Session10 "POETRY"
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Introduction
どれだけポリネシアの国をいえますか?多分、ポリネシアといったら、サモアとかトンガとか、フィジーとかいう名前がおもいつくと思う。でも、世界地図で場所を示せる?
ポリネシアは、だいたい太平洋の三角形のエリアです。ハワイ諸島が一番上。それでニュージーランドが西の下でイースター諸島が東の下。ポリネシアは多分地球上で一番最近になって人が住み始めた場所。メラネシアからの人たちがだいたい3000年か4000年前になってようやく渡ってきた。その人たちがもともとは、だいたいその50000年前にアジアからメラネシアに移ったことを考えれば、ポリネシアに渡るまですごい時間がかかったということが分かる。多分、航海の技術が発達したからポリネシアに渡ることができた。メラネシアに移るときは、海面が今よりもずっと低くて、メラネシアで島から島へ移動するのは別にたいしたことではなかった。でもポリネシアは、すごく遠くて裸眼では見えなかった。
学者たちは、航海というのはたいてい、行ったり来たりするものだと考えている。海の民が新しい島を見つけると、その島と自分たちの住む島を行ったり来たりして、その新しい島を拠点にする。海の民はいつも広い海の方を見ていた。海の民は海のおかげで1000ものほかの島に行くことができた。そのおかげで、ポリネシアの島は独自の文化を持つだけでなく、たくさんのほかの島と共通するものを持っている。
ヨーロッパの人にとって一番なじみのある世界地図というのは、真ん中に経度0度の線があって、ロンドンのグリニッジをとおっていて、だから、ポリネシアがあるオセアニアは地図の一番右と左に真っ二つになっている。昔のヨーロッパに地図には、すごく遠いところのように見えるオセアニアのところにモンスターや大きな滝が書いてあって、未開だということをあらわしていた。世界は平らではなくて丸いということが分かった後でも、この地域はヨーロッパの人にとって、地球の反対の場所であり、だから、地理学的につじつまを合わせるために必要だった日付変更線をおけた。
ヨーロッパの人が最初は海路や資源を探すために、後には、最近独立したアメリカのかわりに、定住したり搾取したりするところを探しにこの地域に来た。ヨーロッパの開拓者たちにとって、ポリネシアは、まだ使わずに残っている資源、あるいは、人跡未踏の憧れの楽園、あほな野蛮人の住むところ、それか、そのみっつ全部だった。でも一つ分かっていることがあった。それは、自分たちのような文明化された国からの使者がその地に訪れれば、それは、自分たちにとって利益になるということ。そしてかの地にいる、自分たちを待っている人たちにとっても。
しかし、ポリネシアの人にとって、地球の反対側からわざわざ人が来るなんてことは、全然望んでいたことではなかった。それに、ポリネシアにヨーロッパの人が増えるにつれて、英語を話す人が入植した地域の社会は、白人や英語が優勢になった。土着の人たちの生活様式はこれまでに例を見ないほどかわり、時には入植者の文化や言語を使うよう強制された。その結果、英語が母国語だという世代も出てきた。だから、現代のポリネシア人の自らの像というのは複雑なもので、特に英語でそれを説明するときは余計に複雑である。
英語で書かれたポリネシアの詩というのは、その地域の土着の言語で書かれたものとは明らかに一線を画する。昔のポリネシア文学は、文字で書かれることはなく、口承されていた。それは、儀式において詠唱されていたり、思ったことをいうというものだったり、あるいは、部族の神話、歴史、家系のような大事な知識を残すための歴史の記録としての役割もした。英語の詩の中には昔からの生活様式や文化といったものを取り入れようとしたものもあるし、近代的な都会での生活を謡ったものもある。まあ、どちらも今のポリネシアの生活には必須のものだ。
ロバートサリバンの詩、ホンダワカは、この二つの水準を縒る。サリバンは若いマオリの詩人。ポリネシアの詩の寄せ集めの編者の一人であり、その序章が今回の10章のメインテキストとなっている。ワカというのは、おおきなカウリマツをくりぬいて作った船で、50人くらい人が乗れる。マオリには、マオリの先祖は伝説の母国、ハワイキから、7つのワカに乗りニュージーランドへ渡ったという言い伝えがある。そして、今のマオリの人はみな、その先祖の誰か一人にまで系譜を辿れるという。だからワカは、マオリ個人の源流や家族の歴史に関係するだけではなく、海の民としてのマオリのアイデンティティーをもあらわしている。
日本の車とワカを併存させるのは一見不釣合い。日本車は現代のニュージーランドの景色になじんでしまっているが、それはニュージーランド固有の文化とは無関係。それに、サリバンは、自身のホンダの車をワカと呼ぶ。その古い車は、サリバンの、人生において重要だったいろんな体験を全部みていた。父の死、息子の誕生、図書館員としての経歴、そしてなによりも、詩の創造。ホンダワカの詩はすぐにマオリの伝統、そして、詩人の伝統の中に組み入れられた。
ヨーロッパの人がポリネシアに住み始めてから200年以上が経ち、ポリネシアの地の固有のものと外部からのものとが複雑に絡み合ったものを紐解くことは難しい。それに、ポリネシアのひと自身もヨーロッパによって押し付けられた固定観念を利用することもしばしば。個人によって発せられた声によってのみ、隠された真実に達することができるのではないか。
ポリネシアは、だいたい太平洋の三角形のエリアです。ハワイ諸島が一番上。それでニュージーランドが西の下でイースター諸島が東の下。ポリネシアは多分地球上で一番最近になって人が住み始めた場所。メラネシアからの人たちがだいたい3000年か4000年前になってようやく渡ってきた。その人たちがもともとは、だいたいその50000年前にアジアからメラネシアに移ったことを考えれば、ポリネシアに渡るまですごい時間がかかったということが分かる。多分、航海の技術が発達したからポリネシアに渡ることができた。メラネシアに移るときは、海面が今よりもずっと低くて、メラネシアで島から島へ移動するのは別にたいしたことではなかった。でもポリネシアは、すごく遠くて裸眼では見えなかった。
学者たちは、航海というのはたいてい、行ったり来たりするものだと考えている。海の民が新しい島を見つけると、その島と自分たちの住む島を行ったり来たりして、その新しい島を拠点にする。海の民はいつも広い海の方を見ていた。海の民は海のおかげで1000ものほかの島に行くことができた。そのおかげで、ポリネシアの島は独自の文化を持つだけでなく、たくさんのほかの島と共通するものを持っている。
ヨーロッパの人にとって一番なじみのある世界地図というのは、真ん中に経度0度の線があって、ロンドンのグリニッジをとおっていて、だから、ポリネシアがあるオセアニアは地図の一番右と左に真っ二つになっている。昔のヨーロッパに地図には、すごく遠いところのように見えるオセアニアのところにモンスターや大きな滝が書いてあって、未開だということをあらわしていた。世界は平らではなくて丸いということが分かった後でも、この地域はヨーロッパの人にとって、地球の反対の場所であり、だから、地理学的につじつまを合わせるために必要だった日付変更線をおけた。
ヨーロッパの人が最初は海路や資源を探すために、後には、最近独立したアメリカのかわりに、定住したり搾取したりするところを探しにこの地域に来た。ヨーロッパの開拓者たちにとって、ポリネシアは、まだ使わずに残っている資源、あるいは、人跡未踏の憧れの楽園、あほな野蛮人の住むところ、それか、そのみっつ全部だった。でも一つ分かっていることがあった。それは、自分たちのような文明化された国からの使者がその地に訪れれば、それは、自分たちにとって利益になるということ。そしてかの地にいる、自分たちを待っている人たちにとっても。
しかし、ポリネシアの人にとって、地球の反対側からわざわざ人が来るなんてことは、全然望んでいたことではなかった。それに、ポリネシアにヨーロッパの人が増えるにつれて、英語を話す人が入植した地域の社会は、白人や英語が優勢になった。土着の人たちの生活様式はこれまでに例を見ないほどかわり、時には入植者の文化や言語を使うよう強制された。その結果、英語が母国語だという世代も出てきた。だから、現代のポリネシア人の自らの像というのは複雑なもので、特に英語でそれを説明するときは余計に複雑である。
英語で書かれたポリネシアの詩というのは、その地域の土着の言語で書かれたものとは明らかに一線を画する。昔のポリネシア文学は、文字で書かれることはなく、口承されていた。それは、儀式において詠唱されていたり、思ったことをいうというものだったり、あるいは、部族の神話、歴史、家系のような大事な知識を残すための歴史の記録としての役割もした。英語の詩の中には昔からの生活様式や文化といったものを取り入れようとしたものもあるし、近代的な都会での生活を謡ったものもある。まあ、どちらも今のポリネシアの生活には必須のものだ。
ロバートサリバンの詩、ホンダワカは、この二つの水準を縒る。サリバンは若いマオリの詩人。ポリネシアの詩の寄せ集めの編者の一人であり、その序章が今回の10章のメインテキストとなっている。ワカというのは、おおきなカウリマツをくりぬいて作った船で、50人くらい人が乗れる。マオリには、マオリの先祖は伝説の母国、ハワイキから、7つのワカに乗りニュージーランドへ渡ったという言い伝えがある。そして、今のマオリの人はみな、その先祖の誰か一人にまで系譜を辿れるという。だからワカは、マオリ個人の源流や家族の歴史に関係するだけではなく、海の民としてのマオリのアイデンティティーをもあらわしている。
日本の車とワカを併存させるのは一見不釣合い。日本車は現代のニュージーランドの景色になじんでしまっているが、それはニュージーランド固有の文化とは無関係。それに、サリバンは、自身のホンダの車をワカと呼ぶ。その古い車は、サリバンの、人生において重要だったいろんな体験を全部みていた。父の死、息子の誕生、図書館員としての経歴、そしてなによりも、詩の創造。ホンダワカの詩はすぐにマオリの伝統、そして、詩人の伝統の中に組み入れられた。
ヨーロッパの人がポリネシアに住み始めてから200年以上が経ち、ポリネシアの地の固有のものと外部からのものとが複雑に絡み合ったものを紐解くことは難しい。それに、ポリネシアのひと自身もヨーロッパによって押し付けられた固定観念を利用することもしばしば。個人によって発せられた声によってのみ、隠された真実に達することができるのではないか。
ホンダワカ
きょう30ドルと引きかえに、
ペンローズの解体業者に
ホンダ・シティを引き渡した。
それは7年前6000ドルで買ったもの。
窓の下にさびがついて、
サイドウィンドーの周りにも。
車検のときに、こう書かれた。
「この車にはたくさんの錆があります。」
その車に乗って、ブラフへパットおじさんの葬儀に行った。
途中モエラキで少しとまって、
空を見た。夢のような空。
ある日友達がその車に乗って私たちについてきた。
テムエラが生まれるから、国立産婦人科病院まで。
(私たちは彼女のおおきなシトロエンに乗っていた。)
ホンダに乗って、家族に会いに、
オタキにも行った。ウェリントンにも。
ホンダに乗って図書館学校にも行った。
ヴィクトリア大学のとなりだった。
夜、家族の再会のパーティが終わってから、
ホンダに乗って、おじいちゃんを乗せて、小川を渡った。
テムエラが初めて乗ったのはホンダ。
ホンダはとても重要なものだった。
私の詩において。
そして、私はもうホンダを捨てた。
星の海
ポリネシア。それはまさに多様なイメージをもつところ。たくさんのイメージを呼び覚ます。あったかい南国の海、やしの生えた浜辺、草でできた小屋、半裸の浅黒い少女、キャプテンクックやウィリアムブライ、そしてケビンコスナーやエルビスプレスリー。ポリネシアとして知られる地域は実際すごく美しいところが、同時に、何世紀もの間並大抵でない困難になんとか打ち勝ってきた多くの人たちの故郷でもある。外部の人が太平洋にロマンチックな考えやイメージを持つから、彼らが来てからずっと私たちは苦しめられてきた。だからポリネシアの物書きや芸術家、学者や政治家にとって、ずっと、休暇や休養のイメージを打ち壊すことが課題だった。
ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアというのは、太平洋の文化地域である。メラネシアやミクロネシアの人が太平洋に住み始めたのはだいたい50000年前。私たちポリネシアの祖先は、3000年とか4000年前になってすみ始めた。そして彼らは、海をテモアナヌイアキワと呼んだ。三つの地域の名前や境界は、200年前になって決められたもの。私たちも決定に加わったが、ほとんどは外の人が決めた。でも違いはあまりなく、外の人にとって、例えばトンガの人とサモアの人、ニウエの人とマオリの人を区別するのは多分難しかった。でも私たちは、文化間の違いを尊重し、そういったものに喜んで注意を引く。
ポリネシア人が始めてこの地域に来た時、多分、太平洋の境界線についてあまり知らなかったと思う。彼らはその知識を、広い海に広がった島々を探検したり、そこに移り住んだりする過程で習得した。昔のポリネシア人にとって、空も海も、境界がなく無限に広がったものだったに違いない。というのも、人がどのように生活して互いに関係しあうかは、この二つをどれだけよく理解しコントロールできるかにかかっているのだから。この途方もなく広い空と海は、ポリネシアの人の知る世界であったし、これからもそうであろう。私たちの世界観は独特で、世界は高く広く深く、大陸やおおきな島から来る人たちとは違って、世界にはほとんど制限がないように思う。ポリネシアの人は、細部にまで気を配って自らの血統を記録し、地球と、空と、神と、そしてお互いとの絆をつくり、強める。ポリネシア人はまた、死んだら星になって広い太平洋に住む人々を導く。人々は世界の読み方、対処の仕方を学び、つまり海流、風、星の読み方を学び、その知識をもちいて生を営む。だから、海、空、星のイメージを組み入れて、このアンソロジーを星の海と名づけた。このタイトルは同時に、アンソロジーにはたくさんの詩人や詩があり、その起源は太平洋や、たくさんの文化にあるということをも意味する。
ポリネシアは、ハワイ(北東)から横にいってラパヌイ(イースター諸島)、そして下はアオテアロアやニュージーランドが南西にある。その三角形の中には、トンガ、サモア、クック諸島、ニウエ、トケラウ、ソシエテ諸島がある。また、メラネシアにはロツマのような、ポリネシアの飛び地がある。こうした国々は、火山諸島から環礁まで、雪を抱く山から青い砂浜まで、とても多様である。このアンソロジーは英語を話す国の詩に限定した。それは、歴史の事件のせいでフランス語のポリネシアの作品が締め出されたからだ。
ここ200年間、まずヨーロッパ、次にアメリカやアジアの植民地化の影響で、私たちの文化は急に変わった。宗教、食事、輸送手段、家、意思疎通、生活のあらゆる面が植民地化の影響を受けた。同様に、私たちの多くが、いまやヨーロッパやアジアなど、他の血をひく。太平洋の民は、メラネシアやミクロネシアも含め、いつもほかの島の人と結婚してきたのだ。
1950年代、脱植民地化運動がおこり、たくさんの国は独立をとりもどしたが、アオテアロアやハワイ、ソシエテ諸島などは植民地のまま残った。こうした国に住むポリネシア人は、政治的独立をしようとする少数派であり、自らの文化を守り、発展させようとこころに決めている。文学や芸術は、脱植民地化プロセスの一環であり、植民地の影響を受けてできた新しい文化を、自由で独立した国だとするのに役立つ。
ポリネシアは、外部の人の著作によって生み出され、その著作は、私たちの地域に関してたくさんの神話を生み出した。1950年くらいから、ポリネシア人も本を書き始め、自身の世界観をしめし、私たち自身と場所を中心にすえた。こうした変化はすべて、私たちが選んだ詩のなかに顕著であり、世界観の相互にかかわるようすを示す。ポリネシア人の活気にあふれいくつもの言語を話す多様性には共通点があり、それは、海、語彙、社会的文化、価値観、植民地の歴史である。こうしたものが力となって私たちの詩を一つに纏めあげる。
私たちの地域にはたくさんの西洋の神話があり、それは、ミードによる性的魅力から、うその旅行者取引や、キャプテンクック伝説まで。このアンソロジーによって、西洋の目が、現在過去の神話から、ここにふくまれた、詩人たちによって表現された真実に移ることを望む。
詩が好きなポリネシア人として、ここ20年で私たちの地域に生まれ出た詩を見たい。そしてその詩を通して、私たち、私たちの文化に何が起こったか、何が起きているかを見たい。詩というのは私たちにとって一番ふるい芸術の形式であり、いまだに敬意を持たれ、愛されている。この古い詩の伝統がどのように新しい詩にあらわれているの。このことを検証できる詩の収集をしたかった。
しかし、なぜ英語で書かれた詩だけに注目するのか。40超の固有の言語、それに英語フランス語ポルトガル語スペイン語日本語などなどこのポリネシアにはある。単に、この全部の言語をアンソロジー化することができなかった。英語は200年以上この地域にあるし、現在も一番ありふれた意思疎通手段である。英語は太平洋の言語になった。実際ポリネシアにはいろいろな英語があり、それぞれのポリネシアの国で英語を土着化しかってにつかっている。だから、マオリ英語もあるし、サモア英語、ハワイ英語などがある。ピジン語もたくさんでてきて、ハワイのクレオール英語などがある。植民地化した人の言語はポリネシアの語彙や概念が導入され、よりゆたかに復活してきたし、そうし続けている。
このアンソロジーのなかみは、そうした英語やピジン語の多様性を表している。詩人の大半は二ヶ国語を話すが、詩を書くのはおもに英語。のこりのひとは土着語を話せず、だから英語だけで書く。この星の海では、国別でなくて名前のアルファベット順で人を並べた。私たちの目的は、太平洋の詩を並列に並べることで共通なところもあるが変わったところもある文化の見方をつくりだし、年齢、言語、場所、政治形態、性などのようなたくさんの色をみせるプリズムをとおしてポリネシアの詩をながめること。20年後にもポリネシアの詩は予想できない方向へ発展しつづけているとおもう。私たちの歴史が発展してきたように。このアンソロジーが今日のポリネシアの詩を正しく映していること、将来の基準点となること、あらゆる教育段階の人にとって有益な教育材料になることを切に願う。
ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアというのは、太平洋の文化地域である。メラネシアやミクロネシアの人が太平洋に住み始めたのはだいたい50000年前。私たちポリネシアの祖先は、3000年とか4000年前になってすみ始めた。そして彼らは、海をテモアナヌイアキワと呼んだ。三つの地域の名前や境界は、200年前になって決められたもの。私たちも決定に加わったが、ほとんどは外の人が決めた。でも違いはあまりなく、外の人にとって、例えばトンガの人とサモアの人、ニウエの人とマオリの人を区別するのは多分難しかった。でも私たちは、文化間の違いを尊重し、そういったものに喜んで注意を引く。
ポリネシア人が始めてこの地域に来た時、多分、太平洋の境界線についてあまり知らなかったと思う。彼らはその知識を、広い海に広がった島々を探検したり、そこに移り住んだりする過程で習得した。昔のポリネシア人にとって、空も海も、境界がなく無限に広がったものだったに違いない。というのも、人がどのように生活して互いに関係しあうかは、この二つをどれだけよく理解しコントロールできるかにかかっているのだから。この途方もなく広い空と海は、ポリネシアの人の知る世界であったし、これからもそうであろう。私たちの世界観は独特で、世界は高く広く深く、大陸やおおきな島から来る人たちとは違って、世界にはほとんど制限がないように思う。ポリネシアの人は、細部にまで気を配って自らの血統を記録し、地球と、空と、神と、そしてお互いとの絆をつくり、強める。ポリネシア人はまた、死んだら星になって広い太平洋に住む人々を導く。人々は世界の読み方、対処の仕方を学び、つまり海流、風、星の読み方を学び、その知識をもちいて生を営む。だから、海、空、星のイメージを組み入れて、このアンソロジーを星の海と名づけた。このタイトルは同時に、アンソロジーにはたくさんの詩人や詩があり、その起源は太平洋や、たくさんの文化にあるということをも意味する。
ポリネシアは、ハワイ(北東)から横にいってラパヌイ(イースター諸島)、そして下はアオテアロアやニュージーランドが南西にある。その三角形の中には、トンガ、サモア、クック諸島、ニウエ、トケラウ、ソシエテ諸島がある。また、メラネシアにはロツマのような、ポリネシアの飛び地がある。こうした国々は、火山諸島から環礁まで、雪を抱く山から青い砂浜まで、とても多様である。このアンソロジーは英語を話す国の詩に限定した。それは、歴史の事件のせいでフランス語のポリネシアの作品が締め出されたからだ。
ここ200年間、まずヨーロッパ、次にアメリカやアジアの植民地化の影響で、私たちの文化は急に変わった。宗教、食事、輸送手段、家、意思疎通、生活のあらゆる面が植民地化の影響を受けた。同様に、私たちの多くが、いまやヨーロッパやアジアなど、他の血をひく。太平洋の民は、メラネシアやミクロネシアも含め、いつもほかの島の人と結婚してきたのだ。
1950年代、脱植民地化運動がおこり、たくさんの国は独立をとりもどしたが、アオテアロアやハワイ、ソシエテ諸島などは植民地のまま残った。こうした国に住むポリネシア人は、政治的独立をしようとする少数派であり、自らの文化を守り、発展させようとこころに決めている。文学や芸術は、脱植民地化プロセスの一環であり、植民地の影響を受けてできた新しい文化を、自由で独立した国だとするのに役立つ。
ポリネシアは、外部の人の著作によって生み出され、その著作は、私たちの地域に関してたくさんの神話を生み出した。1950年くらいから、ポリネシア人も本を書き始め、自身の世界観をしめし、私たち自身と場所を中心にすえた。こうした変化はすべて、私たちが選んだ詩のなかに顕著であり、世界観の相互にかかわるようすを示す。ポリネシア人の活気にあふれいくつもの言語を話す多様性には共通点があり、それは、海、語彙、社会的文化、価値観、植民地の歴史である。こうしたものが力となって私たちの詩を一つに纏めあげる。
私たちの地域にはたくさんの西洋の神話があり、それは、ミードによる性的魅力から、うその旅行者取引や、キャプテンクック伝説まで。このアンソロジーによって、西洋の目が、現在過去の神話から、ここにふくまれた、詩人たちによって表現された真実に移ることを望む。
詩が好きなポリネシア人として、ここ20年で私たちの地域に生まれ出た詩を見たい。そしてその詩を通して、私たち、私たちの文化に何が起こったか、何が起きているかを見たい。詩というのは私たちにとって一番ふるい芸術の形式であり、いまだに敬意を持たれ、愛されている。この古い詩の伝統がどのように新しい詩にあらわれているの。このことを検証できる詩の収集をしたかった。
しかし、なぜ英語で書かれた詩だけに注目するのか。40超の固有の言語、それに英語フランス語ポルトガル語スペイン語日本語などなどこのポリネシアにはある。単に、この全部の言語をアンソロジー化することができなかった。英語は200年以上この地域にあるし、現在も一番ありふれた意思疎通手段である。英語は太平洋の言語になった。実際ポリネシアにはいろいろな英語があり、それぞれのポリネシアの国で英語を土着化しかってにつかっている。だから、マオリ英語もあるし、サモア英語、ハワイ英語などがある。ピジン語もたくさんでてきて、ハワイのクレオール英語などがある。植民地化した人の言語はポリネシアの語彙や概念が導入され、よりゆたかに復活してきたし、そうし続けている。
このアンソロジーのなかみは、そうした英語やピジン語の多様性を表している。詩人の大半は二ヶ国語を話すが、詩を書くのはおもに英語。のこりのひとは土着語を話せず、だから英語だけで書く。この星の海では、国別でなくて名前のアルファベット順で人を並べた。私たちの目的は、太平洋の詩を並列に並べることで共通なところもあるが変わったところもある文化の見方をつくりだし、年齢、言語、場所、政治形態、性などのようなたくさんの色をみせるプリズムをとおしてポリネシアの詩をながめること。20年後にもポリネシアの詩は予想できない方向へ発展しつづけているとおもう。私たちの歴史が発展してきたように。このアンソロジーが今日のポリネシアの詩を正しく映していること、将来の基準点となること、あらゆる教育段階の人にとって有益な教育材料になることを切に願う。
帰郷
彼はまだ子供だった。
あなたの一番上の子。
奴隷として
盗まれた。
運ばれた。
オーストラリア。
あなたは泣いた。
親に小言を言われすまなく思って。
ひとをやった。
彼をさがしに。
でもどこを探せばいいの?
赤い大きな国の。
150年たって、彼は帰ってきた。
青い目をして金の髪の毛。
彼はがけに座った。
そこはあなたがよく座っていたところ。
彼が戻るのをずっと待って。
貿易風は、
あなたの歓迎の抱擁。
シギは歌う。
歓迎の歌を。
そして彼らは飛び去った。
ポンゾンビーをこえて
きのう夜明けのほんの少し前、庭がすごく寒かったけど、黒い星がポンゾンビーの上空に、うちの家の真上に止まったんだ。第三種接近遭遇みたいな感じだった。だから窓を開けたんだ。サムは言った。それで、宇宙旅行、終わりのない海、それと神の、明るくて深い、改心させられるような匂いを吸い込んだ。でも神とか信じないんじゃなかった?私は言った。いまはもう信じるよ。彼は笑った。