In the Rain

In the Rain

横浜に雨が降る・・・

昼前から降り出した激しい雨で再訓練部隊の訓練は中止になった。

朽木大尉は朝から士門を伴い帝都に出張中。

整備班の“子鬼”達はこの日とばかりに小隊の不知火の分解整備を始めている。
常日頃、限界まで機体を振り回しているだけに邪魔をするのも悪いだろう。

暇つぶしに釣りをしようにもこの天気ではどうしようもない。
有栖川をからかおうかと思ったら凄い目つきで睨まれた。
「誰のせいでこんなに書類が溜まっていると思ってるんですか?
こんな訓練がない日に片付けないと期限に間に合わないんです、邪魔しないでください!」
まるで毛を逆立ててうなっている猫のような剣幕でまくし立てる
(やれやれ、お嬢ちゃんまだ写真の件を怒っているのかい、笑って受け流せない辺りまだ子供だねぇ)
自分のことは棚に上げて苦笑する、だからといって書類を手にする気にもなれなかった。

左足の違和感のせいだ、別に痛んだり痺れたりするわけではない。
だがこんな悪天候の日、擬似生体の移植を受けた者は何かしらの違和感を覚えるものらしい。
もう馴染んでいるはずの擬似生体が自分のもので無いかのようなもどかしい感覚。
気温や湿度、気圧のせいか、それとも心理的な要因かどうかわからない。
もしかしたら自然の摂理に反している事への畏れ、からかもしれない。
間桐も昼から自室にこもっている、口にこそ出さないが彼女もきっとそうなのだろう。

しかし日野が雨の日が嫌いなのはもう一つ理由があった。

そう、あの日もひどい雨の日だった・・・

2年に渡り繰り広げられた印度亜大陸反攻作戦「サワラージ」は人類の敗北で終結した。
だが日本帝国印度派遣軍はそのまま東南アジアを転戦することになった。
“過去の過ち”への清算として防衛戦に参加することで東亜諸国への発言権を確保する為か、
又は実戦経験を通じて得られる様々なデータを蓄積し、来るべきBETAの来寇に備える為なのか?
帝国内では今回の派兵に対して否定的意見も多いと聞く、だが前線で戦う日野達には関係のない話だった。
BETAの脅威を目の当たりにして来た彼らにしてみれば内地でくすぶって演習を繰り返すよりよほど良かった。

ベトナム沖に派遣艦隊が腰を落ち着けてからは、戦いの様相も変わった。
インドの様な平原と異なり、見通しが利かないジャングルでは前線を形成することは出来ず
地上部隊との連携が更に重要となる。
戦術もNOEで接近、大火力で掃討する近接支援任務が主体となった。
さらに東進を続けるBETAから住民を疎開させる為の隊列の護衛任務等、戦術機部隊の任務は多岐に渡り、
昼夜を問わず連日繰り返される出撃に、日野達の疲労は癒える暇もなかった、

しかし守るべきものがあるということが如何に衛士達に力を与えるものなのか
たとえ国が違っても、言葉が通じなくとも純粋な想いは伝わるものだ。
かれらが救出した住民らの示す感謝の意は衛士達の士気を維持するには充分だった。
だが・・・戦況の悪化を受け、遂に国連軍はインドシナ半島の放棄を決定した。
帝国も派遣軍に撤収を命じ、多忙な日々も終わりを告げる時が来た。


1994年 トンキン湾 戦術機母艦 千代田 戦術機格納庫

外はひどい風雨だったが、さすが大型艦だけにその揺れは少なかった。
もっとも、今から酒で酔おうかというのに、船酔いを気にするようなデリケートな奴などこの艦にはいない。
「我々は今夜2400時をもってこの地における任務を完了し、明朝帰国の途に着く。
諸君、今日まで2年にわたる作戦行動、ご苦労だった。
作戦自体は不調に終わったが我ら派遣軍は最善を尽くした、胸を張って帰国してもらいたい。
生きて再び本土の土を踏める喜びを噛み締め、外地に散った戦友の冥福を祈るため今宵は無礼講とする。乾杯!!」
戦隊長が乾杯の音頭を取ったその時、当直士官が飛び込んできた。
何か面倒な事でもあったのだろうか?
会場の恨めしげな視線に一身に浴び、うろたえながらも報告する。
「メーデーを受信しました、我々の管区の橋が決壊し民間人を乗せたバスが中州に取り残されているそうです、
この天候ではヘリは飛ばせません。いかが致しましょう?」

「戦隊長、自分が行きましょう。戦術機ならこの程度の風雨は問題ありません。」
挙手をしたのは杉浦少尉、日野達の小隊長でありエレメント(分隊)のリード(長機)でもある。
「だがあそこはBETAとの競合地域に近いぞ?」戦隊長の危惧に対し
「この風雨です、光線級の心配はないでしょう。手早く済ませれば問題ないはずです。
では日野少尉、いきますか。」
「ぶっ、ちょっと待て、俺かよ、相談も無しか」
「君は僕の列機ですよ、リードに従うのは当然でしょう。」
「・・・分かったよ、相棒。この国の人達には世話になったしな。最後のご奉公だ、もう一跳びするかい。
てめぇら、俺の酒は残しておいてくれよ、ったく下戸のおめぇはお茶さえありゃぁいいんだから気楽なもんだぜ。」

杉浦少尉は日野たちと違い士官学校出身のエリートの筈だが一風変わった人物だ。
紅茶好きで妙に杓子定規な所を揶揄してジョンブルの綽名で呼ばれていた。
基地の近くの喫茶店が特にお気に入りで日野も日本を発つ前は何度も付き合わされた口だ。
もっとも杉浦の目当ては紅茶ではなく店の看板娘ではないかと日野は勘ぐってはいたが。
だが、彼の指揮官としての素質や戦術機動の技量は衆目の認めるところだ。
日野も部隊の中でも自分のロッテ戦術に追随できる数少ない技量の持ち主であり、
目下の者にも丁寧に接する杉浦に好感をもっていた。
杉浦のことを相棒と呼ぶのは日野なりの親近感の表現なのだがどうもわかってないらしい。

「いいだろう、だが我々は明朝には帰国の途につく身だ、あまり無茶をするな。
班長、杉浦と日野の撃震を至急甲板に」
整備班長はうなずくと部下たちに怒鳴る。
「聞いての通りだ野郎共、とっとと昇降機を片付けて、104(杉浦機)と105(日野機)、5分で甲板に上げろ。
ぼやぼやしてると帰艦が明日になっちまうぞ」

通報より15分後、日野と杉浦の操る三色迷彩の撃震は灰色のインドシナの空に飛び出していった。


救出作業は思いの外順調に進んだ。
濁流をものともせず2機がかりでバスを抱えて対岸に渡す。
バスの窓から手を振る子供達に応え、撃震の主腕を振りながら戦術機の汎用性を改めて実感した、
(さすが人型だ、ヘリや船ではこうはいかねえなぁ。まぁしかしあんなに感謝されるたぁ来てよかったぜ。
さっきああ言った手前、ジョンブルには口が裂けても言えねえけどよ)
苦笑しながら杉浦に声を掛ける.
「さぁ帰ろうぜ、一風呂浴びて一杯といきたいねぇ」
「日野少尉、おかしいとは思いませんか?」
なにが気になるのか流木を拾い上げ検分をする杉浦。
「おかしいのはおめぇだろ、その木がどうしたってんだ?」
「この流木です、増水で引き抜かれたというより噛み千切られているように見えませんか?」
「おいおいBETAの仕業とでも・・まさか」
そう答えながら自分の言葉に驚く、何故その可能性に気づかなかった?
印度でも度々見られたBETAの地下浸透行動、まさかジャングルでも同様の・・
「日野少尉、急ぎましょう。彼らが危ない!」
「承知!!」


日野達が民間人の隊列に追いついた時は既に戦闘が始まっていた。
装甲車程度しか戦力がない護衛隊の劣勢は明らかだった。
護衛隊はまるで西部劇のワゴンホイールさながらに、装甲車で民間人を乗せたバスやトラックを
囲い込み防衛線を形成、必死の抵抗を続ける。
だが圧倒的な物量の差は如何ともし難い。
青い顔をした指揮官が民間人のリーダーの村長に告げる。
「我々も全力を尽くしてはいるが最悪の場合・・・・BETAに生きたまま喰われるぐらいなら」
「判っています。手榴弾を用意していただけませんか。」
覚悟を決めた表情の村長
戦車級と闘士級、赤と白の奔流に飲み込まれ様かというまさにその時・・・

上空から火の雨が降り注ぎはじけ飛ぶBETA、一瞬遅れて聞こえる雷鳴のような轟音。
頭上を通過する迷彩色の戦術機、その機体に輝く日の丸を・・・彼らは見た。
「いやっほぅ 騎兵隊の参上だぜ!」 
「我々は機甲部隊ですよ、何を言ってるんですか」
「危機一髪を救うのは騎兵隊と相場がきまってんでぇ、おめぇ西部劇見ねぇのか?」
「僕はミステリーの方が好きですからねぇ。ヒッチコック劇場の方を・・」
もし彼らの通信を傍受しているものが聞いたら漫才かとあきれるような会話だが、その一糸乱れぬ機動は
見るものを魅了する。
ロッテ戦術、ルフトバッフェが確立した相互支援機動。一方が攻撃する際、列機がその後方で死角をカバーし
交互に一撃離脱を加える。
時折鳴る雷鳴をBGMに暗天の下で繰り広げられる死の円舞は止むことがなかった。


「大丈夫ですか日野少尉」
幌をあけてトラックに杉浦少尉が入ってきた。どうやら外はまだ激しい雨のようだ。
「“千代田”と連絡が取れました。アルファーストライク(全力攻撃)です。“千代田”“千歳”併せて30機の撃震が
この一帯を掃討します。整備班長も在庫一掃セールだと張り切ってましたよ。
まもなく救出のへりも到着します、今しばらくの辛抱ですよ。
何でも戦隊長がエアボスに無理行って出させたそうですから。」
「そいつは豪気だねぇ。・・ちょっとまて?もう2400時は回っているじゃねぇか、命令じゃたしか・・」
「門限破りの常習犯の君が言う台詞とは思えませんねぇ、いいですかここはベトナムです。日本と時差は2時間、
だから今はまだ2200時です、命令書にはどこにも本土時間とは書いてませんよ」
もちろん屁理屈だ。
当時、海外に展開する部隊は混乱を避けるため作戦行動は本土時間を基準としていた。
命令書の記載不備を突いての作戦行動、実に杉浦少尉らしいと苦笑する。だが
「日野少尉、申し訳ない。僕としたことがうかつでした。もっと早く気づいて増援を呼んでいればおそらく君も足を失わずに・・」
沈痛な表情で謝罪をする杉浦少尉。
日野は麻酔が効いた頭でぼんやりと左足があった所を見つめた。


隊列を襲ったBETAを一掃した後、日野達は隊列を安全地帯まで警護する事にした。
“千代田”に必要事項だけを告げると“すぐに帰ってこい”とがなりたてる無線を切る。
護衛隊の残存戦力では次にBETAの襲撃を受けたら隊列は全滅するしかない。
それが判っていて帰艦なんか出来ようか。
杉浦少尉はてっきり反対するものと思っていたが、返ってきた答は意外にも肯定だった。
「日野少尉、士官学校出の僕が今だに少尉なのは何故か、不思議に思いませんでしたか。
組織の決定が常に正しいとは限らないと僕は思いますよ」
「・・・・なんでぇ似たもの同士って訳かい」
思わず吹きだした。

日野が先導、杉浦が殿で避難の隊列は移動を開始した。
二足歩行での移動の振動は気持ちのいいものではない。
跳躍が出来ないのはもどかしいが車両の護衛では致し方がない。
「日野少尉、後ろです!」
緊迫した杉浦少尉の声で慌てて後方をスキャンする、
暗い密林に浮かび上がる緑白色の体に二つの大きな黒眼。
「光線級か、くそったれ」
豪雨でセンサーの探知範囲が狭まっていたことが原因だった。
咄嗟に機体を捻って横薙ぎに突撃砲を掃射、弾け飛ぶ光線級、しかし照射を全て交わすことは出来なかった。
胴体への直撃は避けられたが、跳躍ユニットと左脚に被弾、この機体での移動はもう無理だ。
日野は機体の放棄を決意、ベイルアウトしたが、降り立った場所は不運にも戦車級の群れの真ん中だった・・・


杉浦少尉がすぐさま救出に駆けつけたが日野は既に歩兵装甲ごと左足を噛み千切られた後だった。
避難中の民間人に医師が居たのが僥倖だった。
素早い処置が日野の命を繋ぎ止めた、さもなければ今頃失血死は免れなかっただろう。
今は鎮痛剤が効いているので痛みはない。
体の一部を失った事へのショックがないといえば嘘になる。
だが欠損した身体を補う擬似生体技術が開発されていると聞く、そう困ることはないだろう。

「よせやい、おめぇが流木に気づかなければ今頃この人達はBETAの腹の中だ。
それにあの時、注意してくれなかったら俺も光線級の直撃で蒸発してたろうさ・・・・助かったぜ、相棒」
「本当に君は何度言っても・・でも相棒という響きも悪くないですねぇ。」
「そうだ、日本に戻ったら助けてもらった礼をしなきゃな。何がいい?」
「・・・そうですか、なら例の店で紅茶でも振舞ってもらいましょうか。」
「紅茶なんぞでよけりゃジョッキで飲ませてやるぜ、それにしてもおめぇ何かというとあの店だな、
紅茶じゃなくて、本当はあの娘が目当てじゃねぇのか?どっちかはっきりしやがれってんだ。」
虚を突かれた杉浦少尉の表情に、ささやかな勝利を感じた日野だったがあっさりと逆襲される。
「両方ですよ。僕は意外と欲張りなんです。知りませんでしたか?」
意外な言葉にあっけに取られる日野を見て愉快そうな杉浦少尉、でも日野も嬉しかった。
(朴念仁かと思いきや意外にやるじゃねぇか)
どちらからともなく笑いあう二人だったが杉浦少尉が何かに気づき表情を改めた。
網膜ディスプレイの情報は装着した当人にしか分からない、何か拙い事でも・・
「残念ですがそれは適わぬようです・・・・」そういって眼を閉じた。
ただならぬ雰囲気を感じ問いただす日野「おい、ちょっとまて、なにを・・」
「それだけ啖呵が切れるなら大丈夫ですね。鎮静剤を打ちます、しばらく寝ていてください。」
首筋に無針注射器を押し当てられると急激な睡魔が訪れ、日野の意識はそこで途切れた。


日野が眼を覚ましたのは“千代田”の集中治療室だった。
杉浦少尉は還ってこなかった。
救出に出動したへりの乗員に話を総合すると再びBETA群が隊列に襲来
杉浦少尉は日野達の救出ヘリのLZ(着陸地点)を確保する為に残ったとのことだ。
そして再びヘリが現場に到着したとき杉浦機の姿はなかった・・・

翌日KIAと認定された杉浦少尉の水葬が取り行われることになった。
昨日とはうって変わって穏やかな海に水兵の吹くラッパが響く。
しかし日章旗の中には杉浦の幾ばくかの遺品とトンキン湾の空気しか入ってない・・
日野は絶対安静だという衛生兵の制止を振り切り参列した。
車椅子の日野に周囲の視線が突き刺さる、誰も声を掛けることが出来なかった。
日本に戻れば無用な危険を冒して貴重な戦術機を喪失した、として査問会が待っているという、
戦隊長はその決定に抗議してくれてはいるが、どうやら処分は免れないようだ。
ただ、日野達が救出した住民達が流してくれた涙が救いだった。
彼らは艦長に直訴までして参列を希望したらしい。
弔砲が鳴り響く中、日野は杉浦に語りかける。
(見てるか、おめぇの為に泣いてくれる人達がここにもいるぜ。俺達がやった事は無駄じゃなかった。
じゃあな相棒、一足先に九段で待っていてくれや)


日本に戻り擬似生体の移植を受けた日野は日常生活に支障が無い程度にまで回復した。
だが当時の神経接続技術ではこれ以上の回復は望めず、衛士の現役続行は不可能と判断された。
退院後の査問会、そして事実上の左遷人事、明野の衛士学校に教官として配属となる。
日野が再び衛士徽章を得るのはインド時代の上官である大場大佐が訪ねてくる、その日まで待たなければならなかった・・


日野の黙考を破ったのはドアの開く音だった。
「お帰りなさい、大尉、少尉も荷物持ちお疲れ様です。
それにしても凄い雨ですね、ずぶ濡れじゃないですか、お茶でも入れましょうか?」
「そうだな。では熱いのを頼む。」
「すみません、自分もそれで。」
「嬢ちゃん、俺は、」
「ブラックですね?これ飲んだらちゃんと書類を片付けてくださいよ、本当にもぅ」
「今日は紅茶にしてくれ、二杯な」
「コーヒー党の中尉が紅茶なんて珍しいですね、御代りならすぐに準備できますけど?」
「いやカップに二つだ、頼めるかい?」
不思議そうに尋ねる有栖川に珍しく真面目な顔で応える日野
(相棒、九段にゃ紅茶はなさそうだからな、あの店程でもないかもしれねぇが嬢ちゃんの入れた紅茶も悪くないぜ?)

・・・・・いつもと違った雨の日の午後の風景
最終更新:2009年05月28日 19:30
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