「よぉし、もう一本行こうか! 今日は私の出征祝いだー!!」
「沙村さんったら……まだ赤紙もきてないじゃないですか」
「古いッ! 今の臨時召集令状は赤くないっ! 別にどうでもいいことだけどね!」
会議室に集まって男女がささやかに(?)、打ち上げをしている。
ホワイトボードには未だ、「府防災避難計画」と題され、打ち合わせをした後が残り、
とりあえずテーブルの上からどかされた資料やら、OHPやらが地べたに積み上げられていた。
そして普段は茶を入れる湯飲みに、なみなみと日本酒がそそがれ、
商店で買ってきた枝豆やら、するめをつまみにバカ騒ぎをしている。
酔っぱらった連中の常として、話題はどこかでループするもの。
その沙村と呼ばれた女性の武勇談に話が戻った。
「いやぁ、でも本当に格好良かったですよ、あの啖呵! 軍人がもう青筋立ててたじゃないですか!」
参加者で一番若い久須が顔を真っ赤にさせて宴会の主賓にからむ。
「軍の魂胆ってホント見え見えなのよね。斯衛の女の子出しておけば叩かれないとか、馬鹿じゃないかと。
こっちだって女なんだから、容赦するわけないってのに!」
「ですよねー!」
そういって二人で馬鹿笑いする連中を、なんとかなだめているのがその集団の長であった。
「ちょっとね、もう少し静かに、あぁ、お酒をこぼさない! もったいないんだから、この人たちは……」
「室長も今日くらいは騒ごうじゃないですか!!」
「いいのいいの! 全部私の責任にしてくれればいいんだから!」
「そういう問題じゃないんですよ!」
瓶ビールを手酌しようとすると、久須が奪い取って、どうぞどうぞとビールを継いでゆく。合成ではない。
なみなみと注がれ、泡が少しこぼれると言う所で、がっとあおって一気に飲んでしまう。
彼女の首から胸元にかけて一筋の麦酒が流れるのが、また艶やかだった。
周りはそんな飲みっぷりの沙村を指笛や拍手ではやし立てる。それを両手で「まぁまぁ」と制す沙村。
室長の三城笑二は、会議室が汚されないかと心配しつつ、なんだかんだで温かくそれを見守っていた。
「せーの」
「軍人のばっきゃろーーー!!」
憚らず軍部批判の意気を揚げる参加者達。
沙村維実は時に肩を組み、スルメをもしゃもしゃと食べ、歌を歌い、いずれ来る同僚との別れを彼女なりに惜しんでいた。
* *
どうして大阪府の防災室長補佐、沙村維実がやけ酒じみた歓送会を(自ら)催しているのか。
それを理解するには彼らが騒いでいる10時間前に時計の針を戻す必要がある。
発端は自治体と軍の調整、関西広域避難計画のワーキンググループ、阪神地区委員会の場で発生した。
「その結論は、おかしい」
その言葉が全ての発端となった。濃緑の制服に身を包み、心底気持ちよさげに戦略論をぶっていた
軍の担当将校を相手に沙村がそう切り出したのだ。
「軍にとって名神高速道路は絶対必要」。担当の本防軍大尉が軍用地図を広げて得意満面に作戦面からその重要性の説明を垂れ流していたのを、
それまで努めて冷静を装ってきた沙村が遂にキレたのだ。三城室長は顔を真っ青にさせて止めようとするが、何もかもが遅かった。
「それじゃあ……まず、大阪と和歌山の接続を意図的に軽視しているのではないかしら。42号の交通量は一日で……」
久須や軍人達があっけにとられている間に、おかれた駒を使って負けず劣らず、それどころか軍人以上に流暢に、説得力をもって
解説を始める。お株を奪われた大尉はぷるぷると震えていた。
「ぐぐぐぐ…………」
歯ぎしりをさせて怒りを表す坊主頭の大尉。「RG1R(斯衛一連隊)」、「1D(第一師団)」などと書かれた駒の配置などをめぐり
激論が交わされるようになってから防災会議は、作戦会議にすりかわっていた。もはや他の同席者は手も出せない。
「私、府の防災計画をここ7年ちょっとやっていますので。素人と思っていい加減に説明しても全部わかります。
さ、名神が民間の割当でも軍は充分動けることは明らかだと考えますけれども?」
「何もここにそんな議論をしにきたのではない、そもそも状況が」
「あー、"そもそも論"は聞きたくない!」
「真面目な話をしているんです! 防災室長補佐殿!」
軍の大尉と沙村のケンカじみた議論、もしくは水掛け論をうんざりした表情で見守る女性があった。
「斯衛軍は、一色中尉はどうなんです!?」
大尉が形勢不利と見て、それまで静かにしていた斯衛士官に水を向ける。
「ですから……、防災計画については本土防衛軍が主導と、閣議で決定されているではないですか」
意見を求められたのは、斯衛側代表者の一色晏実だ。特に議論には加わらずに傍観を続けていた。
鉛筆で几帳面な文字を綴りつつも、意見はそれまで一言も挟んでいない。
彼女は求められた役割に忠実だ。有り体に言えばサインする為だけに引っ張られてきたのが、
第一回会合以降、いつまで経っても合意調印に至らない。
それでも欠席しないのは生来の生真面目さからくるものだろう。
温厚で有名な人物であるが、流石に延々と結論を見ない様相には、少々イライラしているようであった。
(軍も馬鹿な事をしたなぁ……)
そう心中でほくそ笑むのは久須だ。室長の三城だけならば効果があったかもしれないが、沙村には威光などというものは
通用しない。彼女は全く表に出さないが、武家の出身。平民の男性と結婚してその地位を返上しているものの、
元武家だけに、そんなものは通用するはずがないのだ。
それに、軍事知識で丸め込もうとしたのがいけなかった。沙村の知識は半端なものではない。
座右の書に、リデル・ハートの『戦略論』をあげる女だ。生兵法というには知りすぎていた。
議論は出席者全員の想像通り、平行線を辿り続ける。
* *
「15分後に再開する」
「はいはい」
軍人達は対応を相談すると席を外し、とりあえず会議は休会となる。それもすらも沙村の思うつぼであった。
一旦会議室から、府の防災対策室に引き揚げる。冷蔵庫より冷やした水道水を持ってきて一息つく沙村。
「久須、ヘッドフォン」
「はい、こちらに」
自分のデスクに戻った彼女は椅子に勢いよく座り、久須から渡されたヘッドフォンをつける。
無造作に髪が後ろにはらわれ、声に集中する。
久須が操作するコンポのような装置には、"応接室"と書かれたシグナルが点灯していた。
『――もう、維実……もとい沙村室長補佐は折れないでしょう。元より当方の要求がこれまでの交渉を無視した内容なのですから』
『――ですが、状況が違うのですよ。大陸の逼迫した戦況は、3年前から始めた対策要綱とは前提が異なっている!』
『――それはそうですが……』
応接室の軍人達の会話が手に取るように聞こえる。
彼らの手の内を大学ノートにさっとメモをとってゆく。そして手元の地図でそれへの反論メモも。
何度も何度も打ち合わせて、折衝をしてきたのだ。沙村は自説に確信を持っていた。
「軍人とは思えないほど迂闊な人たちね。諜報戦に弱いのは創隊以来のガンなのかしら?」
不敵な笑みを浮かべる沙村。応接室に仕込まれた盗聴器はこれまでに幾度となく役に立ち続けていた。
「誰も府の応接室に盗聴器がしかけられているなんて思いませんよ」
「情報は軍事の基本中の基本じゃない。ね、室長」
「私はもう知りません……」
嘆く三城。もはや府防災対策室ではおきまりの光景だった。
そして会合再会。十二分に準備した沙村を、担当の軍人達はついに説得することは出来ず、逆に沙村は一色達軍人をボロクソに叩き続けた。
大尉が何度となく激昂しそうになったが、そこは一色の面前、なんとか抑えるという場面があった。
沙村を除いて全ての出席者が生きた心地がしなかった事はいうまでもない。結局、会議は継続交渉という名の棚上げ
に限りなく近い形で、幕引きとなった。
「相変わらず、維実さんは変わらないですね」
「久しぶり、晏実。……だって、私は私だから」
帰り際、双方が資料をまとめて会議室から出て行く所で、沙村は一色に呼び止められる。一色は大分疲れた様子だ。
二人はお互いに面識があった。というのも、一色が嫡流の出、沙村が傍流の出で、同族の武家であったから、
親戚同士であったのだ。一色はお互いが同姓だったかつてのように、沙村のことを下の名前で呼ぶ。
「貴方が家を出て行くと言った時も、私含めて皆が説得したのに、結局曲げなかった」
「懐かしい話ね、といってもそう昔でもないか」
斯衛軍人と自治体公務員。双方の服装からも見て取れる隔たり。
二言三言言葉を交わし、それでは、と部屋を辞す一色の背に、沙村から冷たい一言が浴びせられる。
「晏実を見ていると、やっぱり"ウチ"は捨てて正解だったよ。絶対そう。あんたはまだ辞めてなかったの?」
一色の歩が止まる。スッと会議室の温度が2度は下がったような感覚。
振り返った一色の顔。
(晏実らしくないや)
それが沙村の受けた印象で、全てを言い表していた。冷静を取り繕った、怒りに満ちた表情。
もしかしたら、侮蔑かもしれない。
「辞められると、本当に思っているのですか?」
「私は辞めたじゃない。現に」
「私と維実さんとでは立場が違います」
「嫡流と傍流の違いを持ち出す? 馬鹿じゃないの? 晏実にちょっとの勇気が、あの偏屈親父に楯突く勇気があればすぐじゃない」
にらみ合う二人。二人が出てこないことを怪訝に思ったのか、久須がこちらへやってくる。時間は無い。
「武家はあんたに似合わない。私が性に合わなかったみたいに」
「そういう所も、変わらないですね」
沙村は思った。やっぱり一色は自分を嫌っているのだと。武家一温厚と有名で、
敵が少なく、人にいい顔をする彼女の唯一の仇と言って良いかも知れない。
(そりゃそうよね)
険しい表情で睨み付ける一色。自分が抱えきれないほどの重圧に押しつぶされそうになりながら生きているのに、
片や"コイツ"は気ままに生きているんだから。そりゃあ妬んで当然だ。
仕方ないと諦めていたことを目の前でやられたら、心中穏やかではないだろう。
「晏実がなんて思っているか、あてようか。"この、無責任な女"、そう思っているでしょ?」
「……」
沙村の問いに答えずに一色はきびすを返して去る。
久しぶりの再会は、冷え切った余韻だけを残した。
* *
今日あった出来事を一通り回想し終えた二人。
「駄目だね、私も。晏実と会った時くらい、笑ってれば良かった」
(この人……呼び捨てだよ)
久須は一色が出てくる所しか見ていないが、久しぶりの再会を喜ぶ雰囲気ではなかったことは感じ取っていた。
「勿体ないのよね。なんていうかさ、自分を信じていないところとか。環境もあるんだろうけど」
「もっと一色中尉が活躍できる世界が他にある、と?」
「少なくとも軍じゃぁないね」
お伊勢さまの方角はこっちかと、東の空へ振り返る沙村。生駒山がビルの合間から見えるだけだが、
沙村はその先、伊勢へ帰る途上の親類に思いを巡らせていた。
「やっぱ人間、合わないものは合わないんだよ。晏実もそうだし、ほら、私の相方も、さ。軍人にはからきし向かなかったんだ」
「沙村さん……」
酔いさましに、府庁舎の屋上にきた沙村と久須。この眠らぬ街、大阪が戦地になるなど信じられない。
ここから逃げ出す算段を朝から晩まで考えていると、それこそ何をしゃかりきになってやっているのか、と思ってしまう。
この世界有数の人口を抱える都市が戦争だなんて。そんな、おとぎ話。
「中国東北部で亡くなった……んですよね」
「うーん」
沙村の左薬指には今も結婚指輪が収まっている。いつも笑ってばかりの沙村も、その話になるとトーンが下がる。
彼女に家を捨てさせた夫は、今はもういない。
普段はそんなことおくびにも出さないが、今日は少し違った。
「あんたもさ、よく働くし頭も回るんだから若いうちに身の振り方を考えるんだよ? 軍人ばかりが男の道じゃないんだから」
「公務員なんて、徴兵逃れじゃないかってのは、言われましたねぇ」
「とられる時は、とられるけどね」
大きくのびをする沙村。なんだかんだで彼女も疲れていたようだ。
「何でもいい。出来るだけ自分のやりたいことを探してみなさい。こんな時代だからこそ、ね。
名誉の戦死もいいけど、やりたくないのに、無理してそうすることはない」
何言ってるんだろ、私ばぁさんじゃない、と寂しそうに頬をかく佐村。
久須は今日のことを思い返して、複雑な気持ちだった。
(沙村さんは、軍の主張もよくわかっている。でも、自分は府の立場を演じきっているんだ)
あれだけ軍事情勢に明るければ、懇意にしている軍人もいるだろうし、なぜここで名神高速なのかという
理由も実のところでは分かっているだろう。
「何深刻な顔しちゃってさ。まぁ……男の子は女の子より時の進みが遅いんだから。焦ることはないよ」
久須を気遣ってくれるが、本当は穏やかではないはずなのに。
「沙村さんは、……今の道で後悔はないんですか?」
あそこまで軍に楯突いたのだ、意趣返しは目に見えている。軍に批判的だった同僚は本防軍にとられて
生きているか、死んでいるのかもわからない。沙村も、ここまでやったのだ。どこに飛ばされるか分かったものではなかった。
そんな中で、一番聞きたいことを久須は彼女にぶつけた。
最初きょとんとしていた沙村だが、その真剣な眼差しから理解したようだ。
「アイツがあんなに早く死ぬとは思わなかったし。不満も人並みにはあるけど」
一息置いて、言葉を選んでから続ける。交通の音、夜風の中で小さな声だったが、それは久須の耳にしっかりと届いた。
「私が選んだ道だからね」
それじゃあ、そろそろ室長の後かたづけを手伝うかな、と屋上入口へ歩き出す。
暗くて久須には分からなかったが、もしかしたら彼女は恥ずかしがっていたのかも知れない。
久須も沙村の後を追う。その背中が大きかった。どこへ行ってもいつもの調子でやってくれる。
立て付けのわるい屋上の扉をこじあける仕草ひとつとっても無条件で感じられる強さ。
「ほら、あんたが一番下っ端なんだからすぐに動く!」
「はい!」
久須はそれまで出征して、もしかしたら帰らぬ人になるかという不安を抱えていたことが急に馬鹿らしくなった。
この人はどこでもやっていける。そう確信する。
彼にとって今日という日は、この絶望の淵で何が人々を支えているかに、少し触れられた大切な一日となった。
おわり
最終更新:2010年06月29日 23:00