SF研読書会 れじめ by 焼豚
アーサー・C・クラーク 「渇きの海」 Fall of Moondust
1・あらすじ
月面に広がる「海」―――地球上のいかなる物質とも異なる振る舞いを見せる「濡れない液体」に覆われたこの砂の海を行く初の月面観光「船」セレーネ。しかし、その航海のさなか、緊急事態が発生。セレーネはこの砂の海に生じた現象により、その中に姿を消してしまった!同系船はまだ完成しておらず、ソリに毛の生えた程度の少人数用ダスト・スキーでしか到達できない「海」に飲み込まれた乗員乗客たち。果たして救う方法はあるのか??!!
2・作者について
アーサー・C(チャールズ)・クラーク Arthur Charles Clarke
1917年イギリス生まれ。ハインライン・アシモフと並んで50年代「SF黄金時代」の「ビッグ3」と言われた。10代からSFファンジンに身をおく。
第2次大戦中は空軍に入隊、レーダーの研究開発を行った。デビュー作は46年・短編「抜け穴」(実は名作「太陽系最後の日」ではない ただし、これはあまり人気がなかった) 52年渡米。のちにスリランカに移住。現在も(あの巨大津波でも運よく生き残って)存命。「生きて2001年を見るつもり」という公約を見事達成した。最近は合作(ベンフォード・バクスター・ジェントリーetc)が多くなって、独自の作風がかすんで見えるのがちょいと悲しいが、著作はノンフィクション・科学解説書・SFとジャンル・数共に多い。SFは近未来ハードSF・海洋SFもしくは遠未来・超進化SFが多い。科学的な追及を突き詰めるヒトながら、「神」「悪魔」といったモチーフをよく使い、超自然的な現象にもそれなりに理解があるご様子。短編だとバカSFも多数。
クラークの発明(?)品
通信衛星 アイデアとしては先にあったが、1945年にクラークが論文を発表。これが現在の通信衛星の元になった。静止軌道に120度づつ3機の衛星を打ち上げれば、地球上どこでも通信できるというもの。ただしのちに本人がネタにしているが、特許などはとっていない(笑) また、クラークは「テレビ」の洗脳効果による体制崩壊(またはその逆)をいち早く予測している。
マスドライバー(リニアカタパルト) 電磁打ち上げシステム。こちらもアイデアは先にあったが理論を立てて論文として発表したのはこの人が最初。一種のリニアモーターやレールガンによる線路で加速した物資を軌道へ持ち上げるシステム。某アニメーション(ジブラルタル攻略戦・パナマ攻略作戦と聞いてピキーンとくる人もいるはず)といわずとも多くの作品に登場し、近未来SFガジェットの定番となった。月面での使用や小惑星採掘に期待されている。ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」の月独立戦争の主力兵器。「機甲戦記ドラグナー」でもおんなじ使用方法だったな。
オリジナルというわけではないので発明品と呼べはしないが、クラークが描いて有名になったものといえば「宇宙服なしで宇宙遊泳」(2001年・地球光)、ソーラーセール・太陽光帆走船(
太陽からの風)、軌道エレベーター(楽園の泉・3001年)、人格のデジタル化&永久保存(都市と星)などがある。
そして忘れちゃならない史上初の「地球防衛NPO」 スペースガード(「
宇宙のランデヴー」の冒頭で結成)。今日も地球に衝突しそうな天体を捜索しております。
クラークの三法則(悪用注意)
1.著名な年配者の科学者がかくかくしかじかのことは可能であるといったならば、殆どの場合それは正しい。
だが、これこれのことは不可能であるといった場合は誤りである可能性が非常に多い。
2.可能性の限界を知る唯一の方法は、不可能の領域に足を踏み入れてみる事だ
3.十分に進歩した科学技術は魔法と区別が付かない
ハヤカワ文庫NF 『未来のプロフィル』
著作
「
幼年期の終わり」「都市と星」「宇宙のランデヴー」シリーズ 「宇宙の旅」作品群
短編集「太陽からの風」「明日にとどく」「前哨」 ジュヴナイル「イルカの島」「宇宙島に行く少年」など
映像化作品:「
2001年宇宙の旅」「2010年」「火星は僕らの惑星だ」(NHKのCGアニメ)
「宇宙のランデヴー」(ADV。WINDOWS・PSでゲーム化 本人も出演らしい)
3・登場人物
「セレーネ」乗組員
パット・ハリス 「セレーネ」船長 月面で唯一の「フネ」の船長
「スー」・ウィルキンズ (ミス・ウイルキンズ) 客室乗務員
「セレーネ」乗客全20名(多いので省略)
月面基地ポート・クラヴィウス関係者
オルセン クラヴィウス行政庁長官 あんまり観光には乗り気じゃなかった人。
デイヴィス 月面観光局局長
ローレンス ファーサイド(地球を向いている地球の表側 アースサイド)技術部長(C.E.E)
中継衛星ラグランジュ2号
トマス・ローソン 孤独な天文学者 なんとなく深井零中尉(戦闘妖精雪風)ライクな生活を送ってきたご様子
ヴィンセント・フェラーロ イエズス会の神父。地球転じて月物理学者。月の地殻変動を監視・研究。
定期貨客船「オーリガ」
オーリガは馭者(ぎょしゃ)座を意味する
アンソン オーリガ船長 どーでもいいが、自動化時代とはいえ仕事前の酒はいいのか?
モーリス・スペンサー インタープラネット・ニューズ社編集局長 大惨事に際して二番目に読みが早かった人
4・総評
クラークのSFは全体的にキャラ数が少ないほうであるし、たいてい興味の主体は人間ではない。しかしこの作品は例外中の例外である。登場人物数は多く、それぞれのキャラが明確に立っている珍しい作品といえる。与えられたがジェット(もしくはタネ)は摩訶不思議な性質を持つ砂の海。それのみ。ここから多方面へと話を膨らませていく。
一般にパニックものというと飛行機なり何なりの機長がダウンして素人さんががんばる話、もしくはSFなら「方程式もの」(二人なら酸素は2時間持つが、一人なら…)になるか、BEMが出てきたり寄生されたりで疑心暗鬼に陥ったりするのが定番というものだが、ここではあくまで与えられた条件の範囲内で考えられる事態、そして乗客たちの問題が出てくる。クセモノな乗客が4人しかいないというのは、まぁ月に来るのだけでも大変ということで。
なんとか「平静」を保とうと始められる模擬裁判・朗読会などは少々時代というものを感じさせるシーンではある。現代もしくは近未来なら乗客それぞれが携帯電話なりハンドヘルドPCなりを持っているだろうし。ただ、それでこのような密封された極限状態で、デジタルツールさえあればといくかは少々疑問ではある。特に人間関係が。そう考えると、やっぱり昔ながらの方法を知っておくのも一考かと。誕生日一致、については「おまけ」で触れることにする。
クラーク独特の科学的事情や現象をちょくちょく平易な言葉とたとえで挟みながら話を進めていく。こういう展開が一番元気だったころの作品だけあって、月におけるさまざまな制約やそれによる現象を理解できる作品にもなっている。月には空気がない、それだけでも熱の伝わり方、物体の落下、太陽光の照射と多くの物事に変化が起きる。クラークはその一つ一つを描写に挟み込むことを忘れない。月では太陽が出れば星は見えず、砂埃は舞うこともない。月があまりに厳しい環境ゆえ、「優雅な生活にかけるエネルギーが足りない」といういかにも、なところは今でも月面基地描写には欠かせない。
一般に「ハードSF」というと定義は「ハード」サイエンスを扱ったもの(誰だっけ、こんな曖昧かつ意味不明な用語作った奴は)だの問題の提示・解決などのすべてにおいて科学的裏打ちがしてあるものだのといろんな人がいろんな意見を持っているが、クラークの「ハードSF」は常に前進する。後ろに引かない。そしてそのときに決して人を置いていかない。いきなり途方にくれる理論を出して煙に巻くのが目的ではないところがクラークの良いところだ。もちろん、煙にまかれる間隔が好きな人もやとにかく用語が出てくりゃいいという人もいますが。
こんなクラーク風の作品を書ける人間、というのはなかなか少ない。「硬ければ」バクスターのように大統一理論のかなたに飛んでいってしまうし、「柔らかければ」ホーガンのようにトンデモも少し混じってくる。(まあ、どちらもそれがよいのだが。野尻抱介の諸作品は結構グッドかな クラーク作品へのオマージュもある)
古典SFなぞ読む必要はない!という意見も至極もっともである。こういう特殊状況を扱ったSFは新しい知識ですぐ古くなる。でも、こういう貴重なストーリーテラーがSFの基礎を構築している、そしてなおかつ今も存命である!ということは知っておきたいものである。
「2001年宇宙の旅」をただ名画だ名画だと言っているだけは…おぉっと、これは今回の議題には関係ないぞ
5・場所解説
「渇きの海」
…月面「霧の入江」シヌス・ロリス(月の表側左上の部分。表記によっては「露の入江」の地図もある)の一角に発見された細かい砂に覆われた盆地上の地形という設定。正式名称はないが、その特異性から「渇きの海」の俗称で通っている。あくまで設定で、インアクセシビリティ(直訳:到達不能性)山脈とともに、実在するかどうかは不明。ただし、長いこと月面の表面のチリ(レゴリス)はかなり深いと信じられており、NASAのスタッフの中でもアポロ11号の宇宙飛行士の第一声は「助けてくれ!」ではないか、というジョークがあったほど。ポート・ロリスは「乾きの海」のはずれにある。
「ポート・クラヴィウス」
…月面のフチのほうに存在する表側最大級の大型クレーター。「2001年」でもアメリカの基地があると言う設定だった。この世界で最大級の月面都市がある。
「海」
…一般に海と呼ばれる黒い面は溶岩が噴出して広がり、冷えて固まった面で比較的平らである。
「ラグランジュ1・2号」
…地球―月間のラグランジュ点・L2とL1にある中継ステーション。ラグランジュ点はオイラー・ラグランジュといった数学者が円制限三体問題を解いている際に発見した二つの天体の間の重力ならびに遠心力が均一になる点で、スペースコロニー建造に最適とされる。ラグランジュ2号はL1・地球側にあり、1号はかのサイド3と同じくL2・裏側にある。L2は地球の電磁波や光が完全に遮断されて天体観測には向いていそうだが、L1は地球と月に挟まれている。ローソン君、やはり人間関係の問題で問題部署へ島流しか?邪推だが。
6・毎回のことながら本編より長いかもしれないおまけ
「ルーニク2号」
(月二号・ルナ二号)
旧ソヴィエトが1959年に月に送り込んだ始めての探査機。一号はスカして月を通り過ぎていったが、二号は見事「晴れの海」に「硬着陸」。つまり月面に激突して吹き飛んだ。中にはソ連のペナントが入っていたとされる。<それ、探査機か?
この破片に地球由来の微生物が…という展開(クラークの短編「エデンの園のまえで」にもある)は、後にアポロ12号のクルーが先に着地していた無人探査機サーベイヤーを持ち帰って、実際に起こりうる事態だと認識されるようになった。他の惑星に行くときは生ごみをくれぐれも捨てないように。
クラークの他の月SF
「宇宙への序曲」
ズバリ「月へ行く話」 いや、「行くまでの話」。 月面旅行がTV中継される、というのはとりあえず正解。ただし、月に行くためにシャトル・原子力エンジン・リニアカタパルト・地球軌道ランデヴーとかなり大げさなことをやっているのは時代が時代だからいたし方あるまい。ちなみに月面着陸は設定上「1974年」 惜しいね!
「月に賭ける」(「天の向こう側」収録)
連作短編。米ソ英(!)の3チームが初の月着陸を目指す話から、月植物の考察、月面でのスポーツ、さらに商業(コマーシャル)利用までをユーモアで描き出した作品群。でも、コマーシャル利用ネタはハインライン「月を売った男」にもあったような…(しかも、商品もおなじコーラかい!!)
「地球光」
こちらはクラークにしては珍しい「宇宙戦闘」もの。タイトルは某作品劇場版のタイトルにもなったが、地球上の「月光」に対する言葉。月とは比べ物にならないくらい明るい。内容は、重金属資源の不足に悩む諸惑星連合と、結局金属を提供せざるを得ないが、コスト上の問題がある地球&月の間での緊張の高まる中の諜報戦、そして戦いが描かれる。ちなみにビームが(真空なので擬音が思い浮かびません)行き交う戦闘が繰り広げられるが、これはレーザーが実用化される前の話である。
「大気圏外では核兵器は直撃以外では意味を成さない」「ビームは真空中を飛んでも見えるはずがない、しかし、あまりに白熱するビームが月面を蒸発させるので、気化した岩石の蒸気がビームを乱反射させるからビームの筋が見える!」というハードSFファンには何やらさっぱりだが激しくこだわった描写はポイント。
戦争もの+SFミステリ(厳密な監視の中、どう情報をスパイに流すか)的な要素も大きいかな。
「前哨」(「前哨」収録)
いわずと知れた「2001年」の原型 月で発見されたピラミッド上の物体の発見までとその考察。
このほかにも「月生まれの月育ち」の話が何種類か、英国王室の宇宙時代の話、長編「神の鉄槌」での月面オリンピック・虹の入江マラソン、そして忘れてはならない「2001年宇宙の旅」のモノリスご対面など。
誕生日の一致確率
要は 1-{(364/365)×(363/365)×(362/365)×・・・・・×((366-n)/365)}を計算すればよい。nは集団の人数(当然ながら二人以上)である
40人いれば確率はほぼ90%になる。マッケンジー博士の言うとおり20人を越えたあたりで50%だ。覚えている限りでは小中学校だと、双子の場合を除けば2回あった。一回は生徒と担任が一致して、お互い複雑な表情でにらみ合っていたが。
同様の問題が東郷平八郎の「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝る」発言で、計算上は初回砲撃時約63%の確率で百発百中の砲は命中弾を食らう。もしそれぞれが一隻の船に積んであり、一発当たれば沈むと無理な仮定をしてみてもやはり相打ちになる確率のほうが高い。まあ、東郷さんは精神論を説きたかったそうで、こんなことしても意味はないのかもしれないんだが、一方でこの言葉に納得したままの多くの日本人がいたということも確かかも。
「
ウロボロスの波動」・各種仮想戦記の林譲治による「特型噴進弾『奮竜』戦記」はこの発言を学者さんに訂正された東郷さんが反省。「戦争には科学が必要!」と軍は痛感し、科学者・技術屋といったロケット野郎たちの熱きミサイル開発に賭けた奮闘が始まる…らしい。 おぉっ 激しく燃える展開だぁっ!
部会追加ネタ
クラークと植民地主義
アボジニ系の人に語らせている台詞をみても、やっぱりクラークってどちらかといえば肯定派と見られるわなぁ。
「超」印刷機?
セレーネ号が遭難した直後、モニターしていた基地のコンピューターが5秒間待機するシーンで
「それだけの時間があれば 国会図書館の蔵書を殆ど印刷することだって出来ただろう」とある。
月にはそんな化け物印刷機があるのか??!!それに、これ明らかにコンピューターの性能の問題じゃないぞ。
...と思ったが、要は"print"という単語の翻訳の上での問題かもしれない。
最終更新:2019年03月26日 00:06