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シンブレイカー 第十話

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匿名ユーザー

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「じゃあとりあえず因幡さん、教えてください」
 私がそう言うと彼女は不快そうに顔をしかめた。
「……なにを」
「因幡さんは『×』がなぜ私を狙うのか、知ってそうだと思いましたから」
 すると彼女はあきれたような、失望したような大きなため息をひとつして、腰に拳を当てる姿勢になった。
「ヤダ」
 少しは予想できた答えだったが、私は一応理由を訊ねた。
 因幡は面倒くさそうに答える。
「私だけじゃない。実は君が『×』に狙われている理由は、天照研究所の関係者なら全員知ってるんだ」
 私は驚いたが、よくよく高天原や八意の言動を思いかえすと、どことなく納得できるような気もした。
「それでも私たちは君にその理由を教えない。なぜか解る?」
 少し考え、首をふる。
「……いいえ」
「この件に関しては、天照研究所所長――天照恵その人――から発せられた『絶対秘匿事項』なんだ。
もし漏らしたら私たちはクビ、二度と魔学に関われなくなる。
 ハッキリ言うけど、いち研究者として、それだけは絶対に避けたい。魔学にはそれだけの魅力がある……」
 すると彼女は目を閉じ、神妙な顔をする。
「私たちはその命令に納得しているし、多分私が所長でも同じ命令をすると思う。
だけど別のところで、私たちは、『君はそれを知らなければならない』とも思っている。
 ……ジレンマだよ」
 因幡は目を開けて、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥にはいつもの意地悪そうな光は無かった。
「だから私たちはヒントを与えるしかない……君はそれを拾い集め、自らの力で真実に到達しなければならない。
そのための手助けならば、私たちは惜しまない。」
「もし、真実に到達しなければ……?」
「どうにもならないよ。今までと何も変わらない。君は最後の『×』が来るまで戦い続けるだけさ。
 ちなみに言っておくけれど、君が真実に到達したからといって、『×』の襲来がピタリと止むことはおそらく無い。
真実には到達してもしなくても何も変わらない。
 天照所長の願い通り、何も知らないまま戦い続ける道もある」
「でも、そんなのイヤだ」
「でしょ?」
 私の言葉に因幡は微笑した。
「だから私たちは君にヒントしか与えられない」
「……分かりました。ありがとうございます」
 私はそう言って頭を下げた。
 結局は何も変わらない、ならば行動するしかないのだ。
「あ、そうそう、それともうひとつ大事なこと」
 立ち去りかけた私に因幡は言った。
「これは私の直感だけど――」
 彼女は少し声をひそめる。

「――研究所内に、天照所長の意思でも、私たちの意思でもない、『もうひとつの意思』が働いているのを感じるんだ……
 くれぐれも気をつけて」




 病院を出た私はとりあえず家に連絡を入れようかと思ったが、ポケットに手を突っ込んではじめて
財布も携帯電話も持っていないことに気づいた。
 携帯電話は前回の『×』との戦いで壊れてしまったに違いないし、財布はカバンに入れて大学に放置したままだった。
友達の誰かが回収してくれていることに期待する。
 じゃあどうしようかと考えて、私が選んだのは天照研究所への道だった。
研究所に行けばあのスマートフォンの一台くらいは貰えるだろうし、いろいろと訊きたいこともある。
 研究所へは女木戸市の中央通りを歩いていくことにした。まだ日は高い。
6日間のカプセル暮らしでなまった体にはちょうどいい運動になるかもしれない。
 中央通りを北へ向かう。するとすぐに重機の稼働する騒がしい音と交通整理の声が聞こえてきた。
 私はそれがシンブレイカーの戦闘の痕だということにすぐ気がついた。
工事の現場からかなり離れた位置の植え込みやアスファルト、建物にすら真っ黒な焦げ後が焼き付いていたからだ。
以前のものよりもさらにひどい傷痕に私は胸が締めつけられる思いがした。
(……これも私が戦うのを嫌がったせいだ……)
 小さくごめんなさい、とつぶやきかけて、その言葉を飲み込んだ。


 中央通りを北上した先が研究所だ。その門の前には多くの報道関係の車が停まっていた。
私はいつかのように彼らが去るのを待とうかと思ったが、なかなか離れないので、
しかたなく顔を腕で隠しつつ小走りで彼らのあいだをすり抜けた。
 研究所に入ると、静かだが慌ただしいみょうな雰囲気が満ちていた。私は疑問に思ったが、
奥に進むとすぐにその理由がわかった。
 施設中央の砂が敷き詰められたドーム――普段シンブレイカーの骨と内臓が横たわっているあの場所だ――に
見たことがない大型機械がいくつも並べられて、研究所員のほとんどはそこに集合し、
何かの作業に精を出していたのだった。その様子はドーム外周のガラスばりの廊下から見下ろすと、
きれいに解剖されて観賞のために臓物を並べられた人間に無数の小さな虫が群がっているようで、
私はその機能的な美しさと併存するグロテスクな印象に少し身震いした。
 八意もそこにいるのかもしれない、そう思ってドームに向かうと、途中で所員に呼び止められたので、
八意さんはいらっしゃいますかと伝えた。するとその所員は私をドーム内に招き入れてくれた。
 私はシンブレイカーへの搭乗時以外にこの場所に足を踏み入れるのははじめてだった。
いつもならドーム内は上から見下ろすよりずっと広く感じるが、今回は並べられたいくつもの機械によって
視界が遮られ、そこまでの印象はない。足下にはシンブレイカーの身体を構成するものと同じ白い砂がぎっしりと
敷き詰められている。空調が効いていて涼しかった。
 私は所員に案内されて八意のもとへたどり着いた。彼はこちらに背を向けたまま、
1メートル強の高さのいびつな球体の前に設置されたパソコンのキーボードを真剣な表情で叩いていた。
所員は八意の名前を呼ぶ。彼は振り向いた。
「珍しくいいところに来たな」
 6日ぶりに会った、全身大火傷で入院していた人間への第一声としてはひどくそっけない言葉だったが、
そのほうが彼らしいかもしれない。私は頭を下げた。
「お久しぶりです。この度はご迷惑おかけしました」
「こっちだ、来たまえ」
 挨拶を無視されたことに少し憤慨しつつも私は所員から離れて八意に着いていく。
彼は眼前の球体のオブジェクトをぐるりとまわった。
「ここだ」
 彼が指で示したのはオブジェクトの側面に付いている小さな窓だった。どうやらこれの中は空洞になっているらしい。
私は身をかがめ、そこを覗きこんだ。
 オブジェクトの中は明るかった。その光源は空洞の中央に浮かんでいる青白い炎だった。
炎は密閉空間にも関わらずゆらゆらと燃え続け、優しい光を放っている。
その様子に私は不思議と心がやすらぎ、頬が緩むのを感じた。直後炎の勢いが少し増したように見えた。
 どうやらそれを手元のデバイス越しに感知したらしい八意はアゴに手をやり、にやりとした。
「まったく現金な……」
「これ、なんですか?」
 私は小窓から目を離し、そばの八意に訊いた。
「これは『Sジェネレーター』というものだ。シンブレイカーの心臓さ。形も『らしい』だろう」
「へぇ、こんな小さなものが」
「久しぶりだな、志野真実」
 そこで八意は思い出したように私に向き直った。
「我輩はとても心配したぞ」
「ありがとうございます」
「ここに来たということは、我輩に何か訊きたいことがあるのではないかね」
 私は頷いた。
「シンブレイカーの状態を教えてください」
「シンブレイカーは見ての通りだ。使いものにならないよ。
 金属骨は融けて無くなってしまった。アレをふたたび作るには最低でも2週間はかかる。
あの骨が無いと、もし砂を集めて肉体を作っても自重で崩れてしまう。
 しかしこのSジェネレーターが無事だったのは不幸中の幸いだな(そういうと彼は表面をこつこつと叩いた)。
こればっかりはふたたび作るというわけにはいかない」
「じゃあ、もし今次の『×』が現れたら……」
「シンブレイカーで迎撃するのは不可能、と言わざるを得ないな」
「……どうするんですか?」
「心配にはおよばん、答え合わせはその時になってからだ」
 そうすると八意は悪どい笑みを浮かべて含み笑いをする。私は質問を変えることにした。
「どうして私が『×』に狙われているんですか?」
 その言葉を聞いて八意はぴたりと笑うのをやめる。眼鏡の奥の瞳には不思議な光があった。
「……なるほど、その段階か。すまないが我輩から言うわけにはいかない。
その答えには貴様自身でたどり着かなければ」
 因幡さんの言ったとおりだ、と私は思った。
「じゃあ、せめてヒントください」
「直球だな、貴様のそういうところは嫌いではないぞ」
 八意は腕をくみ、意味ありげに笑う。
「だがそんなふうに訊かれては出せるヒントも出せなくなる。
まずは人に訊く前に、自身がどれだけ知っているかを整理してみたらどうだ?
 何が分からないか解らないままでは判らないことをわかることはできんぞ」

 その後、私は八意から例のスマートフォンを新しく貰い、その設定をするためにラウンジに向かった。
紅茶をすすりながらひと通りの設定を終えると、一瞬家に電話をかけようかとも思ったが、
確実にめんどくさいことになるのが予想ついたので、後まわしにすることにした。
 それよりもするべきことがある――私はメモ帳アプリを起動した。

 まずは私が天照研究所についてどのくらいのことを知っているのか、書き出してみる。


 『天照研究所』とはなにか?
 秘密結社フリーメイソンの末端にある、魔学を研究する団体。
 原型は古代から日本を霊的に守護してきた組織で、政府とも結びついていたが明治時代に一度解体され、
現在の形に再編される。
 所長は『天照恵』という女性だが、現在は彼女が入院中のため、『八意司』が代理として就任している。
 『×』に対抗しうる『シンブレイカー』を持つ唯一の組織……。


 私が知っているのはこれくらいだ。
 指を止め、ざっと見返す。
 ふと、なにかみょうな違和感があった。
 その違和感に従って画面に指を走らせる。
 次は『×』について知っていることを書きだそう。


 『×』とはなにか?
 女木戸市に襲来する正体不明の怪物。
 実体は無く、幽霊と同じ精神のみの体なので通常のカメラなどでは姿を捉えることはできず、肉眼でのみ視認可能。
 近づく人々の精神に大きな負荷をかけるため有害。
 その外見は様々な『処刑』を再現した姿である。
 前回の『×』(火あぶり)は今日から6日前に襲来。
 その前(切腹&介錯人)は13日前に襲来。
 さらにその前(ギロチン)は19日前に襲来……?


「あっ」と声が出た。
 これは偶然だろうか。
 それともなにか意味があるのだろうか。

 今までの3体の『×』の襲来日をあらためて見直してみると、奴らはほぼ1週間ごとに襲来している。
 まず1日目のギロチン。
 それから6日後の切腹。
 さらに7日後の火あぶり。
 『切腹』と『火あぶり』はカレンダー上で縦に並んだ。『ギロチン』だけ1日ズレているのが気になるが、
誤差のようなものだろうか。
 そこまで考えた私は、数時間前の因幡命の言葉を思い出した。
(『なにせ明日は――いや、喋りすぎだね』)
 ……今なら彼女があのとき何を言おうとしたか解る気がする。
 彼女は知っているんだ、明日、第4の『×』が来ることを。
(たしかに……こりゃあ、のんびりしてる場合じゃないな)
 しかし、こうなってくるとさらに疑問が湧いてくる。
 なぜ彼女はそのことを言わなかったのだろうか。
 たんなる気まぐれかもしれない。だが、敵の襲来があることを知って悪いことはないはずだ。
(それとも、それすらも『真実』の一部なのかな……?)
 私はこれ以上考えるのは無駄と判断し、別のことに思考をめぐらせることにした。


 『×』はどこからやってくるのか?
 『×』の発生原因は……天照研究所が研究している『魔学』だ。それははっきりしている。
 だが、それ以上のことは分からない。
 八意さんが『反作用のようなもの』と説明した、あの黒いスライム――私は思い出して身震いした――が
『×』に近いように思えるが、はたしてアレと『×』は同一の存在なのだろうか?
 また、もし同一の存在なのだとしたら『反作用』に対応する『作用』があるはずなのではないか?
 あれだけ大きい『反作用』であるなら『作用』も大きいに違いない。
 大きい魔学……。
 まっさきに思い浮かんだのは――
(『シンブレイカー』……)
 『×』を倒すための手段が『×』を生み出しているのか……?
 そのとき、私の頭の中で何かのスイッチがパチリと鳴った気がして、私は思わず小さく「ちがう」と叫んでしまった。
 そうだ、ちがう。
 そんなわけがない。
 さっき感じた違和感はこれだったんだ。

(シンブレイカーが『×』と戦う手段のために存在していたわけがない! )

 そのひらめきに私は興奮し、ゾッとし、また混乱した。
 さっき八意はこう言った。
『金属骨は融けて無くなってしまった。アレをふたたび作るには最低でも2週間はかかる』
(それはつまり、シンブレイカーを作るにはどんなに短くても2週間以上はかかるってことだから……
最初の『×』が来る2週間以上前にはすでにシンブレイカーを作りはじめてなければいけないんだ)
(となれば当然、魔学のスペシャリストのはずの天照さんたちが、
失敗したときの『×』の発生を予測できないはずはないし、予測していたとしたら、
『×』に対抗するためのなんらかの装備をもっと準備していたはずなんだ)
 思いかえすと、最初からシンブレイカーにはあまりにも武装がなかった。
 全身の光の刃はエネルギーの排出口を無理やり転用したものだし、武器であるあの日本刀が作成されたのはそのあとだ。
 さらによくよく考えればブレイクモードの仕様もおかしい。なんで自分の攻撃で自分がダメージ受けるんだ。
あれもきっと本来なら別の機能なんだ。
(つまり、シンブレイカーは『×』とは無関係……?)
 直後に私の頭に浮かんだのは――
(『×』の狙いって、『私』だったよな……?)
 わからない。
 なぜ私が狙われなければならないんだ。
 私は何も知らない。
 じゃあ知っている人に訊くのが一番だろうが、天照研究所の人間は皆口を閉ざしてしまっている。
 他に知る方法は……。
(やっぱり、アレしかないのかなぁ……)
 椅子の背もたれに体重をかけて体をのばし、上を見上げる。
 柔らかな光に照らされた白い天井をしばらくぼんやりと眺めたあと、私は姿勢を戻した。
「……よし」
 小さく気合を入れ、立ち上がる。
 私は研究所の奥へ向かった。
 目的地は資料室――のさらにその奥にある部屋。
 『極秘資料室』だ。

 天照研究所は野球の内野よりやや大きめの広さを持つ、例の砂場ドームを中心にして南に第一棟と正門が位置し、
ドームの東西を取り囲むように研究ブロックがある。ドームの北側、研究所の敷地の端までの間には
伝統的な日本家屋風の天照恵の私邸と、高天原頼人など一部の研究員たちの暮らす宿泊施設がある。
 私は今、西の研究ブロックの廊下を歩いていた。
 いつもなら廊下は研究員たちがせかせかと行き交っているのだが、今はほとんどの人員が中央のドーム内に
集まっているせいで、研究ブロックにひと気は無い。
 そのため、目的地までは誰とも出くわさずに来ることができた。
 私は研究ブロック最奥に位置する無機質な扉の前に立ち、プレートを確認する。
 『資料室』と表札が掲げられたこの部屋は、魔学研究をはじめとする様々な資料が収集されている部屋だ。
研究員なら誰もが入れるが、スマートフォンを使えば中に収められている資料は全て閲覧できるので、
通常彼らがこの中に足を踏み入れることはあまりない。
 扉に付いている小さなすりガラスの窓の向こう側は暗く、誰も中にはいないようだったが、
一応警戒しつつ扉を開く。
 そばの壁の電灯のスイッチを入れて部屋を明るくする。資料室内は綺麗に掃除されていて、
大量の紙の匂いが心地よかった。
 だがしかし私の目的地はここではない。人ひとりがやっと通れる隙間の棚の間を抜け、
私はついにその扉を前にした。
 『極秘資料室』
 資料室のさらに奥の壁にある扉の表札にはそうあった。
 私は少し緊張しているのを感じ、唾を飲み込む。
 この『極秘資料室』は、表札の下にある注意書きの通り、
研究員の中でも所長から許可を受けた特別な人間しか入れない部屋だ。
 以前高天原にこの施設を案内されてこの扉の前に来たときに、好奇心からこの中に何があるのかを訊ねたことがある。
(そのときは『魔学の中でも秘中の秘、ありとあらゆる秘密が詰まっております』と、
目をキラキラさせながら言ってたっけ)
 そのときの様子を思い出してクスリと笑いながら私はドアノブに手をのばす。案の定鍵がかかっていた。
 今度は私はその上にあるパネルに視線をやる。テンキーが並んだ上にデジタル表示の画面があった。
4ケタの数字を入力する鍵だ。しかし私はその番号を知らなかった。
 だが私は少しもうろたえずにポケットからスマートフォンを取り出してカメラを起動する。
この鍵の攻略法は最初から考えてある。
 カメラモードを『サイコメトライズ』にした。
(セキュリティに問題あるよなー……これ)
 私はカメラをパネルに向け、適当に何回かシャッターをきる。
 『サイコメトライズ』モードはその場所の過去の写真が撮れるモードだ。
私はロックの番号を以前にこの部屋に入った人物の手元を撮影することで知ろうと考えたのだった。
 数分後、首尾よくロック番号『2501』を入手した私は扉を開けて中に足を踏み入れる。
 部屋の中は暗かったので、まずは電気をつける。私はざっと辺りを見渡した。
 室内の広さに比べて書架は少なく、私は意外に感じた。それらの間を進みながら、
何か手がかりになりそうな本を探す。
(どれも魔学の専門的なものばかりだ……当たり前か)
 背表紙のタイトルを見てもそれが何に関するファイルであるかはさっぱりだった。
ここに来たのは無駄だったかもしれない。そう感じてため息をつく。そして視線をなんとなく奥にやったとき、
私は一番奥の書架に異質な雰囲気の本が収められていることに気がついた。歩みより、手にとる。
 どうやら本革らしい装丁の表紙には、ボロボロの金文字でタイトルが刻まれていたようだったが、
私にはラテン語らしいということ以上のことはわからない。そのすぐ下にはシールが貼ってあり、
そこに原文のタイトルと日本語訳が印字されていた。私は日本語だけを読む。

 『三千大千世界外法総覧』

 すぐ下には『禁書 閲覧厳禁』の注意書きもある。少し寒気がした。
 三千大千世界は仏教用語だ。ということは仏教関連の書かとも思ったが、
すぐにタイトルがラテン語であることを思い出し、じゃあキリスト教かも、とも考える。
 そこで、このオカルトの東西を問わずごちゃごちゃにする乱暴な語法が初めて目にするものではないことに
思い至った。
 これはきっと魔学の本だ。
(もしかしたら何かわかるかもしれない)
 そう思って表紙に指をかけたとき――
「そこで何をされているんですか」
 ――背後から声をかけられた。
 私は心臓が口から飛び出そうなほどにびっくりし、思わず本を取り落とす。それを慌てて拾い上げ、後ろを見た。
 そこに立っていたのは高天原頼人だった。彼は腕を組み、少しけわしい表情で私を見下ろしていた。
 彼は重苦しく口を開く。
「扉のパネルのあの番号は『泥棒捕獲用』ですよ……無断で部屋に入ろうとした人をあえて誘い込んでこの部屋に
閉じこめるための」
 私は動転していて彼の言葉がよくわからなかったが、どうやら部屋の鍵に仕掛けがあったらしいことは
なんとなく理解した。
「抱えてるものを渡してください」
 高天原が手をさしだした。私は気分が沈んだが、素直に本を渡すことにした。
 本を手渡す。高天原はその表紙を見た。
「これは……!」
 彼が大きく目を見開いたのを見て、私は慌てて弁解しようとする。
「ち、ちがうの、私は」
「読んだのですか!」
 突然、彼が大声をあげた。
 私は驚いてそれ以上声を続けられなかった。
「この本を……読んでしまわれたのですか!」
 彼は今までに見たことのないほどのけわしい表情になっていた。
口まわりの筋肉は強く緊張し、頬は強張り、額には縦のシワが深く現れ、目はカッと見開かれていた。
 その豹変ぶりに茫然とした私に高天原は詰め寄り、私の肩を掴む。力が強く、痛かった。
「答えてください! 読んだのですか!」
「痛い、痛いって!」
「読んだんですね!」
「まだ読んでない!」
 私がそう叫んだ瞬間、頼人の手から力がふっと抜ける。私はそれを振り払って彼を見た。
 高天原は本をわきに抱え、手の平を顔にやっていた。呼吸を整えているようで、息の音が長い。
「失礼……いたしました……すいません」
 彼はゆっくりとそう言った。
「いえ……私が悪いんですから」
 私はそう言いつつも、彼の豹変ぶりは異常だと感じた。
「それでも……すいません」
 高天原は手をさげ、大きく上を向いて深呼吸をする。それから視線を私に戻した彼は、
優しい微笑みを携えたいつもの高天原頼人だった。
「志野さん、ダメですよ、ここに無断で入っては」
「すいません……」
 私は頭を下げた。
「事前に申し出ていただければ許可は出しますから、次からはお願いしますね」
 そう言って彼は私を出口に促した。
 しぶしぶと部屋を出つつ、私は思う。
 多分この部屋で得られるものはもう無いだろう。
 『三千大千世界外法総覧』……いったいどんな内容が書かれていたのか。
 私は口惜しく思いながらも、その日はもう帰宅するほかはなかった。



 帰宅した私は、心配していた両親に抱きつかれ、号泣された。
 どこへ行っていたのか問い詰められることを予想していたが、
どうやら病院の方から入院していたことについては連絡がいっていたらしく、予想よりあっさりと解放された。


 私は自分の部屋の窓から外を眺めた。
 世界はすっかり闇に浸かっていて、その中で街の建物の灯りがキラキラと宝石箱のように輝いている。
夜空の雲はほとんど無いにも関わらず、地上が明るいために星の光はかきけされてしまって見えない。
ただ月だけがらんらんと、街を監視する巨大な目玉のように在った。
 私は時計に目をやった。針は12時前を指していて、間もなく日付も変わる。
 果たして、明日『×』はやってくるのだろうか。
 やってくるとしたらいつ頃だろう。今までと同じ昼だろうか。
 明日ははやく起きなければ……。
 ごろん、とベッドに横になる。
 思い返すと、今日はカプセル内で意識を取り戻してからずっと町中を歩きどおしだった。
 その自覚が忘れていた疲労を手足に思い起こさせる。
 その夜、私は部屋の電気も消さないまま、泥のように眠った。

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