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第三話 「群狼」

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「ヴィガス、面を上げろ」
 その高圧的な声によって、ヴィガスは混濁していた自らの意識を現実に引き戻すことが出来た。鎮静剤の投与による全身の筋肉に鉛を差し込まれたような倦怠感も、48時間以上の拘束による骨格の悲鳴も、肉体に付随する苦痛であれば無視することが出来た。
 闇の中にぼんやりとした影が浮いている。闇に溶け込んではいるが、闇よりもなお昏い影。
「――――」
 応答は視線のみ。轡球を噛ませられた状態では口が回る訳もない。元よりヴィガスにとってこの男と会話をすることは苦痛以外の何物でもない。
 彼は椅子に座らされていた。ベージュの拘束衣を着させられ、照明はなく、裸足の爪先で触れた床は柔らかい材質で出来ており、それは頭部を打ちつけての自害は不可能となっている。
 ――犯罪者か精神病者の扱いだ、それも重篤の。
 指を弾く音がした。ついでヴィガスは、己の拘束帯が全て一斉に緩んだことに気付いた。
「任務だ」
 ヴィガスは椅子に座ったまま腕をおろした。轡球を吐き棄て、暗い眼で、影である声の主を見据える。
 ヴィガスは拘束帯を引き抜きながら、自分の足元に手を伸ばした。そこには金属製の筒状のヘルメットがあった。頭頂から顎まで完全に覆い隠す昆虫的なデザインのそれをヴィガスはかぶった。瞳孔と脈拍を始めとする生態認証システムが作動し、所持者を認識したヘルメットは、赤外線を視る能力をヴィガスの眼に与えた。
 ヴィガスは立ち上がった。2メートルを十数センチ上回る巨漢である彼が直立すると、ヘルメットが天井にこすれる感覚があった。
 影が告げた。歌うようでありながら、醒め切った響きをも帯びた声音だった。
「ゆくがよい、魔犬ヴィガスよ。火龍の顎門に牙を突き立てよ」


   秘神幻装ソルディアン 第3話『群狼』


 現在アバドン生物群の駆逐に最も戦果を上げているアブラクサス財団は一般社会的には大規模複合企業(メガ・コングロマリット)として認識されている。だが対アバドン専用の民間軍事契約業者(PMC)としての一面は、それ以外の全てに優先されると言っても過言ではない。
 そもそもアブラクサス財団の発祥はキリスト教の異端である同名の結社に由来する。
 アブラクサスとは紀元二世紀にアレクサンドリアのグノーシス派バジリデス教徒が崇めた至高神の名前である。鶏の頭と蛇身の脚を持ち、一年の三百六十五日を司る神でもあった。
 そしてユングが神や悪魔すら超越すると記した存在でもある。
 アブラクサス財団が近年忽然と出現し始めた遺跡――通称新遺跡群の発掘調査や監理を国連から委任されていたのは衆知の事実だが、そもそも新遺跡群の調査を提案したのが実はウォルター・ラザルスであったことを知る人間は限られている。同時期に出現は偶然のものと思えたアバドンと新遺跡群は、彼の言質によって関連性を明らかにされたようなものだった。
 しかし、アブラクサスが独自にアバドン殲滅を果たすために国連に叛くことまではさしものラザルスにも読めなかった。
 アブラクサス財団が国連に叛旗を翻したこと、着々とアバドン殲滅の成果を挙げていること、そして多くの政治的・非政治的組織が彼らに接近を試みていること――それらにただならぬ反応を示した組織が二つ、あった。
 一つはかつての世界の盟主であったアメリカ合衆国。
 一つはキリスト教の総本山であるヴァチカン。
 その仲介をしたのが、やはりウォルター・ラザルスその人である。結局のところアメリカもヴァチカンも同じ穴のムジナである。だがそれ以上に二つの組織を結びつけたのは現状への不安であった。
 世界的な未曾有の危機に有効な手段を採ることが出来ない不安、新たな武力と影響力を持つ組織への不安、混迷の世界の行く末に対する不安――それぞれ物理世界と精神世界に君臨していた者たちが手を結び、二つの世界の私生児として〈ゲニウス〉は産み落とされた。

「……こんなもんか」
 ノートPCのキーボードを叩く手を止めた柊隆一郎は何度かワープロソフトの文面を斜め読みした後呟き、椅子に座ったまま伸びをした。窮屈に押し込められた背骨の節が心地よく弾けるような感覚。
 一代を築いた人物の語りとは概ね聞き手に教訓として働く場合が多い。ウォルター・ラザルスの場合それだけでなく、ウィットやボキャブラリーに富み大変面白かった。ただ如何せん面白すぎた。本筋からの脱線、記憶違い、思想の偏向――そしてそれらに対する反証や訂正も遠慮なく一つの話にぶち込むために語り手も訊き手も飽きるということはないが、後々本筋を思い出すのに苦労する。事実隆一郎がラザルス本人から聞いた〈ゲニウス〉発足の経緯を思い出し、抽出し、編纂して文章化するのには結構な時間がかかった。
「……」
 ふと思い出したようにインターネットに接続し、検索エンジンに単語を入力する。

『TOKYO ABADONN SOLDIAN』

 一致するページは既に五桁に上っていた。妙な場所に入ると黒服のいかつい男たちとサウナに入る羽目になる、とオールド・ラザルスには言い含められていることだったから、大学や実家でPCをいじる時以上に慎重にページを探した。
 無料動画共有サービスに入り込んだ。
 サムネイルの一つ――二体の龍が対峙した一瞬を切り取った画像に眼が行った。それをクリックしようとした時、けたたましく備え付けの電話が隆一郎の心拍を掻き乱した。
〈ゲニウス〉の備品であるノートPCに内蔵された時計は午前六時を示している。隆一郎はげんなりしながら受話器を取った。
『リュウ、時間だよ』
「……目覚ましなら部屋にあるんですけどね、オリガさん」
『ジャックから聞いたところによると、ハイスクールで陸上をやっていたころはしょっちゅう早朝練習を休んでいたようだね?』
 何で親父がそれを知っているのか。祖母にも朝練のことは全く言わなかったのに。
『まぁそういうことだから。くれぐれもサボろうとは思わないように』
 一方的に通告するだけして電話は切れた。
 実のところ、全く眠くはないのだ。
 ラザルス邸に滞在して一週間になるが、睡眠時間はずっと五時間程度で安定していた。あまり眠れなくなった、というよりはあまり眠る必要がなくなったと言う方が正解だろう。八時間は必要だった睡眠時間はここ一週間で徐々に磨耗し、今では五時間ほどに短縮されていた。五時間で、少なくとも十九時間は眠気を欠片も覚えない。
〈ヴォルカドゥス〉に搭乗した頃から睡眠欲求は磨り減り続けていた。最終的には二、三日の徹夜では眠いとも思わなくなっているだろう、という予感がある。こうなった当人としては、受験期にこうなっていたかったな、というのが本音である。受験生だった頃の最大の敵は数学の勉強中に猛烈に襲い来る睡魔と、セクシーな美女たちの幻だった。
 それだけではない。三日の間、〈ゲニウス〉との契約のために書類の記述を初めとする諸々の儀式を隆一郎は強いられていた。その中には体力測定も含まれていたが、隆一郎の運動能力は高校時代よりも全ての面において上を行っていた。
 驚くべきことではない、とオールド・ラザルスは言った。ソルディアンは環境に合わせて自己を最適化し、機主の成長をも促すと言う。他のソルディアンの機主のデータからそれは判明しているらしい。
 そんな隆一郎なのだが、朝練に行きたくないという心理が働くのは習い性なのだろうと思うしかない。
 だからと言ってサボると後でどうなるか分かったものではないし、あと一ヶ月と半分で二十歳になる男としてはあまりに弱すぎる考えだろう。


「しかし……オリガさん」
「なんだい?」
 隆一郎はパキスタン製のやや黄ばんだ胴着の奥襟を掴んだ、女にしては太すぎる指を何とか外そうともがいた。無論、それしきで外れる握力ではない。横幅なら隆一郎を上回る体格も、それ以上に腰に締めた黒帯も伊達ではないのだ。
「何で柔道なんですか?」
 彼女は案外色っぽい厚めの唇に太い笑みを浮かべた。
「いい質問だ」
 左足を支点にして隆一郎の懐へ抉り込むようにその背中を割り込ませた。瞬間、隆一郎の視界は縦に弧を描き、畳上のマットに長躯が叩き付けられる。ぐっ、と息が詰まる。受身はこの三日で何とかモノに出来たが、それでも投げられる衝撃にはまだ慣れることがない。
「立てるかい?」
 差し出された手を取り、隆一郎は立ち上がる。つくづく男に生まれるべき人だったよな、と思いながら。
 オリガ・ブラヴァトカヤは身長180センチ前後、体重は少なく見積もって90キロの女性である。胸部は大きいというよりは分厚く、雨宿りさえ出来そうだ。小麦色の髪を男のように短く刈り込み、顔立ちはいかついが女性らしい愛嬌がある。コールサインである『ネイルズ1』は柊隆一郎の遺伝子上の父親であるジャック・フェルトン直属の部下の証明で、彼女自身『ネイルズ1』と呼ばれることを誇りにしているようだ。
 アーカンソーのラザルス邸は〈ゲニウス〉の傘下組織であるアトランテック社の私有地でもある。想像を絶するほどに広大なそこは基地の役割も備わっているらしく、常時百名のスタッフが職務に精励し、あるいは寝食を共にしている。柔道場はそんなスタッフたちのストレスを解消するための施設の一つだった。
「さっきの質問だけど、あんたはオリジナル・ソルディアンの乗り手だね?」
「はい」
「では、あんたは何故ソルディアンが人の形をしていると思う?」
 一瞬言葉に詰まりながら、隆一郎は答えた。
「それは――人の扱うものだから?」
 構造上、兵器が人体を模倣するなどというのはナンセンスの極地であることは隆一郎も知っている。速く疾走するには空気抵抗を受け過ぎ、剛性を高めるには構造が複雑過ぎる。そんなものを敢えて兵器として運用するとなれば運用するに足る理由が存在する、と考えるのが当然で、それを造ったのが古代の超文明だとすれば「人間が扱うものだから人の形をしている」という結果は如何にも真っ当な理由と思えた。
 オルガはうなずいた。
「そう。学者先生の話では理由はそれだけではないらしいけど、そんなものだね。どこかの誰かの受け売りだけれど、ソルディアンは鍛え抜かれた肉体の更なる延長だ。自分の身体で出来ること、出来ないことを知っておいて損はないはずだよ」
「そして実務的な理由としては」
 道場に張りのある老人の声が響いた。
「柔道は技術が系統立っていて、教えるにも教わるにも都合がいいということ。そして身体バランスの訓練にはうってつけな格闘技だということ。どうだね、納得したかい?」
 まっさらな柔道着に黒帯を締めた姿のウォルター・ラザルスがそこにいた。黒眼鏡の代わりであろう眼帯を除けば、意外にもその立ち姿には堂に入ったものがある。
「柔道、やるんですか?」
 言ってすぐに隆一郎は間抜けな問いを発したことに気づいた。この装束で柔道をしない訳がないのだ。
「やるよ。頭脳労働しかやらないと、身体の方をたまらなく動かしたくなる。オリガ、彼を借りてもいいかい?」
「ご随意に」

 結果だけ述べれば、隆一郎はオールド・ラザルスからも好き勝手に投げられた。
「オリガ、『山嵐』ってこうだったね?」
「お美事です、御大」
「はっはっは、それっ」
「ぎゃんッ」
「次は『俵返』」
「ドワオッ」
「そして『河津掛』」
「ぎゃあああッ」
「……御大、それ禁止技です」

 こうして隆一郎の身体が立つことを本格的に拒絶したのは一時間を経過してからだった。酸素を貪りながら畳の上で大の字になった隆一郎は、胴着が汗で重くなるという感触を初めて知った。
「どうだね、リュウ。立てるかね」
 オールド・ラザルスは呆れたことにまだ隆一郎を技の実験台に使うつもりらしかった。流石に汗みずくではあるが、一時間も組み手をやっていながら、そこまでの体力を残しているのは並ではない。その年齢を考えればまさしく超人的と言えよう。
「……そろそろ嫌になって来ました」
 ほう、とオールド・ラザルスは笑った。笑うという行為は本来獣が牙を剥く行為が原点であるという豆知識が隆一郎の脳裏をかすめた。
「ということは、気力を振り絞れば立てるということかね?」
 このじいさんは、と隆一郎は思った。ひょっとして、骨が折れるまで投げ続ける気か? 隆一郎はオリガの方を見たが、オリガはオリガで眼で告げて来た。もう少しの辛抱だ、と。
「何だねもう参ったのかね。近頃の若い者と来たら――」
「オールド・ラザルス、そこまで」
 呆れたような男の声に、ラザルスは露骨にぎくりとした。
「やぁジャック。一時間ぶりだね」
 グレーのサマースーツ姿のジャック・フェルトンである。その背後、道場の戸口にはマゼンタのツーピーススカートを着た金髪の少女がいる。クローディア・クロムウェルだ。
「会議からいつの間にやらいなくなったと思ったら……」
「いつものことじゃないか。どうせ政治がらみの事例だろう」
「ええそうです。あなたが決済してくれなければ話が進まない事項が四つね」
「私は判子を押す機械かね?」
「会議や決済はともかく、面会の時間まで五分しかありません。その後はコンテナの最終点検に立ち会っていただかねば――」
「五分でシャワーを浴びて着替えるのは無理があるぞ、ジャック」
「オリガ、やれ」
「了解(Aye,Sir)」
 痺れを切らしたジャックが顎でしゃくった時には、いつの間にか組み手練習用のゴムチューブを持ったオリガがオールド・ラザルスの後ろに立っていた。見事な手際で簀巻きにし、そのままジャックに手渡す。
「君たち、私を誰だと思ってるんだ?」
「もちろん理解していますとも。ストレス解消は事務が終わったらにしていただきたい。その後は我が倅を煮るなり焼くなり好きになさってください」
「それじゃリュウ、オリガ、今日はこのあたりにしておくとするよ」
 護送される囚人のように道場から連れ出されるラザルスを横目に、隆一郎はもう乾いた笑いしか出なかった。
 立ち上がろうとすると、上体を起こした次の瞬間、激しい脱力感を自覚して再度背中を畳に付けてしまう。
「情けねえ……」
 自然に自虐の声が出る。ソルディアンの影響で体力も増強されているというが、少なくとも持久力の面では実感出来ない。
 すると、クローディアが近寄ってきた。隆一郎の眼は何とはなしにその一連の動作を見つめている。彼女は隆一郎の傍らにしゃがみこむと、だらしなく広がった掌に四本の指を延べて、触れた。
「あ……あ?」
 するとどうだろう、打ち身の痛みも関節のだるさも、潮のように引いてゆくのが分かった。まだ少しは残っているが、最前と比べれば雲泥の差だ。軽くなった関節を曲げ伸ばしつつ身を起こすと、
「君が……やったのか?」
 隆一郎はクローディアの顔を至近距離で見つめることになる。一瞬だけ眼が合う。吸い込まれるようなマリンブルーの瞳。
 それを拒むようにクローディアは顔をそむけ、そそくさと道場を出て行った。
 入れ替わるようにオリガが隆一郎の傍らにしゃがみこんだ。
「癒しの力……クローディアの力さ。オリジナル・ソルディアンの機主としての、ね」
「クローディアも……か」
 すんなり納得している自分がいる。
「いつもなら効果はかなり限定的だし本当ならあの娘も疲れるはずなんだけど――相性がいいのかもね」
「オリジナル・ソルディアンの機主だから治癒能力も向上している訳で、その上にクローディアの力も相乗されたんでしょうよ」
 にんまりと意味ありげに笑うオルガに取り合うことなく、隆一郎は私見をスマートに述べた。一瞬だけオルガは面白くなさそうに唇を曲げたが、真顔になって「あと、ラザルスの御大だけど」と続けた。
「あんたも知ってるだろう、大変な立場にいる人なんだ。ストレスだって尋常なものじゃない。恨まないであげてよ。あの人の場合いい歳をして子供じみたところもあるからね」
「あ、はい、それは分かります」
 オルガは満面に笑みを浮かべて、言った。
「じゃああと二時間、頑張ろうか」
「えっ」

 隆一郎が畳に叩き付けられたり関節を締め付けられたりする作業からようやく解放されたのは、正午近くになってからのことだった。正座を組んで瞑想しながら、武道家という生き物のサディズムとマゾヒズムについて一本論文を書けそうな気がした。
「では、礼」
「ありがとうございましたッ」
 上座へ対面になって座るオリガと平伏礼を交換する。
「それじゃあ解散。明日明後日は土日だから休みだよ」
 ぬるま湯のシャワーを浴びて汗を流し、食堂へ向かう。昼時の時間帯もあって食堂はそこそこ混み始めていたが、そこでジャックと鉢合わせになった。
「どうだ、調子は」
「うん、まあまあ」
 親子は互いに持っているトレイの中身を確認した。寸分たがわぬAセットランチ。二人とも、一瞬黙り込んだ。
「同じだな」
「同じだね」
 会話は続かない。向かい合わせで座り、黙々と二人は食事をする。
「ここのメシ、美味いね」
「そうだな、量も十分だ」
 やはり会話は途切れてしまう。
 日頃の没交渉が祟ったか、とは二人とも考えたが、二十歳になる息子と五十路に手が届く父親の日常会話などそもそも弾みようがないのだと気付いた。
 二人とも、同時に食べ終わった。
「リュウ、お前に見せたいものがある。付き合え」
「いいけど?」
 ジャックについて外へ出る。邸宅という以上に基地としての様相を呈した広大な土地は、ともすれば迷子になりがちである。父の軍人らしいたくましい背中を確かめながら進んでゆくと、裏門に行き当たる。大型車両が日常的に往来するそこは格納庫まで続いており、今も数台の大型トレーラーが入ってくるところだった。親子は声を張り上げて指示をしているメル・ファン・ヒューレンを発見した。
 メルも二人の姿を認め、170センチ前後の背筋を正してジャックに向き直り、敬礼。ジャックも敬礼を返す。
「本日一二三七、頭部パーツの搬入を確認しました。これにて命令の全行程の完了を報告します」
「ご苦労だった」
「頭部パーツ?」
 隆一郎が話に割り込む。
「メル、こいつに見せてやりたいんだが、いいかな?」
「ええ、よろしいですよ」
 いざなわれた格納庫の中では整備服の面々が喧しく指示を飛ばし、あるいは走り回っていた。それらをかわしながらエレベーターに乗り込み、向かった先は地下だった。そこにはまだ組み上がっていないソルディアンが存在した。
「〈ティンダロス〉……じゃないな」
 隆一郎がそう思ったのも無理はない。頭部には耳状のクラビカルアンテナがあり鼻面は出ていたものの、〈ティンダロス〉よりは一目で分かる程度には低い。装甲のシルエットも直線的でなんとなく兵器然とした〈ティンダロス〉と比較し、流線が多用されている。〈ティンダロス〉と似ているが、一目で違うものと分かるデザインなのだ。
「〈ティンダロス〉は犬だから、こっちは猫かな」
「〈ウルタール〉ですわ、ミスタ・ヒイラギ・リュウイチロウ」
 声の方向へ頭をめぐらせると、赤みがかった金髪をアップにまとめた女性がいた。
「初めまして、あなたの話は伺っています。アトランテック社兵器開発部主任のグレッチェン・アルトマンです」
 彼女が差し伸べた手を隆一郎はなんとなく握る。隆一郎が口を開く前に、ジャックが問うた。
「博士、こいつは組み上げてすぐに起動出来るかね?」
「組立完了後五分で出来ますわ、ミスタ・フェルトン。何ならご自分でお確かめになりますか?」
「私は結構。ネイルズ・ナンバーに昇順を優先して回すように言ってある」
「乗らないのか?」
 隆一郎が問う。ジャックが返す。
「意外に偉いんだぞ、私は」
 そう軽々しく動ける立場ではないということだろうと隆一郎は解釈した。ジャックの海兵隊退役後の階級は上級軍曹ということだが、少なくとも〈ゲニウス〉では下級将校に留まらない扱いを受けていることは察していた。あるいは佐官程度の職責はあるのかも知れない。
「それに、〈ティンダロス〉の方が扱い慣れている」
 要するに機種変換が面倒臭いんじゃないか――と隆一郎が言おうとしかけると、ジャックの携帯端末がメールの着信を知らせる。メールの文面を確認して一言、
「リュウ、出撃が決定したようだぞ」
 父の物言いはいつも直截的である。


 どこまでも蒼い空を反映して、その機体は青い。
 実際その装甲は鏡面保護(ミラーコート)が施されていた。のみならずその他幾重にも渡るジャミングがレーダーを欺瞞する。そこまでしなければ欺瞞出来ない。何故ならばその機体は目立ちすぎていた――蝙蝠の翼を持つ人型の戦闘機など、目立たない理由がない。
 〈ナイト・ゴーント〉の四機編隊が飛んでいた。〈ナイト・ゴーント〉は飛行能力に特化したソルディアンであり、その最高速度はマッハ20。無論最高速度に到達するより早くオペレータが身体機能に異常を来たすし、その半分でも機体にかかる負荷は生半可なものではない。そもそもそこまでの速度は必要とはされていないのが現実だった。大抵の場合、それは〈ナイト・ゴーント〉や〈ティンダロス〉の出る幕ではなくなっている。
 だが――
「どうやらスペック通りの能力を発揮出来る機会に恵まれそうだぞ、諸君」
『隊長、余程の大物ですか』
「ああ、俺は今聖ジョージの気分だ――ドラゴンと対峙せんとする気分だ」
『武者震いがする喃!』
『タケシ、そりゃ風邪でも引いたんじゃないのか?』
『全裸で寝る癖やめろよタケシ……』
 部下のやり取りを聴きながら、隊長はアラームが鳴るのを聴いた。視線を巡らせると、10時の方向に〈ナイト・ゴーント〉の編隊を発見した。ただし、一つや二つではない。
『10個編隊はいませんか……?』
『……こんなに集まったところなんて見たことねえや』
「俺もだ」
 部下たちのうめきに対して隊長は静かに肯う。
  ソルディアンは希少にして貴重な兵器ながら、アバドンの駆逐を目的として生まれた存在である。特に〈ナイト・ゴーント〉は機体の性質上一撃離脱が求められ、故に最大の長所たる機動力を殺すように大々的な編隊を組むのは前例のないことだった。
「だが、相手はドラゴンだ。――ドラゴンに匹敵する相手だ」
『隊長、それってもしかして』
「それ以上は思っても口に出すなよ。アンダマン条約に引っかかるからな」
 隊長は冗談めかして言ったが、部下は誰も応えなかった。
「これはドラゴン退治だ。ドラゴンを退治して列聖されたいなら、各自力の及ぶ限り奮起せよ」
 かくて四十機の〈ナイト・ゴーント〉は空をゆく。



 南太平洋に浮かぶ名も無きその島には妖気が満ちていた。繁茂する木々は精細を欠き、虫や鳥の姿も見ない。
 この島を航空写真で見れば、原因は容易に分かった。
 島中央部にかかる分厚い雲――それが雲や霧などという生易しいものでないことは柊隆一郎ですら一目で看破出来た。雲霞の如きアバドンの群れがこの島の中央部に巣食い、生体エネルギーを吸い尽くしているのだ。
 アバドンの生態は不明な点が多い。眼球状の心臓部は核反応炉に匹敵するほどの莫大なエネルギーを生み出すと推定されており、意外なことに単なる捕食のために生物を襲うアバドンは今のところ確認されていない。
『〈ギベリオス〉の時もそうだったけど、こいつら何で根付いてるんだろうな?』
 隆一郎の問いにジャックが返した。
『その確たる答えを得るには、まず実例の数が絶対的に不足している。それに我らの目的はアバドンの研究ではなく駆逐だ。そんなものはアブラクサスのラボに任せておけばいい』

 オリジナル・ソルディアンの頭部コクピット、通称『機主の座』に就いた隆一郎は、バトルドレスと呼ばれる戦闘服を着ている。着心地は恐ろしく良く、裸同然に動き回ることも可能で、体温調節機能(これは<ヴォルカドゥス>に乗っているうちは不要だが)つきで、無数のポケットには食い続ければ確実に糖尿が出るような高カロリーレーション食を始めとしたミリタリーキットが入っており、
更には生身での白兵戦のために防弾防刃繊維製で、尚且つ量産型ソルディアンと同じ人工筋肉を使用し、ちょっとしたパワードスーツとしての役割も果たすという代物だ。 具体的な価格は教えてもらえなかったが、原価で計算しても安いなどとは口が裂けても言えないだろうことは理解出来る。
 指先を動かして着慣れぬ装束の感覚を馴染ませながら、隆一郎は唇を舐めた。
「さて……行くかい、〈ヴォルカドゥス〉」
 その声に感応して<ヴォルカドゥス>が降下する。轟然と、猛然と。
 雲霞のように羽虫の如きアバドンが<ヴォルカドゥス>を包む。
 距離が縮まる。
 しかし、羽虫に頓着しない。隆一郎は轟然たる意思を持って降下する。
 距離が縮まる。
 島の中央部――アバドン・ヘッドへのみ意思は向けられている。
 距離が縮まる。
 隆一郎は<ヴォルカドゥス>の姿勢を変える。
 距離が縮まる。
 隆一郎は項のテイル・ハーケンを伸ばす。
 距離が縮まる。
 隆一郎は<ヴォルカドゥス>の足裏に全質量を向けるような姿勢を採らせる。その足裏にはテイル・ハーケン――質量と速度で一気にアバドン・ヘッドをぶち抜く姿勢。
 距離が縮まる。
 <ヴォルカドゥス>が降下速度を増す。
 距離がゼロになる。

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああァァァァァァッ!!!!」
 絶叫と共にインパクト。
 空気が爆ぜる感触――空間歪曲障壁が割れる感覚――少し遅れて騒音。
 丸い甲殻に三爪鉤が突き立つ。いける――隆一郎は考えた。
 瞬間、覆される。甲殻が身をよじるように動く。三爪鉤の突き立つ角度がずれる。
猛然と回転するドリルはその回転数故に弾かれると、丸い甲殻に添いながら地面に突き刺さった。
 孤島に響く轟音並びに震動。
 危険。その二字が脳裏に浮かぶ時にはもう遅い。振り上げられた柱の如き腕が<ヴォルカドゥス>を弾く。
木々を数百本諸共に薙ぎ倒しながら、<ヴォルカドゥス>は地に伏す。地に伏しながら、隆一郎は姿勢を立て直す。
 巨大な熊とでも言おうか。二足にて大地を踏みしめる全長50mの巨獣が目の前にいた。熊と異なるのはその皮膚が隈なく甲羅で覆われていること――なかんずく、背部の甲殻の強度は先刻隆一郎と<ヴォルカドゥス>が証明した通り。
 アバドン・ヘッド〈キディラー〉。
「ゼオ・ソードッ!!」
 睨み合う間すらもどかしく、隆一郎は咆吼する。<ヴォルカドゥス>の腕部装甲が変形し、剣としての性質を帯びる。
 疾走、斬撃――空間湾曲すら貫き、切先はキディラーの腹部を抉った。浅い。急所には届いていない。
<キディラー>が腕――あるいは前脚――を揮った。即座に隆一郎も<ディフ・シルド>を展開。しかし浮く。飛ばされる。100m以上吹っ飛ばされてようやく地に足が着く。何という膂力。
 <キディラー>がその身を丸めてゆく。
 ほぼ完全な球体になった<キディラー>――その甲羅は金属光沢が鈍く煌いている。
 嫌な予感。
 そして転がり出す。
「『まるくなる』『ころがる』のコンボかよ! しかも一ターンで! しかも最初からフルスロットル!」
 例の世界的大ベストセラーゲームのプレイヤーでもある隆一郎は焦った。
 いやそんなことはどうでもいい。速度はともかく、回転数が異常だ。
  というかあの質量で転がるだけでも相当な質量兵器だろうに、そこに超回転が加わって最強に見える。<ディフ・シルド>でも防げないだろう。あれも心臓部が生む特殊能力だろうか?
 ということで、受け止めるのはやめてその力を利用することにした。
 極度の緊張。鉄球と化した<キディラー>が直撃するその一瞬だけ早く、身をかわす。
 言うだけなら簡単である。実行に移すのは至難だ。だがやらねばならない。
 そのための自信も隆一郎には備わっている。
 重突撃――見切る――<ディフ・シルド>を展開した掌で流す――そのまま<キディラー>は明後日の方向――海に落ちる。
 形態を解除し、立ち上がる<キディラー>。海が苦手なのか? 何にせよ、千載一遇の好機を逃す手はない。可能な限りの速度で<ヴォルカドゥス>を接近させる。
 <キディラー>が腕を揮う。<ヴォルカドゥス>はそれを掻い潜って、距離を詰める。
 <ゼオ・ソード>が<キディラー>の腹部――弱点たる心臓部の埋まった箇所――を抉る。深々と貫く。
 <キディラー>の絶叫――ソルディアンに乗ってさえ精神に異常を来たしかねない怨嗟の咆吼。隆一郎は刃をねじり、腹を引き裂くようにして抜く。噴き出す体液。
 距離を置く。そして満腔の声で口頭指示(コマンド)。
「ヴォル・ファイア! ヴォル・ファイア!! ヴォル・ファイア!!!」
 <ヴォルカドゥス>の龍頭の口腔が開き、三連続で空間がプラズマ焼灼された。
仮借ない熱の暴圧には、物理現象を捻じ曲げでもしない限りは耐えられるものではない。その術を失った<キディラー>は、荒れ狂う分子運動の前に跡形もなく燃え尽きた。


「〈ベアー〉完全沈黙。目標は海岸に立ち尽くしています」
「疲弊はしているようだな。よろしい。これより作戦コード〈ゲオルギオ〉の第二段階に入る」

 その潜水艦は例えるならば槍の穂先に似ていた。柄の生えるべき箇所にはコーン型のエンジンが突出している。さながら海中を切り裂く、全長100mの幅広で扁平な牛舌状の槍(オクスタン)。
 ソルディアン〈ティンダロス〉が衆目に初めて晒された時、これをどう運用すべきか考えなかった軍事関係者は恐らく一人もいなかったはずだ。全長20mの巨人を、必要数、可及的速やかに、如何にして目的地に送り届けるか――その問題は〈ティンダロス〉からやや遅れて世に出た〈ビヤーキー〉によって解決された。蜂に似たこの輸送機はその見てくれよりもずっと力持ちであり、二機一組の〈ビヤーキー〉は最大8機の〈ティンダロス〉が詰められた兵員輸送コンテナを地球の裏側まで輸送可能である。
 しかしそれだけでは満足しない人間は極少数ながら存在した。
 〈ビヤーキー〉による空輸は速度と員数を満足させるが、余りにも堂々としすぎていた。敵勢力に発見された際、<ビヤーキー>にも機銃の装備スペースはあるものの所詮は戦車トランスポーターの派生でしかなく、防備としては心もとない。さしもの<ティンダロス>もコンテナの中に押し込められている限りその戦闘力が発揮出来ないのは言うまでもないことだろう。
 そのために空戦ソルディアンである〈ナイト・ゴーント〉が生まれ、空爆ソルディアンである〈シャンタックス〉が生まれた。
 だがそれでも彼らは満足しなかった。
 如何に隠密裏にソルディアンを輸送するか――
 情報はいつの時代も戦の要である。知覚されない戦力はそれだけで価値があるのだ。特に人との戦闘においては――尤もそれを必要とする組織は限られている。ソルディアンによる特殊部隊を編成するような必要もないし、資金も限られたし、何よりアンダマン条約への配慮という建前が邪魔をした。
 そんなものを必要とし、尚且つ実際に運用できる組織など――地球上には一つきりしかない。
 かくしてアブラクサス財団はマーシュ級潜水輸送艦を完成させた。

 マーシュ級の艦体が半ばから横に割れ、スライドし、全長を増した。
 スライドした部位の内部はくびれており、30m近い、細長い六角柱状のポッドを一隻につき六基巻きつけている。
 強襲揚陸用ポッド、通称<蕾の殻>(ブットシェル)。
 ポッドが切り離され、魚雷のように尻から泡を大量に噴き出して目的地へ走る。ある程度の深度で外殻が剥離すると、犬頭の人型兵器――<ティンダロス>の姿が現れた。
 孤島に集結しつつある脅威を、柊隆一郎はまだ知らない。


 雲が切れるように、灰色だった空間に太陽の光が満ちてゆく。疲弊と爽快さがない混ぜになった感覚が隆一郎を支配していた。
「柊隆一郎、目標クリア。これより帰還する――」
 青空に目をやる。一叢の雲が流れている。気温は高く、季節は夏。泳ぐにはいい日だろう――隆一郎が視界の隅に何らかの影を認識したのも束の間。
 <ヴォルカドゥス>の周辺1kmに降り注ぐ槍――対アバドン用高空爆弾。その実は縮小したバンカーバスター。鉄鋼弾頭が質量の八割を占めるこの爆発する「槍」の雨には<ディフ・シルド>は飽和し、打ち破られ、<ヴォルカドゥス>はその穂先に晒されることになった。
 永劫にも思える数十秒が終わる。隆一郎は<ヴォルカドゥス>に突き刺さったままの弾頭を引き抜きにかかった。その都度青い血液状流体が溢れ、しとどに<ヴォルカドゥス>を濡らす。
「ぐぅぅ……ッ」
 最後の一本を抜いた時、それを見計らったように、砲弾が山形の弧を描いて、ヴォルカドゥスに浴びせ掛けられた。
 高速徹甲弾、徹甲榴弾、徹甲焼夷弾、成形炸薬弾、多目的対戦車榴弾、粘着榴弾、APFSDS弾、ありとあらゆる弾丸弾頭弾薬が狂ったように蕩尽された。
 そしてそれらは全て<ヴォルカドゥス>に向かってぶち撒けられた。
 弾丸がソルディアンの堅牢無比なる装甲を削る。削ってゆく。弾丸の嵐に晒される隆一郎には何が起きているか分からない。ただ、とてつもない悪意に晒されていることは理解する。純然たる人の悪意を。
 人の悪意――ソルディアンとなった者に向けてそんなものを投げつけることを出来るのはソルディアンしかいない。
 そしてその必要十分条件を備えるものは地上に一つ――即ち、アブラクサス財団。
 隆一郎は<ヴォルカドゥス>を空中に舞わせた。螺旋を描くように旋廻軌道を描きつつ、能う限りの速度で上昇する。
 アブラクサスはくそったれだが、隆一郎には彼らと闘う気もなく、またその理由もない。例え相手がそれを望んでいようとも、だ。この場合逃げるが勝ちだ。
 しかし人の悪意は柊隆一郎の思惑など、当然計算に入れて謀っている。
 陽光を背に降下する陰――鋭利極まる斬撃――<ヴォルカドゥス>の左肩部装甲の切断。
 視力が強化された隆一郎の視力でさえ明確ではない一連の挙動。
「何者だ……!?」
 隆一郎はまさか自分が発することになろうとは思わなかったその台詞を口にした。
 誰何に応えたのか、そいつは<ヴォルカドゥス>と同じ視線の高さにまで上昇して来た。
 それは<ティンダロス>だ。<ティンダロス>に飛行機能を付与し、その突撃性能を強化するためのアサルトモジュールが背部に装着されている。
 いや――隆一郎は一瞬だけそれを<ティンダロス>と認識出来なかった。
  何故ならそいつの四肢は通常の<ティンダロス>よりも逞しく肥大していた。何よりその手に握られた剣が異様だった。美術品としても一級品と思える見事な造作の、黒く見えるほどに赤い、長大な深紅の剣。
 あれは危険だ。隆一郎は突如として浮かんだその考えを疑わなかった。
『この機体は〈バスカヴィル〉――この剣は〈コルヴァズ〉の魔剣』
 低く、まるで地の底から響くような声――疑う余地なく目の前の<ティンダロス>からの通信。
『そして俺はヴィガス。火龍よ、その命、貰い受ける』
 その宣告に先んじて、隆一郎の、半球状のアームレイカーを握った指が滑らかに動いた。ピアニストを思わせる精密かつ滑らかな動きに驚いたのは他でもない隆一郎当人である。数日この<ヴォルカドゥス>から離れていたが、以前より少しではあるが確実に、一体感が増しているように感じた。
 アームレイカーとソルディアンの操縦がどのようにリンクしているか隆一郎には計り知れないところがあるが、思い通りにやってくれるという確信は存在していた。項のテイル・ハーケンが<ヴォルカドゥス>の身の丈より9割ほど長く伸び、尖端の三爪鉤がミキサーの刃のように回転して、<ティンダロス>を撃ち砕かんと薙ぎ払う。
 重厚な金属音。
 それは<バスカヴィル>の魔剣がテイル・ハーケンを弾き返した結果だ。空間歪曲障壁ごとアバドンを貫く金属の爪牙を、たった一振りの剣が弾いたのだ。
 距離が埋まる。
 ――ならばこちらからも距離を埋めるまでだ。
 瞬時に隆一郎は判断し実行した。距離を無にすればあの段平を揮おうにも揮えまい。加えて、オリジナル・ソルディアンと量産型との馬力と質量の差は天地ほどもある。<ティンダロス>がいくら強化されようともベースは<ティンダロス>でしかない。
 <バスカヴィル>の胸部を砕かんと<ヴォルカドゥス>の右拳が握られる。もはやかわせる距離ではない――
 しかし隆一郎はかわす以外の対処を知らず、ヴィガスは知っていた。 
 右の拳が胸部に触れる寸前に、威力は減殺されていた。
 隆一郎はヴォルカドゥスの拳が失われていることを知った。
 切断された――それを驚愕する暇もなかった。<ヴォルカドゥス>を衝撃が襲う。<バスカヴィル>の蹴りが見舞われたのだ。
 距離が開いた。
 魔剣が揮われる。恐ろしく速く鋭く精確な剣撃だ。隆一郎はかわせないと判断した。
「ディフ・シルドッ!」
 強く――いつもより強く――更に強く――思念は不可視の盾を強固にする。<ヴォルカドゥス>の機主になった当初より、自分の思念が強化されているのは事実だ。容易くは破れまい――
 不可視の盾は呆気なく切断された。
「な――」
 一瞬、脳裏が真っ白になる。しかし事態はそれを許さない。振り下ろされる深紅の刃をすんででかわす。
 ――こいつは危険だ、<ヴォルカドゥス>を持ってしても!
 隆一郎は距離を開くために退避する。
 人の悪意はそれを許さない。
 ミサイルが<ヴォルカドゥス>に直撃した。さしたるダメージではないが、無論これも見逃せることではない。隆一郎は周囲に視線を巡らせた。
 <ヴォルカドゥス>と<バスカヴィル>を囲繞する〈ナイト・ゴーント〉――戦闘機より速く飛行する無貌の翼人。
 その更に上空には〈シャンタックス〉――ペイロード限界までに弾薬を積載してなお音速を超えることが出来る重爆撃機。
 海上には〈ガグ〉――丸いずんぐりとした胴体に空間圧縮砲を兼ねた大型マニピュレイターを備える海中移動砲台。
 孤島に終結しているのは〈ティンダロス〉――説明不要の機械仕掛けの猟犬。
 その数、ざっと1000機。師団規模のソルディアンがこの大して広くもない領域に集結していた。これほどの規模のソルディアンが投入されるのは、大規模作戦でもあまり類を見ない。
 なるほど、と隆一郎は思う。オリジナル・ソルディアン一体の価値は、1000機もの量産型ソルディアン全てと引き換えてもなお釣り銭が返ってくるに違いなかった。


 隆一郎は左手の指で耳の後ろに触れた。そこには作戦前に透明なシールが貼られていた。骨伝導式無線シール。事前の説明通り二回指先で軽く叩くと、無線のスイッチがONになる。
『こちらネイルズ2。ラスタバン、状況を。OVER(どうぞ)』
 ネイルズ2はラウラ・オルツィの、そしてラスタバンは隆一郎のコールサイン。
「アブラクサス超ヤバい。あいつら頭おかしい」
『言いたいことは分かるわ』
「あいつらオリジナルと量産型の戦力比が1対500だからって1000機も出してきやがった! おい姉ちゃん、責任者はどこだ?」
『案外柄は悪いのね、ラスタバン。――ネイルズ・リーダーならボスに援軍投入の打診中よ』
「親父に似たのかもな。――指揮官なら前以ってこういう状況にならないようにしておくべきだろ、常識的に考えて」
『メルには言えないわね。――ごめんなさいね。わたしたちに油断があったことは認めるわ。アブラクサスが甘くないことは知っていたけれど、こうも反応が早いとは思わなかった』
「え、何、どういうこと? ――敵が〈バスカヴィル〉って名乗ったんだが、覚えは?」
『メルの片思いよ。――コードネーム『ブラックドッグ』。アバドン・ヘッドを単体で倒した唯一の量産型ソルディアンよ』
「親父にかよ。――奴の剣の加護か?」
『そ、くれぐれも内密にね。--―魔剣〈コルヴァズ〉はそれだけでオリジナル・ソルディアンと同等の価値のある古代遺物(アーティファクト)よ。<バスカヴィル>の四肢の肥大も〈コルヴァズ〉に影響されてのことと推定されているわ』
 あの剣、やはり只物ではなかったのだ。――いやしかし、それほどの剣をアブラクサスがほいほいと使わせるはずはあるまい。
「ヴィガスという男は?」
『謎。世界各地の傭兵にもそんな名前を使っている者はなし。曰く、アリオスト・ヘーゲルの隠し子だとか、ロボットとか改造人間とか、そんな噂も聞こえてるわ』
「要するに何も分かっていないのと同じか!」
『ただ、その能力はかなりのものよ。機体や剣を預けられたのも、彼の力があってのことでしょうね。……ちょっと待って』
 一旦通話が途切れる。
 ややあって、大分シリアスなラウラの声。
『――ちょっとまずいことになったわ、リュウ。落ち着いて聞いて』
 今の自分の状況以上にまずい事態って一体何だ、と思いつつ、隆一郎は耳を傾けた。
『援軍は、出せない』
「へ」
『島を丸ごとアブラクサス財団が買い取ったの。今は軍事演習中で、そこで何があったとしても一切関知しない――ですって』
「なん……だと……?」
 語彙の少ない漫画家が描く作品の登場人物みたいな間抜けな声が出てしまう。「言葉を失う」というのは、まさにこういうことなのかも知れない。
『こういう手で来られるとはね。経済面で攻められるとお手上げだわ。相手は何しろ超巨大複合企業(ギガ・コングロマリット)、世界一の大金持ち。誰も手は出せないわ』
「アンダマン条約は? ソルディアンは人間同士の戦闘に使っちゃいけないんだろ?」
『彼らがやってるのは飽くまでも軍事演習よ。そこで何があっても、脚を踏み入れた奴が悪い、と言い張るでしょうね』
 隆一郎は失った言葉の所在を探した。誰に罵声を浴びせるべきか分からなかった。ラウラ・オルツィ? ジャック・フェルトン? ウォルター・ラザルス? アブラクサス財団? 運命?
『一応その島には珍しい植物分布の可能性があって、その線から環境保護団体を通じて抗議してみるつもりらしいけど……あんまりアテにしないで』
「つまるところ、手詰まりか」
 隆一郎の喉から、ふふん、と声が漏れる。
『……笑ってるの?』
「いや、笑うしかない、というか」
 実際笑うしかなかった。包囲殲滅陣形の只中にあって援軍も頼りに出来ない、というのは、笑い事では済まされない。
 だからこそ笑って済ませてしまいたかった、といおうか。
「――強行突破を図る」
 それしか術は思い浮かばなかった。テープを指先で叩いて通信を切る。
「行くぞ、<ヴォルカドゥス>!」
 この時ばかりは、隆一郎はその機械が人を乗せているという事実を忘れることにした。


『僕ですよ』
『お掛けになった電話番号は現在使用されておりません』
『そっちの状況は、ベラトリクス?』
『多分あんたと似たようなもんだわ、アルファルド』
『モテる人間は辛いですね、お互い』
『あんた、今空港?』
『ええ、公衆電話から掛けてますけど、視線をちらりほらりと感じます。人が多いので迂闊な手出しをしかねているようですが』
『あんたの地元、まだ治安がいい方で羨ましいわね』
『君の背後で銃声がしてません?』
『地元の幇会(マフィア)が空港前の橋のあたりでドンパチ始めてくれやがったのよ。普通ならわざわざこんな目立つところでやらんでしょうから、大方アブラクサスの息がかかってるんでしょうけど』
 沈黙。
『そろそろ嫌になって来ませんか』
『あら奇遇ね。あたしもそう思ってたところよ』
『新人も随分苦戦を強いられているようですしね』
『新人の面倒を見るのは先輩の仕事よね』
『では、また』
『また、南太平洋でね』

 ハンガリー、フェリヘジ空港。
 エトヴェシュ・イシュトヴァーン――ヴァイク・エトヴェシュはエントランスから外へ出た。まとわりつく視線を振り切りつつ、外に出る。 そして口訣を紡ぐ。

  我は抜き放つ錆びし千の刃
    我は斬り誅す万の悪鬼羅刹
      虚無を寿ぎ星辰を衣と為し
        屍を累ねて百獣の喰とせん

「狩り立てよ、阿修羅の如く――〈イオディスカル〉!」


 香港国際空港。
 黎莎莉(リー・シャーリー)――シャーロット・リーはタクシーから混雑する道路へ降りた。銃撃の激しい音の只中に、呆然とする無能な警官隊を無視して立ち入る。
 そして口訣を紡ぐ。

  雷霆は曇天を極彩に染め
    星屑墜ちて奈落は震える
     刮目せよ未曾有なる倣岸
      今壮絶の大地を解放せん

「乾坤に轟き響け――〈エイヒューンド〉!」

 ――全機、構え。
 そんな声が聞こえそうなほど、<ナイト・ゴーント>隊は整然と銃口を<ヴォルカドゥス>に向けた。<ティンダロス>用のものと同型のリニアマシンガンだ。
 つまり、威力は十分。
 <ナイト・ゴーント>はのっぺりとしたスモークグラスの仮面に仕込んだ威嚇発光素子のパターンを閃かせ、突撃を開始する。
 隆一郎は多少の被弾を覚悟して肉迫。右腕の剣を揮う。一機の<ナイト・ゴーント>を袈裟懸けに斬る。そのコクピットたる頭部が存在する部位を別の機体が運んでゆく。
 項から尾が伸び、薙ぎ払う。回転する尖端が三機を砕く。
「ヴォル・ファランクス!」
 掌から迸る火球――編隊飛行していた三機が犠牲になったのみ。<ナイト・ゴーント>が馳せ違いながら、リニアガンを撃ち、<ヴォルカドゥス>の装甲を削ってゆく。隆一郎は刃を揮うが、しかし切先は届かない。
 読まれている――銃弾をかわしながら、隆一郎は思う。
  どうやらアブラクサス財団のオペレータたちは、余程こちらの戦闘能力を研究した上でこの作戦に臨んでいるらしい。――そりゃそうだ。下手したら、死ぬし。
 ――じゃあ、俺の生死はどうなんだ? この作戦に、<ヴォルカドゥス>の機主の生命は視野に含まれているのか、いないのか。分からないことは存在しないことと同義だと偉い人も言ってた気がするので、あまり考えないことにする。いずれにせよ、心楽しいことにはなりそうにもない。
 その時、深紅の刃が。
 横薙ぎの一閃を辛うじてかわす――いや、かわせていない。<ヴォルカドゥス>の首筋から蒼い『血液』がしぶいた。すれ違いざまに<ヴォルカドゥス>の三爪鉤を繰り出したが、平然とすり抜けて<バスカヴィル>は陣形に戻った。
 隆一郎は<ヴォルカドゥス>の兜角を上げ、少しでも行動の制約を広げようとする。
 が。
 <ヴォルカドゥス>の移動位置を予測してそこを埋める<ナイト・ゴーント>ども。
「くッ!」
 隆一郎はテイル・ハーケンを振り回し、<ナイト・ゴーント>どもを威圧する。しかし攻撃するにせよ、移動するにせよ、防御するにせよ、一瞬の停滞が生じる。
 そこに抉りこむ<バスカヴィル>とその切先。斜めに走った剣撃が<ヴォルカドゥス>の脇腹を切り裂いた。浅くはない。人間なら内臓が飛び出ているような傷だ。
 浴びせ掛けられる多弾頭ミサイル――そこから更に降り注ぐクラスターAP弾。
 <ヴォルカドゥス>の装甲のあちこちが剥離し、光になって虚空に融けて散る。
 同時に高度が下がる。隆一郎は空に留まろうとした。しかしどんどん降下してゆく。
 隆一郎は気付いた。<ナイト・ゴーント>が高度を保ったまま、<ヴォルカドゥス>に追撃を仕掛けない。
 どういうことか――回答はすぐに出た。
 地上からの砲撃――林立する百門以上の対アバドン用対空火砲が一斉に火を吹いた。
 十種類以上の弾頭からなる弾丸の豪雨の前に、地上最強であるはずのオリジナル・ソルディアンは失墜をやむなくされた。


『何この数? 楚の歌でも歌うつもりかしら?』
『ローマ騎兵ですら聖歌隊を保有する時代ですからね』
『じゃあ、彼の首が銀の盆に乗せられる前に行きましょうか』
『そうですね、馬と心中する前に間に合えばいいのですが』


 隆一郎は一瞬だけ気絶していた。しかし機主が意識を失うことをソルディアンは許さない。微弱な電撃が隆一郎の全身に流され、ショックで覚醒を余儀なくされる。
「……ッ!」
 そうだ、気絶などしている場合ではない。不快感に耐えて<ヴォルカドゥス>の身を起こし、隆一郎は周囲を見渡す。
 <ヴォルカドゥス>が墜落した地点は盛大に擂鉢状に陥没していた。周囲にはやはり銃砲を構えた<ティンダロス>の群れ。上空には<ナイト・ゴーント>が飛び交い、海上にはやはり<ガグ>が空間圧縮砲の照準を据えているのだろう。
 <ヴォルカドゥス>は蒼い『血』で全身を染め、左手の先は失ったままだ。柊隆一郎の戦意は損傷の修繕のために吸われ続け、そのためにか萎えかけているのを自覚する。
 ここまでやってなお、相手からの降伏勧告はまだない。こちらが完全に戦闘不能と確認できるまで叩きのめすつもりか。それとも機主が死ぬまでやるというのか。
 眼前、50mほど先に<バスカヴィル>が降り立つ。そのまま、だらりと剣を下げた姿勢のまま<バスカヴィル>は動かない。
「これは……やっぱり、自分自身で手打ちにしてやるってことか?」
 隆一郎はうめくように呟いた。非合理的と言えば非合理的だ。<ヴォルカドゥス>に砲弾をダース単位で浴びせ掛けてやれば良い。
 一方で合理的と言えば合理的でもある。<コルヴァズ>の魔剣でソルディアンを斬ることが出来るのは証明済みだし、最悪でも<バスカヴィル>一機を犠牲にして包囲殲滅戦に移行すれば良い。
「上等だ……!」
 いずれにせよ挑戦に乗る以外に選択肢はありえない。隆一郎は右腕の<ゼオ・ソード>を伸ばす。
 そして、二機が走る。
 交錯する刃。火花は、しかし上がらない。
 <ゼオ・ソード>が刀身の半ばから断ち落とされていた。
 それを悟る一瞬のこと。<ヴォルカドゥス>の右腕も、肩口から斬断されていた。
 次いで、隆一郎の視線が左に大きく傾いだ。
 いや――隆一郎はすぐに理解した。
 傾いでいるのは機体だ。<ヴォルカドゥス>の左脚部が膝上から切断されていた。
 その首に魔剣の切先が突きつけられる。
 左脚も右腕も光になって虚空へと消えてゆくのを、隆一郎は見つめている。
「…………」
 悪あがきは100秒もしないうちに終わった。『機主の座』で、隆一郎は前のめりのまま敗北感を噛み締めた。
 <ヴォルカドゥス>は片腕片脚の状態でも空は飛べるはずだ。しかしすぐさま追撃を受けるヴィジョンしか見えなかった。違うのは、それが砲弾かミサイルか斬撃でしかなかった。
 あらゆる状況が王手詰み(チェックメイト)を隆一郎に告げていた。敗北を認めなければ、王は首を打たれるまでのことだった。
 勝者と敗者。燦然と輝く太陽の元、二者は凝然として動かない。敗者たる隆一郎はともかく、勝者の方は何を思っているのか。微動だにしない切先からは何の感情をも窺うことは出来ない。
 ではあの饒舌さは、一体なんだったのだろう? にわかに隆一郎の胸にヴィガスという男への興味が湧いた。顔を合わせてみたいとさえ思った。

 その願いは叶わなくなった。
 煮え切った盤上が覆される時が来たからだ。

 閃光が蒼穹を色褪せさせる――ついで、天それ自体を打ち据えたような轟音が戦域に響き渡る。
 <バスカヴィル>が身を後退したのはその直前だったか、直後だったか――いずれにしろ素晴らしい反射神経を賞賛するにやぶさかではなかった。
 隆一郎の目の前には、鋼が突き立っていた。ソルディアンサイズの板金をそのまま鍛えたかのような、しかし鋭利な光を湛えた刃金の刀刃だ。それが斜め45度の角度で、柄近くまで地面にうずもれていた。
 隆一郎は刃が放たれた方向を観た。
 <ナイト・ゴーント>の包囲網が徐々に解けつつあった。その無形の網を食い破り、二つの巨体が並び立っている。

 一つは、青銅の骨格を鋼の衣で包んでいた。鋼の衣は幾多の無数の薄く細長い鋼で編まれた鱗鎧(スケイルメイル)だ。青銅製の髑髏に見えなくもない頭部には巨大な緑の眼が一つあるのみ。

 一つは、蒼い。海底を思わせる蒼い装甲で、胴はコルセットを装着したようにくびれていた。頭部は女性的に小さく、そして整っている――羊のような短く巻いた二本の角が生えているのを別にすれば。

 ソルディアンだ。隆一郎は直感する。
 この二体はオリジナル・ソルディアンだ。

 二体は<ヴォルカドゥス>を庇うようにして地面に降り立つ。
『ラスタバン――見事にやられましたねえ』
 端麗な若い男の声――見事なクイーンズ・イングリッシュによる見事な呆れ声。
『何あんた、よくやったって褒めて欲しかった?』
 こちらは若い女の声だ。言語の端々に残る訛りは――中国語の名残?
「いや俺何も言ってないし」
 応えながら、隆一郎は直感する。こいつらは揃って厄介な性格の持ち主だ。
『〈イオディスカル〉ですよ』
 男の方が言った。
「え? その機体?」
『傍受されてると思うので、割れている名前で言います。あちらは〈エイヒューンド〉』
 女の方が手をひらひら振る。その指は人ならざる六本指だ。
『という訳で――<エイヒューンド>、君は空を任せます。僕はこの『黒犬』と地上を』
 <バスカヴィル>に<イオディスカル>の緑の単眼(モノアイ)が向く。 
『絶対にあんたの方が楽じゃないの?』
『それがそうでもないんですよ……第一、対多数戦闘には君の方が向いているはずです』
 <エイヒューンド>の非難に、<イオディスカル>が肩をすくめたように見えた。
『まぁいいわ。あたしはしこたまキルマークを稼がせてもらうとしようかしらん?』
 やや身を屈め、それから電光の如く宙へ躍り上がる<エイヒューンド>――トップスピードに至るまで、それこそコンマ数秒もかかっていない。
『――ゼオ・ソード!』
 二機の<ナイトゴーント>が胴体から二つに別れた。その背後に現れた<エイヒューンド>の六本指の爪が、鋭利に伸びていた。
 更に<エイヒューンド>の角が伸びた。それは大樹の枝のように分岐し、青白い光を帯びた。
『ヒューン・パルス!!』
 閃く雷光――轟く雷鳴。うねり、のたくりながら雷の蛇が蒼穹を焼きつつソルディアンを襲う。それに接触した<ナイト・ゴーント>や<シャンタックス>が機能停止に陥り、脱出ポッドを次々と吐き出して落下する。それを見て、隆一郎が呟く。
「――電気か」
『そ。<ヴォルカドゥス>が熱を操るように、<エイヒューンド>は電磁力を操るの。そしてその応用の幅広さは、熱の比じゃないわ――例えば、電磁パルスで電子回路をショートさせるとか』
 量産型ソルディアンは優れた兵器だ。しかし現行の科学技術で造られている以上電子機器の恩恵は受けているし、その弱点も甘受しなければならない。無論<ナイト・ゴーント>らの機器にEMP保護は施されているが、<エイヒューンド>の前にはそれすら意味を為していない。電撃に触れた回路は問答無用でショートし、焼け爛れ、破綻するだけだ。
 オリジナル・ソルディアン<エイヒューンド>こそ、最新鋭兵器の天敵と言えた。
 <バスカヴィル>が動き出す。その出鼻を<イオディスカル>が挫く。
『あなたがたの相手は、僕です』
 そして高らかに叫ぶ。
『いざ征かん、<イオディスカル>!!』
 <イオディスカル>の、左右ある肩と腰の装甲の一部が盛り上がる。副腕だ。
 鱗鎧を構成する鋼の一片が六枚、千切れ飛んだ。それは鋭く360度回転すると、肥大し、六本の刀刃と化していた。板金をそのまま鍛えたかのような、鍔や切先のない、原始的ながら鋭利な光を湛えた片刃の刀刃だ。
 六本の刀刃が四本の副腕と二本の主腕部に、自ずから収まった。六本の腕にそれぞれ刀刃を掲げるその姿は、さながら東洋の武神。
『――イオド・スラッグ!!』
 叫びと共に、副腕の四本の刀刃が獰猛に回転して宙を疾走する。超音速の空飛ぶギロチンだ。その威力はあらゆる物質を紙細工同然に斬り裂いてゆく。ウーツスティール合金製のソルディアン・フレームすら例外ではない。<イオディスカル>の念に誘導された刀刃は地上の<ティンダロス>のみならず海中の<ガグ>の胴体や兵装を破壊していった。
 <ティンダロス>や<ガグ>を薙ぎ倒し、刀刃はなおも回転を緩めず<バスカヴィル>の背後に迫る。
 ヴィガスの反応はやはり迅速だった。タイミングをずらして襲い掛かる四本の刃を、身を捻ってかわし、魔剣で撃ち落とす。
『ふん、やはりこの程度では倒せませんか』
 戻ってきた四本をつかみ、鋼片ほどのサイズに戻しながら<イオディスカル>が呟くように言う。
『<ヴォルカドゥス>、飛びなさい』
「……大丈夫か?」
『僕の心配をしてるんですか? 君はさっさと飛べばいいんです』
 口ぶりに隆一郎の腹立ちを喚起するものがなかった訳でもないが、逆らう理由もまたなかったので、隆一郎は<ヴォルカドゥス>を宙に浮かせた。数門の火砲が<ヴォルカドゥス>に向けられたが、<イオディスカル>が刀を投じて切断した。
 空中では<エイヒューンド>が他のソルディアンを圧倒していた。大樹の枝のように分岐した角が明滅するところ電光が迸り、回路をショートさせられた<ナイト・ゴーント>らが機能不全に陥ってゆく。これでは編隊などあったものではない。<ナイト・ゴーント>はEMPを恐れて逃げ惑い、<シャンタックス>は上空で旋廻しているだけ。時々行なわれる散発的な反撃は、しかし<エイヒューンド>の前には効果を示さない。――電磁バリアか? そうだとしてもおかしくはないが。
「……本当に何でもありだなぁ」
 隆一郎はそう思う。海中の<ガグ>が腕部と一体化した空間圧縮砲をこちらへ向けたところへ、
「――ヒューン・ボルト!」
 <エイヒューンド>の右手の六本指がしなり、紫電の尾を曳きながら弾丸が射出された。空間圧縮砲が貫かれ、爆発――<エイヒューンド>の左手には<ナイト・ゴーント>から奪ったらしい、どこのパーツだったかも曖昧になった金属部品が握られていた。あれをレールガンの弾体として撃ち出したのだ。恐らく、隆一郎を救ったあの刀刃もこの技で放たれたのだろう。まさに何でもありだ。
 <バスカヴィル>がアサルトモジュールのスラスターを吹かし、空へ舞い上がる。
『しかし、そうはさせません』
 <イオディスカル>が<バスカヴィル>に喰らいついて来た。主腕の二刀が揮われる。<バスカヴィル>はそれを魔剣で受ける。剣撃の勢いを受け流すために、両者は横になったS字を描くように離脱し、また剣を撃ち交わす。
『む――やはりこの二本だけではその<コルヴァズ>には見合わないようです』
 <イオディスカル>の二刀の刀身にはその半ばまで罅が走っていた。もう一度魔剣と撃ち合えば折れ砕けるのは必定だろう。
 <イオディスカル>が脚を止めて二刀を惜しげもなく棄てた。
 反転し、間合いに入った〈バスカヴィル〉が魔剣を揮う。
「受けろ、〈シオムバルグの刃衣〉!」
 瞬間――〈イオディスカル〉の鱗鎧の鋼片が剥がれ、刀刃となった。その数、二百。二百もの刀刃が「盾」となる。
 魔剣が刀刃の「盾」を噛み砕く、壮絶な金属の破断音。それはいつまで続くのかと聞く者に思わせた。
 斬撃が止まった。
『……94本!』
 勝ち誇るように<イオディスカル>が言った。94本の刀刃と引き換えに、<バスカヴィル>と魔剣<コルヴァズ>を止めたこと。それは十分に勝利に値する戦果に違いなかった。
 <バスカヴィル>の頭上に刀刃が浮いていた。頭部にコクピットを有するソルディアンに対して、それは明らかに殺意の顕現だ。
『殺傷許可は出ていない――が、あなたには死んで頂きたい』
 刀刃が振り下ろされた。
 <バスカヴィル>は僅かにアサルトモジュールを噴かした。刀刃が狙った位置がずれ、左片口から腕部を切断した。<バスカヴィル>は背部のモジュールを切り離し、海中に没した。
 ゆったりとした速度で<エイヒューンド>が<イオディスカル>に寄る。
『……獣の反応ね、まさしく』
『やれやれ、後顧の憂いは断ちたかったのですが』
 生身だったならば<イオディスカル>は肩をすくめていたに違いない。
 周囲は残骸で溢れていた。バラバラになった<ティンダロス>もあれば、殆ど無傷と変わらない<ナイト・ゴーント>もある。残敵数はざっと見積もって500機。都合、アブラクサスが導入したその半数が失われたことになる。
『でもまあ、こんだけやれば十分よね。やりすぎなくらいがいいさ準備はOKって言うし』
 二体は難を避けていた<ヴォルカドゥス>を挟んで、肩を組むような姿勢になった。
「な、何するんだ?」
『あらまあ。あんた、連中が反撃の準備を立て直して、かつ増援が来ても大歓迎なのね? そんなにキルマークを増やしたいなんて野心的ねえ』
「すいません勘弁してください」
 ひょっとしたら泣き声になっていたかもしれない。もうこれ以上銃火の前に晒されるのはご免だった。
『では、最大出力でお願いします』
 <イオディスカル>が催促する。<エイヒューンド>は大儀そうに返事する。
『結局あたし頼みなんだから……ま、しゃーないか――ヒューン・シフト!』
 ぐん、と重力に引かれる感覚。隆一郎は最初、何が起こったのか分からず――ようやく理解した。
 島が見える。まるごと。それがどんどん遠ざかってゆく。
 超出力の電磁推進――弾体と化したオリジナル・ソルディアン三体は、それこそ弾丸の速度で戦域から離脱した。


「目標失探。これにて<ゲオルギオ>作戦は失敗した」
 男がうっそりとした声で告げる。頬は削げ、額が後退しかけた、長髪の中年男だ。背は軍人としては決して高い方ではない。だが、彼の一挙手一投足に、艦内の誰もが怯えていた。
 蜂のような運輸用ソルディアン<ビヤーキー>が二機がかりでコンテナを運んできた。それを海に落とす。自動回収コンテナ<ビッグ・マウス>はその名の通り大きく口を開け、ソルディアンの残骸を回収してゆく。海中に沈んだソルディアンの数は200前後と見られ、それら全ての残骸を収容することはたった一基の<ビッグ・マウス>では無論不可能だ。コンテナを腹に抱えて空輸し、海に投下する<ビヤーキー>の姿がしばらく絶えることはなかった。
『<コルヴァズ>と<バスカヴィル>を回収しました』
「そうか」
 部下の報告に、男は短く応えた。優先すべきは<コルヴァズ>で、ヴィガス乃至<バスカヴィル>は二の次。そういう説明を男は受けている。いくら予算をかけようとも、ヴィガスも<バスカヴィル>も再現が出来る。
しかし超古代文明の遺産である<コルヴァズ>に代替など存在しない。
 男の個人用携帯端末に通信が入った。
『ヘイミッシュ・マックール、私だ』
 男――マックールは報告を行なうべき相手に、簡潔に言葉を告げた。
「失敗ですよ。ゲオルギオなんて如何にもな名前をつけたのに、トカゲ一匹獲れなかった」
『今回の作戦は私の発案だ。お前が責任を感じる必要はない』
「責任を取ったところでさして痛くも痒くもない御方が言うことじゃありませんね」
『違いない』
 笑いを含んだ声。いささか辟易しながら、マックールは「ところで」と言った。
「ところで――あちらは三体も揃いました。これで手出しは出来なくなった。大いにしにくくなった」
 オリジナル・ソルディアンと量産型ソルディアンの戦力比、そしてアブラクサス財団が一戦闘区域に投入出来る戦力からして、これがオリジナル・ソルディアンを無力化出来た、残された唯一の機会だった。それが潰され、「あちら」が実動に足るオリジナル・ソルディアンを三体揃えた今、チャンスはほぼ絶無となった。
『お前がやるべきことを全てやったのは理解している。ただ、あの二人の反応が迅速過ぎた。それだけは私にも計算外だった』
「驚きましたな、フェトルガス。あなたにも計算外とか、予想外とかいう概念が存在するとは」
『私とて人の子だよ』
 そいつはどうかな、とマックールは心の中で呟く。
『マックール、敗戦処理を終え次第、ヴィガスやお前の猟犬と共に研究所に来い』
 言い残し、一方的に通話が切れた。


 仰角45度で「射出された」(それとも「した」?)三体は、180km進んでやや失速し、190kmに入って降下の一途を辿った。降下地点に<ゲニウス>所有の大型空母<アンブロシア>が事前の連絡によってやってこなければ、遭難ぐらいは覚悟する必要があっただろう。
 三体のソルディアンは空母の甲板をごく短期占有した後、光となって解けるように掻き消えた。
 隆一郎は父ジャック・フェルトンを罵倒するか殴るかしなければ気が済まなかったが、ジャックが足早に近づいてくるのを見た時、その気も失せた。ただ言わなければならないことはあった。
「死ぬかと思った」
 父は短くこう言った。
「本当に済まなかった」
 二人のソルディアン機主――一人は見目麗しい東欧系の青年で、一人は見目麗しい東洋系の美女だった。
  二人とも、一つか二つは隆一郎より年上に見える。つまりはあまり歳が離れていないということだ。
  ――二人称は「お前」でいいか、と隆一郎は考えた。
「君たちにも感謝しなければならないな。シャーリー、ご苦労だった」
「いいってことですって、ジャックさん」
 中国系の美女――黎莎莉(リー・シャーリー)はベンチが用意されるとすぐに全体重を預けた。
  あの電磁推進はやはり相当な負担がかかったらしい。洗ってすぐの絨毯みたいな状態だな、と隆一郎は思った。長い黒いポニーテールがベンチからはみ出して自己主張している。
「でも……もうこいつらを抱えて全速力で飛ぶなんて真似はしないわ……こんなことは、もう、ご免です」
 そんな彼女を横目に、東欧系の青年の方は至ってピンピンしていた。
「ジャック、これがあなたの息子ですか? あまり似てないな」
「「ああ、よく言われる」」
 父と息子の台詞がかぶった。
 東欧系の青年は隆一郎より4、5センチほど背外低いだけの、金褐色の髪をした、世間的に見れば隆一郎より遥かに正統派の、線の細い美男子だった。
「エトヴェシュ・イシュトヴァーンです。ヴァイクで結構ですよ」
「……一つ訊いていいか?」
「ああ、君の訊きたいことは分かります――『エトヴェシュ・イシュトヴァーンという名前の一体どこにヴァイクという愛称が導き出される要素があるのか』ということでしょう? 何度も訊かれましたよ」
「……ぬっく」
「その質問の答えは、君の母国語ではこうです――『ググレカス』」
「親父、こいつぶん殴っていいかな? 答えは訊いてないけど!」

 エトヴェシュ・イシュトヴァーン――<イオディスカル>。
 黎莎莉――<エイヒューンド>。
 柊隆一郎――<ヴォルカドゥス>。

 ここに、地上最強の兵器オリジナル・ソルディアンが三つ揃った。
 しかし、まだ始まったばかりでしかない。
 四人目たるべきクローディア・クロムウェルは今なお幽冥の境に立ち竦み、覚醒には至っていない。
 柊隆一郎も半身たる<ヴォルカドゥス>の本質に触れてさえいない。
 そして彼らは「影」たる四人を知らず、七柱の天使の王を知らない。
 彼らは物語の入口に立っただけに過ぎなかった。今は、まだ。


                            第三話 了

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