楽しい時間というのは、瞬く間に終わってしまうものである。
それは、いくら歳月を重ねようと、如何に心が荒んでいようとも、なんら変わらない。
BETAという人類の仇敵が居ようとも雫達は全力で、全身全霊をかけて、がむしゃらに、このほんの僅かばかりの俗世から隔離された時間を満喫する。
やがて来るであろう終わりの時を迎える、その瞬間まで。
訓練で蓄えた体力を消費し切ってでも。
この2度と来ないこの瞬間を忘れないために。
記憶に残る、楽しかった時間を自身に刻み付けるために………
そんな歳を忘れ童のようにハシャギ回っている内に、空はすっかり暗くなっていた。
それでもまだ帰ろうとしないのは、まだ時間的な余裕があったのと、氷室の計らいのお陰であった。
夜の砂浜で行うバーベキューは、中々乙なものであり、極度な緊張を強いた試験と全力でやり切った遊びのお陰もあり、シチュエーションと合わせて普段食べ慣れた合成肉も格段に美味しく感じられた。
また、全体に漂う、祭の後に残る僅かな哀愁もまた、各々に感じていた。
(それもまた、味のあるものだ)と、悠希は僅かに口を歪めながら、そんなことを思っていた。
用意された肉や野菜は、ほぼ全て食べ尽くし、残りの切れ端が僅かに網の上で徐々に炭化している。が、それぞれノルマだと、暗黙の了解でそれも順調に平らげいくのは、普段食が安定しない日本人ならではか。勿体無い精神の表れか。
投入されていた炭もほぼ灰になりつつあり、この宴も終わりを迎えつつあること、ヒシヒシと感じていた。
「あれ………そういや雫は?」
雫の姿が見えないのに気付いた悠希は手身近にいた都に聞く。
「雫さんなら、先ほど浜辺に方に行ったみたいですよ」
「そうか…ありがとな、都」
軽く手を振って、悠希は浜辺の方へ駆け足気味で向かった。
とは云え、浜辺はすぐそこで辿り着くと、波打ち際に立ったまま、空を見上げる雫の姿が見えた。
その数歩後ろまで近づくと、まるで背中に眼があるかのようなタイミングで振り向いた。
「どうしたの、悠希」
「いや…姿が見えなかったから」
「そう………」
笑顔で対応した雫は、一瞬顔を湿っぽく崩し、
「ちょっと余韻に浸りたくてね」
そう云って、雫はまた海の方を振り向き、空を見上げた。
空には綺麗な三日月が映えており、ただこうして見ているだけならなんと美しいことか。
だがあの月の上には、人類の仇敵、BETAが犇いているのは周知の事実であることは語るまでも無い。
それでも雫は、そんな月であっても太古の昔より変わらぬ輝きを魅せるあの星を愛でていたかった。
「斯衛になる最初の一歩…家を再興する大事な一歩が、ようやく踏めた………」
波の音にかき消されそうな小さな声だが、雫はそう呟く。
静かに雫の隣に立ち、共に空を、月を眺める。
「大事な一歩………か」
悠希にとっては空に対しても、月に対してもこれと云った感慨があるわけではない。
敵は殺すべきだが、空は決して人を裏切っているわけではなく、月もまた、異なる星から来た異物を抱えてもまだ、人の夜に柔らかな光を与えてくれている。
だからこそ、空に対してはあまり深い感情を抱いているわけではなかった。
それでも悠希は、共に同じものを見ていたかった。彼女に仕える剣としてではなく、”森上 悠希”という個人として。幼馴染として。男として。
思うことは色々ある。それでも、それらをひっくるめて、抱えて。その上で、それらをまとめて無視して。
ただ、素直に、個を持って雫共に、見ていたかった。
「期待してるからね、悠希。これからも引っ張ってくれるって」
それは、彼女個人の願いだった。
源としてではなく、雫としての願い。二人だけの時は素でいてくれる悠希だからこそ云える、ほんの僅かな本音を語れる時間。
雫からしてみれば、皆を引っ張ってるのは自分ではなく悠希だと思っている。どれだけ権力を与えられても、持っていても、実力を持って他者に道を示す者相手では敵わない。
今のA分隊を引っ張っているのは実質悠希だ。その悠希が雫に対して絶対服従しているのだから、他の者はそれに習って従う。実力者たる悠希が、実力を持って道を指し示す者が、その者に従っているのだから、それは有無を言わさぬ圧力となる。
それが嫉ましいと、思わないわけではないが………
―――少なくとも、彼女はそう考えていた。
頭が良い程度なら、分隊長など任されない。体力だけでも無理。志だけでは夢想家と同じ。見かけだけの威厳では、すぐに剥がれ落ちる。
悠希のような、無言実行をする者ならばこそ、それだけに無言の牽引力が生まれる。その力は、名前ばかりの役職に付いてる者以上に、強い力となる。
普段からあれこれと叫ぶ程度では、それは発言力の無駄使いとしか云わざる得ない。
雫は、自身と悠希の分隊内の関係を、こう評し、考えてきた。
「………雫が、そう望むのなら」
互いの意識の違いはあれども、悠希は自身の考えを押し付けようとしない。
それは剣と成り得ないから。牙となれないから。守れなく、なるから。
それでも望まれれば、意見は出す。同意が欲しければ、する。
数の力は偉大だし、軍隊だけでなくあらゆる事柄に『組織』を形成し、集団で生きる人間にとっては、数を握ることは主導権を握る事と等しくなる。
それを、ある程度制御できる立場に立つには、普段から制御する側、している側に立たねば早々なれはしない。
雫を守るためにも、源家の”悲願”を達成するためにも、雫が集団を制御する立場になりたいと願うなら、悠希はそれを叶えるために努力することを、惜しまない。
故に、いかなる無理難題であっても、悠希は雫の願いには可能な限り、叶える努力をする。例えそれが、間違っていようとも…
そこが歪みに繋がることを、気付かないまま………
「ん~………っ、今日は数年分先まで遊んだ気がするわ」
背伸びしながら、数歩前に進む。夜の海水に足首まで浸かり、最後の水遊びを名残惜しむかのように、脚の指先で砂をえぐる。
「日本にいてもこうは遊べないからな。その分が来たんだろ」
「悠希は楽しんだ?」
振り返り、そういう雫は、笑顔だった。
月明かりに照らされながらでも、その笑みは悠希であっても高鳴りが抑え切れず、頬が一寸赤く染まる。
一呼吸置き、笑顔を―――試験中に見せた、凄惨な笑みとは違う、穏やかな笑みを―――向け、
「勿論」
と、短く答えた。
「―――全員、忘れ物はないな?」
『ありませんっ』
A分隊の面々を整列させ、最後に荷物のチェックをさせる氷室。
総戦技評価演習はこれにて全工程を終了。後はこの島を立ち去るのみである。
持ってきた僅かな装備や、バカンス用に持ち込んだ機材を各々脇に抱え、氷室の号令を待つ。
「これをもって総戦技評価演習を終了とする―――全員、乗船!」
『了解!』
その号令と同時に、全員沖まで来ていた小型ボートに乗り込む。
全員乗り込んだのを確認した氷室は、最後にボートに乗る。
と、横に眼を向けると、A分隊の面々は荷物を床に置き、横1列になって島を見ていた。
その横顔はやけに真剣で、しかし何をしたいか一目瞭然の、納得の顔をしていた。
「この7日間を過ごし、生命を分け与えてくれた島に対し―――敬礼っ!」
雫の号令と共に、全員が敬礼。
この7日………たかが7日間といえど、色々なものを経験し、与えてくれた。島の命を、多くの生命を分け与えてくれた。
目的はそこではないにしろ、自分達を生かしてくれたのは、間違いなくこの島なのだ。
その偉大なる島に対し、もはや脚を踏み入れることはないかも知れないが故に、皆はそれをきちんと感謝し、言葉を伝えた。
それが人間のエゴイズムだとしても、島にとってはどうでもいいことでも。
それをやることに、行うことは、間違いではないと。雫は、雫達は思うのだ。
長い敬礼の後、ボートはゆっくりと動き出す。
月明かりに照らされ、闇の中にその巨大な影だけを見せ付ける島は、雫達には「いってらっしゃい」と云ってるように見えた。
だが、誰一人としてその事は口に出さず、遠退いていく島をじっと、ただ見つめるだけだった。
基地に帰れば、本格的な、自分達の本領を求められる訓練が始まる。
それを強く意識しながら、雫達は波に揺らされ続ける。
(いってきます)
雫は、厳しかったその島に対し、敬意を払うかのように、しかし心の中で、そう呟くのだった。
最終更新:2010年11月06日 21:56