結局、その日の話し合いは、ハルカと同型の出荷数が異様に少ないと言う事しか手がかりになりそうなことはないと言う事で纏まった。
とは言え、少なくともコレの一件がまるっきり他人事では無いと言う点は、俺と小泉さん、ハルカに桃子と、満場一致の意見である。
ハルカと例のPRファイターが同一のPRでない事を解っている俺と小泉さんはともかく、第三者から見ればハルカが例のPRファイターと勘違いされてもおかしくは無い。
ましてや、その勘違いを起こす人間の大半はPR同士を殴り合わせて喜べるタイプの人間。最悪の場合、法に反して自分のPRを殴り合わせている人間なのだ。
もしリベンジやチャレンジを称するそんな連中と遭遇してしまったら、俺のハルカに勝ち目はまず無い。基本スペックは高くとも、ソレを生かすプログラムは詰まれていない(誘拐(盗難)対策に護身術くらいは覚えさせているが、そんな事は戦闘特化のPRを前にすれば焼け石に水なのは百も承知だ)のだから。
「どうしたらいいと思う?」
こういう事は専門家の意見が一番だと思い、隣を歩く小泉さんに尋ねてみる。
小泉さんは「うーん」と唸り、腕を組む。立派な巨乳が押し上げられ、その存在を主張している。
「とりあえずは、外出の際はココみたいな人込みを利用することかなぁ?
あくまでも路上でPRを戦わせるのは違法行為だから、相手もそう簡単に手を出せないと思うし……」
小泉さんに習い、俺も辺りを見回してみる。
時刻は夕暮れ。放課後の学生や、早ければ帰宅中のサラリーマンで駅前通りは賑わっている。
「通り魔的に襲われたりはしないものかね?」
「どうだろう? でも、確率は低いと思うよ。そもそもストリートでPRファイトをしているマスターは、改造したPRを他人に見せたいって動機があるみたいだしね」
「マスターの意見を補足するならば、闇討ちは自分のPRの強さが証明できない上に、PRファイトでの暗黙の禁止事項らしいですから、まずありえないでしょう。
同様の理由で、全く人気の無い場所での襲われる心配は少ないと思われます。ただ、此方の場合は何らかの理由で見物人を集められたら、戦闘開始となってしまう恐れがあります」
長年カスタムを行っているだけあって、やはり桃子のサポートは見事なものだ。
比べて、ハルカは先程から何も言わずにキョロキョロと辺りを見回してばかりいる。
「あと、ネット上にある動画の殆どが夜間、あるいは何らかの室内だから、明るい内は安全かも。やっぱり、基本的にアングラなイベントみたいだし……」
桃子の異変に気付いた小泉さんが喋る事を止め、歩みも止める。
俺も小泉さんとほぼ同時に桃子の異変に気付いた。その直後、やや後ろを歩いていたハルカもまた、桃子同様に足を止めて左手の方角を凝視している事に気付く。
「マスター、危険かもしれません」
桃子が表情を変えずに言う。
「マスター、私も桃子に賛成です。コレ以上ココに居ることは危険だと判断します」
僅かに俺の前に体をずらしつつ、ハルカも桃子と同じ様な事を述べる。
俺と小泉さんは顔を見合わせ、2人の見ている方向に目をやり、「あっ」と声を上げた。
俺達が気付いた時には「ソレ」はすぐソコまで迫っていた。
アレほどまでにゴミゴミしていた通りは何時しか人の流れが減り、道の真ん中でボンヤリと立ち尽くしていた俺達四人以外は道の端へと避難をしている。
目の前の人込みが自然と開き、花道の如く「ソレ」が俺達の目の前にやって来た。
俺達の目前で立ち止まった「ソレ」を引き連れた奴等見て、俺は「まずい」と直感した。
昼間にラーメン屋で見た動画。「ソレ」はソコに映っていた男性型PRであった。
「嘘だろ? 今日知った訳の解らない娯楽に対しての悪い予感が、その日の帰りに的中するのかよ……」
俺の呟きと同時に、小泉さんが動いた。
「真澄くん、逃げて!!」
俺の手を引いて駆け出そうとするその細い体を、丸太のように太い腕が凪いだ。
「小泉さん!?」
その一瞬の出来事が、目の前の男性型PRが小泉さんを薙ぎ払ったのだと理解し、振り向いた時には小泉さんはコンクリートの道路の片隅で力無く倒れこんでいた。
最悪の事態を想像しかけたところで、小泉さんの体が動いたかと思うと、体の下から桃子が頭を覗かせ、小さく手を振ってくれた。間一髪のところで小泉さんのクッションになってくれたのだろう。桃子の様子からして、大事には至ってなさそうだった。
「マスター、警察への通報は完了しましたが、最寄の交番および警察署からの距離と、駅前通りのこの混雑具合からして、到着に10分は掛かると思われます」
ハルカは護衛術の構えを取り、俺を庇いながらそう告げる。
この最悪の状態で、10分もどうしろと言うのだ。
この違法改造PRのマスターらしき男は、気を失っている小泉さんに対してつまらなそうに鼻を鳴らすと、
「邪魔をしようとするからだ、ボケが」と吐き捨てた。
如何にもガラの悪い、中身もまた見た目通りのこの男に、俺はハラワタが煮えくり返るほどの怒りを感じた。
それはハルカにも伝わったらしく、彼女は護衛術の構えのまま、俺の胸に背中を押し付けた。飛び掛るなと言いたいのだろう。
「それで、お前がBWのマスターか?」
男の言葉に、俺は眉を顰めた。
「BW……?」
「ソイツの事だよ、そのBH-z4型のPRファイター。まさかしらばっくれるつもりじゃないだろうな?」
男は地面に唾を吐きながら此方を睨みつけてくるが、正直言えば別にこの男はさして怖いものではない。
あまりそうしたくは無いが、ハルカに戦わせたら、この男程度ならば訳も無く押さえつける事が可能だ。
だが、問題はこいつの連れているPRだ。
動画でやられていた腕や首が繋がっている事から、修理したと言う事だろう。
ともあれ、コイツの凄さは動画越しにだが理解しているつもりである。ハルカのような特に手を加えて居ないPRでは、まず勝ち目が無い。
ソレが解ってなお、ハルカが俺を守ろうとする姿勢を解かないのは、彼女がそうプログラムされたPRという存在だからであろうか?
俺は大きく息を吐き、上手くいく事を願って口を開いた。
「しらばっくれるも何も、この子は俺のPRだ。BWなんて名前じゃない」
「嘘をつくんじゃねぇよ。どう見たってBW……ブラックウィドウじゃねぇかよ。
他人は誤魔化せても、俺の目は誤魔化せねぇよ」
得意げに答える男に対し、俺は内心で「俺が誤魔化す以前に、テメェが何も見えてないんだよ」と毒づいた。
「んな事言われても、違うって言ったら違うんだよ。PR証明でも見せてやろうか?
この子は俺のPR、ハルカだ。BWなんて名前じゃないし、アンタにも、アンタの連れにも今この場が初対面だ」
「フン。いつもBWがマスターを連れずにファイトしている理由がわかったぜ。
マスターがビビリじゃ、連れて歩けねぇわな」
「……アホかよ、コイツ」
想像以上に話の通じない相手に溜息が漏れるが、上手く話が平行線になってくれた。
このまま時間を稼げれば、コイツとハルカを戦わせずに済む。
本当なら小泉さんの為に救急車を呼んでいるかの確認がしたいのだが、その様な事を口にすれば、目の前の馬鹿に警察の事を気取られかねない。ココはハルカと桃子を信用し、我慢するしかない。
「それにしてもテメェ、ビビリの癖に度胸だけはあるじゃねぇか?
それとも、本当にテメェのPRがファイターだって事を知らないのか?
素顔を晒したファイターは、ファイトの時意外は路上を歩かせない。ソレができないなら、ファイトの時は覆面をするってルールを知らない訳じゃないだろう?」
「んな事知る筈無いだろうが。こちとら正真正銘の無関係。そんな荒事なんて真っ平御免の小心者だよ」
「ふん。そんなこと、戦ってみりゃ解るんだよ」
男が不適に微笑むのを見て、俺は自分の考えが甘かった事に気付かされた。
相手が馬鹿な上に、無駄に強引な突破力を持っていたのだ。
何で「違う違わない」の流れからそうなるんだよ? せめてもう少し確認を取ろうとか思わないのかよ? 思わないんだろうなぁ畜生、お前見るからにばかだもんなぁ!!
「行け、ボーン・サイファー!!」
「マスター!!」
男性PR(名はボーン・サイファーらしい)が動くのと、ハルカが動くのはほぼ同時だった。ただ、ハルカ俺を突き飛ばし、ボーンはハルカを狙って拳を打ち出している。
その結末は、誰の目にも解りきっていた形で映っただろう。
ゴジャリという嫌な音が耳を突き、次いでハルカの体が錐揉みしながら宙に舞った。
俺が尻餅をついた次の瞬間、ハルカは数メートル先のビルのショーウィンドウを突き破って店内へと姿を消していた。
「引っ張り出して来い」
男の命令に従い、ボーンがノシノシとハルカを追って店内へと消えていった。数秒の後に、俺の目の前にハルカが投げ捨てられるように飛んでくる。
受身をとる事もせず、身動き1つしないハルカを前に、俺は頭が真っ白になるのを感じた。
初めてココまで本気で人を殺したいと思ったことは無い。
擬似血液で水溜りを作り、先日小泉さんと選んで購入したばかりの白のシャツを赤く染めていくハルカを前にして、俺は喉が壊れんばかりに咆哮し、立ち上がった。
「マスターは、本当に馬鹿なんだから……。このまま黙っていれば、上手くやり過ごせたかもしれないのに」
ハルカはゆっくりと首を俺に向けると、掠れた声でそんな悪態をついた。
「ふん、やはりまだ逝かれてないらしい」
男が顎でハルカを指すと、ボーンはハルカの腕をまるで人形を扱うかの如くそれぞれの手で掴み、向かい合わせた拳でハルカの胴を押しつぶしながら持ち上げてゆく。
ギリギリと言うハルカが締め付けられる音とブチブチと内部配線が切れる音、メキメキとフレームが軋む音があたりに響き亘る。
遠巻きに事態を見守る大半が係わり合いを持ちたくないのか、眺めるだけの者、立ち去る者、あるいは生で見るPRファイトに歓声を飛ばす者ばかりで、誰一人として止めようとする者はいない。
そして、俺もまた手が出せずにいる1人であった。
迂闊に動けば、ボーンは間違いなく俺に標的を移す。本気のヤツの一撃を受けたとすれば、俺が即死するだろう事は勿論のこと、それはハルカの望みでもない事は百も承知だ。
俺にできる事はハルカのフレームが一秒でも長持ちし、彼女を延命させるよう祈る事と、目の前の男に呪詛の言葉を漏らすだけだった。
「マスター……」
フレームの軋みが本格的にやばい物へと変わる中、ハルカがふと声を漏らす。
コレだけの攻撃を一身に受けながら、表情を全く変えない彼女は、真っ直ぐに俺を見ていた。
「そろそろ、限界のようです」
「ハルカ!!」
「短い期間でしたが、充実した時間でした。私を選択してくれた理由はいささか不純でしたが、マスターの優しさは十分に理解したつもりです」
「やめろ、変な事言うな。ソレはな、世間では死亡フラグって言うんだぞ……?」
「人間も、最後の最後で諦めた時、本音が言えるのではないですか?」
ハルカは僅かに微笑んだ。
それは、作り物じゃない、俺が見る彼女の初めての笑顔で。
「ほれ、前回見たく大逆転して見せろよ」
男の台詞と共に、俺はキレた。
「その手を放せ!!」
立ち上がり、拳を男に突き出す。
ソレよりも一瞬速く、標的を変えたボーンの拳が俺の頭へと飛んで来た。
PRの拳が眼前に迫り、俺は死を覚悟する。
「本当に、その手を放して貰いたいものですわね」
場に不釣合いな、落ち着いた女性の声が聞こえた気がした。
ハルカでも、小泉さんでも、桃子でもない。聞き覚えの無い声。
次の瞬間、俺は地面に倒されていた。
ハンマーの様に重く硬い拳を受けた訳ではなく、俺の顔を覗き込んでいる見知らぬ少女によって、あくまでもソフトに。
その少女の片手は、骨の拳を受け止めていた。
自分の胴回りほどもある太い腕から繰り出された拳を、その少女はまるで風で開いたドアを受け止めるように、まるで受け止めた事を感じていないかの様子で、その小さい手に収めていた。
「RR(ダブルアール)、そのお方に怪我はさせていないわね?」
「イエス、マスター」
「そう。ならば良し。」
少女のやや背後、ボーンの拳の通過点にさも当然のように立ち、少女越しに俺を見ていた女性と目が合った。
一瞬の出来事に呆然とする俺に対し、彼女の目は何も語らない。
ただ、「その程度の物」を見ているかのような視線を俺に向けている。
不思議な視線だった。おそらく、道端に落ちている石を見つめる人間は、あのような目をしているのだろう。ソレを、ソレとして見ているのだ。
「ところで、まだその汚い手を放して貰えないのかしら?」
トントンと扇子を顎に当てながら、その女性は男に視線を移す。
「人、もといPR違いだとアレ程このお方は申していますのに、何故貴方はソレを理解できないんですの? 母国語を理解できないまでにオツムが緩いのかしら?」
俺は唖然としたまま彼女を眺めていた。
その落ち着いた態度と物言いで気付かなかったが、こうして若干の余裕と共に観察すると、小泉さんよりも若い……高校生くらいの、まだ少女と言う表現が正しい年齢だと気付く。
栗毛色のふんわりとした巻き毛がいかにもなお嬢様を連想させ、そのイメージが余りに似合っている事に「ほぅ」と感心してしまう。彼女はそんな少女であった。
「だいたい、BWはこんな荒事の素人と比べるまでも無く洗練されたPRでしてよ。
胸もココまで大きくないし、何よりココまで貧弱な精神を持ち合わせていない」
ハルカの事を馬鹿にされた気がして、俺は現状を思い出した。
この少女の今の発言には少しばかり腹が立ったが、この状況を止めてくれた事に感謝せねばなるまい。
体を起こそうとして、俺は自分の体が地面に縫い付けられたように動かない事に驚いた。
それが俺を倒したPRの少女の手が、未だに俺の襟首を抑えたままだという事に気付いたのは、それからしばらくしての事だ。
「ああ、ごめんなさいね。RR、いい加減に手を放しなさい」
「イエス、マスター」
俺がもがいている事に気付いた少女の命令により、俺は解放された。
慌ててハルカに目をやると、片腕をつかまれた状態で吊り下げられているハルカは微動だにしていない。足元からは擬似血液が滴り続けている。
「てめぇ、BWをしっているのか?」
ようやく我に返った男が、少女に尋ねる。
ブレザー姿の(と言う事に今気付いた)扇子の少女は、呆れたように「はぁ」と溜息を吐き、俺を助けてくれた赤いPRに命令を下した。
「もうよろしいですわ。RR、あの手を放させなさい」
「イエス、マスター」
桃子より少し大きい程度の赤いPRは、短い返事を返してノーモーションで跳躍した。
そのままハルカをぶら下げている、ボーンの腕に両手を無造作に振り下ろす。
ボキンというくぐもった音がして、ハルカは地面に崩れ落ちた。
ハルカを掴んでいたボーン腕は、肘と手首があり得ない方向に向かっている。
「知っているも何も、先程から何度もそういっていると言うのに……。まぁ、いいでしょう」
少女はクスリと微笑むと、扇子を開いてその笑みを隠した。
「貴方、違法改造したPRを他者にけし掛けた場合、コレが故意だと判断されれば極刑が下る事をご存知?」
「ふん。今のはPRのマスターを護衛しようとするプログラムだ」
予め用意していたらしいその台詞に対し、少女はその台詞を予想していたかのように小さく笑う。
「あら、言い逃れは出来ないわよ。貴方、そのPRを改造させた技師に頼んで、そのプログラムを消去したでしょ?」
「なにを言っている! そんな証拠が何処に――」
「東大峠駅そばのPRショップ、名前は確か……ボルトタウン大峠だったかしら」
少女の言葉に、男が言葉を失う。
少女は愉快そうに笑いながら、チラリと俺を見た。
「貴方、今コイツを殺したいと思っているでしょ?」
「……え?」
「口にしなくてもいいわ、解ってるから。先程の法律には続きがあってね。
あきらかに破壊、殺戮を目的とした改造を行い、かつソレに命令を下して他者を傷つけようとした場合、正当防衛が成立する。なお、この正当防衛には制限が掛けられず、改造を受けているPRおよびそのマスターの殺害も認められる……。
簡単に言うと、『違法改造したPRで人を傷つけようとする馬鹿は殺しちゃって構わない』って事」
そう言ってぱちんと扇子を閉じた少女の顔を見て、俺は言葉を失った。
少女の口は大きく歪み、心の底から「楽しんでいる」事が伺える。
「そう。お頭の足りない貴方は、無実無縁のこのお方に拳を向けた。その瞬間、貴方には言い訳する権利が失われたのよ」
少女の言わんとする事を俺が理解した時には、男は既に行動に移していた。
なりふり構わず、自らのPRを置き去りにして、全力で逃げたのだ。
そんな事は当然予測済みとばかりに扇子の少女は赤いPRに命令を下す。
「RR、法が貴方の行為をお許しになったわ。
行きなさい。あのPR(彼女)が受けた傷と、あの馬鹿がこのお方に加えようとした暴力を、その身をもって実感させるのです。
無論……」
愉悦の混じった笑みを浮かべ、少女は陶酔しているかのような深く艶かしい溜息を付いた。
そして、
「その際に、殺してしまっても何ら問題はありません」
そう断言した。
「イエス、マスター」
赤いPRの返事が、酷く無機質に聞こえた。
既に野次馬の中に逃げ込んでいる男を追って、赤い閃光が走る。
男の断末魔と、その周辺に居たらしき人が発する悲鳴が沸きあがるまで、そう時間は掛からなかった。
動かないハルカを抱きしめ、呆然とする俺の下に歩み寄ってきた少女に俺は我に変える。彼女には既に、先程までの狂気は一切含まれて居ない。
俺の時と同じ様に、「ソレ」を「ソレ」として見るような視線をハルカにしばらく向けた後に、俺に極上の笑顔を向ける。
「安心なさってください。彼女は無事ですわ」
「……え?」
彼女の余りに大きなギャップに、一瞬彼女が何を言ったのかが理解でき無かった。
ただ、この少女が俺に敵意を持っていない。その一点に、ただただ安堵の気持ちが零れる。
パトカーのサイレンが近付いてくる音に、俺は今更ながら、今の出来事がホンの10分足らずの出来事だった事に驚いた。
「アラアラ、ようやく公僕のおでましですね。
それでは、私は失礼させてもらいますわ。公僕は余り好きではありませんから」
「ま、待ってくれ!」
プリーツのスカートの裾を掴み、恭しく礼をして立ち去ろうとする少女に、何故俺はこの時声を掛けたのか。
最初はただ、礼が言いたかっただけなのかも知れない。
しかし、薄く笑みを浮かべて振り返る少女を前に、俺はこう尋ねていた。
「BWって何だ? あんたは知っているのか?」
俺の問いを聞いた瞬間の、少女のあの目の輝きは一生忘れる事は無いだろう。
「アングラで流れている、違法改造PRの殴り合い……。その中で、常勝不敗と言われるPRです。
知っていると言えば、知っています。二度とこのような不祥事が起きないように、”以後徹底させますわ”。もっとも、”アレ”がニュースで流れた上で、こんな間違いを起こす御馬鹿さんは、流石に居ないでしょうけどね」
それでは……、そう言って少女は歩みだす。
「”さようなら”」
ソレは、彼女なりの最後の良心。
ソレは、彼女なりの最後の警告。
ソレは、彼女なりの最後の確認。
だが、俺はソレに気付かず、その先を訊ねてしまった。
聞いてはいけない、引き返せない道を選んでしまった。
そんな俺の選択すら、少女には既に想定内だったのだろう。
おそらく、俺が最初に彼女を引き止めてしまった時から……。
「なぜ、BWってヤツはハルカと……俺のPRと似ている? ただの偶然か?
そして何より、さっきの赤いPRといい、あんたの物言いといい……。アンタは、BWのマスターなのか?」
「知りたいのですか?」
「……正直に言えば、解らない」
「でも、貴方は知らずには居られない。踏み込んでしまったから……」
「……」
「九条憐と申します」
「……え」
顔を上げると、少女が俺を見下ろしていた。
「私の名前。九条、憐、です」
まるでおぞましさを感じさせない、愛らしい笑みの少女は名乗る。
クジョウレン。
それが、彼女の名前だった。
「貴方のお名前は?」
「綾小路、真澄……」
「マスミさん、そう、いいお名前ね。貴方の心も名前同様、清く澄んでいるのでしょうね」
「……」
「最後に、もう一度。私の名前は九条憐。
ですが、次に会う時、私は恐らく半分の確率で貴方を殺す事になりますから、お気をつけて……」
そう言い残し、少女は駆け寄ってくる警察と入れ違いに姿を消した。
俺とハルカはこの日を切欠に、後に起きる事件の中心人物になってゆく。
とは言え、少なくともコレの一件がまるっきり他人事では無いと言う点は、俺と小泉さん、ハルカに桃子と、満場一致の意見である。
ハルカと例のPRファイターが同一のPRでない事を解っている俺と小泉さんはともかく、第三者から見ればハルカが例のPRファイターと勘違いされてもおかしくは無い。
ましてや、その勘違いを起こす人間の大半はPR同士を殴り合わせて喜べるタイプの人間。最悪の場合、法に反して自分のPRを殴り合わせている人間なのだ。
もしリベンジやチャレンジを称するそんな連中と遭遇してしまったら、俺のハルカに勝ち目はまず無い。基本スペックは高くとも、ソレを生かすプログラムは詰まれていない(誘拐(盗難)対策に護身術くらいは覚えさせているが、そんな事は戦闘特化のPRを前にすれば焼け石に水なのは百も承知だ)のだから。
「どうしたらいいと思う?」
こういう事は専門家の意見が一番だと思い、隣を歩く小泉さんに尋ねてみる。
小泉さんは「うーん」と唸り、腕を組む。立派な巨乳が押し上げられ、その存在を主張している。
「とりあえずは、外出の際はココみたいな人込みを利用することかなぁ?
あくまでも路上でPRを戦わせるのは違法行為だから、相手もそう簡単に手を出せないと思うし……」
小泉さんに習い、俺も辺りを見回してみる。
時刻は夕暮れ。放課後の学生や、早ければ帰宅中のサラリーマンで駅前通りは賑わっている。
「通り魔的に襲われたりはしないものかね?」
「どうだろう? でも、確率は低いと思うよ。そもそもストリートでPRファイトをしているマスターは、改造したPRを他人に見せたいって動機があるみたいだしね」
「マスターの意見を補足するならば、闇討ちは自分のPRの強さが証明できない上に、PRファイトでの暗黙の禁止事項らしいですから、まずありえないでしょう。
同様の理由で、全く人気の無い場所での襲われる心配は少ないと思われます。ただ、此方の場合は何らかの理由で見物人を集められたら、戦闘開始となってしまう恐れがあります」
長年カスタムを行っているだけあって、やはり桃子のサポートは見事なものだ。
比べて、ハルカは先程から何も言わずにキョロキョロと辺りを見回してばかりいる。
「あと、ネット上にある動画の殆どが夜間、あるいは何らかの室内だから、明るい内は安全かも。やっぱり、基本的にアングラなイベントみたいだし……」
桃子の異変に気付いた小泉さんが喋る事を止め、歩みも止める。
俺も小泉さんとほぼ同時に桃子の異変に気付いた。その直後、やや後ろを歩いていたハルカもまた、桃子同様に足を止めて左手の方角を凝視している事に気付く。
「マスター、危険かもしれません」
桃子が表情を変えずに言う。
「マスター、私も桃子に賛成です。コレ以上ココに居ることは危険だと判断します」
僅かに俺の前に体をずらしつつ、ハルカも桃子と同じ様な事を述べる。
俺と小泉さんは顔を見合わせ、2人の見ている方向に目をやり、「あっ」と声を上げた。
俺達が気付いた時には「ソレ」はすぐソコまで迫っていた。
アレほどまでにゴミゴミしていた通りは何時しか人の流れが減り、道の真ん中でボンヤリと立ち尽くしていた俺達四人以外は道の端へと避難をしている。
目の前の人込みが自然と開き、花道の如く「ソレ」が俺達の目の前にやって来た。
俺達の目前で立ち止まった「ソレ」を引き連れた奴等見て、俺は「まずい」と直感した。
昼間にラーメン屋で見た動画。「ソレ」はソコに映っていた男性型PRであった。
「嘘だろ? 今日知った訳の解らない娯楽に対しての悪い予感が、その日の帰りに的中するのかよ……」
俺の呟きと同時に、小泉さんが動いた。
「真澄くん、逃げて!!」
俺の手を引いて駆け出そうとするその細い体を、丸太のように太い腕が凪いだ。
「小泉さん!?」
その一瞬の出来事が、目の前の男性型PRが小泉さんを薙ぎ払ったのだと理解し、振り向いた時には小泉さんはコンクリートの道路の片隅で力無く倒れこんでいた。
最悪の事態を想像しかけたところで、小泉さんの体が動いたかと思うと、体の下から桃子が頭を覗かせ、小さく手を振ってくれた。間一髪のところで小泉さんのクッションになってくれたのだろう。桃子の様子からして、大事には至ってなさそうだった。
「マスター、警察への通報は完了しましたが、最寄の交番および警察署からの距離と、駅前通りのこの混雑具合からして、到着に10分は掛かると思われます」
ハルカは護衛術の構えを取り、俺を庇いながらそう告げる。
この最悪の状態で、10分もどうしろと言うのだ。
この違法改造PRのマスターらしき男は、気を失っている小泉さんに対してつまらなそうに鼻を鳴らすと、
「邪魔をしようとするからだ、ボケが」と吐き捨てた。
如何にもガラの悪い、中身もまた見た目通りのこの男に、俺はハラワタが煮えくり返るほどの怒りを感じた。
それはハルカにも伝わったらしく、彼女は護衛術の構えのまま、俺の胸に背中を押し付けた。飛び掛るなと言いたいのだろう。
「それで、お前がBWのマスターか?」
男の言葉に、俺は眉を顰めた。
「BW……?」
「ソイツの事だよ、そのBH-z4型のPRファイター。まさかしらばっくれるつもりじゃないだろうな?」
男は地面に唾を吐きながら此方を睨みつけてくるが、正直言えば別にこの男はさして怖いものではない。
あまりそうしたくは無いが、ハルカに戦わせたら、この男程度ならば訳も無く押さえつける事が可能だ。
だが、問題はこいつの連れているPRだ。
動画でやられていた腕や首が繋がっている事から、修理したと言う事だろう。
ともあれ、コイツの凄さは動画越しにだが理解しているつもりである。ハルカのような特に手を加えて居ないPRでは、まず勝ち目が無い。
ソレが解ってなお、ハルカが俺を守ろうとする姿勢を解かないのは、彼女がそうプログラムされたPRという存在だからであろうか?
俺は大きく息を吐き、上手くいく事を願って口を開いた。
「しらばっくれるも何も、この子は俺のPRだ。BWなんて名前じゃない」
「嘘をつくんじゃねぇよ。どう見たってBW……ブラックウィドウじゃねぇかよ。
他人は誤魔化せても、俺の目は誤魔化せねぇよ」
得意げに答える男に対し、俺は内心で「俺が誤魔化す以前に、テメェが何も見えてないんだよ」と毒づいた。
「んな事言われても、違うって言ったら違うんだよ。PR証明でも見せてやろうか?
この子は俺のPR、ハルカだ。BWなんて名前じゃないし、アンタにも、アンタの連れにも今この場が初対面だ」
「フン。いつもBWがマスターを連れずにファイトしている理由がわかったぜ。
マスターがビビリじゃ、連れて歩けねぇわな」
「……アホかよ、コイツ」
想像以上に話の通じない相手に溜息が漏れるが、上手く話が平行線になってくれた。
このまま時間を稼げれば、コイツとハルカを戦わせずに済む。
本当なら小泉さんの為に救急車を呼んでいるかの確認がしたいのだが、その様な事を口にすれば、目の前の馬鹿に警察の事を気取られかねない。ココはハルカと桃子を信用し、我慢するしかない。
「それにしてもテメェ、ビビリの癖に度胸だけはあるじゃねぇか?
それとも、本当にテメェのPRがファイターだって事を知らないのか?
素顔を晒したファイターは、ファイトの時意外は路上を歩かせない。ソレができないなら、ファイトの時は覆面をするってルールを知らない訳じゃないだろう?」
「んな事知る筈無いだろうが。こちとら正真正銘の無関係。そんな荒事なんて真っ平御免の小心者だよ」
「ふん。そんなこと、戦ってみりゃ解るんだよ」
男が不適に微笑むのを見て、俺は自分の考えが甘かった事に気付かされた。
相手が馬鹿な上に、無駄に強引な突破力を持っていたのだ。
何で「違う違わない」の流れからそうなるんだよ? せめてもう少し確認を取ろうとか思わないのかよ? 思わないんだろうなぁ畜生、お前見るからにばかだもんなぁ!!
「行け、ボーン・サイファー!!」
「マスター!!」
男性PR(名はボーン・サイファーらしい)が動くのと、ハルカが動くのはほぼ同時だった。ただ、ハルカ俺を突き飛ばし、ボーンはハルカを狙って拳を打ち出している。
その結末は、誰の目にも解りきっていた形で映っただろう。
ゴジャリという嫌な音が耳を突き、次いでハルカの体が錐揉みしながら宙に舞った。
俺が尻餅をついた次の瞬間、ハルカは数メートル先のビルのショーウィンドウを突き破って店内へと姿を消していた。
「引っ張り出して来い」
男の命令に従い、ボーンがノシノシとハルカを追って店内へと消えていった。数秒の後に、俺の目の前にハルカが投げ捨てられるように飛んでくる。
受身をとる事もせず、身動き1つしないハルカを前に、俺は頭が真っ白になるのを感じた。
初めてココまで本気で人を殺したいと思ったことは無い。
擬似血液で水溜りを作り、先日小泉さんと選んで購入したばかりの白のシャツを赤く染めていくハルカを前にして、俺は喉が壊れんばかりに咆哮し、立ち上がった。
「マスターは、本当に馬鹿なんだから……。このまま黙っていれば、上手くやり過ごせたかもしれないのに」
ハルカはゆっくりと首を俺に向けると、掠れた声でそんな悪態をついた。
「ふん、やはりまだ逝かれてないらしい」
男が顎でハルカを指すと、ボーンはハルカの腕をまるで人形を扱うかの如くそれぞれの手で掴み、向かい合わせた拳でハルカの胴を押しつぶしながら持ち上げてゆく。
ギリギリと言うハルカが締め付けられる音とブチブチと内部配線が切れる音、メキメキとフレームが軋む音があたりに響き亘る。
遠巻きに事態を見守る大半が係わり合いを持ちたくないのか、眺めるだけの者、立ち去る者、あるいは生で見るPRファイトに歓声を飛ばす者ばかりで、誰一人として止めようとする者はいない。
そして、俺もまた手が出せずにいる1人であった。
迂闊に動けば、ボーンは間違いなく俺に標的を移す。本気のヤツの一撃を受けたとすれば、俺が即死するだろう事は勿論のこと、それはハルカの望みでもない事は百も承知だ。
俺にできる事はハルカのフレームが一秒でも長持ちし、彼女を延命させるよう祈る事と、目の前の男に呪詛の言葉を漏らすだけだった。
「マスター……」
フレームの軋みが本格的にやばい物へと変わる中、ハルカがふと声を漏らす。
コレだけの攻撃を一身に受けながら、表情を全く変えない彼女は、真っ直ぐに俺を見ていた。
「そろそろ、限界のようです」
「ハルカ!!」
「短い期間でしたが、充実した時間でした。私を選択してくれた理由はいささか不純でしたが、マスターの優しさは十分に理解したつもりです」
「やめろ、変な事言うな。ソレはな、世間では死亡フラグって言うんだぞ……?」
「人間も、最後の最後で諦めた時、本音が言えるのではないですか?」
ハルカは僅かに微笑んだ。
それは、作り物じゃない、俺が見る彼女の初めての笑顔で。
「ほれ、前回見たく大逆転して見せろよ」
男の台詞と共に、俺はキレた。
「その手を放せ!!」
立ち上がり、拳を男に突き出す。
ソレよりも一瞬速く、標的を変えたボーンの拳が俺の頭へと飛んで来た。
PRの拳が眼前に迫り、俺は死を覚悟する。
「本当に、その手を放して貰いたいものですわね」
場に不釣合いな、落ち着いた女性の声が聞こえた気がした。
ハルカでも、小泉さんでも、桃子でもない。聞き覚えの無い声。
次の瞬間、俺は地面に倒されていた。
ハンマーの様に重く硬い拳を受けた訳ではなく、俺の顔を覗き込んでいる見知らぬ少女によって、あくまでもソフトに。
その少女の片手は、骨の拳を受け止めていた。
自分の胴回りほどもある太い腕から繰り出された拳を、その少女はまるで風で開いたドアを受け止めるように、まるで受け止めた事を感じていないかの様子で、その小さい手に収めていた。
「RR(ダブルアール)、そのお方に怪我はさせていないわね?」
「イエス、マスター」
「そう。ならば良し。」
少女のやや背後、ボーンの拳の通過点にさも当然のように立ち、少女越しに俺を見ていた女性と目が合った。
一瞬の出来事に呆然とする俺に対し、彼女の目は何も語らない。
ただ、「その程度の物」を見ているかのような視線を俺に向けている。
不思議な視線だった。おそらく、道端に落ちている石を見つめる人間は、あのような目をしているのだろう。ソレを、ソレとして見ているのだ。
「ところで、まだその汚い手を放して貰えないのかしら?」
トントンと扇子を顎に当てながら、その女性は男に視線を移す。
「人、もといPR違いだとアレ程このお方は申していますのに、何故貴方はソレを理解できないんですの? 母国語を理解できないまでにオツムが緩いのかしら?」
俺は唖然としたまま彼女を眺めていた。
その落ち着いた態度と物言いで気付かなかったが、こうして若干の余裕と共に観察すると、小泉さんよりも若い……高校生くらいの、まだ少女と言う表現が正しい年齢だと気付く。
栗毛色のふんわりとした巻き毛がいかにもなお嬢様を連想させ、そのイメージが余りに似合っている事に「ほぅ」と感心してしまう。彼女はそんな少女であった。
「だいたい、BWはこんな荒事の素人と比べるまでも無く洗練されたPRでしてよ。
胸もココまで大きくないし、何よりココまで貧弱な精神を持ち合わせていない」
ハルカの事を馬鹿にされた気がして、俺は現状を思い出した。
この少女の今の発言には少しばかり腹が立ったが、この状況を止めてくれた事に感謝せねばなるまい。
体を起こそうとして、俺は自分の体が地面に縫い付けられたように動かない事に驚いた。
それが俺を倒したPRの少女の手が、未だに俺の襟首を抑えたままだという事に気付いたのは、それからしばらくしての事だ。
「ああ、ごめんなさいね。RR、いい加減に手を放しなさい」
「イエス、マスター」
俺がもがいている事に気付いた少女の命令により、俺は解放された。
慌ててハルカに目をやると、片腕をつかまれた状態で吊り下げられているハルカは微動だにしていない。足元からは擬似血液が滴り続けている。
「てめぇ、BWをしっているのか?」
ようやく我に返った男が、少女に尋ねる。
ブレザー姿の(と言う事に今気付いた)扇子の少女は、呆れたように「はぁ」と溜息を吐き、俺を助けてくれた赤いPRに命令を下した。
「もうよろしいですわ。RR、あの手を放させなさい」
「イエス、マスター」
桃子より少し大きい程度の赤いPRは、短い返事を返してノーモーションで跳躍した。
そのままハルカをぶら下げている、ボーンの腕に両手を無造作に振り下ろす。
ボキンというくぐもった音がして、ハルカは地面に崩れ落ちた。
ハルカを掴んでいたボーン腕は、肘と手首があり得ない方向に向かっている。
「知っているも何も、先程から何度もそういっていると言うのに……。まぁ、いいでしょう」
少女はクスリと微笑むと、扇子を開いてその笑みを隠した。
「貴方、違法改造したPRを他者にけし掛けた場合、コレが故意だと判断されれば極刑が下る事をご存知?」
「ふん。今のはPRのマスターを護衛しようとするプログラムだ」
予め用意していたらしいその台詞に対し、少女はその台詞を予想していたかのように小さく笑う。
「あら、言い逃れは出来ないわよ。貴方、そのPRを改造させた技師に頼んで、そのプログラムを消去したでしょ?」
「なにを言っている! そんな証拠が何処に――」
「東大峠駅そばのPRショップ、名前は確か……ボルトタウン大峠だったかしら」
少女の言葉に、男が言葉を失う。
少女は愉快そうに笑いながら、チラリと俺を見た。
「貴方、今コイツを殺したいと思っているでしょ?」
「……え?」
「口にしなくてもいいわ、解ってるから。先程の法律には続きがあってね。
あきらかに破壊、殺戮を目的とした改造を行い、かつソレに命令を下して他者を傷つけようとした場合、正当防衛が成立する。なお、この正当防衛には制限が掛けられず、改造を受けているPRおよびそのマスターの殺害も認められる……。
簡単に言うと、『違法改造したPRで人を傷つけようとする馬鹿は殺しちゃって構わない』って事」
そう言ってぱちんと扇子を閉じた少女の顔を見て、俺は言葉を失った。
少女の口は大きく歪み、心の底から「楽しんでいる」事が伺える。
「そう。お頭の足りない貴方は、無実無縁のこのお方に拳を向けた。その瞬間、貴方には言い訳する権利が失われたのよ」
少女の言わんとする事を俺が理解した時には、男は既に行動に移していた。
なりふり構わず、自らのPRを置き去りにして、全力で逃げたのだ。
そんな事は当然予測済みとばかりに扇子の少女は赤いPRに命令を下す。
「RR、法が貴方の行為をお許しになったわ。
行きなさい。あのPR(彼女)が受けた傷と、あの馬鹿がこのお方に加えようとした暴力を、その身をもって実感させるのです。
無論……」
愉悦の混じった笑みを浮かべ、少女は陶酔しているかのような深く艶かしい溜息を付いた。
そして、
「その際に、殺してしまっても何ら問題はありません」
そう断言した。
「イエス、マスター」
赤いPRの返事が、酷く無機質に聞こえた。
既に野次馬の中に逃げ込んでいる男を追って、赤い閃光が走る。
男の断末魔と、その周辺に居たらしき人が発する悲鳴が沸きあがるまで、そう時間は掛からなかった。
動かないハルカを抱きしめ、呆然とする俺の下に歩み寄ってきた少女に俺は我に変える。彼女には既に、先程までの狂気は一切含まれて居ない。
俺の時と同じ様に、「ソレ」を「ソレ」として見るような視線をハルカにしばらく向けた後に、俺に極上の笑顔を向ける。
「安心なさってください。彼女は無事ですわ」
「……え?」
彼女の余りに大きなギャップに、一瞬彼女が何を言ったのかが理解でき無かった。
ただ、この少女が俺に敵意を持っていない。その一点に、ただただ安堵の気持ちが零れる。
パトカーのサイレンが近付いてくる音に、俺は今更ながら、今の出来事がホンの10分足らずの出来事だった事に驚いた。
「アラアラ、ようやく公僕のおでましですね。
それでは、私は失礼させてもらいますわ。公僕は余り好きではありませんから」
「ま、待ってくれ!」
プリーツのスカートの裾を掴み、恭しく礼をして立ち去ろうとする少女に、何故俺はこの時声を掛けたのか。
最初はただ、礼が言いたかっただけなのかも知れない。
しかし、薄く笑みを浮かべて振り返る少女を前に、俺はこう尋ねていた。
「BWって何だ? あんたは知っているのか?」
俺の問いを聞いた瞬間の、少女のあの目の輝きは一生忘れる事は無いだろう。
「アングラで流れている、違法改造PRの殴り合い……。その中で、常勝不敗と言われるPRです。
知っていると言えば、知っています。二度とこのような不祥事が起きないように、”以後徹底させますわ”。もっとも、”アレ”がニュースで流れた上で、こんな間違いを起こす御馬鹿さんは、流石に居ないでしょうけどね」
それでは……、そう言って少女は歩みだす。
「”さようなら”」
ソレは、彼女なりの最後の良心。
ソレは、彼女なりの最後の警告。
ソレは、彼女なりの最後の確認。
だが、俺はソレに気付かず、その先を訊ねてしまった。
聞いてはいけない、引き返せない道を選んでしまった。
そんな俺の選択すら、少女には既に想定内だったのだろう。
おそらく、俺が最初に彼女を引き止めてしまった時から……。
「なぜ、BWってヤツはハルカと……俺のPRと似ている? ただの偶然か?
そして何より、さっきの赤いPRといい、あんたの物言いといい……。アンタは、BWのマスターなのか?」
「知りたいのですか?」
「……正直に言えば、解らない」
「でも、貴方は知らずには居られない。踏み込んでしまったから……」
「……」
「九条憐と申します」
「……え」
顔を上げると、少女が俺を見下ろしていた。
「私の名前。九条、憐、です」
まるでおぞましさを感じさせない、愛らしい笑みの少女は名乗る。
クジョウレン。
それが、彼女の名前だった。
「貴方のお名前は?」
「綾小路、真澄……」
「マスミさん、そう、いいお名前ね。貴方の心も名前同様、清く澄んでいるのでしょうね」
「……」
「最後に、もう一度。私の名前は九条憐。
ですが、次に会う時、私は恐らく半分の確率で貴方を殺す事になりますから、お気をつけて……」
そう言い残し、少女は駆け寄ってくる警察と入れ違いに姿を消した。
俺とハルカはこの日を切欠に、後に起きる事件の中心人物になってゆく。
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