鬼の所業
朽木蓉鋼は不機嫌であった。
普段からの仏頂面に拍車をかけ、普段通り小言の多い有栖川にしょうもない悪戯をしてしまう程度には。
不機嫌な理由にはいくつか理由が重なっていた。
天気が悪い為か、どうにも疑似生体の調子が悪いことや、
件の副司令の元直属の部下である二人のうち一人、風間梼子訓練兵の訓練の進み具合が芳しくないことで、
関わりたくない上司No.1である副司令から煩わしい催促を受けていること。
そして何より、実家の祖父から特殊な手紙があったことである。
手紙の何が不機嫌になるかを説明するには、まずは朽木と祖父である現朽木家当主、朽木鉄斎の関係を説明する必要があるだろう。
朽木は祖父が嫌いではなかった。
現在は唯一の肉親である祖父、朽木鉄斎が。
厳格で、気難しく、しかしどこか世間とずれていた祖父。
父が軍人の職務にいそしみ、母を早く亡くし、幼きころ一人でいることの多かった朽木に武術を教えてくれた祖父。
……その内容は変わり者の祖父が日本の古武術や中国拳法などを片っ端から取り入れて昇華したという謎の武術――朽木御流――であり、
朽木の父は修得を完全拒否したものではあるのだが。
むしろ、祖父には感謝もしていた。
平民の出である妻との結婚の際、最初は良い顔はしなかったが渋々認め、
その後は既に病死していた父に代わり、煩い親族を黙らせてくれた祖父。
妻を失ったことで荒れ、少しでもBETAを殺す為に行なった近衛から帝国陸軍への転属――
朽木家の武家としての面子が潰れることが明白であったにも関わらず、何も言わず送り出してくれた祖父。
故に、朽木は祖父に恩すら感じているのだ。
身体を失ったことで自分を見直すことが出来た今では、あまりに申し訳無く、実家に顔を出すことすら出来ていないのだが。
では何故、恩を感じている祖父からの手紙で不愉快になるのか。
それは、手紙の内容がたまの帰省の催促と、見合いの紹介だったからである。
もしも朽木が祖父を完全に嫌っていれば、そこまで不機嫌にはならなかっただろう。
単純に、手紙を破り捨てて終いである。
しかしながら、相手は恩を感じている祖父。
再婚をするつもりなど欠片も無いが、少しは恩を返す為に――祖父の顔を立てる為に見合いへの参加だけはするべきか。
そんなことを悩みながら、悩むこと自体が好きでは無い朽木は、どんどんと不機嫌になっていくのであった。
「仕方がない…アレでも開けるか…。」
こんな自分は自分らしくないと思い、気分を変える為に秘蔵の酒――以前大場から貰ったが勿体なさ過ぎて手をつけていない天然ものの酒――を開けることを心に決めながら、朽木は歩くのであった。
有栖川は不機嫌であった。
原因は上司である朽木のしょうもない悪戯である。
PXから食材運送用のドライアイスをたまたま貰ってきた朽木は、何を考えたのか執務室で書類仕事をしてた有栖川の合成紅茶に入れたのである。
ドライアイスが入ることにより冷えた炭酸紅茶の出来上がり。
唖然としたが、入れた本人が何故か偉そうに大丈夫だから飲んでみろと言ってきたので飲んだが…予想通り非常に不味い。
当然文句を言ったのだが謝まらないまま別の用事で何処かへ行ってしまい、結果今の不機嫌な有栖川の出来上がりである。
「まったく何なんですか大尉は!どうかと思いますよね!?」
怒ってはいるのだが、他人から見れば怖いというより可愛らしい表情をしつつ、日野、間桐、士門に愚痴をこぼす有栖川。
しかしながら、日野はにやにやしながら眺めているだけで、さらに間桐は仕事をしつつ聞き流している状態。
結果、士門が困惑しながらも有栖川の愚痴につき合っているのであった。
「いや、まぁ…そうですね。」
「そうですよ!まったく大尉はいつもいつも意味不明なことばかりやって…。」
怒りながら飲み物をあおる有栖川。その手には謎の瓶が握られていた。
「……ぷはぁ。」
「って、嬢ちゃん、何を飲んでるんだ?」
「大事そーにしまってあったから腹いせに飲んでるんですよ…どうせ安物です。」
「有栖川少尉?…顔が赤いわよ?」
段々と様子が怪しげになってくる有栖川。
その矛先が、他の3人に行くのは当然であった。
「ほらほら、日野中尉も間桐中尉も飲んでくらさいよ、美味しいれすよこれ。」
コーヒー飲み終えて空であった二人のコップに件の液体を注がれる。
「いや、そういう問題じゃないのよ?」
真っ赤になっている有栖川を宥める間桐。
対する日野は単純に飲み物への興味が勝り、口をつける。
「っ…嬢ちゃん、酒じゃねぇか……しかも安物なんてとんでもねぇ…天然ものの日本酒だぜこりゃぁ。」
「本当ですか中尉?…私はあまりお酒詳しくないですけど…たしかに、美味しいですね。」
日野の言葉に反応し、緊張しながらも同様に口をつける間桐。
後に間桐は語る。
二人が有栖川から目を離した…それがさらなる事件への繋がりであった…。
視線を戻すと、そこには完全な酔っ払いがいた。
「ほらぁっ、しっかり飲んでくらさいよ、しょーい!」
「ごはっ…あ、有すっ…んぐっ。」
士門少尉に対して身長がかなり小さい有栖川少尉は、机に上っており…士門少尉の口に酒の入った瓶の先端をねじ込んでいる。
頭が理解を拒否する光景――日野中尉が天然ものだと言っていた貴重な酒が、その半分以上を溢されながら志門少尉の体内に入っていく。
あまりの混沌さに、私だけでなく隣の日野中尉も動けないでいた。
「そうらっ、何か他に無いかなぁ。」
私が我に返ったのは、志門少尉が崩れ落ち、有栖川少尉が机から降りて朽木大尉の机を漁り始めてからであった。
「ちょっ、ちょっと有栖川少尉!さすがにそれは拙いわ!」
「なんれすか~、だいじょうぶれすよ。」
しかし、騒ぎはそれだけでは終わらない。
「おいっ、何やってんでぇ士門っ!!」
「………えぇっ!?」
有栖川少尉を抑えながら視線を向けると、そこにはまるでバーベルのように日野中尉を持ち上げている士門少尉がいた。
顔色は普通だが目が完全に据わっており、明らかに正気ではないのだろう。
「うがぁー!」「ぐはっ」
軽々と日野中尉が宙を舞い…様々な備品と書類がぶちまけられる。
日野中尉は頭でロッカーを凹ませることで停止し、気絶してしまったようだ。
しかし目の前の大男が止まらない。
机をひっくり返し、書類をまき散らす。
(あぁ、神様…。)
信じてもいない神に願ったのが悪かったのか…助けが現れないどころか、
現れたのは神ではなく鬼だった。
「これは、何の騒ぎだ?」
その瞬間空気が凍る。
室内に入ってきた朽木大尉――表情は普段と変わらぬ無表情だが、纏っている空気が普段より圧倒的に鋭かった。
咄嗟に声が出ず、冷や汗が流れる。
「うがぁ!」
空気を読めない暴れる士門少尉。
部屋に入ってきた大尉に飛び掛かり…その次の瞬間には、背中から地面に叩きつけられていた。
べきっ
大尉が、志門少尉の顔に足で踏みつけ、踏みにじることで嫌な音が鳴る――再度私に問いかけられる。
「それで、間桐…この状況を俺に説明してくれないか?」
「は、ひゃい!」
朽木大尉が部屋の惨状、そして床に転がる空の瓶を眺めながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
普段なら噛んだことを恥ずかしがるのだが、当然今の私にはそんな余裕が無い。
「いや、そのっ…あのですね……。」
完全に気圧され、言葉が出ない。
近づいてきた大尉は、隣で惨状を気にせず机を漁っている有栖川少尉の頭を鷲づかむ。
「あれ?、たいいっ…痛い、痛い痛い痛いっ!!」
振り払えるはずも無いが、腕を掴んで振りほどこうと暴れている有栖川少尉を無視し、まるで最後通告かのような言葉が向けられる。
決して乱暴な口ぶりでは無いが、それが尚更恐怖を呼ぶ。
「もう一度だけ聞く…すまんが間桐…落ち着いて、この阿呆共の代わりに、ゆっくりで良いから状況を説明してくれないか?」
(あぁ…私、死んだな。)
その時の私は、本気でそう思っていた。
この日、私はトラウマを抱えることになる。
しばらくの間、興味本位で騒ぎについて聞かれることで、また意図せずとも思い出させられたときに、取り乱す程度には。
そして私の取り乱しようから…部屋の惨状は全て、秘蔵の酒を飲まれて怒った朽木大尉が原因だというまだ比較的真実に近い噂や、
ひたすらに大尉の凶暴性だけが助長された噂が広まっていくのであった。
Fin.
最終更新:2010年08月18日 21:22