6日目・前編

 ―――6時間経過。狙撃予定時間まで後1時間。
 状況は最悪の一言に尽きる。
 たかだか数十分程度の回復では、悠希も本来の性能を発揮できるわけもなく。その状態で仲間に引き摺られるように他の分隊員達の後を追うが、明らかに今までの速度とは遅い。
 そんな悠希を背負う仲間もまた、接近を許す毎に1度散開しては集合を繰り返す。大きな荷物が減ったが、追加でそれより大きい森上 悠希という名の荷物を担ぐことになり、結果としては合流前よりも状況が悪いと言わざる得ない。
 さらに云えば、歩兵装甲の無遠慮で力任せな攻撃は、分隊員達の精神を強く圧迫していた。すなわち、「こんな一撃を食らったら西瓜のように弾けてしまう」という、単純かつ明確な恐怖。それが今、目の前で振り回されているのだ。辛うじて正気を保つので精一杯だった。
 つい先程3つある迎撃ラインの内の2つ目、第2迎撃ラインが突破され、分隊は最後の砦となる第3迎撃ラインへと向かっている。
 しかしそこへ向かうにはあらゆる意味で切迫している。先にも説明したように、分隊員1名が、戦力的に使えなくなっている上、それを支えるために1名消費され、結果まともに動ける分隊員が4名しかおらず。
 つまるところ、狙われやすくなった分隊員を護衛しつつ他の4名で、悠希のような撹乱運動を行わなければならないのだ。
 どう考えても、詰みつつある状況。
 だが、その程度に諦めるわけにはいかなかった。
「こっちだ化け物!そう、こっちだ、こっちむけ!」
「ヒャッハー!チビリそうなんですけどー!?というか今ちょっとちびったー!」
「みんな、なるべく注意を引いて!音響周りのセンサーもいい加減復帰してるはずよ!
 動いて叩いて、大声を出しまくるのよ!」
「都さん、もっと早く動いてください!追いつかれてしまいます!」
「は、はひっ!悠希さん、急いでください!」
「く…っ!もうちょっと…もうちょっとだ…それまで…っ……!」
 注意を引く者、励ます者、指示を出す者。
 全員が既に体力的にピークが近い。島に来てからずっと緊張続きの日々に加え、現在の急激な緊張を与える情況。普段中々無い…というか、BETAに現在地を奇襲でもされない限り、起こり得ないこの状況は、どうしても浮き足立たせ、同時に余計な体力を使わせる結果となる。
 それがここまで続いてるため、いくら訓練で体力を付けたと云っても、その全てを使い切ってしまっていた。
 そうでなくとも、ここは訓練で使い慣れた平地でも裏山でもない。ましてや日本とは異なる樹木が日本と異なる法則で生い茂る島である。今までの感覚で動くと、どうしても苦労せざる得ない。
 それでも。後1時間。正確には、1時間を過ぎたところ。
 悠希は知らないが、他の分隊員は残り時間はわからないものの、それだけの時間制限があるのはわかっている。
 だからこそ、無い力を振り絞り、懸命に時間を稼ぐ。
 そして、ついに最後の迎撃ラインにたどり着く。そこには、山盛りの閃光手榴弾と、3つの迎撃ラインの中でもっともワイヤーが多い場所でもある。
「悠希さん、ここで休んでてください。今、分隊長達を呼んできます………っ!」
「く…あ、あぁ…」
 なんとか、耳も機能を正常化しつつある。視界も、ど真ん中に残る残光が大分晴れてきた。
 後少し、後少しでキチンと動ける。それまでは、下手に動くわけにはいかない。
 ………それが解っていても、悠希は動きたかった。
 理屈は解っていても、守るべき者、守りたい人が今、命の危険に晒されている。
 それを看過できるわけがなく、ましてや自分の体を気遣うつもりもなかった。
 それでも動かないのは、ここで無理をして余計に雫を危険に晒す事になることを解っているから。だからそこ、個人の感情を押し殺して、都の指示に従う。
「分隊長っ、悠希さんを安全な場所まで運びました!」
 撹乱戦術を取りつつ指揮を執る雫に駆け寄り、都は叫ぶ。喋るのも辛いのか、雫は一度歩兵装甲と距離を取り大きく頷く仕草を見せる。そして、呼吸を数秒整え、
「全員後退!最終ラインにて合流!」
 叫んだ。
 その声を聞いた途端、全員が一斉に、一直線に駆け出す。最後の迎撃ラインへ向かって。
 やたらと単純すぎる歩兵装甲は、その言葉を理解することなく、A分隊員を追いかけ始める。周囲の木々をなぎ倒しながら、力技で。
 数分先にたどり着いた雫達は、集めておいた閃光手榴弾を各自配布し、構える。
 武器はもうこれしかない。火力という意味では皆無でも、それでも対策は取るべきだと、雫は強く思う。そう思うことで、辛うじて精神の拮抗を保つ。
 それは他の分隊員も同じで、挫けそうな心を、こういう頼りなくとも”武器”を持つことで、まだ戦えるのだと戦意を繋ぎとめている。
「来た、距離は………わかんねぇ、200かそこら!あんだけぶつけまくって良く壊れねぇなぁチクショー!」
「対BETA兵器がこの程度で壊れてたら話にならないですよ!」
「こうなったら意地でも壊すわよ!全員、身を乗り出して誘って!」
 雫の指示に、全員が身を乗り出す―――ワイヤーの向こう側で。
 そのワイヤーに気付かないのか、はたまた力技でワイヤーを引き千切ろうというのか、歩兵装甲は全力疾走で雫達に突っ込んでいく。
「よっしゃー!そのまま来いやぁ!相手してやっからよぉ!」
「足腰立たなくなるまでやっちゃうよぉ~!?」
 勝名と久我が口汚く煽る。それに反応したかのように、さらに速度を上げて、一直線に突っ込んでくる歩兵装甲。ソレ見た全員が再度身を隠した直後―――
 木が凪ぎ倒れる音と、ワイヤーが引き千切れ、空を切る鋭い音が辺りに木霊した。その衝撃は、隠れていた雫達にも伝わり、一瞬「島が動いたのでは?」と錯覚するほどだった。
 しかしそんなわけもなく、音がある程度鳴り止んだのを見計らい、雫は事前に吊るしていた閃光手榴弾を起爆させた。直後、閃光がその場に居る全員を襲う。
「―――っと、今度はどう!?」
 第2迎撃ラインの時は、上手くはまってくれず、無駄撃ちに終わった閃光手榴弾。だが今回のは、流石に上手くいったはずだ。その手応えもあった。
 そんな根拠のない自身が体の芯から沸きあがり、残光が薄れた視界を凝らすと、
「………おぉ!止まってるよ分隊長!」
「落ち着いてください久我さん。第1迎撃ラインの時と同じく歩兵装甲は単に機能をフリーズさせてるだけです。すぐに再起動して、動いてきますよ」
「って、云ってる傍から動き出したぜ!前より早くなってないか!?」
「向こうも学習くらいするでしょ。でも、このラインのワイヤーは一番数と太いのが多いから、そう簡単にはいかないはずよ」
 そう指摘する雫に、確かにすぐに動き出した歩兵装甲は、ワイヤーに絡まりすぎたせいで、まともに動きが取れてない。踏ん張ろうにも、変な格好で絡まってしまった歩兵装甲は、踏ん張りどころを見つけられずデタラメに動き続けている。
 その姿は、つい先程まで追われていた立場からすれば、妙に間抜けで、そして嘲笑したくなる光景であった。現に、勝名と久我の顔には、どこか下卑た笑みが薄らと張り付いている。それが駄目だと解っていても、本人達の顔からはそれは拭えていない。
「………意外と、呆気なかったな。これなら、7時間どころか10時間だって耐えれそうだぜ」
「樹木の弾力性は、思ってるよりも高いものだからね。それこそ、今までこそなぎ倒してたけど、ワイヤーがその力を上手く分散させてるから、良い具合にしならせるだけに留まってるわ」
「最後の挑発も無駄ではなかったんですね。通用してるのかどうかは、解りませんでしたが」
「何云ってんだい綾華たん!この久我 応馬がやる事なす事、全てにおいて無駄の欠片なんかあるわけないじゃないか!」
「いえ、あの、久我さんの場合は………そのものなんじゃ…人のこと云えないんですけど」
「うぉぉぉんっ、都っちが苛めるよぉぉぉぉぉん!」
「都さんも逞しくなりましたね………と、云いますか、たんってなんです?」
 畏怖すべき対象が滑稽な姿を晒している………その様に、全員の緊張が緩む。
 解っていても。
 どうしても。
 相手が恐ろしければ恐ろしいほどに。
 もがき、逃れられないその様を見せつけるほどに。
 抗う武器がなかったからこそ、相手を罠に陥れたという快感が、戦士としての本能が震えて出す。それが正しいことなのか、判断することすらできず。
 そんな中、悠希だけはじっと、ほぼ回復した眼でただ真剣に、歩兵装甲を睨みつけていた。いや、正確には、その周りを凝視していた。
 木のしなり具合、もがく角度、引っ張られ伸びきったワイヤーを、つぶさに。些細な変化も見逃さぬほうに。
「…………?」
 不意に、歩兵装甲の動きが変わった。もがき暴れることをやめ、右腕を横へ突き出し―――
「伏せろっ!」
 叫ぶと同時に、雫の腕を引いて下敷きにして地面に伏せさせる。その声に一寸の間を置いて動こうとした直後、
「きゃぁ!?」「うっひゃぁうわぁぁぁ!?」「うあわぁ!」
 機関銃の時とは比べ物にならない爆音が突如響き渡る!
 木々が爆ぜ、地面が湿った落ち葉を撒き散らし、跳弾で耳元を弾丸が霞め、死の羽音を撒き散らす。
 いとも簡単に蘇った恐怖に、全員が羽音と爆音が収まるまで震え続けることに。
「冗談じゃすまないわよ、これ!」
「解ってる!でも今は!」
 雫の悲鳴じみた声に、悠希は辛うじて相槌を打つ。気まぐれな跳弾1つで、命が失われかねない今の状況。密着しているからこそ解るが、流石の雫も、直接的かつ物理的な恐怖に、小刻みに震えていた。
 歩兵装甲はというと、ワイヤーがくくり付けられた木々に照準を合わせ、フルオートで右腕にくくり付けられた機銃を起動させる。
 あらかたワイヤーがくくり付けられた木々を吹き飛ばしたものの、機銃は止まることなく装填された弾丸を吐き出し続ける。が、直後その機銃そのものが爆発した!
「今度は何ですか!?」
「あれ動くのかよ!?」
「もう何がなんだかわかんねぇっす!?」
「ひぃぃぃぃ…!」
 頭を伏せたままでは何も解るわけもなく。だが、次いでさらなる爆音が―――
「全員、散開しろ!」
 状況を見ていた悠希が叫ぶ。そのまま雫を抱きかかえ、近場にいた都の腕を掴んで、飛び退く。直後、6人の中央に、歩兵装甲が飛び降りた。
 土砂を巻き上げたまま、反応が遅れた久我を薙ぎ倒す。反応し切れなかった久我は、そのまま樹木に激突し、悲鳴らしい悲鳴を上げる間もなく気を失ってしまった。
「久我さん!?きゃぁぁぁ!?」
 無遠慮に振り回された左腕に、咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込む。が、背中にあった樹木を殴りつけることになり、破片が後頭部を直撃。刺さりはしなかったものの、強打され、意識を手放してしまう。
「勝名!」
「わかってるっての!」
 狙われてると察知した勝名は、派手に転がりながら歩兵装甲の脇を潜り抜け、悠希達の下へ走り抜ける。
 少し距離を取り体勢を立て直している悠希と雫そして都と合流すると、ひとまず落ち着き、深呼吸。そして振り返ると、
「右腕が、ない?」
「あぁ、どうも機銃が整備不良だったらしく、右腕ごと吹っ飛んだ。お陰でバランスも崩してるみたいで、久我達も肉片にならずに済んだみたいだ」
「運だけは良いからな、あいつ…って、綾華は?」
「あっちは運悪く後頭部を破片で強打されちまって、意識を失ってる。ついでに言えば、ボゥガンは綾華に渡したままで、この矢も持ってるだけ無駄になった」
「ちっ、状況はどこまでも最悪だな…っ!」
 手を目にあて、天を仰ぐ。なんとも運が悪いのだと、強く残念がった。
「助けに行けねぇのか!?」
「戦闘中に1人を助けるとなると、3人犠牲が出るんだ。犠牲無しで助けるなんて俺にはできねぇ」
「悠長に話してる暇は無いわよ2人とも!もう追ってくるわよ!?」
「何か策でもあるのか?」
「その前に、東に移動しましょう。話は移動中に!」
 そう指示を出すと、雫は先に走りだした。後ろにいる歩兵装甲も、バランスを崩しながらもこちらを追い始めている。
 武装的な意味での脅威は、ひとまず半減したが、装甲強度は相変わらず。久我は肉体的損傷を免れてはいたが、それでも脅威であるのには変わらない。
 幸いと云うべきか、災難と云うべきか………歩兵装甲は、無力化した人間に狙いを定めることなく、能動的に動く人間を優先している。
 それがどう転ぶかわからなかったが、雫達はそれを利用して誘導を再開した。
「で、どうするんだ?」
「あと約1時間までに、東方に歩兵装甲を誘導する必要があるの!そこまで歩兵装甲を誘導できれば、教官が狙撃で破壊する算段!
 でもここからだと、海から見える東方付近まで20分もかからないわっ。だから、もう少し時間を稼がないと!」
「了解!」
 返事をするなり、躊躇せず悠希は北側へと進路を変える。そちらには若干の起伏があり、移動距離を稼ぐには十分な地形だった。
 それを察知した勝名が後に続き、雫と都も後に続く。馬鹿正直に後を追う歩兵装甲はそんな4人の後を追った。
(なんにしても、もう少し時間を稼ぐ必要があるってことはだ………結局相手するしかないって事じゃねーか!)
 結論は簡潔。が、云うは易し行うは難し。
 生身の人間が歩兵装甲を相手に真っ向からやりあう事など馬鹿しかやらないし、つい先程まで散々経験したばかりだ。結局深手を与えることもなく、むしろ体力を消耗しただけの結果。
(が、この数がいれば!)
”あれ”が試せる。恐らく、位置的にもこれが最初で最後の好機だ。質量的に、1人では無理だが4人なら、できる。はずだ。
 少し移動した先に、平均男性1人分の高さに相当するそれなりの崖がある。その手前で止まり、
「先に下りてろ!」
 口論の余地を許さず雫達を下ろし、自身は歩兵装甲と真っ向から向き合う。真っ直ぐドスドスと走ってくる歩兵装甲は、走る城壁とも云える威圧を放っていた。
(一寸でも間違えば頭が吹っ飛ぶな…っ!)
”狙っていること”をするには、明らかに分が悪過ぎる。博打を通り越して自殺志願者だ。口元が、思わず釣り上がる。
 だが、上手くいけばその分見返りが大きい。その”狙い”を成功させるために、最後の一瞬まで成功するイメージを自身の中で思い描く。
「さぁ来いっ、木偶人形!」
 後10メートルもない。歩兵装甲の脚ならほんの数秒の距離。
 加速し、悠希めがけ、渾身の拳を放つ―――
(それを―――)
「まってたぜぇ!」
 後ろ側、崖の方へしゃがむ動作を混ぜながらスウェーバックっ、頭上を通り過ぎたスレイヴ・モジュールを掴み、
「破ッ!」
 1歩分だけ残した足場を使って全力の跳躍―――歩兵装甲の加速と、悠希が加えた慣性が加わり、斜め下へと一直線に落下!
 腕部スレイヴ・モジュールが地面に突き刺さり、関節部から悲鳴が上がる。その悲鳴を殺すために歩兵装甲は肘を曲げ、慣性に従って上下逆さまになる。
「今よ、みんな押して!」
「「了解!」」
 何をするのか、予測していた雫が状況を判断してそう指示を出す。同時に自身も前に出て、上下逆となった歩兵装甲の胴体部を押し出す!それに追従するように、勝名と都も胴体部を押し出す。強化服の中から腐った遺物が溢れるが、誰も気にしない。
 そして、その努力が実り、
「―――ッ!」
 ゆっくりと背中から倒れ出すのを確認した悠希が、押している3人を抱きかかえるように掴んで離れる。直後、”どぉーん”という轟音と共に、歩兵装甲が倒れた。
 かなり負荷が大きかった姿勢らしく、左腕を中心に火花が漏れている。そのせいなのか、動きもピタリと止まっていた。
「こりゃぁ…いわゆる…」
「一本背負いってやつですね…!?」
「ふぅ…意外と出来るもんなんだな」
「じゃないでしょ!いくらなんでも危険過ぎるわよ!?」
「はい…すみません…」
 頭ごなしに叱られる男の姿がそこにあった。と云うか悠希だった。それはともかく。
「相手がグーを使ってくる確率も、避けられるタイミングも、どれも博打が過ぎるわよ!死にたいの!?」
「でも、できた」
「~~~…っ!そう、出来たからこうして叱ってるの!出来なかったら、叱れないじゃない!」
「おぉぉ、落ち着け分隊長!気を確かに!」
「そ、そうですよ雫さん!上手く行ったなら良いじゃないですかっ、ね?」
「だからってねぇ…っ!」
 また、だ。
 また、余裕が見えたお陰で気が緩んだ。
 今度は悠希さえも。
 今度ばかりは、悠希自身も今までにない手応えを感じてたが故に、気が緩んでしまった。
 スーパーカーボンの塊と云える歩兵装甲を”投げた”。この事実は、否が応にも気分を高揚させ、視野狭窄に陥らせる。
 それはそうだ。誰だって無茶だと、無理だと思える物を投げたのだ。気分が余計な方向に行ってしまうのは、仕方ない事なのだ。それが今まで油断を怠らない悠希であっても、同じ事だった。
 だから、その初動に気付けなかった。気付くことができなかった。
 僅かに響く、駆動音を。
「はぁ………もういいわ。過ぎてしまったことは仕方ないことだし」
「そうですよっ、悠希さんもそれが最善だって思ったからやったんですしっ」
「まぁ、こいつの場合、自分から危険に首を突っ込―――」
 不意に、勝名が消えた。
 いや、錯覚なのは理解していた。消えたと云うより、横殴りに何かが飛んできたのだ。だからこそ、その飛んでった方角へ即座に視界を向ける。と、そこには土の中から脚が生えた奇妙な光景が―――いや、勝名の脚が見えた。
 慌てて振り返ると、歩兵装甲がゆっくりと立ち上がる姿が。
 地面のえぐれ具合とその位置的に、めり込んだ左腕を、力任せに振って土を勝名にたたき付けた………そんな流れが、3人の頭の中に一瞬で描かれる。
「行け!」
「都!」
「は、はいっ!」
 意思疎通でもできてるの如く、3人が素早く自身のすべきことを為す。
 すなわち、雫と都はさらなる移動を。悠希は歩兵装甲の相手を。
 どう頑張っても、もう3人が無事に時間通りに誘導できる可能性は0に近い。であれば、悠希が捨て駒となり、幾分かでも時間を稼ぐ方が正しい。
 少なくとも、悠希はそう判断したし、雫も刹那の葛藤の末決めた判断でもあった。そして都は、そんな2人を信じ、雫が決めた判断を正解だったとできるようにと、自身で判断する。
 片腕だけで、しかもあちこちでガタが来てるだろうに。歩兵装甲はそれでも悠希と真っ向から襲っていく。普通に考えて、どちらも危険なのは変わりない。
 それでも悠希は、真っ向から向き合い、避け続ける。
 多少かすった程度で騒いでいられない。機銃の暴発により開けられ、ささくれ立った部分だけには注意を払いながら。そこだけは鋭利な刃物になり、掠めただけで肉を抉られるから。しかも、なまじ砥がれてない分、斬れればその分激痛が増す。
 それが解っているから、歩兵装甲の損傷部位を見極める。下手に殴りかかれないのなら、少しでもどうにかできる余裕を、あるいは時間を稼がなければ。
 だが、1度底を突いた体力は、そう簡単には回復しない。横薙ぎに振るわれた左スレイヴ・モジュールを後ろ側に避けた時、泥と疲弊した膝により足元を掬われ、”ずるり”とコケかける。
「こんな時にっ―――くっ!?」
「っ!?悠希!?」
 滑る音に気付いた雫が振り返ると、悠希の目と鼻の先に左拳が―――いや、”そこ”にくくり付けられた、パイルバンカーが晒され、そしてその悠希も逃れようと動く、が―――
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっっっっっっ!悠希ぃぃぃぃぃぃいいいい!」
”がきょん”………そんな小馬鹿にしたような音が、無常にも響いた。
「あ……あぁぁ………」
 全身から力が抜ける。放たれる瞬間、赤いものが飛び散ったのが見えた。
 あんなものを目の前で放たれたら、どんな人間だって、生きていられるはずがない。
 再度確認しなくとも、解る。気持ちでは解りたくなくとも、本能的な部分が死んだと急速に理解していく。
「そ……ん…な………」
 頭の中がどんどん真っ白になる。視界も暗くなる。見ないように、見たくないものを見ないように。
 もう………試験のことなど、頭の中から抜け切っていた。
 大切だと思える人が、思えた人が、死んだ………それがこんなにも喪失感を与えるだなんて、知らなかった。
 全身に巨大な穴が開いたような、そんな喪失感……それに抗う術を、雫は持ち得ていなかった。
「し、しっかりしてください…、雫さんっ!」
 項垂れる雫を揺さぶる都も、顔面蒼白で力もか弱い。揺する力は蚊も殺せぬほどに弱く、その瞳からは大粒の涙が浮かび上がりつつあった。
「ぅ…ぁ……ぁぁあぁぁぁ………」
 声にならない叫びが漏れ出す。脚からは完全に力が抜け、動く気力が根こそぎ奪われている。
 もう、何かもどうでもよく……生きることすら、どうでも良く………
「―――っぃ!何やってる、早く行け!」
「「―――っ!?」」
 不意に、聞き慣れた声が響く。慌てて顔を上げると、左頬を真っ赤に染めながらも、歩兵装甲と対峙する、悠希の姿があった。
「ぶ…無事なの!?」
「なんとかっ、それより早く!こっちは適当なところでズラかるから!」 
 状況的に、一緒に移動することはできないのは当に諦めている。だから、時間を稼ぐ。
 そう言外に叫ぶ悠希に、都はその意を汲み涙を拭って立ち上がる。
「雫さん、行きましょう!雫さん!」
「ま…ま…って………腰が…」
 完全に気抜けした雫は、張り詰めた糸が切れたかのように全身から力が抜け去っていた。
 都に掴まる腕も、普段ならその白魚のような指からでは想像できない力を見せていたのが、都ですら弱々しく感じられるほどにまで抜けていた。
「く…っ……都、1人で行きなさい…!私が最後の囮になるから…!」
「そんな…っ!」
 こんな状態でどうやって囮になるというのか。どう頑張っても、殺されに行くようなものだ。いや、どちらかと云えば殺されるのを待つだけ、だろうか。
 どちらにせよ、それは駄目だ。それでは駄目だ。
 都は思案を巡らせる………そう時間はかけていられない。雫を、分隊長を置いていく愚挙以外の手立てを、探る。
「………そうですっ!雫さん、私、おんぶします!」
「ぇ…?」
 この娘は何を―――そう云わんばかりの顔を見せるが、都は気にせずその小さな背中を向けた。
「いや、都を悪く云うつもりはないけど………私を背負ったまま動けるほど体力は…」
「大丈夫ですっ!それより早く!悠希さんが頑張ってる内に!」
 いつになく問答無用の気迫を見せる都に、雫は僅かに圧される。が、その僅かでも、動くには十分足りえ、吸い寄せられるように都の背に乗った。
「良いですか?行きます!」
「え、きゃっ!?」
 掛け声と共に、都は重量を感じさせない動作で立ち上がり、軽やかな足運びでその場から離れていく。
 何故―――と、思い、妙にお尻あたりに大きな何かが触ってるような、そんな感覚に気付き、しかし見下ろしてもそこには何もなく。
 そこで、ようやく気付く。
 都の”力”に。
 都だけが持つ、特別な”力”に。
 危害を加えられる原因となる、その”力”を。
 都の体力ではこんな速くは走れない。それを、”力”をアシスト代わりに使い、通常となんら変わらない速さで走り抜ける。
 今までなら考えられなかった、そんな都の急激な変化に、雫は内心驚いてみせた。そして同時に、都の本性とも云うべきものも、垣間見れたような気がした。
「―――っ、都、移動した痕跡を残すように走って!少しでも誘導できるように!」
「了…解っ、です!」
 途端、目の前の草、枝が折れ出す。見えない何かにぶつかって折れたような、踏み潰されたように。それはずっと、都が走り続けている間、ずっと続いている。
 ――― 一瞬、云いようのない恐怖が芽生える。
 が、それはそのような”力”を行使する朝倉 都に対してではなく、”力”の有用性、用途の多様性に対し。
 それはつまり、この娘がどれほど重要なのかを、改めて認識せざる得ない………ということだった。
(この娘は気付いてないけど、これはとんでもない武器よ…!
 教官…貴女はこれほどの物だと知ってて私の分隊に入れたんですか…!?)
 今は見えぬ上官に対し、雫は問い詰める。
 その疑念が渦巻けば渦巻くほど、雫はさらなる真実を強く意識せざる得なかった。
 未だ晴れぬ空を見ながら、雫は思考を巡らせていった。
最終更新:2010年11月06日 21:53
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