グランギニョル座の怪人

グランギニョル座の怪人 ◆Sftv3gSRvM



注意:この作品には15禁表現、及び百合展開が含まれております。
   上記が苦手な方は、その前後に見出しをつけますので、そこだけ飛ばして下さい。


 アリスさんはとても不思議な人。
 古明地こいしが目を覚ました後、アリス・マーガトロイドという少女に対して、最初に抱いた感想はそれだった。

「こいし」
「なぁに?」
「貴方が支給された道具を教えてくれないかしら? これから何をするにせよ、まずは手元にある装備の確認をしないとね」
「えーっと、……袋は持ってるけど、まだ中身を確認してないの」
「……呆れた。危機意識が足りなすぎるんじゃない? 貴方にももうわかっていると思うけど、これは遊びじゃないのよ」
「ぁ……、ご、ごめん……なさ……い」
「……いいわ。それじゃ袋を寄越して頂戴。私が確認するから」
「うん」

 こいしは言われた通り、抱えていたスキマ袋をアリスに手渡す。
 中を探ると、お馴染みの食料、地図、名簿などの共通品の他に、両端に羽根のようなものを生やした鍵盤楽器が見つかった。

「……何これ?」
「キーボードね。多分、いつかの騒霊の持ち物でしょう。少なくとも今は使い物にならないわ」
「ふーん」

 あまり興味なさげに相槌を打つこいしを視界から外し、アリスは再びスキマに手を入れる。
 すると、今度は袖丈のない厚手のジャケットが出てきた。
 色は黒。ただし衣服にしてはやたらと重量があり、布の間に何か硬いものが仕込んであるのが見て取れた。
 アリスは怪訝な顔で傍らにある説明書に目を通す。

【イスラエル製防弾防刃ベスト サイズS
 防弾性能Ⅲ-A(トカレフ対応) 防刃性能レベルⅡという高性能を持つ安心の護身用ベストです。
 その強度は、仮に成人男性が全体重をかけて刺しても、刃が内臓まで届く事はありません。
 一般的な拳銃弾は防げますが、ライフルのような貫通力の高い銃弾は防げません。
 また、大口径の自動拳銃の場合も、衝撃による負傷は免れられませんのでご注意下さい】

「……鎧みたいなものなのかしらね?」
「らいふる、って何?」
「つまり、これを着ていればある程度は安全ってことよ。だから」
「?」
「念のために、貴方が身につけておきなさい」

 そう言って、アリスは防弾チョッキをこいしに押し付ける。
 しばしぽかん、とそれを見つめていたこいしだったが、やがて恐る恐るといった風に口を開いた。

「……いいの? アリスさんが着てくれてもいいんだよ?」
「何言ってるの。貴方の持ち物じゃない。それに貴方に死なれると私が困るしね」
「……アリスさん」

 素っ気無く返すアリスの言葉に、温かいものを感じたこいしは、顔を綻ばせながら包まっていた毛布を剥ぎ取り、新雪のように白い裸体を晒した。
 言い忘れていたが、血塗れだったこいしの衣服はすでに脱ぎ捨てた後であり、今は彼女のスキマ袋の中に収まっている。
 幸いここは民家なので、代わりの服くらい探せばいくらでも見つかると判断しての事だった。
 だが、いまいちこれの着方がわからない。頭から被ってみたり袖を広げてみたり、と悪戦苦闘していたこいしの肩に、そっ、とアリスの指が触れた。

「……あ」
「仕方のない子ね。ほら貸しなさい。手伝ってあげる」
「う、うん」

 肩が触れ合う距離にアリスがいる。それは今のこいしにとって、この上ない安らぎとなっていた。
 ついさっき出会ったばかりなのに。
 何故か声は聞き覚えがあるような気もするが、彼女とは間違いなく初対面のはずなのに。
 そういえばアリスは最初から自分のことを色々と知っていた。どこかで調べたのか、それとも。

「……アリスさん、一つ聞いていい?」
「何かしら?」
「アリスさんも、お姉ちゃんや私みたいに覚りの瞳を持ってるの?」
「……」
「アリスさん?」
「……ええ、そうよ。貴方たちみたいに外には出してないけど、貴方のことなら」

 ナンデモワカルノヨ。

 そう言って、アリスは笑った。慈愛に満ちた笑顔で、愛おしげにこいしの柔らかな髪を梳りながら。
 彼女の笑顔を初めて見たこいしは、嬉しそうに頬を染める。そして、アリスが撫でやすい位置に身を寄せて、ゆっくりと……。

「……そっか。アリスさんも強いんだね。本当に、……お姉ちゃんみたい」

 幸せそうに。心地良さそうに。委ねるように―――目を閉じた。






/こいしside

 アリスさんはとても不思議な人。
 第三の目もないのに覚れる妖怪なんて、私は今まで聞いたことがない。でも、アリスさんが言ってるんだから間違いないんだろう。
 お姉ちゃんはこの場所に来て、能力を制限されているように見えたけど、アリスさんにはそれがないのだろうか。
 私は心を読む、という行為に対してあまりいいイメージを持ってない。だって、誰も彼も傷つけるからだ。
 読まれることで相手は傷ついて、私はその傷を見ることで傷つく。悪循環でいい事なんか一つもないと思う。
 だから、アリスさんはきっと、傷ついても嫌われても立ち上がれる、お姉ちゃんみたいに強い人なんだ。
 そんな人が私のことを守ってくれる。ずっと、……そばにいてくれる。

 彼女との出会いは本当に突然だった。
 最初は嫌なことばかり言う怖い人だと思ってたけど、それは違った。
 いつもみたいに無意識でいられなくて、不安や悲しみに押し潰れそうだった私の心を救ってくれた。
 お姉ちゃんにさえ言えなかった私の思いを受け止めてくれた。そして、こう言ってくれたんだ。

『私が友達になってあげる。例え世界中の皆があなたを恨もうと、私だけはあなたの味方になる』

 ……嬉しかった。ホントのホントに、今までの恐怖も絶望も全部吹き飛んじゃうくらい嬉しかったの。
 それは私が一番欲しかった言葉だから。長い間封じ込めていた、辛さや寂しさが噴き出した直後だったから余計に救われたような気がする。
 だから彼女だけは信じることにした。周りの人たちが怖くて、お姉ちゃんたちも何を考えているのか、本当に私の事を家族だと思ってくれているのか、わからなくなっていた私にとって、唯一嘘をつかない人。

 貴方は何者なの? どうして私なんかにそんなに優しくしてくれるの?
 ……もしかしたらアリスさんとの出会いは、夢の中の出来事なのかもしれない。
 だって都合が良すぎるもの。
 こんな殺し合いの中で、お燐もそれに乗っていて、途方に暮れてた私の前に何の前触れもなくひょっこりと現れてくれたんだから。
 まるで私の願望がそのまま形になったみたいに。
 でも、夢なら覚めないで欲しい。あんな辛い思いはもう沢山。地霊殿にも今は帰りたくない。
 私はアリスさんと一緒にいる。
 冷たそうに見えるけど実はとてもあったかくて、ひどいことも言うけど、その裏では誰よりも私のことを想ってくれる、この不思議な人と共に歩む。
 お願いだから傍にいて。私のことを離さないで。アリスさんにまで捨てられたら、私は―――






 /アリスside

 懐柔の経過は概ね良好。
 私にしなだれかかり、うっとりとした面持ちで身を預けているこいしを抱き締めながら、今のところは順調である、と私は判断した。
 口を開けばアリスさんアリスさん、と少々鬱陶しくはあるが、これも私という存在に依存している一環だと思えばそう悪い気はしない。
 時計を見ると、現在の時刻は午前七時過ぎ。
 つい先ほどまで眠っていたこいしは、一時間前に放送された今までの死者の名前も、新たな禁止エリアの位置も聞いていない。
 伝えるべきか、とも一瞬思ったがやめておいた。
 余計なことに気を取られ、私への関心が散漫になられても不都合だ。今は私だけを見ていればいい。
 とりあえず彼女との距離を、今の内に出来るだけ縮めておくべきだろう。少なくとも身内と私を天秤に掛けた時、私を選んでくれるくらいには。
 その為のコミュニケーションは必要不可欠、と思い、今こうして彼女と会話しているのだけど。

「アリスさんも、お姉ちゃんや私みたいに覚りの瞳を持ってるの?」

 こいしの口からそんな質問が飛び出した。
 ああ、面白い誤解をしてくれているものだ、と私は内心ほくそ笑んだ。
 肯定すれば、それは布石となって後々生きてくれるだろう。
 自分の心は常に筒抜け、と意識すればそれだけで楔となる。私を慕えば慕うほど妙な考えを抱けない。
 考える自由を奪う。それは最終的には思考の放棄に繋がる。彼女の篭絡は思いのほか早く実現するかもしれない。

「……ええ、そうよ。貴方たちみたいに外には出してないけど、貴方のことなら何でもわかるのよ」
「……そっか。アリスさんも強いんだね。本当に、……お姉ちゃんみたい」

 そして、今の彼女は私の言葉を疑わない。他人と接する事に慣れているとは言えない私だが、その自信はあった。
 相手の心理を読み取り、自分の思い通りに誘導する。魔女の嗜みのようなものだ。
 まあ、それも参加者の詳細名簿があってこそだから、私は運がいいのだろう。
 それにしても、こいしが愛しくてたまらない。
 度し難いほどに蒙昧で、薄氷のように繊細で、ご都合的なくらい私に依りかかる、この愚かで純然な少女が可愛くて仕方がない。
 ふふ、貴方に会えて本当によかったわ。







「……こいし」
「ふぁ」

 ―――それは突然の変化。二人を取り巻く空気が変わった。
 何を思ったのか、アリスは彼女の名を呟いた後、こいしの細い首筋に顔を寄せ、そっと口付けた。
 ピクン、と一瞬こいしの身体が震える。不安そうな眼差しは「どうしたの?」とアリスに問いかけている。
 その視線を無視し、アリスはこいしが身に着けようとしていた防弾チョッキを脇へと放り、少女を再び丸裸にした。
 こいしの不安が脅えに変わろうとした瞬間、アリスは少女の首元から見上げる形で、上目遣いに目線を合わせた。

「ねぇ、貴方は私のことを信じてくれてる?」
「も、勿論信じてるよ。誰よりもアリスさんのコト信じてる! でもどうしてこんな」

 言い終わる前に、こいしの口は塞がれた。ゆっくりと顔を上げたアリスの朱唇によって。
 初めて味わうその柔らかな感触に、こいしは弛緩していく我が身を自覚した。
 戸惑いとほんの僅かの悦びがじわりじわり、と滲むようにこいしの身体を支配する。
 やがて両者の唇は離れ、お互いの吐息も感じ取れるほどの近距離で、少女たちは見つめ合った。

「あ、ありす……さん?」
「怖がらないで。私を信じて。そして私を感じて。私の可愛い……こいし」

 熱を帯びた瞳で、濡れた唇をペロリ、と舐めるその艶やかな仕草に、こいしは暫し目を奪われた。
 そして、何よりも彼女の言葉。そこに嘘偽りなど一切ない。
 第三の目を閉じたこいしでもわかる、アリスの真摯な想いを受け入れた閉じた恋の瞳の少女は、深く考えることを止めた。
 今度こそ、完全に力が抜けたこいしの肢体を、アリスの白魚のように細い指先が撫ぜる。
 まるで壊れ物を扱うかの如く、丁寧な手付きで触れられる度、こいしの口から色のこもった声が漏れた。

「あんっ! あ、あぁ……っ」

 それは何と官能を擽られる仕草なのだろう。
 白々としたシミ一つない素肌はうっすらと紅を刺し、敏感な少女の肉からは、珠のような汗が浮かび上がった。
 蜜のように滴る汗をペロリ、と一舐めしたアリスは、そのままこいしの身体に唇と舌を這わせた。
 首筋、鎖骨、胸元―――と啄ばむように押し付けた口付けが、色素の薄い肌に紅い斑点を作る。
 それはまるで、この少女は自分の所有物である、そんな誓いと証を立てるかのように。
 ますます大きくなる嬌声と共に、こいしの息が荒くなる。だが、アリスはそう大した刺激を与えてなどいない。
 こいしは雰囲気に酔っていた。自分の最大の理解者がこれ以上ない情愛を以って触れてくれる悦びが、彼女の理性を蕩けさせていた。

「アリスさん……アリスさぁん……」

 胸元にあるアリスの頭を、こいしは力一杯抱きしめた。絶対に離さない。離れたくない。そんな彼女の意思を示すかのように、強く、強く―――
 少女の体温と鼓動を感じ取りながら、アリスはふっ、と口元を吊り上げた。
 ……堕ちた。そんな手応えを確かに感じる事が出来たからだ。
 やはり手っ取り早く心の距離を詰めるには、友愛よりも親愛。親愛よりも情愛に限る。
 殺し合いの只中にいるという状況がもたらす吊り橋効果も、信頼が信愛に転じやすい一因なのかもしれない。
 私たちは家族を超えた絆で愛し合っている。そう錯覚させることでこいしの視野はより狭くなるだろう。
 アリスの身に何か危害が及べば、衝動的に庇うか、はたまた相手を殺してしまいかねないほどに。

(本当に単純、……いえ純粋と言うべきかしら? 今は私に対する情で、より自我が強くなっているみたい、だけど)

「……アリスさん、わたしも……好き。大好き……」

(それを裏返せばどうなると思う? 壊すにはより高い所から突き落とすのが効果的。
 古今東西、調教の基本は飴と鞭って相場が決まっているのよ。世間知らずな妖怪さん)

 傍から見ればそれは、性交には程遠い子供同士の児戯にも等しい交わり。
 だが、初心なこいしの思慕を爆発させるには、想いが通じ合ったと勘違いさせるにはこれで十分だった。
 全てはアリスの手の平の上。
 俗世の穢れから背を向け、純真無垢に育ってきた少女は、一度味わったこの快楽から逃げられない。もう抗えない。

「アリスさんは、どうですか? 私のことが好き、……ですか?」

 紅潮した頬に一滴の軌跡を描いて。こいしは潤んだ瞳で愛しい人に問いかける。
 それに対するアリスの答えは、二度目のキスだった。
 舌を絡ませ、口内を貪り合うかのように、互いの唾液を交換するその行為は、同じ口づけでも最初のものとは何もかもが違うものだった。
 初めは驚きに目を見開いたこいしも、次第にとろん、と蕩けた瞳を閉じ、アリスの舌遣いに必死に合わせる。
 最早こいしは拒まない。相手がアリスであるならば、例え何をされようと……。
 やがて、二人の唇は離れる。お互いの口元は淫靡に輝く糸で繋がっていた。

「はぁ、はぁ……」
「こいし、私も貴方を愛してるわ。ずっと貴方の隣にいたい。貴方を、守ってあげたいの」
「あぁ……、うれし……」

 アリスの甘い言葉に感極まったこいしはその胸に飛び込み、頬を摺り寄せる。
 こいしを包み込むアリスの顔は、愛情溢れる慈母の微笑みそのものだった。
 アリス・マーガトロイドは、古明地こいしを愛している。
 隣にいたい、守ってあげたい云々は陳腐な方便であったとしても、愛しているという言葉だけは嘘偽りない本音である。
 勝つためには手段を選ばない。それが彼女の方針であるとはいえ、好きでもない相手に唇を許すほどアリスの尻は軽くない。

(この場凌ぎの使い捨てにするつもりだったけれど、私も情が移ったのかしら。出来れば死なせたくないところ、ね)

 そう。アリス・マーガトロイドは、古明地こいしを愛している。

(私の可愛いこいし。もし生きて帰れたら、上海たちと同じ衣装を作ってあげる。
 あの子たちと並んで立てばその可憐な顔もますます映えるでしょう。……ふふ、今から本当に楽しみだわ)

 ……自分が生き残るために使用する、従順なる人形として。






 抱擁の時間は終わりを告げた。
 こいしも今は、戸棚から拝借した水色のカーディガンと白のパンツを身に纏い、前開きになった襟元からは黒いインナー(防弾ベスト)を覗かせている。
 可愛らしく口を尖らせ、「ちょっとサイズが大きすぎるかも」とぼやくその姿は、とても殺し合いの参加者には見えない程の、ある種の余裕が窺えた。
 だが、それも当然と言える。何しろ今の彼女は幸せ真っ盛り。
 不思議の国に迷い込み、孤独と恐怖に苛まれていたこいしは、アリスという謎の少女に出会った。
 まるでルイス・キャロルの物語だ。しかも、アリスは無条件で自分の味方になってくれた。
 一時は絶望の淵にいたこいしが、頼れる守護者と愛しい恋人を一気に獲得できたのだ。
 言いようのない多幸感に頬が緩んでいたとしても誰も彼女を責めることなど出来まい。
 こいしの隣では、その愛しい味方がソファーに腰掛け、せっせと自分の装備を整理している。
 彼女の支給品はキーボードと防弾チョッキのみで、武器の類はなかった。
 出来ればこいしにも銃を持たせたかったが、そこまで贅沢も言っていられないか、とアリスは嘆息した。

「……こいし、一応貴方にナイフを預けておくわ。気休め程度でしかないけど、自分の身はなるべく自分で守るよう心掛けておきなさい」
「へ?」

 呆けた声で問い返すこいしに、アリスは自分の支給品である銀のナイフを一本渡した。
 なんで? 私たちはこれからずっとここで一緒に暮らすはずなのに。何で武器なんか。
 自分の手の中にある凶器とアリスを、戸惑い顔で見比べるこいしの耳に、冷や水を浴びせかけるような冷たい声が突き刺さった。

「甘えないで頂戴。確かに可能な限り貴方を守るつもりだけど、私にも限界があるの。
 お互いの危機を助け合って、フォローし合ってこそ、真のパートナーと呼べるんじゃないかしら?」
「ど、どういうこと? まさか、……外に出るの? ここにいちゃ、ダメなの?」

 禁止エリアの存在が、頭からすっぽりと抜け落ちているこいしからすれば、それは当然の疑問。
 誰も殺したくないし、殺されたくもない。ならずっとここに立て篭もっていればいいではないか。
 そして、頃合を見て二人でどこか遠くに逃げればいい。それが一番安全なのに。イヤな思いをしなくて済むのに。

「じゃあ、仮に殺し合いに乗っている参加者が、この家を襲撃してきたらどうするの? 
 こんな狭い場所じゃ逃げ場はない。最悪、私たちは仲良く共倒れよ? 死にたくなければ、殺すしかないの。これはそういうゲームなんだから」
「殺す……? ア、アリスさんはこの殺し合いに乗るつもり!?」
「……馬鹿なこと言わないで。殺すのはあくまで自衛手段。
 貴方のお友達のような、本当の意味で乗っている参加者を叩いて、危険の芽を摘むためよ。
 生きる為に殺すの。……ちょうど貴方が自分の心を守る為に、自らの目を閉じたようにね」
「で、でも……っ!」

 アリスの言い分は半分真実で半分嘘である。彼女にとって危険の芽とは、自分以外の参加者全員。
 持ち前の冷静な判断から、このゲームの本質を正しく理解しているアリスは、最後の一人になるまで殺すことを止めるつもりはない。
 物は言い様である。結局、誰も信用していない。こいしのような絶対忠誠を前提とした手駒を除いて。
 生きる為に殺す。ある意味自然の摂理とも言えるが、参加者の中に姉たちがいる以上、そう簡単に割り切れるはずもない。
 なおも食い下がろうとするこいしを見て、アリスはその瞳に明らかな侮蔑の色を浮かべた。
 いかにも落胆した、という素振りで少女を突き放すように立ち上がる。

「……ああ、そう。こいしは私が死んだって構わないんだ。私は貴方を守る為に殺すのに、貴方には愛する人の為にその手を汚す覚悟もないのね」
「あ、アリス、さん?」
「残念だわ。貴方となら上手くやっていけると思ってたけど、こんなにも臆病者だとは思わなかった」
「ぅあ……ぁ……」
「この家にいたければ好きになさい。私は戦う。他人任せの先にある未来に何の価値があるの。
 自分の運命は自分の手で切り拓く。それが出来ないような子は―――」

 いらない。

 その言葉を耳にした瞬間、こいしの心にピシリ、と音がたち、無数の亀裂が走った。
 アリスに捨てられる。今まで毛ほども意識していなかった可能性を、突然示唆された少女の顔がみるみる内に蒼白となる。
 冷や汗が止まらない。震えが止まらない。涙が勝手に溢れてくる。
 さっきまであんなに幸せだったのに。アリスさんも笑ってくれていたのに。
 どうしてそんなことを言うの? 何でそんな冷たい目で私を見るの? わかんない。わかんないよ……。
 混乱の極地に陥ったこいしは縋りついた。小柄な少女とは思えないほどの物凄い力でアリスの裾を掴み、恥も外聞も捨てて泣き叫んだ。

「や、やぁ……。やだやだやだぁっ!!」
「……」
「何だってやるから! アリスさんの言うとおりにするからっ!! だ、だからお願い!」
「……」
「お願いだから、捨てないで……私を嫌いにならないで……」
「……馬鹿ね。私が貴方を嫌いになるはずがないじゃない」

 泣きじゃくりながら懇願するこいしの頭を、アリスは再び両の腕で優しく包み込んだ。
 だが、こいしの顔は晴れない。先ほど見せられた、氷のように冷たい瞳が頭にこびりついて離れない。
 アリスの心無い一言は、致命的なトラウマとなってこいしの脳裏に刻み込まれていた。
 ここに来る前の出来事を思い出す。お燐の暴虐は、確かにこのゲームのコンセプトが「殺らなければ殺られる」であることを実証してくれている。
 この世界では神でさえ、ああもあっさりと死んでしまうのだ。
 こいしとアリス、どちらかが欠けてからではもう遅い。二人で幸せになる為には、アリスの言うとおり参加者を殺すしかない。
 その強迫観念がこいしの心に大きな影を落とす。

(本当にそれでいいの? 何か他に方法はないの?
 ……でもアリスさんの言うことに間違いはないし、反対すれば捨てられちゃう。私は、私はどうしたらいいの……?)

「もう一度言うわ、こいし。私を信じなさい。良心の呵責に耐えられないというのなら、心さえも閉ざしてしまいなさい。
 貴方の力を貸して欲しいの。私たちの未来の為に」
「み……ら、い……?」
「そう。幸せになるのよ。今までずっと辛い思いをしてきた貴方には、その権利があるんだから」
「……」

 こいしの視点が空を彷徨い、アリスの言葉を反芻する。
 自分に言い聞かせるかのようにブツブツ、と小声で呟きながら、自身の決意に正当性を見出そうとする。

 殺さないと。殺さないと。殺さないとアリスさんが殺されちゃう。私はまた一人に戻ってしまう。
 人を傷つけるのは絶対に嫌。でもアリスさんを失ってしまうのはもっと嫌っ!!
 無差別に殺すんじゃない。私はお燐とは違う。大切な人を守る為に殺すの。ううん、殺すんじゃなくて戦うの。
 ……うん。それなら、それならきっと悪いことじゃないよ。そうだよね? アリスさん。
 幸せになりたいの。一人はもうイヤなの。アリスさんと一緒にいたいの。その為だったら私は。
 私は……、お姉ちゃんだって……おねえちゃんだってっ!

 どんどん虚ろになっていくこいしの瞳を見て、あと一息である、と七色の人形遣いは確信した。
 現状ではまぁこれで十分。移動を始める前に、こいしが完全に人形化してくれればそれに越した事はないが、急いて事を仕損じては元の木阿弥。
 過度の高望みは禁物である。それにこのままでも盾くらいにはなってくれるだろう。そのための防弾チョッキであるのだし。

 彼女の事ばかりかまけてもいられない、とアリスは思考を切り替えた。
 これからどうするか。こいしが眠っている間にすでに次の目的地は定めていた。
 人里は、こいしが今に至った経緯を見る限り危険度が高そうだし、主催者の息がかかった永遠亭はもっとだろう。
 霊夢や魔理沙に会う可能性が高そうな神社も却下。
 あの頑固者共はどうやっても自分の思い通りになりそうもない。すでに歩む道が違う。会いたくなどなかった。
 夜も明けたし、まずは行き損ねていた紅魔館に行ってみるのもいい。偵察程度ならそう危険もないだろう。
 ……だが、その前に。

「それじゃそろそろ出発しましょうか。準備はいい?」
「……どこに行くの?」
「私の家よ。今の私は本調子じゃないからね。せめて自陣である程度の補強はしておきたいわ」

 マーガトロイド邸。
 あそこなら、製作中の人形なりグリモワールなり、何か自分にとって利のあるものが残されているかもしれない。
 可能性は低いが、寄ってみる価値はあった。毅然と歩き出すアリスの隣に並んで、こいしは密かに奮起する。
 善悪の定義など忘れた。家族と共に過ごした穏やかな時間も今は思い出してはいけない。

(迷っちゃダメ。覚悟を決めるのよこいし!
 私はアリスさんについていく、ってそう決めたんだから。自分の幸せは自分の手で掴み取らないといけないんだから!)

 アリスは言った。自分の運命は自分で切り拓く、と。
 ならば、自分も同じ生き方を選ぶ。アリスのように強くなってみせる。後悔などしない。
 渡されたナイフをじっ、と見つめる。鏡のように透き通った白銀の刃には、不安に揺れる自分の双眸がはっきりと映っていた。

(考えるな考えるな! アリスさんに迷ってるのがバレちゃう。心をカラッポにするのよ。
 今までだってずっとそうしてきたじゃない。何も考えず、何も感じず、ただアリスさんの望むままに―――)

 だが、こいしの悲壮な決意は、憧れのアリスと真逆の道を辿らせているという事実に、彼女はまだ気付いていない。
 与えられた幸せを寄る辺にした少女の行く末は、光の届かない暗闇の中か、それとも……。



【D-4 民家 朝・一日目】

アリス・マーガトロイド
[状態]健康
[装備]銀のナイフ×8 強そうな銃(S&Wとは比べ物にならない?)
[道具]支給品一式×2 詳細名簿
[思考・状況]基本方針:どんな手段を使ってでも優勝する
1.アリスの家に行って、戦力の強化を図る
2.紅魔館へ偵察
3.こいしを完全に洗脳したい
※詳細名簿のほとんどを暗記しています



【古明地こいし】
[状態]健康 疲労(小) 情緒不安定
[装備]銀のナイフ 水色のカーディガン&白のパンツ 防弾チョッキ
[道具]支給品一式 リリカのキーボード こいしの服
[思考・状況]基本方針:アリスに従う。彼女を守る為なら殺人も厭わない
1.アリスに嫌われたくない
2.地霊殿のみんなに会いたくない
※アリスに心を読める能力があると思っています
※寝過ごした為、第一回の放送の内容をまだ知りません


65:cool,cool,cool 時系列順 68:108式ナイトバード
66: 投下順 68:108式ナイトバード
45:運命のダークサイド アリス・マーガトロイド 82:人形遣いのフィロソフィ
45:運命のダークサイド 古明地こいし 82:人形遣いのフィロソフィ

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最終更新:2009年09月05日 02:51
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