涙の川/River of Tears ◆gcfw5mBdTg
闇夜、無限に連なる星と紅き満月の下。
漆黒の宵闇と調和している少女がいた。
女性らしい美しい佇まいをしているが、眼光だけは鋭く。
その視線の先は、うっすらと闇夜に浮かび上がる二桁にも及ぶ標的。
双手には標的と同数の銀色のリングを器用に携え、引く気配を見せず、じっと標的を見据えている。
そして少女は口元を歪めて笑い――先手を取った。
自身の両手首に必中の意思を、細くしなやかな指先に全神経を集中させ――。
早撃ちのように初動を読ませず、両腕を交差するように高速で振り抜き、解き放たれたリングが標的へと飛翔する!
空気を切り裂きながら、意志を持ったかの如く飛来するリング。
速度よりも恐ろしいのは、物理法則を無視したかのような不可思議な軌道だ。
支配者の指示通り、銀の閃光が全方位から取り囲んだ空間。回避の術はない。
絶体絶命に陥った標的は微動だにできず、リングは容赦なく大地へと降り注ぎ、悉くを仕留める。
三桁のナイフを曲芸師のように操れる彼女ならば、このような業は容易いことだ。
そうして全ての標的は牢獄の鉄格子に囚われ――遊戯はあっけなく終了した。
観客がいれば、功績に敬意を評して、さぞや盛大な拍手を上げたことだろう。
しかし残念ながら、観客は周囲の景色だけであった。
無縁塚を西に抜けた先にある、この街道は中有の道という。
迷いを捨てた死者が三途の川へと赴くために使用される街道だ。
地獄の財政難の為、死者を対象とした出店が立ち並んでおり、普段ならば明るくお祭りのように騒がしいところである。
「なかなか楽しめるゲームなのね」
身体を確かめるように手足を軽くぶらつかせ、愉快という感情を籠めた言葉をあっけらかんと言い切る。
そして口元を綻ばせ、女性らしい柔らかな仕草で、銀髪を掬い取り、風に踊らせた。
少女の名は十六夜咲夜。
異変解決を兼業としている幻想郷一のメイドである。
職業を証明する純白と濃紺で構成されたメイド服に、銀糸を彩る白のカチューチャ。
燦然と輝く蒼の瞳を擁した、均整のとれた顔立ちには、何もかもを見抜くような微笑を絶やさず。
人形のように白い肌は、神秘的な雰囲気を纏っていた。
標的を殲滅した咲夜は『輪廻の輪投げ』と看板が付けられた店内へと入り込み。
お金を所持していないというのに、悩む素振りすら見せずに、手早く全ての小道具と賞品を袋に収めていく。
そうして『輪廻の輪投げ』の商品を総取りした咲夜は、次の出店を目指す。
人魂ボンボン。死霊金魚すくい。遺書掴み取り。卒塔婆籤。
閻魔、鬼、死神、その他のお面屋。すくい雛人形。しゃれこうべ釣り。仏壇を的にした射的。花火売り。
出店は数多く、咲夜の視界に映ってるものに限定してもこれほどの量を誇る。
死者を対象にしているだけあって、特異な出店がほとんどだ。
固い大地をハイヒールでコツコツと鳴らしながら、好奇心に光る双眸で、出店群を次々と品定めしていく咲夜。
幾度も蒐集を繰り返し、刻々と時を経て、ほとんどを盗り終え、次に『死後占い』という出店が見えてくる。
しかし道具を使わない占いをするらしく、盗るものはない。
咲夜は看板を見て、出店の内容にも興味がないのか、振り返る気色も見せなかった。
十六夜咲夜はただ遊んでいるわけではない。
咲夜の主である、紅魔館のお嬢様、
レミリア・スカーレットは、我侭で尊大で気まぐれ。
『外の世界の魔法【プロジェクトアポロ】を行使して月へ行くために、ロケットの部品を調達してきなさい』
文明が明治時代で停止している幻想郷で、このような無茶な命令は日常茶飯事。
彼女はそんな経験に基づき、合流した際の命令に応えるために、弾幕の蒐集をしているのである。
お嬢様ならば、思いもよらぬ運命に巻き込まれたところで、そう簡単に鮮血に染め上げられることはないでしょう、と楽観的な信頼をしていたのも一因だ。
あとはコレクターとしての蒐集心、手品師としての遊び心、乙女としての好奇心なども幾分かは混じっている。
そうして蒐集も終わり、中有の道を抜けようかとしている頃、咲夜は。
「ちょっとやりすぎたかな」
と可愛く首を傾げた。
内容に反し、淡々と抑揚もなく語るその声音には、後悔の欠片も含まれていない。
『幻想郷の少女』とは、図太く傍若無人という意味を示している。
とはいえ遊戯はこなしているのだし、もしお金があればを払う意思もでるのだから、これでも幻想郷の少女の中では有数の懇切丁寧な態度といえるだろう。
◇ ◇ ◇
中有の道を西に抜ければ、石がごろごろと転がっている荒れた自然の道。
景品の手鏡と櫛で身嗜みを整えながら、雑草と柔らかな土を踏み固めていく咲夜を、広大な川が出迎える。
「さっきのところがあんなのだったし、ここも同じようなところと想像していたのだけれど、そうでもないのか」
停滞した冷たい空気に包まれ、手を組み気だるそうに佇む咲夜。
ここは『三途の川』と呼ばれる、正真正銘、地獄へと繋がっている生と死の境界である。
濁っているわけでもなく澄んでいるわけでもない不思議な水面から、ところどころに突き出ているのは苔むした尖形の巨大な岩。
辺り一面は深い霧に覆われ、幽かな月光すら遮られており。
ふらりと足を踏み入れてしまいそうな不吉な暗さは、まるで異世界のようだ。
流れは非常に緩やかで、風は欠片も吹かず、いくら時を刻んでも風景が固定されている静寂の川。
日々へ別れを告げた死者の悲哀の涙が溜まっている、と夢想させる物悲しさ。
咲夜は、そんな死の具現を見下ろし。
「紅茶でも飲もうかしら?」
雰囲気にそぐわない柔らかな口調で、しれっと言葉を紡いだ。
水を見て喉の渇きを自覚した。ただそれだけだ。
その表情には、一切の戸惑いも憂いもない。
死後を連想させる地獄への道筋をまるで意に介さず、感慨も抱かない。
咲夜は喉を潤すため、袋に手を翳し、二客のティーカップを取り出す。
どちらも、ちょっと小さめで軽く、基調は白。
支給品であり、紅魔館の備品でもある、ティーセットの一部品だ。
それらは、既に紅い液体で満たされており、液体の紅がカップの白をよく引き立てていた。
会場に送られる前に、咲夜がティータイムに用意していたものが、そのまま支給品になったのだろう。
嗅覚をくすぐるほんのりとした香りが、咲夜の腕前をわからせている。
――そしてその香りは、同じ紅でも液体の質が違うということもわからせていた。
片方のカップは紅茶。
もう一つのカップは――人間の血液である。
彼女が住み込みで働いてる紅魔館。
そこには人間である十六夜咲夜のほかに、吸血鬼、魔法使い、妖怪、妖精と多種多様な種族が揃っている。
人間は穀物、肉、野菜といった通常の食事。
魔法使いと妖精は食事の必要すらないが、人間と同じ食事を趣味の範疇で食する。
そして。
吸血鬼は人間の血液を飲み。
妖怪は人間の肉を喰らう。
人間と同じ食事もとれるし、そう頻繁に食する必要性もないが、人間が最善であるということには変わりはない。
紅魔館の厨房も任されている咲夜は、主の意向に沿い、配給された外の世界の人間を、食欲を刺激する食事へと還元しているのだ。
平常時と同じく、気負いも怯えもまるで感じていない、上品な立ち振る舞いで。
食材の心臓の動悸を聞きながら、至極自然な事象のように調理台に乗せる。
そして一点の曇りもなく明確な意志を宿した表情で。
解体業者のように、ナイフで肉を裂き。骨と臓物を抜き出し、細切れの肉片と血の池を生み出し、色々な素材を加え加工する。
この紅茶風の血液もそうして生み出されたものだ。
咲夜は紅茶のカップを、手慣れた手つきで、上品に口へと運ぶ。
傾けられたカップからは、流水の如く、口へ、舌へ、喉へと広がっていった。
そうして喉を潤した咲夜は、空のカップを袋に納め。
お嬢様のために用意した血液のカップに、優しく手を沿える。
そのときの咲夜の唇は、小さく穏やかな弧を描き、母性と儚さを併せ持つ淑やかな微笑が産まれ――その表情はあまりにも優しかった。
冷静でありながら、感情を覗かせ。
慈愛を有しながら、冷酷であり。
完璧かと思えば、抜けているところもあるし、茶目っ気も見せる。
絶対の忠誠を誓っていながらも、己のペースは決して崩さない。
そんな彼女はまるで月のようだ。
新月、既朔、三日月、上弦、十三夜、小望月、満月、十六夜、立待月、居待月、臥待月、更待月、下弦、晦。
全ての本質は月という一定のものでありながら、不定でもあり。
夜空にいつも輝いているというのに、地上からはどうしても掴めない。
そのような浮世離れしている雰囲気が、瀟洒であると称される所以なのだろう。
――静寂の世界。
漆黒の宵闇や涙の川など、気にも留めず。
紅月の従者は、一定の時を刻む靴音と共に、悠然と館を目指す。
【A-3・一日目 早朝】
【十六夜咲夜】
[状態]健康
[装備]死神の鎌
[道具]支給品一式、ティーセット、出店で蒐集した物、フラッシュバン(残り2個)
[思考・状況]さて、お嬢様を探さないと。
※ティーセットの内訳は、ティースプーン、ティーポット、アンティークケース、柄が異なる白のティーカップ二客(片方は空、片方は血液)、紅茶の茶葉たくさん。
※出店で蒐集した物の中に、刃物や特殊な効果がある道具などはない。
最終更新:2009年07月01日 01:15