第二章 B-SIDE エムレイン・ブルー
私はゆっくりと意識を取り戻していく。
ソレは膨大な情報の渦で、彼女自身を形成している数字である。これらの数字が順に整列することにより、それらの情報はエムレイン・ブルーとして機能し始める。
情報の整理、整列。
ソレにより生まれる、エムレインという人格。
調整完了。
エムレインとしての意識が蘇る。
「調子はどうかしら?」
暗闇の中、すぐ傍らから女の声が聞こえた。
「そうね、悪くは無いみたい」
私は答える。
今聞こえた声は誰のモノだったか。一瞬そんな疑問が湧くが、ソレはすぐに払拭された。今はとりあえず、エムレインとしての責務を果たさねばならない。
「私の名は、そうね、サファイアとでも名乗ろうかしら」
「別に貴女の名前なんてどうでもいいわ。ソレよりも、この感覚からして、私はまだダウンシューターに乗って居ないようね」
「ええ。貴女の調整を完全な物にしないと、莫大な被害が出る事になるから」
サファイアと名乗った女の声は淡々と説明する。
まるでコチラの様子を窺っているようだ。調整の結果が上手くいっていないのだろうか?
そんなわたしの考えに気付いたのか、サファイアが小さく動いた。
真っ暗な視界が一度だけフラッシュし、思考が若干クリアになる。
「どうかしら?」
「ええ、しっかりと目が覚めたわ」
「怖くは無い?」
「怖い?」
よく分からない問いだ。
怖い。
恐怖。
いや、その様なものは無い。
「そう、不思議ね。私なら、絶対に怖いと感じるもの」
「私と、ええとサファイアだっけ? 貴女は違うでしょ?」
「……同じよ。科学者で、女で、大災害を生き抜いて、一度だけ同じ男を愛した。同じじゃない」
「違うわよ」私は小さく笑った。「私はコチラ側に立ち、貴女はソチラ側に立っている。ココで感じるモノは、ソコに居る限り絶対に知りえない情報だわ」
「なるほど。確かに、もう私と貴女は別の存在になってしまっているようね」
サファイアは気持ちを切り替える様に一度だけ深呼吸をした。
「それじゃあ、最後の調整を始めましょうか。もしこの調整で問題が発生したら、貴女には悪いけど、また最初から調整させてもらう事になるわ」
「ソレは仕方のないことでしょ? 私だって、ダウンシューターを完全なものとして生み出したいもの。異論は無いわ」
ソレは膨大な情報の渦で、彼女自身を形成している数字である。これらの数字が順に整列することにより、それらの情報はエムレイン・ブルーとして機能し始める。
情報の整理、整列。
ソレにより生まれる、エムレインという人格。
調整完了。
エムレインとしての意識が蘇る。
「調子はどうかしら?」
暗闇の中、すぐ傍らから女の声が聞こえた。
「そうね、悪くは無いみたい」
私は答える。
今聞こえた声は誰のモノだったか。一瞬そんな疑問が湧くが、ソレはすぐに払拭された。今はとりあえず、エムレインとしての責務を果たさねばならない。
「私の名は、そうね、サファイアとでも名乗ろうかしら」
「別に貴女の名前なんてどうでもいいわ。ソレよりも、この感覚からして、私はまだダウンシューターに乗って居ないようね」
「ええ。貴女の調整を完全な物にしないと、莫大な被害が出る事になるから」
サファイアと名乗った女の声は淡々と説明する。
まるでコチラの様子を窺っているようだ。調整の結果が上手くいっていないのだろうか?
そんなわたしの考えに気付いたのか、サファイアが小さく動いた。
真っ暗な視界が一度だけフラッシュし、思考が若干クリアになる。
「どうかしら?」
「ええ、しっかりと目が覚めたわ」
「怖くは無い?」
「怖い?」
よく分からない問いだ。
怖い。
恐怖。
いや、その様なものは無い。
「そう、不思議ね。私なら、絶対に怖いと感じるもの」
「私と、ええとサファイアだっけ? 貴女は違うでしょ?」
「……同じよ。科学者で、女で、大災害を生き抜いて、一度だけ同じ男を愛した。同じじゃない」
「違うわよ」私は小さく笑った。「私はコチラ側に立ち、貴女はソチラ側に立っている。ココで感じるモノは、ソコに居る限り絶対に知りえない情報だわ」
「なるほど。確かに、もう私と貴女は別の存在になってしまっているようね」
サファイアは気持ちを切り替える様に一度だけ深呼吸をした。
「それじゃあ、最後の調整を始めましょうか。もしこの調整で問題が発生したら、貴女には悪いけど、また最初から調整させてもらう事になるわ」
「ソレは仕方のないことでしょ? 私だって、ダウンシューターを完全なものとして生み出したいもの。異論は無いわ」
ダウンシューターの開発には、主任であるエムレイン以外には知られていない秘話がある。
まず、そもそもダウンシューターという機体の基礎構想を組み立てたのはエムレインではない。
公には、彼女が構想し、ソレを形成し、開発に踏み切ったとされているが、実際にはそうではないのだ。
彼女は二十年前、ひよんな事から『ソレ』を手に入れた。
ソレは十五年という長い年月をかけて、科学技術の進化の恩恵を受けながらようやく復元され、解析を可能とした、たった一つのICチップである。ソレが、科学者エムレイン・ブルーの誕生の切欠であり、彼女が一生を掛けて取り組む研究の課題であった。
ダウンシューターとは、この復元されたICチップから断片的に回収できた人型兵器のデーターを元に彼女が設計した機体である。つまり、ダウンシューターとは二十年前に既に存在していた基軸にアレンジを施した機体、完全なオリジナルではない。
しかし、ソレを知る者はこの世界には存在しない。ソレを知る者は二十年前にこの世を去っているし、また、何らかの方法で二十年前にソレを知りえた人物は、少なくとも表の世界には生きて居ないからだ。
ダウンシューターの発表に伴い、誰かが自分に接触してくるのではないか?
エムレインはそうなる事を期待している。
もしそうなったとすれば、その人物は間違いなく、二十年前――大災害の中心に居た人物に他ならないからだ。
彼女は、大災害とソレを『引き起こした』人間を憎んでいる。ICチップの解析も、大災害の裏側を知る為に始めた事であった。
そしてダウンシューターの開発と共に、秘密裏に研究されていた物が、CICとよばれる次世代型AIであった。コレもまた、ICチップから回収したデータを元に生み出されたものである。
CIC――複製型擬似人格。
しかし、エムレインは二つのミスを犯していた。
一つは、大災害の真相を暴こうと焦りを持っていた事。その焦りは、僅かではあるが彼女の冷静さを奪い、思考力を欠如させていた。
もう一つが、ICチップに記録されている情報を過小に評価していた事。この場合、エムレインはICチップの情報を正当に評価していたといえるのだが、実際には、その程度の評価では足りない程にそれらの情報は高度だった。例えるならば、百年先の科学技術を現代の科学力で解析し理解したつもりになっていた、そんな所であろうか。上辺だけを理解して、その内側にある複雑さに気付けない。内側を覗くだけの力を持ち合わせて居ないのだから仕方ないと言える。
もし彼女がこのICチップの解析にもっと余裕を持って取り組んでいたら、今回の事件は起きなかったのではないだろうか。
後になって、エムレイン自信はそう考える事がある。
まず、そもそもダウンシューターという機体の基礎構想を組み立てたのはエムレインではない。
公には、彼女が構想し、ソレを形成し、開発に踏み切ったとされているが、実際にはそうではないのだ。
彼女は二十年前、ひよんな事から『ソレ』を手に入れた。
ソレは十五年という長い年月をかけて、科学技術の進化の恩恵を受けながらようやく復元され、解析を可能とした、たった一つのICチップである。ソレが、科学者エムレイン・ブルーの誕生の切欠であり、彼女が一生を掛けて取り組む研究の課題であった。
ダウンシューターとは、この復元されたICチップから断片的に回収できた人型兵器のデーターを元に彼女が設計した機体である。つまり、ダウンシューターとは二十年前に既に存在していた基軸にアレンジを施した機体、完全なオリジナルではない。
しかし、ソレを知る者はこの世界には存在しない。ソレを知る者は二十年前にこの世を去っているし、また、何らかの方法で二十年前にソレを知りえた人物は、少なくとも表の世界には生きて居ないからだ。
ダウンシューターの発表に伴い、誰かが自分に接触してくるのではないか?
エムレインはそうなる事を期待している。
もしそうなったとすれば、その人物は間違いなく、二十年前――大災害の中心に居た人物に他ならないからだ。
彼女は、大災害とソレを『引き起こした』人間を憎んでいる。ICチップの解析も、大災害の裏側を知る為に始めた事であった。
そしてダウンシューターの開発と共に、秘密裏に研究されていた物が、CICとよばれる次世代型AIであった。コレもまた、ICチップから回収したデータを元に生み出されたものである。
CIC――複製型擬似人格。
しかし、エムレインは二つのミスを犯していた。
一つは、大災害の真相を暴こうと焦りを持っていた事。その焦りは、僅かではあるが彼女の冷静さを奪い、思考力を欠如させていた。
もう一つが、ICチップに記録されている情報を過小に評価していた事。この場合、エムレインはICチップの情報を正当に評価していたといえるのだが、実際には、その程度の評価では足りない程にそれらの情報は高度だった。例えるならば、百年先の科学技術を現代の科学力で解析し理解したつもりになっていた、そんな所であろうか。上辺だけを理解して、その内側にある複雑さに気付けない。内側を覗くだけの力を持ち合わせて居ないのだから仕方ないと言える。
もし彼女がこのICチップの解析にもっと余裕を持って取り組んでいたら、今回の事件は起きなかったのではないだろうか。
後になって、エムレイン自信はそう考える事がある。
どこかで消防車と救急車が走っているようだった。
小泉は微かに聞こえるサイレンに暫く耳を傾けていたが、ソレが大学とは関係ない場所に向っている事を確認し、再び視線を手元の本に落とす。
「大災害……か」
考えてみれば、自分は大災害が起きた頃に生まれたのだ。物心ついた時には既に大災害の爪痕は綺麗に塞がれ、その凄惨さを目にした事は無い。いや、もしかしたらまだ残っていたのかもしれないが、ほんの四年前まで箱入り娘だった自分の目にはそういったものが入らないようにされていたのだろう。
どちらにしろ、小泉は大災害というモノを知らなかった。
考えてみれば、自分は何も知らなかった。
大災害と呼ばれる事から、多くの一般人には天災の類だと思われている節がある。竜巻、津波、雷、または騒動の際に発生した大規模火災も天災に含まれようか。
しかし、冷静に考え直せば、そのイメージが間違いである事にすぐ気付く。人型兵器の登場、それこそが大災害の真っ只中であるし、大災害の被害者の大半がコレによる虐殺だった事も周知の事実である。
大災害の切欠は分からずじまい。人型兵器の誕生により、その違和感は世界中へと広がり、他国との戦争になった。大災害とは、つまりは二十年前に起きた戦争の事であると小泉は判断している。
「コレもダメか」
小さな溜息と共に、小泉は読んでいた本を閉じる。自分の求めているモノがこの本には記載されて居ない。
大災害という物にどれ程の情報規制が成されているのかは分からないが、調べてみると、大災害に関するデータが驚くほどに少ない事に気付かされる。
調べる事自体が間違いなのだろうか?
ふと、そんな事を考えてしまう。
姉小路も言っていた。知るべきではないと。知らない方が幸せだと。
確かに、平和な時代に生まれた以上、その平和を大切に生きるべきだ。自分の身の回りだけとは言え、争いの無い生活という物に勝る幸福は無い。だが、戦争の惨さを知らなければ、平和という物のありがたさを知る事も出来ないのではないか? 現に、過去の世界大戦の記録は沢山残っているのだから……。
では、大災害は何故こうも隠されている?
「そういえば、真澄さんが言っていたっけ?」
大災害なんて呼び方は、あの地獄を大災害と呼ばれたほうが都合が良い奴が、どさくさに紛れてそう呼ばれるように仕向けた結果なんだ……と。
つまり、大災害は人の手によって引き起こされ、天災の様に『仕方のない事』として処理させた名残なのか?
「分からない事だらけだ」
何故今更になって大災害の事を知ろうとしているのか。
ソレを知って何になるというのか。
大災害の裏に存在した『意思』とは一体なんだったのか。
それらを知っている筈の姉小路真澄は、その事について一切口を開こうとはしない。
「私だけ蚊帳の外……か。どうすれば、真澄さんの心に歩み寄れるんだろう――」
本棚に本を差し込む時、再びサイレンの音が耳に届いた。
小泉は微かに聞こえるサイレンに暫く耳を傾けていたが、ソレが大学とは関係ない場所に向っている事を確認し、再び視線を手元の本に落とす。
「大災害……か」
考えてみれば、自分は大災害が起きた頃に生まれたのだ。物心ついた時には既に大災害の爪痕は綺麗に塞がれ、その凄惨さを目にした事は無い。いや、もしかしたらまだ残っていたのかもしれないが、ほんの四年前まで箱入り娘だった自分の目にはそういったものが入らないようにされていたのだろう。
どちらにしろ、小泉は大災害というモノを知らなかった。
考えてみれば、自分は何も知らなかった。
大災害と呼ばれる事から、多くの一般人には天災の類だと思われている節がある。竜巻、津波、雷、または騒動の際に発生した大規模火災も天災に含まれようか。
しかし、冷静に考え直せば、そのイメージが間違いである事にすぐ気付く。人型兵器の登場、それこそが大災害の真っ只中であるし、大災害の被害者の大半がコレによる虐殺だった事も周知の事実である。
大災害の切欠は分からずじまい。人型兵器の誕生により、その違和感は世界中へと広がり、他国との戦争になった。大災害とは、つまりは二十年前に起きた戦争の事であると小泉は判断している。
「コレもダメか」
小さな溜息と共に、小泉は読んでいた本を閉じる。自分の求めているモノがこの本には記載されて居ない。
大災害という物にどれ程の情報規制が成されているのかは分からないが、調べてみると、大災害に関するデータが驚くほどに少ない事に気付かされる。
調べる事自体が間違いなのだろうか?
ふと、そんな事を考えてしまう。
姉小路も言っていた。知るべきではないと。知らない方が幸せだと。
確かに、平和な時代に生まれた以上、その平和を大切に生きるべきだ。自分の身の回りだけとは言え、争いの無い生活という物に勝る幸福は無い。だが、戦争の惨さを知らなければ、平和という物のありがたさを知る事も出来ないのではないか? 現に、過去の世界大戦の記録は沢山残っているのだから……。
では、大災害は何故こうも隠されている?
「そういえば、真澄さんが言っていたっけ?」
大災害なんて呼び方は、あの地獄を大災害と呼ばれたほうが都合が良い奴が、どさくさに紛れてそう呼ばれるように仕向けた結果なんだ……と。
つまり、大災害は人の手によって引き起こされ、天災の様に『仕方のない事』として処理させた名残なのか?
「分からない事だらけだ」
何故今更になって大災害の事を知ろうとしているのか。
ソレを知って何になるというのか。
大災害の裏に存在した『意思』とは一体なんだったのか。
それらを知っている筈の姉小路真澄は、その事について一切口を開こうとはしない。
「私だけ蚊帳の外……か。どうすれば、真澄さんの心に歩み寄れるんだろう――」
本棚に本を差し込む時、再びサイレンの音が耳に届いた。
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