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6日目・後編

 ―――そして、雫達は、島の最東方、切り立った崖へとたどり着く。

 相応の距離を走ってはいたが、都は完全に息が上がり、口で呼吸するのもままならない状態にまで弱っていた。そのまま、森を抜けた途端崩れるように前のめりに倒れる。
 僅かな間だが、雫も力を取り戻し、地面にぶつかる前に抱きかかえる。
「お疲れさま、都…!あと、あと少しよ…!」
「は……………は……ぃ………」
 全力疾走した時よりも酷い息の乱れ具合。推測するに、都の力には一定の負荷がかかるのではないか?という、1つの答えが出る。
 であれば、あまり多用させるわけにもいかないだろう。どこにどういう負荷がかかり、どういう障害となるのか、解らないのだから。
 都の脇に頭を通し、肩で担ぐ雫。雫自身も、そろそろ体力が限界を感じつつあった。
「時間は………もう、解らないわね………」
 先程の緊張の糸が切れたことで、その辺の感覚が綺麗に吹っ飛んでしまった。こうなっては、取り戻すには1からカウントし直すしかない。
「本当に正しく時間通りに誘導できているか」………そう聞かれたら、怪しいところではあるが。
 ともあれ、今は体力回復を優先しなければ。行く所も、逃げる所も限られたこの場所で、歩兵装甲と真っ向から向き合うのは得策ではない。
 武装がナイフ1本という今の状況は、悠希くらいしかどうにもできないだろう。その悠希も、真っ向からやり合って勝ててないのだが。
 都の”力”は、多用できない。したくはない。負荷がかかるのなら、それは使わないに越したことはないのだから。
 彼女のその”力”は、もっと重要な局面で使うべきなのだから。もっとも、今を乗り越えないでその重要な局面を迎えるのには、かなり無理があるが。
「今は体力の回復に専念して……残りの状況は、2人でどうにかするしかないんだから…」
「は…ぃ…………」
 酷く衰弱している。走る前までは見せていた声に、覇気がない。
「み…な、さ……っ、…ん、は……はぁはぁ……無、事で……しょ………」
「喋らないで。喋るだけでも、結構体力は消耗するのよ。今は他の事よりも、自分のことを優先して…」
「………っ」
 雫の言葉に、静かに頷く。
 そんな雫本人は、自分の言葉が恐ろしく冷たく聞こえていた。
 別におかしい判断ではない。目的のために、今ある手段を増やすために、成すべきことのためにすべきことをしているのだ。それは、結果論を旨とする軍隊においては、もっとも正しい姿と云える。
 ………のだが、雫の中にいる別感覚。良心とも云える本心が、その冷たさに心を震わせている。
 大切な仲間だと思う反面、その仲間を駒として扱う自分。その矛盾がストレスとなり、雫の精神を蝕む。原因が解ってるだけに余計タチが悪い。そして今の状況ではどちらが正しいのかなんて一目瞭然なのに。
(………っ!当の昔に決断したことでしょ、私!今更何を考えてるの!)
 疲労がついに精神を冒し始めたと判断する。今頭の中に過ぎった考えは、奥州に居た頃に済ませた問題なはずだ。それを今更ぶり返すのは、疲れで思考が否定的な方へ流れてる証拠だ。
 それに今は、そんなことを考えてる余裕は、ない。
 それよりもタイミングを見計らわねば、歩兵装甲の対処方法も考えなければ。
 迎撃するにも装備が少ない。それでも、抵抗するための手段を考えなければ。
(とは云え、設備も装備も、全部使い切っちゃったし………あら?)
 BDUの中に、1つだけ閃光手榴弾が入ってたのを見つけた。最終防衛ラインで回収した時、使うタイミングを逃した分だった。
(これで武装は2つ…でも、対抗するには間違いなく力不足………けれども、何も無いよりはマシ…ね)
 無いよりマシ。どう云い繕おうと、これが覆せない事実。
 そして、これだけの武装で時間を稼ぐことができるのは、悠希だけ。
 実質5・6時間以上、単独で相手していたのは、悠希だ。しかもナイフ1本と、その身体能力のみで。
(私にできる…?やれると思う…?)
 自分のナイフを抜き、鎬を鏡代わりにして自身に問いかける。
 鈍く反射する中で見える自分の顔は酷く汚かった。飛び散った泥と、5日間まともに洗えなかった髪が、痛んで絡んでしまっている。豪雨に多少洗われた程度では、どうしようもないほど、あの艶やかで濡れているかのような髪には程遠い。肉付きは、幸い食料事情で苦労することはなく、比較的試験前の状態を維持しているが、やはりどこか痩せこけていた。
 ―――そして、その瞳は。
 瞳は、凛然と輝いていた。いや、あらゆる負の感情により、大きく見開かれていた。
 迫り来る恐怖と、極度の疲労が目蓋を大きく開かせている。そして、酷く視線が不安定だ。
(落ち着きなさい、私!もう悠希はいないの!私と都だけで、この作戦をどうにかしないといけないのよ!
 分隊長の私が怯えてどうするの!それにまだ誰も死んでない、まだどうにかできるんだから!)
 己が生まれた負の感情を殺すように。恐怖に打ち勝つために。本能を理性で組み敷くように。
 揺れる眼光を睨み、強くそう念じる。
 自己暗示をもって、あらゆる負の感情を殺していく。
 それでも飽き足らず、1度頭の中を真っ白にし、残った負の感情を消し去り、その上で刀身に映る自身の瞳を強く見て正の感情を持つよう、さらなる暗示をかける。
 強く、強く。どこまでも、強かに。
 状況を覆すとか、把握するとか、そういう事よりもまず、自身の気持ちの整理から。
 どうにもできないというイメージならいくらでも出来る。だが、それではどうすることもできない。
 まずはプラスのイメージ。勝てると思うイメージを、勝った自分の姿をイメージする。
 実際には云々の問題ではなく。まずは勝てるというイメージを抱くことが大切なのだ。
 でなければ、勝てるものも勝てないし、奇跡だって、起こせはしない。
 だから強く、強く。どこまでも、頭の中で勝利した姿を強く思い描く。
 やがて、1度目を閉じ、今強くイメージできたものを瞼の中で焼き付ける。そして、それを何度も再生し、気を高ぶらせる。
 そして、
「―――んっ!」
 見開いた瞳の先にある、ナイフの刀身に映る自分の瞳は、いつも意思がハッキリとある、力強い自分がいた。
(これで下準備はできたわ。後は、悠希の頑張りと、時間と、運の勝負ね…!)
 気持ちさえ落ち着けば、後は如何様にもできる。
 装備が限定的過ぎる上、相手が歩兵装甲であれば、この閃光手榴弾を効果的に使うしかない。それ以降は、どうにかしてこの狭い足場で逃げ切るしかない。
 2人いれば、向こうの半壊ぶりなら鬼ごっこの要領で逃げればなんとかなる。
 後は時間だけ。こればっかりは自分の不手際だが、仕方ないので諦めるしかない。時間が間近まで迫っているのだと祈るしかない。
 そこまで考えがまとまった時点で都に意識を向ける。
 まだ激しく呼吸を繰り返しているが、ここにたどり着いた時に比べたら大分落ち着いているように見えた。
「…どちらにせよ、今は体力かいふ―――」
 そこまで口を動かした時、背後で物音がした。
 2人は振り返りる。と、そこには、
「ゆ、ぅ…き…っ!?」
「ひ………っ!?」
 歩兵装甲が立っていた。
 機銃の暴発で半分を失ったその体で、残った左腕で、ズタボロの悠希の襟元を掴んで。
 気絶しているのか、ぐったりしたその姿は、泥だらけなのと相まって一見では生きてるようには見えなかった。
 辛うじて、本当に辛うじて………僅かばかりに動く口が、まだ生きていることを雫と都に知らせていた。
 その姿となった代償、あるいは対価としてなのか、パイルバンカーの一部に、ボゥガンの矢が挟まっていた。そこは機銃の暴発で空いた穴でもあり、稼働に支障を来たす位置でもあり、つまりはバンカーが無力化されたことを意味していた。
 ただでは転ばないと云わんばかりの対価ではあったが、それは意味があるのか、果たして。
「――――――………っ……」
 掴んでいた悠希をその場で手放す歩兵装甲。泥を飛び散らせて悠希がその場が落ちる。僅かにうめき声を上げるが、生憎と2人の耳には届いていない。
 バランスが取れず、真っ直ぐではないが、ゆっくりと雫と都との距離を詰めてくる。
「私の後ろに…っ!」
 都の今の状態では動くのは無理だ。雫は都を背にし、集中できる範囲を狭める。
 悠希のことも気がかりではあったが、今の状態ではどうすることもできない。ナイフを握り締め、臨戦体勢を取る。
 果たして、真っ当な戦いができるかどうか。しかし、今はやらねばならない。
(どのタイミングで加速して来るかわからないけど…あの図体ならモーションの間は大きいから、必ず解る!)
 機械というのは人間のような微細な筋肉の制御で動くのではなく、大雑把に「人間っぽく」「それらしく」動くものだ。そのため、人間にはない機銃やパイルバンカーの稼働は別にして、そのものの動きに関して云えばモーションは大きくしなければならない。………はず。
 直感で回避するのは悠希くらいなもので、雫にとっては僅かな動きも大事な情報として、全体を見ねばならなかった。
 それに、閃光手榴弾もある。これを使えば、少しでも時間は稼げるはずなのだ。
 後ろ手にまわした左手に、閃光手榴弾を持つ。歩兵装甲からは死角となり、都から見えていて。そのピンを、都は引き抜いた。
 1歩、歩兵装甲が前へと踏みしめる。
 2歩、雫の呼吸が一瞬止まる。
 3歩、左腕の位置を変え、
「対閃光防御!」
 叫ぶと同時に閃光手榴弾を投げ放った!
 ナイフスローの要領で投げられたそれは、歩兵装甲のセンサーユニットに当たり、一度弾みで歩兵装甲から離れる。その間に雫と都は素早く姿勢を取り―――爆音と呼ぶには些か生ぬるい轟音が鳴り響いた。
「―――っ!これで、」
「うぅ、耳が……」
 閃光と爆音の残滓が雫と都を悩ませる。が、それに耐えて雫は歩兵装甲を見ると、
「うそ………」
 防御、されていた。
 正確には、センサーユニットの前に左スレイヴ・モジュールを掲げ、閃光に耐えていたのだ。
 ともなれば、音響センサーも何がしかの対策を取られているはず。つまり、この手は、最後に残っていた最大の手札は、無意味という―――
(折れるな、私!今折れたら全てが無駄になるわよ!折れちゃ駄目なのよ!)
「都は下がってなさい!」
「雫さん!?」
 ナイフを構え、歩兵装甲の動きを注視する。僅かな隙を探す為に。最大の一撃を与えるために。
 見れば見るほど、真っ当に相手するのには躊躇われる。だが、今はその考えはかなぐり捨てる。
(それでもバランスは大分狂ってるみたいね…あのサイズだし、下手に動き回れば自身がバランスを崩す羽目になるのは理解してるはず………なら!)
「はぁっ!」
 左側に大きく重心が傾く瞬間を狙って突進する。それに合わせるように歩兵装甲は左腕スレイヴ・モジュールを振り回す。直後、雫は突進を1テンポ遅らせる。踏ん張る足に負荷がかかり、この数時間で蓄えられたダメージが脚の節々を襲う。それに耐えた甲斐もあり、スレイヴ・モジュールは大きく空振りし、反動でバランスを崩す。
(よし、今―――)
 再度突進を仕掛けようとした時、一瞬視界が暗くなった。直後、視界が地面に落ちていた。
 何が起きたか解らない。しかし、強い痛みは感じられないし、四肢の感触もしっかりとある。思考が現実を追いきれてない内に、視界に入っていた歩兵装甲の脚が、雫めがけ下ろされ―――
「雫さん、あぶないっ!」
 都が叫ぶ。直後、雫の体が何かに引っ張られるように引き摺られ、都の前で止まる。
「つぅ~………何が一体……って、今の都がやったの…!?」
「は、ぃ…はぁ…はぁ………っつ…!」
 よほど疲れるのか、また息が上がっている。顔も、頭痛か何かを耐えているかのように辛そうに歪んでいる。
 使わせないつもりが、使わせてしまったようだ。これには雫は素直に反省する。
「ごめんなさい、都……でも」
「いいんです……それよりも、もう…逃げ場が………」
 気付けば、背と左右には断崖絶壁しかなくなっていた。正面には歩兵装甲が仁王立ちで構えている。
 ―――逃げ場なし。
 どう足掻いても、逃げ場がない。後はひき肉にされるか、藻屑と化すか。
 時間稼ぎとして最後の手段だった閃光手榴弾は無意味に終わり、格闘戦ではまったく歯が立たず。
 都の力がどこまで通じるかは解らないが、使わせるわけにはいかない。そもそも、通じるかも解らないのだから。
「くっ………!」
 都を抱きしめ、ジリジリと下がる。少しでも時間を稼ぐために。
 もう、何もできない。それでも、この娘だけは助けねば。
 しかし、自身もこのままでは挽き肉にされてしまう。その恐怖が、全身を強張らせ、震えさせる。
 それは後ろにいる都も気付いていて、しかし自身も力が通じるかどうかもわからず。
 それでも―――
「雫さん、”力”を使って押してみます!」
「駄目よっ、負荷があるんでしょ!?」
「今はそんなこと云ってる場合じゃないと思います!それに、ここで雫さんを死なせちゃったら………そんなこと、私、耐えられません…!
 だから………守ります、雫さんを!」
 そう叫ぶないなや、雫の静止を振り切り都は強い意思を持って、歩兵装甲を睨みつけた。
 直後、歩兵装甲が不可視の壁にぶつかったかの如く、動きを止める。そのまま少しずつ、ずるずると後退を始めた。
「す…凄い………これほどのモノなの…!?」
「フゥーッ…フゥーッ……く………っ」
 何がどうなってるのか理解してないようだが、押されてる事実を認識した歩兵装甲が力技で前へと進み出す。
 途端、都の負荷が増したのか、コメカミに血管が浮き出し、眼も充血していく。見えざる壁を形成し続ける内に、さらなる鈍痛が頭の中を暴れ狂う。それでも都は諦めない。強い力に屈したくないがために。
 機械仕掛けの馬力と、人の常ならざる力が、拮抗する。それは滅多に見れない光景であると同時に、とてつもなく奇異な状況だった。
 少なくとも、対人類用の兵器ではない、異形の怪物と戦うために作られた代物が、人の未知なる力と同等となっている。その事実だけでも、良く解らない感情が生まれるのには十分過ぎた。
 しかし………それも長くは続かなかった。
「フゥーッ…フゥーッうっ…フゥーッ…くっぅ…フゥ………つっ、ぁあっ!」
 今までにない強い鈍痛に、都が根を上げてしまう。あまりの痛さに頭を抑え赤子のように蹲る。しかもそれがまだ続いているのか、痛みから逃れようともがく。
 突然なくなった抵抗に、歩兵装甲が泥と水しぶきを撒き散らしながら前のめりに倒れる。
「っあぁ!?ひぃっつぅぅぅ…!ぁぁぁぁああああぁぁあぁぁああああっ!」
「都っ、落ち着いて!都ぉ!」
「ひぃぃぃぃいいいいうぐぅぅうううぅぅっ!」
 抱きしめ、頭を抱くが、それでも都は異常な痛がりを見せる。
 これほどになるまでの過負荷とは思っていなかった雫も、流石にパニックになる。状況と相まって、混乱はさらに加速してゆく。
 だが、それでも。
 それでも都を守らなければと、強く思った。
 この娘がどれほど凄いのかをよく理解したから。
(守らないと…守らないと!でも………どうやって………!?)
 手立てが無い。術がない。武器もない。
 もう、どうしていいか解らない。
 諦め混乱と絶望、雫の心を満たす。
 もはや、どうすることもできない。
 諦めたくはないけれども………もう、どうすることもできない。
 逃げ道もなく、都を置いていくわけにもいかず。
(もう………無理なの…?)
 心が音を立てて折れていくのが解る。
 1度折れた心を持ち直したのだ。2度目の持ち直しなど、そうはできない。
 気持ちを奮い立たせることもできないまま、このまま肉塊にされるのを待つしかないのだろうか?
 そんなことが許されるのか?許せるのか?
(そんなわけ…ない!………ない、けど………)
 どうしようもない………どうすることも出来ない。
 肉塊にされたくはないし、身投げだってしたくもない。
 けれども、それから逃れる術が、ない。
 何も無いのだ。本当に。
 悔しさや憤りを感じないわけがない。むしろ痛々しいほど強く感じている。
 だが、それに答えられる力量が、ない。
 渾身の力で心を振る立たせてナイフを構えるものの、手が震えているのがよく解る。
(悔しいよぅ………どうして私には、力が無いの…!?)
 悠希のせいではない。誰かのせいではない。
 単純に、今まで悠希に寄りかかり続けてきた、自分が悪いのだ。
 それでも………それでも、悔しさが止め処なく溢れてくる。
 歩兵装甲が1歩前に進んでくる毎に、その思いが溢れかえる。
 そして、無造作に左腕スレイヴ・モジュールが持ち上がり―――
『―――伏せろ、源!』
「………ぇ?」
 突然の声。何事かと理解する間もなく、条件反射で体が伏せる。直後、想像できないほどの轟音が響いた。
 何が起きたのか、まったく理解できず、音が止むとゆっくりと体を起こすと………
 ―――そこには、歩兵装甲が忽然と姿を消していた。
「………ぇ?え?」
『状況終了っ!全員集合だ!』
「えぇ?」
 きょろきょろと周りを見渡すと、北側に人影が………いや、支援突撃砲を構えた戦術機”夕雲”の陰が見えた。
 前を良く見れば、いくつかの歩兵装甲の破片が散らばっている。しかも、南側へと。
 そこまできて、ようやく雫は理解する。
 作戦は、今、ようやっと終わったのだ―――
「………で、どこに集合すればいいの?」
最終更新:2010年11月06日 21:53
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