1994年1月8日 10:00 帝国陸軍横田基地 演習場
演習場に到着した私たちは陽炎の管制ユニット内で模擬戦の開始を待っていた。
あれから正気に戻り、ひたすら平謝りの神宮司、そして身支度を整えた私が、
櫻木の部屋から出るところを誰にも見られなかったのは幸いだった。
しかし昨日の神宮司の狂態からすると"櫻木が何かやらかした”と噂になるに違いない。
とにかく散々な一夜だったが櫻木の言う相互理解の効果はあったようだ。
3人して醜態をさらしていまさら遠慮も何も無い。
「結局まともな打ち合わせできなかったじゃない。」
「そう大きな声出すな、頭に響く、誰だ、本物は悪酔いしないって言った奴は、
こんなコンデションで飛んだり跳ねたりした日にゃ・・」
「お願いだからから汚さないで~、連帯責任で管制ユニットの掃除なんてしたくないから」
とても秘話通信で話す内容じゃない、昨日の私なら我慢できなかっただろう。
だがこんな会話でも私達に奇妙な連帯感を与えてくれた。
昨日と違って全く気負いがない。これならいける、そう思っていた。しかし・・
模擬戦の設定が提示された途端、そんな気分は一瞬に吹き飛んだ。
「なに?!」
「こんなのありか」
「そんな・・」
表示されたミッション内容を見て絶句した。
『光線級BETAの存在が確認された有視界下での敵性
戦術機殲滅ミッション
制限時間8分 高度制限30m レーダー使用禁止
勝利条件:敵機の全滅 敗北条件:敵機の1機以下の残存、味方機の1機以上の撃墜』
昨日に比べて余りにも条件が厳しすぎる。
先任達にしてみれば誰かが8分間逃げ切るだけで勝ちが転げ込んでくる。
それに対して私達は一人でも欠ければ負けなのだ、とてもクリアできるとは思えなかった。
「こりゃ無理だ・・・ここ追い出されたら次の転属先はあるのかね?」
「やれる事をやるまでね、昨日のデブリーフィングどおり・・・」
さすがに諦めの空気が漂った、そう一人を除いては。
「氷室中尉、お願いがあります。」
押し黙っていた神宮司から通話が入った、意を決したその表情と声は硬い。
「先任を差し置いての無理は承知でお願いします。この模擬戦、
私に指揮を取らせてもらえませんか? 」
「神宮寺、自分なら勝てるって事?たいした自信ね」
彼女は私の指揮では勝てないと言っている訳だ、いい気がする筈がない。
つい嫌味が口を出る。
「神宮寺、大丈夫なのか・・」
私とは対称的に櫻木の反応は神宮司を気遣うものだった、なぜなら・・
「いいのよ、桜木中尉、大陸にいた貴方は噂くらい聞いているんでしょう?
氷室中尉、私は初陣で自分の部隊を全滅させた。
私にはもう指揮官の資格はないかもしれない・・・」
「神宮寺、あなた・・」
「なんてこった」
櫻木もまさかそこまでの惨状とは知らなかったようだ
「私の指揮が至らぬばかりに・・・横浜の同期の皆はもうこの世にいない。
新井も私をかばって・・
内地にもどって退役するようを薦めてくれた人もいた。
責任を取って自決しろという人も・・・
でも私はそのまま大陸に残って、ただがむしゃらに戦った。
そうしなければ私は許されないと思って。
だけど気づいたの、いくら泣いても、いくら自分を責めても過去はどうすることは出来ない。
変えられるのは未来だけ・・死んでいった皆の為にも私はまだ死ぬない、
贖罪の為、生きてこの経験を伝えつづける、彼らにそう誓った・・・・・
今の私達はあの時と一緒よ、折角の力がありながらそれを生かしきれていない。
もう誰にも私と同じ過ちを犯して欲しくないのよ、お願い氷室中尉、力を貸して!
私はここを去るわけにはいかない、負けるわけには行かないの!!」
神宮寺の声が涙を帯びていたのは私の聞き違いではない筈だ。
後に第二のノモンハン事変と呼ばれた九.六作戦。
その失敗は当時軍内部でも隠匿されその実態を知る者は少なかった。
内地に居た私が詳細を知るわけがない。
彼女にかける言葉が見つからなかった。
私は今まで何に拘っていたのだろう?
この逆境の中でさえ未来を信じ前へ進もうとする彼女の姿は、
私の神宮司との最後の“壁”を壊した。
「・・・・・違う。」
「えっ」
「“法子“と呼んでくれるんでしょ、まりも」
「・・・いいの?」
私の意を察したまりもに櫻木が声を掛ける。
「俺はチェリーだったな? 先任達をさっさと片付けて祝杯と行こうぜ、編隊長。」
模擬戦開始まで残り五分、情報ウィンドウを展開しブリーフィングを再開した。
「対抗部隊の要は後方で指示を出しているリード(編隊長)、
残りの先輩方は、失礼だけど私達の技量の方が断然上よ。
あのリードさえ最初におとせば、充分勝機がある。
開始と同時に法子とチェリーはこの遮蔽物の“森”を突っ切って敵陣を強襲、
4分以内にリードを撃墜して。」
「部隊を分けるのか、それじゃ昨日の二の舞にならないか?」
「残りの編隊は私が押さえてみせる、貴方達には指一本触れさせない。」
「2対1って、本気?一人でも欠けた時点で負けなのに・・」
「これでも横浜の同期では主席よ、少しは私の腕を信用してくれてもいいんじゃない?」
冗談めかしてまりもが答えたが“同期”という言葉に胸が痛む、彼女もおそらくは・・
「昨日の私達と先任の動きを検討して出した結論よ、
二人なら私が追い詰められる前にリードを墜としてくれると信じている。」
私達に向けるその表情は一点の迷いもない。
“仲間”からの信頼がこんなにも嬉しいものとは思わなかった。
「俺は乗るぜ。氷室、あとはお前さん次第だ。
昨日は散々だったが俺とエレメントを組んでくれるか?」
「・・やるわ。まりもは私を信じてくれる、なら私もまりもの判断を信じるわ」
「法子、先任の顔を潰す様な事をして本当にごめ・・」
「No sweat!(気にしないで)」
これ以上まりもの気を病ませたくなかった、不敵に言い放つ。
「この一戦は先任からの挑戦状よ、投げた手袋の代価がいかに高くついたか、
連中に教えてやるのよ。私達でね」
警報音とともにディスプレイの時間表示が動き出し、模擬戦が始まった。
まりもが号令する
「状況開始!」
「「Rog(了解)」」
私達は弾かれたように飛び出した・・
「Tally Ho!(敵機視認)ってうそだろ、なんて加速だ。デルタ1(氷室)、そっちだ!」
開始早々、私達の目論見はもろくも崩れた、昨日の模擬戦ではリードは後方で指揮に徹していた。
それが今回のリードは前衛の櫻木には目もくれず突っ込んできたのだ。
どうやら後衛の私に狙いを定めたようだ。
しかもその加速は第一世代機にはありえない驚異的なもの。
「もしかして絶影?本当に使える衛士がいたなんて」
『絶影』又の名を『ファントム』、機体全体のアクチュエーターを一斉に伸縮、跳躍ユニット
のロケットモーターと連動させることで一時的に跳躍ユニットの限界を上回る加速を得る。
撃震は原型は74年に完成し既に20年近く使い込まれた機体だ、古参の“撃震使い”は時として、
通常では考えられない操作法により機体の限界を超える機動を実現するという。
いわゆる“裏技”、噂には聞いていたが本当に使う衛士をみたのは始めてだった。
櫻木を抜き去ると今度はジグザグに細かいダッシュで巧みに接近し、狙いを絞らせない。
短銃身の120㎜砲で狙ったところで命中を望むべくもなく、36㎜砲では増加装甲に阻まれ
有効弾は期待できない。
「くっ、デルタ1、エンゲージ!Fox3」
その一瞬の躊躇を突いて被我の距離を詰めた撃震が今度は増加装甲を投げつけてくる、
飛んできた増加装甲をなんとか主腕で弾くと眼前より撃震の姿が消えていた・・
「何処っ?!」
「デルタ1(氷室)、Chcek Six!(後だ!)」
櫻木の言葉に考えるより先に片足を軸に機体を超信地転回させる、
私の目に模擬刀を上段に振りかざした激震の姿が飛び込んできた-----!
(ちっ、間に合うかっ?!)
咄嗟に突撃砲で受け止めたが、その代償として突撃砲の表示が故障に変わった。
機体が激しい衝撃に悲鳴を上げる
(なんて剣圧・・ )
OBWシステムが感じる筈の無いのない圧力をスティックから感じる。
どうやら昨日から嵌められたらしい、初戦の結果から私達がリードを真っ先に狙うように仕向け、
その上で自分から接近し接敵場所を自分に有利なこの“森”に調整したのだ。
陽炎の長所である機動力を殺し接近戦に持ち込む事で機体性能の世代格差を埋める。
第一世代機の激震はその特徴である重装甲に加え、単純な出力比なら向こうの方が上だ。
足を止めての格闘戦では軽量化された陽炎は分が悪い。
「くそっIFFか、ならば!」
私とリードの距離があまりにも近すぎIFFが射撃を拒否する。
櫻木は射撃を諦め模擬刀を抜くと激震の後ろから切りかかった。
だが撃震は残りの長刀を左手で装備、櫻木の斬撃を後ろ手で受け止めたどころかはじき飛ばした。
「今のタイミングでか、うそだろ!」
戦術機が人型であるという先入観を覆す機動、長刀を振り下ろす瞬間を読んだ完璧なカウンター、
後ろに目でもなければ出来ない芸当だ。
更に撃震の背中の支持架が稼動、突撃砲の牽制射撃に追い立てられ慌てて距離を取る。
「いったん離れろ」
「駄目、今抜いたら斬られる!」
「“膝”で蹴り飛ばせ」
陽炎の特徴でもある膝の武装コンテナを膝蹴りの勢いでA1に叩き付け、そのまま後ろに跳び退った。
これでコンテナは破損判定、短刀は使用不能だが、あのまま押し切られるよりましだ。
「なんて奴だ、昨日のは三味線かよ、本気で俺達を潰す気か?」
「泣き言は言わない!向うが倒しに来るならそれでいい、逃げ回られるよりよっぽどましよ。」
そう言ったものの背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
乗り手だけで違うだけでこうも変わるものなのか。
1対の腕、一つの頭しかないはずなのにその何倍もの相手をしているとしか思えない
(これは撃震じゃない、鬼神だ・・)
子供の頃に見た仏像画を思い出した。三面六臂の鬼神、阿修羅。
長刀を左右の私たち対し無造作に構えているだけなのに、刃先を向けられた私は
直接眼前にその刃を突きつけられたかのような息苦しさを感じる。
それは無機的な存在のBETAから感じることはないであろう “殺気” だった。
痺れるような静寂の中、遠方でかすかに砲撃の音が聞こえる。
まりもは約束通り先任達を食い止めてくれているようだ。
だが先程あえて先任達を格下と言い切ったが、彼らも教導隊の一員だ、一筋縄で行くわけがない。
その証拠に、私達を呼び出す余裕は全くないようだ、聞こえてくるのはノイズのみ・・・
このままでは時間切れ、若しくはまりもが先に撃破されてしまう。
「まともに遣り合ってたら時間がない。氷室、力には力だ、斬撃を“重ね当て”る。」
口で言うほど簡単ではない、当時のOSではそこまで精密な斬撃は至難の業だった。
タイミングがずれれば先程のように簡単に捌かれてしまうだろう。
「やれるの?」
「氷室のタイミングでいい。真直ぐ行ってくれ、俺が合わせる・・・
まりもを信じたように俺も信じてくれ」
「 ・・分かった、カウント3で」
「Rog」
「3—2—1--Now」
跳躍ユニットを水平噴射、一気に飛び出すと上段から模擬刀を一気に振り下ろした。
撃震はその動きを読んでいたかの様に2本の模擬刀を交差させ受止める。
高度限界の30mまで上昇、交差した模擬刀の上から更に叩き付ける。
4本の模擬刀は3機の戦術機が作り出した衝撃に耐え切れず柄を残して粉々に砕け散った。
2機分の斬撃を受けた撃震は主腕を力無くぶら下げている、想定外の負荷に変調を来たしたようだ。
「その首貰った---!」
すかさず櫻木が65式短刀を装備、“頚部”を一文字に薙いだ。
残心を決める櫻木に叫ぶ、
「あと3分、一気に墜とす!」
「ROg!」
(待ってて、まりも)
データリンクを封鎖している為正確な位置が判らない、が今は考える時間すら惜しい。
私は跳躍ユニットのスロットルを最大まで押し込むと、古来からの戦訓どおり
“砲声のする方”へ突撃した・・
「7分48秒状況終了、3機撃墜に対して小破2か・・・・諸君、実に見事だった。
ミッションクリアだ。
16:00より当部隊の隊長による査閲が行なわれる。
BDUで格納庫に集合するように、以上だ。」
なんとも微妙な表情をした編隊長が言葉少なに賛辞を送ると格納庫から去っていった。
それはそうだろう、なにしろ本当に“撃墜”してしまったからだ。
リードの撃震がまるでデュラハン(首無し騎士)のように自機の頭部を抱えて格納庫
に戻って来た時はさすがに蒼くなった。
「いくら追い込まれていたからって真剣を使う?本当に”撃墜“するなんて」
「使うなとは言ってなかったし、教導隊は「常在戦場」だ、本気で来いって向うが言ったんだ、
気にすんな。まさか俺達に弁償しろなんて言わないさ。」
「本当に噂どおりね。そんな調子だからたらい回しにされるのよ。」
妙に納得した表情のまりも。
噂とはこの事だった、大陸では“壊し屋”として有名だったらしい。
「しかし、これで奴らに昨日の借りは返したぜ。見たか、さっきの編隊長の顔ときたら・・・・・」
私達は互いに顔を見合わせた、自然に笑みがこぼれてくる。
こんなに楽しかったのは訓練校での”あの試合“以来ではないだろうか?
1994年1月8日 16:00 帝国陸軍横田基地 戦術機格納庫
「くっ」
「いきなりなんなのよ~」
「やはりそうきたか」
三者三様の反応。
格納庫の扉を開けた私たちに天井からバケツの水が降り注いだ、どうやら“これ”が
整備班流の“歓迎”らしい。
「どうして貴方が傘を持っていたか判かったわ、知ってたなら何故教えてくれないの?」
渡されたタオルで頭を拭きながらまりもが桜木を睨む
「前の部隊でも同じ目にあってね、さすがに学習するさ、こういう悪戯はお約束だろ。
笑って流そうぜ。」
「BDUで来いってことはあの編隊長もグルね、オイルじゃなかっただけましかもよ」
正装をクリーニングしないで済むだけ良しとすべきか。
だが後で聞くところによると普段の5割増の水量だったらしい、本当に撃震を“撃破”した
私たちへの無言の抗議も含んでいたようだ。
騒ぎが一段落した頃を見計らったかのように先程の顎鬚の編隊長が姿を見せた。
慌てて敬礼する一同
「私が部隊長の大場だ。諸君、教導隊へようこそ、歓迎する。」
事態が飲み込めなかった私たちも慌てて敬礼をする。
まさか部隊長自ら対抗部隊を買って出ていたとは人が悪い。
「諸君らのような優秀な衛士を迎え入れることが出来るは我等の喜びとする処である。
今後の活躍に期待する。」
大場重勝中佐、かつて印亜大陸反抗作戦「スワラージ」に派遣され、その精強な闘いぶりは
現地印度軍から"阿修羅”とまで称された人物だ。
「そういえば、当基地宛にある飲食店から請求書が届いている。
飲食費及び調度品の賠償費だそうだ。
来月の君達の俸給から清算しておくのでそのつもりで」
今回の模擬戦も勝敗が問題ではなく、私達が困難な状況に対応するかを見極めるものだった
ということだ。
事前に知らせず手加減一切なしとはいかにも教導隊らしい。
さすが大場中佐、もう一つの名“狸”とも呼ばれることはある。
1994年1月8日 19:00 帝国陸軍横田基地 戦術機格納庫
そのまま歓迎会に突入した格納庫から、私はそっと抜け出していた。
アルコールで火照った顔に冷たい夜風が心地よい。
「こんな所にいたのか?」
姿が見えない私を探していたのだろう、グラス片手に櫻木が現れた。
「本当はこういう雰囲気苦手なの・・・それにしても昨日から呑んでばかりで平気?」
「なに、これくらい迎え酒さ。・・・それにしてもなんだか暗いな、どうした」
私の表情を見て、櫻木は私の横に腰を降ろした
「横浜での野球の試合のこと覚えている?」
「ああ、上野教官だろ、変わってるというか面白い人だったな。いきなり試合だって
言った時は驚いたね。
でも氷室も口では嫌がっていたわりには熱くなってたんじゃないか」
「あの時上野教官が野球を通じて伝えたかった事、やっと判った・・・」
「私は自分の意思で衛士への道を選んだ。
自分でいうのもどうかと思うけど、客観的にみても早くからその為の覚悟が出来ていたし
努力も怠らなかった。
だけど訓練校や演習で結果を出して私への周囲の期待が大きくなるにつれて・・
何もかも1人で抱え込んで周りに頼ろうとしなくなった。
私はあなた達とは違う、そんな驕りがあったのだと思う。
だから昨日あなた達に再会したとき、先任として振舞おうとしてあんな態度を取って。
なのに二人ともこんな私を信じてくれた・・・・今更だけどあなた達に謝らないといけない。
あの時教官が伝えようとした事、それは衛士にとって最も大切な、
“仲間”を信頼する事を教えてくれたから。もし二人と会わず初陣を迎えていたら・・
私は“死の8分間”を越えられずに・・。」
「No sweat!(気にするな)、こう言うんだろ?」
驚いて顔を上げた私に片目をつぶって笑う櫻木、その表情はかつて父が
私に向けたものと同じだった。
「俺だって似たようなもんさ、実は俺が転校した時も上野教官も一緒だったんだ。
アレは初めての模擬戦の時だったかな、仲間の援護を待たずに突っ込んだよ。
まぁその頃から近接戦闘には自信があったしその時は勝つには勝ったんだが
デブリフィーングの時教官にぶん殴られたよ、
『お前は一人で戦争をしている積りか?そういう仲間を信じられない奴はここを去れ』ってな。
少なくとも氷室は自分でその答にたどり着いたんだ、立派なもんだ。
過去の過ちを悔やんだって始まらないだろ。
まりもも言ってたじゃないか、変えられるのは未来だけって。」
私は黙って頷く、今の彼の言葉は素直に聞けた。
ふとした疑問が湧き、尋ねてみる。
「そういえば隊長を撃墜した時、よくタイミングがあったものね。私には無理、一体どうやって?」
「今朝の氷室の一撃を受けた時なんとなく癖が掴めたというか、まぁ怪我の功名って奴か」
「感心するんじゃなかった」
今朝の騒動を思い出す、あの状況でよくそんな余裕があったものだ。
櫻木は立ち上がると手を差し出した。
「さて、シンデレラじゃあるまいし主賓が逃げ出しちゃ締まらないだろ。
女王陛下、エスコートさせていただきます。お手をどうぞ」
「あなたやっぱり酔ってるんじゃない」
「勝利の美酒って奴に酔ってるのかな?俺だって素面じゃいえないぜ、こんな恥ずかしい台詞。」
「どうやら長い付き合いになりそうね」
苦笑しながら私も手を差し出す
「・・・・・今朝言ってたわね、またいつか人を撮るって、そのときは私も撮ってもらっていい?」
私なりの精一杯の感謝の仕方だった。
「それなら今日の記念に一枚撮ろうぜ、」
「えっ、今から?!」
「俺たちの写真ならいけそうな気がする、善は急げってな!まりもは何処にいったかな?」
格納庫に向かう櫻木に手を引かれながら苦笑した。
(そういう意味じゃ・・・まぁいいか)
「そういえば姿が見えないわね」
「いや~いい飲みっぷりですね、中尉、こいつはいかがですか?
ある筋から仕入れた“本物”ですよ」
「喜んで頂戴します♪」
まりもは整備員の勧められるままにグラスを手に取った。
「嘘っいつの間に」
「ちょっと待て、まりもにそれを飲ませるな!!」
だが既に遅かった・・・
その日より私たちD分隊はDrunkars(ドランカーズ:酔っ払い達)という何とも
ありがたくない異名を戴く事になる
1995年4月3日 横浜
私たちが横田基地を離れ別の道を歩む日が来た。
私と櫻木は来年にも発足すると言われている大東亜連合軍の教導隊の準備の為、
豪州に派遣される事になった。
一方まりもは国連軍に転籍の上、横浜基地に新設する衛士訓練学校に教官として招聘される。
接近戦の桜木、射撃中心の私のように偏ったスキルの私達と違い、広い視野を持つまりも
の方が教官に向いているだろう。
まりもの今度の上官は学生時代からの友人らしい、いつも強引で振り回されて大変
とこぼしていたがその実、嬉しそうだった。
日本と豪州、まして所属まで違うとなればそうそう合えるとは思えない、
私と櫻木は横須賀から装備と共に船で任地に向かう事になっている、鉄道で行くのも
面倒だという櫻木の提案で私たち三人は車に乗り合わせて新任地へと向うことにした。
国連軍横浜基地白稜衛士学校、私たちがかつて衛士としての教育を受けた帝国軍横浜衛士学校があっ
たところだ。
まりもが是非見せたいものがあるという。
基地正門へと続く坂道を見て思わず感嘆の声が上がる
坂道のふもとから基地へと向かう道に咲く桜並木、その白い花の勢いは燃え上がらんばかりだった。
「すごいでしょう、見せたかったのはこの桜並木よ、よかった、ちょうど今が盛りのようね」
「桜の回廊か・・きれい」
「おぉ、見事なもんだ。こんな事ならライカを荷造りするんじゃなかったな。」
私と櫻木がここに在籍したのは晩春から初夏の事、この光景を目にするのは初めてだった。
やがて車は坂道の前で停まった。
「ここでいいわ。」
「いいの?こんなところで」
「遠慮はなしだ、正門まで送ろうか」
「帝国軍の高機動車で国連軍の下士官が正門に乗り付けたらどう思われるかしら、
それに折角の桜よ、歩いていくわ。」
真新しい国連軍の制服に身を包んだまりもが荷物を持って車を降りる。
思うところがあったのだろう、再び伸ばした髪も腰まで届き、その表情も初めて会った頃
からすると女性らしい柔らかさと優しさを感じる。
今まで男社会である軍隊において無理をしてきた筈だ、これがまりもの本来の姿なのだろう、
これからは自分らしくあってほしい、そう願わずにいられなかった。
「そうやってると軍人に見えないぜ、まるで教育実習の先生みたいだな」
「それどういう意味?」
「俺の初恋の人さ、ああいう”きれいなおねいさん”に憧れてね」
「あのね・・」
あきれつつも、まんざらでもなさそうなまりもが微笑ましい。
「そんな“先生”に選別だ」
そういって櫻木が封筒を渡す。
「これは、あのときの」
「氷室の分もあるからな。二人とも喜べ、将来俺が売れっ子になる頃にはプレミアが
ついて凄い事になるぞ」
笑いながら手渡された写真を見て驚いた。
それは、私達が教導隊の歓迎会の際に撮った写真だった。
その日の“戦果”である撃震の頭部の前で私達が写っている。
あの時はリモコンで撮ったはずだが良く取れていた。
だが何よりその表情だ。自分もこんな顔で笑えるとは思って見なかった・・・
「そういうことは自分で言わない、大体売れるっていつまで待てばいいの?」
そう言いつつも嬉しさを隠せなかったようだ、まりもにすかさず突っ込まれる。
「いい写真じゃない、いったでしょ、あなた本当はいい笑顔ができるって。
もっと笑わないと人生もったいないわよ。
次に会う時まで練習しなさい、これは先生からの宿題」
「考えておくわ」
「チェリ―も向こうでも頑張ってね、法子を泣かしちゃだめよ」
「泣かされるのは間違いなく俺の方だ」
そういって櫻木は私を見た
「女王様はてんで鈍感だから、まぁ、なるようになるさ」
「いったい何の話?」
「・・・ほらな」
「・・あなたも苦労しそうね、でも応援してるわ。
法子も少しは自分の胸に手を当ててみたら?」
「だから一体~」・・・・・
“次に会うまで”この時代、再会を誓い合っても、何時戦地で果てるとも知れぬ命、
これが今生の別れになるかもしれない。
名残惜しいが何時までも談笑を続けるわけには行かない、そんな未練を振り切るように
まりもが敬礼をする。
「氷室中尉、櫻木中尉、ありがとうございました。外地での御武運をお祈りいたします。」
「神宮寺軍曹、貴官の今後の活躍に期待する。一人でも多くの良い衛士を育てて欲しい。」
答礼を返す私を見て櫻木は
「おいおい硬いな二人とも、これで最後って訳じゃないんだろ」
そういって、まりもに右手を差し出し握手を交わす。
「又みんなで飲もうぜ、だがもう"狂犬”は自重しろよ、出入禁止が増えると終いにゃ
飲みに行く所がなくなるぞ」
あの後何度も3人で杯を交わしたがいつも最後は・・・だがそんな何気ない日常こそ愛おしい。
誰の人生にも一度は訪れるという黄金時代、私にとって三人ですごした時こそ黄金の日々だった。
「あなたは柔らか過ぎ」
苦笑する私に
「こっちの方が私達らしいわよ」
そういって微笑むまりも
「今の私があるのは間違いなく二人のおかげよ・・・・本当にありがとう、また会いましょう」
まりもは桜並木の中を颯爽と去っていった。未来を信じた、彼女らしい別れだった。
やがて一陣の風が吹き、彼女は舞散る桜の中に溶けていく・・・
それが私が最後に見た彼女の姿だった。
前線にいた私たちより先に"事故”で逝くなんて、今でも実感がない・・・
横須賀に向かう車中は静かだった。ハンドルを握る櫻木、私は窓に流れる景色をただ眺めていた。
私には確かめたい事があった、聞くなら二人きりの今しかない、意を決して尋ねた。
「櫻木、あなたに小隊をまかせるという話があったんじゃない?なぜ断って私と一緒に・・」
「俺は指揮官なんて柄じゃないしな、人に使われるなら気心の知れた奴がいいじゃないか。
それに・・」
そういって私を見つめる、その真剣な表情になぜか鼓動が早まるのを感じながら、次の言葉を待つ。
「お前とのエレメント、俺以外の誰が組めるんだよ、女王様は意外と寂しがり屋で不器用だからな」
そういってニヤリと笑う。
- ほっとしつつも、どこかがっかりしている自分に自問する。
いったいどんな言葉を期待していたのだろうか?
「言ったわね、なら遠慮はしないわよ、こき使ってやるから覚悟してなさい」私も微笑み返す。
今はこれでいい、私が答えを出すその時まで。
だがあの日、佐渡で櫻木も逝った。もはやその時は永遠に来ない。
連夜の訓練でさすがに疲れが出ているのだろうか、?
さっきからインターホンが点滅している事に気づかなかった。
「装備室、氷室軍曹」
「氷室さん、XM3の換装が済みました、何時でもどうぞ・・・どうやらお疲れですか?」
河崎重工の派遣技官の大島だ、正規の軍人でない軍属の彼は口調はいつもさばけたものだ。
「いや、問題ない・・・いつも夜分にすまないな」
「こういう時、“No sweat”と言うんでしたよね、私は今からが仕事です、お気になさらず」
そう笑うとこちらの返事を待たずに向うから通話が切れた。
百里一の変人で通っている彼だ、夜の方が頭が冴えて効率がよいと主張してフレックス制を拡大解釈し、
いまや昼夜逆転の生活だったのを思い出し苦笑する。
もうすぐ訓練生たちは総戦技演習だ。それが終るといよいよ戦術機訓練が始まる。
部隊発足時、一時は緊張感の欠如にどうなる事かと思ったが、最近急速に力を付けている
特にA・B分隊の成長は驚異的だ、良い意味で競争意識が働き、互いに高めあっているようだ。
私たちと違い、先入観なしでXM3を習得する彼らに、私達が凌駕される日も遠からず来るだろう。
だが私も、元教導隊として、一人の衛士として、譲れない自負と誇りがある、
やすやすと抜かれるつもりはない。
容易に越えられない“壁”として立ち塞がる、これが私が彼らのために出来る事。
着任以来続けている深夜の訓練はその為だ。
訓練生たちの間で噂になっている怪談"深夜、無人のシュミレーター室に現れる白い幽霊”
その正体が自分たちの教官とは彼らも夢にも思うまい。
(幽霊か・・・)
あの二人が現世に漂っているとは思えないがもし会えるなら・・・
もっとも彼らが、教官をしている私の姿を見たら、似合わないことをしていると笑うかもしれない。
ふと“まりもからの宿題”を思い出し写真の二人に微笑んでみる。
だがロッカーの扉を閉じた時には“アイスレディー”の顔に戻っていた。
立ち止まって感傷にふけるには早すぎる。
まりもが遺した未来への想い、櫻木が遺してくれた私への想い、
二人の想いと共に私も未来へ歩き続けよう。
教え子達が共に戦う"仲間”となり、二人の事を誇らしく語れるその日まで、
私は氷の仮面を被り続ける。
最終更新:2009年05月16日 22:45