(くそ、何なんだこの状況は………。)
目の前には隻眼の男。
その後ろには気を失っている勝名を介抱するA分隊の仲間たち…そして心配そうに見守る雫。
目の前の不審者を連れてきた元凶である氷室教官は雫たちの傍らに立っており、相変わらず何を考えているのか読めないポーカーフェイスだ。
何故…と再び考えてしまう。
近接戦闘の訓練中に急に現れた男は、氷室教官に大場司令の客人だと紹介された。
『白髪』、『隻眼』、『黒のスーツ』、『高い身長』と『鍛え抜かれた肉体』、そして『晴れているのに傘』……これが教官の紹介で無ければ、通した門番の正気を疑うところである。
「殺し屋かよ…。」などと久我が呟いていたが、その言葉に部隊の皆が内心同意していたことに違いない。
教官の説明によれば、謎の男は有難いことに俺たちの訓練をつけてくれるとのこと。
(ご丁寧に大場司令の許可も得ているとのこと。)
階級を名乗らなかったが十中八九軍人であろうこの男は、教官から多少話を聞いているらしく部隊の中で腕の立つ自分と勝名を指名――偉そうな態度に反発を感じ、勝名が先にと名乗り出、無手でやりあったのだが……結果彼女が地面に沈んだ。
(あれは、完全に遊ばれてたって感じだったしな……。)
訓練部隊内でも自分や中岡とトップを競い合う程の接近戦能力を持つ勝名が、完全に手玉にとられていた。
現在男は、自分に対する訓練用にと受け取った模擬刀を適当に振り回している。
(心得が全く無い…てのは考えずらいよな。)
願わくば、剣術は比較的苦手であって欲しい、が……。
「少年、準備は出来たか?」
目の前の男――朽木と名乗っていたか――に意識を戻す。
腹を括らねばなるまい。
「…いつでも。」
本人のやり易いように…ということで持たされた二刀を構える。
「そうか…いくぞっ!」
感覚を研ぎ澄ませ、身体を捻って上段からの一撃をかわす――空気が唸る――当たれば頭蓋骨が陥没しそうだ――左手を振るう――身体を反らすことで避けられる――身体を捻り右手を振るう――模擬刀で受けられる――
(これで終わりと思ったら、大間違い…だっ!)
捻った身体の勢いをそのまま円の動きに変え、身体を回転させる――叩き込む連撃。
「ん…なっ」
朽木に驚愕の表情が浮かぶ…が
(受け流されたか……っ!?)
怖気を感じ、とっさに体勢を崩しながらも前に転がる――次の瞬間、頭上を何かが掠める――急いで体勢を立て直す――追撃は…無い。
とっさにかわしたのは、どうやら拳だったようだ。
何の躊躇いも無く素手で攻撃をしてきた男は、不気味な…そして楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「小僧…面白い動きをするな……流派は?」
「…………要流…あんたは?」
(呼び方が酷くなってるし…いや、単にこっちが素か?)
誰に対しても組手や模擬戦中はタメ口な悠希だが、どうやら朽木に気を悪くした様子は無さそうだった。
「くっくっく…聞いたことも無いが、面白そうな流派だ……。さて、聞いた以上こちらも名乗らねばな。改めて、朽木御流、朽木蓉鋼…参る。」
(いやそっちも聞いたことはねぇし!)
悠希は内心ツッコミを入れながらも気を引き締める。
気を抜いている余裕などある筈も無い。
それにも関わらず…このとき悠希は、自分でも気付かないほど僅かに、薄ら笑いを浮かべていた。
「笑い方、怖ぇな…。」
久我の呟きに、雫はとっさに我に返る。
「きょ、教官!本当にあの人は何なんですか!?」
「私は、司令からは個人的な客だということしか知らされていない。」
質問をしながらも、直ぐに視線は目の前で戦う二人に戻してしまう…本来なら失礼この上ないのだが、教官も同様に眼を離せていない為、気にはされなかったようだ。
「そして大場司令が許可した以上、私に口を挟む権利は無い…が、独り言を言うことは出来る。」
生唾を飲み込み、視線は二人に残したまま、教官の独り言に耳を傾ける。
「日本は欧州等の他の最前線と違い、個人のパーソナルマークというものが少ない。それも相まってか有名になる衛士、人々に…特に一般民衆にまで腕利き(エース)や英雄(ヒーロー)として名の知られている衛士は数少ない。」
思わぬ教官の話に戸惑う。
(まさか、あの怪しい男が名の知れた英雄だっていうの?)
「私が帝国軍に在籍していた頃に、一般民衆…とまではいかず、あくまで軍人の間程度での規模だが、腕利きとして名の聞いたことのある衛士に朽木という男がいる。」
たしか、目の前の男も朽木と名乗っていたはずだ。
「しかしその名は、誉ではなく畏怖をもって知られていた。衛士としての腕は立つが傲慢で暴力的、他部隊の衛士にも上層部にも嫌われ、彼が率いる部隊は常に最前線か殿。しかしながら本人はそれを喜び、戦場を駆ける。付いた仇名は『白髪鬼』…とそんな具合だ。」
「随分と…壮絶な人なんですね。」
無難な言葉しか出ない…噂話で多少尾ひれがついているとはいえ、そんな恐れられた人が大場司令の個人的な知り合いで…目の前で悠希と戦っているというのか。
「擬似生体の適合が上手くいかず前線を退いたらしいのだがな…この様子ではデマだったんだろうか…。」
いつものようにくるくると回り、まるで演舞を舞っているように連撃を加える悠希。
防戦気味でありながらも、しっかりと凌いでいる朽木は、とてもじゃないが前線を退かざるを得なかった人間の動きとは思えない。
「しかし、思っていた以上に…森上も腕が立つのだな……。」
それが問いかけなのか否か、悩んだ末に結局は黙ってしまう。
要流古武術、それが悠希の学んだ武術の名前だ。
要流の基本は神楽や演舞のような一定の律動、そして円運動にある。また多くの技は円に依存し、そして連撃には一定のリズムがある。
殆どの技が別の技へと繋がる基点を持ち、途中で切り替える汎用性もある…が、その技の全てが習得出来たわけでは無い…とは本人談。
対する朽木御流……要流も悠希から聞いてなければ知らなかっただろうが、こっちもこっちで全くもって聞いたことが無い。
要所要所で掌底や蹴りを放っているところから…剣というより拳法のように思われるが。
再び目の前の戦いに集中する。
傍から見れば、戦いは悠希が優勢のままだった…。
しかし、雫はどうしても不安が拭えなかった。
悠希が浮かべている微かな笑み…純粋な笑みでは無く、苦し紛れのふてぶてしい笑みも無く…どこか狂気じみた、自分の知らない悠希の顔。
悠希の息が上がり始めてきた…どちらが勝つにせよ、長くは無さそうだ。
段々と息が上がる…師であれば、ずるずると長びかせること無く一気に攻め切ることが出来るのだろうか…そんなことも頭を過ぎる。
こちらは的確に、模擬刀を構えていないところを攻撃しているが、受けられ、かわされ、時には模擬刀の腹を掌底で弾かれる。
どこか、まだ相手に余裕を感じる。
それはきっと勘違いでは無く、相手はこちらに『稽古をつけている』つもりなのだろう。
(だが、このまま遊ばれたままじゃ終わらねぇ!)
隙があろうとも、あえて避けてきた場所に攻撃を加える――右側上部――眼帯の…失われた左目による死角。
目に見えた弱点…当然相手は最も警戒しているだろうが、これまでにほとんど攻撃を加えなかった布石が役にたつ。
(勝った!)
そう思った瞬間――朽木の微笑が目に留まる――顎に衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
「………悠希!、大丈夫っ!?」
目を覚ますと、目の前には心配そうな顔をした雫がいた。
「あのオッサンが中々に面白かったが、もっと精進しろだとよ!…ケッ、偉そうに。」
「カッチーナさ~ん、そんなこと言って負けて「うるせぇ!」いでッ!」
一足先に目を覚ましていたのか、不機嫌そうな勝名と、それを諌めようとしている久我、
どう声をかけていいか迷っているような朝倉と斉藤がいた。
「雫……あの人は?」
「連れに呼ばれて司令の部屋に戻ったわ…さすがに、会いに行くのは難しいと思うわよ。」
「そうか………。」
不思議な沈黙が流れる。
「師匠以外にも、あれだけ強い人はいるんだな……。」
不思議と爽やかな、悠希の囁きが響いた。
Fin
最終更新:2010年02月04日 21:42