小川 一水(おがわ いっすい)
1975年生まれの30(29?)歳。
1993年にデビューしてから1997年までの間、河出智紀と名乗っていた。
代表作としては、2004年に第三十五回星雲賞を受賞した『
第六大陸』(早川書房)があり、他にも『復活の地』(早川書房)、『導きの星』(角川春樹事務所)、『群青神殿』『ハイウイング・ストロール』(共に朝日ソノラマ)などの作品がある。
宇宙作家クラブの会員。
宇宙作家クラブ(SPACE AUTHORS CLUB)
1999年に創立された任意団体(法人じゃないってこと)で、小松左京が顧問を務める。
宇宙開発に興味を持つ作家やフリーライターなどが、個人では難しい宇宙開発の取材のために作られた団体。
活動内容としては、ロケットに関するトークライブを行ったり、小惑星に『小松左京』と名付けてもらって喜んでみたり、といったところ。
ギャルナフカの迷宮
登場人物
・テーオ・スレベンス…主人公。元教師。
・グンド爺…この迷宮を造ったグンデリオ・ギャルナフカ本人。自らの意思で投宮中。
・タルカ・アトワルカ…テーオの迷宮における最初の隣人。のちの妻。
あらすじ
テーオは刑罰として投宮刑に処される。投宮刑とは、食料と水のある場所が描かれた地図を一枚だけ渡されてギャルナフカの迷宮に送られることであった。この迷宮では、人々は地図を奪い合うために疑心暗鬼になっており、また人肉食らいが存在するためにそれに拍車がかかった状態にあった。そのなかで、テーオは自分が人間であるために社会を作り上げようと考える。
考察
この作品は、人類の歴史を実験室の中で繰り返したら…、というような話。社会を失った人間が、獣のような生活から徐々に文明を築いていく過程を追っていく、という内容であるのだが、冒頭の「投宮刑に刑期はない。」というセリフと、テーオが共同体を作ろうとし始めたことから物語の展開が予想できてしまったために、個人的にはかなり減点対象だった。
逆に、一度社会という共同体を失ったあとの人間がもう一度社会を築き上げていく過程そのものはなかなかに面白かった。人間が社会を築いてきたこれまでの歴史を知っている人々が、極限状態の中でどのような選択を行い、どのような社会を作っていくのか。その様々な社会の中で、主人公たちがどのようにして自分たちの進む道を選び、正していくのか、といった展開が無理なく広がる様子は人間に対する洞察をしっかり行って書かれていることを示しており、素晴らしいものだったと思う。まぁ、個人的には組織内の派閥争いなどがあってもよかった気もするが、短編では無理だったのだろう。
作品のラストに『家族が、五百の同胞が、そして、銃をおいた刑務官までがあとに続いてきた。』という文がある。迷宮のなかで培った彼らの強さと生き方は、亀裂の入っていた国家のあり方を変えてゆくのだ、ということを表したかった文章なのだろうが、さすがに刑務官がついてくるとは思えない。小川一水の作品は必ずといっていいほどハッピーエンドになるので、ラストでこういったまとめ方をするのは仕様なのだとはいえ、もう少し違和感を持たせないように工夫して欲しかった。どうしても刑務官をついてこさせたかったのならば、刑務官を囚人たちのあり方の正当性に刑務官が納得するような理由や根拠をもって説得する一場面が必要だったと思う。
ちなみに、この作品はどこらへんがSFなのでしょうか。やっぱり、ギャルナフカの迷宮そのものがSFでもなければ造れない、ということなのでしょうか?
参考までに。『無限の境界』(ロイス・マクマスター・ビジョルド)という作品が、この作品の設定に似ている(未読ですが)。主人公が閉じ込められた囚人たち(一万人)をまとめて政府に反抗する、という話らしい。
老ヴォールの惑星
登場人(?)物
・惑星のヴォール…サラーハ史上最も巨大で賢かった個体。
・距離のイーゴ…「老ヴォールの惑星」を見つけ出した個体。
・眠りのテトラント…眠り続けていたら一人だけ助かった果報者。果報は寝て待て!
あらすじ
ある木星型のガス惑星サラーハでは、毎日のように一種類の生命が自然発生していた。そんなある日、その惑星に彗星核が衝突し、多くの個体が死んでいった。この事件から近傍天体の観測が必要であることを学んだ生命体たちは、その観測の結果から惑星サラーハに惑星クラスの天体が衝突し、全ての生体体が滅んでしまうことを確認した。自らの死よりもその知識が失われることを恐れる種族であった彼らは、その知識を他の惑星の生命に託そうと考え、コンタクトをとろうと行動を開始する。
考察
他の惑星の生命体から見たファースト・コンタクトもの。宇宙のどこかからこの星にメッセージが届けられている、という妄想は多くのSFファンが共有する確かな願い(というか幻想?)なのだろう。この本の中では一番まともなSF(他の作品が悪いといっているわけではない)。これといった見せ場がないが、50ページほどというこの作品では逆にそれがテンポの良さとなっている。
また、これは地球から約33光年ほど離れたホット・ジュピターに住むデジタル生命体の話だが、この生命体たちは長命であるためか自らの命に対する執着が薄く、その一方でこれまで蓄えてきた知識と経験を失うことに大きな恐れを抱いている。このような設定であるからこそ彼らは自らの死に自暴自棄にならずに最期まで行動するわけで、単純な設定ではあるが、物語に違和感を持たせない設定だという点ではうまいと思う。
ただ、この作品の最大の難点としてサラーハの生命体の姿かたちがうまく連想できないという点がある。表紙にあるような姿なのだろうが、このかたちでは他の個体を丸呑みすることなどできそうにない気が…。イメージというものは物語を読む上での重要なファクターなので、この辺が曖昧なのは残念だった。
また、作品のラストで、やる気が失せていたテトラントが大使をやると言い出すまでの心理描写が足りない。最後の締めなのだから、もう少し彼の心理をしっかり描けばより良い作品になったように思われるだけに惜しい。
他に、この作品の疑問として計算の粗雑さがある。作中ではサラーハから恒星クーリシュまでの距離はサラーハ-サラフォルン間の八百万倍、光の往復に約一万二千日かかると表記されている。一方でイゴールは恒星ハリューム(太陽)まで距離はサラーハ-サラフォルン間の六百六十万倍で光の往復に八千日かからない、といっている。 『(660 / 800) x 12000 = 9900』 …って、あれ? 約一万日かかりますが…。これは誤差といえる範囲を超えているような…。どうやら、サラーハの生命体たちは星の動きを記憶にある映像だけで正確に認識できるほど抜群の記憶力を持っている反面、計算というものは大の苦手であったらしい。
最後に、小川一水はこの作品を書くにあたって、『異形の惑星 系外惑星形成理論から』(著:井田 茂、日本放送出版協会)という惑星形成理論解説本を参考にしている。内容は恒星の近くを光速で周回するガス惑星(ホット・ジュピター)や、常識はずれの離心率をもつ惑星(エキセントリック・プラネット)などを理解することで汎惑星形成理論にアプローチする、というもの。興味のある方はどうぞ。
蛇足だが、地球の直径は1万2756kmで、太陽までの平均距離は1億5000万km。木星の直径は約14万3000km、太陽までの平均距離は7億7800万kmである。光速を30万kmとして計算すると、作中の様々な値はかなり大きく誤差が出るのであった。
幸せになる箱庭
登場人物
・村雨 高美…地球外知性体とのファースト・コンタクトにおける知的学習層の代表。十九歳。
・エリカ・ストーンバーグ…同上。高美の恋人。
・クインビー…地球外知的生命体。女王蜂。
あらすじ
人類は月・火星への移住に続き、木星実航マッピング計画を行っている途中で、木星から物理資源を採集している小型機械(ビーズ)を発見した。このままでは木星の質量が減少し、いずれ太陽系の全惑星の軌道がずれてしまうことがわかった人類は、その機械の主に資源採集をやめてくれるように交渉を行うことを決定する。そして、交渉団の七人は、クインビーの母星で自分たちが理想として思い描いていたファースト・コンタクトを実現するのだが…。
考察
SFとしては結構ありがちな仮想現実を扱った作品。この題材を扱った作品はかなり多く、今年読書会をした作品の中でも『
ぼくらは虚空に夜を見る』(上遠野 浩平)や『
戦闘妖精・雪風』(神林 長平)などに用いられていた題材である。このほかにわたしがすぐに思い出せるのは『クリス・クロス』(高畑 京一郎)であろうか。ファースト・コンタクトと併せて用いられたというのは珍しいのかもしれないが、目新しさは無い内容である。しかし、既存の題材を巧くつなげ合わせて作られている、という点ではある程度評価できる作品だと思う。
この世界において、クインビーは何万もの知的生命体をトランザウト界に住まわせているという設定であるにもかかわらず、たった七人の交渉団をトランザウトさせただけで矛盾を発見されるような技術しか持っていない。こんな技術で億単位の人間の望みを叶える世界を創るなんて誇大妄想もいいところだと思っていたのだが、もし高美が自分の人生は誰にも操られたくないという願望を持っていたとするならば、高美とクインビーの交渉すらもクインビーが創り出した幻だったかもしれないわけである。このように考えていくと、どこまでがトランザウト界の話かわからなくなり作中の展開に突っ込んでいくことなどできなくなってしまった。
次に、高美とクインビーのやり取りについて考えてみる。クインビーはトランザウト界を全肯定する発言を繰り返し、感情をもってクインビーの意見を退けようとする高美の反論を封じてしまうのだが、このクインビーのセリフがどうにも小川一水の意見を表しているような感じを受ける。クインビーの主張は、どれほど望んでも失敗してしまう可能性を持つ現実世界よりも、望めばその分だけ確かに報われる世界のほうが幸せだろうというもの。この主張は、小川一水の作品の傾向でもある。つまり、クインビーにとってのトランザウト界が、小川一水にとっての小説なのだろうなぁ、と。
最後に、いないとは思うが『ラプラスの魔』を知らない人のために簡単に紹介しておく。
ラプラスの悪魔(Laplace's demon)とは、主に物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想される超越的存在のことで、世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができるような悪魔がいる、という考え。古典物理学の成果によって、これらの原子の時間発展を計算することができる。つまり、この悪魔はこの先世界がどのようになるかを完全に知ることができるのである。もっとも、後に登場した量子力学によって原子の運動は確率的な挙動をとることがわかり、その存在は否定されてしまった。ピエール=シモン・ラプラスが提唱した。
漂った男
登場人物
・サヤト・タテルマ…主人公。少尉。ただいま漂流中。そのくせ、最終階級は大佐。
・ヨビル・タワリ…中尉。イービューク基地救難隊所属。タテルマの良き友人になる。
・ワティカ…タテルマの妻。
あらすじ
タテルマは超高空から惑星イービュークを偵察中に事故で海面に墜落してしまった。幸い怪我はなく、救助を待つだけだ、と思っていたが、なんとイービュークは惑星の表面すべてが海で覆われており、タテルマの現在位置を割り出せないという。海のもつ栄養が人間の生命を保つのに十分であることが分かったことから、タテルマは小型通信機Uフォンによる会話だけでいつ来るか分からない救助が来るまでの時間を過ごさねばならなくなる。
考察
押忍! この物語がつまらなかったなどということをいうヤツがいらっしゃいましたら、ただちに名乗り出やがってくださいコンチクショウ。極真空手部としての意地を賭けた渾身の正拳突きをお見舞いしてやります。
というような戯言を言いたくなるくらいに、わたしのこの物語に対する評価は高いです。正直、この話に対してわたし如きが(感想程度ならともかく)レジュメを作るなどおこがましい気がするのですが…。やめていいですよね?っていう訳にはいかないので一応書いてみます。
まぁ、とりあえず、感じたことを一つ。小川一水は『三年寝太郎』のファンなのでしょうか。老ヴォールでも、この作品でもただ寝ていただけのやつが何かしらおいしい目にあっています。いや、この作品の主人公が決して幸せ者ではないのは解っています。しかし、最終階級は大佐ですよ? 悟りを開いてから何年もただ浮いていただけで、いつのまにか更に階級が一つ上がっているんですよ? ホント、なにかしらの作為を感じずにはいられません。
(部会の結果、この作品はひきこもり万歳なのだ、という結論に至りました。)
また、これまでも書いてきたのですが、今回もラストで無理矢理ハッピーエンドにもっていかれました。ハッピーエンドそのものは好きなんですが、無理矢理はちょっと…。正直な話、タテルマにアーソンに戻ってきて欲しいと願ってくれる人があんなにいるとはおもえないのですが。とはいえ、この作品に関してはそんな些細なことは気にならないくらい巧くまとまっているので、まぁいいかな、と。(気に入った作品のときだけ弁護にまわります。)
しかし、主人公はただ浮いて、喋っているだけなのに、これほどの作品に仕上げられるとは…、目から鱗が落ちる思いです。
P.S. どうでもいいですが、ワティカさんはタテルマが言うほど良い奥さんだとは思えません。皆さんはどう感じたのでしょうか。
さて、この作品に対して敬意を表し、この考察だけは丁寧語でお送りしました!
総評
わたしが読んだ日本人によるSFの中では、かなり面白い部類に入ると思う。
四作品すべてに共通するテーマは、『理不尽にも困難な状況に追い込まれた主人公たちが、周りの人々と手を取り合いながら困難に立ち向かい、自分たちの生きる意味を見つけ出す。』といったものだろう。まぁ、それはテーマじゃなくて作風だろ、と言われたら全くもってそのとおりなのだが、このテーマは間違いなく小川一水が大好きなもの。わたし個人の意見としては、小川一水は『哀川潤』や『衛宮士郎』と同じ感覚を持っているように感じる。(この二人の名前に見覚えがない方。貴方は正しい人生を送っている可能性があります。決して知ろうとしてはいけません)。つまり、「苦労したヤツは、その分ハッピーエンドじゃなきゃ認めねぇ!」というアレである。青臭いという意見もあるのだろうが、ここまで来たからには最期までこの路線を突っ走って欲しいものである。
最終更新:2019年03月26日 00:03