キレやすい最近の若者達

 腸が煮えくり返る、とは正にこの事を指すのだろう。
成程、よく出来た言葉だ。怒りとは先ず胴体に溜まるもの。腹腔、胸部。主に溜まるのはその辺りだ。
そして、胴に溜まった怒りは、手足に伝わって行き、ボルテージが頂点に達した瞬間、本人の意思とは無関係に怒気と力が込められて四肢が振われるのである。
だが今、アテルイに蓄積された怒りは、腸に溜まっているどころの話ではなかった。胴体は元より、その四肢、その頭蓋、そしてその心の中にですら。
煮立たせた水の如くブクブクと泡を立たせて、彼の身体全身を沸騰させていた。

 聖杯戦争が既に幕を開けた事は、既にアテルイも、そしてそのマスターであるクロエも理解している。
今まで不自然に鈍っていた、霊や魔の探知能力が、アテルイは取り戻した。どうやら、意図的に運営側からサーヴァントの察知能力を封印されていたらしい。
それに気付かなかったと言うのだから、日本を転覆させかけた大魔縁の名が廃ると言う物である。尤も、だからと言って、一昨日の事件で負った負債の弁疏にはならないが。

 寝ても覚めても思い起こされるのは、あのわくわくざぶーんでの一件だった。
思い出すとむかっ腹が立つので意図的に忘れようとしているが、全く忘れられない。寧ろふとした拍子で思い出して、かえって怒りを増長させてしまうので逆効果だ。

「――クソがっ!!」

 悪態を吐きながら、ブンと左腕を振い、その手の甲で、近くに佇立していた樹木を叩いた。
殴打の際の衝撃を受け、幹の太さだけで二m近く、高さにして六~七mは下らないその樹木が、横にではなく縦に、梢から稲妻の直撃を受けた様に真っ二つに裂けた。
ズズン、と。樹木が地面に倒れ、それに対して地面が緩く応えた。つくづく、ただの無造作な攻撃だけで、あれ。クロエはつくづく背筋が凍った。自分が呼び出したサーヴァントは疑いようも何もない程チンピラ染みた男であるが、その強さだけは、孫う事なき本物のそれなのだ。

 アテルイの事をフォローするつもりは更々ないが、それでも、相手が悪かったとしか言いようがない。
クロエの目から見ても、わくわくざぶーんでアテルイが戦った二騎のサーヴァントの強さは、英霊全体を見渡してもトップランカーのそれに当たる事は間違いない。
存在しているという事実を切断するアテルイの斬撃を生身で防御する、刺青の男。近代兵器の数々をどこからか取り出し、それを以て相手を追い詰める狡猾な金髪の女性。
思い出すだけで、震えが走る程強いサーヴァント達だった。呼び出したサーヴァント次第では、クロエは今頃聖杯戦争の開催が告げられるよりも速く、
黄泉の旅路を歩いていたかも知れないのだ。この恐るべきサーヴァント達を相手取って、アテルイは平然としているばかりか、クロエに傷一つ付けさせず生還させている。
アテルイが機転も利き、実力についても申し分ない、一線級のサーヴァントである事もまた、疑いようがない。
これだけの力を秘めたサーヴァントを召喚出来たと言う事実。この天運に、一割程の感謝をクロエは抱いていた。……残りの九割は、どうしてこのような素行最悪のサーヴァントを自分の下に寄越したのか、と言う不平不満なのであるが。

 わくわくざぶーんから生還し、聖杯戦争が正式にスタートするまでの一日間余りの時間。
アテルイはずっとこのような調子だった。憤懣やる方ない、と言うのは今のアテルイの状態をこそ指すのであろうか。
あの二名のサーヴァントを葬れなかったから、憤っている。クロエはそう考えていた。事実、惜しい所まで行っていたように、クロエには思えるのだ。
時代錯誤な一人称を用いる、あの金髪の美女が乱入と妨害がなければ、刺青の男は倒せたかも知れない。
その美女にしたって、一切の迷いもなく逃走を彼女が選んでいなければ、アテルイは勝ち星を得ていた可能性だって多分に考えられる。
成程、アテルイの気性を考えれば、悔しく思わぬ筈がない。理解の余地は、確かにある。倒せたサーヴァントを倒せなかった。それは、マスターにとっても悔しいだろう。だから、今のアテルイの態度は、至極当然のもの。クロエはそう考えていた。

 だが、クロエのこの解釈は、半分は正解で、半分は間違いであった。確かに、大きな魚を逃したと言う悔しさはアテルイにある。
しかしそれ以上に彼の思考を焼いているのは、カインから言われたある一言であった。

 ――何だ、怒ってんのか。存外、小さい器だな。雑魚――

 此方の怒りを引出して、攻撃の軌道を鈍らせる為に口にしたとしか考えられない、カインが何の気なしに口にしたこの言葉。
この言葉は確かに、アテルイの怒りの要点を抉っていた。それはもう、適確と言う言葉が、過ぎる程に。

 アテルイは弱いと言われる事が腹の底から嫌いな男だった。精神面で弱い、と言われても腹を立てはしない。言った相手を、暴力で叩き伏せれば良いのだから。
だが、肉体面・強さの面で弱いと言われる事には、我慢が出来なかった。アテルイの事を生前そう蔑んだ鬼や妖物・幻想種達を彼は、己の力で惨たらしく殺して来た。
二度と、そんな事を誰もが口にしないように、見せしめの意味も込めて、だ。アテルイの事を弱いと口にしてなお、命のあった存在は史上ただ二人。
坂上田村麻呂と、その伴侶であった魔王の娘――アテルイに言わせれば尻軽の女狐――・鈴鹿御前位の物であった。

 アテルイが此処まで弱いと言われる事を嫌う理由は、単純明快。この男は、自身が『強い』と言う絶対の自負を抱いているからだ。
現在のアテルイの強さは、先天的に備わった『スサノオ』としての権能がある事も勿論だが、それは精々一割、二割。今の彼の実力の八割から九割は、
後天的な努力によって得られた物だ。己に残された、なけなしのスサノオの力を駆使して、アテルイは生き延びた。
幻想種を不意打ちで殺し、鬼や妖魔を殺し、その死肉を喰らい、命を繋ぎ続けてきた。気が付いたら、嘗て自分をスサノオから分離させ、高天原から追放した天津の神々は、
何処とも知らない世界の裏側に隠れていた。神々の黄金時代は、終わっていたのだ。終わってなお、アテルイはしぶとく生き延びていた。
オリジナルのスサノオですら世界の裏側に隠れねばならなかったと言うのに、その遥かなデッドコピーであるアテルイは、生存。
誰しもが認める脆弱だった身の上で、自分を世界から追放した神々よりも長く生き延びたばかりか、鬼や幻想種を喰らって力を蓄え、遂には国をも脅かす力を得た大魔王。
それが、アテルイと言う男なのだ。そんな俺の、何処が弱いと言う? 弱かった俺が力をつけ、神々をも脅かす力を会得した。何処に、弱いと言われる余地がある?
この考えこそが、アテルイが抱く強さへの自負だ。弱者から成りあがって力を得、自分を弱者に叩き落とした神々が逃げ出した世界に、彼らよりも長く君臨した。
弱い筈がない。誰もが想起する、強者の定義を、最高に近い水準で満たしている。アテルイは本気でそう考えているのだ。

 アテルイにとって己の強さとは誇りなのだ。払える努力と時間を全て払って獲得した、何物にも代えられないプライドなのだ。
それを、あの刺青の男はコケにしてきた。断じて、許してはならない。あの男は、殺さねばならない、葬らねばならない。
次に出会った時が、刺青のサーヴァントの最期である。そして、あれを従える小娘にも、恥辱にまみれた死をくれてやらねば腹の虫が収まらない。
アテルイは、子供だった。怒りの沸点が余りにも低く、余りにも身勝手で、精神的に幼いを通り越して幼稚の域。
マスターであるクロエとの、外見上の年齢の差異は明白であるが、その精神性の在り方は、クロエの方が遥かに達観している、と言う有様であった。

「……おい、ガキ」

「なによ」

 凄味を利かせながらそう口にするアテルイに、クロエはぶっきらぼうに返した。

「良い方策の一つや二つ、思い浮かんだのかよ」

「無茶言わないで。そう簡単に思い浮かぶんだったら、苦労はしないわよ」

「敵指差して『殺せ』って言うのと、マスターとサーヴァントを探す方法を考えるだけ二つがお前の仕事なのに、そんな簡単な仕事もこなせねぇかい。大した軍師サマもいたもんだな」

「そうね。一人じゃ敵も探せないサーヴァントに代わって仕事を引き受けはしたけれど……私『も』役立たずみたいね。『役立たず』、みたいね」

 役立たず、の部分を特に強調して、クロエはそれはそれは、当てつけそのものの嫌味を口にする。
クロエの余りにも生意気な態度に、アテルイは強く眉を顰めたが、此処で怒りを発露させる事だけは、さしものアテルイも拙いと思ったらしい。
地面に唾吐き、虚空を眺めると言う態度を取る事で怒りを宥めだした。

 アテルイは強さこそ申し分ないが、サーヴァント自体の索敵能力には優れない。
それはそうだ、サーヴァントを探す能力に優れるのは、アサシンやキャスタークラス等、小回りが利いたスキルや宝具を持っている連中ぐらいのもの。
三騎士の仕事は、敵を見つけたら戦い、倒す事。機を先んじる事が重要なのは三騎士クラスでも同じであるが、アサシンやキャスターは彼ら以上に機先を制する事に、
深刻な意味を持つ。魔術なり、使い魔なり、遠見の技なり、隠形の術なり。何かしらの手段で此方を捕捉出来る術を持つのは、この二クラスが殆ど。
対してアテルイは、こと戦闘・実戦に関してはこれ以上を求めようがない程高い水準をクリアしているが、サーヴァントを探すと言う一点においてはからっきしだ。
サーヴァントがこんなザマであるから、クロエが何かしらの知恵を練り、アテルイが実力を発揮出来る条件は思い浮かばないかと思案するも……結果はご覧の通りだ。

 その身がある種の願望器の発露に等しいクロエは、生身の人間以上に、サーヴァントの気配については敏感である。
見れば大体は、『もしかして』、のセンサーが反応する。だが、それだけ。肉眼で捉えられる範囲にサーヴァントらしき存在がいれば、あれはもしかしたら、
と思えるだけの察知能力は確かに備わっている。だが、自分の視界の範囲外、つまり、全く自分が感知出来ない何処かにいる、何らかのサーヴァントの気配までは、
さしものクロエも探知出来ないのだ。探す術をアテルイに考えろと言われても、この冬木でのクロエのロールは、単なる女子小学生に過ぎない。
権力や金に物を言わせて、と言う作戦を使おうにも、そんな物はない。必然的に、足でサーヴァントを探さざるを得ない、と言う訳だ。

 更に厄介なのが、自分達もその責任の一端を担う、一昨日のわくわくざぶーんでの事件である。あれが大きい。
あの事件、ハッキリ言って誰が関与しているのかが露呈するのは時間の問題なのではないかと、クロエは考えている。
それはそうだ、あれだけ大規模な事件なのだ。自分の知らない所で、自分達が戦っている所を目撃した人物がいる可能性だって、大いにあり得る。
冷静になった頭で考えれば思い描ける事であるが、あれだけ大規模な施設、幾ら営業時間を過ぎたからと言って、中が無人である筈がないのだ。
何処ぞの警備会社と契約し、その夜間警備員が巡回している事は勿論、監視カメラで絶えず映像が警備会社や警備室に送られ、それが保存されている筈。
となれば、クロエやアテルイ、刺青のサーヴァントとその主である気弱な女性、そして、あの悪魔のような金髪の女性の姿を映した映像が、
重要な証拠として残されている可能性が極めて高い。つまり、サーヴァント達を探そう以前に、自分達が警察達のお尋ね者になっているかも知れないのだ。
これではサーヴァントを探す所ではない。そもそも自分達が探される側なのだ。しかも、その意味合いは極めて厄介なもの、大事件の重要参考人として、だ。
端的に言ってしまえば、クロエ達は有名人になっている可能性が高い。それも、悪い意味で。となれば、行動の自由が著しく制限されてしまうのは無理からぬ事であった。

 ――もっと言えば、彼女ら……特に、クロエの方は、あんな事件が起こる前から既に有名人である可能性が高い。
結論を言えば、クロエは聖杯戦争の舞台である冬木に招かれた事に際し、この町でのロール上住む事になっている、イリヤ達の家から家出していた。
遠くヨーロッパの国からやって来た、イリヤ・フォン・アインツベルンの従姉。それが、クロエの冬木でのロールであった。
それを捨ててまで、家出を決行した理由は……例えこの世界でのイリヤ達が、クロエの生きる世界での彼女らと全く違う存在であったとしても、だ。
いや、違う存在であると言うのなら、猶更、聖杯戦争の塵埃に巻き込まれる事は、嫌なのである。
夢幻召喚も出来ない、聖杯戦争についての知識が欠片もない。そんなイリヤやアイリ達を、如何して聖杯戦争に巻き込めよう。
せめて彼女らは、聖杯戦争の戦火が及ばぬ平穏な日常で生きていて欲しい。その願いと思いから、クロエはイリヤ達の住まいから家出したのである。

 今頃は、捜索願でも出され、警察などが自分の身柄を確保する為仕事をしているのかも知れない。
その可能性を考えた場合必然的に都市部の何処かに拠点を置く事は、好ましいとは到底言えない。
かと言って廃墟に身を隠すと言うのも、危険性が高い。ボロボロの状態とは言え、家と言う形を曲りなりにも取っているのであれば、『先客』がいるかも知れないのだ。
其処で無用なトラブルを起こす訳には行かない。よってクロエらは、郊外の森林地帯に現在身を隠している。
この冬木が、自然を色濃く残す地方都市である、と言うのが幸いした。これが完全に栄えている都市部などであったら、こうも上手く今の今まで隠れられなかったかも知れない。

 とは言え、だ。

「遅かれ早かれ、こうしてこの森に隠れてさえいれば、サーヴァントにぶつかるわよ」

「なんでだよ」

「ありふれた作戦だもの、他の主従が思いつかない筈がないわ」

 そう、クロエが思い浮かぶ、『追跡を逃れる為に森に隠れる』、と言う手段は全く特別なそれではない。
誰でも思い浮かぶ事であろう。『見つかりたくない人間がいる』、『サーヴァントと交戦したくない』。
だから、人目が付かず、俗世との繋がりの薄い森に立て籠もる。作戦としては実に理に適う、合理的なものであると言えよう。
だがこの作戦は同時に、誰もが普遍的に考えつくという側面も有している。況して、聖杯戦争の参加主従であるのならば尚の事だ。
恐らくは何組かの主従は、人目につく事を恐れて、或いは、サーヴァントの特性上、森を拠点に選んでいる、と言う者は確実にいよう。
そして、そう言った主従を叩くべく外からやって来るサーヴァント達も、ゼロではあるまい。それを、叩くのである。

 それにクロエとしても、此処にサーヴァントやマスターがやって来て貰わねば、少々困る。
何故なら彼女は、余人よりも魔力の消費が速い。その体質と存在の故に、常に現界の為の魔力を供給していなければならないからだ。
この世界では魔力の消費が元居た世界に比べてやや薄いとは言えど、流石にアテルイ程のサーヴァントを維持しながらだと魔力の目減りも加速する。
そう、魔力消費をし過ぎれば今度はクロエ自身が消滅しかねないのだ。その余りにもつまらない結末だけは、クロエとしても避けたい。
家出する前にイリヤにキスをしては見たが、イリヤの在り方からして既に違う為か、全く魔力を得られなかった。だから、マスター……もとい、魔力を奪えるだけの対象が、イリヤとしては欲しい所なのだ。

「こっちにノコノコやって来たサーヴァントを葬る事。それは貴方の仕事よ。まさか、それすら私にさせるんじゃないでしょうね」

「……見くびられたモンだな」

 鋭くクロエの方を睨みつけ、アテルイが言った。

「安心しろよ。サーヴァントの相手位テメェで出来る。欲望の捌け口にしとけば聖杯が手に入るんだから安いモンよ。お前はお前でマスターの相手をしてろよ」

 そう言ってアテルイは再び、緘黙の状態に移行し、虚空を眺めると言う状態に移った。
クロエの方も、これ以上は何も言うまいと、一息吐いてから空を見上げた。
五月とは言え、夜の零時を回った深夜の森は、まだ薄らと、冬の名残のような物を残しているのであった。




【D-5(森林内部)/1日目 深夜0:00時】

クロエ・フォン・アインツベルン@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[虚影の塵]有(残数1)
[星座のカード]有
[装備]アーチャーのクラスカード
[道具]
[所持金]一万円程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。場合によっては、聖杯戦争自体に勝利する
1.アテルイは信用が出来ない
2.現状は森林内での籠城戦を主にする
[備考]
①セイバー(アスモデウス)、オルガマリー&ランサー(カイン)の存在を認識しました
②わくわくざぶーんでの一件から、自分達の存在が世間に露呈したのではと疑ってます
③冬木でのロールは、ヨーロッパからやって来たイリヤ家の居候と言う事になっていますが、現在は家出中で家の方に帰っていません


【セイバー(アテルイ)@史実】
[状態]肉体的損傷、魔力消費(共に極小)、ランサー(カイン)に対する激怒
[装備]骨剣
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を勝利し、日本転覆
1.この国をぶっ壊す
2.あのランサー(カイン)とセイバー(アスモデウス)は絶対殺す
3.セイバーの方はついでに犯す
[備考]
①セイバー(アスモデウス)、オルガマリー&ランサー(カイン)の存在を認識しました
②カインに対して並々ならぬ怒りの感情を抱いています





 ◆

 ――こちらはこちらで、もっと大変だった。

 車椅子に乗った女性と、それを押す男がいた。
車椅子に乗せられている女性は、小心者と言う言葉がこれ以上となく似合いそうな、弱々しい雰囲気を常に発散させる銀髪の女性。
それを面倒くさそうに押している男性は、見るからに仕立ての良いスーツを着こなす、恐ろしく体格の良い黒髪の人物だった。体格が恵まれていると、スーツは映える。切れ者のビジネスマンとすら、思われるであろう。……総身に刻まれている刺青さえなければ、だが。

 わくわくざぶーんでの一件から逃れてから、オルガマリー・アニムスフィアは、腹を狙撃されたと言う最悪に近いコンディションにも拘らず、
多方面に根回しを行わねばならなかった。いや、正確に言えば、行わざるを得ない程追い詰められた、と言うべきか。

 あの場から退散するなりオルガマリーは、優先して二つの課題をクリアした。
先ず彼女が解決したのは、金髪のサーヴァントが放った凶弾の直撃を受けた、腹部の治療だった。
腹部は心臓や頭部程の急所ではないが、其処に銃弾を受けると腸内に溜まった糞便が飛び散り、細菌による感染症のリスクが極めて高くなる。
それがあるから早めに治療した方が良い……と言う事実を、オルガマリーが知っていたとは思えないし、事実彼女は知らなかった。
では何故早めに治療したのか、と言えば、単純な話で、『銃弾のダメージを放置したままだと歩けない』からだ。
聖杯戦争で、マスターが歩行困難など、常識で考えればリスク以外の何物でもない。自由度が著しく制限されるからだ。
それだけは避けたい。だからこそオルガマリーは、カインに連れられ屋敷に戻るや直に、この冬木で彼女が全うするべきロール、それに与えられた権力をフル活用。
早い話、腕の立つ医者を秘密裏に病院に招聘させ、緊急手術を急いで施したのである。
世間一般では知られない事であるが、一般人にはまず行われない、死なれては拙い要人に行う施術と言うものが有る。
一般人にその治療がされないのは、当該患者に並ならぬ財があるからこそ成せる、保険対象外の治療法であるから、法外そのものの治療費が掛かると言う事も勿論ある。
だが死なれてしまうと、経済や社会、ひいては国益や国交にまで影響を齎す程の人物であるからこそ、この治療は行われるのである。
つまりは、国にとって有為の人物だ。そう言った人物にこそ、それらの一般人には公表も公開もされない、秘密の治療法と言うのが適用されるのだ。
そしてオルガマリーは、その治療の条件を満たす人物であった。それはそうだ、今の彼女のロールは、『イギリスが発祥の超大手外資系企業の子女』である。
彼女に死なれてしまえば、経済や国家間の関係に多大な影響が生じてしまう。だから、無理にでも生かす必要がある。
オルガマリーは、この世界における自分の権力の強さと、これをどう利用するべきなのかをよく理解していた。だからこそ、わくわくざぶーんから抜け出したあの時、朦朧とする意識で病院に連絡を入れ、緊急の手術を行ったのである。その甲斐あって、腹部のダメージは粗方回復していたのだった。

「つくづく面倒の掛かる女だ」

「うるさいわよ、一蓮托生の運命共同体でしょ!? もう少し気遣った言葉でも投げてみなさいよ!!」

 カインの、心底からの本音が漏れ出た発言に、オルガマリーが食って掛かる。

 当たり前の事だが、腹部を銃弾で撃たれて、一日で完治、と言う訳には行かない。
サーヴァントが行う治療処置であるのならばいざ知らず、現代の人間社会の医療技術で、銃弾による傷をものの一日で完治せしめると言うのは、
如何に技術の最先端を行くものであってもどだい無理な話である。それでも、オルガマリーに施された施術と言うのは、
現代医学が施せる最大限度の物であった。一般人が同じ治療を望んでも先ず施される事はないであろうし、仮に施される事になっても、億の金が平気で動こう。
そんな大層な治療を施した甲斐もあり、オルガマリーは、撃たれてから一日以上経った現在、動けるレベルにまで回復していた。


 ――動ける、レベル? そう思うであろう。そう言うのであればどうしてオルガマリーは、車椅子に乗り、カインに押されて移動しているのか? 
その答えは単純明快。いかに動けるレベルにまで回復したと言っても、激しく動けば傷も開く。現にまだ、腹の辺りにオルガマリーは痛みを残しているのだ。
無理な運動は厳禁である。だがそれ以上に車椅子で移動する最大の理由は……オルガマリー・アニムスフィアが思いついた、ささやかな戦略の故であった。
簡単な話だ。今のオルガマリーを聖杯戦争の参加マスターが見れば、どう思う。簡単だ、サーヴァントに車椅子を押して貰えねば移動すら満足に出来ない、
役立たずの女としか映らないだろう。ではその後、そのマスターに生まれる感情とは、何なのか? これも答えを導く事は容易い。『油断』だ。
相手は間違いなく、オルガマリーの事をナメてかかるであろう。だがその時点で、既にオルガマリーの策にハマっている。
丹念に築き上げてきた彼女の魔術回路は、依然として機能している。相手を魔術で殺す事位、――オルガマリーに殺す勇気があるのかどうかは別だ――訳はないのだ。
つまりこの車椅子は、相手の増上慢や油断を誘い出す為の、一種の誘蛾灯であり、ブラフなのだ。
本当は動けるし、本当は無力でも何でもない。今のオルガマリーにとっての最大の武器は、『不自由そうに見える外見』である。言ってしまえば、出来ない事を演じられるに不測のないコンディションだから意味があるのだ。出来る事を出来ない風に装い、隙を見せれば相手を殺す。それが、オルガマリーの構築した戦術である。

「お前の姑息な戦略に付き合う俺の身にもなって欲しいもんだな」

 姑息、と言われ、羞恥と怒りに顔を真っ赤にするオルガマリー。全く、否定が出来ない。
喧嘩らしい喧嘩何て生涯一度としてした事のない、優等生そのものの人生を歩んで来た、オルガマリー・アニムスフィア。
そんな彼女の頭で、精一杯考えた作戦が、上述した姑息さとせせこましさの塊のようなそれなのだ。当人とて、この作戦がせこいにも程があるとは重々承知している。
承知しているのだから、態々口にする必要もないだろう、と、恨めし気に彼女はカインの事を睨むが、全く彼は堪えない。
それもそうだろう。本当の所オルガマリーも、自分の作戦に付き合って車椅子を押す羽目になっているカインの方がもっと厄介な事位解っているのだ。
とは言え、彼女の作戦は一応有効性のある作戦なのだ。聖杯が是が非でも欲しいのであるのなら、もう少しノってくれても、良いじゃないかとオルガマリーは思うのだった。

「それより、俺が気になるのはもう一方の作戦だ。そちらの方はどうなっている」

 カインにしては珍しい、オルガマリーの考えを肯定し、その推移が気になると遠回しに口にしているような発言。
それは、そうだろうとオルガマリーも思う。何故ならカインが言う、もう一方の作戦の方が、遥かに戦略性が高く、有用性の方も車椅子を用いたそれよりも遥かに高いからだ。

「今日の昼を狙って、報道される予定よ。……絶対に、逃さないわ。あの連中」

 恨めし気に、怒りを込めてオルガマリーがそう呟いた。並々ならぬ決意が、カインにも伝わってくる。
この殺意にも覇気にも似た感情は、本物であろう。後はこれを、有事の際に維持出来る程の胆力さえ備わってくれれば、カインとしては言うまでもないのだが。

 オルガマリーがクリアした課題の二つ目。それは、わくわくざぶーんで戦っていた主従らの孤立化であった。
カルデアの所長でもあったオルガマリーは、魔術師でありながら科学及び、現代社会の世故に一定の理解があった。
俗世の塵埃に塗れていた事について、他の魔術師連中から非難された事が、父であるマリスビリーにもその娘である彼女にもあったが、今はその非難された経験が、
最大限まで活きている。そう、オルガマリーは確信していた。わくわくざぶーんに設置されていた筈の、監視カメラ。
間違いなく其処には、褐色の少女や下品な刺青の男、金髪の美女達の戦いの模様が映っているだろうと言う事を。
わくわくざぶーんを抜け出し、病院で治療を受けていた時に、もう一つの方面に根回しを行っていた。
それが、わくわくざぶーんの警備を担当していた会社及び、各種マスコミ方面である。オルガマリーはこの二つを駆使して、あの時わくわくざぶーんにいたであろう聖杯戦争の参加主従を、表社会から排除しようと考えたのだ。


 やろうとしている事は、言語化してしまえばシンプルなもの。
警備カメラに映っていた戦いの模様をニュースなどで放映させ、『これらの人物がわくわくざぶーんを破壊させた犯人、危険人物』だと言う印象を植え付けるのである。
その為には先ず、警備会社に問い合わせてその映像を確認する必要がある。これこそが、『警備会社』にコンタクトを取った理由である。
そして結果は、オルガマリーの睨んだ通り。案の定カメラには、褐色の少女と刺青を刻んだ褐色の肌の男、そして金髪の女性の姿が映っていた。
だが此処で、一つの疑問が生じる。あの場で戦っていた主従はもう一組いた筈だ。他ならぬオルガマリーらの主従だ。
事実、映像には確かにオルガマリー達の姿も映っており、その時の映像をこのまま用いてしまえば、自分達すら聖杯戦争の参加主従だと割れてしまおう。

 ――此処に今回の作戦の本質がある。オルガマリーは此処でも、自身の権力を最大限に発揮しようとしていた。
覆せぬ事実として、オルガマリー達はわくわくざぶーんで交戦していたし、映像も証拠として残っている。
これらの事実を、彼女は金と権力の力で握り潰した。警備会社に金を握らせ、監視カメラの映像の一部、つまり、自分達が戦っていた箇所を編集して削除。
丁度、褐色の少女や褐色の肌の男、金髪の美女が戦っている箇所だけを証拠として残させ、これをマスコミに流そうとオルガマリーはしていたのだ。
尤も、金髪の美女の方はサーヴァントである為に、霊体化や隠密行動でどうにでもなるだろうが、褐色の肌のサーヴァントの方は、
マスターの方がキッチリと監視カメラに映っているのだ。最早逃れようがない。これを表社会に流してしまえば、この主従は著しく自由を制限されたも同然。この時点でオルガマリーらは、大幅に有利に立ち回れる事となる。

 わくわくざぶーんでの事件の翌日。
つまり、事件が起こった日と聖杯戦争の開始日の間の中日であるが、このたった一日の間に。
オルガマリーは、自分の腹の治療と上述の警備会社とマスコミへの根回しをやってのけたのだ。勿論、恐ろしい程忙しかったのは言うまでもない。
何せ通常なら一週間以上はかかるであろうこれらの作業を、急いだとは言ってもたったの一日と言う、時間が局所的に加速しているのではと思う程の速度でやってのけたのだ。
持つべきものは、権力と金である。オルガマリーは潤沢な資金と、自分のロールで運用出来る人員。これらを用いて急ピッチで、シチュエーションを整えた。
そう、全ては聖杯戦争に勝つ為である。その為であるのならば、オルガマリーもカインも、持てる力の全てを出し尽す。それが例え金でも、権力でも、だ。

 ――後は、聖杯戦争が開催されたのと同時に、星座のカードを用いて通達された、運営からの諸々の情報を確認するだけ。
これを以ていよいよ、オルガマリー達の聖杯戦争が始まるのである。

「貴方の知見も聞きたいの。一緒に見るわよ、ランサー」

「言われるまでもない」

 昨日の一日を、多方面への根回しで慌ただしく動いていたオルガマリーは、仕方のない事ではあるが疲労困憊の状態であった。
だから彼女は、医者の制止を振り切って自分の邸宅に戻るや、自分のベッドで爆睡。深い眠りに着いたのが、夜の十時の事だ。
それ故に、彼女はその瞬間に立ち会えなかった。この冬木の聖杯戦争のキーアイテムになる、星座のカード。それが、聖杯戦争の開催を告げた時に、だ。

 オルガマリーが起床したのは、朝の七時の事だった。
起床し、使用人から伝えられた警備会社及びマスコミからの連絡を聞いた彼女は、車椅子を押すカインと共に、執務室へと移動。
そうして、現在に至ると言う訳だ。今まで忙しくて見れなかったが、此処で初めて、星座のカードの情報を彼女らは確認しようとしていた。

 執務室の窓から溢れる、GWの朝の光は、オルガマリー達を包み込んでいた。
それが意図するものは、彼女らの未来は希望に溢れている事を指し示すメタファーか。
或いは、この朝の光が、この主従らの最初で最後の輝きである事を指し示す、不吉な啓示か。種明かしは、まだ早い。





【C-10(アニムスフィア邸)/1日目 朝7:30】

【オルガマリー・アニムスフィア@Fate/Grand Order】
[状態]移動困難状態、腹部にダメージ(小)、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[虚影の塵]無
[星座のカード]有
[装備]
[道具]車椅子
[所持金]大富豪
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝ち残り、聖杯の獲得
1.勝つ為なら金でも権力でも総動員
2.痛いのは嫌!!
[備考]
①セイバー(アスモデウス)、クロエ・フォン・アインツベルン&セイバー(アテルイ)の存在を認識しました
②昼のワイドショーで、クロエとセイバー(アテルイ)、セイバー(アスモデウス)達の戦いの模様を映した映像を公開する予定です。その映像には、オルガマリー達は映っていません
③冬木でのロールは、イギリスを発祥とする超大手外資系企業の子女です
④セイバー(アスモデウス)のマスターである藤丸立香の姿を認識していません
⑤現在車椅子で移動していますが、ブラフであり、実際には動けます。但し、動くとまだ痛いので、実質的な行動力は低いです


【ランサー(カイン)@旧約聖書】
[状態]肉体的損傷(ほぼ無に近い極小)、魔力消費(極小)
[装備]三叉の槍
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を勝利し、自身に死を齎す事
1.勝利する
[備考]
①わくわくざぶーんで負ったダメージは、ほぼないです

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最終更新:2018年02月12日 21:50