名前のない怪物 ◆devil5UFgA
どうやら、俺の望んだ御伽話は死んでしまったらしい。
◆
蒼黒の長髪を風に棚引かせ、色を失ったように蒼白に輝く槍を持ち、純白の鎧を纏った戦士。
握った槍のように鋭さを持った、黄疸に溜まった白濁の瞳が眼下に広がる光景を認識する。
ケルト神話に名だたるアイルランドの大英雄、妖精クー・フーリン。
本来ならば召喚すべき手順を簡略・省略して顕界した真正にして偽証に塗れた悪魔。
近代科学の粋、現代に蘇ったソロモンの鍵。
ザ・ヒーローの所有する宝具、『悪魔召喚プログラム<デジタル・デビル・プログラム>』。
ハンドベルトコンピュータから発信された情報は、宇宙遙かへ跳び、償還すべき悪魔情報の発信を促す。
発信された悪魔の構成情報は端末を通じて受信され、周囲の空間に存在する暗黒物質を編成させる。
暗黒物質、すなわち第六架空要素の近似物質である『マグネタイト』。
人に憑き、その願いを歪んだ手段で叶えてみせる、肉の世界とは異なる次元に生じる物質。
発生したマグネタイトをタンパク質などに変えて悪魔の肉体を構築する。
そのマグネタイトは、驚くほど簡単に入手できる。
何故ならば、あらゆる生命体が悪魔の標的となっている以上、マグネタイトとはあらゆる生命体が所持しているのだから。
「さて、と」
ヒュン、と。
手に持った蒼白の槍を翻す。
夥しいほどの敵意を感じる。
英雄クー・フーリンの貶められた一面である妖精クー・フーリン。
その本質そのものが変質してしまった、堕ちた英雄。
英霊として崇められる地位から、悪魔として蔑まれる場所へと貶められた存在。
堕ちた英雄は好戦的な笑みを浮かべ、校庭に広がった人混み目掛けて足を踏み入れようとした瞬間。
「……なんだ」
その脚を止めた。
側に感じた強烈な魔力の出現に、止められたのだ。
蒼白の槍が向けられる先、本来は立入禁止であるはずの校舎屋上に立つ一人の青年。
その服装は、指定の制服でも教師然とした公的な服装でもない。
黒いフードを被った、茶色に染まった髪が除き見える男だ。
体格は細身であり、日本人男性としては平均よりは少々高い。
それでも、大英雄たるクー・フーリンと比較すれば、余りにもか細い。
「出会い頭に『なんだ』とは、穏やかじゃないねぇ」
笑いながら、フードを取る。
穏やかな顔つき、整ってはいるが覇気と呼べるものはない。
街を歩いていれば間違いなく目を引くが、畏怖を覚えさせる超常の雰囲気は存在しない。
「なるほど、テメエみたいなのがマスターの言う『敵性サーヴァント』ってやつか」
「そういうアンタもサーヴァント……ってあれ、そういうのじゃない感じ?
じゃあ、戦う必要もなかったりするのかな」
クー・フーリンに立ちふさがる眼前のサーヴァントはとぼけた様子でつぶやく。
そして、無骨な指輪を嵌めた自身の片手を、ベルトのバックルに手をかざす。
――DRIVER ON――
――PLEASE――
すると、魔術的な指向性を持った電子音声が響き渡る。
同時に、通常の飾り気の少ないバックルは、突如として奇妙な手形のバックルへと変化した。
左手を翳したまま、指輪のサーヴァントは右手でバックルのガジェット部分を動かしてみせた。
――CONNECT――
指輪を嵌めた手を虚空に差し出すと、その手は歪んだ空間の中へと消えていく。
蒼白の槍を持つクー・フーリンの手に力が篭もる。
目の前のサーヴァントは何喰わぬ顔で右手を戻すと、そこには先程まで存在しなかった紙袋が握られていた。
「親交の証に、表と裏が逆になっているプレーンシュガーを差し上げよう」
早速とばかりに紙袋から取り出したものは、ドーナツだ。
表と裏が逆だ、と笑いながらくるくるとドーナツを見せびらかすように動かす。
「宝石魔術の使い手……キャスターのサーヴァントと見た」
「見ての通り、ね。色々と出来るかもしれないよ」
クー・フーリンの推測通り、指輪に込められた術式とベルトのバックル――――ウィザードライバーによって魔術は発動する。
この指輪のキャスターは魔術発動に要する自身の詠唱を指輪とドライバーというガジェットに預ける類の魔術師だ。
それだけわかれば十分だ、とばかりにクー・フーリンは前傾姿勢を取る。
闘士湧き出ると言わんばかりのクー・フーリンに対して、指輪のキャスターは小さく口笛を吹いてみせた。
「おっと、『容赦はない!』ってやつ?」
「やることは一つだろう、そのために、テメエもわざわざここまで来たんだろう?」
「いや、サーヴァントにしては明け透けな気配に気になったってのもあるし、偵察っていうマスターからの命令もあるんだけど……
話し合いでもいいかな、って俺自身は思ってたわけ」
「話し合いが成立しない、なら、どうする?」
「それならやることは一つだ」
そう言うと、左手に一つの指輪を嵌め込み、装飾と思しきパーツを動かす。
さながら仮面のような形状へと変化した指輪を、もう一度ベルトのバックルへと左手を翳した。
ベルトのバックルから『歌』が流れだす。
これが魔術礼装だというのならば、なんらおかしなことではない。
始原の時代、言葉に境界は存在しなかった。
そして、音の連なりが生む『歌』こそは境界の存在し得ぬ言葉。
すなわち、聖なる四文字を翳す唯一神が砕いた言葉の欠片。
魔術的干渉を行うならば、『歌』以上に優れた媒体は存在しない。
―― Sha-Ba-Do-Bi TOUCH HEN-SIN!!Sha-Ba-Do-Bi Touch HEN-SIN!!!――
使用者が『歌』に込められた意味を理解せずとも、原初の言葉である『歌』は効果を発揮する。
何故ならば、原初の言葉とは世界そのものに働きかける言葉なのだから。
―― FLAME ――
定石の歌の後、宝石に込められた術式を解読し、宝具『呪文詠う最後の希望<<ウィザードライバー>>』が呪文を唱える。
先に歌い上げられた呪歌に一つの単語を加えることで、宝石に込められた術式が完成する。
指輪のキャスターの左隣りに、一つの魔法陣が浮かび上がる。
この魔方陣こそが指輪、ウィザードリングに込められていた術式そのものなのだ。
―― PLEASE ――
指輪のキャスターを促すように、ウィザードライバーは音を発した。
そのまま、ウィザードリングを嵌め込んだ左手をかざす。
磁石が結びつくように、魔法陣が指輪のキャスターの身体へと迫ってくる。
顔に不敵な笑みを浮かべ、指輪のキャスターの身体を魔法陣を包み込む。
―― 『火』『火』『火』『火』『火』――
『火』という五大元素の一を、ウィザードライバーは連なる音に載せて歌う。
そこに現れた魔術礼装を身に纏った一人の『魔法使い』の姿。
黒い外套と、頭部全体を覆う仮面に、燃えるような紅い複眼。
始原の時代、奇跡としか思えない事柄が溢れかえっていた世界。
その時代から連なる、ある類の魔術師のことを、従来の意味とは異なる意味合いで人は『魔法使い』と呼んだ。
「さぁ――――」
右手で左手首を締めるような動作をし、腰元のウィザードソードガンという兵装を構える。
クー・フーリンが頬を釣り上がらせ、指輪のキャスターは己の刀を舐め上げるように撫でてみせる。
視線と視線が交錯した、その瞬間。
「ショータイムだ」
英雄と悪魔。
二つの『異常』が、学校の屋上でぶつかった。
◆
突如として生じた、凄まじい音。
タイヤがパンクした時に生じる破裂音に似た、しかし音量は比較にもならない爆音だった。
その音に、校庭に集まった少年少女のざわめきが増す。
「落ち着け、静かに帰宅の準備だ」
まだ若い、体格の良い男が生徒たちを促すが、ざわついたまま歩みを止める。
動揺というよりも、好奇心に溢れた様子だった。
「……ちっ」
『聞こえてるぞ、不注意極まりないな』
「黙れ、貴様に言われずともわかっている」
一方で、破裂音の意味を知っている一人である、
ふうまの御館は小さく舌打ちをした。
間違いなく、サーヴァント同士のぶつかりが存在したのだ。
しかも、舞台は屋上と見た。
面倒事が起きる前にこの場から離れてしまいたいが、しかし、下手な行動は出来ない。
どこで他のマスターが見ているのかわからないのだ。
それこそ、先ほどの舌打ちこそ信じられない程の失態だ。
それを理解しているからこそ、自身のサーヴァント、怨霊のキャスターの忠告に反発してしまう。
『仮面の男と、蒼白の槍を持った男だ。
……しかも、驚いたな』
「なんだ、端的に言え」
怨霊のキャスターは見鬼として優れた才を持っている。
己の放った式と視界を共有し、一級の魔術師である指輪のキャスターとルーン魔術に秀でたクー・フーリンに気取られることなく監視を成功させていた。
怨霊のキャスターは常として含むような口振りを好む。
そして、その口振りをふうまは好まない。
ク、ク、ク、と怨霊のキャスターは音を立てて笑う。
『これは面白い、片方はサーヴァントではないぞ』
「……使い魔というやつか?」
『うむ……間違ってはいないだろう。
間違ってはいないだろうが……それを肯定することは、中性子爆弾を重火器と呼ぶような違和感が生まれてしまうな』
喉を震わせて笑う加藤に釣られたように、目の前の教師の背中がブルリと震えた。
怨霊のキャスターの声が聞こえているわけもなく、身体が見えているわけもない。
『フ、フ、フ……』
「ぶつかり合って両者ともに潰れてくれれば都合が良いが、上手く行きそうか?」
『どちらかが消える可能性は高い。
今の状況ならば、サーヴァントでない方が幾分か利がある』
「利、だと?」
『地の利と――――数の利だ』
そのまま、カサカサに乾いた唇をゆっくりと動かす。
ゾクリ、と周囲の気温が下がったような気がした。
怨霊のキャスターの一挙一動がおぞましさを想起させる。
ふうまは、未だにこの怨霊のキャスターの妖気に慣れないままだった。
『セ・イ・メ・イ』
「……なんだ?」
『誘っているだけだ・『アレ』にとって、あの名は心穏やかになれるものではないだろうさ』
やはり、喉を震わせて笑ってみせる。
怪訝な表情を隠そうともせずに、ふうまはそれとなく周囲を見渡す。
忍びの者として、そして、泥の中から這い上がるため。
鍛錬に鍛錬を重ねたふうまでも、ざわつく生徒と教師の気配しか感じ取られない。
「……ん?」
しかし、ふうまは違和感を覚えた。
音とは別方角。
影の中、蠢く気配。
耳を澄ませば、奇妙な音が聞こえる。
そして、心のなかを高揚させるような音だ。
目を凝らすと、そこに一匹の獣を見えた。
『ようやく気づいたか』
「狐、青い毛並……妖狐というやつか?」
『物事を正しく認識しろ。
この世の全ては無数に存在する認識の共通集合の結果だ』
「お前の言うことは、とにかく回りくどいんだよ」
『……フゥ』
ふうまの言葉に対して、大きな失望を隠そうともせずに怨霊のキャスターは溜め息をついた。
ふうまは忍術や魔に近しいが、研究者ではない。
だから、実感はしていても理解できていないのだ。
『良いか、この世は『肉の物質』で構成され、『肉でない物質』を隠している。
『言葉』とは、この世界で肉ではない物質に親しいものなのだ。
その存在の真名を、正しく認識しろ。
古来、死者や権力者の正しい名を隠蔽していた、『諱<<いみな>>』というものだ。
名は体を表すとも言い、また、契約の呪法に置いて署名は強い拘束性を持つ。
『真名』とはな、それだけでその存在の根底に関わるものだ。
我々が真名を秘匿し、『霊体』という肉の檻から離れたためだ。
肉は己の真とするものを隠すが、霊体である我々はその真とするものが剥き出しとなる。
まくし立てるように言う怨霊のキャスターの言葉を、ふうまは半分も理解できてない。
ふうまからしてみれば、キャスターの言葉は総じてロジックの振りをしたオカルティックだ。
『浅い見地に居る、西洋の魔術師たちはそれが歴史的見地による弱点の露呈と語るが、それは違う。
『広く知られた真名』とは、それだけでその霊体の方向性を決定づけてしまうのだ。
そして、お前の『邪視』は、その『真名』を正しく見ぬいた時に悍ましき虹彩を放つ。
『器』に隠しこんだ我々の真名を、お前は知る必要がある』
しかし、今のこの場こそがロジックで固めたオカルティズムなのだ。
目的にたどり着こうと思えば、このイカれた呪術師の論法を肯定をしなければいけない。
「器、か。
剣士<<セイバー>>、弓兵<<アーチャー>>、槍兵<<ランサー>>、騎兵<<ライダー>>、魔術師<<キャスター>>、暗殺者<<アサシン>>、狂戦士<<バーサーカー>>。
英霊を再現するために用意した七種の器、だったか」
『正確には、七種にさらに特殊な器がいくつか用意されている。
特殊な役割を行っていた、その存在のある一面を明確に映し出すための特殊な器だ。
『強い』、『弱い』……そう言った言葉とは切り離された、特殊な存在を顕現させるために必要とする器だ』
「エクストラクラスのサーヴァントか」
『では、話を戻すぞ。あの狐だ。
アレはサーヴァントではないが、サーヴァント、いや、英霊に近しい存在だ。
アレこそ、『広く知られる』ことで『歪められ、結び付けられた器』に閉じ込められた英霊の極地と言える』
視線こそ向けず、唱うように周囲に悪意を巻く存在について語り始める。
目下のところの問題が、あの狐だ。
(しかし、そこまで行くまで長かったぞ)
語りたがりのサーヴァントにそう言ってしまえば、また倍の時間がかかるだろう。
ふうまは口を閉ざし、目で怨霊のキャスターに続きを急かした。
『アレはな、『お稲荷さん』さ。
この日本で最も有名なお狐さまだろう。
荼枳尼天……加護を得るためには、命と信仰を最期まで求める、嫉妬深き神。
天に煌く太陽とは一つきりであるために、己の存在以外に目を奪われることを許さない。
日本の奥地の奥地では、天照大御神とも同一視させる存在』
神仏習合。
土着の信仰を潰さず、しかし、姿を変えて信仰に潜り込むことで新たに信仰を得る方法は珍しくない。
仏教にしてもそうだ。
明治以前、廃仏毀釈運動が行われる前、神社の神事を近所の寺院の坊主が執り行うことなど珍しくなかった。
それは奥地に行けば行くほどそうだ。
もはや、神道と仏教といった括りで分けることが不可能なほど、あらゆる教えが混ざり合って生まれた新しい邪教が溢れていた。
すなわち、神仏の類はあらゆる関連性を持つ。
ダキニ天が大日如来の化身であり、大日如来が太陽の神格を持つことで天照大御神と統合された。
ダキニ天は霊狐を駆る。
霊狐とはダキニ天の使いであり、使者であり、化身である。
稲荷を奉ることは荼吉尼天を奉ることなのだ。
『そのダキニ天がな、魔術を展開している。
精神感応の類だ、アレらしい周囲を高揚させ、惑わせる類のものだ』
「魔術だと……!」
『何、心配するな。
お前につけた『蟲』がその魔術の影響を引き受け、お前の精神にはなんの影響もない』
「……ちょっと待て、そんな話は聞いていないぞ!」
『言っておらんからな……害はない、魔術に対する避雷針のようなものだ』
狐から目を離し、怨霊のキャスターへと問いかける。
怨霊のキャスターは蟲術を得意とする呪術師だ。
毒と呪いを箱のなかに閉じ込め、全ての呪いと執念を一つの存在へと注ぎこむ。
それは怨霊のキャスターの有様そのものだ。
「くそっ、なんだ、俺の中にサナダムシでも居るのか!?」
『何度も言うが、お前に害はない、心配するな』
「気持ちの問題だ!気色が悪いんだよ!」
ふうまの非難の声をどこ吹く風とばかりに受け流す怨霊のキャスター。
怨霊のキャスターを忌々しげに睨みつけるふうまも、やがて諦めたように周囲の警戒を強める。
監視は無数の目を持つキャスターが行う。
ならば、自らは他者に異常を悟られないようにするだけだ。
仕掛けてくるならば別だが、敵方も静観を決め込んでいるのならば、わざわざ藪を突く必要はない。
『……ム』
「今度はなんだ!」
キャスターの、己だけがわかっている反応に痺れを切らし、小さくだが声を荒らげる。
だが、今度はキャスターに笑みは存在しない。
薄い頬を引き締め、鋭い瞳はさらに鋭さを増し、虚空を眺めている。
『……そう言った類のサーヴァントか』
「……こっちの様子を気づかれたのか?」
怨霊のキャスターの変化に、ふうまは顔を引き締める。
突如として退っ引きならぬ威圧感が生じた怨霊のキャスター。
監視を気取っていたが、気づかれたのかもしれない。
『いや、あくまで標的は目の前の名状しがたき、サーヴァントではない敵なのだろう。俺と貴様には気づいてもいない。
ただ……』
「ただ?」
その時だった。
ぞわり、とふうまの背筋に冷や汗が走る。
先ほど、異常を見せないようにと決めたばかりなのに、思わず上空を睨みつけてしまいそうな悪寒だった。
見ずとも分かる、上空には何かが居る。
その正体を、ふうまはおおよその見当がついた。
竜種とよく似た、しかし、決定的に違う威圧感。
『俺の宝具が裏目に出たか。少々不味いな。
真の竜には到底至らぬ亜竜止まりの魔獣だが』
――――ある意味では、これ以上ないほどに幻想としての竜でもある。
◆
先ほどまでの闘いでは、圧倒的にクー・フーリンが有利。
手数が違う。
指輪のキャスターが一度剣を振るう間に、クー・フーリンは二度槍を振るう。
それでもキャスターとクー・フーリンの戦闘が長引いている理由は一つ。
―― Ru-Pa-Chi MAGIC TOUCH GO! Ru-Pa-Chi MAGIC TOUCH GO! ――
瞬間、クー・フーリンの脚が止まる。
そして、槍が再び凄まじい速さで動くと同時に、周囲に魔法陣が現れた。
―― BIND ――
この補助魔法だ。
クー・フーリンが『決め』にかかる瞬間、周囲に魔法陣が浮かび上がり、金属の鎖が拘束せんと襲いかかる。
「鬱陶しいぞッ!」
速さにこそ長所を持つクー・フーリンは瞬時に鎖を薙ぎ払う。
単なる拘束の鎖だが、タイミングが神がかっている。
恐らく、このキャスターのサーヴァントは一対一の戦闘に慣れている。
一騎打ちとは戦争とはまた異なる闘いだ。
これが軍を率いて戦うのならば話は別だが、現実は一対一の一騎打ち。
一騎打ちには一騎打ちの呼吸が存在し、戦争には戦争の呼吸が存在する。
キャスターとてクー・フーリンとも十分に戦うことができる。
現に、もう一度仕切り直しとばかりに距離を取られている。
「ちっ……おい、このままじゃテメエのジリ貧だぞ! わかってんのか!」
すでに最初の屋上から別の場所へと移っている。
クー・フーリンの攻めに対応できず、キャスターが後退を続けたがためだ。
クー・フーリンが痺れを切らして、しかし、愉しそうに叫ぶ。
指輪のキャスターはと言えば、そんなクー・フーリンの言葉に対して反応する様子を見せず、腰元の指輪に触れる。
「……」
「だんまりかよ」
ウィザードへの警戒を解くことはせず、蒼白の槍を翻す。
ヒュン、と風を切る音が響くと、指輪のキャスターはクー・フーリンへと視線を戻した。
腰元の指輪を手に取り、左手の指にはめ込む。
「ああ、悪いね。なんか、変な感じがしててさ」
「あん?」
「いや、こっちに来てからずっと思ってたんだけど、そういうもんなのかなぁって気にしてなかったんだ。
ただ、実際に戦ってみると、こいつは……」
「何が言いたい」
「ハハ、簡単な話さ」
指輪のキャスターが再び宝具を展開する。
電子音声が音を奏で、誘惑するように妖しく光る。
手形に彩られたガジェットへと指輪を嵌め込んだ左手を翳し、宝具を起動させた。
―― Ru-Pa-Chi MAGIC TOUCH GO! Ru-Pa-Chi MAGIC TOUCH GO! ――
「ここからが本番ってことさ」
―― DRAGO RISE ――
天高く、世界へと通告する如く響き渡る呪歌。
始原の昔より積み重ねてきた魔術と人知の粋、最後の希望とはすなわち歌である。
特殊な言葉を特殊な音と間を用いて、世界へと発散する。
そこで起こる世界を変化させる事象が魔術なのだ。
『――――相変わらず面白い、奇妙なことにばかり巻き込まれおって』
空からやってきた幻想は、竜の姿を形作っていた。
まるで鎧のように金色に光る一部の皮膚と、全体を覆うメタリックカラーの皮膚のコントラスト。
見るものに荘厳さを感じさせるその姿は、しかし、闘志を隠そうともしない。
「英霊なんて柄じゃないんだがね、約束しちまったもんだからさ。
マスターの最後の希望になっちまったんだ」
指輪のキャスターが使役する、ともすれば、指輪のキャスター自身も喰い潰してしまう余りにも猛々しい魔物。
本来ならば、指輪のキャスターの心象風景に存在し続けるだけの、幻魔、『ファントム』と呼ばれる人の心の中に棲まう魔物だ。
人知を越えた魔力量は、指輪のキャスターの核となり、その魔術の行使をサポートする。
そして、心象世界へと入り込めば実体化し、キャスターとともに敵を焼き払う。
この『東京』が魔人の拓いた『固有結界』であればこそ、現れた竜。
指輪のキャスター――――
操真晴人/仮面ライダーウィザードの宝具。
「だから、力を貸せよ……『心淵に棲まう竜<<ウィザードラゴン>>』」
『俺の力は常にお前とともにある!
お前が俺にとって愉悦をもたらす限り、それは永遠だ!』
「面白いもん持ってんじゃねえかよ、おい!!」
雄々しく吠えたウィザードラゴンを前にし、クー・フーリンが興奮を押し隠そうともせずに叫ぶ。
怯みもしない様子に、キャスターは仮面の奥で苦笑を浮かべる。
「しかし、参った参った……本当に出せちまうと、マスターに怒られちゃうな」
「竜……! ドラゴンスレイヤーってのも面白いかもなぁ!」
それでもなお闘志沸き立つ。
ある意味では、戦闘に目を曇らせている。
英雄クー・フーリンならば、あらゆる視点からあらゆる駆け引きを繰り広げる。
しかし、この悪魔は目の前のキャスターとの戦闘に身を費やしている。
悪魔へと堕ちるということは、そういうことなのかもしれない。
二騎の英雄が撃ちあう中、燦々と紅に染まった不可視の満月が煌めいていた。
◆
「なに、アレ?」
その声が誰の声なのかは、柚子にはわからなかった。
現に今でも分かっていないし、元々分かったところで意味など無い。
ただ、重要なのは声が見つけた『モノ』だ。
柚子は釣られたように上空へと目を向けた。
「なっ……!?」
「ん、どしたの? えっ、ちょ、本当になんだアレ!?」
釣られるように顔を上げた友人の木原篤郎の動揺の声を聴きながら、柚子は絶句する。
わかる、アレはただの動物ではない。
間違ってもそんな陳腐な生命体ではない、柚子たちと同じ法則で生まれたものではない。
それは、『あの東京』で生き延び続けた柚子ならば簡単に分かる。
あれは、あれは。
『悪魔』だ。
「すっげー、ドラゴン? ドローン? 新手のSFガジェット?
日本やっぱ未来に生きてんな。
何センチぐらいだ……?かなりでかいよな、メートルある?
ドローンっていうかロボットじゃん」
柚子が動揺のあまり言葉も出せない横で、アツロウは感嘆の声をあげながらCOMPのカメラ機能を使って連写を続ける。
とっておきの一枚を撮るというよりも、とにかく数を撮ってその中から比較的綺麗に撮影されたものを残すという類の撮影法だ。
そして、背後から艶やかな声が響く。
『亜竜の類ね』
「……あ、亜竜?」
『亜竜、デミ・ドラゴン……竜の紛い物。竜種と言っても下級の竜と考えてくれて構わないわ。
あの竜は、恐らくそういう竜よ』
柚子のサーヴァントである裏切のアサシンが、艶やかな濡れ羽色の髪を揺らしながら語りかける。
怨霊のキャスターが見立てた先ほどの観察よりも一歩浅い観察。
戦国の時代、幻獣相手ではなく、人と人との闘いに凌ぎを削っていたアサシンには仕方のないこととも言える。
『どうする、マスター? 竜以外にもサーヴァントやおかしな気配もするけど』
「……このまま、離れるに決まってるじゃない。なんで、あんなのと関わらなきゃいけないのよ」
柚子は現実から目を背けるように、上空を飛ぶ亜竜から目を逸らした。
そして、パン、と手を叩き、そのまま乱暴にアツロウの背中を押していく。
「ほら、帰ろ!せっかく早く帰れるんだからさ!」
「ちょ、押すなよ!ソデコ!」
慌てた様子でCOMPを仕舞いこみながら、渋々といった様子でアツロウは歩みを進める。
柚子にしても、ここから立ち去ることばかりを考えて、周りを見ていなかった。
竜を注視し、視線を鋭く研ぎ澄ませる
峯岸一哉の姿を。
柚子は気づいていなかった。
◆
人々の心の海に住む竜に駆る、宝石魔術を操る仮面の騎士。
それだけで真名が察せられることが出来そうなほどの、全力。
ウィザードラゴンと、自身のバイクであるマシンウィンガーを融合させ、龍を駆る。
ドラゴンライダーとしての一面も持つ指輪のキャスターは、宙を泳ぎながら地に立つクー・フーリンへと攻撃を開始する。
―― Ca-Mo-Na! SHOOTING-SHAKE HANDS!――
ウィザードラゴンの背に跨がり、自身の兵装であるウィザードソードガンをソード・モードからガン・モードへと変化させる。
そのまま、ウィザードソードガンに備え付けられた手形のガジェットへと指輪を翳した。
―― FLAME! SHOOTING STRIKE!――
――『火』・『火』・『火』――
――『火』・『火』・『火』――
炎を纏ったウィザードソードガンを構え、容赦なくトリガーを引く。
銃口が存在しないその銃は超高温の炎を銃弾さながらにはじき出す。
上空から炎弾が降り注ぎ、クー・フーリンは蒼白の槍で質量の存在しないはずの炎弾を弾きのける。
魔槍の代表格である『刺し穿つ死棘の槍<<ゲイ・ボルグ>>』ならば、神秘を以って炎弾を弾き返すことぐらい容易いことだ。
「埒が明かねえ……もうかなり離れちまったし、やるしかねえか……!」
すでに移動に移動を繰り返し、東京第一高校の校舎屋上からは離れている。
それに合わせて、サポートとしてともに召喚された『仲魔』も移動していた。
『ハピルマ』、感情を向上させる魔術を使用するための仲魔だ。
戦闘意欲に対する高揚、恐怖よりも先に好奇心を抱かせる精神の方向性を指定する魔術。
「オラ、降りてこいや!」
「降りたらあんた、俺のこと殴っちまうだろ?」
「殴りゃしねえよ! むしろ、降りなきゃきつい一発やるから、今のうち降りてこい!」
「降りたら降りたで刺しちまうだろう?」
「当然だ!」
降り注ぐ炎弾を難なく捌きながらも、上空への攻撃方法が限られているクー・フーリンは怒りを隠しもせずに叫ぶ。
そのまま、右脚に力がこもる。
大きく隆起した右脚。
クー・フーリンは炎弾を弾き飛ばしながら、その槍を突如として手放した。
重力に従い、ゆっくりと地面へと落下していく。
蒼白の槍が地面とキスをする直前、クー・フーリンの右の足指が槍の柄を掴む。
「刺し穿つ――――死翔の槍<<ゲイ・ボルグ>>!!!」
右上段回し蹴り。
指で掴むという弱々しいはずの握りは決して離れない。
天高く、投槍とはとても思えない、傍目から見れば稲妻を連想させる神速の槍。
クー・フーリンの肉体ほどに膨れ上がった
「なっ!?」
『むぅ!?』
地から天へと昇る稲妻とも呼ぶべき投槍。
耐えずに炎弾を放ち続けていたがために、視界を遮られている。
その槍が正確に放たれていたならば、死は免れなかっただろう。
しかし、現実はキャスターとウィザードラゴンのわずかに横を飛び交っていった。
生じた衝撃波でウィザードラゴンが大きく慄く。
「だぁ、クソが!」
不十分な体勢からの投擲であり、『悪魔』という貶められた霊格からの変貌。
『必中』を代表として多数の概念を有していた槍は、『神速』という概念のみに堕ちている。
悪魔の記憶の中にある本来の結果とは異なる結果。
しかし、戦場とは一秒ごとに状況が変化し、妖精クー・フーリンは戦場を駆ける大英雄の堕ちし魂。
投擲の次の瞬間には別の行動へと動いていた。
衝撃波に姿勢を崩し、立て直そうとするウィザードラゴンへと飛び向かい、その鉤爪を掴みとる。
グラリ、とウィザードラゴンの体勢があからさまに傾く。
山脈のように盛り上がった背筋が蠢き、蠢きに合わせてウィザードラゴンの体勢は崩れていく。
器用なもので、クー・フーリンはその肉体を素早く動かし、ウィザードラゴンの背中へと乗り込んだ。
ウィザードラゴンの背の上で、指輪のキャスターとクー・フーリンが向かい合う形となった。
「ッ!」
指輪のキャスターはウィザーソードガンの引き金を素早く引く。
そして、三発、エーテルの塊とも呼べる魔術的な質量弾が放たれた瞬間にウィザーソードガンのガジェットを発動させる。
―― Ca-Mo-Na! SLASH-SHAKE HANDS!――
ガンモードであったウィザーソードガンがソードモードへと変わる。
しかし、遅い。
クー・フーリンは苦し紛れの銃撃など、当たりはしない。
機敏な動きで全て避けた後、弓をひくように大きく拳を振り上げた。
「殴りに来たぜぇ……!」
強烈な一撃が指輪のキャスターの仮面へと直撃した。
たたらを踏む指輪のキャスターと、すぐさまに拳を振り戻して二撃目を放つクー・フーリン。
―― Ru-Pa-Chi MAGIC TOUCH GO! Ru-Pa-Chi MAGIC TOUCH GO! ――
無様とも取れるほどの無茶な動きで、とにかく直撃だけは避けながらウィザードライバーを起動させる。
クー・フーリンの動きは止まらない、そして、視線だけで周囲を警戒している。
これは予備動作だ。
指輪のキャスターは魔術の施行をウィザードライバーという特殊な礼装に任せている。
それはどんな強大な魔術であろうとも、必要とする詠唱時間を大幅に短縮にできるという利点が存在する。
同時に、その発動が察せられやすいという弱点も存在する。
―― BIND ――
加えて、<<拘束>>の魔術はクー・フーリンとの戦闘で幾度と無く使用した魔術だ。
クー・フーリンは空中に浮かび上がった魔法陣へと注意を向ける。
飛び出る鎖は幾度と見た、一級の英雄であったクー・フーリンを拘束するには弱い。
「なっ!?」
『貴様!?』
「おっと……!」
しかし、鎖が向かった先はクー・フーリンではない。
鎖はウィザードラゴンの鉤爪。
突然の拘束にウィザードラゴンは大きく体勢を崩し、指輪のキャスターとクー・フーリンは空高くに放り出される。
いや、正確に言えば、虚空へと放り出されたのはクー・フーリンだけだ。
ウィザードラゴンを掴んだ鎖とは別の鎖が、指輪のキャスターの手を捉える。
姿勢を直した指輪のキャスターは、ウィザードライバーを起動させる。
「来い、ドラゴン!」
指輪のキャスターは鎖を消し去り、竜、ウィザードラゴンへと叫ぶように語りかける。
急激な停止を強いられていたウィザードラゴンは、その言葉に意図を理解する。
くるり、と、指輪のキャスターは宙で前転していく。
「さあ」
―― Ca-Mo-Na! SLASH-SHAKE HANDS!――
呪歌を奏でる宝具。
真下を見ず、ウィザードラゴンが着地に合わせるように指輪のキャスターを背にのせる。
自由落下の法則に則って落ちていくクー・フーリン。
指輪を嵌めた手を、ウィザーソードガンの掌を模したガジェットへと、握手をするように翳す。
―― FLAME! SLASH-STRIKE! ――
――『火』・『火』・『火』――
――『火』・『火』・『火』――
変幻自在の剣は炎を沸き上げながら、天へと翳される。
強く握りしめ、今まさに剣を振るう。
槍を失い、宙へと放り出されたクー・フーリンは、ただ不十分な姿勢で迎え撃つ。
「フィナーレだ」
ウィザードラゴンの突進力をそのままに、炎を沸き上げる刃が振るわれる。
突きつけられたクー・フーリンの拳と、指輪のキャスターが振るった剣がぶつかり合う。
炎に溶けるように、拳がぐにゃりといびつに砕けた。
◆
「クー・フーリンが死んだぁ!あの人でなしぃ!」
校舎の隅。
青い毛並をした妖狐が、九本の尾を振りながら小さく叫んだ。
その声には悲嘆の色は一切なく、ケタケタと笑う喜悦に満ちた色だけがあった。
妖獣タマモ。
かつては双尾と伝えられていた青い尻尾は、江戸時代の浄瑠璃や能、歌舞伎に彩りを加えられた物語の影響で九尾へと変化している。
傾国の美女としての、妖狐の怪物としてのバックボーンを強めるため。
玉藻の前伝説は、中国は殷の時代に存在した妲己等の妖狐伝説と意図的に混同されたためだ。
日本に現れる前、つまりは藻女として子供の居ない夫婦に拾われる前。
玉藻の前は淫猥堕落の象徴として大陸を荒らしまわっていた、という『物語の前史』が『後から』付け加えられた。
そのため、当初は『二尾』として伝えられていた尻尾は『辻褄』を合わせるため、『初めから九尾の狐』であったと変更されたのだ。
物語は劇的なほど民衆に好まれ、民衆は変化によって生じる些細な疑いよりも新たに生まれた多大な興奮を優先する。
「しっかし、タマモは歌えばいいだけ、と言っても、退屈といえば退屈ですねぇ」
タマモは小さく呟きながら、それでもその『歌』を止めようとしない。
妖艶な色を隠そうともせず、この世を弄ぶ『歌』を奏で続ける。
その歌は他の誰が歌っても同じ効果は得られない。
しかし、別の手法で同じ効果を得ることは出来る。
手段は異なるが、確実に同一の結果を得る。
手段は得てして重要ではなく、その結果だけを指して、『スキル』と呼ぶ。
その『スキル』の名を、『パピルマ』と呼ぶ。
『パピルマ』にしても、また異なる名称を持つが、それは置いておこう。
重要な事は、今、タマモの奏でる『歌』は、人々を悦楽の渦へと巻き込んでいるということだ。
「あ、マスターマスター。なんかお稲荷さんっぽいよー」
同時に、その渦の中心は目立つ。
その位置を察することは、感知の類に秀でた英霊ならば容易い。
事実、怨霊のキャスターは呪歌の起こりの前にタマモの存在を察知していた。
ただ、接触を避けただけだ。
逆に、接触を図ったものも居る。
その一人が、タマモの背中に立つ英霊だ。
「……やっちった」
尻尾を器用に動かし、まるで人間が顔に手を当てるように視界を覆う。
タマモは青い尻尾を棚引かせながら、ゆったりと振り返った。
「気づかれなかったり、気づかなかったりするのは得意だから」
軽やかな笑みを浮かべながら、少女が立っている。
少女自身の華やかな顔つきとはかけ離れた、物々しい砲口がタマモの頭へと突きつけられた。
◆
時は遡る。
水兵服を連想させる黒い服を来た少女と、やはり同じく水兵服を連想させる白い服を来た少女が視線を校舎へと向けていた。
校舎から漂う妖気。
立ち去っていた和服の男から流れ出る邪気。
背筋を舐めるような、心地良い気配。
あらゆる要素が、今、戦闘の起こりを告げようとしている。
「それで、どうするの?」
黒い水兵服もどきの少女。
見るものが見れば、その小さな小さな身体に宿った怨讐の念とも使命の念とも着かぬおぞましい気配に気づいただろう。
この人型の何かは、決して人ではない。
かつて人であったのか、それとも、人ではなかったのか。
「一発、行っちゃう?」
水雷艦のアーチャーは、あどけない表情で問いかける。
どちらでもいい、と。
白い水兵服もどきの少女、すなわち、自身のマスター――――
羽藤桂へと選択を委ねる。
「……楽しいのに、怖いって変な感じだね」
「言うほど変なもんじゃないよ?」
はぐらかすような、それでいて本気でそう思っているマスターの言葉に、なんてこともなく水雷艦のアーチャーは応える。
軽やかというよりも軽薄な表情。
水雷のアーチャーは人ではない。
忘れそうになっていた事実を思い出し、背筋に嫌な感覚が走る。
同時に、その感覚が懐かしくて、嫌な気持ちと暖かな気持ちが交じり合い、桂の胸に不思議な感情が生まれた。
「哀しすぎると楽しくなるし、怖すぎても楽しくなっちゃう。
訳が分からなくなると楽しくなっちゃうから、怖い気持ちと楽しい気持ちって平気で両立できちゃうっぽいの」
「……」
「まー……楽しい気持ちも哀しい気持ちも、結局は全部海に沈んじゃったけどね」
終わっちゃえば一緒だよ。
そう言って、言葉を切る。
真に迫った桂の言葉に、水雷のアーチャーはおどけた口振りで応える。
しかし、そこで言葉は終わらなかった。
水雷のアーチャーは、もっとも、と言葉を付け足し会話を続ける。
「貴方の知ってる
白露型駆逐艦四番艦『夕立』なのかって聴かれると……ちょっと困るかな」
「そうだよね、人間じゃなくて船だもんね」
「そう、船なの。人間じゃないの」
とある著名な作家が言った。
『これからの時代、英雄と呼べる存在は、人間自身ではなくなるだろう。
恐らく、英雄と呼ばれるような、たった一騎で戦局を左右するような存在が居るとするのならば』
「私は、一度も人間だったことなんてないんだ。
船員さん達の今際の際の想いと、作った人たちの想いと、船員が胸に潜めてた女の人の髪の想い。
そんな、いろんな人の想いを載せたから、人の想いがいっぱい詰まったから、船じゃなくて人間の器で現れた」
――――『それは、単なる兵器なのかもしれない』、と。
艦娘ではない。
『紅い月自身の願い』によって連れてこられた桂は、異端<<イレギュラー>>中の異端<<イレギュラー>>。
そして、異端<<イレギュラー>>が呼び寄せる存在は、異端<<イレギュラー>>である
艦娘という伝説に基づいて、艦娘とは異なる存在が訪れた。
『少女の形をした戦艦』という存在を、『戦艦が少女の形』をして現れたのだ。
何度でも言おう。
それが彼女だ。
「……アーチャー」
「ん?」
「行って、お願いね」
「りょーかい……欲を言えば、『お願い』じゃなくて『命令』って言ってくれたほうがしっくり来るんだけどなぁ。
あ、決断の理由、聞いてもいいかな?」
水雷のアーチャーは、敵と定めた存在へと視線を外さない。
外さず、桂へと理由を問いかけた。
「……何もしないよりは、何かをした方がいいかなって」
「ありがと」
口にした言葉は、嘘だ。
桂自身、何をすれば良いのかわからない。
水雷のアーチャーがいる限り、もはや首を突っ込まないなんて方法は取れない。
特殊な存在は、それだけでおぞましき思惑の渦中へと突き飛ばされてるのだ。
そして、首を突っ込まないなんて考えていて、大事な人が失われてしまうとすれば。
それは、それだけは、避けたいことだった。
例え、それが偽りの命だとしても。
◆
「さあ、最っ高に素敵なパーティーしましょ」
「パーティー、ですか」
華やかに、あるいは獰猛に笑う水雷のアーチャー。
夕立の言葉は、宝具の真名と合致していたが、決して宝具の解放を意味しない。
戦闘をパーティーと結びつける夕立は、ある意味では狂っていた。
あの一夜が、
白露型駆逐艦四番艦『夕立』という存在を構築する存在の集合体を狂わせていた。
「なんともまあ、舐め腐ってくれたものですね」
青毛多尾の狐は、小さく溜め息をついた。
妖獣であるタマモとして、闇へと堕ちて幾百年。
想いの年季が違う。
ある意味、同種である夕立の本質をタマモは理解している。
舐められるわけにはいかない。
その口元を愉快げに歪めた。
「『何』に語りかけてるか、どうやら分かっていないと見ましたね」
堕ちることで力も落とす存在と、むしろ強める存在は分かたれる。
例えば、先ほど指輪のキャスターに消滅させられた悪魔、クー・フーリンは前者だ。
彼の者は、まごうことなき英雄だ。
夜空に煌めく鮮烈なる光だ。
悪魔へと貶められることで、その光は濁り、力は淀む。
淀んだ力は方向性を失い、歪む。
歪んだ霊格は、本来発すべき力の出力をすぼめる。
しかし、水雷のアーチャーの目前で蒼い毛並をふつふつと蠢かせる妖狐は後者だ。
『淀む』ことでその邪性を強め、霊格を強固なものへと変える。
器そのものが強大となることで、その力は増していくのだ。
相手が悪いと言えば、悪い。
数多の弓兵適正を持つ英霊の中でも、最低ランクの対魔力。
渦潮のように唸る悪意を祓うには、水雷のアーチャーは特殊な逸話を持たない。
そもそもとして、水雷のアーチャーが最大の戦果を発揮するのは混戦だ。
誰が味方で、誰が敵かも分からない、ただの己だけを見つめる戦場。
誰も彼もが狂ったように誰も彼もを殺していく雨後に生じる泥のように惨めな戦争。
そんな戦場とも呼べぬような、死が大口を開けた地獄の入り口でこそ、彼女は最大の戦果を発揮するのだ。
「ちょーっと、ワクワクしてきたかな?」
それでも、水雷のアーチャーは笑った。
自信というよりも、躁状態に近い。
兵器でありながら魔に近づいた水雷のアーチャー。
『英霊』として座に登録された人格を持たぬ兵器が、『サーヴァント』として顕界されるために与えられた仮初の人格。
感情の記憶と経験も存在せぬまま、最初に与えられた恍惚。
その恍惚が、幾日を経てもなお忘れることが出来なかった。
大怨霊を前にしても、彼女の心に残っているのは薄暗い恍惚のみだった。
その恍惚を前にして、タマモまた嗤った。
そして、語った。
己が出自を。
己が罪を。
己が威光を。
その全てを示す、己が名を。
「この白面金毛九尾の狐を前にして、海の塵芥へと消えた残骸風情が――――」
『白面金毛九尾の狐』
己の全てを示す真名を呟いた、その瞬間だった。
タマモの言葉が、この世界に刻まれることはなかった。
遠き宙を流れる星よりも速く。
沸き立つ原初の海よりも無慈悲に。
――――ただ一本の『槍』が、妖獣タマモを貫いた。
妖獣タマモという、堕落の果てを迎えた魂を、安々と刈り取った。
彼の者を刈り取るためだけに、混沌の泥を蒸発させるためだけに撃ち鍛えられた一本の『槍』。
水雷のアーチャーの全身が泡立つ。
まるでこの器が液体へと変わってしまったのではないかと思うほど、身体の奥底から皮膚表面まで『恐怖』という感情が支配する。
煌めく刃。
長い柄で、それが槍だということは分かった。
分かったが、いわゆる『槍』という単なる武器とは認識することを意識が拒んだ。
それは、もはや『武器』ではなく『兵器』であった。
そう感じた瞬間、水雷のアーチャーはストンと納得した。
ああ、そうか。
この世の中で、最も純粋な英霊を呼ぼうとするのならば。
なるほど、確かにそれは。
『兵器』に帰結してしまうのだろう。
神が人と結びつなごうとした、かの。
――――『天の鎖』のように。
「……ちょっと、ヤバイっぽい?」
人ならざるものを憎みすぎた故に、人ならざるものへと変わり果てた獣<<ケダモノ>>のランサー。
そんな槍と、幾多もの人を載せた人ならざる器は相対した。
◆
『西洋魔術には三つの位階がある』
校舎から離れながら、怨霊のキャスターは自身のマスターへと語りかける。
怨霊のキャスターは感じ取っていた。
ここにいてはならない。
先ほどのように、ここにいては命という命を刈り取られる。
『アレ』は、駄目だ。
『アレ』は、泥を消滅させるものだ。
そこに泥の意図など必要ない。
憎悪を持って憎悪を討ち祓う。
彼の大怨霊の荒御魂としての側面を抜き取られた怨霊のキャスターにとって、あの槍は決して触れてはならぬものだ。
故に、怨霊のキャスターは逃げる。
己が工房へと足を運ぶ。
さなかに、余りにも無知なる自身の召喚主に講釈を垂れている。
『一つは自然現象に介在して行う自然魔術、いわゆる化学だ。
人間が扱うことの出来る魔術は、少なくとも表向きは、この段階までとなっている。
俺の持つ呪術の数々も、基本はこの自然魔術に当たる』
ふうまは怨霊のキャスターの連なる言葉に耳を傾けながら、人知れず学校を離れていく。
『二つは天空の星々の力を借用して行う天空魔術。
宇宙は目には追えぬ速度で流転し続けている。
それを利用するには人間にはあまりにも早すぎる、表向きはそう言われている』
「裏ではそうではないと?」
『星の及ぼす影響は非常に大きなものだ、誰も彼もが利用しているよ。
俺の持つ三つの龍のうちの一つ、天の龍の覚醒を意味する永遠の満月の方程式もまた、この天空魔術に属するものだ』
『天の龍』という言葉に、ふうまは小さく呼吸を崩す。
興奮がゆえだ。
この東京には、怨霊のキャスターが三柱の龍を潜めてある。
『龍の解放』は『東京の死』を意味する。
多くの無辜の民を殺し、発展した文明を殺し、広がる大地を殺し、『東京という概念』を殺し尽くす。
それは奇跡を秘匿すべき聖杯戦争において、相応しくない殺傷力。
しかし、『東京の聖杯戦争』において、秘匿性という意味ではこれ以上ないほどに長じている。
地震という天災は、大和の国には振り返るのも馬鹿らしくなるほどに前例が存在する。
強力なる宝具だが、解放は三度だけ。
一度放たれた龍は、二度とふうまとキャスターのもとには帰ってこない。
ただ、命と文明を連れて虚無へと行く。
『そして、三つ目は儀礼魔術。
この世あらざる天上の神々――――いや、神霊とすらも異なる、上位存在へと直接語りかける術。
根源、『 』、宇宙の大いなる意思、全知全能の神、 全てを生み出す力、全てを食いつくす力、盲目にして白痴なる全能の神。
総称して、魔術を飛び越えた『魔法』だとな』
「この『サーヴァントではない存在』を生み出しているサーヴァントが駆使している魔術は、『魔法』だと?」
『いや、もどきだな。
魔法ではない……魔法とはな、『どうあがいても手に届かないもの』にこそ当てはまる言葉なのだ。
いいか、あの呼びだされた歪んだ魂とはな、契約で容易く結びつくことが出来る。
神に近しい古の世から、宇宙へと手を伸ばし続ける現代まで。
歪んだ魂とは、容易く手を結ぶことが出来る。
魔法ではないのだよ、あの歪んだ魂が関わっている限り、な』
歪んだ魂。
すなわち、悪魔。
悪魔と結びつくことは、余りにも容易い。
勿論、容易いのは結びつくことだけだ。
結びついた後に幸福となるか不幸となるかは、別の話なのだ。
『いいか、アレには絶対に関わるな」
「ほう、そう言われると――――」
『アレは人を憎むものだ……俺のようにな』
ふうまの言葉を遮るように冷たい言葉を放つ。
『悪魔は人に貶められた。故に、悪魔は人を憎む。
人が悪魔はそうであると決めたのだ』
「なに?」
『人は牛を食う、牛はシヴァ神に連なる聖なる命だというのに。
そんな些細な事で神格は犯され、悪魔へと貶められる』
それが怨霊のキャスターのあり方だからだ。
憎むために生まれた。
憎むための命。
そう決められた。
誰にだ?
人に、だ。
人より魔に堕ち、魔を鎮めるために神へと昇華される。
荒御魂にして守護神。
その地とその地に住む人を守護すると同時に、その地と人を殺さずには居られない。
矛盾する二つの神格が鬩ぎ合い、東京を滅ぼすために分かたれた。
そんな怨霊なのだ。
『故に、あの類の存在には関わるな。可能な限りな。
アレは歪んでいる、歪まなければいけない存在なのだ。
歪みを直視すれば、お前も歪む。
歪めば、二度と真っ直ぐには戻らない』
◆
『発信された情報は宇宙遙かへ跳び、召喚すべき悪魔情報の発信を促す。
発信された悪魔の構成情報は君たちの端末を通じて受信され、周囲の空間に存在する暗黒物質『マグネタイト』を編成させる。
マグネタイトをタンパク質などに変え、悪魔は自身の肉体を構築する。
それが悪魔召喚プログラムの基本システム。決して、悪魔の存在そのものデータ化しているわけではない』
「……」
『その『術式』を発信しているのだ。
悪魔と結んだ契約書の膨大な集まり……そう言った類のものなんだ、あのプログラムは』
耳元で語られる言葉に、松下一郎は表情筋の一つも動かさない。
なぜなら、彼は悪魔くんだからだ。
悪魔くん。
それは決して嘲りのための名ではない。
恐怖によって生まれた名だ。
自身が理解できていないものを、自身よりもずっと幼い少年が何もかもを理解している。
未知の物を知っているという未知の者。
そこから生まれる、当然の恐怖と嫉妬。
『悪魔召喚プログラムが起動している。
ならば、現れる一柱や二柱では終わらないだろう』
「……」
『離れよう、マスター』
「お兄さん」
悪魔くんは自身のサーヴァントである法のライダーを無視し、目の前の中等部の生徒へと語りかける。
そして、少し離れて前を歩く中等部の生徒を指差した。
指差した相手は
七原秋也だった。
「…………なんだ?」
「あの人、お兄さんと同じ中等部の人だと思うんですが、辛そうですね」
「そうだな……」
「普通に歩いている振りしているけど、大丈夫でしょうか?」
「……本当にダメなら、教師が気づくだろう」
お兄さんと呼んだ相手、
桐山和雄は大して興味もなさそうだ。
カマをかけたが、失敗だったか。
あの顔色の悪い生徒はマスターである可能性が高い。
サーヴァントと悪魔の戦闘と同時の体調の変化、余りにもタイミングが良すぎる。
罠である可能性はある。
マスターである誰かが、あからさまに魔力を引き出されている魔術師を装うための鼠である可能性も高い。
それでも、そんな人物を見つければ
『少し、踏み込み過ぎではないか?』
「他の人は楽しそうですね、僕も嬉しいですけど」
「……」
周囲の人物もまた、興奮している。
ガス爆発ともテロ活動とも呼ばれている破壊活動という非日常と、早くの集団下校という幸運が交じり合っている。
何も知らないものからは、そう見えるだろう。
実際は魔術の行使だ。
悪魔が人を高揚させているのだ。
(ライダー)
『なんだ?』
(今は、おとなしく小学生をやるよ。
だから、そんな口うるさく言わなくていいよ)
『む……すまない』
◆
ダッジャールを率いたリエンスは歩いていた。
もはや、
ジョーカーは爆発地点付近には居ないだろう。
犯罪者とは逃げ足だけは早い。
ホシは現場に戻るというが、それはある程度の時間が経ってからだ。
となれば、とにかく運に頼るしかない。
「学校だな」
「なに?」
そんなリエンスへと、ダッジャールは声をかけた。
学校。
そこに敵が居るという。
リエンスは理由を問う。
「魔力の行使の気配だ」
「ならば行くぞ!敵だ!」
魔力の行使。
すなわちそれはサーヴァント、あるいは魔術師の活動を意味する。
そして、その言葉通り、空中に竜が現れた。
リエンスはニヤリと笑みを浮かべる。
敵、すなわち戦い。
戦い、すなわち聖杯戦争。
聖杯戦争、すなわち願望が叶う瞬間。
己の欲望を想起した瞬間、リエンスはダッジャールに突き飛ばされた。
「な、なにを!?」
「――――奇跡だ」
カツカツ、と。
リエンスが文句を言おうとする瞬間、ダッジャールの前に現れる一つの影。
同時に、ダッジャールの右手、すなわちリエンスが居た場所、へと狙いすましたように、
地中から凄まじい勢いで『槍』が生え、肉を貫く。
歴戦の戦士であるダッジャールは、あまりの激痛に声ならぬ叫びを上げた。
「――――ッッ!!?」
「奇跡だろう。奇跡である。奇跡でなくてなんと口にすればいい!
神の試練か!?
悪魔の善意か!?
あるいはクピトの悪戯か!?
いや、やはり……これこそが主の奇跡だろう!
奇跡と呼ばざるを得ないぞ!
そうであろう、我が血の契約の主よ!」
長ったらしく語り続ける新手の言葉を聞き流しながら、ダッジャールは判断した。
毒だ。
今、ダッジャールの身体を犯しているものは毒だ。
「なんという運命なのか!
汝が魂を結んだ盟友には、裏切りをもって報いられ!
汝の生涯を支えた伴侶は、その名も忘れてしまった!
ああ、何よりも……何よりも!
神を殺め、鬼を犯し、龍を堕としてみせた稀代の英傑!
汝は、他ならぬ汝を崇め奉った人によって貶められた!
そう、かようにも汝の全ては砕かれたのだ!
愛を見失い、愛を否定され、残されたのは名も無き怪物としての側面のみ!」
それもただの毒ではあるまい。
神をも殺し得る、概念性を以って魂を犯す毒だ。
「自由の旗を掲げるように鎖で拘束された、あの虚偽の英雄の姿に震えを抑えられるものなど居るものか!
崇高な理念など一欠片もなく、ただ、ただ、純粋な想いだけを持って剣を振るう。
比べ、なんとおぞましき獣よ!
――――泥に溺れながら夢を貪る獣に、分かるか!」
次いで、二本目が
カオスヒーローの左手に槍が突き刺さる。
三本目、地中から迫り来る槍が右足と左足の甲を縫い付けるように貫いた。
十字架に捧げられる救世主を連想させる姿勢を強制される。
「聖痕を刻まれし罪深き羊たちよ、聖杯を求めし奇跡の願い手たちよ、我が言葉を胸に刻むが良い!
この世は残酷だ。
神を裏切った我々にとって、楽園を追われて辿り着いた、この世そのものが地獄なのだ。
誠意を持って生き、ただただ純然で矮小な幸福を願っても、結果は常に裏切りを以って磔刑へと捧げられる。
おお、神に捧げられた魂よ!
獣の数字を背負い、なおも救済を求め、地獄を歩むものよ!
汝の名は人間!」
夜魔ヴァンパイア。
吸血鬼の総称であるはずのその悪魔は、しかし、ある一人の英雄を模して現れた。
ヴァンパイアのパブリックイメージ。
全てを観測する管理の怪物、ムーンセル・オートマトンの観測結果。
ムーンセルを通して発信される悪魔召喚の情報。
幾万もの精兵を串刺しにし、血の河を築き上げた救国の鬼。
貶められた鬼を呼び寄せた。
「前口上だけは……神霊級だな……!」
両掌と両の足平に打ち込まれた杭を、自身の炎魔術で燃やし尽くしながら呟く。
肉を貫かれる痛みと、呪いによって齎す痛みの相乗効果に眉をしかめた状態だ。
「悪魔に説法されるほど堕ちたのか、俺は……?
なあ、おい。俺はそこまで惨めな男か?」
「惨め以外の何者だというのだ?
賢者は愚者たる己を知るという!
無知の知こそが知の証という!
その凄惨な堕落を知り得てない今の貴様を、惨めと呼ばずになんと呼ぼうか!」
「ムカつくな、お前……だが、悪くはない」
迫ってくる無数の杭を焼き祓い、あるいは殴り飛ばし、ダッジャールはヴァンパイアを見据えた。
いやらしい笑みを浮かべた敵。
そして、自身の仮面の奥に浮かべているものは、種類こそ違えど言葉にすれば同じになってしまうような、そんないやらしい笑みだ。
「思い出してきたというよりも、目が覚めてきたぞ。
不快だ……殺すしか無いだろうな、この殺意を収めるには」
コキコキと首を鳴らしながら、カツカツと地面を叩いて、ヴァンパイアへと迫る。
一歩歩く度に、襲いかかる無数の杭。
しかし、悪魔を犯すための杭は悪意に染められた。
ならば、混沌の大英雄であるダッジャールにとって、本来のある大英雄の『宝具』に比べれば塵のようなものだ。
背後に居るリエンスがよろめく様子を無視して、ヴァンパイアへと歩み続ける。
近づく度に、杭の数が増えていく。
捌ききれずに幾つかの杭がダッジャールの身体に突き刺さる。
走る激痛、しかし、無視する。
ダッジャールにとって痛みとは親しいものだ。
いくつも蹂躙された。
屈辱を呼び起こしながら、懐古の念が胸中に広がる。
「不快だな、お前は……なぜ、俺に生前を思い出させる……!」
「主の愛も知らぬ蛮人!過去を過去としてしか捉えぬ愚!
己が振るう炎より熱き杭に焼かれよ!」
唇と唇が触れ合うほどの超至近距離。
ダッジャールを突き刺す杭が、ダッジャールの身体を貫通しヴァンパイアへと突き刺さる。
ヴァンパイアを焼き払う上級単体炎魔法<<アギダイン>>の炎が、ダッジャールの身体にも触れ合う。
「『ジバブー』……」
小さく、ダッジャールの声が響き渡る。
ヴァンパイアの身体が、不意に硬直した。
緊縛の魔術だ。
その隙に、ダッジャールの左手が、ヴァンパイアの首にかかった。
ヴァンパイアは嘲笑に顔を歪める。
ゴキ、ゴキ、と。
耳を塞ぎ込みたくなるような不快の音が響き渡る。
ダッジャールの右手がヴァンパイアの肩に置かれる。
「終わりだ」
肉と肉が裂ける。
ヴァンパイアの皮膚と肉を炎魔術で焼き、溶かしながら、脊髄を引き抜く。
骨と肉を結びつけた神秘の粘着性は炎に焼かれ、意味を無くす。
最後まで笑みを浮かべていたヴァンパイアに笑みを返し、ダッジャールはヴァンパイアの命を奪い取った。
フン、と空気を吐き捨て。
ダッジャールは手に持ったヴァンパイアの首を投げ捨てた。
悪魔の肉体を構成していたマグネタイトが霧散していく。
「こいつはサーヴァントなのか?」
「見れば分かるだろう、単なる悪魔だ」
「悪魔だと!?」
ダッジャールの言葉に、リエンスは目を見開く。
「悪魔、そう言った霊を召喚するサーヴァントが居るということか?!」
「そう珍しいことじゃないだろう、今はそいつを探すか?
それとも、
ジョーカーか?」
「何でもいい、参加者を減らすのが俺のひとまずの目的だ。
そして、聖杯を手にする」
ただ、それだけだ。
リエンスは胸を張って応える。
ダッジャールは、そうか、とだけ応える。
ダッジャールにとって聖杯とは重要なものではない。
願いは途中で破綻したが、満足はした。
己の身を焦がしてでも得たい願いと呼べるものはもはやない。
いや、あるといえば、あるのかもしれない。
「リエンス、こんな童話を知っているか?」
「なんだ、さるかに合戦でも語り出すつもりか?」
リエンス王の茶々を無視し、ダッジャールは語り出す。
消し炭となったヴァンパイアを見下ろし、その塵と灰を靴で踏みにじる。
口元を完全に覆い尽くす仮面の奥から、くぐもった声で物語が紡がれていく。
「『昔々、
人間たちは同じ言葉を使って、
気持ちを分かり合い、
幸せに暮らしていました。
しかし、ある日。
神様に会うために高い高い、
天まで届くような、
高い、高い、塔を立てると、
神様の怒りに触れてしまい、
言葉を別けられました。
それ以来。
人と人は思いが通じずに、
争ってばかりいます』」
どこか懐かしむような声。
初めて聞くその音色に、リエンスは少々おっかなびっくりに声を返した。
「……それは、神話じゃないのか?」
「俺がこいつを童話だと言いたいのはだな、リエンス」
リエンスの思い至った神話は創世記に登場する有名な逸話、バベルの塔。
ダッジャールとしても、それが神話として語り継がれていることを知っている口振りだ。
だのに、ダッジャールはその神話を童話だと語る。
「同じ言葉を使っていれば気持ちが分かり合えるだとか、
気持ちが分かりあえばみんなが幸せだとかいう、
そんな、馬鹿みたいな考えが根底にあるからだ」
分かり合うことが出来る、それが願いと言えば願いかもしれない。
ザ・ヒーローと呼ばれた天秤の主と。
「そう思うだろう、お前も」
眼前に現れた秩序の救世主と分かりあえたら、鼻で笑うぐらいには笑顔になれるだろう。
◆
衛宮切嗣は人知れず校舎に忍び込み、ある霧散していく物質を眺めていた。
第六架空元素に類似した暗黒物質、マグネタイト。
悪魔の鍵となり肉となる謎めいた物質。
少なくとも、切嗣にとって未知の物質である。
だが、何を引き起こすのかは理解できた。
召喚だ。
人と異なる異常なる生命体の召喚。
無辜の民を殺して回る、そんな怪物。
理性の云々は問題ではない。
そうしようと思えば、そう出来てしまう類の怪物だ。
本当に万全を期すならば、この学校を解体し、妖しき人物を殺すべきだった。
おあつらえ向きに、先程までグラウンドに集まっていてくれたのだろうが。
この東京に潜む幾万の民のことを思えば、巻き込まれる生徒と教師の数は微細な――――
―――おぎゃあ。
また、だ。
あの日以来、忘れることの出来ない夢の終焉の日以来。
感情を切り離そうとすれば、右肩ひどく疼く。
喜ぶように、肩が疼く。
もっと、もっと、と。
餌を求める雛のように。
感情の泥を求めるように。
「……ランサー」
切嗣は小さく呟いた。
何処かで暴れている獣のランサー。
自律行動可能な兵器。
自身のランサーが何に怒っているか、理解できる。
―――必ずや。
アレは奪われた側だ。
―――必ずや。
命を、命ときちんと理解できている兵器だ。
―――この『剣』で。
戦闘を美化などしない、死を尊いと崇めはしない。
―――滅ぼしてやる。
ただ、目的を成すためだけに、必要な物を捨て去った兵器だ。
―――父も、母も、みんなお前に殺された!
捨て去った先に残ったものが、『槍』となった。
―――そして、妹も!!
右肩の疼きが収まった。
校舎の開いた窓から、獣のランサーが飛び出る。
蔵へと戻るだろう。
あそこは聖杯と繋がる場所だ。
すなわち、サーヴァントの召喚陣。
あるいは、ランサー自身が土蔵という大きな括りに意味を抱いているのか。
意味は無い。
遠目から見るに、生徒たちは皆学校から立ち去ったようだ。
ラーマと合流し、家に帰ろう。
たとえ、切嗣が離れても、ここはすぐに戦場となる。
ご丁寧に、高揚の魔術で人払いまでしているのだから。
肩の疼きと同時に、どこか肩が重くなったような気がした。
何故か、切り捨てたものがそこに溜まっているような気がした。
◆
校舎へと逃げ込んだ、水雷のアーチャーは走る。
階段を昇り、廊下を走り、階段を降り、時には砲撃で応戦する。
そんな水雷のアーチャーを迫り来る『槍』は、槍そのものである獣のランサーは、水雷のアーチャーを串刺しするためだけに走る。
憎悪に曇らせた刃/瞳に、ただ泥だけを映して、槍は蠢く。
水雷のアーチャーの弾丸が襲いかかるが、ランサーの強烈な突撃は全てを弾く。
壁に幾つもの穴を開け、水雷のアーチャーの肩を獣のランサーがえぐりとった。
「……ッ」
走る痛みに、声にならぬ音を漏らす。
肩に突き刺さった槍を抜き取ろうと、水雷のアーチャーは柄を握る。
その瞬間だった。
元々、特殊な出自であり、兵器というランサーとの共通点を持つアーチャー。
そして、ランサーの溢れ出る、抑制と感情すらも忘れて隠すこともない憎悪に溺れた意思の波動。
赤い布に包まれた、数少ない露出した刃の中に、幾つもの顔を見た。
ああ、こうなるのだ。
なってしまうのだ。
感情が極まった時。
憎んで、憎んで、憎んで。
あるいは。
怯えて、怯えて、怯えて。
感極まった時、人は叫び喚いて、こんな顔になるのだ。
――――血走った目に不釣り合いな笑みが、幾重にも重なって、刃に写り込んでいた。
まるでその憎悪を拒否するように、水雷のアーチャーは獣のランサーを放り捨てた。
身体に走る、強烈な倦怠感。
獣のランサーが持つ、魔に対する特効性は水雷のアーチャーもまた例外の対象ではなかったようだ。
崩れ落ちそうな身体に鞭を打ち、油断なく構える。
あの顔は、覚えている。
自身もまた、あの顔をした人間を、幾つも載せて戦ったからだ。
地獄とは、敵味方入り乱れて戦ったからではない。
何が何だか分からなくなって。
誰を攻撃していいかわからなくなって。
なんだか、『笑えて』きてしまったのだ。
笑いは、狂気のスタート時点だ。
事実、水雷のアーチャーもまた、笑みを浮かべ始めていたのだから。
「……っぽい?」
そんな、戦闘意欲が高まっていた中で、ランサーは踵を返した。
元々、水雷のアーチャーへの興味は薄かったのだろうか。
令呪の行使は感じなかった、マスターの命令だろう。
兵器となった故に、単純な命令は聞くようだ。
気の抜けたように、水雷のアーチャーは肩を落とす。
落とすと同時に、足音が聞こえた。
カツ、カツ、と。
ゆったりとした足音だ。
そしてまた、特殊な気配。
サーヴァントだ。
入れ代わり立ち代わりとはまさにこのことだ。
廊下の端、階段口から一人の青年が現れた。
翠緑の軽装で、ハンドベルトコンピュータを装着し、剣を携えた青年だった。
三度目となる悪寒が、水雷のアーチャーを襲った。
ただ、今回は前回までの比ではない。
全力の悪意を突きつけたタマモよりも、濃い。
どこかの誰かへとぶつける憎悪を撒き散らした獣のランサーよりも、濃い。
水雷のアーチャーへと、死を明確に伝えてくる悪寒。
目の前から、翠緑の青年が消えた。
瞬間、腹部に激しい痛みが生じた。
まるで、その腹部から痛みという感覚以外が消え去ってしまったような鈍痛。
理解が追いつく前に、剣が光った。
反射的に、砲撃。
弾は当然のように斬り裂かれ、剣の柄で、水雷のアーチャーを叩きつける。
生前の砲撃すらも容易く上回る、強大すぎる未知の衝撃。
衝撃。
衝撃。
衝撃。
そんな未知が、幾度と無く繰り返される。
命を繋いでいる事自体が、不思議なほどだった。
水雷のアーチャーが階下に吹き飛ばされ、階上から青年は見下している。
不思議と、屈辱はなかった。
そうなるのが当然であるという納得まで浮かんできたほどだ。
青年は水雷のアーチャーから視線を切り、手に携えたハンドベルトコンピュータを起動させた。
幾つかキーを打ち込むと、光が満ちる。
光の中から一匹の蒼銀の毛並みをした獣が現れた。
瞬時に理解した。
タマモを召喚した、サーヴァントであると。
人以外の全てを消滅させる英雄の姿が、人あらざる戦艦の前に立っていた。
◆
そこには、綺麗に洗濯された白を基調とした蒼いラインの入ったシャツとズボンをまとった青年が立っていた。
柔らかな風貌と、雰囲気。
そして、見開いた目。
リエンスは、嫌な予感がする。
その目には驚愕の色がある。
しかし、それは未知へと向ける類の驚愕では、断じてない。
それは既知への驚愕だ。
すなわち、目の前の青年は聖杯戦争におけるマスター。
それも、恐らく、これは推測だが。
「……君は、サーヴァントなのか」
「そういうお前は違うみたいだな」
ダッジャールの姿を見ただけで真名を理解する、既知たる知人。
ダラリ、と嫌な汗を流すリエンスとは対照的にダッジャールは嗤った。
嘲りに似た、しかし、親しみの情も感じさせる笑い。
その笑みに、どこか懐かしく、不可思議なものを覚える白い青年、すなわちロウヒーロー。
「ダッジャール」
「……偽救世主<<ダッジャール>>?」
「今は、そう呼べ。それがマナーってやつだろう?」
くつくつと喉を鳴らしながら、マスクに人差し指を立てるダッジャール。
ダッジャール、救世主の威光を示すためだけに現れる、人を悪魔へと導く偽救世主の名。
「しかし、その名は……あんまりにも、不吉だ」
「俺は名前を捨てた英霊だ……名前を捨てることで、超常の英雄となれた存在だ。
そんな奴が呼ばれるには、ちょうどいい塩梅だろう?」
「そんな言い方……」
「なんだ、必死だな。
もっとも、お前にだって俺の称号が与えられるだろうから、当然と言えば当然か?
俺がマスターで、お前が必敗者<<ダッジャール>>。
状況によっては、そんなこともあっただろうさ」
ダッジャールのからかうような言葉に、ロウヒーローを肩を落とした。
その目には哀れみと諦めが交じり合っていた。
不快ではなかった。
「皮肉と自虐を同時にやるのは、やめたらどうですか。
君は、いつもそんなのばかりだ。
君は、君としての名前がない。僕にも同じだ。
決して偽りの救世主、ダッジャールではない」
ロウヒーローの声を、ダッジャールは笑う。
「名前に意味はない。
ただある存在のために、存在することだけを望まれる……そんな人間も居るということさ。
カオスヒーローという真名もお前は把握している。
その名ならば、有名なのかもしれない。
しかし、その奥に眠る俺のもう一つの真名がある。
覚えているか?」
「……」
「天使に何もかも奪われたか」
笑った。
ダッジャールがいくども浮かべた笑みの中で、その笑みは特別に不快だった。
「ならば、誰も決してこの名を知ることは出来ない……もっとも、知ったところで、何の意味もないだろうがな」
同時に、哀しみも覚えた。
ダッジャールが笑っているのはロウヒーローに対してだけではない。
恐らく。
「その名前を持つ人間には、何の価値もない……ただの飢えた魂だ」
ダッジャール自身のことも、ダッジャールは笑っているのだ。
ギラついた様子の、過去の混沌の青年の姿が、ロウヒーローの脳裏によぎった。
戦闘を警戒する。
カチャリ、と。
剣を携える音が聞こえた。
ロウヒーローのサーヴァントともまた、戦闘態勢を取っている。
ロウヒーローとリエンスは、小さく汗を流す。
サーヴァントは超常の存在。
その超常の存在をぶつけることで、聖杯を完成させる。
リエンスにとって、ロウヒーローにとって。
ようやく、『聖杯戦争』が始まろうとしていた。
「まあ、お前も上手くやれよ」
だというのに、ダッジャールは簡単に刀を収めた。
戦意は、なかった。
ロウヒーローはあっけに取られたように表情を崩し、リエンスはダッジャールを睨みつけた。
「……変わりましたね、君も」
「お前も死んでみると良い」
「一度も死にましたよ」
そこで、表情を止めた。
リエンスは、ゾクリと、背中を震わせた。
そこには表情があって、表情がなかった。
先程までいきいきと動いていた『人間』が、突然、『マネキン』に変わってしまったようだった。
「そして……変わってしまった」
「今は、様子が違うようだな。そちらさんのおかげか?」
「俺は何もしてねえよ、それに、『変わった』状態から、もっかい『変わる』のはこっからだ」
友好的、とは違うかもしれないが、敵対とも異なる関係。
ロウヒーローのサーヴァントは実体化を行う。
女のように整った、しかし、男特有の筋張った肉をした優男。
絹糸のような髪を流しながら、乱暴な言葉づかいでサーヴァントは答えた。
「……そう、そして、そのことで教えてもらいたいことがあります」
「おっと、勘違いするなよ」
ロウヒーローに表情が戻り、言葉を切り出すと、ダッジャールは静止させた。
リエンスの視線を一度受け取って、言葉を続ける。
「俺たちはあくまで敵で、しかも、俺は従者<<サーヴァント>>だ。
簡単に応えると、大目玉を食らっちまう」
「その通りだ!」
やっと会話に割り込める、と言わんばかりにリエンスは言葉を受け取った。
ダッジャールの背後からではあるが、見下すような視線をロウヒーローへと向ける。
ロウヒーローの表情は変化がなかったが、サーヴァントは顔をしかめた。
「交渉だ。
こちらから情報を出すなら、そちらからも情報を出してもらおう。」
「なるほど……なら、必要はありません」
「……なに?」
「無理して聞きたいことではありません、ゆっくりと、僕自身の答えをみつけたい。
それに……貴方は警戒しているようだ。
そう言った人を、より警戒させる術は避けたいんです」
柔らかな笑みを浮かべる。
人間の笑みとマネキンの笑みが交じり合って、不気味な笑みだった。
ダッジャールは喉を鳴らして嗤った、リエンスは僅かに気圧された。
「ここは『無益な戦闘をしない』ということで手を撃ちましょう。
思想は異なるかもしれませんが、お互いに全力を出したいのは『
ジョーカー』との戦闘でしょう?」
「それは……まあ、その通りだが」
「ですから、手打ちをするために、一つだけお見せします」
そう言った、その瞬間だった。
屋上から、悪魔が降りてくる。
妖鳥バイブ・カハ。
ケルト神話にて伝わる死と破壊と戦を司る三女神の象徴。
戦の鳥の名を持ち、人を死と破壊へと導く声を持つ妖しき鳥。
妖獣タマモの死と入れ替わりに召喚された、人々を高揚へと導く魔術の主。
屋上から直角に滑空する。
その羽は打ち付ければ象が潰れ、その嘴を突きつければ獅子が両断される。
その妖鳥を。
ロウヒーローのサーヴァントは、一瞥し。
瞬間、周囲に強烈な『圧』が生じた。
リエンスは、まるで巨漢の男に押されたようにたたらを踏む。
そんなリエンスを無視し、サーヴァントは剣を翻し。
一閃。
ただ、その剣は振るわれただけだ。
迫り来る悪魔は、激しい『圧』が発生すると同時に『砕かれた』。
斬り裂かれるなどといった様子ではなく、剣が肉体を斬り裂く前に。
その圧倒的な一閃が起こした衝撃によって、肉片を砕かせたのだ。
そう、『天使の一閃』は死を意味する。
人は四足から二足になると同時に武器とは牙と爪だけでないことを知った。
人が二本の脚で立ってから、人は拳を握るすべを手に入れた。
その手に、牙と爪の代替物を握ることを覚えた。
以降、人が研ぎ澄まし続けた術がある。
武器を振るう術だ。
しかし、今の一閃には、その術と呼べるものは特殊なそれではなかった。
ただ、剣を振るっただけだ。
その剣に秘められた神秘を開放する真名は唱えられていない。
本当に、ただ、剣は振るわれただけなのだ。
救世使<<エンジェル>>。
この世界とは異なる、濃密な高純度な魔力に溢れた世界がある。
そこで振るわれるアストラル力は、もはや魔力とは種類が異なると言ったほうが良いほどに純度が違う。
おかしな例えになってしまうが、石油と石炭のようなものだ。
火を石炭で起こしている他人と比べ、エンジェルは石油を以って火を起こす。
エンジェルはそのアストラル力の放出を最上位のスキルランクを誇っている。
宝具が持つ逸話から生じる特殊にして強大な効果を無視し、火力だけに限れば。
エンジェルのアストラル力を放出して行う一撃は、並のサーヴァントの宝具すらも容易く凌駕してしまう。
「僕のサーヴァントの、一撃です。
彼なら、その方向性が理解できるでしょう」
「ふん」
鼻を鳴らして笑うダッジャール。
リエンスはといえば、その比類なき戦闘力に動揺を隠し切れない。
「行くぞ、リエンス」
「何処にだ」
「何処にでも良いだろうが……
ジョーカーが何処に居るか分かっていないのに、変わりはないんだ」
そう言うと、ダッジャールはリエンスを引き連れて一度だけダッジャールは振り返った。
あざ笑うような、しかし、何処か親しみを感じる色を瞳に浮かべていた。
「まあ、元気にやれよ……どうせ、死ぬだろうがな」
ロウヒーローは、ダッジャールの背後を見つめ続けていた。
名前が、思い出せない。
天使により救世主として捧げられた際の、天使に施された超常の残骸が残っている。
共に歩んだ記憶は鮮明に覚えいるのに、彼らの、まだ英雄でなかった頃の顔と名前は靄がかかっている。
哀しみが胸中を襲う。
奪われたように感じた。
これもまた、試練だというのだろうか。
「で、どうする、マスター?」
斬撃の窮極とも言える一閃を放ったエンジェルは、何でもない様子で語りかける。
ロウヒーローもまた、天使の残骸が肉体に残っている。
元より、救世主として高い適性を誇っていた。
互いの力の方向性と親しい事も含めて、エンジェルを使役する上でロウヒーローはこの上ない存在だ。
エンジェルが生前行ったような、強力な宝具の連続解放ともなれば別だが、通常戦闘は問題なく行える。
「思ったよりも、皆さん落ち着いているようです」
「不自然なぐらいにな」
「魔術の行使でしょう……それ自体は、悪くありません」
心中では、精神の方向を固定する魔術に対する嫌悪感を抱いている。
それでも、混乱のさなかに居るよりは、ずっといい。
そう自身を納得させて、ロウヒーローは言葉を続ける。
「周囲に悪魔が居ないか、探索しましょう。
戦闘後を見るに、中級の位階に達する悪魔が居ます。
今までの、下級の悪魔が蠢いている状況とはわけが違います」
「仕掛け人は別々だろうな」
「……でしょうね」
悪魔を使役する。
その言葉に、ロウヒーローの脳裏に一人の青年がよぎる。
普通ならば、連想するのは七十二柱の悪魔と契約を結んだソロモン王であるべきだ。
しかし、ロウヒーローが連想する人物は違う。
「行きましょう、エンジェル」
悪魔を使役する術は幾十も存在する。
悪魔が居るだけで、あの人物が居ることの証明にはならない。
◆
「さて……乗り込むか」
「油断するなよ」
「お前もヘマをするなよ。
死ぬのは勝手だが、さすがにこれだけ俺の行動を口うるさく言っておいて、勝手に死なれては笑えん」
ダッジャールは校舎へと忍びこむ。
リエンスもついていこうかと思ったが、さすがにそれは不味い。
サーヴァント同士の戦いに巻き込まれればただでは済まない。
それは、先ほどのエンジェルの一撃でよく分かった。
おとなしく待機をする。
「鬼が出るか蛇が出るか」
「出るのは英霊だ!」
「単なる『言い回し』というやつだ、外人はこれだから困る」
軽口を叩きながら、足を踏み入れる。
廊下を歩み、階段をのぼる。
その時。
「あらら、逃げ遅れちゃった」
仮面と外套をまとった戦士。
隠し切れないサーヴァントとしての気配。
獲物だ。
マスクに隠した口元を歪めた。
ロウヒーローの前では郷愁が強すぎた。
ダッジャールの生前は、すでに『完結』している。
その因縁を掘り起こすのは、彼が見た『温かい夢』を穢すものだ。
戦意は湧きづらかった。
だが、顔も名前も知らない相手となれば別だ。
戦い。
幾度と無く重ねた自慰のような興奮の経験。
ダッジャールは太刀を抜いた。
仮面の戦士――――指輪のキャスターも剣を構えた。
戦闘が、始まった。
「ハァッ!」
ダッジャールの一閃。
指輪のキャスターは撃ちあうことはせず、脚さばきで避けてカウンターの斬撃を行う
その一瞬の戦闘で、ダッジャールは理解した。
「チッ……」
目の前の相手は、『中立』の属性を持つサーヴァントだ。
自身の全力とは程遠い一閃だった。
ならば、搦手を必要するだろう。
「『ジバブー』」
「おっと!?」
唱えられた魔術の意味を指輪のキャスターも察した。
意味を理解するということは、すなわち抵抗性が高まる。
自身を拘束してくるイメージを打ち破るイメージを行う。
身体を巡る魔力の流れが少し変わり、呪縛の魔術を引き裂いた。
瞬間、ダッジャールの太刀が振るわれ、指輪のキャスターは慌てて剣で受け止める。
指輪のキャスターとて歴戦の勇士ではあるが、秀でた剣技を持っているわけではない。
そして、ダッジャールは自身よりも強い相手との戦闘経験は抜きん出ている。
クラススキル、救世主(偽)の効果によって、中立・善の属性を持つ指輪のキャスター相手にステータスがダウンしている。
技術を持って、対等に戦う。
一合。
二合。
三合。
四合。
幾度と無く刃がぶつかり合う。
隙を見せない戦闘。
クー・フーリンとの戦闘にように、指輪のキャスターが距離を取り直してバインドの魔法を試みても、先に束縛の魔術が襲いかかる。
動くことで照準を合わせないが、それは相手に行動の優先権があるということだ。
ガンモードに切り替えてみても、同等の、あるいは銃弾を凌ぐ炎魔術が襲いかかる。
一番効果的なのは、原始的ではあるが接近戦においてステータス差で押しつぶすことだけだ。
しかし、それも上手くは行かない。
誘導というのだろうか。
隙を見つけて攻撃を仕掛けても、それはダッジャールにとっての隙ではなく。
延々と決定打に欠けたまま、戦闘は続いていた。
先に、『本当の隙』を見せた相手が負ける、そんな戦闘だ。
「……ッ、来い!」
先に痺れを切らしたのは、指輪のキャスターだ。
多少の束縛の魔術を追ってでも、切り札を出す。
心淵に棲まう竜<<ウィザードラゴン>>の召喚だ。
間をおかず、空から竜が再び現れる。
廊下で撃ちあっていた二騎の英霊の前に、窓から覗きこむように、大きな顎を開いた竜が現れる。
ダッジャールが幾度目ともなる舌打ちを零した、その瞬間だった。
「っぷっはぁ!」
天上の一部が抜け、一人の女が降り立ってきた。
水雷のアーチャーだった。
◆
ザ・ヒーローと相対していた彼女は、息も絶え絶えと言った様子だった。
今にも死んでもおかしくない。
そんな様子が当てはまる姿だ。
それでも、瞳は爛々と光っていた。
戦意をまるで失っていない。
むしろ、狂気に犯されたように光っている。
その瞳を指輪のキャスター直視してしまい、思わず身が凍った。
そして、水雷のアーチャーと同時だった。
『ぉぉぉぉおおぉぉぉお!!?』
「ドラゴン!?」
現れたばかりのドラゴンが、悲鳴を上げた。
ドラゴンの背には翠緑の鎧をまとった青年が一人。
首を大きく殴りつけられ、余りにも容易くドラゴンは地へと縫い付けられた。
あまりにも、呆気なさすぎる。
怪物を倒すことだけに特化した英霊だろうか。
ならば、ドラゴンは相性が悪すぎる。
しかし、幾らなんでも戦況が一瞬で変わりすぎた。
水雷のアーチャーの狂気の瞳と、突如撃沈したウィザードラゴン。
二つの予想外が襲いかかり、一瞬、硬直した。
それは、確かな『隙』だった。
「っぽい!?」
「っとぉぉぉお!?」
床に転がる水雷のアーチャーを蹴り上げるダッジャール。
吹き飛ばされた指輪のキャスターにぶつかる。
英霊であり、勇者でもある指輪のキャスターがそのまま倒れこむようなことはない。
しかし、一瞬だけ視界を封じ込められた。
「――――アギダイン」
最上級の単体炎魔術の行使。
ワンフレーズではあるが、それは世界を震わせる魔言。
人間のものである魔術とは、まるで異なるロジック。
廊下一帯を包み込む炎を前にして、指輪のキャスターは転がるように空き教室へと飛び込んだ。
生前の行いに釣られるように、水雷のアーチャーを抱きしめたまま、だ。
「……ふん」
ダッジャールは、そんな英雄のパブリックイメージに似つかわしい行動に、不機嫌に顔を歪めた。
そして、すぐに窓へと視線を映す。
先ほどの、ウィザードラゴンを追い落とした新たな敵を迎え入れるためだ。
最初に飛び込んできたのは、蒼銀の獣だった。
目を見開く。
その獣の名を知っている。
獣が、魔獣となる前の姿も知っている。
動揺。
しかし、容赦なくその顎を撃ち払う。
魔獣の一撃は回避される。
魔獣の名は、ケルベロス。
ただの、ケルベロスではない。
ダッジャールはその種族名ではない、個体名を知っている。
そして、その特殊な魔獣ケルベロスの影から、一人の英雄が現れた。
――――翠緑の鎧を纏い、傷だらけのハンドベルトコンピュータを装備した青年。
「ぉ、ぉぉおおおおお!!!」
ダッジャールは、叫んだ。
己の中の動揺を隠すためだった。
歓喜でも、疑惑でもない、ダッジャール自身も理解できない感情を隠すためだ。
青年、
ザ・ヒーローは無言だった。
◆
次いで、刃が交じり合った。
◆
DIGITAL DEVIL PROGRAM
うた:妖精クーフーリン
ばっくばんど:妖獣タマモ・夜魔ヴァンパイア
―――光の御子―――大神の化身―――救国の王―――
全てが偽り――――泥に塗れた栄光
DIGITAL・DEVIL・PROGRAM!
何もかもが偽りに満ちたこの世界で、俺達は偽りに固められた!
何もかもが正しく、何もかもが正しくない!
宇宙の底に眠る遺体にかけられた泥!
地獄の空に広がる雲を照らす太陽!
悪魔を讃える準備は良いか!
DIGITAL・DEVIL・PROGRAM!
DIGITAL・DEVIL・PROGRAM!
0と1に浮かぶ泡<<Bubble>>!
0と1に沈む泥<<CLAY>>!
虚偽!
詐称!
犯し!侵される前に!
奪い!奪われる前に!
因果の代償を受け、共に行こう!
――名前のない怪物――
最終更新:2020年06月05日 21:15