【マブラヴ・オルタネイティヴ~暁の空へ~ 番外編 我が名は応馬】
いつも背中を見ていた。
俺はいつも後ろを歩いている。
格闘技術も射撃技術もなにもない。筆記試験にはそこそこ自信があるが、あんなもの所詮は机上の空論。才能の有る奴らには及ばない。なんでここに呼ばれたのか不思議なくらいだ。
置いていかれるのを感じながら、皆の背中を眺めていた。
俺には届かないその背中を。
まっいいんだけどな!他の連中は人類を救うだのなんだのって大層な理想があるみたいだが、俺は違う!俺の入隊理由はただ一つ。軍人になれば、たくさんの女の子に手が出せる!
やっぱりこれだな。俺が頑張ればそれだけ人類の数も増えるってもんだぜ!
国連極東方面軍百里基地、PX
その床に久我 応馬は、顔を合成豚角煮にまみれさせながら、ボロ雑巾のように転がっていた。
(グッ…あ…頭が…。攻め方を間違えたのか…?)
PXで食事中の雫に積極的にアプローチをかけた久我だったが、見事に後頭部を打ち抜かれ床へと伏した。
床に転がりピクリとも動かない久我の前に悠希が立つ。
「お前…少しは空気を読むことを覚えろよ。同じ分隊のメンバーの機微にも気づけないようじゃ、戦場では死ぬだけだぞ。俺はお前みたいな奴と一緒に心中するのは御免だからな」
辛辣な言葉を残して悠希は雫の後を追う。その言葉は悠希と雫の理想を考えれば当然だったのかもしれない。
(ちっ…偉そうに…!……そんなこと…わかってるんだよ…。馬鹿野郎……!)
久我は一人拳を握り締める。気づけば久我以外の面々はもう訓練に向かっていた。
久我は仰向けになってPXの天井を見つめる。その顔は彼を知る者が見れば、一瞬誰かもわからないほどいつもの表情とはかけ離れていた。
(一人…か。なにやってるんだろうなぁ…俺)
久我の訓練中の様子は“なんとかついていっている”という表現が一番しっくりくるものだった。何故この基地に呼ばれたのか、それは誰よりも久我が一番疑問に思っていた。
「ちっ!!当たんねぇ」
久我が放った500の距離を狙った弾丸は、的を逸れ地面へと穴を穿った。
「久我ぁ!貴様、この程度の距離にまだ命中させることもできないのか!女の尻を追いかけるしか能がないクズだな貴様は。そんなに女の尻が好きなら娼夫にでもなるんだな」
久我の訓練を見ていた梶原から怒号がとぶ。
「申し訳ありません教官。ですが、自分はもうここのお嬢さん方を愛してしまっているのでここを離れるわけにはいきません。では、自分は訓練に戻ります!」
おい、貴様!―――と梶原の怒声を背に受けながら久我は逃げるように走り出す。
最近では教官のあしらい方を覚えてきていた。だが、久我は頭のどこかで“それは違う”と理解していた。
(教官たちは俺にあしらわれているんじゃない…)
仮にもこの特殊な訓練部隊を預かる教官たちだ。一訓練兵に簡単にあしらわれるはずも無い。わかっていた。
(誰も…誰も俺になんか期待してないってことか…)
梶原は舌打ちをしながら、氷室に近づく。心なしか地面を踏みしめる音も大きくなる。
「いいんですか、氷室教官?あんなやつをここに置いておいて。“腐った林檎は取り除け”というのが私の考えなんですがね。成績も悪い、空気も読めない。他の訓練兵に悪い影響を与える前に、さっさと除隊させたほうがいいと思いますがね」
「そうですね…。でも…あいつにしかできないこともきっとある。私はそれがこの部隊には必要で、今足りていないものだと思うんですよ。この部隊は我の強い奴らの集まりですが、たとえそんな中でも“腐った林檎”は周りに影響を与えるんですよ。良い意味でも悪い意味でも、ね。それこそがあいつがこの部隊に居る、この部隊に呼ばれた理由だと私は思いますよ」
怪訝な表情を浮かべる梶原の横で、氷室は静かに笑みを浮かべていた。
その日のPX。
久我がPXに入ったときA分隊の女性陣が固まって食事を取っていた。
「やあやあ、お嬢さん方。よかったら一緒に食べませんか?その後はボクがお嬢さん方を食べ――――グハァッッ!!」
久我は言い終わることなく、雫の回し蹴りと勝名の拳によって床に伏した。その後女性陣は何事も無かったかのように食事を再開している。
しかたなく女性陣の隣で一人寂しく食事を取る久我の前に悠希が腰を下ろした。
「おお、どうしたんだ?珍しいな。今日は雫姫と一緒に食わないのか?」
「ああ。ちょっと今日の訓練を見てて気になったことがあってな。お前に話があるんだ」
悠希の目はいつになく真剣だった。久我はいつものふざけた調子で場の空気を濁してもよかったが、相手は男なので大人しく聞き流すことにした。
(悪いが男には興味ないんでね)
そんな久我の様子を気にせず、悠希は言葉を続ける。
「今日の訓練で梶原教官に怒鳴られてたみたいだが、どうしたんだ?」
「ああ~あれか。ちょっと射撃訓練でミスしちまってな。いつも悪いな、俺が才能無いばっかりに、同じ分隊のお前らに迷惑かけちまって。主に女性陣にだがなっ」
久我はもう話は終わりだと言わんばかりに笑い声を上げる。大抵の人間はここで呆れて話が終わってしまうのだが、悠希は違った。
「なに言ってるんだ?そんなこと、別に気にしなくてもいいんだよ」
「え…!?」
「お前が能力で劣っているなら俺たちがそれをカバーすればいい。同じ分隊なんだ、当然だろ?」
それは、久我にとっては予想外の言葉だった。今までこんなことを言ってくれた人間は、彼の周りにはいなかった。足手まといになる久我を真っ直ぐ見てくれる人間など、今までいなかった。
「そ、そりゃどうも…。でもお前言ってたじゃないか。俺なんかと心中するのは御免だって。俺なんか気にしてるとホントにそうなっちまうぜ?」
「え…?そういえば……そんなことも言ったな…」
「忘れてたのかよ!」
久我のツッコミを無視して悠希は続ける。
「それについては悪かったな。ここ最近お前の訓練してるところを見てたんだが、お前、訓練は真面目に受けてるんだな。いつものふざけた調子で訓練してるもんだと思ってたからな。真面目に訓練してる仲間を簡単に切り捨てられるほど、俺は冷酷じゃねぇよ」
「お前…俺の訓練姿を見てたって…………気持ちわるっ!!まさかお前そっちの気が―――アガァッ!!」
隣のテーブルから飛んできたトレーが綺麗な弧を描きながら久我の頭にヒットした。慌てて隣を見ると、雫が見事な投擲体勢のまま久我を睨みつけていた。
「はい。すいません。続けてください……」
「あ…ああ。で、俺が言いたかったのは…。久我、お前はなんのためにここにいるんだ?呼ばれてここに来たとはいえ、みんなそれぞれの目指すものや目的があるはずだろ?お前はどうなのかな、と思ってな」
「なんのためって…そりゃ―――」
『自分のため』だった。“たくさんの女の子に手を出せるから”それが入隊した理由。それは今でも変わらないし、これからも変わらない。
でも、それだけか?
いつも自分のせいで迷惑をかけている分隊メンバーの顔が浮かんでは消えていく。
本当にそれだけか?
答えは……わからなかった。
「別に無理に言わなくてもいいんだ。すまなかったな、飯時にこんな話して。それじゃあな」
そう言い残し悠希は席を立った。それに続いて隣の席で聞き耳を立てていたらしい女性陣もいっせいに立ち上がり、それぞれPXを後にしていく。
残された久我は、立ち去る仲間達の背中を見つめていた。
(…………………………。雫ちゃん…いいケツしてるなぁ…)
久我と悠希の話から数日がたった。
久我に目立った変化などは無く、相変わらず雫に蹴られ、訓練では無残な成績を残していた。
この日グラウンドでは模擬刀を用いての、近接格闘の訓練が行われていた。
久我は今までの累計で、ほとんどのメンバーに負けるという脅威の成績を残している。
そんな久我の今日の相手は
中岡 裕次郎。A,B分隊の中でも屈指の実力者だ。
(勝てねえかなぁ。こいつ強いからなぁ。嫌な奴だけど…)
中岡が久我を一瞥し、小さく溜息をつく。
「お前か…。いつも女ばかりを追いかける…俺はお前みたいな軽薄な奴は嫌いなんだ…。貴様には男としてのプライドがないのか?」
中岡が模擬刀をゆっくりと正眼に構える。一方久我は下段に構え前傾姿勢を取る。
教官の始めの号令。
「あいにく、そんな無駄なもん……持ち合わせてねぇんだよぉぉぉ!!!!」
開始と同時に久我は中岡に向かって走る。二人の実力差は歴然。ならば短期決戦に持ち込む以外に久我が勝つ道は残されていない。
「おらぁ!」
久我の全力を込めた一撃は、しかし簡単に中岡に捌かれる。久我は間髪入れずに連撃繰り出すが、ことごとく中岡に受け流される。
(ふん。やはりこんなもの…か!!)
「グッ……え……?」
突如久我の視界が暗転する。久我は気づいたときには地面にうつ伏せに倒れていた。
勝負はまさに一瞬だった。久我の連撃を捌いた中岡はその隙を見逃さず、目の前の腹部に横薙ぎの一撃を打ち込んだ。
「この程度か…。実力は無い、女に媚ばかり売る、まるで道化だな。お前、もうこの部隊に必要ないんじゃないか?」
そう言い残し中岡は歩き去る。遠ざかる足音と薄れ行く意識を感じながら、久我は拳を握り締めていた。
(道化…か。その通りだな…。くそったれ…)
「――ッ!!こ、ここは?」
久我は見慣れない一室で目覚めた。どうやら医務室のようだ。
腹部に走る鈍痛から、先の訓練で気を失ったことを思い出す。
「ようやくお目覚めか、久我。随分手ひどくやられたようだな。まあ、貴様らの実力差を考えれば当然か」
そう言いつつ久我の寝かされているベッドに近寄ってきたのは氷室教官だった。
「きょ…教官。こんなところで、教官のように美しい方と二人きりなど…光栄です!」
覚醒した直後でも久我の調子は変わらない。そんな久我を氷室は冷えた目で見つめてくる。
「やれやれ…相変わらずだな。それが貴様の処世術か、久我?私にはお前が見せるその軽い態度の中に、時折虚構が混ざっているように見えるがな」
「虚構~~。なに難しいこと言ってんスか教官~。俺は俺ですよ~」
「そうか…、まあいい。ついさっきまで貴様の分隊のメンバーが見舞いに来ていたぞ。お前の愛しの源も、なんだかんだと言いながら心配していたようだぞ?」
その言葉を聞いた久我がこれまでとは違った表情を見せた。その表情には、驚きと少しの悲しみが入り混じっていた。
「そう…ですか…。あいつらにはまた迷惑かけちまいましたね…。ホント…あいつらも俺みたいな貧乏くじ引いちまって…」
「どうした?いつもの貴様らしくないな。貴様にはそんな顔は似合わないと思うが?」
「さっき言われたんすよ。中岡の奴に。『お前はこの部隊には必要ないんじゃないか』って。いつもなら男の言うことなんか気にもしないんですけどね…。最近訓練でも置いていかれ気味だし…。中岡の言うことにも一理有る、なんて思っちまったんですよ」
なるほど、と一言漏らし氷室は黙り込む。沈黙がしばらく続いたが、我慢の限界とでも言わんばかりに久我が声を上げる。
「す、すいません、教官!なんか今日の俺は少しおかしいみたいですわ。もう大丈夫なんで失礼しま――」
「久我」
矢継ぎ早に紡がれる久我の言葉を氷室が遮る。
「久我。貴様は何故この部隊にいる?貴様らはこの部隊には呼ばれてきている。とはいえ、軍人になった以上はなにか目指すものや目的があるんじゃないのか?」
「―――ッッ!!」
(またかよッ!どいつもこいつも……)
それは数日前、PXで悠希に聞かれた問いとまったく同じものだった。自分のため、という変わらぬ想いと胸に燻ぶる意識できない、理解できない感情。
久我は整理できないそれらを“放置する”という方法でしか処理できなかった。
「そ、それは…。きょ、教官はどうなんですか?以前は教導隊に所属されていたと聞きましたが、何故国連軍の教官に?」
久我は会話の矛先を変える。彼はまだ、燻ぶる感情に答えを出す術を持ち合わせていなかった。
「ん?私か?そうだな…。私の古くからの知り合いの子供を一人前にしてやりたい、といったところだな」
「子供…ですか…?自分にはよくわかりませんが…」
言いながら久我は、氷室がどこか遠い目をしていることに気づいた。
彼女もまた、長年前線を生き抜いてきた衛士だ。背負うものもあるのだろう、久我はそう理解することにした。
「まあ、結局は自分のエゴだ。ここに来るために多くの部下も他人任せにしてしまった。部下達は未だ前線を駆けているというのに、私だけこんなところで生き残ってしまうとは…。とんだ笑い話だな」
(――ッッ!?エゴ……。自分のエゴ…か…)
氷室の背負うものを久我は知る由も無い。
それでも彼女の目に宿る決意は久我影響を与えるには十分だった。
「話をしていただきありがとうございます。それじゃあ俺はもう行きます。分隊の奴らにも会っておきたいですし」
そうか――という短い返事を受けながら久我は一礼して医務室を後にする。
「あ、そうだ教官。俺がここにいる理由ですけど、教官と同じですよ。俺は俺のために、人類でも世界でも未来でもない。俺は俺自身のために、自分のエゴのために、この部隊で生き抜いて見せますよ」
胸に燻ぶる感情に今だ答えは出ない。
仲間達の背中には追いつけない。
それでも、もう久我は前を向いていた。
去っていく久我を眺める氷室は、僅かに口元を緩ませていた。
(さあ、どうする?久我)
基地にサイレンが鳴り響く。
重厚な鎧を身に纏う三機の
戦術機が訓練兵たちの前を飛び去っていく。
スクランブル発進した二機の『翔鶴』と一機の『双鶴』、朝日へと消え行くその戦術機の背を、久我は仲間達と共に眺めていた。
(俺もいずれは戦場に出るのか…)
今はまだ想像すらできない遠い場所。才の無い自分がそこに立って生き残れるか、久我にはわからない。それでも戦場には立ってみたかった。そこに立てば新たな自分が見つけられる気がしたから。
「聞いて」
その時雫の凛とした声が響いた。戦術機に見惚れていた訓練兵たちも思わず彼女に注目する。それを確認しながら、雫はなおも続ける。
「何故私達はここにいるの?」
それはここ数日、久我が悠希と氷室に問われ、幾度も自問自答した問いだった。
「私たちが目指す衛士、それはあの戦術機を駆る、人類の刃。それは国境も出自も関係ない、牙無き全ての人の為の剣。私はみんながそんな衛士になれると信じている。自分を信じて、私が信じるあなた自身の力を信じて。」
朝日を背にした雫は眩しかった。久我には直視できない程に。
思わず視線を外した久我の目に映ったのは、雫の話を聞いて黙り込む一同だった。
氷室との会話が脳裏に蘇る。
(俺は俺のために…。才がなくてもいい。落ちこぼれでもいい。俺にはなにもできないかもしれない…。だったら俺は変わらなくてもいい…。俺は俺のままでいい。これからも俺は俺、久我 応馬でしかねぇんだからな…)
感慨深そうな瞳をしている中岡が目に入る。かつて自分を道化だと罵ったその男は、朝日を背に立つ雫と消え行く戦術機を交互に瞳に映していた。
(道化…か。それでもかまわねぇ。ここにいられるなら…こいつらとあの遠い戦場に立てるなら、俺は道化にだってなってやる!)
気づいたときには久我は立ち上がっていた。
「うおぉし!やろうぜ、みんな!!!」
久我の叫びに続いて声が上がり、周囲に歓声と拍手が巻き起こる。
彼は気づいているだろうか?
部隊の誰もが出来なかったことを意図も簡単にやってのけたことに。
いつも見ていた、届かないと思っていた仲間達が、今自分の背中を見ていることに。
届かないと思ったその背中が、今は自分の周りにあることに。
久我の胸に燻ぶる感情に答えは出ない。
だが、今はそれでいい。
仲間達と過ごし、共に戦場を駆ければこの燻ぶる感情にもいつか答えが出るだろう。
戦うのは自分のため。それはこれからも変わらない。
だが、その感情に答えが出たとき。
その瞬間こそが、久我 応馬が『戦う身近な理由』を見つける時になるだろう。
(それまでもう少し…。こいつらに付き合ってみるのも悪くねぇ)
教官に叱咤され、彼は仲間と共に走り出す。
燻ぶる感情に答えが出るのを、楽しみにしながら―――――。
番外編 我が名は応馬 End
最終更新:2009年03月22日 22:24