外はクリスマスムードでにわかに色めき立っている。
 相変わらずカーテンを閉じたままの部屋の中から路傍の盛況具合は窺い知れないが、街路樹はクリスマス仕様の飾り付けを施され、夜になれば色とりどりのイルミネーションが町並みを美しく照らし出すのだろう。

 恋人がいなくたってクリスマスの楽しみ方はいろいろある。
 友達を誘ってカラオケなりに出かけて、いつもより少しカロリーに無頓着な食事をしながら馬鹿騒ぎするのだってとっても楽しい。
 馴染みの仲間を家に招いて、夜通し騒ぎづくめで母親にやんわり苦言を呈された事もあったっけ、と画面の中で躍動する変身ヒロインの姿を見ながら少女は述懐していた。

 けれど、それも全ては終わったことだ。
 家に呼ぶ相手はおろか、メリークリスマスを言い合う相手すらいない。そもそも部屋から出る事自体がめったにない。
 最後に家を出たのはよく頭を捻らないと思い出せない。そんな体たらくの瀬崎愛吏にとって、外の喧騒は嫌味以外の何物でもなかった。

(――本当に始まったのかな、聖杯大戦)

 星界円卓での会合、という名の顔合わせが行われたのが今からちょうど十二時間前だ。
 あれから半日ほどが経過した訳だが、今の所愛吏の日常には何一つ変化らしい物は起きていなかった。

 会合が終わるなり不安を抱えて眠りに落ち、起きたら最低限人間の尊厳として顔を洗って歯を磨いて、それから自室でアニメ鑑賞。
 呆れるほどにいつも通りだ。昨日と違う事と言ったら、視聴しているコンテンツが男児向けの特撮ものから変身ヒロインものに変わっただけだ。
 終焉の脚本家・幡随院弧屠が描きあげた2クールのその終盤を、ホットミルク片手にぼんやり眺めている。

 『フラッシュ☆プリンセス!』。生きる事と死ぬ事、そして生き様を繋ぐ事。
 対立する二つの正義、出会いと別れ、喜劇と悲劇、ヒロイズムとその影に常に付き纏う“痛み”。本来であれば子供向けコンテンツでは忌避されるような物語の陰の部分までもを克明に描きあげたこの作品が、愛吏はそれほど好きではなかった。
 どちらかと言えば『ハートブレイク』『フィーリングっど』の方が好みには合う。なのに今わざわざこの“合わない”シリーズを見返しているのはつまり、そういう事なのだろうと自己分析した。

 どんなにすっとぼけてみたって無駄だ。
 本当はもう分かってる、聖杯大戦は始まっているのだと。

 此処までは何もしないままでもどうにか勝ち上がってこれた。
 セイバーは性格も根性もねじ曲がり腐り切った最低な男だが、それでも強い。予選で彼が傷を負って帰ってきた所は見た事がなかった。
 しかし此処から先の戦いも同じようにどうにか出来るのかと言われたら、愛吏は答えに窮してしまう。そこですぐさま首を縦に振れるほど、愛吏は愚かではなかったのだ。そのくらい莫迦であれたなら、彼女の人生はきっともっと楽だったろう。

 死が迫ってきているのを感じた。だから、シリーズの中でも一番死の匂いが色濃い『フラッシュ』をチョイスしたのだ。それで何になる訳でもないと分かっていたが、自分なりに精一杯この冗談みたいな現実に向き合おうとした結果だったのかもしれない。

「……やっぱ合わないな、幡随院脚本」

 面白くない訳ではない。断じて、つまらない訳ではないのだ。
 むしろ面白い。何度見ても色褪せない衝撃と緊迫感は、シリーズの愛好者であるなら誰もが認める所だと愛吏もそう思う。
 だからこれは只純粋に“合わない”だけ。どんなに上等な雲丹や鮪を出されたって嫌いな人は必ずいる、それと同じだ。

 気分転換のつもりが却って気が滅入ってしまった。
 リモコンを手に取ってテレビを消し、のそりとベッドの上に身を横たえる。


 ……『フラッシュ☆プリンセス』のテーマの一つは、生命のバトンを繋ぐ事だ。

 死は誰にでも等しく訪れる。明日の平和と未来の希望を常に確約し続けられる存在は、この世のどこにも存在しない。
 されど死を前に絶望する必要はない。大事なのはその死を、これから消える命をどうやって明日に繋ぐのか。大切な誰かに、預けるのか。
 だとすれば、やっぱり作品のチョイスを間違えたのかもしれない。聖杯大戦に於ける陣営分けはあくまで便宜上、形だけのものだ。結局の所最後の最後に大事なのは自分がどうなりたいかという一点であって、バトンを託した所でどうにもならないのだから。

(そう考えると、あっちの方がよかったかな。なんでもできる、なんでもなれる……)

 ――瀬崎愛吏にとって一番の問題は、マスターとしての能力の有無ではなかった。
 彼女は此処まで生き延びていながら、自分がこれからどうなりたいのかを未だに決めあぐねている。
 いや、考える事を半ば放棄して此処まで来てしまったというべきだろうか。言うなれば心に柱が通っていない。柱のない人間では、命をかけた戦いになんて当然臨める道理はないのだ。

(わたしは……どうなりたいの?)

 聖杯の力があれば、全てを思うように出来るのだ。
 であれば迷う事なんて何もないように思える。

 愛吏が失墜する原因になったあの“告発”が起きなかったように過去を変えて、強引に過去と理想の未来を地続きにしてしまえばいい。
 そうすればこれまで通りの理想の自分を維持しながら、“彼女”との関係を続ける事だって容易だろう。
 そこまで分かっているなら何を迷う余地があるのか。その答えは、単純。生きる事にかけてのモチベーションが致命的に途切れているからだった。

 生きる事は、怖い。愛吏はそれを嫌というほど思い知った。
 人間は簡単に自分を裏切るし、親しげな笑顔と優しい言葉のまま陥れようとしてくる。
 法と警察は二人で消える事すら許してくれない。お金がなければ人生は緩やかに先細りしていく。未来が、生殺しのように削ぎ落とされていく。
 そんな世界に、今更戻ってどうなるのだろう。そんな事ならいっそもう一度、全部投げ捨てて身を委ねてしまえばいいのではないか。

 あの“死”に。美しい、冬の夜空にさんざめく星々のような“永遠”に。


 だが此処でも問題が一つあった。
 瀬崎愛吏はどこまでも弱いから、自分で死を選べない。

 そしてかつて愛吏にそれをくれた彼女は、この世界にはいない。

 愛吏は今、自分の手で答えを選び取らなければならないのだ。
 生きるにせよ、死ぬにせよ。彼女の手を引いてくれる少女の言葉も温もりも、涙さえも此処にはない。
 けれど刻限は今も刻一刻と迫っている。いつまでもは待ってくれない。選ばなければ、強制的に未来を決められる時が遠からず訪れるだろう。

「はあ…………」

 いっそもう少しまともなサーヴァントを引けていたら、相談の一つも出来たのだろうか。
 そう思いながら吐いた深い溜息が部屋の中に消えていく中で、孤独な部屋にまたしても突如響き渡る声があった。


『――眞鍋瑚太郎から星界円卓への招待が届いています』
「ひっ!」


 およそ半日ぶりに心臓が口から飛び出そうになり、愛吏は比喩でなくその場で飛び上がった。
 見れば聖杯大戦移行の時にも現れた、コガネとかいう運営側のNPCがふよふよと見慣れた部屋の中に浮遊している。
 またこいつか……と恨みがましい視線を向ける愛吏だったが、それよりも重要なのはコガネが伝えてきた通知の内容だ。

『眞鍋瑚太郎様から星界円卓への招待が届いています。招待を受けますか?』
「眞鍋、瑚太郎……」

 それが誰であるかは、愛吏もよく覚えていた。
 星界円卓での会合の時にいた、双葉頭のマスターだ。確か教師だとか言っていた記憶がある。

「……招待、って――オルガマリーからじゃなくて?」
『はい。眞鍋瑚太郎様から、愛吏様個人宛の招待が届いています。招待を受けますか?』

 なんで……?
 それが愛吏の正直な感想だった。

 誇って言う事ではないが、あの場で自分は最も価値の低い存在だった自信がある。
 いやそれどころか、セイバーがオルガマリーを相手に悪目立ちした事で周りから最も印象の悪いマスターになってしまった感さえあった。
 そんな自分を呼び出して、わざわざ一対一で会談を持ち掛けてくるまともな理由がさっぱり思い付かない。
 逆に言えば、まともでない理由ならば幾つも思い付くのが最悪であった。

「これ、断ってもいいの」
『ああ! 受けるも蹴るもオマエの自由だぜ! 特にペナルティとかもないからな!』
「事務的なのか馴れ馴れしいのかどっちなのよ、あんたは」

 心情的に言うなら、会いたくはない。だがいつまでもそんな甘えた事を言っていてはそのうち二進も三進も行かなくなってしまう、そんな危機感は愛吏にもあるのだ。
 それに、悪目立ちしたのなら少しでも印象を取り返しておかないと本当に切り捨て候補にされる可能性もあるのではないか。
 そう考えると背筋に冷たい物が走った。自分が眞鍋瑚太郎や繰田孔富のような際物に本気で目を付けられて生き残れる気は微塵もしない。

(セイバー。いるんでしょ)
(なんだ。これしきの事で助言を求めてくるのか? 私はいつから君の保護者になったのやらな)

 服を着替える必要はないのだろうが、流石に寝間着のまま円卓に飛ばされる事を嫌がるだけの羞恥心はある。
 手早く着替えを始めながら、愛吏は念話で話したくもない相棒に自分の意思決定を伝えた。

(眞鍋の招待を受ける。あんたは円卓でわたしの護衛をして)
(旨くない仕事だな。幼子をあやすだけならいざ知らず、神であるなら厄介だ。罷り間違って小火(ボヤ)が起きても知らぬぞ?)
(あんたの魂胆は知ってる。あの場では只、相談もなしにやられたから面食らっただけ。……別に“それ”だけなら止めないけど、わたしに火の粉が飛んでこないようにやりなさい)

 意図が何であるにせよ、こちらもサーヴァント連れなら滅多な事にはならないだろうと自分に言い聞かせる。
 心臓は痛いほど高鳴っていたが、それはもうこの際無視する事に決めた。

「……コガネ。受けてあげるから、わたしとセイバーを星界円卓に飛ばして」
『了解だ! おっと、円卓に飛んでる最中は現実(こっち)の身体が無防備になるから気を付けろよ!』
「わかってるから早くして」

 向かうは十二時間ぶりの星界円卓。臨むは、一対一での会談。
 少女の向かう先で、瞼のない怪物が待っている。






「こんにちは。昨夜はよく眠れたか?」
「……こんにちは。まあまあ、です」
「そうか、なら何よりだ。睡眠は大事だからな。何をするにも先立つ物がないとどうにもならない。人間にとってはそれが睡眠時間だ」

 意を決して臨んだ星界円卓に、既にその男は座っていた。
 双葉頭の教師――眞鍋瑚太郎。屈託のない笑顔で当たり障りのない会話を投げ掛けてくる姿は、確かに教師のそれを彷彿とさせる。
 ぼんやりした返事を返しながら、愛吏は彼の対面の席に座る。それから、眞鍋の後ろにちょこんと立っている少女に目を向けた。

 その視線に気付いたのだろう。眞鍋は彼女の紹介を始めた。

「この間は紹介しそびれたっけな。こいつはキャスターのサーヴァントだ。孔富の奴もキャスターを連れてるらしいから、ちょっとややこしいけどな」

 年頃で言えば『白の陣営』はおろか、聖杯大戦全体で見ても最年少だろうありすとそう変わらないように見える。
 ライトグレーの頭髪は上品さを感じさせ、長耳……創作物御用達の長命手(エルフ)を連想させる耳は非現実感を掻き立てていた。

「はじめまして。訳あって名前を名乗れないのが残念だけれど、どうか好きに呼んでちょうだいね」
「あ……うん。よろしくお願いします……?」

 そして人懐っこい笑顔と言動は小動物を思わす。
 にも関わらず、あの時――愛吏のセイバーを止めた時には誰もが同時に彼女に神性を見出したのだ。
 油断は出来ない。そう思っている愛吏の傍ら、そのセイバー当人の声が響く。

「聖杯が運ぶ巡り合わせとやらも知れているな。いたいけな神を従えるには、そこの男は随分と汚れているように見えるが?」
「失礼ね。初対面の相手に喧嘩腰で仕掛けてはいけないのよ?」
「そう聞こえたなら謝ろう。世の中、正論ほど人の心を抉る物もないからな」

 愛吏はセイバーを睨み付けようとしたが、振り返るのを待たずして彼が念話で語り掛けてきた。

(怯えるな。ああは言ったがな、此処ですぐさま始めるつもりはない。全員に見せられると言うならいざ知らず、欠員のある円卓で虎の子をひけらかすほど阿呆ではないさ)
(……分かった。でもいざという時は任せたから)
(心得ている。奸計の気配があればすぐにでも、だな。くく、相変わらずの小心だが少しはまともな判断じゃないか)
(うるさい)

 愛吏の背には、セイバー……綱彌代時灘が。
 眞鍋の背には、幼神のキャスターが立って向かい合う格好だった。

 後者はやや異質だが、意味合いとしては任侠映画でよくある構図と同じだ。
 組のトップ同士が相対して掛け合いに臨み、その背を荒事に長けた部下が守る。
 ごく、と自分の唾が喉に落ちていく音を愛吏は聞いた。鬼が出るか、はたまた蛇が出るか。そんな彼女の緊張をよそに、開口一番眞鍋が言い放った台詞は全ての想定を裏切るものだった。

「愛吏は何が好きなんだ?」
「……はい?」
「何でもいいが、そうだな。例えば映画やアニメ……ゲームや本なんかでもいい。愛吏の好きな物を教えてくれよ」

 ……、聞かれているそれ自体はとても単純な事。だけどだからこそ、そんな世間話めいた――いや、本当に先生が生徒に持ち掛けてくる雑談のような事を聞かれる理由が分からない。
 警戒心を解く為の罠? それとも何かの例え話?
 答えが出ないまま、しかし袖にするのも憚られて愛吏はゆっくりと口を開いた。

「特撮……覆面ライダーとか、プリンセスシリーズとか、ああいうの……?」

 年頃の女子高生の趣味としては変わり者の部類に入るだろうが、一応嘘偽りのない答えだった。
 映画も幅広く見る方だが、中でも好きなのとなるとそういう方面になると自覚している。
 実際元の世界でもこの世界でも、引きこもっている間は大体サブスクなり手持ちのDVDなりで見返していた記憶ばかりだ。

 ……まさかこの円卓でそんな事を喋る時が来るとは思わなかったが。

「へえ。それなら僕も一通り分かるぞ! 最近のだと……そうだな、『オールスターズメモリーズ』は良かったな。あの手の集合物はおざなりな出来になる印象があるから期待してなかったが、シリーズのお約束を踏襲しながら要所要所で挑戦が見えた」
「……そうですね。伊達にシリーズの歴代興行収入更新してないなって感じでした」
「僕の持ってるクラスにもプリンセスシリーズの大ファンが何人かいてな。思わず教室で感想に花を咲かせてしまったよ。中でもそうだな、特に初代の二人が出てきた所はやっぱり分かってても手に汗握る物が――」

 立て続けにもう一つ予想外。この教師、意外に詳しい。少なくともにわか知識や子供向けジャンルと見下した視点から語っているわけではない事が、シリーズのファンである愛吏だからこそ伝わった。
 意外とオタクなのだろうか。人って見かけによらないな、わたしが言えたことじゃないけど。
 そんな事を思いながらやや気圧され気味に相槌を打っていると、眞鍋が少し気恥ずかしそうに苦笑する。

「ああ、驚かせてしまったか? 教師として、なるべく生徒達の話題には付いていけるように心がけてるんだよ。プリンセスシリーズもその一環で履修したんだ。そんじょそこらのプリオタには負けないトークが出来る自信があるぞ、勿論覆面ライダーもちゃんと観てる」
「真面目なんですか、眞鍋先生って。……普通の先生はそこまでしないと思います」
「人を教える側に立つなら、そのくらいの姿勢は最低限持つべきだろう? 身を屈めて対等の目線にならなきゃ見えない事もあるんだ」

 ――ざわり、と身体の中に奇妙な感覚が込み上げた事に気付いて、愛吏は少しだけ表情を歪めた。

 怖い、とは違う。気持ち悪い、とも多分違う。只、これが“嫌悪”に類する感情なのだろう事だけは分かった。
 では何が原因で、この嫌悪感は沸き出てきているのだろうかと考えて、すぐに愛吏は気が付いた。
 目だ。この男は、自分の事をちゃんと見て話している。だから気持ち悪いのだ。その理由は、考えられる限り一つしか思い付かない。

「話を戻そうか。僕はプリンセスシリーズでは、フラプリ……『フラッシュ☆プリンセス』が一番好きだ」
「……わたしは、あんまり。幡随院脚本は微妙に合わなくて」
「そうか、残念だな。でも愛吏ほどのファンなら、名作であるという事には疑いの余地はないんじゃないか」
「それは……まあ。実際、数字出てるし。リマスター版の円盤も初週の売り上げごぼう抜きにしてるくらいだし」

 瀬崎愛吏は、他人から見られる事を恐れている。
 かつて彼女は皆の憧れであり、何一つケチを付ける所のないクラスの花形だった。
 そう、既に過去形だ。そしてその失楽こそが彼女を死という名の永遠にまで至らしめた理由であり、黒い羽を掴んで遥々こんな真冬の箱庭にまで流れ着いてきた要因でもあった。

 楽園を追放されたあの日から、愛吏は一人を除いて誰にも見られていない。そのように生きてきた。
 痺れを切らして甘言を囁いてきた邪な女の視線とその意味を理解した事で、少女は完全に壊れて終わりに向かい転がり始めた。

 命を終え、有限と袂を分かち、そうして巡り巡った末に再び現れた自分を見ている“誰か”の存在。
 セイバーとの付き合いは絡み付くような悪意ばかりを感じる非常に不愉快な物だったが、しかしそういう意味では彼と関わるのは気楽だった。
 何故なら綱彌代時灘という男は、愛吏という個人の事など見ていない。所詮は罵倒と嘲笑の対象でしかなく、だからこそ時灘の言葉は心の深層にまでは刺さらない。

 しかし眞鍋瑚太郎はちゃんと『瀬崎愛吏』そのものを直視し、認識した上で語り掛けてきているのだ。
 それは愛吏が安息を捨ててまで逃避しようとした、恐ろしい“他者”の存在そのものだった。

「“主人公(アブちゃん)”と“敵(ヒース)”の対立。結束と孤独の激突、彼女達を中心に繋がれていく命のリレー……本筋の二人の宿命も見応えたっぷりだが、今の僕には最後のが最もよく沁みてな」

 この男は、自分を見ている。“フリ”じゃない。ちゃんと見ているのだ。その両目で、瞼を閉じる事なく。
 見て、理解しようとしている。もしくはもう理解されているのかもしれない。
 それは愛吏にとって、単純な暴力をひけらかされるよりもずっと怖い事だった。この感覚に比べれば時灘の嘲笑など馬耳東風で聞き流せると言ってもいいくらいだ。

「人の命は死で本当に終わるのか。人は、どういう目差しでそれと向き合うべきなのか。過去に一度それに失敗している身だから尚更、見返すたびに感慨深くなる。さあ、次はどうすればいいだろう……とな」
「……なんか、一回死んだ事があるみたいな言い方」
「察しがいいな。人の話を聞くのが上手な子は将来偉くなれるぞ」

 話が長い、妙に迂遠な語り口を好むのは人に教えを説く身分だからこその悪癖なのだろうか。
 嫌悪と恐怖を共に噛み殺しながら生返事を打っていた愛吏の心中を、この男は果たしてどこまで見透かしているのか。
 それを逆に見透かす事は稚い少女には到底不可能だったが、そんな彼女に教師は笑顔で爆弾を投げ付けた。

「その通りだ。僕はこの聖杯戦争に招かれる直前、一度死んでいる」
「……は?」
「別にそれ自体に後悔はなかった。互いに命を懸けて勝負した末の決着だし、何しろあの時の僕では絶対に勝てる筈のない相手だったからな。生きたまま骨の髄まで焼かれるのは多少辛かったが、それでも心は清々しい納得で満たされていたさ。だからそうだな、後悔があったとすれば死んだ事そのものじゃなく……それまでの生き様だったんだ」

 瀬崎愛吏は眞鍋瑚太郎の素性を知らない。だが、彼が腹に一物秘めた大狸である事は先の会合で把握済みだ。
 しかし此処に来てその認識が、ブレた。恐ろしい狸に見えていた男の姿が霧のように霞み、もっと得体の知れない何かに変化して見えた。

「大勢育てた。そして大勢裁いてきた。欠点の数ばかり数えて、したり顔で落第の判子を押してきたよ。もしも加点の数も同じように数えてやれていたなら、一体どれだけの合格者がそこにいたのか分からない。分かったのは最後の最後だ。そして無様に落第した僕は今、こうして追試のテストを解いている」
「なにを、言って」
「僕は教師としての務めを果たすつもりだ。たとえその果てにこの身が再び業火に焼かれようとも構わない」


 ……眞鍋瑚太郎。彼は教師として、間違いなく誰よりその職務に真摯だった。

 生徒の一人一人に分け隔てなく向き合い、正しい事は褒め、悪い事は叱り、単なる成績の善し悪し以外の所で生徒の価値を見出してきた教師の鑑だった。
 だからこそ、なのだろう。生来の聡明さと、教師として生きる事への頭抜けた適性が化学反応を起こして彼は狂ってしまった。
 人を教え育てる教師の輪郭は歪み、愛すべき生徒達の巣立ったその後の姿に嘆きを抱えるようになり、いつしか減点式で人生を推し測る一個の災害にまで成り果ててしまったのだ。

 しかし、彼の病は質された。とある恐るべきギャンブラーとの対話と、命懸けの大勝負の最後に彼は自分の誤りを悟り、それを認めた。
 返却されたテストは異議の申しようもない完膚なきまでの不合格。されど幸いにも、炎の中に消えていった教育者の手に握り込まされたのは追試を受験する為の権利だった。
 “黒い羽”。それは眞鍋という間違ってしまった教育者にとっての追試(やりなおし)――彼にとってこの聖杯戦争とは、0と1で再現された冬木の街とは、無数の問題が立ち並んだ一枚の巨大な問題用紙に他ならない。

 そして今、眞鍋の前には生徒がいる。ひと目見た瞬間に分かった。彼女が、大きな闇を抱えて鬱屈している事は。
 であれば眞鍋がやるべき事は一つしかない。彼は教師なのだから。悩める子供を放置して取り組むべき課題など、彼の世界には一つとして存在しないのだから。


「……よければ次は、君のを聞かせてくれないか」

 教育災害は鏡を覗き込んで過ちに気付き、業火をもって鎮められた。
 それでも彼は今も変わらず“瞼無し(リッドレス)”。目を閉じている暇などないと、その両目で世界を、導くべき生徒達を見つめ続けている。そんな彼が、気付かない道理などなかった。

「君は二度目の生で何を望む。かつて迎えた死を、どのように踏まえる気でいるんだ――瀬崎愛吏」

 瀬崎愛吏という少女が自分と同じ、一度は死の静寂に沈んだ存在である事に。
 傷口に塩を塗り込むも同然の行為であるのは百も承知で、教師は少女に問い掛けた。問いを受けた少女の目が、動揺を隠そうともせずに大きく揺れて――

「……知った風な事、言わないで」

 瞼を閉じる事を忘れた男の前で、遂に少女がその犬歯を剥き出した。






 瀬崎愛吏を狂わせたのは、一人の少女の存在だった。

 生き物としてあまりにも弱く、なのに女としてあまりに可憐な少女。
 彼女が苦しむ姿を見る事、そこに悦びを見出してしまった事が愛吏の崩落の始まりだった。
 人目を忍んで放課後の教室で繰り返した密会と、性嗜好を満たす為の秘密の交わりと倒錯。

 そんな事を続けていれば、いつかは誰かがそれに気付くと、少し考えれば分かった筈だ。
 けれどそんな当たり前の事にすら気付けないほどに、愛吏は少女に倒錯していた。
 阿片や覚醒剤に手を出した人間が、自らを正気だと信じたまま地獄の果てまで転がり落ちていくように、愛吏が自分の過ちに気付く時にはもう彼女の手元に残っている物は愛した少女以外には何一つなかった。

 愛吏は逃げた。人から、現実から、そして自分を取り囲むこの世界と、これからも延々と続いていく人生そのものにまでも背を向けた。
 誰が見たって行き詰まる事の見えている、未成年の少女二人による逃避行。金銭的にも社会的にも、全うなど出来る筈もない二人旅。
 その困難を愛する人と二人三脚で乗り越える事が出来るほど、瀬崎愛吏という娘は強くなかったし、そうあれるだけの余裕もなかった。

「一緒にしないで。わたしは……わたしは、後悔なんてしてない。わたしはああなるしかなかった、死ぬしかなかったの! 別に生きたいなんて思ってなかった! 当然でしょ!? 生きてるのが辛くなかったら、殺してほしいなんて頼んだりするもんか!」

 生きれば生きるほど、そこに付随する苦しみの存在感が増してくる。
 息を吸い込むたびに肺の奥がわだかまって破裂しそうになるし、それは寝て起きたって治るものじゃない。
 ずっと一緒にいたいと願った相手がかけてくれる優しい言葉にだって、裏側を見出そうとしては八つ当たりを繰り返してしまう。
 そうまでして生きている事に、生き続ける事に、一体どれだけの意味があるのか。頑張っても頑張っても、どうせ苦しいだけなのに。

 それが、瀬崎愛吏が旅の末に辿り着いた“答え”だった。
 いつ終わるとも知れない有限への離別と、終わる事のない永遠への旅立ち。
 二人で――二人きりで、ずっとずっと何の苦しみもない時を過ごしていける事への確信があったから、愛吏は自分の首を片割れに差し出したのだ。

 聖杯戦争なんて、やり直しだなんて望んだ気持ちはひとかけらたりともない。
 自分はあれでよかった。あれで十分に満たされていたのだ、なのに余計な真似をしたのはこの世界の方だ。

「聖杯なんていらない。別に、もう一度生き直したいなんて思わない……! 自分で、死んだりとか、怖くて出来ないからっ……だから生きてるだけ!」

 ああいっその事、自分のサーヴァントが本当に何一つ意思の疎通が取れない狂戦士ででもあればよかったのだ、と愛吏は思う。
 それならば自分は何も考える事なく電脳世界の塵と消えて、あの永遠に、ひなこの待つ楽園に帰る事が出来た筈なのに、と。

 瀬崎愛吏(じぶん)はとても弱いから。自殺はおろかリストカットさえ怖くて出来ないような、情けない弱虫だから――これ以上無様を晒す前に、誰かが問答無用で殺してくれればよかったのだ。
 なのにこの世界はあの手この手で自分を生かそうとする。性格は腐っているのに力だけ持ったセイバー、要らない余生を寄越してきた“黒い羽”、そして頼んでもいない講釈を長々と垂れてくる教師気取り。
 全てが愛吏にとって苛立ちの対象だった。全て自分と一緒に壊れてしまえばいいと、心からそう呪ってしまうほどに。

「あんたの生き方とか、考えとか、どう死んだのかとか……全部知らないし興味もない! わざわざ呼び出して、わけのわからない話して……それで勝手に気持ちよくならないでよ、いい迷惑なの!」

 愛吏は永遠という、苦しみのない世界を今も変わらず望んでいる。
 けれど彼女は弱いから、一人ではその境地に旅立つ事が出来ない。

 それが彼女の抱えているジレンマであり、矛盾だった。
 死にたいと願っているのに死ぬのを恐れ、ただただ無為に時を過ごす弱者。

 誰に見られる事も理解される事も、愛吏にとっては単なる暴力でしかない。
 だから眞鍋という“大人”が自分に介入しようとしてきた事は、只管に鬱陶しい余計なお世話だった。
 お前の自己満足にわたしの人生を巻き込むなと、無様は承知でそう吠える。眞鍋はそれを――只黙って聞いていた。

「それに……わたしはあんたの事、信用してない。あんたみたいな化け物の事なんて、信じられるわけないでしょ」

 大層な力や経験がなくたって、今はもう分かる。
 この男は、眞鍋瑚太郎は化け物だ。

 自分のような人間とは、生き物としての根本から違っている存在。
 無数の、数え切れないほどの目を体表に群れさせた悍ましい怪物のイメージを愛吏は彼から感じ取っていた。
 そんな男が差し伸べる手と言葉を、一体どうして信じる事が出来るだろうか。悪魔の囁きに身を委ねた者が破滅する展開は、古今東西あらゆるジャンルで使い古された手垢塗れのお約束ではないか。

 あまりにも直球の拒絶に、眞鍋はもう笑わなかった。
 だがそれは、愛吏の選択に対して気分を損ねたからというのが理由ではない。

「――“知らない大人に付いて行っちゃいけません”」
「……は?」
「愛吏はお利口だな。その対応は間違いなく正解だ」
「なに、喧嘩売ってるの」
「ただ満点回答じゃない。怪しいと分かっている相手に地金を晒して自分の弱さをさらけ出す行為は、こと命のやり取りをする場に於いては文字通りの意味で自殺行為だ。糸を結んで操ってくれと言っているような物だと、僕みたいに狡猾な人間はほくそ笑む」

 今の拒絶と告白を受けて、眞鍋は瀬崎愛吏という少女が暗謀渦巻く聖杯大戦を生きていける人間ではないと確信した。
 彼女は、素直すぎる。自分の感情に素直すぎる。心の奥から噴き出してきた激情を制御出来るだけの余裕を、この少女は持ち合わせていない。

「愛吏。君は、此処で死んでも構わないというような事を言っていたな」
「それが、何……」
「考えが甘い。明確に不正解だ。普通に殺されて終わるだなんて結末は、命の奪い合いの中では上位に食い込めるハッピーエンドだぞ」

 自殺しようとしている子供を止めない教師がもし目の前にいたのなら、眞鍋はあらゆる暴力を振るってその教員免許を剥奪するだろう。
 だが、生きていれば必ず何とかなるだとか、悲しむ人がいるだとか、そんな月並みな正論が全ての悩める子供に対しての正解になると考えるほど眞鍋は考えなしの大人ではない。
 彼は誰よりも教育に、子供という生き物に真摯に向き合ってきた男だ。
 だから当然、理解している。この世には、生きていくという行為そのものがどうしたって苦痛にしかならない人間というのも存在するのだと。

 それが考えた末の答えならば、制限時間一杯まで悩み抜いて提出した答案であるならば、眞鍋も殴り付けて生きろと諭す真似はしない。
 只、他人に首を差し出して殺してくれと頼むのなら話は別だ。

「人間は弱い者に対してどこまででも残酷になれる生き物だ。放し飼いにされているイエネコは虫、ネズミ、リスや小鳥と何であろうが遊び感覚で殺して回るが、それと同じだ。
 愛吏、君は高望みをしすぎている。この聖杯大戦という魑魅魍魎の巣窟に置かれた弱者が、本当に只軽く殺して貰えるだけで済むと思うのか?」
「っ」
「僕ならそうはしない。あらゆる手段で利用価値を搾取し、全ての不利益を肩代わりさせた上でなるべく長く生かすように努力する。
 勝負を投げて自暴自棄になった対局者なんて絶好の鴨をみすみす死なせてどうする。死にたがる弱者は、決して“無敵の人”なんかじゃないんだ。本当に悪い誰かに絞りカスまでこき使われる、打ち出の小槌なんだよ」

 ……この聖杯大戦には、本当に怖い存在が少なからずいる。その事に眞鍋は既に気付いていた。
 そんな連中にしてみれば死にたがりなどネギを背負った鴨、打ち出の小槌、財布、身代わり地蔵以外の何物でもない。

「答えを出すのは今でなくても構わない。聖杯大戦が終わってもまだ君が同じ気持ちだったなら、その時は僕が責任を取ろう。なるべく少ない苦痛で君を、君が望む永遠に送り返してやる。だが今はまだその時じゃない。今、君は生きるべきだ。自分で命を終わらせる事が出来ないのなら、生きるべきだ。そうでなければ君は、これからあらゆる悪意に穢される」

 瀬崎愛吏は一人では生きられない。彼女にそれだけの力はなく、それが出来るだけの心の余裕もありはしない。
 それは悪い事ではないのだ。彼女は年並みよりも大人びた自意識と、それに基づいて自分という人間の見せ方を工夫するしたたかさを持っていたが、そんなのは所詮ちょっと“大人びている”、思春期の早熟さの範疇に収まる物でしかないのだから。

 一五歳は子供だ。子供が一人で生きていけないなんて、それこそ子供でも知っている当たり前の話である。

「……なんで?」

 愛吏は、絞り出すようにそう問い掛けた。
 その双眼には動揺と、それ以上の不可解が滲んでいる。

「あんたは、なんで……わたしにそこまで付き纏おうとするの?」

 子供特有の夢想と向こう見ずな考えを否定するのは、いつだって大人だ。
 そして否定された側は大抵素直に聞かないし、ムキにもなる。
 愛吏もその例外ではなかったが、それよりも今はこの眞鍋という“語る怪物”のやっている事が不可解でならなかった。

 愛吏にだって分かる。この男はきっと、世界の理が孤軍で臨まねばならない『聖杯戦争』だったとしても一人勝ちを狙える逸材だ。
 彼にはそれだけの能力がある。それを顔色一つ変えずに成し遂げられる異常な胆力も、当たり前のように備わっているに違いない。

 分からないのは、そんな力を何故自分という、それこそ利用しようと思えば簡単にどうとでも出来る存在の為に使っているのか。
 そうまでして、自分に絡み付いてくるのか――関わってくるのか、その一点だった。

 今の指摘だって、わざわざ言わなければその通りのやり方で自分をそれこそ打ち出の小槌に変えられた筈なのだ。
 なのに彼はそれをせず、ご丁寧に自分の回答と考えを採点して解説付きで返却してきた。
 この不合理な不可解が、愛吏には理解出来ない。理解出来ないというのは怖い事だ。だから、問い掛けた。

 愛吏は気付いていない。その行動自体が、眞鍋という男の行動原理を映し出す鏡になっている事に。

「教師だからだ」

 眞鍋瑚太郎は――教師である。

 理由はそれだけで、そしてそれ以外に一つも要らなかった。
 彼は誰より正しい教師。だからこそ狂った、かつて災害だった男。
 そんな男が、自分の命が懸かっているというたったそれだけの理由で目の前の生徒を蔑ろにするなど、天地がひっくり返ってもありはしない。

「目の前に悩める子供がいる。声を掛けなければ、手を引いてやらなければ取り返しの付かない所に行ってしまいそうな生徒がいる。僕にとってこれに勝る動機はない」
「……馬鹿じゃないの? ドラマの見すぎでしょ、普通に……」
「かもな。でもそのお陰で一人でも生徒を助けられたなら、熱血教師を演じる甲斐もあると思わないか」

 そう言ってウインクをする双葉頭の教師の事を、愛吏はやはり異常者だと思った。
 だってどう考えたって普通ではないだろう。熱血教師なんて生き物は画面の向こうだからこそ映えるのであって、現実に存在したならそれは社会のセオリーという物を分かっていない不気味な存在以外の何でもない。

(そういえば、わたし達)

 なのに一瞬、確かに一瞬、思ってしまった。 

(大人に頼った事って、なかったっけ……)

 瀬崎愛吏と“彼女”の物語の中に、大人という存在が登場した試しはない。
 教師が介入する余地はなく、両親は事態を静観する事を選び、警察は逃げる二人に追い付けなかった。

 愛吏を“見て”、言葉を掛けてきた相手はこの人間離れした熱血教師が初めて。
 だからこそ一瞬、愛吏は思ってしまったのだ。

 もしも。もしもあの時、彼のように何もかも一人で解決してしまうような“大人”がいてくれたなら――


 もしかすると、全部、うまくいっていたんじゃないか、と。


「さっきは悪かったな。配慮が足りなかった。話したくないのなら、無理して話す事はない。秘密を守る権利は誰にだってある。もちろん、愛吏みたいな子供にだってそうだ。今は僕にもそれを暴く権利はない」
「……前はあったみたいな言い方」
「第3種閲覧権って言ってな……って、今これを話しても仕方ないか。興味があったらまた後で話してやるよ。多少人は死ぬし、血も出るけど」

 教師も生徒も死人という異常な教室が、『白』の円卓で繰り広げられている。
 愛吏は自分の中で荒れ狂っていた感情が一時の小康状態に入ったのを感じながら、疲れ果てたように眞鍋の話を聞いていた。
 根負け、と言っても誤りではないかもしれない。

「……『フラッシュ☆プリンセス!』は、とにかく人が死ぬよな。だけど意外なほどに無意味な死というものが存在しない。
 敵も味方も必ず何かを残して死んでいくんだ。一度死んだ身で見返すと、此処が存外によく沁みる。考えさせられるし、実際考えたよ。
 今回はどうやって生きるべきか。そしてもし死ぬとしたら、その時僕はどうやって死んでいくべきか。その時何を残すべきか、と」

 合わないと分かっているのに、わざわざ『フラッシュ』を選んで視聴していた本当の理由。
 此処まで来れば、愛吏とて嫌でもそれに気付いた。

 同じだ。一度死んだ人間だからこそ、作品の端から端までに死が、有限の世界の終わりが満ちた作風に何かを見出そうとした。

「けど、愛吏の言う通り僕は根っからの教育馬鹿だ。結局、教育の為に生きて死ぬ、以外の答えは出せなかったな。
 して、君はどうだった? これは僕の想像だが、愛吏もフラプリを見返してたんじゃないか。プリンセスシリーズのファンなら、この状況で行き着くのはどうやったってあの作品だろう」
「……察し良すぎてキモい。まあ、その通りなんだけど」

 とはいえ、愛吏も眞鍋のように『フラッシュ☆プリンセス!』から何かを得られた訳ではない。
 もしも何か見出だせたなら、ああもみっともなく取り乱す事なんてなかっただろうから当然だ。

 愛吏が再視聴で得られた物は、やっぱりこの作風は合わないな、という実感それだけだった。

「さっきも言ったけど……わたし、『フラッシュ』はそんなに好きじゃないの」

 別に、大それた理由があるわけじゃない。
 子供向けで高尚な事を~とか言う評論家気取りのオタクには常日頃から辟易していたし、実際傍から見ても分かるくらい子供向けに……もとい子供騙しに振った作品は如実に売り上げが落ちる事も知っている。
 その点『フラッシュ☆プリンセス』は間違いなくシリーズの白眉で、実際見ていると目が離せなくなるくらい面白い。

「重たいんだもん。テーマ性とか怒涛の展開とか、面白いけど見終わった後に胸焼けしちゃう」
「なるほどな。天国の幡随院孤屠にぜひ聞かせてみたい意見だ」
「アブちゃんとヒース様の関係性とかは良いけどね。でも、わたしは『ハートブレイク』とか『フィーリングっど』の方が好き。……『フィーリングっど』は『フラッシュ』に負けず劣らず賛否両論だけど。主にダリーヤン絡みのあれこれで」
「確かにな。僕としてはシリーズのお約束にあえて否を唱え、共存以外の結末に舵を切った脚本の妙を評価したい所だが」
「……そこは同感。最後に人間もダリーヤン達と同じ穴の狢だって問題提起もされてたし、安易な曇らせ展開じゃなかったとは思ってる」

 多分、語ろうと思えば本当にずっと語れてしまうんだろうなと思うのが愛吏にしてみればまた癪だった。
 この教師はどこまでも真摯で、生徒に対して誠実で、そして直向きだ。
 他人の癖に。いつ裏切るとも分からない、信用するに値しない大人でしかない癖に。

「穂群原学園の小等部だ」

 眞鍋は愛吏に、そう言った。

「信じるも信じないも、来るも来ないも君の自由だ。何だったらこの星界円卓に直接招待してくれても構わないが……意識体として会うよりかは直接顔を突き合わせた方が、今後の戦いでも都合がいいと思ってな」
「……訪ねてこいって事?」
「言っただろう、強制はしない。愛吏が僕を信じたいと思ってくれたなら、今言った場所まで来てくれ。僕は必ずそこにいる」

 ……それは、二人だけの世界とその顛末の為に奔走した彼女にとって初めての“大人”から差し伸べられた手。
 その手を取るか取らないか、即断する勇気も世界に対する信用も彼女にはなく。

「……………………考えとく」

 それでも――受け取るだけ受け取って、保留にするくらいには、眞鍋瑚太郎の声は孤独な少女の心に響いていた。






「かわいい子ね。なんだかほっとけなくなっちゃうわ」

 眞鍋瑚太郎のキャスター――草神ナヒーダが小さく笑って、少女を見送りそう言った。
 「ああ」と返答する眞鍋の顔にも同じ性質の笑顔が浮かんでいる。

「彼女にどんな悲劇があったのかは知るべくもないが、一つ言える事はある。
 瀬崎愛吏の周りには大人がいなかった。肯定し、手を引いてくれる人間がいなかった。
 孤独は子供にとって猛毒だ。自己の全能感を徒に肥大させ、迷走にも似た遁走をさせる。若気の至りで取り返しが付く内はいいが、付かなければ生まれるのは年間数百件のありふれた悲劇だ」

 瀬崎愛吏は聖杯など求めた覚えはないと言ったが、それはこの眞鍋にとっても同じだった。
 二度目の生を望む柄ではない。くれるというなら受け取るが、汗水垂らして必死になって、辿った結末を覆そうとするほど彼にとってウェイトの大きい事柄ではないのが実情だ。
 故に彼の行動原理は、先程愛吏に語ったように教師たる事、ただそれだけ。
 その職務を貫く為であれば、眞鍋は変わらずこの世の何であれ犠牲にするだろう。たとえそれが、己の命だったとしても。

「それでも世界に希望を見出だせないと言うのなら、その時はまた話し合えばいい。何にせよ、腐るにはまだ早いって事だ。愛吏はまだやり直せるさ」
「本当に骨の髄まで先生なのね、瑚太郎は。私も後ろで聞いていて鼻が高かったわ」
「人を教えると豪語するならこのくらいは当然の努力だろう? 未来ある子供の為に身を粉にして流す汗は気持ちがいいぞ」

 この陣営には、二人ほど子どもがいる。
 一人は瀬崎愛吏。そしてもう一人は彼女よりも更に歳幼い、ありすという少女だ。

 ただしありすには、既に保護者の役割を果たす者がいる。
 彼女のアルターエゴについて、眞鍋はわずかな時間垣間見ただけであったが……特段危険な兆しは感じ取れなかった。
 教育する事と過干渉は違う。彼女とそのサーヴァントの関係がいびつに歪みでもしない限り、自分が進んで世話を焼く必要性はないだろうと眞鍋はそう判断していた。

「それはそうと――やはりあのセイバーは駄目だな。子供のそばに置いておくべき男じゃない」

 愛吏に関して言うなら、ありすとは全く事情が逆だった。
 単に孤独であるというのよりも更に悪い。彼女に付き従っているあの和装のセイバーは、あまりにも悪すぎる。
 人畜有害を体現するような男だ。社会の中で偶に見かける、他人に害を為し悪意を撒き散らす事でしか生を実感出来ない類の人種。

 あれと解り合える者がいるとすれば、抜きん出た善人か同じ視点を持つ悪魔かのどちらかだ。
 いずれにせよ、あどけない少女のそばにいていい存在ではない。

「確かに悪い子ね、彼は。さっきも明らかに挑発してきていたし」
「僕の魂胆に気付いていたのだろうな。だから会合の時のように無駄な介入はしなかった。しかしその一方で、わざと無言と不干渉に徹する事で“見え透いているぞ”と嘲笑を示してきた」
「でもよかったわ。もしもあなたの懸念していたような事になっていたら、オルガが目を回して倒れちゃってたわよ」

 眞鍋瑚太郎は半日前の会談の時から既に、その結論を出していた。
 だからこそ彼は瀬崎愛吏を円卓に呼び出すにあたり、キャスターにとある密命を下していたのだ。

 悪意と嘲笑の器、悪魔が如しセイバー。もしもこの教場にその蝿声を響かせると言うのならば、是非もなし。

「――少しでも私達に対する攻撃の兆候を見せたなら、宝具解放で即座に彼を消滅させろ、だなんて」
「君の宝具であれば、比較的容易にセイバーと愛吏を隔離出来る。その間に僕が彼女を心理的に奴から引き離すつもりだった」
「それでも……ちょっと危険な賭けすぎたんじゃない? そんな事をしたら、愛吏はもっと瑚太郎に不信を持っていたかもしれないわ」
「確かにリスクの大きい行動だ。確実なリターンが得られる保証もない。だからこれは決行ありきで構えておいた手というよりかは、わざとチラつかせる事でセイバーを牽制する為の見せ札だな。現にセイバーは君の存在と僕の物腰から、此方がいざという時には実力行使に打って出るだろう事を感じ取ったんだろう。享楽狂いの屑とはいえ、開始早々に針の筵へ投身するような真似は避けたという訳だ。
 それにセイバーには確実に、純粋な攻撃力以外の奥の手がある。そうでなければあの会合の場で、集中砲火に遭う危険を冒してまで抜刀しようとは考えない筈だ。最大の警戒を敷いておくに越した事はない」

 『白』の星界円卓で行われた教育面談、その水面下で行われていたのは瞼無しと死神の暗闘だった。
 会話一つない状態で互いの腹を推し測り、リスクとリスクを押し付け合いか細いリターンを探る心理戦。
 賭けのリザルトは明かされぬままで終わったが、前進したのは間違いなく此方の方だという確信が眞鍋にはあった。

「セイバーは頭が回る。あの様子の愛吏を抱えて此処まで勝ち上がれている時点で、相応の実力も持っているに違いない。
 となると厄介な相手だ。何にせよ、どこかで愛吏から引き剥がす事は必須だな。あれはあの子には毒すぎる」

 もしもセイバーと愛吏を引き裂けた暁には、眞鍋は自分のサーヴァントであるナヒーダを彼女に譲渡する事を検討していた。
 性格は善良で、神霊である為に力の大きさも申し分がない。少なくともあのセイバーよりかは余程生徒の為になるサーヴァントだ。

「……わかってくれるといいわね、瑚太郎の事」
「こればかりはあの子次第だ。何にせよ、腰を据えて付き合っていかないとな」

 彼は教師だ。誰よりも子供の事を考えてきた、筋金入りの熱血教師(ジャンキー)なのだ。
 自分の未来も、辿るべき結末も、全てを度外視して彼は教育の方へと突き進み、生徒の未来という名の黒板にチョークを走らせる。
 いずれ来る裁定の時、生徒の未来を真に占う結末(テスト)に備えて。

 ――眞鍋瑚太郎は、聖杯大戦を開始した。



【『白の陣営』星界円卓/一日目・午後】


【眞鍋瑚太郎@ジャンケットバンク】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:教師としての務めを果たす
1:愛吏を導く“大人”として行動する
2:愛吏のセイバーへの対処
3:ありすについても可能な限り注視。ただ、現状は彼女のアルターエゴの事を信用している
[備考]
※肉体は穂群原学園小等部の職員室にあります。


【キャスター(ナヒーダ/クラクサナリデビ)@原神】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[思考・状況]
基本方針:瑚太郎のサーヴァントとして行動する
1:愛吏のセイバーに警戒
[備考]






 星界円卓から帰還して、瀬崎愛吏はベッドの上に力なく身を投げ出した。
 脱力のあまりに自然と口からは溜息が溢れ出てくる。身体は疲労感を訴え、自分がどれだけあの場で力んでいたかがよく分かった。

「本当、へんなやつ……」

 最初から最後まで余計なお世話だった、その一言に尽きる。
 そういう意味では実に教師らしい男だったと言えるだろう。

 何故、あんな人間じゃないみたいな男がそんな物をやっているのか愛吏にはとんと見当が付かなかった。
 ましてや聖杯大戦という、願いを叶える至宝なんて物がとう遠からぬ位置に転がっているにも関わらずである。
 理解出来ないし、したいとも思わない。化け物の論理なんて学んだ所でどうするというのだ。しかし――

(……けどどの道、やる事も行くあてもないんだよね)

 愛吏の中に、彼の言う事を一理あると感じ、納得している自分がいるのもまた確かだった。
 あんな化け物が平気な顔をして彷徨いているような世界で、自分のような弱者は只殺されるだけでなく利用されしゃぶり尽くされる。
 そう語った眞鍋の言葉にゾッとする物と危機感を感じ、頭に冷水を掛けられたような感覚になった。

 脳裏に浮かんだのは、自分の部屋に友人の頃のままの顔で踏み入ってきた知り合いの顔だ。
 自分の中で何とか保っていた一本の糸が音を立てて切れたあの瞬間の事は、今も夢に見るほど焼き付いている。

 じゃあ、眞鍋瑚太郎は自分を利用する側の人間ではないというのか。
 そう問われると、……答えは出ない。
 出ないし、彼が本気で騙そうとしていたのならどの道どうやったって気付けないだろう。
 となるとどちらを選んでも結局丁か半か。勝つも負けるも定かでない、運否天賦のギャンブルと何も変わらない。

「愚かな男よな。人間にしてはマシな頭を持っているというのに、使い方があれでは物笑いの種でしかない」

 そんな愛吏を揺さぶるように、いや、もしくは呼吸のように吐き出した嘲りだったのか、時灘が眞鍋をこう評した。
 眞鍋の推測は当たっている。今の会合の場面に限って言うならば、時灘は彼の考え通りに型へ嵌められた。

 武力行使のカードをちらつかせての牽制と、お前の魂胆は読めているぞという暗黙の内での情報開示。
 綱彌代時灘は愚かではない。本気で事を荒立てようと考え、いつか魔界の王となる子へ刀を抜こうとした訳ではないのだ。

 時灘の宝具――斬魄刀『艶羅鏡典』。
 一人一振の原則を無視し、他者の斬魄刀の能力を模倣するという規格外の権能を秘めたかの刀の中には、とある正真正銘の大罪人が振るった斬魄刀の力が貯蔵されている。
 その斬魄刀の能力は“完全催眠”。とある行動を視認する事で他者を永久的に術中に置くそれは、言わずもがなこの聖杯大戦に於いても絶大だ。
 たとえ相手が味方であろうと、可能ならば見せておくに越した事はない。
 結果的に草神の介入によって止められはしたが、もう少し介入が遅ければ『白の陣営』の全員が完全催眠の術中に置かれていた可能性がある。

(それにしても、一体どこから見抜いていたのやら。ややもすると私が姿を顕したその時点から、この時灘の性根を見透かしていたか?)

 面白い。苦汁を嘗めさせられた形にはなったが、存外に手応えのある相手がいた事に対しての愉悦が勝っている。
 死んでみるものだ。よもや久遠に等しい死神の生が終わった後に、このような余興が用意されているとはついぞ思わなかった。

「……せめて地獄にでも落とせていれば、奴らの溜飲も少しは下がったろうに。つくづく哀れだな、死神どもめ」

 含むように笑う時灘の声に、いちいちかかずらってやるほど愛吏は暇ではない。
 癪に障る事に変わりはないが、今の彼は自分ではない誰かを見据えているように見えた。
 であれば相手をする価値は皆無と判断し、愛吏は再び自分の思考に没入していった。

 ――とりあえず、カーテンくらい開けようかな。

 のそりとベッドから立ち上がってカーテンに手を掛け、開いてみて日光の眩しさに思わず目を瞑る。
 吸血鬼か何かになった気分だった――思えばこうしてカーテンを開けるのは、一体いつ以来の事だったか分からない。

「……はは」

 終わってるな、わたし。
 それで、これからどうするんだよ。

 終わったままで終わるのか。
 それとも。

 答えはまだ出ない。
 出ないまま、とりあえずもう少し考えたくて、愛吏は中断していた『フラッシュ☆プリンセス!』の続きをテレビで流し始めた。



【B-3・瀬崎家/一日目・午後】


【瀬崎愛吏@きたない君がいちばんかわいい】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:一万円程度
[思考・状況]
基本方針:???
1:眞鍋のもとを訪ねようか、どうしようか……
[備考]


【セイバー(綱彌代時灘)@BLEACH-Can't Fear Your Own World-】
[状態]:健康
[装備]:『艶羅鏡典』
[道具]:
[思考・状況]
基本方針:聖杯大戦を愉しむ
1:愉快
[備考]



前の話:終わりのその先を目指して

次の話:臨界ダイバー



Before Character name Next
000:Good Evening,World! 瀬崎愛吏
セイバー(綱彌代時灘)
000:Good Evening,World! 眞鍋瑚太郎
キャスター(ナヒーダ/クラクサナリデビ)

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最終更新:2024年01月04日 10:52