運命のダークサイド ◆MajJuRU0cM
殺し合いの場に光が差し込んだ。
会場内で起こる惨劇を象徴する暗闇も、光輝く太陽という平和の象徴がかき消した。
しかしそれがかき消すのは視覚的な闇だけであり、会場に取り巻く狂気を消し去るには不十分だった。
そしてとある民家。そこに居座る兎と猫。彼女たちもまた、例に違わず太陽が残した大きな闇に呑まれようとしていた。
鈴仙はちゃぶ台の上にある天ぷらを目前に見て、ゴクリと喉を鳴らした。
別段空腹だったわけではない。その証拠に今鈴仙の心に占めているのは緊張と焦燥、ただそれだけだった。
何故そんな感情を抱きながら天ぷらを凝視し続けるのかというと、答えは一つだ。
この天ぷらには、鈴仙が仕込んだ毒が混入してあるからだ。
「おいしそうだね~♪ 早く食べたいなぁ」
小皿や調味料(さすがに食糧はなかったが、醤油や塩は発見できた)を取り出しにかかっている燐の眼を出し抜くのは簡単だった。彼女にちょっとした用事を頼み、台所を出た隙に毒を流し込むだけでよかった。
幸い鈴仙の持つ毒は無味無臭。混入されて気付く者などいるわけがない。人を疑うことを知らない燐ならば尚更だ。
そう、燐はまったく気付かない。天ぷらに毒が入ってるなど露にも思っていない。悪くいえば、状況を理解できていないただの馬鹿。良くいえば、鈴仙をそれだけ信用しているということだ。
(何が信用よ。こんな所で人を信用する方が悪いのよ。……殺し合いなんだから)
殺し合い。言うに及ばず誰かが誰かを殺すことでそれは成り立つ。
その殺し合いの場で、人を殺すな、なんて世迷い言は通用しない。殺すか、殺されるか、ただそれだけだ。
だから鈴仙は燐を殺す。例え彼女に一時の情があろうと、それは関係ない。自分が生き延びる可能性が少しでも高くなるのなら、鈴仙はそれを実行する。
彼女の持つ強力な武器。それを手にするために鈴仙は実行する。
殺さずを貫くだけの意思もなく、優勝を目指すだけの気概もない。彼女はただ自分の死に対して、どうしようもなく臆病だった。
「さぁて、準備出来たよ~」
食事に必要なものが揃っているかを再確認し、燐は鈴仙の向いに座った。
鈴仙の心臓の音が燐に聞こえるわけもなく、彼女は舌舐めずりしながら箸を手に取った。
鈴仙は再び喉を鳴らす。
燐は箸で天ぷらを器用に掴む。
鈴仙の額に一筋の汗が流れる。
燐は小皿に盛ったダシを天ぷらにつける。
(気付かないでよ。そのまま、そのまま…)
燐はゆっくりと天ぷらを口に運ぶ。
鈴仙はさらに再び喉を鳴らした。
「…さっきからどうしたの? 食べたいんならさっさと食べなよ」
ビクリ、と鈴仙の体が震えた。
天ぷらは未だ箸に摘まれたまま、燐の口から数十センチのところでぐるぐると円を描いていた。
「…あ、えと。別に食べたいわけじゃないの。少し調子が悪くて。先に食べちゃって」
出来るだけ平静を装ったつもりだったが、極度の緊張からか少し声が擦れてしまった。
数瞬、燐は訝しんでいたが、鈴仙の妙な態度を言う通り体調が悪いせいだと考えあまり気に留めなかった。
「無理は駄目だよ~。これ食べたら皆を捜しに行くんだからさ」
「…う、うん」
ぐるぐると回っていた天ぷらはピタリと止まり、再び燐の口へと向かっていく。
10センチ
7センチ
3センチ
1センチ
(よし、行け。行け、行け、行けーーー!!!!)
「ごめん下さーい!!」
第三者の声が聞こえた。
燐はそれを聞いて天ぷらの進行をストップさせ、鈴仙の顔は蒼白になった。
第三者である彼女達、雛、穣子、こいし達三人は律儀に玄関から挨拶した。
殺し合いの場にはあまりにも相応しくない奇行。
それは彼女達にとって、ここまでの道中があまりにも平和で和気あいあいとしていたことに一因する。特に周囲を警戒することもなく雑談しながらでもこの場所に辿り着けた。
それは単に彼女達が幸運だったに過ぎないのだが、そのことがこの状況に対する危機感を薄れさせた。
故に三人は殺し合いに乗った人間の有無よりも、きちんと挨拶して他人の家に上がるという礼儀を優先させたのだ。
「この声……こいし様! こいし様いるの!?」
こいしはすぐさまその声に反応し、居間へと駆けつけた。
居間に着くと、そこにはちゃぶ台を囲む二人の姿があった。
その内の一人が想像通りの人物であったことに、こいしは安堵と歓喜の気持ちでいっぱいになった。
「お燐! 良かった、無事だったんだ」
こいしを皮切りに、残りの二人も居間へと現れた。
(何故このタイミングで現れる…!)
鈴仙の焦りなど知りもしない三人を前に、彼女は歯噛みした。
「あ、紹介するね。こっちは穣子と雛。たまたま一緒になったんだ」
「こいし、この人達は…?」
「大丈夫だよ。お燐はお姉ちゃんのペットで私の友達。そっちの人は…」
「鈴仙だよ。こっちもたまたま一緒に行動することになったんだ。それにしても、こんなに早くこいし様に会えるなんてねぇ」
満面の笑顔でこいしと再会を喜び合う。既に箸はちゃぶ台に置かれていた。
燐が当分天ぷらに手をつけることがなさそうなのを、鈴仙は内心ホッとしていた。
第三者の見ている前で死なれたら、自分が犯人だということが即座にばれてしまう。そんなこと鈴仙は御免だった。
とりあえずの難を逃れ、鈴仙はこれからこの三人をどうやって追い出すかを考えていた。
その時だった。
「…ねぇ、さっきから気になってたんだけど、これは?」
雛がちゃぶ台に置かれている天ぷらを指差して言った。
「あ~、今食べちゃおうと思ってたんだ。タラの芽の天ぷらだよ」
「へぇ」
じっと天ぷらを見つめる雛。ふいに彼女は口を開いた。
「…私も食べちゃっていいかしら? さっきからお腹が空いてて」
鈴仙は思わずドキリとした。
「どうぞどうぞ。たっぷり食べちゃってよ」
そして、これから導き出される最悪のシナリオが脳裏を駆け巡り、戦慄した。
(今この場で誰かが死んだら、私が毒を盛ったことが燐にばれちゃうじゃない…!)
食べちゃ駄目だ
そう言おうとした時、サクッという小気味よい音が聞こえた。
「も~、雛は食い意地が汚いなぁ。そんなにがっつくことないのに」
「しょうがないでしょ。お腹空いてたんだから」
手掴みでさっさと一つの天ぷらを平らげてしまった雛は、指についた油を丁寧に舐め取った。
「あたいと鈴仙の合作だよ~。どう、お味は?」
「ええ、なかなか………ぅ……」
「……雛?」
雛の様子がおかしい。
青ざめた顔。どこか焦点の合わない瞳。
天ぷらが喉にでも詰まったのかな。そんな楽観的な考えが全員の頭を占めていた。ただ一人を除いては。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
こいしが雛を覗き込み、心配そうに言った。
雛は小刻みにコクコクと頷き、
血を吐き出した。
赤色のシャワーがこいしを濡らした。
生暖かい液体。どこか生臭い臭い。ヌメヌメした感触が指先まで支配していた。
「……え?」
こいしは状況を理解できなかった。いや、それは全員にもいえた。誰も、何も喋ることができなかった。あまりにも突然の出来事に、ただ茫然としていた。
「あ…がぁ! ……がぎっ…!」
雛は喉を掻き毟りながら悶え、のたうち回った。
ちゃぶ台に乗った皿をひっくり返した。そこに置いてあった燐や鈴仙の袋も地面に転がり落ちる。
何かに縋るように、雛は呆然と突っ立っていたこいしの肩を掴んだ。こいしには雛の体重を支えれるような余裕もなく尻もちをついた。ただ静かな混乱が体を巡り巡っていた。
「ごほっ! ごぼっ…たす……け…」
縋りつくようにしがみついていた雛の握力は徐々に弱くなっていき、とうとうパタリという音をたてて何もしなくなった。
十数秒の間、居間は静まり返った。
耳の中ではただシーン、という独特の音が聞こえていた。
「ひ…な……? 雛…雛! しっかりして…! 目ぇ開けて!!」
我に返った穣子が、雛に駆け寄った。
抱き寄せて、揺すぶっても反応はなかった。
息もしていなかった。ただ虚ろな瞳で虚空を眺めているだけだった。
「そ…んな。どうして…。さっきまで、あんなに元気だったじゃない……!!」
どうして。その答えは、発した本人でさえも分かっていた。
天ぷらを食べた瞬間に血を吐いて死んだ。それだけで誰でも分かる。
誰かが天ぷらに毒を仕込んだのだ。
だが穣子は、それが分かっていても、雛から離れることができなかった。親友を殺された恨みより、親友とこれから会うことも話すことも出来ない悲しみの方が勝っていた。
ポツ、ポツ、という音と共に、雛の顔を染める赤の色が薄まっていった。
鈴仙はその様を、ただ恐怖と罪悪感の中、怯えた目で見つめていた。
(わ、私は悪くない。これは殺し合いなのよ。誰かが死ぬのは当たり前じゃない。私は、私は悪くない…!!)
「鈴仙……」
ビクッと体が震えた。
恐る恐る、その声が発した先へと目を遣った。
そこには驚きの中、疑いの眼差しで鈴仙を見つめる燐の姿があった。
「れ、鈴仙がやったの…? 嘘だよね。鈴仙じゃないよね? あたいは、信じるよ。鈴仙がやってないって言うんなら。だから、教えて?」
鈴仙は答えられなかった。
自分の想像していた以上の凄惨な死に様を目の当たりにし、その場凌ぎの嘘で取り繕う余裕がなかった。
「ねぇ鈴仙! 答えてよ! やってないって言ってよ!!」
肩を揺さぶる燐。それでも鈴仙は青ざめた顔のまま、何も言葉を発しなかった。
確定的だ。
燐は思った。
いくらお人好しの燐でも、今の鈴仙を見れば確信するしかなかった。
取り返しのつかないことをしてしまった恐怖の顔。鈴仙の表情がそういう風にしか捉えることができなかった。
そしてそれは、真実でもあった。
「…どうして……どうしてこんなことを…」
燐はどうしようもなく、項垂れた。燐は鈴仙を信じていた。そして、天ぷらに毒が盛ってあったということは、鈴仙は燐を殺すつもりだったということだ。
あたいが何か鈴仙の気に障ることをしたんだろうか。鈴仙はどうしようもなくあたいのことが嫌いだったのだろうか。
そんな考えばかりが燐の頭を過ぎった。
信じたくなかった。
少なくとも、燐には鈴仙が良い兎だと映っていた。友達になれると思っていた。
しかし、それは裏切られた。
ならば、自分はこれから、一体何を信じればいいのだ?
「鈴──」
「そこまでよ。この大嘘吐き!!!」
燐の体に衝撃が走った。
それが弾幕による攻撃だと分かった時には、穣子が鈴仙を庇うように間に入り、仁王立ちで睨んでいた。
「…な、何を……」
「何を? ふざけんじゃないわよ! あんた、さっき何て言ってた。この兎に対して、『どうしてこんなことを』、そう言ったのよ。あんた…ふざけるのも大概にしなさい!!」
燐には穣子の言ってることがまったくわからなかった。友達の死で、頭がどうかしてしまったんじゃないかとすら思った。
「不思議そうね。自分の悪行がどうしてばれたのか、まだわからないの? だったら、これを見たら納得できるかしら!?」
そう言って、穣子は一枚の紙を取り出した。
それは、燐の地図だった。
「本当に、危うく騙されるところだったわ。これを見てなけりゃ、私もそこの兎を責め立ててたかもしれない。この、『死体安置』の文字さえ見てなけりゃね!!」
燐の血の気が引いた。
死体集めという一風も二風も変わった趣味を持つ燐が、この殺し合いの場に放り込まれてから見つけた死体の隠し場所を記したものだった。常人の目で見れば、確かにそれは異常なもので、穣子が燐のことを殺し合いに乗っていると勘違いしても無理はなかった。
「雛のおかげよ。最後の最後でもがき苦しんでたあの時に、あんたのバックからこぼれ落ちたのよ。……雛の、もう、死んでしまった雛の、おかげ」
最後の言葉には、深い悲しみの色が見えた。
「ち、違う。違うの…」
「雛の死体もここに運ぶつもりだったの? 死体を集めて何をしようとしてたのかなんて聞かない。聞きたくもない。あなたは最低の猫よ。私の親友をこんな毒で殺して、あまつさえ友達に罪を擦り付けようだなんて。…あなたは最低よ。この外道!!」
穣子の眼には怒りの感情がギラギラと見てとれた。
この最悪の状況をどうやったら打破できるのか皆目見当がつかない。ただ、今の穣子には何を言っても聞いてくれそうにない。それだけは分かった。
その時、ようやくもう一人の存在に気づいた。
先程から何も喋らないが、この中では誰よりも信頼関係が強いこいしがいることをようやく思い出した。
彼女に自分の無実を話し、穣子を説得してもらえばいい。
燐は藁にもすがる思いで、こいしの姿を視認し、声を掛けた。
「こいし! ……様…」
こいしを見て、燐は絶望を知った。
こいしの大きく見開かれた目、震える口、その全てが物語っていた。
こいしは、燐を疑っていた。
「こ、こいし様。あたい、あたいはやってない。あたいはやってない! 信じて! ねぇ、信じてよこいし様!!」
こいしは燐の趣味を知っている。そして、こんな惨たらしい殺しを望む性格でなかったことも知ってる筈だ。なのにこいしは、燐を前に怯えていた。
これには、燐の勘違いが大きな原因としてあった。いや、勘違いというよりはむしろ“こいしを知らなかった”と言った方が適しているかもしれない。
実はこいしは、燐のことなどこれっぽっちも分かっていなかったのだ。確かに何百年と一緒に生きてきた。色んな話もしたし、周りから見ればそれなりに仲が良かったともいえるだろう。
だがしかし、その実燐とこいしの間には何もなかった。主従関係も、友情関係も、ペットと飼い主という関係すら結べていなかった。
こいしとの間で、何らかの関係を結べる者などいなかった。
彼女の無意識の能力が、そうさせていた。他者の心を受け入れず、自分の心も閉ざしたまま。そんな彼女との間に、一体誰が信頼関係など結べるというのだ。しかも、ここが疑心暗鬼の渦巻く殺し合いの会場だというのなら尚更だ。友達という言葉はこいしにとって上辺の言葉だった。
そして今、こいしの能力には制限が掛かっている。何も感じずにいられる無意識の能力は封印されていた。だから、彼女はありのままの事実を受け入れた。
『燐が自身の趣味によって、雛を殺した』という恐怖の事実を。
彼女は究極のところ、誰も何も信じていなかったのだ。
「お燐。どうして、こんなことを」
「違うよぉ。お願い。信じて…」
泣き泣き懇願する燐の言葉も、穣子はおろかこいしにも届いていなかった。
「…本当に救えないわね。まだ言う訳? まだあの兎のせいにするってわけ!?」
穣子は燐の胸倉を掴んで無理矢理立たせた。
「いきなり誰かが死んで、ショックで口も聞けないような娘に、どうして罪を擦り付けるなんてことが出来るの!? あんたは悪魔だわ。吸血鬼なんかよりも、よっぽど悪魔らしい!」
燐の頭に衝撃が走った。
穣子の右拳が、燐の頬に直撃したのだ。
グキリ、という音が聞こえた。燐ではない。穣子の手首が捻った音だ。
普段そんな喧嘩紛いなことをしたことがない穣子は、たった一撃の拳すらまともに放つことが出来なかった。
そんな一撃は、穣子の温和な性格を表すもので、それほどまでに彼女は怒っているのだということの証明だった。
どうしても殴ってやりたかった。殺しはせずとも、弾幕ではなく自分の拳で殴ってやりたかったのだ。
痛い、とは言わない。だって雛はもっと痛かったはずだから。もっと苦しかったはずだから。
穣子は燐をそのまま突き放した。
このまま胸倉を掴んでいては殴れないと判断したためだ。
受け身も取らず豪快に転がる燐。
そのままズンズンと近づき、今度は左手で殴ろうとした時だ。
何かが燐の懐から落ちた。
ピン
地面にそれがぶつかると共に何かが抜けるような、妙な金属音がした。
穣子にはそれが何なのかわからなかった。
だが、この騒動の渦中から離れていた鈴仙には、唯一その存在を知る鈴仙には、それが何の音なのかがすぐに判断できた。
破片手榴弾だ。
「ば、爆発する!!」
数秒の間を置いて、人里のとある一家を中心に爆発音が響いた。
わけが分からない。つい先程まで仲良くしてたのに。楽しい時間を過ごせていたのに。
こいしはただひたすらに走りながら過去を思った。ヌメッとした体が気持ち悪い。こびれ付いた臭いで吐き気がする。それでも彼女は走っていた。
彼女はあれだけの爆発の中、無傷だった。それはまさに奇跡と呼ぶに相応しいことだった。
確かに爆発という単語を聞いて咄嗟に逃げはした。
だが破片手榴弾の恐ろしいところはその名の通り破片にある。爆発に巻き込まれなくともその破片は半径15mもの範囲まで襲ってくる。
破片が飛んで来ることを知っているのならまだしも、こいしには何かが爆発するとしか分からなかった。だから一直線に音のした方から逃げてきたのだ。当然破片の餌食になっていてもおかしくない。
それなのに、彼女は無傷だった。
まるで、“障害物が自ら進んでこいしを庇ったかのように”。
そんなことは露も知らないこいしはただ走った。もう誰も信じれなかった。
一緒に行動してきた穣子も、もうこいしには信じれなかった。
走りに走って、こいしは息を荒げて立ち止った。
「何で。…どうして。信じてたのに。わたし、信じてたのに」
「嘘ね」
聞こえる筈のない第三者の声がこいしに届いた。
思わず声の方へと振り向いた。
「あなたは何も信じてない。他人も、自分自身も。そうでしょ? 古明地こいし」
「あ、あなたは…? どうして私を」
「ああ。こうして顔を合わせて話すのは初めてだったかしら。まぁそんなことはどうでもいいことよ」
アリスは一歩こいしに近づいた。
それに合わせるかのように、こいしは一歩退いた。
「…そんなに警戒しないで。私はあなたの味方よ」
「味方…なんていない。みんな、みんな嘘吐きだ」
アリスはうっすらと笑みを浮かべ、まじまじとこいしを見た。
まるで品定めをするかのように。屋台店で有用な物を見極めるように。
そして、アリスは冷淡に言い放った。
「…あなた。何を当然のことを言ってるの?」
「…え?」
「あなたが一番よく分かってるくせに。人間だろうと妖怪だろうと誰しもが嘘をつく。自分を取り繕う。だから、あなたは“眼”を封印したんでしょ?」
ゴクリ、と喉が鳴った。
何故それを知ってるのか。第三の眼、人の心を読むさとりの能力。面識もない者にまで知れ渡っている程自分は有名人ではない。
「……お友達が殺し合いにでも乗ってたのかしら?」
ビクッ、と体が反応した。
「ふふふ。図星ね」
アリスは再び歩み寄った。
こいしがそれに気づき、距離を置こうとした時には既に腕を掴まれていた。
「今のあなたの気分は最悪なんでしょうけど、この経験はとても良いことなのよ。この世の中に、本当に信じれる存在なんていると思う? いるわけないわ」
「う、嘘…よ」
「あら、あなたには分かるのかしら。私が嘘を言っても分かるのかしら。自分から“眼”を封印した弱虫なあなたに」
まただ。何故自分のことを知っているのか。
こいしの脳裏に、さとりの姿が浮かんだ。
…もしかして、心を読まれてる?
「あなたには嘘が分からない。だから、誰が何を思ってるのかなんて分かるわけがないのよ。例えばそのお友達がずぅっと前からあなたを憎んでいたとしてもね」
こいしの中で、漠然とした不安の渦が形になって現れ始めた。
「殺し合いに乗るっていうのはそういうことだものね。参加してる者全員を殺す。それが殺し合いに乗るってことだものね。…あなた、彼女に何かしたんじゃないの? 自分の知らないところで人の恨みを買うっていうのはよくあることよ」
こいしは軽いパニックを起こしていた。
もしかしたら、穣子も、雛も、お空も…お姉ちゃんも、自分を恨んでいるのかもしれない。そんな不安が渦巻き始めた。
いや、違う。そんな訳ない。(何を根拠にそう言えるの? 私は心を読むことも出来ないんだよ?)お姉ちゃんも、皆も、きっとそんなこと思ってない。だってずっと一緒に暮らしてきたんだもん。(ならどうしてお燐は殺し合いに乗ってたの? ずっと一緒に暮らしてた。なのに皆を殺そうとしたんだよ?)
「うるさいっっ!!!!」
息を荒立て、突然こいしは唸った。
さすがにアリスも少し驚いたが、すぐに冷笑へと変わった。
「皆がどうしてあなたに無関心か、分かる? よく思い出してみて。あなたは燐と本音で語り合ったことがある? 空にだってそう。あなたのお姉ちゃんにだって、あなたは自分の心を閉ざしたままだった。誰だって愛想尽きるわよそんなの」
「止めてぇ!!! 止めて止めて!! 聞きたくない!!! 聞きたくないよぉ!!!!」
頭を抱え、こいしは蹲った。
無関心でいたい。いつものように無意識でいたい。だが、それは出来なかった。それが主催者の言っていた制限だということすらこいしには分からなかった。
今のこいしに出来る事は、無意識でいられるように流れ来る情報を遮断することだけだった。
「聞きなさい」
「聞きたくない!! 聞きたくない!!!」
ブンブンと頭を振り、耳に手を当てて泣きじゃくった。
「聞きなさい!!」
こいしの腕を掴み、面と向かってアリスは怒鳴った。
こいしの頬を伝う涙を見て、アリスはとても悲しそうに言った。
「あなたの気持ち、分かるわ。私、あなたの気持ちが凄く分かる」
こいしは、ただ茫然とアリスの次の言葉を聞くために黙り込んだ。
初めてだった。自分の気持ちが分かると言われたのは。本当に、お姉ちゃんにだって言われたことのない、初めての言葉だった。
「他人の目はとても怖いわ。誰かが自分のことを恨んでいるなんて、考えたくもない」
昔のことだ。本当に大昔のこと。
こいしが姉であるさとりにも内緒で勝手に目を閉ざしてしまった時のこと。
さとりはこいしを叱った。叱りに叱って、叱り飛ばした。こいしはあの時、何も感じていなかった。だが、今は分かる。あの時私は、悲しかったのだ。自分の気持ちを、お姉ちゃんに理解してもらえないことが、とても悲しかったのだ。
「私はあなたに嘘をついた。誰も信じれるわけないって言ったけど、あれは違うわ。信じる事は出来る。私はあなたの気持ちが良く分かる。だから、私はあなたを信じれる。あなたは、どう?」
こいしはアリスの問いには答えなかった。だが代わりに、こいしにとってとても大事なことを喋っていた。
「……私、わ、た、…し。誰かと、友達に……なりたかった。ずっと…ずっと、皆に…好かれて、み…んなと……友達に…」
涙ながらのこいしの言葉は、初めて発した唯一の本音だった。心を閉ざす前も後も、ずっと願っていたものだった。ずっと、他人にも自分にもひた隠してきたものだった。それをこいしは初めて他人に打ち明けた。
こいしはただ、友達が欲しかっただけだった。
アリスはこいしをそっと抱き寄せた。
「かわいそうなこいし。ずっとずっと友達が欲しかったのね。…私が友達になってあげる。例え世界中の皆があなたを恨もうと、私だけはあなたの味方になる。…だから、心を閉ざしちゃってもいいの。何も感じなくていいの。私があなたの苦しみを背負ってあげるから。私に全てを捧げなさい。そうすれば、きっとあなたは楽になる」
暖かい温もりをこいしは感じていた。まるでずっと人と触れ合っていなかったかのように、アリスの体温はとても暖かく感じた。まるで母親の羊水に浸かっているかのような安心感がこいしの全体を支配していた。
こいしはしばらく沈黙し、やがて口を開いた。
「私は…あなたを信じます」
まったくもって運が良い。
アリス達は少し離れた民家へと移動していた。
その家の居間でアリスは、精神的疲労の為か筵の上で寝息を立てている大きな操り人形を見て微笑んだ。
懐柔はうまくいったようだ。少し音をたてすぎたが、誰にも見つかっていないしすぐに離れた。許容範囲内だろう。
アリスは思い出したかのように、袋から一冊の資料を取り出した。アリスが殺した永江衣玖の支給品の最後の一つ。
表紙にでかでかと書かれてある『詳細名簿』という代物だ。
ペラペラ捲っていき、『古明地こいし』という項目で止まった。
『心を読む力は、自らの心の強さでもある。それを嫌われるからと言って閉ざしてしまう事は、ただの逃げであり、結局は自らの心を閉ざしたのと変わらない。他人の心を受け入れないで完全にシャットダウンする事なのだ。』
その一節を黙読し、まさにその通りだとアリスは思った。
結局のところ、こいしは自分の弱さに負けた。自分の弱すぎるその身を補う為に、アリスという先導者を欲したのだ。
休息できるような民家を探しに人里へ入り、妙な爆発音があった時は正直迷った。行くか、行かざるか。普段のアリスなら危険は最小限に抑えようと考えただろう。
しかし、今は違った。『他者を利用して優勝する』という行動指針からして消極的ではいられない。必ず誰かと接触しなければならないのだ。
ならば隠れる場所の比較的多いこの場所で、銃という武器が手元にあるこの時に、そしてできるだけ早い時期に、駒を増やす必要があると判断したのだ。
そして、結果は最良。
よりにもよって、一番手駒にしやすい妖怪が、一番最高のコンディションでうろうろしていたのだ。
これ以上の幸運があるのだろうか。
だがアリスは幸運を感じつつも、さらなる欲望があった。
こいしへの洗脳をもっと確実なものにしたいという欲望が。
こいしはまだ完全に我を捨てたわけではない。ただアリスという存在に依存しているだけに過ぎない。やり方次第で操ることは可能だろうが、それでは駄目なのだ。
アリスが欲しいのは、誰であろうと即座に命令通り殺せるような殺人人形。そんな存在へとこいしを昇華させたいのだ。
「ま、そこはゆっくりといきますか」
アリスには欲があるが、期待はない。何故なら期待とは、ただ幸運を待つだけのものだからだ。今回の行動も、ただ幸運であっただけだとはアリスは考えていない。自分の危険も顧みない攻めの行動が導き出したものだ。そう考えていた。
アリスは強かった。精神的に、とても強かった。生への執着は誰よりもあるものの、臆することなしに冷静に物事を見つめることができた。その点、鈴仙とは比べ物にならない程に強かった。
精神の強さは肉体の強さを凌駕する。彼女の強靭な精神力がどれほどの力を生み出すのか。それは誰にもわからない。
アリスはちらりとこいしを、その第三の眼を一瞥した。
こいしの第三の眼は、堅く堅く閉ざされていた。
燐は歩いた。目的もなく、ただ歩いた。よろよろと、まるで亡者のように、民家が建ち並ぶ道々を歩いていた。
ふと、井戸近くに置いてあるバケツにつまずいた。
音を立ててバケツは転がり、燐は受け身もとらずに倒れた。
ゴツン、という音がする。倒れた拍子に頭を打ったのだ。
血が滴る。
しかし、燐は意にも返さない。
ゆっくりと起き上り、再び歩いた。
燐の右目がなかった。
正確に言うと、壁に反射した破片が燐の右目に突き刺さり、眼球を抉っていたのだ。
脳にまで至る深い傷じゃない。
せいぜい水晶体を突き破り、硝子体がぐちゃぐちゃになって燐の顔に飛び散っているだけだ。
死ぬような傷じゃない。
だから、燐はそのことを意にも返さずただ歩いた。
脳裏には、先程の出来事が刻みこまれていた。
信じていた者からの裏切り。鈴仙と、こいしの裏切り。
何故裏切られたのだろうか。何故信じてもらえなかったのだろうか。
その問いに、燐はすぐに答えを出せた。まるで天からの啓示のように答えが頭の中へと飛び込んだ。
ああ、そういうことか。これが殺し合いなんだ。信じれる人なんていないんだ。
さとり様だってきっと乗ってるに違いない。あんなに怖い御方なんだから、乗ってない筈がない。お空だってきっと乗ってる。裏では何を考えてるかなんてわからないもんね。鈴仙みたいにあたいを殺す算段をたてているんだ。
……あ~、そっかそっか。今やっとわかった。
こいし様も殺し合いに乗ってたんだ。どうして気付かなかったんだろう。皆で寄ってたかってあたいを嬲り殺すつもりだったんだ。なんてったってさとり様の妹だもんね。恐ろしくないわけがないよ。きっと彼女も乗ってるんだ。だからあたいを信じてくれなかったんだ。そうだそうだ。そうに違いない。
燐は笑った。大声で、快活に、狂気すら滲ませて笑った。
それが、答えが出たことに対する喜びなのか、世の全てを嘲ったものなのか、自分でも判断がつかなかった。
「あ~、何しようとしてたんだっけ。そうだ、死体集めだったっけ。死体集めしようかなぁ。死体集めしたいあつめしたいあつめ」
ぶつぶつ呟きながら彼女は歩いた。ただ一つの目的を持って、ただ歩いた。
「う……ぁ…」
爆発のあった家のすぐ近く。
そこで穣子のうめき声を、鈴仙は呆然として聞いていた。
鈴仙は手榴弾が爆発する刹那、その性質を知っていることが幸いして、すぐに安全地帯へと隠れることができた。爆発するまでの5秒という時間も正確に知っていたから当初の目的である燐の袋も入手することができた。
まさに脱兎の如く、自分の生命の危機には敏感に反応できた。
しかしその時、破片の死角になるように台所の釜戸の影に隠れ、手榴弾が爆発した時、彼女は見た。
爆撃から逃げのびたこいしへと発射された数々の破片。それらから、穣子が自らを挺してこいしを守ったところを。
「……こ…いし……は、……ぶ…じ……?」
血の絨毯に横たわる穣子の体は大小の破片で装飾されていた。太陽に反射して全身がキラキラと光っていた。
徐々に燃え盛る家までもが穣子の体を光らせていた。
鈴仙は今の穣子を放置しておくことができなかった。だから、家が炎に包まれる前に外へと連れ出した。少しでも延命できるように。
「こ……いし……は……?」
「あなた、何人の心配してるのよ。自分の傷を見なさいよ!! あなた、…死んじゃうかもしれないのよ!?」
鈴仙は堪らず声を荒げた。
「だい……じょ…ぶ。痛……み…は…消えて……きたから」
鈴仙も伊達に医者である永琳の手伝いをしてきたわけじゃない。
穣子がもう余命幾許もないことはすぐに理解できた。
「…ぶ…じ……なの…?」
「…ええ。無事よ。家から出て行くのが見えたわ。…あなたが守ったの」
その言葉に、穣子はホッとしたように息を吐いた。
「よ……かった」
穣子は鈴仙の声を聞き、自分の命よりもこいしの命を優先して動いたのだ。
どれほどの爆発が起きるのかは穣子には分からなった。だから少しでも衝撃を抑える為に、わざとこいしと爆弾の延長線上へと割り込んだのだ。
それは最早無意識下での行動だった。
「……爆…弾、…実は……見つけて…た…の。…地…図と……一…緒に……四つ…も……あった………から、…もう……持って……ないと…思ってた。……わた…し……甘……かった。…ご…めん」
「謝らないで!」
謝罪の言葉は、今の鈴仙にとって何よりも重く鋭い剣だった。
「支給…品。…差……あり…すぎる……よ。私……カメラ…しか……入って…なかった」
自嘲するかのように笑う穣子。笑顔が引き攣っていた。
「ね。……こい…し…は…?」
鈴仙は一瞬どう答えたものか悩んだが、すぐに本当のことを話した。
「……あ。…えと、逃げてったよ」
「……お…願い。あの娘……守って…あげ……て」
「え?」
「私…の……分まで、…守って……あげて。静…葉って……お姉…ちゃん……も」
鈴仙は動揺した。
彼女は自分の命が危険だというのに、未だに誰かの心配をしている。
「どうして? あなたは、どうしてそんなに…そんなに人の心配ができるの!? お姉ちゃんの心配するのは分かる。でも、さっき会ったばかりの娘を、どうしてそんなになってまで心配できるの!?」
「……友……達…だから」
穣子とこいしが一緒に過ごした時間はわずか数時間しかない。
それでもその数時間は、穣子にとって友人関係を築く上で短い時間ではなかった。
一緒に笑い、同じ姉を想う気持ちを持つこいし。穣子にとって、もう既にこいしは友達だった。たとえこいしがそう思っていなくとも、それは元来変わることのない確かな想いだった。
鈴仙はその暖かい心に触れた。自分と正反対の強い想いを持った彼女と接し、鈴仙の中で何かが溶けていくのがわかった。
友達だから守る。そんな馬鹿らしくも尊いことが、鈴仙の眼を覚まさせた。
鈴仙は瞑想した。自分の犯した過ちの大きさを思った。こんな罪深い私でも、できることがある。穣子の意思を継ぎ、二人を守ることができる。
鈴仙は意を決して目を開けた。
「……わかったよ。私、二人共助け──」
音楽が流れた。
大音量というわけではない。耳にすんなりと入ってくるような定量の音。だがその音は周り全域に広がっていた。確信する。この音は会場全体に流れている。
鈴仙の背筋が凍った。
この音の発生源。それは分からないが、誰が流しているのかは即座に分かった。
思い出される、あの冷たい瞳。何の感情も含まないあの声。
この音楽は鈴仙にとって音楽じゃなかった。
唯一無二、絶対に逆らえない主催者、八意永琳の無言のメッセージだった。
あなたは殺し合いに乗っていなさい。そう言われている気分だった。
鈴仙の言葉は止まったまま、定時放送が始まった。
【D-4 民家 早朝・一日目】
【アリス・マーガトロイド】
[状態]健康
[装備]銀のナイフ×9 強そうな銃(S&Wとは比べ物にならない?)
[道具]支給品一式×2 詳細名簿
[思考・状況]基本方針;どんな手段を使ってでも優勝する
1. 始まったわね…
2. 少し休憩
3. こいしを完全に洗脳したい
※詳細名簿のほとんどを暗記しています
【古明地こいし】
[状態]健康 血塗れ 疲労(中) 精神疲労(大)
[装備]なし
[道具]支給品一式 ランダムアイテム1~3
[思考・状況]基本方針;アリスに従う
1. …………(睡眠中)
※アリスに心を読める能力があるかもしれないと思っています
【D-3 里の中央 早朝・一日目】
【火焔猫燐】
[状態]疲労(小) 右目消失 アドレナリン大量分泌による痛覚の麻痺? 頭部に小さな切り傷(血液流出) 頬にあざ
[装備]破片手榴弾
[道具]なし
[思考・状況]基本方針;死体集め
1. したいあつめはたのしいな~
2. もう誰も信用しない
【D-3 里(辺境にあたる) 早朝・一日目】
【
鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(小)
[装備]毒薬(少量)
[道具]支給品一式 燐の袋(支給品一式 破片手榴弾×4)
[思考・状況]基本方針;??????
【秋穣子】
[状態]全身に破片による裂傷 大量出血
[装備]なし
[道具]支給品一式 文のカメラ
[思考・状況]基本方針;…………
1. 鈴仙にこいしと静葉を守ってもらう
※放っておくと十分程度で死に至ります
※詳細名簿
参加者のプロフィールが載っています。
【鍵山雛 死亡】
【残り40人】
最終更新:2009年06月20日 23:21