めくくったとき、ざわめく決闘場の空気が変わった。どれほど鈍感な者でも思わず身を竦ませるであろう強大な気配。揃って姿勢を正す魔物たちに向け、再び侍女長の声が厳かに響き渡った。

「…大帝陛下のお出ましである…」


(…リリベル、ちょっと見当違いをしたんじゃないか? あまりに…力が違い過ぎる…)

『顎』の見解は正しかった。遥か前方…果てしなき生命の流転、魂の巡る永遠の旅が描かれた見事な陣幕の前に、忽然とその巨躯を現した閻魔大帝は、遠目にもリリベルの予想を遥かに超える戦士だった。
冥府に君臨する無敵の魔王。抗うことすら愚かしい、『運命』という言葉にも似た裁きの大魔神。確信にも近い敗北の予感が、リリベルの五体にじわじわと這い登った。

(…無理だよ…リリベル、なにか別の方策を…)

しかし彼女は震える脚を懸命に操り、亡き両親を引き裂いた仇敵に向かって歩き始めた。

「…勝てるなんて思っていまセン。でも、奴にほんの少し、髪一本ほどの傷でも付ければ…ワタシと母さんの生は報われるデス…」

(…言っている意味が判らない。それは『自殺』という行為じゃないか? そんな『死』に一体どんな意味がある!?)

いつもは従順な『顎』の反論に、リリベルは当惑しつつも語気を荒げ、彼の言葉を一蹴した。

「…娘が間抜けな爆破未遂犯じゃ、母さんの名誉は守れナイ!! 復讐を成し遂げてこそワタシはベリアルの姫デス!!」

首の無い亡霊騎士、頭頂で髪を結わえたあどけない魔女。すでにリリベルは居並ぶ立ち会い人の中に何人か、西欧の名だたる魔王たちと接点のある者を見つけ出していた。
彼らの目前で、ほんの僅かな手傷でも閻魔大帝に与える事が出来れば、リリベルの、いやベリアル一族の名は世界のあらゆる魔の国で燦然と輝く事になるのだ…

『…わが妹よ。一族の中には、君の母は大魔王ベリアルを籠絡した淫売だ、と謗る者たちもいる。そしてその娘もまた、ベリアルの名には値せぬ、とな…』

魔界の貴族が集う壮麗な舞踏会の夜、慣れない豪奢なドレスを纏ったリリベルの耳元で、異母兄であるベリアルの王子が囁いた言葉だ。

『…ベリアルの姫が憎むべき父母の仇に正当な復讐を遂げる。そうすればどんな愚か者も、君の亡き母を栄えあるベリアルの后として、永遠に讃えることだろう…』


…血の気の失せた顔をまっすぐ決闘の相手に向け、歩き続けるリリベルに『顎』の声はもう届かなかった。しかしリリベルの内なる悲鳴にも似たその声は、とめどなく伝う涙となってリリベルの頬を濡らした。

(…間違っている。君が生命を賭けるベリアルの名誉とやらは、なぜ君の命を軽んじる!? なぜたった一人で闘っている妹を、兄弟たちは助けに来ない!? 例えば…)

例えば…取るに足りぬ小悪魔相手に、閻魔大帝さえ決闘の場に引きずり出したもの。『顎』の強い探究心は先ほどの人質から、在るべき形の名誉と肉親愛すら学びとっていたのだ。
もし違った形で出逢っていたなら、血なまぐさい道具に過ぎなかった『顎』の誠実な魂は、リリベルと共にもっと明るい道を歩めたかも知れない。

(例えば…例えば…たとえ…ば…)

しかしもう、全ては遅かった。リリベルは今、その狂おしい憤りを全霊でぶつけるべき仇敵、恐るべき閻魔大帝の目前に立っていた。
帝位を示す冠と吊り上がった太い眉の下で、あらゆる虚偽を見透かす眼がギロリとリリベルを睨み据える。噴き上がる熔岩のごとき憤怒の形相を見上げた彼女は、初めて恐怖に身を竦ませた。

「怖い、デス…『おさがり』…」

一騎当千の獄卒隊さえ、この魔神の前では戯れる小鳥に等しい。あとほんの少しで閻魔庁と共に粉微塵になる筈だった瞬間さえ、リリベルはこれほどの恐ろしさは感じなかった。

「…『おさがり』、お願いデス。もう少しだけ、力を貸して下サイ…」

諦めたように沈黙していた『顎』が、蓄えた魔力を防御に集中させた。ようやく闘志を取り戻したリリベルに向けて、彼女の倍を超える高みから、閻魔大帝は地を揺るがす重々しい唸り声を発した。

「…小娘よ。口上を聞こう。」

その巨躯にすら収まり切らぬ圧倒的な威圧感が、空気を割いてリリベルに突き刺さる。その耐え難い戦慄から逃れるように、悪魔リリベルは太刀を振り上げ、甲高く叫びながら突進を始めた。

「…問答…無用!!」


…周囲の喧騒は疾走するリリベルの耳には届かない。だが無謀な挑戦者がすぐに跪き、慈悲を乞うと信じていた来賓たち、狡知に長けたリリベルを警戒し、油断ない視線を注ぐ獄卒たちは彼女の堂々たる突撃に賞賛の混じった声を上げる。
注意深い者は気付いていた。閻魔大帝がこの闘いに愛用の巨大な魔剣を用いず、リリベルと同じ官給の太刀を振るっていることを。
そして、大帝の後継者たる皇子とその侍女たちがあろうはずもない敗北に備え、略式だが即位の準備を整えて、この決闘を見守っていることを。
いかなる要請によって応じた決闘にせよ、これは裁き、裁かれる者の衝突ではなく、誇り高い武人同士の名誉を賭けた私闘だった。
父王の古めかしくも厳正な決闘を、まだ年若い皇子は静かな、そして落ち着いた眼差しで見つめていた。


(…跳べ!! リリベル!!)

巌のごとき巨体から俊敏に繰り出される正確な斬撃。『顎』の冷静な指示がなければ、とっくにリリベルの身体はすっぱりと両断されていただろう。
いまや一心同体で跳び、伏せるリリベルと『顎』は、その不遜な挑戦に恥じない健闘を続けてはいた。しかし圧倒的な技量差の前に、ただ疲労と焦燥だけが募ってゆく。

決して踏み込めない絶望的な間合い。幾多の戦歴において敗北はおろか、一切の負傷すら知らぬ地獄の王は、着実にリリベルを追いつめていた。

「…もう充分だ。塔に戻り、裁きを待つが良い。」

幾分穏やかな閻魔大帝の声が、低く身構えるリリベルの耳に届く。だが彼女はその言葉を無視し、太刀を握る痺れきった腕を、渾身の力で振り上げた。

「…クソッタレ…デス!!」

おそらく最後の突撃になるだろう。高く叫んで駆け出した彼女の瞼には、泥にまみれ息絶える自らの姿がはっきりと映っていた。まるで踏みにじられ、見向きもされぬ薊の花のように。
もはや自決に等しい、退くこともできぬ死への疾走。そのとき躊躇なく大帝の懐に斬り込むリリベルの身体から、『顎』の黒い影が音もなく跳んだ。

「…え!?」

(…脚だリリベル!! そのまま脚を狙え!!)

リリベルの首があっけなく宙を舞うはずの瞬間、鈍い破壊音が彼女の頭上に響き渡った。ひび割れた『顎』の欠片が、リリベルの紅い髪とあらわな肩に落ちる。

「『おさがり』っ!!」

大帝の振るった太刀は『顎』を半ば断ち割って停まっていた。リリベルは僅かな隙を見せた標的をしっかりとその間合いに捉えながら、、悲願の一撃すら忘れて愕然と頭上の『顎』を見上げた。

「ああ…あ…」

(…リリベル、君と逢えてよかった。私たちは、まるで…)

はらはらと舞い散る欠片が『顎』の思念をリリベルに伝える。ふつり、と途切れたその想いを、立ち尽くすリリベルの震える唇が引き継いだ。

「…きょうだい、デシタ…」

…痛々しい名誉の為でも、欺瞞に満ちた栄光の為でもなく、ただ、同じ孤独を知る者の為に闘うこと…それが、『生命』の意味を問い続けた『顎』がリリベルに遺した答え。
リリベルはようやく気付いた。自分が本当に死を賭してまで求め続けていたものと、地獄の暗闇で、父も母も、兄弟もなく生まれた『顎』が欲しかったものとは、全く同じものだった、と…

その身体で閻魔大帝の斬撃を止め、悪魔リリベルを守った付喪神『顎』は、砕けてなお白刃に噛み付いていたが、やがて命なき本来の姿で、ドサリとリリベルの傍らに落ちた。

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