有田遼平が301に選ばれた理由

有田遼平が301に選ばれた理由

1.百里基地

 『国連極東方面第13軍百里基地』は、『日本帝国陸軍戦術機総隊中部方面隊百里基地』という長い長い正式名称の日本帝国軍基地に、
『添え物のように』誘致された基地である。
 国連百里基地は、元々あった帝国百里基地の敷地と施設を租借し、その本体は実質『司令部機能のみ』という状況だ。
整備ハンガーや兵舎も借り物であり、百里基地内の『国連の部分』には敷居や検問もある。
2002年の現状においては、今は亡きイタリアはローマ市の中にあった、バチカン市国をミクロにしたような様相を呈している。
 『国連軍』という枠組みでは、貧弱この上ない仕様だ。
しかしながら母体である帝国軍百里基地は師団規模の戦力があり、国連軍百里基地はその保護を手厚く受けている状況にある。
仮にBETAが再び本州を東進するようなことがあっても、国連軍の出番は分厚い百里の帝国陸軍が厄(やく)されるような状況になってからだ。
 無論そのような状況になった場合、国連百里基地は終わる。
帝国軍より分厚い戦力展開が出来るなら、そもそも基地を新設などしない。甚大な被害を被ったとはいえ、
国連横浜基地を再建し戦力を拡充させたほうが論理的で現実的だ。
 逆を言うならば、論理的に見えず現実的とも考えにくい『理由』が存在するのだ。

 国連軍百里基地所属、第301衛士訓練小隊。

 可能性『だけ』の訓練兵たちは、自分たちの『手厚い保護』の意味を、まだ知らない。


2.有田遼平

 軍人に限らず大抵の場合、見た目は結構大事である。
 もっとも軍人の場合、貫禄や迫力というものがあったほうが都合がいい。ましてや幼く見られるのは非常に都合がよろしくない。
 有田遼平という青年は、人生をそれで損してきたクチである。
年齢19歳で書類上は必要十分以上の実戦経験があり、BETAとも人間ともそれなりに戦争している。
 にも関わらず、あだ名は『坊や』である。線が細いというわけではないが、実年齢より5歳は若く見えるのだ。
5歳というとイメージしにくいかもしれないが、見た目で表現する人生が25%ほど適正な評価を受けられないと言えばいいだろうか。
余談だが実戦部隊で25%も損害が出れば、その部隊はすでに死に体である。
 そういう意味では、遼平の半生は敗戦続きであった。
 有田遼平は、元帝国陸軍所属の機械化歩兵兵士であった。当時の階級は一等兵。
1998年のBETA侵攻により家族を失い、所属部隊も壊滅して一時はMIA(作戦行動中行方不明)扱いになっていた。
 救出(MIAのため便宜上このように表現する)された後、日本帝国の国連軍への人材供与で国連軍横浜基地所属になった――
はずなのだが、その任務については公式記録がほとんど無い。
特殊部隊に所属していたようで、東南アジアを中心に活動していたらしいことが伺える程度である。
 ともあれ横浜基地内配備に『書類上戻った』遼平は、九州脱出以来と言っていい、比較的安穏とした日常を送っていた。
階級は伍長に昇進しており、自分の分隊も与えられていた。
 そんな彼の標準的な日常は、自分の97式機械化歩兵装甲の整備から始まる。
 強化歩兵装甲――あるいは強化外骨格――とは、人間の動きをトレースして力を増幅する、動力付きの鎧みたいなものである。
 生身でBETAと戦うのは、無謀を通り越して馬鹿だ。しかし銃器で武装しても心許ない。
かといって戦術機を大量投入するのは難しいし、小型種のBETA相手に戦術機を投入するのはコストに合わない。
 そのような二律背反とジレンマの中で成長してきた兵器が、この機械化歩兵装甲である。
戦術機のコックピットには89式機械化歩兵装甲が搭載されており、衛士にとっては脱出後の生死を分ける装備の一つだ。
 97式は日本帝国で圧倒的シェアを持つ機械化歩兵装甲で、国連軍では少数派だ。
理由は現状国連軍の制式装備である戦術機のコックピット――92式戦術機管制ユニット――には必ず89式が装備されているためで、
整備性や部品の都合を考えれば89式を使用したほうが良い。
 ただ97式は、遼平個人にとって都合の良い装備が純正で搭載されていた。近接戦用爆圧式戦杭、カタカナでは『パイルバンカー』
と呼ばれる強力無比な近接戦闘装備があったからである。
製造元である大空寺重工の設計主任が「趣味で付けました!」と公言してはばからない、まことにオトコのロマン的な武器であった。
 その歪(いびつ)とも言える設計思想に対し、遼平の評価は次のようなものだった。
「89式に比べてマルチディスペンサーやハードポイントが多く、装備バリエーションに多様性があり、
また設計思想が衛士の防護ではなく攻撃的なコンセプトになっている」
 89式は脱出補助ユニットとして制式化されている。それに対し97式は、装備によって単体戦闘能力に大きな幅がある。
機械化強化歩兵の遼平にとっては、整備や書類の都合より『武器としてのポテンシャル』のほうが重要だったということだ。
対BETA戦闘というふるいにかけられたときに、元々大きなポテンシャルを持つ戦術機が編み目から落ちないように、
一か八かでも尖ったポテンシャルで編み目に引っかかるという可能性に賭けたわけである。
模擬戦の評価も頭一つ以上高かったため、今では遼平の97式へのこだわりに文句を言う者もいなくなった。
 そうなってくると、今度は遼平の分隊を中心に横浜基地にある97式機械化歩兵装甲が集まってくるようになった。
悪い言い方をすれば十把一絡げであるが、それは遼平に対する評価の証でもあった。
 普段、童顔から努めて不機嫌を装っている遼平も、内心はにやけていた。
ただその平穏は、2001年暮れに起こった横浜基地へのBETA直撃で失われてしまった、永遠に。


3.百里へ

 何もかもを投入した『桜花』作戦の後、遼平は残余の89式機械化歩兵装甲を使用して基地の復旧作業を行っていた。
 自身の97式は、先のBETAとの戦闘で失われている。同様に分隊、いや、小隊も壊滅していた。
遼平の居た隊で生き残っているのは、一人も居なかった。それほどの激戦だったのだ。
 運が良かった、とは思えない。
 腕前があったから、とも喜べない。
 頭は理解している。『歩兵ゆえの損耗率』だった。
孤立無援だった横浜基地はBETAの基地内部侵入を許し、その結果多数――いや無数の小型種と直接戦闘になったからだ。
 自在と言って良い運動性を持つ戦術機と違って、平面におけるド突き合い、つまり陣取り合戦になった結果、
数を武器とするBETAに対し戦域維持のため、異常な損耗を強いられたのである。同様に警備兵や歩兵にも甚大な損害が出ていた。
(文字通り『強いられた』……)
 ぬぐえない疲労感を身体に感じながら、遼平は思った。
(受け身ではだめだ。攻めなければ戦えないし勝つことも出来ない。何も守ることも出来ない。これじゃあ……)
 ふと、空を見上げる。
(これじゃあ九州の時と同じだ)
 『桜花』作戦の成功により、『あ号標的』が殲滅されオリジナルハイヴが陥落したことは伝わっていた。
 そしてその勝利が、よりいっそう遼平の渇きを浮き彫りにした。
(機械化歩兵装甲じゃ足りない。より強い武器――戦術機に一撃必殺の武器を搭載して、攻勢に移る。そうでもしなければ――)
 そこまで考えて、急に『現実』という壁が思考を遮断した。
一度戦術機適正に落ちた自分が、今の『陸戦屋』意外何が出来ると言うのだろうか。
 だから数日後、戦術機適正の再査定と衛士訓練の『打診』が来たとき、思わず遼平は飛びついてしまった。

「これは事実上、香月副司令の直接命令です」
 金髪の中尉――イリーナ・ピアティフと名乗った――は、短い挨拶の後そう切り出した。
 ちなみに『打診』は考える時間が大抵あるが、『命令』に考える時間は無い。
「有田遼平伍長は明日付で除隊し、予備役へ。明後日付で、新設される百里基地第301衛士訓練小隊へ参入せよ。以上です」
 『襟首4年敬礼8年星がついたら2年増し』というのは徴兵にまつわる定型句であるが
(陸軍は襟首をつかむようにひっぱられて4年間、エリートの空軍(現衛士)は敬礼で迎えられて任期8年という意味である。
昇進したらさらに2年)、遼平の場合は特殊部隊に所属していたこともあり、3年で除隊が可能であった(激務とハイリスクが理由)。
そして今は3年目である。除隊することは書類上不可能ではない。
 ただ、一度撥(は)ねられた衛士適正を受けろというのは妙な話であった。
その理由を理解するのは、301に入隊し戦術機新型OS、XM3に触れてからである。
新型OSのお陰で、衛士適正規格が大幅に修正されたのだ。
 数秒凝固していた遼平は、中尉に同伴していた軍曹――後任だが――の「復唱!」の声に反応して、大声を上げていた。
「有田遼平伍長、明日除隊し、明後日百里基地へ出頭いたします!」
 腹の底から、何かがふつふつとわき上がっていた。
(やれる! 思い通りの俺の力をBETAにたたきつけられる!!)
 家族の仇討ち、仲間の報復、その他後ろ暗い感情のさらに奥から、沸き立つものが確かにあった。
 言葉にすれば薄っぺらくなってしまいそうだったが、それは確かに日本人、あるいは地球人として、故郷の為に戦える歓喜だった。


4.因果は回る

「副司令、第一次選考者のファイル、まとめ終わりました」
「はい、ごくろうさま」
 分厚い物理印刷(つまり紙)のファイルを、ピアティフ中尉は横浜基地副司令、香月夕呼のテーブルに置いた。
「質問をよろしいでしょうか」
 とピアティフ。
「いいわよ。あとそういうカタいのはやめてって言ってるでしょ」
 軍事施設の副司令としてはいかがなものかな発言をしながら、夕呼が応じた。
「他の候補者はそれなりに分かるのですが、どうして彼を候補に挙げたのでしょうか?」
 と指さしたのは、有田遼平のファイルであった。
 『香月夕呼が理解し理想とする兵士』、つまり301訓練小隊がいずれ成るであろう新部隊にのオーダーに、
有田遼平の戦闘能力やスキルは、不足を感じないではない。つまり『兵士として出来上がっている』のだ。
伸び代や将来の可能性という意味では、他の候補者――あるいは幸運にも夕呼の目を逃れた候補者――にも、
見劣りではないが何か足りないものを感じる。
 それに対し、夕呼はシンプルに「因果よ」と答えた。
「九州陥落を生き残ったところが始まりね。普通ならあそこで死んでいるはず。もちろん自軍の支配域への単独脱出なんて不可能。でもね、
『死なない可能性を拾い続ける兵士』という部分で、彼は異常の域に達しているわ。
どうしてA-01の候補に挙がらなかったのか不思議なくらいよ。実際『生還不能』と『設定』した特務も、部隊に欠員無く帰還。
この周囲も含めた生還率は一種の『異能』ね」
 あっさりと、香月はタネをばらした。どこまで関与していたのかまでは分からないが、下手をすると九州から復員した後の
人材供与にまでさかのぼるかもしれない。
 ピアティフとしては、背中に流れる嫌な汗を感じないではなかった。
 人類を救うためにはあらゆる犠牲をもいとわない、恐るべき指揮官がそこに居た。

 後日。
 遼平は百里に着任した。周囲に人の営みのある、G弾の影響で殺伐とした横浜基地に比べれば、角の取れた雰囲気を持つ基地だった。
(今日から変わる)
 腹に力を込めて、遼平は思った。
(俺は、守るだけの者ではない『何か』になるんだ)
 可能性の獣が解き放たれたのは、おそらくその日だっただろう。
 その『悪縁』は彼のパーソナルマークとともに、一部の人間から『ハード・スターク』と呼ばれることになる。

 横浜基地BETA直撃の時、格納庫でともに戦った日吉梓と再会するのは、その後の話である。

【おわり】
最終更新:2010年06月05日 22:31
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。