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4日目・後編

 ―――Cチーム、齊藤 綾華久我 応馬ペア。
 そもそもの問題として、齊藤 綾華からして見れば、久我 応馬という人物は、歯牙にも掛からないような、取るに足らない存在であった。
 それが訓練開始初日の出来事からここまで、どういう因果が働いているのかは解らないが、色々を足を引っ張ってくれた。
 別段、それが悪いとは云わないし、分隊長の雫も、そして綾華本人も気にしてはいなかった。
 どこに居ようと良い人間もいれば悪い人間もいる。使える人もいれば使えない人もいる。扱いやすい人もいれば、扱いにくい人もいる………という具合に。
 むしろ気にすべきはその割合がどうなっているか、だ。
 使える人間ばかり集めたところで、やはりその中から使えない人、あるいは動かない人が現れる。逆に動かない・使えない人を集めると、その中から動き出す人が現れてくる。
 その割合がどうなっているか。それが雫が思っているところだと、綾華は聞かされいた。
 この割合は、働く者:働かざる者で対比すれば7:3とされている方が良いと云われている。
 元々人が集まれば働かざる者が生まれてくる。そういう解りきった者を確保し、残りの働く者から働かざる者を生まれにくくするのだ。
 そしてその働く者の中に「凄く働く者」が存在する。それら「凄く働く者」がその集まりを先導し、その後ろを「働く者」が補強し動きやすくし、「働かざる者」を引っ張って行く。
 そういうパワーバランスを構築できてこそ、組織というのは成り立つと云われている。
 それを踏まえA分隊を見てみよう。
 A分隊でもっとも働くのは雫と悠希だろう。頭脳労働・肉体労働をそれぞれ分担し、この分隊を引っ張っている。
 次に働いているのは、勝名と綾華、そして少し成果が低いが都か。決して劣っていると低く評価してるわけではないが、上記2人と比べたらどうしても成果は見劣ってしまうのは仕方ない………はず。
 で、最後に働かない者であるが………遺憾ながら、久我を当てはめねばならない。全く働かない訳ではないが、やはり皆の成績に比べたら圧倒的に低い評価を付けねばならないだろう。
 それはともかくとして、そういう割合でいえば、なんだかんだで我が分隊はもっともバランスが取れているのではないだろうか?
 なぁなぁを許さず、さりとて厳しく縛ってるわけでもなく。働かざる者を生む土壌を作らず、切磋琢磨を促す環境でもある。
 なるほど、こういうのも含め、教官は決めたのかも知れない。そう考えると、やはり氷室教官たちは非常に優秀だ。個々の性能をキチンと見極めているのだから。
 また、雫の観察眼も再度認めねばならない。伊達に「近衛になる」と公然と胸を張って言い張るだけのことはある。その覚悟は見習わないといけない。
 で、問題はその働かざる者、久我 応馬であるが………
「ぐぬぬ…このトラップの解除、やったことないんですけどぉ…?」
 絶賛、トラップに悪戦苦闘中だった。働き者のキリギリスになっていた。
 妙にやる気を出してくれてるのは有り難い…というか、諸手を挙げて喜びたいのだが、先ほど説明した7:3理論でいけば、この状況は喜ばしくないとも云えた。
 別に「働くな」というわけでもないし、綾華自身の信条では皆同様の働きをするのが正しいと思っているので、別段問題はない。
 ない、のだが………
(普段ふしだらな久我さんが真面目に取り組んでる………その行為自体を、受け入れられない私がいます…)
 真面目にやってくれれば良い…確かに良いのだ。
 だが久我の場合は、彼の場合は逆に不安になってしまう。真剣であればあるほど、逆に何かあるのではないのか、何かあったのではないのかと思いたくなるほどの、どうにも落ち着かない気持ちに駆られるのだ。
 彼には悪いが、普段の行いがそうさせている以上、やはり謝るのも気が引けると言わざる得ない。
 一体どういった心境の変化なのか………どのタイミングで、そうなってしまったのか…
 思わず、悪い物でも食べてしまったのではないのかと、まったく失礼な事さえ思うにようなってしまっていた。
(とは云え、居心地が悪いと言わざる得ないのは間違いないわけで………)
 聞き出そうにも、率直にせよ遠回しにせよ、何れにしても「私を襲わないんですか?」と誘うような話にしかならない。それは避けたい、絶対に。
(ならば当たり障りの無い話題で攻めてみよう)
 と、思い至り実践に移る。
「随分と熱心ですけど、何かあったんですか?」
「ん~?いやぁ、ちょ~っとねぇ~」
 苦笑いで言及を避ける久我。怪しいと云えば怪しい。
「でもまぁ、糞真面目な格好してるから違和感持たれるのはわかるっすよ」
「あ、自分でも解ってるんですね」
「そうそう、こんなの俺のキャラじゃないっしょ?それこそ今までのボクなら綾華ちゃんに飛び掛ってもおかしくないしさぁ」
”飛び掛る”という単語に思わず身を引く綾華。それを見た久我は「ぅわぉ」と驚きつつもまた苦笑い。
 その反応に、やはり久我の身に何かあったのだと強く思わざる得なかった。
「何か、嫌なことでもあったんですか?」
「はっはー!まっさかー!」
 クルリと一回転して”ビシッ”と親指を立てて綾華の方へと突きつける。
 一見、無理をしてるようにも見えたが、それとは別にやる気のようなものも僅かに見えもした。
 何が彼を心境変化させたのかは解らないが、それでもこの試験にとっては強くプラスに働くと思えた。
 それはつまり、”働かざる者”が”働く者”へと進化したと云えた。
 少し話が戻るが、綾華の考えで行けば、働く者と働かざる者の対比は9:1、できれば10:0で済ませたいというものだった。
 全員を生かすために、全員を守るために………決して誰かを見捨てるような真似はしない。
 良く云えば理想、悪く云えば甘い考えを抱いていた。それが綾華という女の考えだった。
 それは今まで源 雫という強い影響力を放つ存在のお陰で見えなくなっていたが、彼女にはそういった強い信念を抱えている。
 実際、雫と綾華は時々意見の対立が発生することがあった。だがその都度、数の暴力で黙殺されてきた過去がある。
 が、それは決して悪いことではない。分隊の長に従わぬ綾華が悪いという見方もできれば、強権的な振る舞いで自分勝手に物事を決める雫が悪いという見方もできるのだ。そしてこの場合、前者が当てはまるというだけのこと。
 仲間を切り捨てる覚悟がある者とない者の差が、雫と綾華の差であった。
 話を戻すと、今の状況は綾華にとっては非常にありがたい展開と言える。
 見捨てるような真似をしなくて良い、見捨てるどころか使える人材になったことが、綾華には嬉しかった。
「………まぁ、久我さんが良いのならそれで良いのでしょう。
 これでいつもの奇行が無くなれば万々歳なんですけど」
「アハハハハハ!それは無理ですよ、おぜぅさん!それ含めて俺、久我 応馬なんですから!」
「ですよね………はぁ」
 今の応答で、この試験だけは真面目にやるというのだけは確認できた。
 できればずっと真面目で行ってほしいと願いもしたが、そこまでを求めるのはまだ早計だろうと、そう思うことにした。
「しかし…こうも何もないと逆に不自然ですね」
「その代わり、うんざりするほどのトラップの山はあるけけどね。流石に飽きてきたんですけどぉ…」
「でも、手抜きして痛い目を見るわけにも行きませんし、地道に解除してくしかありませんよ」
「ですよねー、あははは!……はぁ…心が折れそう…」
(真面目になった分、ネガティヴな思考に陥りやすいのでしょうか…?
 あまり後ろ暗くなられると、かえってこちらも迷惑になるのであまり後ろ向きな考えは控えてほしいのですが………)
 とはいえ、良い傾向ではあるのは間違いないので、綾香はフォローする形でトラップの解除と探索をすることを選んだ。
 ―――後ろ向きな考えなど、今の日本では当たり前なことなのだから。




 ベースキャンプでの定例報告会は、定例通り”成果無し”で終わり、食事もそこそこに就寝するよう指示が出ていた。
 明日のチーム分けはAチーム『悠希・勝名』、Bチーム『綾華・都』、Cチーム『雫・久我』となる。
「良い?明日はこの島で唯一探索が済んでない場所、山へ入るわ。
 山は思ってる以上に危険な上、割と大きいから入念に見ていくと2日はかかると思う。
 最後の1日は合流地点へ向かうための余裕を持ちたいから、山へ入ったら合流地点が記された物を見つけるまではまず降りることはないと思って」
 結果として山以外には何もなかったため、そうなってくると最後に何かあるのはこの島の中央に座する山しかないと、消去法でいくとそのような形になる。
 実際、この4日間歩き回ってて何も無かった以上、後は山にしかないと思わざる得ない。
 後は海底のどこかに…ということもあり得るが、そうなると逆にダイブ用の装備が無いのが気になる。
 これは試験なのだ。ある程度道筋立った何かがあるはず。であれば、最終的に手に入れる物へ至る物もどこかにあるはずなのだ。
 それがない以上、海底にあるとは考えにくい。
 だからこそ、山へ向かって目的の物を探すのだと、雫は皆の心に強く訴えたのだった。
 それを理解した分隊の面々は強く頷き、後は各々休みに入ることとなる。
 一通り話し終えた後、雫の下に綾華が近づく。その顔には暗い表情が張り付いていた。
「山の中にきっとある…とは云いましたが、実際のところ地図がある可能性はどうですか?」
「ある、だろう…ある、かも…あり、そう…蓋を開けてみないと解らないというのが実情ね。
 何かはあるでしょうけど、肝心の物があるとは言い切れないわ…
 必ずあるものとして考えてるけど、それでも五分五分なのは避けれられない。
 綾華も大方そんなところでしょ?」
 ここまで調べていて、結局見つかるのはトラップの山だけ。試験用に何か置いたとか、そういう類は未だに一切ない。
 そもそも手がかりの一つも見つかってないこの状況。
 云ってしまえば、明後日の予定など藁にも縋る思いで決死の登山するようなものだ。
 分隊の分裂を恐れてあくまで予定通りと説明したものの、これで無かった場合、どうすることもできない。
 もっとも、あの山をくまなく漁ったとしても、恐らく漁り切る頃には試験が終わってるだろう。
 背水の陣………とまではいかないまでも、やはり決死に近い行動なのは間違いない。
 それを薄々感づいているから、綾華は雫のことを心配しているのだ。
「えぇ、その通りです。で、あれば無かった時どうするか、何か考えてはいるんですよね?」
「一応、そのために1日余裕を持たせたわけなんだけど………
 ある意味、そここそが本当の意味での背水の陣になるわ。
 でも、個人的な見解で云えば、これだけ何もないのなら山にしかない………という目算も、別に間違ってはないと思ってるのよ。
 不自然じゃない?これだけ探してるのに”何も無い”のよ?」
 云われなくとも、それはよく理解している。それこそが、一番引っかかる点であることも。
「で、あれば………大丈夫だと思います。消去法だって立派な取捨選択法の一つですし」
 あえて”見逃した”という可能性は考慮しない。それを言い出すと、1からこの島を見直さなければならないのだから。 
「………ありがとう、そう云ってくれると助かるわ」
 綾華はなんだかんだ云って指揮官適性を持っている。むしろ他の分隊長と比べても遜色ないくらいだ。
 それでもA分隊でただの分隊員に甘んじているのは、雫というより高い適性を持った者がいるからだ。
 だからこそ、雫は綾華の意見を多く参考にする。悠希のような生きる上での知識ではなく、指揮官としての知識や意識、自覚を持っている相手だから。
 そこで意見・推察が一致していれば、むしろ自分の考えが正しいと言い切ることが出来る。そういう相手が間近にいることを、雫は感謝していた。
 逆を言えば、不一致が発生した場合、どうしても雫の都合に振り回されてしまうのが難点と云えるのだが。そこは軍隊上の規律を守ってもらうことで、納得してもらうしかない、少なくとも、そうであってもらわなければこの総演はおろか、まともに訓練を受けられなかっただろう。
「と、なれば明日は本当の意味での試験になるってことよね。
 早めに寝て、明日に備えましょう」
「了解しました、分隊長殿」
 敬礼し合い、2人は手早く寝る体勢に入る。
 やることは決まったのだから、ダラダラと起きてて良いわけではないのだから。
 そことは別に、僅かに視線を絡ませ合う悠希と都は、先に悠希が頷きそれに釣られるようにギクシャクしながらも頷くのだった。


「……………て…、………ぃだ………おき……しず…………雫っ」
「ぅぅ………ん……」
 良い感じに睡眠を貪っていた最中、鼓膜を揺さぶる無骨な声と揺られる震動に、雫は重い瞼をゆっくりと開いた。
 まだ眠り足りない……だが、見張りの交代の時間なのだろう、無骨な声…悠希の声は強く雫の意識に呼びかけている。睡魔の赴くままに眠りたいが、しかし………というか、何故、今悠希の声が?
「ん……っくぅ~………」
 眼を閉じたまま、体を伸ばす。萎縮した筋肉が伸び、意識が急速に覚醒していく。
 ひとしきり伸びた雫は、ようやっとここで眼を見開いた。
「おはよう………え、なに?寝すぎたの?」
「おはよう。年頃の娘が人前で背伸びするもんじゃないぞ」
 目覚めた途端、何を言い出すのか………眠気と相まって猛烈な抗議の意を込めたジト眼で悠希を睨む。
「それじゃぁ………なんで?」
「ちょっと話があるんだ。都のことで」
「………?」
 何を言い出すのだろう…と思うが、眼は妙に真剣だった。
 ひとまず起きて周りを見ると、一緒に川の字になって寝ていた久我と綾華にそれに混じるように勝名の姿が。そしてそことは別に、妙に神妙表情を浮かべた都の姿が目に付いた。
「場所を変えよう」
 やけに真剣な眼で云うと、そのまま立ち上がり都の手を引いてベースキャンプから離れていく。
 妙に納得がいかない、胸にもやもやと何かが蠢くのを感じつつも、雫はそんな2人の後を付いて行った。
「と、この辺で良いか」
 ベースキャンプから少し離れた場所、念には念をと死角になる位置を選び、悠希は2人を集めた。
「それで、話って何?」
 相手が神妙で真剣な顔つきで、しかも悠希となれば、嫌でも眠い瞳が開く。
 その悠希は、一度都に目を配り、都は少し悩む仕草を見せるが、意を決したのか強く頷くのを見届け、そして主の方へ向き直った。
「雫、見て欲しいものがあるんだ。どう思うかは、雫の判断に任せる」
「…?まぁ、解ったわ」
 流石に(何を言い出すのよ)と、露骨に表情に表れる。それを悠希は見なかったことにし、都の背を押す。
”ビクリ”と体が震え、一歩前へ。
 しかしいざという時になって、やはり尻込みするのか、悠希と雫の顔を交互に見比べ、ついには今にも泣き出しそうな顔で悠希に懇願するのだった。
「悠希さぁん…」
「どうしても…って云うなら無理強いはしない」
 元々言い出したのは悠希からだ。だから、最終的には悠希の口から伝えることも考えた。それでも、できれば都本人からの方が、都のためになると思ってこういう状況を用意したのだ。
 それは都にも伝わってるため、その言葉の意味も理解していた。
(自分のため………悠希さんは、私のためにここまでしてくれた…
 私の”ちから”を知っても恐れず普通に接してくれた。
 その悠希さんが、した方が良いと、知らせた方が良いと云ってくれた…)
 だからと云って、それに促されるままに語るのは駄目だ。
 自らの意思で、自分の思いで、私が進んで、話さなければ駄目だと…そう思い至る。
 ―――気持ちは決まった。
 後は実践するのみ。
「し、雫さん…ナイフを貸してもらえませんか?」
「え?はい、どうぞ」
 スラリと抜き放ち、刃先を持って都に差し出す―――が、受け取らない。
「そのまま、持っててください…」
 何故―――そう思う前に「手を離していいですよ」と云われ、「落とすじゃない」と思いつつも怪訝そうな顔をしつつ、ナイフからゆっくりと手を離した―――
「…ぇ?」
「ほぉ…」
 落ちるはずのナイフが―――浮いていた。
 微動だにせず、そこに最初から張り付いてたかのように。ガッチリと。
 思わず下から覗き込んだり、上部に手をかざしたり、持って動かそうしたりと、目の前で起きてる異常に対してトリックがないのかと、一頻り調べ始める。
 だが、何もない。調べれば調べるほど、何もないことが解ってしまう。
 得体の知れない現象が目の前で起きているのを、強く実感せざる得なかった。
「…動かしますね」
 そう云うと、ナイフがゆっくりと横軸で回転し始める。上から吊るす方法では、まずできない方法を。横から引っ張る形で持ち上げていても、刃に引っかかれば落ちてしまう方法で。
 ついで、の状態からゆっくりと宙を泳ぎ出す。
 どこにどう吊るせばそういう動きができるのか、そんなことさえ考えることをやめたくなるような奇怪な機動を描く。
 呆気に取られる雫を尻目に、都はナイフの曲芸を披露していると、途中まるで手からすり抜けたかのように「あっ」と声をあげ、ナイフが樹木に突き刺さった。
「すみませんっ、すぐお返しします」
 そう云うなや、半分ほどまで突き刺さっていたナイフがひとりでに抜け、そのまま雫の前にまで飛んでいき、ピタリと止まった。
 恐る恐るそのナイフを手に取る。が、特に何もない事に、より怪訝そうな顔をする。
 しばし何か考える素振りを見せ、軽く頷くとナイフを鞘に戻した。
「………なるほど、なるほど……………なるほどね…だから、なのね」
「雫…?」
 吟味するように、考えを整理するかのように、ゆっくりと何度も頷く。
 何かを推察するかのように、色々な言葉が雫の口から溢れ出てくるが、その声は小さく都にも悠希にも正しく届くことはなかった。
 が、それは都には理性の上では理解しようと努めているように見えて、都の中に言いようのない不安が心に広まってく。
 不意に、顔を上げる。両腕を広げ、笑顔を都に向ける。
「都、おいで」
「………え?」
 いつものような、凛々しい声音ではなく、もっと柔らな声音が鼓膜を揺さぶった。
 思っても見なかった反応に、一瞬何を云われたのか理解できなかった。
 理解できても、頭がそれを解ろうとしなかった。
 解ろうとしたくても………したくなかった―――
「まったく…」
 固まったままの都に、雫は優しく抱きつく。優しく、優しく…抱擁を与える。
 後頭部を優しく撫で、子供をあやすかのように、そっと。
「私の心臓の音……聞こえる?」
「…は、はい」
「どう?強張ってる?」
「……静か、です。とても…」
 そう、その鼓動はとても穏やかだった。早すぎずもせず、さりとて力強いという程でもない。
 ただ静かに、規則正しく滴り落ちる水滴のように、ただ穏やかに。
「都、辛かったね」
「ぇ…?」
「大丈夫…私は怖くないわよ。ね?」
「え…あ…」
「それとも…都は私が怖い?」
「え、あ…う…………ぁ…あぁぁ…」
 不意打ちの言葉。その優しさと、鼓動と、鼓膜を揺する、暖かな声。
 それが、望んでも得られたなかったものを連想させ、隠し続けなければならなかった日々を思い出させ、そしてそれは、塞き止めようともできず、感情の濁流が、小さな穴を抉じ開けていく。
 委細承知したと言わんばかりの雫の態度は、少なくとも都にとって、どうでも良かった。
 受け入れてくれる場所が、目の前にあって、そして、それを良しとしてくれる事が、許してくれることが、無意識に殺していた心を解放させていく。
「ぅ……ぅぁあ……ぅぅ…」
 ただ直立不動で固まっていたのが、気付けば雫の背に手を回し、しがみつき、声が、涙が小さく溢れてくる。
 硬直し、凍結していた感情が。本当の”朝倉 都”という心が、偽りの”アサクラ ミヤコ”という仮面を突き崩し表にあふれ出てくる。
 受け入れてくれる場所がすぐ目の前にあって。
 その前にも頼もしくも護ってくれるという人がいて。
 偽る必要がなくなってきて―――
「うぅ…うぁぁぁあぁ………ぁあああぁあぁぁぁあ…」
 それはやがて、押さえ切れない濁流となり、押し殺してきた「恐れられた事への悲しみ」を受け入れてくれる場所へと流れ出す。
「うわぁぁああああっ、あああぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁあああっ!」
 雫はただ、泣きじゃくる都を、赤子をあやす様に、ただひたすら抱き続けていた。
 そんな2人を、悠希はほっとした表情で見守り続けていた。

「”だから”って、どういう意味なんだ?」
 泣き疲れて眠ってしまった都に膝枕している雫に、悠希は不意にそう切り出した。
 どう話そうか…そんな顔をしながら、都の神を優しく撫でる。
「前々から、この訓練部隊が何かの目的のために集められた…そう思い当たる節が多かったのよ」
「………」
「最初は噂になってる新OSの純正部隊かと思ってたんだけど…ね。この娘の力を見て、本当はこの娘を守るための部隊………なんじゃないかって、思い当たったの」
「………」
「勿論これは憶測だし、他にも別の理由があるのかも知れない。
 もっと別の大きな流れがあったり、都のこの”力”も単なる偶然なのかも知れない。でも、それはどちらかと云うと妄想でしかないわ。
 ………私が知れる情報なんて、まだまだ知れてるしね。
 でもこの子が、さっき見せてもらった力が、私の分隊に与えられたのは、きっと意味があることだと思ってるわ。
 残念だけど、それを裏付ける情報なんて何もないけどね」
 苦笑し、肩を大げさに上げる。一緒に苦笑し、悠希は着ていた上着を都にかける。
「それでも…俺はお前を信じる。だから、胸を張っててくれ」
「うん…」
 支えてくれるから、胸を張れる。支えてくれる人がいるから、自信が持てる。
 悠希の言葉は、雫にとって誰の言葉よりも、元気を与えてくれた。
「ところで、都の”力”って結局なんなのかしら?まさか物を投げるだけの”力”じゃないんでしょ?」
「本人の話だと念動力かその辺の類らしいけど、俺はそっちの専門じゃないからよく解らん」
 雫の隣に腰掛け、一息付く。結局、さっきまで立ちっ放しだった。
「なるほどね…そこは本人と少し話をしないといけないわね…」
「そうだな…」
 小さく頷き、そこでふと根本的な疑問にして一番の懸念を思い出す。
「そういや、なんで都を”力”を受け入れられたんだ?」
「え?」
 何を今更?という、凄い馬鹿にしたような顔をされた。確かにそうなのだが、しかし聞かずにはいられない。
「そうねぇ………まずはアレかな。
 ここに落下した時、二人が無傷だった時の」
「やっぱり、何かへンだとは気付いたのか」
「悠希が変に身体能力が高いとは云っても、流石に無理があるなっ…てね。
 後は…そうね………辛かったんだろうなって」
”普通”の人なら一番恐れる要因。”普通”ではない”異常”な力は、人の和を乱し、半永久的で無自覚に己が絶対正義と勘違いさせる虐待へ繋がる。
 所謂”いじめ”はどこにでもある。故郷にもあった。それが未熟な精神しか持たない子供なら、大なり小なり、それは必ず起きる。身近な”敵”を作り、それに向かって一致団結するのは子供でも大人でも、理由は様々あれ1度はやるものだ。
 だが都の場合は、未熟だろうと成熟していようと、彼女を傷つけるまたは恐れるには十分な要素だったはずだ。それは、今の今まで見せようとしなかった、見せないよう努力していた都を見ていれば自ずと理解できる。
 この娘とて、好きで望み得た力ではないはずだ。それで虐待を強いられていたとするなら、この娘はずっと見せないよう隠すことを努力し、努め、そして本当の意味で泣くことも、笑ったことも無かったはずなのだ。
 ………無論、ここまでの考えが妄想の範疇である可能性も、ないわけではない。
 それでも、都のあの泣き方は、身体を鍛えてもなお泣いて疲れて寝てしまうほどの都を見れば、それも満更妄想でもないと思える。
「人を心の底から嫌うこともあれば、無条件に好きになることもある…………都は、その後者でも良いって、私は思うの」
”力”があるから………というのは嫌う理由にはならない。
”普通”とは違うからと云って嫌う理由にはならない。
 そう云いたいのだ。
 だから受け入れた。受け入れられた。
「悠希は?どうして都を受け入れられたの?」
「ん?そうだな…」
 自分はどうだっただろう?単純に、出ては消えるような幽霊(れんちゅう)を散々見た事もあるから、耐性ができてあったのは確かだ。むしろ、それが一番の原因かも知れないが…
「少なくとも、凄いとは思うけど恐れる物ではない…てのはあるな。
 元々怖いってすら思ってなかったけど、嫌われる物の一つってのは理解してる」
「いえ、そうじゃなくて。そうではなくて。流れ的にそういう風に受け取れるだろうけど、そうではなくて」
「…う、ん?」
「どうして、他人への興味が薄い悠希が、都を自分の中に受け入れられたのかなって」
「あ~、そういう意味か…」
 云われて考えてみれば、確かに不思議だ。自分でその事に気付いて驚くくらいなのだから。
 魅かれるものがあったかと云われれば、無いと思う。少なくとも、雫という存在の近くに居続けた自分には、その程度の属性は意味を成さない。
 可愛いだけなら、確かにそう思う。が、だからと云って無意識に動くほどの物かと云われると、そうでもない。
 ではなんだろう?無意識に都の”力”に魅かれた?繋がるものが何もない訳ではないが、だからといって今までの通例…他者との繋がりを越すほどの物を築けてたかと云われれば違う………と、思うがちょっと確証がない…
 が、時折都を見ていると何かを連想される。それは白っぽいような気がしなくも無いが、何故それを連想するのか、それが謎だ。まさか純真無垢とか思ってるわけではないような、自分………
「自分の事になると、途端に考え込むのは相変わらずねぇ」
 呆れてる………というより、「仕方ないなぁ」と言いたげな顔で悠希を見る雫。
「でも、それが悠希の個性なのかもね」
「主体性のない個性だな…」
「そうかもね。でも、嫌う必要はないんじゃない?下手に我が強いのもアレよ?」
「それもそうだ」
 そんなことを笑い飛ばし合う2人。
 ひとしきり笑い終えると、ふと雫は真顔になり都を見る。
「悠希、この事はまだ皆には知らせないで」
「………解った」
 何も云わず、そう答える悠希に小さく感謝する。
(私達は受け入れられたけど、他の人はそうじゃない。今は笑っていても、それを知って笑顔でいられるかなんて、本人にだって解らないのだから)
 口では「大丈夫」と云っていても、実際に見て「気持ち悪い」と云うパターンも、無いわけではないのだ。
 ただ、そういう意味では雫はまだ全員と本当の意味で打ち解けてないのだと、痛感せざる得なかった。理由が特殊であっても、それを乗り越えられるだけの絆がないのは、やはりそれはまだ打ち解けてないのと同じなのだ。
「この娘は、この先きっと凄い重要になるはずよ」
「ん?」
「私達が任官した時、何をやらされるかは知らない。でも、この娘は、きっと何か大きなことの中心に置かれる…でなければ、A分隊に充てられない。
 少なくとも、私はそう確信するわ」
 個人の実力ならトップが多く集まるA分隊に充てられたこと、雫と他3名に与えられた指揮官講習、意味不明なサバイバル演習、そして都の”力”…
 これらは繋がってると、雫は睨む。
 とはいえ、それを繋げるピースはまだまだ足りない。後1つか2つ…足りないと云えば、確かにそうだけれども………時間が欲しい。考える時間が。あと、情報も。
 情報………そう云えば、故郷で別れたきりになったもう一人の幼馴染は今どうしているだろう?
 昔と変わらず飄々と好きに生きてるのだろうか?それとも、隠れて私達と同じく徴兵されたのだろうか?
 最後に会った………いや、見たのは百里基地へと向かう列車の窓から見せた威風堂々とした姿。
 あれからもう3ヶ月は過ぎているのかと思うと、色々とこみ上げてくるのがあった。
 それを振り払うように大仰に背伸びをして頭の中身を切り替える。
「ん~~~~~…、考えることがいっぱいあり過ぎて山積みねぇ」
「指揮官ってのは苦労が絶えないな」
「そ~よ~、指揮官っていうのは大変なんだから。
 でもね、これって多分、悠希も経験する苦労だと思うのよね」
「?どういう意味だ?」
戦術機部隊が前進する上で、もっとも突破力を要求されるポジションのが突撃前衛なのはある程度知ってるでしょ?
 部隊の先頭に立ち、部隊の剣として動く集まり。どこよりも先に進み、大暴れする立ち位置。
 そして、私の見立てだと…悠希が突撃前衛のトップに立つと思うの」
「それは、まぁ確かに俺は前で戦うのが性に合ってるけど………」
 だからと云って、指揮官としての苦労と繋がる理由が解らない。
「つまりはね、その先頭で戦う貴方がもっとも動き回るには、結局のところ小隊長になるしかないってこと」
「………っ!なるほどな、そういう意味か」
 効率よく戦うには、やはり自分なりに動くしかない。だが、小隊という枠組みに当てはめられれば、その中で戦うしかない。そうなると、今度は悠希の持ち味を上手く生かすことができなくなる。
 となれば、悠希が小隊長となって、小隊そのものを動かすしかない。そうすれば、小隊という枠組みに収まるのではなく、そのものを動かすことができる。
「だから、今のうちに勉強しておきなさいね?きっと苦労するわよ」
「………気が向いたらな」
「えぇ。まぁ、それはそれとして。今は試験中だから、気は緩めないでね?」
「それはこっちの台詞だぜ」
 一瞬だけ先の事を見てしまった者同士、目先のことを思うよう互いに注意し合う。いつもなら無条件で従うところを、わざと言い返したのもその一環だ。
 信頼しているからこそ、こうして注意を促し合う。
 分かり合っているからこそ、事故が起きないよう気を引き締め合う。
 そういう相手だからこそ、2人は信じ合えた。
「さてと………都がこのまま眠ってしまった以上、見張りの任はどうしましょうか?」
「それなら今日1日くらい俺がやっておく。雫も寝てて良い」
「そうも行かないでしょ…明日は山登りなのよ?」
「だからだだよ。楽しみでしょうがないんだ。正直、今すぐにでも行きたい」
 山育ち………というか、お師匠さんとやってきた修行を思い出してるのだろう。
 本当にそう思っているのか、あるいはわざとそう云って心配かけないようにしてるのか…
 そのどちらかは流石に解らなかったが、どちらにしても起きているつもりだということはよく理解できた。
「そう…あんまり無理しないで良いからね?寝たくなったら誰か起こして少しでも寝ておきなさいよ?」
「承知」
 分隊の長としてそう云いつけた雫は、一応ベースキャンプに戻ることを提案し、悠希はそれに従い都を背負う。
 その小さな体は見た目通り軽かったが、寝顔は十分以上に愛らしかった。
 そして、その寝顔は、いつも以上に安らいでいるように、2人には映っていた。



 それは休息を取るかのようにじっとしていた。

 あるいは何かを待っているのか…

 ただ、じっと。

 身揺すり一つせず。

 ただ、じっと。

 青白いほぼ真円を描きつつ月光を浴びながら。

 遠くから僅かに聞こえる慟哭も、聞こえないものとしながら。

 ただじっと。

 座り続けていた。 
最終更新:2010年07月05日 16:49
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