紫煙

2002年6月10日 21:03
国連軍横浜基地 喫煙室

朝や昼間など、軍務の合間をぬった時間帯であれば賑わう喫煙室。
訓練兵であれば喫煙は許されず、正規兵であれば自分の個室で吸えば良い話である為、この時間帯に利用者はまず現れない。
そんな中、少量の煙草をゆっくりと吸うのが、朽木の日課であった。

煙草が嫌いであった妻の影響か、個室に飾ってある家族の写真の前で吸う気にもなれず、
執務室は共に利用する部下に肺も疑似生体になっている者がいる為厳禁、
結果誰もいない喫煙室で紫煙を漂わせていた。

そんな毎日の中、週に2回特殊な日がある。
来訪者と言葉を交わす日――その来訪者がノックと共に現れる。

「おっ、くっちー。いたいた。」

“朽木”だから“くっちー”。
部下が聞けば卒倒しそうな馴れ馴れしさで話しかける“訓練兵”、それが柳夏純である。

「まったく、先週間桐に聞かれてぶん殴られたばかりだろう…。」

「え~、今は確実に二人きりだからいいじゃん。」

周りには知られていないことだが、夏純と朽木は、朽木ががまだ国連軍に所属する前…どころか、家庭を築いていた頃からの知り合いである。
当時から厳つい朽木の外見と少ないとは言えない年の差を気にせず、馴れ馴れしく愛称で呼ぶ不思議な少女、それが柳夏純であった。
現在は上官と部下というとう関係であり、さすがに体裁といものがある以上、知り合いであろうとしっかりとした言葉使いを要求していた朽木であった。
…が、他人の目がある時ならともあれ、二人きりの状態では一向に直らない夏純に対し、元からそういった小言が苦手な朽木が先に根をあげてしまったのだ。

妥協点として、“軍務以外”訓練兵でいえば訓練時間外かつ、二人きりの場合のみ朽木は夏純の態度を許していた。
しかしながら、普通に考えれば夏純の態度は処罰ものである為、万が一二人きりだと思っていたが別人がいたりした…などという場合、その別人―先週の場合は間桐に鉄拳をもらうことすらある。

そして、さらに言うならば、それを許す対価としての特殊な取引が存在する。

「で、PXでの宴会は上手くいったのか?」

「ん~、前より皆とは距離が縮まった感じかな、ソニアちゃんは相変わらずつっけんどんだけど。」

朽木の胸ポケットから勝手に一本の煙草を抜き出し、吸い始める夏純。
それも朽木と夏純との特殊なギブアンドテイクの一部であった。
朽木は夏純から再訓練部隊内に関する情報を受け取り、場合によっては部隊の為に協力してもらう。
夏純の対価は限定的に馴れ馴れしい態度の許容、1回につき1本の煙草、そして少々の世間話である。

軍人の階級という絶対的差がある以上、朽木が部下や訓練兵本人たちから得る情報には少なからずフィルターがかかっている。
それは当然であり、誰しも自分を簡単に罰せられる相手に弱みやプライバシーに関する情報を簡単に与えようとは思わない。
結果、人間関係などという面倒極まりない情報を得るには、非常に近い存在の協力者が必要不可欠なのである。
その協力者こそ、彼女――柳夏純である。
夏純はその人当たりの良さから様々な相手と良好な人間関係を形成しており、有益な“世間話”を収集してくるのだ。

今までは、再訓練部隊の中で元の階級を利用した悪質な問題が発生していないか…という情報が主に必要であったのだが、
“副司令の直属”という面倒な2名が現れた為、気配りを数倍にする必要が発生したのだ。
さらに、その事実のみが信憑性の高い噂話として伝わっている以上、当然部隊内では不必要な歪が発生する。
例えば職場に上司の子供などがいた場合、面倒なことにならないよう、できる限り関わり合いたくないというのが一般的であろう。

その気配りの一部が先日の宴会である。

たとえ元尉官であろうとも、たかが訓練兵がPXをかしきることなど不可能であり、実際は朽木が様々な手回しを行なったのだ。

「しっかしまぁ…今までも散々思ってたけどさぁ~、ありもしない神経すり減らすなんて、くっちーらしくないんじゃない?」

「別にそこまで気をつかってるわけでは無い…って、今何て言った?」

自分に睨まれても「にゃははは~」と笑みを崩さない彼女に、神経がどうこう言われたくないと鼻を鳴らす朽木。
気配りができるかという意味では両者には圧倒的差があるのだが。

「ったく……need to knowだろうが。」

「あの二人の細かい話はいいの、くっちーが珍しく気を使う特別な理由があるんじゃないの?って話。」

「その理由に言えん内容が含まれる。」

「くっちー、面倒な言い回し嫌いだからね~。協力者としてはグレーゾーンな独り言を聞いておきたいところだけど。」

ようするに、夏純はたまたま朽木の独り言を聞いてしまっただけだから、仕方がない…という言い方にすればギリギリ問題無いと言っているのだが、朽木としてはそういった面倒な考え方が億劫なのだ。
色々と協力してもらっている以上、最低限納得くらいはさせろ…という夏純の言い分も理解はできるのだが。

「あの二人が、副司令直属の特殊部隊にいた…ってのは知ってるだろ?」

「知ってるよ~、シンちゃんが最初にズケズケと色々聞いてたからね~。ま、それ以上の情報はもちろん秘密だったけど。」

半分近く残っていた煙草を一気に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

「恩が…ある。」

決して大きくはないが、しかしよく響く声で呟く朽木。

「…恩?」

その雰囲気に、言葉少なになる夏純――静かに響く時計の針の音。

「牝狐に言われた……人類が、まだ少しは希望を持って、戦えている恩の一端が、あの二人にもあるってな…。」

夏純が、そして朽木でさえも、持っている情報というのはほんの一握り。
それでも、考えることは出来る、軍の発表から、それこそ噂話すら頼りに――それら一握りの情報から。

黙る二人は、それぞれ何を思うのか。

静かな部屋にただ紫煙が漂う。


Fin.

―おまけ―
「あっ、やばっ、誰か来た!…ってまだ少し残って勿体無いし……えぇぃ、くらえくっちー!」

「…ぬっ!?」

「失礼します…やはり此処でしたか、大尉……って柳訓練兵?」

「はっ、不肖柳夏純訓練兵、僭越ながら朽木大尉の話し相手を勤めさせて頂きましたっ!朽木大尉、有栖川少尉、それでは失礼します! 」

「は?……行っちゃった………何だったのかしら。…って、何で煙草二本同時に咥えているんですか?大尉。」

「………知るか。」
最終更新:2010年06月16日 22:03
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