2001年7月15日 1700 日本帝国 陸軍技術総監部戦術機甲本部 技術開発廠 第壱開発局第弐部
「・・・そろそろ梅雨も明けそうね、もう夏ねぇ・・・」
第壱開発局第弐部長の河惣 巽(かわそう たつみ)陸軍大佐は、部長室の窓から見える雨上がりの空を見上げながら呟いた。
BETA大戦、そして本土防衛戦。 今現在も甲21号目標―――佐渡島ハイヴは健在で、帝国の行く末は庸として不透明だった。
だがそれでも季節は回る。 鬱陶しいことこの上ないが、こうして春の淡陽から梅雨の時期を過ごし夏の陽光へと、鮮やかに衣替えをしつつあるではないか。
初夏の木陰で一休み、なんて午後のひと時も悪くないわね・・・
などと、些か現実逃避じみた感想を思いながら、ドアをノックする音に現実へと引き戻される。
「―――どうぞ」
仕方が無い、今はまだ軍務中なのだから。
ドアを開けて入ってきたのは、部下である第弐部の女性参謀大尉だった。
「失礼します、部長。 ボーニング社からの回答をお持ちしました」
「ん、ありがとう。 ・・・ふぅん? 随分と太っ腹ね、ボーニングも。 アラスカだけじゃなくて、こっちにも開発データを回すと?」
「アラスカでの試験結果に対するフィードバックを速める為とか。 戦術機甲技術研究所と戦術機甲審査部にも通達が入っています」
「フィードバックねぇ? 確かにボーニングと帝国軍技術開発廠、双方で問題点の潰しと改良点の洗い出し、それに評価を並行すれば工程は縮まるけど。
「判ったわ。 これを担当官に渡して。 1課と2課に回して検討させるようにと。 期限は2日後、17日の廠内会議で打診します。
メリット・デメリット、それに想定される工期と費用の見積りも忘れずに」
「はい、かしこまりました」
女性大尉の補佐官が退室した後、ふと執務卓上の書類に目を落とす。 アラスカから送られてきた今月分のデータだった。
正直、アラスカから送られてくる5月の試験データは見る度に頭痛がする代物だった。
余りに酷い、これでは正直この計画は一気に終了となってもおかしくなかったと思う。
確かにこれでは第壱部の抜け目ないスカーフェイス親爺―――副部長の巌谷榮二中佐が内心で焦るのも仕方が無い。 帝国軍主流からは外れた『外様』故に。
それ故か、彼が自分の秘蔵っ娘―――確か、斯衛の篁中尉と言ったか―――を日本側の主任として出したのは。
斯衛から戦術機甲審査部の試験部隊に1 個中隊派遣している、その指揮官だった。 何度かシュミレーターの様子を見た事が有る。
腕は確かな様だった。 実戦経験の差か、歴戦の古参連中に比べてその戦闘指揮も、戦闘機動も、些か教本通りのお行儀の良いモノだったけれど。
「・・・でもね、長年培ってきた経験や身に染みついた癖ってなかなか取れないのよね。
ましてや文化が違えば思考方法も違う。 そこの所が判っていなかったのかしらね? お姫様は・・・」
書類の中に含まれているアラスカでの開発衛士のプロフィールが記載された書類に目を落とす。
何処となく斜に構えた感じの、ちょっと神経質っぽい、まだ少年の面影を残す感じの日系米国人 ―――いや、日米のハーフだったか?
アラスカでの試験結果が急変したのは6月に入ってから。 見違えるような好結果のデータが送られてくるようになったのだ。
どうやら現地でも良い変化が出始めた様だ。 それに合わせるかのように米国側(主にボーニング社)も妙に乗り気になってきた。 予定された各種パーツの開発スケジュールも前倒しされると言う。
彼等にしても成果が出なければ投資の回収が出来ないから、当たり前と言えば当たり前か。
でもその判断の元ネタが、日本趣味の変な米国人軍属(ボーニング社員)の思い込みに起因するなんて、誰も思ってやしないでしょうね・・・
戦術機データやボーニング社との折衝は滞りなく進むだろう。 その為に『彼女』が来ているのだから。
ただ、今自分が抱えている判断を最終的に下す為の材料が他に欲しい。 判断するに材料は多い方がいいだろうから―――碌な材料では問題だが。
(―――ま、それを判断するのも私の器量次第よね。 それにあの娘の思考はとても面白いわ・・・)
案件に対する相談をする為に、2ヵ月来彼女の『補佐役・兼・連絡役』として第弐部長室前の副官室の一角に座を占める様になった人物を内線で呼び出す。
「―――ああ、ナディア、ミス・グレン・ナディアはそこにいるかしら? いる? じゃ、ちょっとこっちに来て欲しいのだけれど」
やがてドアがノックされ、1人の人物が入室してきた―――妙に猫背で、ちょっとビクビクしながら。
『相変わらずねぇ・・・』と2か月前の初対面を思い出しながら、今までの事がふと思い出され、またまた思いだし笑いの発作に襲われる河惣大佐であった。
2001年5月1日 1300 日本帝国 陸軍技術総監部戦術機甲本部 技術開発廠 第壱開発局第弐部
「ボ、ボーニング社より派遣されました、ナディア・グレンセンと言います!」
―――目の前に電柱が聳え立っている。
違うわね、電柱じゃなくって、『非常に長身の女性』、だわね。 180cmは軽く有るかしら? 欧米女性でも長身の部類でしょう。
一瞬手にした書類を落としそうになりながらも、何とか内心の狼狽を現さずに済んだ事を何かに感謝しつつ、河惣大佐は内心の感想をそう訂正した。
「初めまして、ミス・グレンセン。 私は日本帝国陸軍大佐、河惣巽(かわそう たつみ) 今回の『プロミネンス計画』、一応は帝国側の総責任者と言った所よ」
「はい、河惣大佐! 私はボーニング社から参りました『ナディア・グレンセン』です!」
「グレンセン・・・ 北欧系?」
「4 代前の高祖父がノルウェー出身でした。 ステイツに移住したのは19世紀の末頃らしいです」
「・・・背が高いわね、どの位あるの?」
「そっ、それは・・・! それも申告事項でしょうか・・・?」
「純粋に関心ね。 で? どの位あるの?」
「・・・ろ、6フィートです」
「私の知り合いの将校がね、大体183cm位なの、6フィートね。 貴女、彼より背が高いわよ?」
「うぅ・・・ 6フィート・・・ 1インチで・・・」
「(ジィ~・・・)」
「・・・スミマセン! 嘘です、6フィート 2インチ(189cm)ですっ!」
―――6フィート2インチ。 大方190cm近い。 確かに女性としては異例の長身よね。
私の親友は180cmあって、日本人女性としてはかなりの長身だけれど・・・ 彼女より10cm近く背が高いとは・・・!
この何気に猫背なのと、どこかオドオドした雰囲気は身長コンプレックスの裏返し?
「・・・そう、ミス・ナディア・グレンセン。 日本流に言えば『グレンセンさん家のナディアさん』ね。
―――グレンセン・ナディアさん、グレンセン・・・ グレン・・・ グレン・ナディアさんね、ふふ・・・」
「えぇ~・・・?」
「で、ミス・グレン・ナディア。―――面倒ね、ミス・グレナディア、一つ質問なのだけど?」
「グ、グレナディア・・・ 私、兵隊じゃないです・・・」
「良いじゃない、ドイツじゃエリート兵士の呼称よ?―――貴女の専門は? 工学? 理化学? それとも文系・・・?」
「あ、あのう・・・」
「はい?」
「専門は、と言いますか、大学時代の専攻は『東洋民俗史』です! 特に日本のサブカルチャー史と、中国共産党史が専門でした!」
「・・・」
「何と言っても、日本のサブカルチャーは米国に難民亡命した日本のクリエイター達がL.A.に出現させた『アリアケ・フィールド』が秀逸で・・・!」
「あ、あのね・・・ それは良いから。 じゃ、ボーニングでの専門は・・・?」
「会社では、アジア担当広報部署に所属しております! 主に難民キャンプを回って、『ミリタリー萌え』の連中を軍が一本釣りする為のコマーシャル作りとか・・・!」
―――ボーニングの連中、投資回収をする気が無い様ね・・・ 頭、痛くなってきたわ・・・
2001年5月29日 1300 日本帝国 陸軍技術総監部戦術機甲本部 技術開発廠 第壱開発局第弐部
「・・・悲惨な結果ね」
「開発衛士の腕なのか、日本側現地責任者の手腕不足なのか、それとも双方なのか・・・」
「いずれにせよ、このままでは参謀本部辺りから『今からでも、
帝国軍衛士を現地に派遣せよ』などと言ってくるでしょうな・・・」
アラスカから送られてきた機動試験結果に、第弐部長、及び第弐部第1課長、同第2課長が揃って頭を抱え込んでいる。
無理も無い、『次期主力戦術機計画』が結実するまでの繋ぎとはいえ、仮にも一国の主力戦術機の性能向上計画でこの有様は酷過ぎる。
ふと、それまで部屋の隅に控えていた彼女に聞いてみたくなった。 何が、と言う訳でも無い。 しいて言えば『同国人として』どう思うか、なのだろうか・・・
「ミス・ナディア。 貴女はどう思いますか?」
尉官待遇軍属とは言え、元々は民間人。 河惣大佐の言葉は意外に丁寧なものだった。
問われた当の本人は少し首を傾げ、少し考え込んだ後でこう言った。
「・・・こうなったら、武士と騎士とで剣を戦わせてみればどうでしょう?」
―――後日、斯衛軍より消耗器材の件で嫌味を言われた事は、データの代償と我慢する事にした河惣大佐であった。
2001年7月15日 1900 日本帝国 陸軍技術総監部戦術機甲本部 技術開発廠 第壱開発局第弐部
「あの時は驚いたわ、まさかいきなり『刃を交えさせろ』ですものね」
「あ~・・・ と言いますか、異文化同士で衝突しているなら、いっそのこと、って思いまして。
それに日本製戦術機の開発ですから、日本の思考文化を体感させるのも手かなぁと・・・ ほら! 『拳で語る』って言葉、日本に有るじゃないですか!?」
「・・・まっとうな日本文化には無いわよ?」
「うぐ・・・ で、でも、結果は良いデータが取れたのですし・・・」
「もし、失敗していたらどうしていたの?」
「・・・私の責任じゃありませんもの。 困るのは大佐とウチの会社の上層部で・・・ い、いたい、いたい! 大佐! 耳を引っ張らないで下さい! ひぃ~!!」
「まったく、この娘は・・・ でもま、それはそうね。 お互いに相手の背景を何も知らないじゃ、上手くいくものも上手くいかないわ。
それにあの斯衛のお姫様に、いきなり米国を知れ、何て言っても無理でしょうし・・・」
うん、でもまぁ、この娘の言う通りかもしれないわね。 ちょっと極端だけれども。
それにこう言った(ちょっと極端だけれど)思考は帝国ではちょっとお目にかかれない。ましてや『お役所』と化している開発局内では尚更貴重に思える。
だもので、本来は軍機中の軍機の属する案件事項の『判断材料』を聞いてみようと思ったのだ。
―――本来なら、機密漏洩も甚だしいのだけれど。
先日、第壱部副部長の巌谷中佐から内々に打診が有った。
以前にアラスカに持ち込んだ『武御雷(Type-00F)』の現地使用許可が欲しいと言ってきたが、今回はそんな小さな話ではない。
何しろ、『試製99型電磁投射砲』―――あれの海外持ち出しを申請してきたのだから。
戦術機開発の行政管理全般は第弐部の掌握する所だ、例えそれが斯衛の所属機であろうとも、軍機の試作兵器であろうとも。
戦術機開発行政の枠内では海外での使用は自分が許可しない限り、『あれ』を勝手に海外へ持ち出し、使用するのはもっての外。
だが局長以下、廠内上層部も、そして戦術機甲本部長も盲印を押す腹らしい。 技術総監に至っては『よきに計らえ』ときた。
お陰であの男からの無言のプレッシャーがキツイ、キツイ。 かつては自分の上官だった、その性格は承知している。
「アイデアよ、アイデア。 ナディア、何かないかしら?」
「えぇ~・・・ アイデアと申されましても~・・・」
「専門も無い、技術も無い、只の連絡役の居候でしょう? それぐらい出しなさい!!」
「ひっ、酷っ!?」
長身を更に猫背にし、頭を抱え込むように悩むナディア嬢―――絵にならないわね。
「・・・私的には、さっさと出しても良いと思うんですけど~・・・?」
「・・・軍機中の軍機よ?」
「そうは仰いますけどぉ、軍事技術なんて民生技術と比較すると『10年は遅れている』んですよぉ?
今更、軍機って言っても、その内他の国も確立しちゃいますって~・・・」
(・・・今回は『横浜絡み』なんだけどもね?)
「それに、利益を生み出すには相応の投資は必要ですって!
特にこの国の軍人さんは『金は出さないけど、モノを売れ』、それか『種を蒔かずに、実を刈り取れ』って言っているようなもんですよぉ~・・・」
―――大きな国益の為には、相応の出血を惜しむな、か・・・
「それに、頑張っている女の子にはご褒美上げても良いかなぁ~って。 ほら、私の国の男の子も頑張って良いデータ出しているじゃないですか?
それにカムチャツカですよね? 向うのソ連軍の軍人さん達も助かるんじゃないですか~?」
「ふぅん・・・ 『ボーイ・ミーツ・ガール』? 青春よねぇ・・・」
―――イヤだ、イヤだ。 まるで小母さんじゃないの、私ったら。
「・・・大佐、年寄り臭いですよ・・・?」
「・・・何ですってぇ!?」
「ひぃ!?」
急に可笑しくなってきた。 そうね、確かに面白いかもしれないわね。 いいわ、我儘聞いてあげる。
思わずクスクスと笑いが出てくる。 良いではないか、世の中四角四面だけでは生きていけないのだから。
それにあの男も私に頭を下げ続けるのも、そろそろ限界が来たのではないだろうか?
(・・・階級が逆転したのは私のせいじゃないわよ、巌谷中佐。 あなたが勝手にチャンスを潰しただけ。
今回はあなたの可愛いお嬢ちゃんに免じて許可してあげるわ―――製造時のマスターコードまでは開示出来ないけれど?)
それこそ如何に現地の日本側責任者と言えど、一介の中尉風情に任せられる判断ではないレベルの事だから。
『試製99型電磁投射砲の持ち出し許可申請』の件を自分の中で『処理済み』とした後で、河惣大佐は今後のスケジュールを再確認した。
ボーニング社の技術陣が乗り組んで来るのならば、どこまで情報開示を行うか。 情報保安レベルをどうするか。 彼等の行動範囲の制限は?
やる事は山ほどある。 直接技術的な問題に当る部署ではないが、彼女の部署が総合計画を立案・展開しなければ第1開発局の業務がストップする事は確かなのだから。
「ほら! まだまだやる事は山ほどあるわよ!―――ナディア、『プロミネンス計画』、その『Type-94フェイズ』終了までは貴女は私の部下! キリキリ働いて貰うわ!」
「ひぃ~ん・・・」
全く―――専門知識も無い、技術も経験も無い。 知ってるのはここでは役に立たないマニアな知識だけ。
でもどう転ぶか判らないわね。 そこが帝国軍人では盲点になっているポイントを時に鋭く突いてくる―――本人の自覚なしに。
「いっその事、日本に帰化でもしてみる? 思う存分、東洋趣味に耽溺できるわよ?」
「い、いやぁ~! クニに帰りたいよぉ~! 『アリアケ』が・・・ 『アリアケ』が恋しいよぉ~!!」
【完】
最終更新:2010年06月23日 01:24