チェンジ・ザ・ワールド☆
雨の日に〜6章−1
最終更新:
streetpoint
-
view
6-1
第六章
「ヒュー……ヒュー……」
喉の途中に穴でも開いているのではないかというくらい、吸い込む空気が肺に満たされていない様な気がして、桂元秋杜は自分の喉元を左手で押さえた。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
夜空を見あげると、先程から走り続ける自分に涙しているような、異常に大きな月が浮かんでいた。
段々と男達の声が近付いて来て、秋杜は目を瞑った。
先程の見上げた月が瞼の裏にはっきりと映り、乱れた呼吸と共に上下した。
産まれてすぐに寺に預けられ、両親に捨てられたと悲しんだ時期もあった。が、優しい住職や寺の仲間のおかげで安らかに日々を送っていた。
それが、中学も3年生になり、後少しで卒業という冬のあの日。下校途中に見てはならないものを見てしまったーーー
村からすこし外れた夕暮れの山道を歩いていた時、何やら言い争う様な物音が聞こえて来た。
不審に思い、音のする方へ行きそっと草むらの間から覗いた先には、女が目を吊り上げながら若い男を殴りつけ、罵声を浴びせながら交わっていた。
!?
あまりに驚いて声を上げそうになったのを、慌てて自分の手で口を押さえたが、その拍子に後ろへ転んでしまい女に気付かれてしまった。
女は不気味な顔で笑い、半裸の状態のまま秋杜のいる草むらへ近付くと。そっと身をかがめて草を掻き分け震える秋杜を見つけた。
「ふふ……あんた、いい目をしてるね。いじめてやりたくなるーーー」
「あ……あ……うわああーーー!」
もう無我夢中で走っていた。
走って走って走ってーーー気が付いたら寺の麓まで走っていた。
冬だと言うのに汗で全身はぐっしょりで、とても気持ちが悪い事にその時になって漸く気付いた。
とても恐ろしい女だと思った……しかし、自分でも本当は気が付いていたのだ。
あの時、己が釘付けになったのは女の吊り上がった目でも交わっている姿でも無く、女に罵られ殴られ、恍惚の表情を浮かべうち震える男の方だったという事に。
あの日の事が何年も頭の中を支配し続けていて、秋杜はずっと苦しみ続けていた。
しかし18になる年。寺に米や野菜を届けに来てくれる農家の娘の、治音という初恋の少女に草むらで押し倒され、無理矢理体を求められた。
その時秋杜は激しく抵抗した。
しかし治音はそれを許さなかった。酷い罵声を浴びせられ、蹴られ叩かれ引っ掻かれている内に、体の芯から震える程の快感を覚えた。
ああ、自分が求めていたのはこれなのだと。
それがどれほど寺の戒律に背く事なのか、十分分っている事だったのに、治音に罵られたいが為、彼女との逢瀬を辞する事が出来ずにいた。
とうとうあの日、逢瀬を健隆に見つかってしまい、己を恥じた。
それからはまるで魂が抜けた様になってしまい、治音と会う事も出来なくなり、気が付くと寺を飛び出していた。
死のうと何度も思ったが、その度に死ぬ事すら出来ない自分の弱さに打ち拉がれながら、彷徨い出て行き着いた町でありついた仕事は、パチンコ店での住み込みの仕事だった。一所には長くおらず、どの町も2・3年で去る事に決めてあちこちを転々として生きて来た。
どこかで自分の恥ずかしい性癖を知られないようにする為だ。
そして6年前のあの日、再び運命の歯車が回り始めた。
町を歩いていた時だった。治音にまるで生き写しの様にそっくりな少女を見かけたのだ。それはもうその場からしばらく動けなくなる程のショックを受け、心臓が高鳴るのを覚えた。
少女は友人らしい女の子ととても楽しそうに笑いながら歩いていて、清楚な学生服を着ていた。
その制服は聖パトリキウス女学院という女子校の制服で、さらに調べるとその少女はその町から電車で30分程の町の建設会社の社長の娘、本村理恵という少女である事が分った。
どうやら聖パトリキウス女学院の生徒が売春をしているらしいとの噂を聞いた秋杜は、もしかしたら本村理恵に会えるかも知れないと思い込み、何とかして確かな情報を得る為に奔走した。蛇の道は蛇とは良く言ったもので、秋杜が働いていたパチンコ店の常連のツテを辿り、さっそくその売春の仲介をしているという男に会える事になった。
その男はチンピラ風の柄の悪い男で、秋杜を見るなり少女の写真が奇麗にファイルされたハガキサイズのアルバムを見せ、右手を広げた。
5万円という事らしかった。秋杜はそのアルバムを食い入る様に見たが、その中には治音に似たあの少女はいなかった。
本村理恵という少女はいないのか?
と尋ねると、男は驚いた顔をして、しばらく待つ様に言うと携帯電話を取り出しどこかへ消えた。
しばらくして戻って来ると、男は秋杜に付いて来る様に言った。
秋杜は言われるまま男に付いて行くと、車に乗せられ福岡市内のラウンジへと連れて行かれた。
中には秋杜が本村理恵の後をこっそり尾行する時、いつも一緒に行動している少女がソファーに座っていた。
少女は本村理恵の親友だと言い、自分に協力してくれるなら、必ず本村理恵と会わせると言って来た。秋杜は彼女に会えるのならと即座に首を縦に振った。
それがどれほど恐ろしい結果を招く事になるとも知らず……
高校を卒業するまで待っていれば、必ず本村に会わせると約束をしてくれた。なのに本村は秋杜を置いてアメリカへ行ってしまった。
毎日泣いて、哀しみに暮れていた秋杜を、暴力という甘美な言動で支配した少女。
いつしか、自分にとって最高の刺激を与えてくれる彼女の為なら、何でもしたいと思う様になっていた。
そして……本村理恵は戻って来た。今度は、秋杜の主に仇なす敵となって。
初めて目の前で見る事の叶った彼女は、秋杜のアパートで息絶えた。
主が泣きながら、彼女にナイフを何度も何度も突き立てていた。それを風呂場の入り口の影からただじっと見ている事しか、秋杜には出来なかった。
あんなに治音を愛しいと思っていたのに。
ぐにゃりと頭の中が音を立てて曲がった。そうか、これは夢なんだ。私はあの日、寺を飛び出して死んだのに、ずうっと夢を見続けていたんだ。
「ははは……あははは……知らなかったなあ、気付かなかったなあ……」
大好きだった治音と名前が似ているではないか。
そうか彼女の顔と、名前も好きだったんだ。
「津田! お前はあっちから回り込め! 絶対に逃がすなよ!」
「はいっ!」
津田政昭26歳独身、彼女いない暦5年は、全速力で夜の住宅街を駆け抜けていた。
病院を後にし、桂元秋杜が住んでいると思われるアパートへと数名の刑事とやって来て、寸での所で逃げた秋杜を追う他の仲間と合流したのだった。
生まれてからこのかた健康だけが取り柄の自分に何が出来るだろうと考え、そのうち見つかると思い続けて気付けば大学まで進学していた。
目標も希望も無く、何となく警察の捜査一課なんてカッコ良いんじゃないか? という単純な動機で警察官になり、見事捜査一課に配属になったものの、そこは田舎の警察署。凶悪犯罪とは無縁の、暴走族と暴力団が蔓延するなんとも情けない、想像とはかけ離れた所だった。
たまに暴力団同士の小競り合いで発砲事件はあるものの、小説のような難事件などやはりあるはずも無い。そんな時、豪快で馬鹿力の先輩と楽しくコンビを組んで半年後、市内で連続女性刺殺事件が起こった。
最初はこんな事件を待っていたんだと鼻息荒く喜んだが、いざ事件の解決となるとそうは問屋が卸さなかった。
やる事と言えば聞き込みぐらいで、何度被害者の家族に犯人をなかなか逮捕出来ない警察の腑甲斐無さを罵られたか分からない。
だが、今は違う。目と鼻の先に犯人が逃げているのだ。
「俺は、この為に刑事になったんだ」
きっと今が一番、己が輝いているに違いない。と自分に言い聞かせ、津田は広い公園の中へと勢い良く飛び込んだ。
ふと見上げると、空には不気味な程大きな月がはっきりと浮かび上がっていた。
続く…
次へ ↓