日吉梓が301に選ばれた理由

「日吉梓が301に選ばれた理由」

1.『桜花』作戦のあと


国連軍横浜基地は、2001年12月29日のBETA襲撃によって、基地機能のほとんどを失った。また同月31日の『桜花』作戦に人材も物資もすべてつぎ込んだため、ありとあらゆる物が不足しており、初動の復旧作業のほうも遅々としたものとなった。 
 司令部機能は健在ではあったが、逆を言えば『それ以外何もない』横浜基地は、同時に『国連における極東防衛の要衝』という機能も失っていた。 しかし横浜基地には、そこまでの状況になっても音を上げられない理由がある。 
 特秘の機密事項である『オルタネイティヴ4』は、『甲21号』佐渡島ハイヴに続き、亜細亜大陸の天元、喀什(カシュガル)のオリジナルハイヴ『甲1号』攻略という絶大な成果を挙げており、人類の勝利のためには、さらにどん欲に行動する必要があったからだ。 
 その最先鋒は横浜基地副司令、香月夕呼(こうづきゆうこ)博士である。オルタネイティヴ第4計画の最高責任者であり、天才的物理学者。見た目は白衣の長髪美人なのだが、政治も謀略も天才的で、外部からの警戒は特に分厚い女傑でもあった。

『そういう人物』に興味を覚えられるのは、『平穏』や『無難』といった言葉を愛する人にとっては、あまり良い事ではない。だいたいにおいて、『上の人』が名前を覚えているの人物のジャンルは政府高官や機密に携わる人間や、経産界の重鎮、あるいは『敵性人物』に偏る。 
 それは『社交界』という戦場で、マンシルエットを識別するような必須能力である。敵か味方か、あるいは敵になりうるのかを瞬時に判断しなければならない世界なのだ。 
 ゆえに、復旧中の戦術機整備ハンガーに流れた『緊急放送』に自分の名前が出たとき、日吉梓(ひよしあずさ)伍長は文字通り耳を疑った。そもそも『緊急放送』というのは、そのあとに「○○県でBETA識別」というレベルの放送をするような手続きのものである。 
 しかも副司令直々の名指しで、「こっちから行くのはめんどくさいから司令室に来い」という内容であった。 
 整備班の班員たちは『緊急放送』が終わると同時に安堵の吐息を漏らし、そして不遜にも上官および同僚に対して疑惑のまなざしを向けた。そのうちの一人――三浦という名の女性伍長が、梓に問いかけた。
「アネキ、戦術機でも横流ししたの?」 
アネキというのは、整備部における梓の呼称の一つである。 
その言葉に、梓は思わず緊張した。が、すぐごまかしの苦笑いになった。 日吉梓のあだ名の一つに、『ちょろまかしの日吉』というものがある。整備部所属で補給部にもコネがあり、大小様々な物資を基地内の誰彼に融通していたからだ。戦時下で物資統制されている現状では、ちょっとしたものがなかなか手に入らないようなことがある。 

が、そういうときに梓は同僚や部下によく頼られていた。だがさすがに、戦術機を丸ごとなどという離れ業は不可能だ。『通常』ならば。(そういや『桜花』作戦で使った《武御雷》って、『貸与』扱いになったのは後付だったっけ……) 
機密事項で内々にしか知られていないことだが、『桜花』作戦のために横浜基地から出撃した戦術機は、当時横浜基地に駐留していた帝国斯衛軍第19独立警備小隊の《武御雷》だった。『桜花』作戦は国連主導であり搭乗者は国連の衛士なので、本来《武御雷》が登場することなどありえない。 
 しかし確かに当時、日本帝国に登録されたままの機体を梓は整備し、搬送しHSSTに搭載したのだ。このとき梓が整備を担当していたのは、自身が新型OS『XM3』を組み込んだ赤い機体だった。 
 ところがこの時の《武御雷》は、いつの間にか公式に日本帝国から『貸与』されたことになっている。深い情報は開示されていないが、出撃した《武御雷》の中には貸与など考えられない『紫』の《武御雷》もあったというのに。 
 ちょろまかし慣れした梓のカンは、国連横浜基地の存在そのものを左右してでも『桜花』作戦を決行するという、上層部の意志を感じていた。そもそもハイヴ攻略に手を抜く理由は無い。梓は喜々として『いつも以上』の横流しを行い(いかんせん横浜基地における武御雷の部品在庫は少ない)、結果として出撃には万全の整備を間に合わせたのだった。 
 ゆえに、おおっぴらになると懲罰になる話はいくつもある。特に兵器関連の横流しは厳罰ものである。 
 あまりにも心当たりがありすぎるため、梓は深くあまり考えないようにして司令室に向かった。

2.審問

「日吉梓伍長、出頭いたしました!」 
 踵をガチっと合わせて敬礼をする。司令室近辺に入室できるIDを持っていなかったので、MPに付き添って案内してもらうという、初っぱなから心臓に悪い出頭であった。
 ここは、司令室に併設されているブリーフィングルームである。
「あー、そういうのめんどくさいから、いいから」
 香月夕呼は梓の方を見ずに、ひらひらと手を振って答礼を済ませた。そばには金髪の女性士官――階級は中尉―― が控えていて、いつでも香月の要望に応じられる体勢になっている。
「それで……ご用件はなんでありましょうか」
 梓が言うと、香月は金髪の女性士官に何事かうなずきかけた。女性士官は情報端末の画面を梓に見えるようにし、口を開いた。
「日吉伍長、この戦闘記録はあなたのものですか?」
 画面には戦闘記録の機動情報と、記録映像が流れている。場所は格納庫で、塗装が半ばのまま、見ようによってはサイケデリックとも言える《撃震》型戦術機がBETAを相手に奮戦していた。
 その塗装途中の《激震》に、梓は見覚えがあった。12月29日、消滅した佐渡島ハイヴの生き残りと思われるBETA群に横浜基地が襲撃されたとき、衛士でもないただの整備兵の梓が、格納庫の防衛のために使った余剰機体だった。「はい、自分であります」
 風向きが想定していた方向と違ったので、梓は素直に答えてしまった。その言葉に対して、今度は香月が問いかける。
「じゃあ、この《撃震》で『この機動』をやったのもあなたってこと?」
 香月が端末を触ると、4秒ほどの機動動作がリピートされて表示された。 その内容は、敵突撃級を回避しつつ噴射跳躍。そのまま倒立反転しながら長刀装備、着地と同時に水平噴射跳躍で突撃――という流れだった。 直後脚部を大破したが、尋常な機動ではない。
「はい、自分であります」
しかし、自信を持って梓が答えた。
「衛士でもないあなたが、いきなりの実戦でここまで出来るとは考えられないわ……何か理由があるのかしら?」
香月の追求に、梓はさらっとタネをばらした。
「操作記録であります、副司令どの。戦術機の整備と損耗部品の記録、その他のデータのバックアップは、整備の通常手順に含まれます。また整備班長にはその任務の都合上、強化装備のバックアップデータも含めた記録を閲覧する権限があります。
そして、自分が閲覧できる担当部隊の中に、卓抜した戦術機機動をする衛士がおりました。自分はそのデータを吸い出し、整備用のヘッドセットのメモリーに記録しておりました。
そして整備中にコックピット内にて再現し、自分の操作用記録として登録しておりました」
 整備兵は戦術機を動かせないわけではない。出撃準備のために移動させたりトレーラーに積載したりと、意外と動かす機会がある。整備兵は強化装備を使用しないが、強化装備を簡易化したものを使用しているのだ。ただし対衝撃性能などはく、長時間の戦闘は不可能であるが。
 そして、XM3の登場で恩恵を受けたのは衛士だけではない。最初こそ恐ろしい部品損耗に怒り心頭な整備部だったが、基本動作をパターン化させることで、いままで手動で行っていた格納動作などが一瞬で出来るようになったのだ。梓の行ったことは、それの延長である。
 ゆえに、整備兵が出撃しても、ある程度は戦えたのだ。XM3が搭載されているが故に。
だが、情報の取り扱いとしては問題がある。機動データは機密であり、私的利用は認められない。自白したのは、サバサバと「お叱りは覚悟です」という表明でもあった。何せ相手には『証拠』があるのだ。「じゃあ、この機動は?」 
 香月が次に表示したのは、脚部を大破した《半塗り》が、残った噴射機で跳躍し、格納庫の柱にぶつかる映像だった。しかしぶつかったまま落ちる気配がない。よくよく見れば、背部パイロンでがっちりと柱と壁をホールドしている。《半塗り》はそのまま、壁の上部から36mmを点射していた。 梓の顔が、わずかにしかめられる。ちょっと嫌な記憶だった。
「応用であります。背部パイロンの架台積載量は戦術機の重量に勝りますし、センサーで突起を探すことも出来ます。メカニズムとして可能だと思ったので、とっさに」
 ただし――その後壁を這い上がってきた戦車級などにたかられ、やむなく閉鎖空間で脱出レバーを引くという強引な手段を取らなければならなかった。装甲を削る音には今でも身が震える。
「ふぅ~ん?」
 その時、香月の目が光ったような気がした。照明の加減とかではなく。「まあとりあえず処分は後で言うから、元の仕事に戻ってちょうだい。じゃあねぇ~」
 と、香月は一人でまとまって、何やらご機嫌にその場を後にした。
「では、解散」
 女性士官がそう宣言し、梓は部屋を辞した。
 帰りもMPの付き添いがあったことは言うまでもない。

3.百里へ

 後日、梓の元に命令が来た。
 しかも例の金髪士官を連れて、香月副司令が直々に格納庫に来ての直接命令だった。
 整備部の休憩室が騒然となったことは言うまでもない。
「アンタ、明日から国連百里基地の衛士訓練学校に行きなさい。これ、命令ね」
 命令書も何もない、いきなりの移動――。
 かなり後になって梓は、香月が梓の立場を『除隊』→『再入隊』としていたことを知る。お陰で階級は伍長から訓練兵に逆戻りである。
 北海道から内地(北海道の人間は本州をそう呼称する)に入って、横浜基地ですでに驚天動地の経験をした身のはずなのだが、人生はここにきてずいぶんとダイナミック路線に転向したようだった。
 香月は言うだけ言うと、さっさと格納庫を出て行った。執務室へ戻る途中、金髪の女性士官――イリーナ・ピアティフ中尉が小声で言う。
「よろしいのですか? このような強引な方法で」
 それに対し、香月は『いい仕事しました!』みたいな顔で言った。
「な~に言ってんの。『あの機動』を再現どころか応用出来る人材なのよ? 機械にも強いし独創性もある。何より戦術機のメカニズムを理解して操縦しているところがポイントね。総戦技評価演習まではぱっとしないでしょうけど、例の部隊でなら優秀な支援機になるわよ」
「はあ」
 とピアティフ。
「それにね」
 と香月。
「ああいう凡才でも、『好奇心の強い努力家』って時々化けるのよね」 少し遠い目をして、香月は言った。 ピアティフには、香月が誰を見ているのか分かるような気がした。
 一方そのころ梓の私室では。
「くっ……これを着るのか……」
 とどけられた衛士訓練兵の白い制服を見て、梓はめげそうになっていた。独身21歳で(いや既婚でも)花をデザインベースにしたような可憐な制服は、どこかに厳しい物を感じる。特に胸。
 人類の行く手を担う女性の一人は、ひたすら目の前の問題に懊悩していた。

【おわり】  
最終更新:2010年06月06日 12:40
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