関係あるとみられるもの
住所
旧八坂村庁舎 長野県大町市八坂1108−1 JR大糸線「信濃大町」駅下車 徒歩1時間半
大姥神社前宮 長野県大町市八坂赤土 JR大糸線「信濃大町」駅下車 徒歩4時間半。一日数便運航の大町市民バス八坂コース「赤土」下車すぐ正面
大姥神社本宮 長野県大町市八坂上籠沢 JR大糸線「信濃大町」駅下車 徒歩4時間半。一日数便運航の大町市民バス八坂コース「赤土」下車徒歩1時間半
八坂村(やさかむら)
※旧八坂村庁舎
長野県の北西部、北安曇郡の一画にかつて存在していた村。松本市と
白馬村のちょうど中間地点くらいにあたる。
明治8年に近在の8村1支郷が合体して産声を上げ、煙草の産地や山村留学の発祥地として有名になったこともあったが、
平成18年元旦に大町市および美麻村(
"みまむら"じゃないよ"みあさむら"だよ。)と合併し幕を閉じた。
※八坂村の記憶
地理的もしくは経済的な観点から見た八坂村は、グーグルマップをご覧いただければ大体お察しの通りの秘境である。
東は犀川の流れに沿い、西は1,000m級の山々の裾野に沿って端をなすもみじ葉のような境界線が美しいが、
村のほぼ全域が山と谷の織りなす厳しい起伏に包まれ、大規模な集落を形成するにはまったく適さぬ土地柄である。
わずかな平地を見つけては、せいぜい数十件の民家がより集まった程度の小規模な集落が各地に点在しており、
その一つ一つは儚(はかな)げに見える。現代までに力尽き、廃村となってしまったものも少なくない(残念)。
※八坂村は長野県下屈指の廃村銀座だとも言える。まかり間違っても夜一人で訪れたいとは思わない。
こうして時代に取り残され、過ぎ去った時の面影を残しつつ静かに山林に溶けてゆく八坂村の人工物たちには
言い知れぬ寂しさと不気味さとが混在し、「忘れ去られたものが集う場所」という、幻想郷の横顔を想起せしめられる。
すなわち八坂村は、ある種の幻想を湛(たた)えた場所のように思えるのである。
まあ一口に幻想郷と言えども妖怪の山や魔法の森、人里などには非常に賑やかしげなイメージがあるので、
幻想郷の中でも殊更人が寄りつかず寂れてしまった地…例えば無縁塚や無名の丘(そして博麗神社ボソッ)などの雰囲気に近いだろう。
原作者ZUN氏と八坂村のつながり
東方projectの世界観と八坂村には、相当に深い縁があると言える。
多くの推論を述べるよりも現に言葉を引用させていただいた方がずっと重みがあるので、
以下、西暦2006年1月4日付で博麗幻想書譜(ZUN氏の公式ブログ)に投稿された記事
「そして地図から消えた村へ」の一部をここに転載させていただく
(前略)
ただ、ちょっと衝撃的なニュースが。
なんと母方の実家の村が地図から消えていました。
信州でも有数の秘境中の秘境(当然観光的価値ゼロ)だったので当然かも知れませんが……。
人口は数百人程度で、テレビはアンテナ立てても映らない(共同アンテナって知ってる?)。
新聞は昼間自分で取りに行く。郵便局はない。食料も隣の村から運ばれてくる。人の声が一切しない。
なんにも名産はない。都会どころか田舎の匂いすらしない。
街灯もない道は常に車1台分の幅で、ガードレールもなく路肩は即崖。
どこかの通り道という訳でもなく、数十分の道のりも車がすれ違う事なんてレアイベント。
エンカウントするとどちらかが引かないとすれ違えない恐怖のかすりロード。
道のそこら中に獣道の様な道があって歩いていくと得体の知れない祠がある。
人柱のトンネル(当然車1台分で街灯なし、高さも低い)が村の唯一の入り口。
360度以上のカーブが七つ連続する七曲(地名)。
基本的に昼間でも人や車に出会うことが難しく、人が住んでいる感じがしない。
家がないし、有っても無人。何せあの喜多郎が好んで住んでいた位だし:-)
親の話だと人魂や怪火はデフォルトだったらしいけど、今そこに行ってもデフォルトな感じ。
どんなホラースポットも顔負けのナチュラル妖怪ヴィレッジ。
まぁ、あの山奥での生活が私に与えたインスピレーションは多大な物だったため、少し寂しく思います。
今度遊びに行ってみようかな、雪のない季節に。
(後略)
以上、ZUN氏が「母方の実家」に関する記憶を語っている非常にレアで興味深い記事である。
当該記事内で「母方の実家」イコール八坂村だとはどこにも明言されていないため、あくまでも断定はできないが、
文中から読み取れる「2006年1月ごろに村が消滅した」というヒント(八坂村の閉村したのが2006年元旦)
そして何より喜多郎が好んで住んでいたというヒントが、なんかもう決定的に決定的過ぎて、
「これ絶対八坂村のことですよね?」と思わざるをえない気持ちをお察しいただきたい。
果たして、東方projectという一個の幻想譚を創造した原作者をして、その追憶の中で
「ナチュラル妖怪ヴィレッジ」「多大なインスピレーションを受けた」とまで言わしめた(と思われる)八坂村は
"幻想郷の原風景"とも呼ぶべき、特別な場所と言えよう(巡礼を奨励しているわけじゃないよ本当に)。
※写真のようなごく小規模な集落がいくつも点在する。ZUN氏の言う通り、本当に街灯がない。
大姥神社
※前宮
※本宮
旧八坂村の名峰、大姥山の山中にある神社。大姥山の山頂に奥宮が、中腹に本宮が、ふもとに前宮がある。
こと本宮については、①険しい山道の先にある、②ほぼ真東を向いて立つ、③紅い屋根の神社ということで、
博麗神社そのものにすら感じられる。ただし賽銭箱の前には鈴ではなく鰐口があり、やや仏教めいてもいる。
先述したとおり、幻想郷的な雰囲気の色濃い八坂村の中でも特に神秘的で聖域感あふれる場所であるが、
公共交通機関を利用して来訪するのはかなり困難である。それ以上に自家用車での来訪もお薦めしない。
というのも、この大姥神社本宮にたどり着くまでの参道(山道)が、とんでもない悪路だからである。
距離こそ1キロ強程度だが、車同士のすれ違いなど絶対不可能な狭さの道が延々と曲がりくねっている。
さらにこの間、脱輪したら確実に天に召されるであろう断崖絶壁、ハマったらスタック不可避のドロ沼、
タイヤバースト狙いの陥没、車体側面をガリガリグレイズしてくる落石や倒木、スズメバチの大群など
東方紺珠伝5面道中なみの無理ゲーが容赦なく行く手を阻んでくる。
ほならどうすればいいんだと言えば、県道469号上に車を止めて約2㌔の山道を歩くのが正解だろう。
スズメバチには気をつけてね。
なお霊感とか無いし幽霊も妖怪も実はさほど信じていない編集者が山道を歩いて登ろうとしたところ、
突然狐の嫁入りが振り出し、竹が倒れかかって来て、さらに木々の間から子どもの笑い声が聞こえてきた。
…が、まあ気のせいとかだと思うことにしている。霊感とか無いし。おばけとか信じてないし。
話を戻すと、この大姥神社の祭神は山姥(やまうば)である。記紀神話に登場するスマートな神々を祀るものではなく、
神でも妖怪でもある大いなる存在を敬い恐れる、非常にクラシカルな「妖怪神社」の生き残りと言えるだろう。
そして大姥神社に祀られる山姥は名を「紅葉鬼人(もみじきじん)」と言い、次のような伝承を持つ。
今は昔、紅葉鬼人という名の大姥(山姥)が、信州八坂の一角の一番高い山に棲んでいた。
紅葉は魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう。坂上田村麻呂と争った安曇野の伝説的豪族、あるいは鬼)と恋仲に落ち、やがて子を産んだ。
その子は金太郎と名付けられた。大姥山の池で産湯につかり、岩山で熊と相撲をとって修行した。そしてその身に大きな力を宿すようになった。
金太郎6歳の時、源頼光が紅葉の元を訪れた。諸国を巡り鬼退治をしていた頼光は、とある強力な鬼を退治するため助勢してほしいと願い出た。
「それならば」と紅葉は愛息の金太郎を推挙し、頼光に出仕させた。金太郎の神力を得た頼光は、見事に鬼退治することができ、大変感謝した。
そこで頼光は金太郎を正式に家来とし、名も坂田金時に改めさせた。その後も武功を立て続けた金時は、やがて頼光四天王の一人にまで昇った。
金時の名が天下に響いたことで、大姥山は金時山とも呼ばれるようになり、山中を流れる川は、金熊(かなくま)川と呼ばれるようになった。
山は神聖なものとして祀られ、大姥神社が建てられた。しかし一方で、大姥神社奥社へ女人が足を入れようものなら、空が荒れると恐れられた。
以上の話は、全国各地に頒布する「金太郎出生地伝説」として、大姥山もまた名乗りを挙げるものと見ることができる。
現代の知名度で言えば足柄山(
神奈川県)の金太郎伝説の足元にも及ばず、土着的なマイナー伝承の一つと言わざるを得ないが、
古くより信州に伝わる鬼無里村(現長野市)の「鬼女紅葉伝説」と安曇野市の「八面大王伝説」がミックスされている点が面白い。
ストーリー構成から察するに、「鬼女紅葉と八面大王の子」にまつわる伝承が元々この地にあり、それが後に金太郎と結びついたのだろう。
源頼光と頼光四天王の活躍と言えば、
大江山の酒呑童子退治で広く知られているが、この物語に悪役として登場する大江山の酒呑童子も
配下に四天王を抱えており、奇しくもその中の一匹に
「金熊童子(かねくまどうじ)」なる名の鬼がいる。大姥山に流れる川と同じ名の鬼である。
さらに言うと、大江山に立てこもる前の酒吞童子については
戸隠村を出生地あるいは修行地とする説があり、八坂村と戸隠村は距離的にけっこう近い。
以上から一つの憶測(妄想)を組み立てると、ひょっとして本来の伝承では
紅葉と八面大王の子は金太郎ではなく、本当は金熊童子で、子を家来にしたというのも頼光ではなく酒呑童子だったのではないのか?という仮説が浮かぶ。
それがいつかの段階で「我らが村に伝わる神さまの伝説が、悪名高い酒呑童子や金熊童子にまつわるものでは、すわりが悪い」ということで、
金熊童子が金太郎、酒呑童子が頼光という"勝ち馬"にしれっとすげ変えられたのかも。根拠?ないよ?むしろ、あるわけがないよ?
※参考までに近隣のマップ。現状、旅初心者には絶対おススメできない。自己責任でどうぞ。
山姥(やまんば)
※鳥山石燕著『画図百鬼夜行』に描かれた山姥。手にした枝に飾られた花が、合歓(ネム)の花のように見えなくもない。
以上が大姥山に伝わる山姥(とその子)にまつわる伝説であるが、ではそもそも山姥とは一体何なのだろうか。
ごく一般的な定義に従って言えば、山姥とは人里離れた山奥に棲む女性の姿をした怪異である。
関東から奥羽にかけては山母(やまはは)とも呼ばれ、アマノジャクに近い存在だと考えられているともいう(柳田邦男『妖怪談義』より)。
山母のほかには鬼婆(おにばば)、鬼女(きじょ)、山女(やまおんな)、山姫(やまひめ)、山女郎(やまじょろう)等の異名も存在する。
山姥の「姥」は、歳をとった女性を意味するため、一般的に老婆の姿で想像されることが多い。ただし「山女」は色白美女だという説も多い。
同じく「山姫」の異名も基本的には若い女性を想起させられるもので、必ずしも山姥=しわくちゃのおばあちゃんとは限らないと考えられる。
また『妖怪談義』の中には「山姥がいるという地方には必ず山爺がいる。(中略)山姥に向かってはまた山童(やまわろ)がある。」とあり、
この記述から察するにも、山姥は山爺とは性別で対になり、山童とは年齢で対になる概念と思われる。これらは総じて山人と呼ばれる。
ゆえに山人の中で童女ではなく、かつ男性でもないものは全て山姥だとも言える。お赤飯を焚く年齢(暗喩)になればもう山姥かもしれない。
多くの伝承において山姥は、山中に迷い込んだ者を家に招いてもてなし、寝静まった頃においしくいただいてしまう恐ろしい妖怪とされる。
しかし一方で、怪我で動けなくなった木こりを介抱して人里まで送り返した、時々人里に下りて来ては紡績のお手伝いをして帰って行った、
少し魯鈍(アホ)な山姥が里に酒を買いに来たので、目方をごまかしてズル儲けしてやった(あるいはズルが見抜かれて逆に騙された)、
産気づいて苦しんでいる山姥を助けたら運勢がアップしたなど、時には里の人間たちと相互利益的な交流を行う話も多く残されている。
また、これらの伝承を残す山姥の出現スポットは本州全土はもちろん四国や九州等全国に広がって、わりと海の近くにまでも存在している。
すなわち種族「河童」や「天狗」とほぼ同様に、わが国においては古来全国に受け継がれてきた、極めてポピュラーなオカルトだと言える。
そんな中でも長野県北部から日本海に至るまでの標高1000前後の山岳地帯は、本項で説明した「大姥山の山姥伝説」のほかにも
虫倉山(現長野市)のお酒大好き山姥伝説、上路(糸魚川市)に出現し世阿弥作の謡曲『山姥』の題材となった憂鬱な山姥の幽霊伝説、
さらには大姥山伝説の親カテゴリとも言うべき鬼無里村(現長野市)の鬼女紅葉伝説等が存在し、全国でも屈指の山姥天国だと言える。
これについては柳田国男も『妖怪談義』において「山姥山姫の話は信越の境の山々を始めとして、山国の里に多い。」と言及している。
また民俗学的観点から、「山姥の正体は何なのか」という命題を投げかけた場合、主に次のような仮説が挙げられている
① 山に住んでいた普通の人々説
山姥たちの正体は、普通の人間が山で生活している様子が里人の目に留まり、妖怪視されるようになったという説。
なぜ普通の人間が人里離れた山中で暮らしていたのかについては、
老衰期に達した村人が山中に捨てられた、林業従事者だった、猟師だった
大和民族が渡来する以前から日本に住んでいた原住民ないし被差別階級民たちが近年まで山間部に漂泊していた、
平家の落人が住み着いた、
南朝の落人が住み着いた、など様々な推論が提唱されうるだろう。
② 零落した神さま説
かつて恵みと災いをもたらす存在として崇敬され、神話化されていた山の神が、「人を食う」という恐ろしげな点だけを残して次第に妖怪視されるようになった説
河伯が大河の流れを司る偉大な神から、水辺のゆかいな妖怪になったように、時の流れとともに神話の本質が変遷し、神から妖怪になったとも言い変えられる。
この説の強力な根拠は、各地に多数残る「山姥は子だくさん」という伝承である。「子だくさん」は山の神のご利益ないし特徴として全国的によく見られるもので、
ゆえに山姥がかつて山の神として崇められていたことの名残だと考えられるのである。
また、一般的に山の女神は容姿が醜く、男好きだとも言われる。この設定が継承された結果、(失礼ながら)山姥が老女の姿で描かれるようになったと考えられるし、
大姥山の山姥伝説に残される「女人が入山すると天候が崩れた」という伝承も、若い女性の美貌に嫉妬する山の神の性質が形を変えて残されたものだと考えられる。
③ 山の巫女さん説
修験者が天狗に置き換えらえたように、人里離れた山中で山の神に奉仕していた巫女さんが、次第に妖怪視されるようになったとする説。霊夢さんみたいやねニッコリ。
山姥には山の神の子を身籠る話も非常に多く、これらは神と交わる巫女の性質と考えられる。山の神と巫女とが同一視された結果、山姥の伝説が生まれたのかもしれない。
東方projectと山姥
平成29年8月にリリースされた東方project第16弾「東方天空璋」に、山姥の一種である坂田ネムノさんが満を持して登場する。
○2面ボス 浮世の関を超える山姥
坂田 ネムノ
Sakata Nemuno
種族:山姥
能力:聖域を作る程度の能力
妖怪の山の中に住む妖怪。
山姥は集団、組織を持たず、単独行動を好む種族である。
同種族同士でも交流を持つことは殆ど無い一方で、他種族とは交流することもある。
だが、あくまでもビジネスライクな交流である。
組織を好む天狗とは相容れず、種族間で不可侵条約を結んで、それぞれ独自に生活しているようだ。
里では一般的に山に入って行方不明になった場合、山姥に何らかの形で処理されたと思われているが、
実際には大人の場合は脅して送り返し、子供の場合は保護して立派な人間へと育て上げることが多いようだ。
その理由は判らない。
彼女自身も世間に興味が無く、幻想郷の中では未開で情報も殆ど無い。
「東方天空璋」キャラ設定.txtより
同一種族内で殆どコミュニケーションをとらず、むしろ他種族に対して開けた交流を持つとされる点で、
ネムノさんら山姥は、仲間内で固まりがちな天狗やかっぱ達とは一味違ったタイプの山の勢力だと考えられる。
よほどの個人主義者なのか、あるいは「人食い派」から「子育て派」まで同一種族内でも性質が大きく割れるのか
どういった理由で単独行動を好むのかは定かではないが、少なくともネムノさん個人の性格は非常に理知的で
東方輝針城の今はもう大人しい妖怪さん達なみには平和的であることもうかがい知れる。
なお坂田という姓から推察し、「ネムノさんは坂田金時(金太郎)の実母、あるいは育ての親その人である」という推論することが可能であるが、
一方ネムノさんは魔理沙に対し「ほう、人間、ねぇ。まるで伝説の金時みたいな人間じゃな。」と伝説上の人物の体で金時を語っていることから、
別に深い面識は無いとも推理できる。もっとも、自らが育てた息子を讃えて「伝説の金時」と呼んでいる可能性もあり、いずれも断定はできない。
なお坂田の姓は金太郎が源頼光から賜ったものであるため、少なくとも、金太郎の親にあたる山姥の姓が元来「坂田」であったというわけではない。
ネムノさんの行動の中で最もミステリアスなのは、「山に迷い込んだ者を屋敷に招き、寝入ったところを食べる」という一般的な伝承と明確に異なり、
大人の遭難者は「越冬用の保存食にしてやる」などと脅して人里へお帰りいただき、子どもの遭難者は保護して立派に育てあげているという点である。
邪推すれば、大人を追い返すのも子供を保護するのも何か妖怪的なメリットがあってやっていることなのかもしれないが(大のショタ好きとか)、
少なくとも山姥という妖怪が「人間を襲う」一択の存在ではなく、多層的な接点を持つことが暗喩されていると言えるだろう。
東方天空璋2面ボス曲「山奥のエンカウンター」の曲説明においても
坂田 ネムノのテーマです。
(中略)
いやー、山姥ですよ。昔話に頻繁に出てくる割には正体不明な存在ですよねぇ。
不気味さ、血気盛んな様子、そんな感じを東方風に仕上げました。
とされているように、未だ多くは明かされず、謎を秘めたキャラクターであることは疑いない。
最終更新:2025年02月15日 21:07