上を向いて歩こう

上を向いて歩こう ◆Sftv3gSRvM



 太陽の上端が地平線に重なってから数刻の時が経ち、高々と昇った強い日差しは箱庭の世界に色彩と陽気を与えている。
 本日も快晴。いつもなら心地よい熱に浮かれて、宴会の準備と洒落込んでいるだろう行楽日和。
 そんな晴々しさとは無縁の渋い表情で、人里の南方にある高原地帯をとぼとぼ、と意気消沈の体で歩いている二人組がいた。
 幻想郷の鬼、伊吹萃香と、河童エンジニアの河城にとりである。
 酒が完全に切れたのか、萃香の足取りはしっかりとしている反面、その顔は俯いていて、両肩は力なく垂れ下がっている。
 いつもの快活さがまるでない小さな百鬼夜行に、にとりはどう声を掛けていいものか逡巡していた。
 どうしてこんなコトに、と当惑の混じった愚痴をこぼしながら、にとりは四時間ほど前の出来事を思い返した。






『―――皆様、ご機嫌いかがでしょうか?』

 その声が聞こえたのは、逃走した主催者、八意永琳の行方を追跡しようと、二人が魔法の森まで差し掛かった頃だった。
 聞き覚えのある声色、というよりもついさっきまで対峙していたはずの女性の声が突然、幻想郷中に鳴り響いたのだ。
 萃香とにとりは面食らって、辺り一帯を見渡した。北上した永琳がどこに向かったのかは知らないが、少なくとも付近にはいない。
 この声はどこから流しているのだろうか?

「ど、どういうこと? これもあいつの能力なの?」
「拡声器? ……いや、このスケールは単体でどうにか出来るもんじゃない。もしかして近くにそういう施設があるのかも」

 放送の仕掛けが特殊能力によるもの、と疑う萃香と、何かしらの技術を用いて行っている、と予想するにとり。
 この辺りが両者の価値観の違いを物語っている。
 そんな二人の戸惑いなど歯牙にもかけず、放送の声は淡々とこれまでの情報を断片的に供した。
 主催者の狂性を匂わす挨拶、これまでの死者の名前、そして最後に禁止エリアの通達で締めて、大掛かりな放送は終わりを告げる。
 直後、萃香はブルブル、と震える小さな拳を思い切り地面に叩きつけた。
 大きな衝撃音と共に陥没した大地を、にとりは何とも言えない顔で見つめていた。

「―――ふざけんなッ! 何が愉快だ! これのどこが面白い!!」
「萃香……」
「確かにごっこ遊びに縛られて、鬼の本懐も果たせない毎日に不満はあったよ。
 ……でもっ! みんな笑ってた! 飲兵衛どもで集まって、歌って、騒いで、馬鹿やって……楽しかったのにっ!!」

 四つん這いになった萃香は、涙声で何度も何度も地面に拳を打ち付ける。
 その度に、頑強であったはずの皮膚が破れ、白い拳は自身の血で赤く染められた。
 血相変えたにとりは、大慌てで萃香を羽交い絞めにし、咽び泣く鬼の少女の耳元で喚いた。

「や、やめなよっ! あんたが自棄起こしたって死んだ奴らは帰ってきやしない!」
「そんな事わかってるっ! でも許せないんだ! こんな殺し合いを仕組んだあの女も、それを止められなかった私も―――!!」
「まだ止められないと決まったワケじゃない! 仲間を集めて、あいつを倒せば取り返しは」
「つくもんかっ! ……畜生。チクショウッ! 勇儀……なんで……」

 萃香が小さく呟いた名前を聞いて、にとりは何故、彼女がここまで取り乱したのかを悟った。
 星熊勇儀。このゲームの参加者で、唯一萃香と同族である、怪力乱神を持つ鬼の少女。
 同族意識が強いと聞く鬼が、その仲間の死を一方的に伝えられたのだ。怒りと悲しみに我を忘れても仕方ないのかもしれない。
 だが、ここは殺し合いの場だ。脱落者の数を聞く限り、相当数の戦いがこの地で行われたのだろう。
 どこにいたって安全とは言い難い。そんな中、頼みの綱である萃香がこの有様では正直心許ない。
 今この瞬間にも不意を突かれれば、という焦りがにとりの恐怖心を煽り立てる。
 冷たいようだが、命を預けている身としては一刻も早く立ち直ってもらう他なかった。

「……しっかりしておくれよ。私にもあんたにもまだやれることは残ってる。弔い合戦しろとは言わないさ。
 でもね。私はこれ以上、無為な犠牲者を増やすのは真っ平御免だよ? あんただってそうだろ!?」
「霊夢を止められなかった、八意永琳にもまんまと逃げられたっ。私は、私はっ……」

 素面に戻り、友を失った悔恨を酔いで紛らわす事の出来ない萃香の慟哭は大きかった。
 密と疎を操る能力を失い、自分の無力さに嘆く萃香の喪失感は強かった。
 今まで己を奮い立たせていた気勢は、所詮メッキに近いもの。
 一度揺れれば、それはいとも簡単に剥がれ落ち、手薬煉引いて待っていた内心の不安や恐怖が心を占める。
 普段の尊大な態度は形を潜め、歳相応の少女のように肩を震わせている萃香の背中が、にとりにはひどく小さく見えた。
 この内向的な弱さや脆さもまた、彼女の本質とも言える一面なのかもしれない。
 口で言って塞がるような傷ではない。時間を掛けて、何か立ち直る切欠を得られでもしない限りは。
 そう判断したにとりが、次に発したのは慰めでも励ましの言葉でもない、嘲りの入った詰問だった。

「……これが誇り高い鬼の姿? いつまでも泣き言ばっか言って、自慢の角も隠して、身体丸めて震えているのが鬼の生き様なのかい?」
「ちっ、違う!」
「だったら私の話を聞いて。永琳の居所だけど、私の考えが正しければあいつはもう最初に皆が集まった妙な部屋に戻っている。
 あの酒樽ばっかのジメジメしたトコ。覚えてるでしょ?」
「……」
「萃香!」
「……ああ、覚えているよ」

 数瞬の間を置いて、ようやく萃香から反応を得られたことに、にとりはホッ、と息をつく。
 今の彼女の意識を自分に向けさせるには、多少強引な―――鬼のプライドを刺激する―――手段を取らなければ叶わないと思ったからだ。
 ……逆上されたりしないか、内心はビクビクものであったが、どうやら功を奏したらしい。

(私じゃ萃香を元気づけられない。だったら元気になるまで私が前に引っ張らなくちゃ。命を助けてもらった恩をここで返さなくちゃ。
 このまま何も出来ずにやられたんじゃ、それこそ死んでいった奴らに顔向けも出来ないよ)

 そんな使命感を胸に、にとりは先の放送で纏まった意見を、今も地面に蹲る萃香に告げた。

「あんな広域に渡って声を届かせるなんて技術、少なくとも今の幻想郷には存在しないからね。
 永遠亭か妖怪の山に行けば、機材が揃うかもしれないけど、ここからじゃ遠すぎるし……」
「……ってことは」
「うん。多分この森のどこかに、あいつの基地っていうか、設備の整った施設が作られているんだと思う」

 そう言って、にとりは目の前に広がる魔法の森を指し示した。
 彼女たちは今、F-5の南西にある、森と草原の境界線付近にいる。永琳は間違いなくこの方角に向かって逃げていった。
 時間的に見ても、隙間のような特別な力でもない限り、ここから極端に離れた場所に移動は出来ないはずだ。
 もし仮に主催者権限で自由に移動が出来るなら、自分たちと交戦した時も、あっさりと逃げおおせられたはずなのだから。
 となると、永琳があれほどの放送を可能とする施設の場所は、魔法の森以外に有り得ない。
 にとりがそう締め括ったのと同時に、萃香は先ほどまでの消沈はどこへやら、鼻息荒く森に向かって歩き出した。

「その施設とやらを探そう! 根城さえ掴んじまえばあいつは袋の鼠だ。ボコボコにとっちめて、勇儀や死んでしまった奴らの墓前で詫びさせてやる!」
「待った! 施設の目星をつけとくのには賛成だけど、攻め込むのは首輪が取れてからだよ!
 あいつ言ってたじゃないか。首輪には生体反応を感知する装置が組み込まれてるって。これがある限り、私達の生殺与奪は永琳が握っているんだよ」
「わかってるさ。でもそんな時間はっ!」
「根拠もあるんだ。さっきの放送で死んだ参加者の名前を読み上げた時、萃香は何か違和感を感じなかった?」
「……違和感?」

 死者の名前。あの時は勇儀の死で頭が真っ白になって、他に何も考えられなかった。
 萃香が何も言えず口ごもっていると、にとりはスキマ袋から参加者名簿を取り出し、その中にある勇儀の名前を指差した。

「嫌なこと思い出させるようで悪いけど、彼女の名前は名簿の最後の方に載ってる。
 でも勇儀は名簿の通りには呼ばれなかった。他の参加者も読み上げられた順番はバラバラだ。
 これは主催者からのヒントなんだと思う。この順番には何らかの意図があるんだよ。それはつまり」
「……死んだ順番に呼ばれたってこと? この首輪で参加者の生死が把握できているから?」
「それだけじゃないよ。体温や心音をセンサーするだけの装置でも、それくらい出来たって不思議じゃない。
 でもあいつは、各々の死んだ時間まで正確に掴んでいるんだ。死後硬直を利用したんだろうけど、それだけでも相当高度な技術だと思うよ」
「下手したら、死んだ場所や死に方までわかっているかもしれないの……?」

 これじゃ私の能力みたいじゃないか、と萃香はゾッ、とした。
 情報を集めるではなく、『萃める』。
 もしかしたら、自分たちと戦っている最中も永琳は遠く離れた他者の死を認識出来ていたのかもしれない。
 鬼の能力さえ完膚なきまで封じ込め、尚且つ自分に似た得体の知れない能力を有する主催者。
 押し込めてた恐怖が首を擡げかけ、萃香は慌ててブルブル、と首を振った。
 勝手な憶測で敵を大きくしてどうするんだ、と自らの弱さを自戒しながら。

「……わかった。とりあえず場所だけでも確認しておこうよ。無茶はしないって約束するから」
「そうだね。でも霊夢みたいな奴もいるかもしれないし、慎重にね」
「ああ」

 光学迷彩を被っているにとりはともかく、自信喪失気味の今の萃香ではただの妖怪相手でさえ足元を掬われかねない。
 心配そうに視線をやるにとりから目を逸らし、萃香は今度こそ魔法の森を目指して歩を進めた。



 ―――あてどなく森を彷徨って早一時間。
 本当なら手分けで探した方が効率がいいのだろうが、リスクを考え探索は二人一緒で行われた。
 途中で誰かに遭遇することがなかったのは、果たして運がいいのか悪いのか。
 建物全体にカムフラージュが掛けられてるかも、というにとりの言葉を頼りに、一歩一歩周囲に気を配ってみるも、何の手掛かりも得られなかった。
 重苦しい沈黙が場を支配する。
 もしかして自分の考えは的外れだったのか、という不安がチラチラ、とにとりの脳裏に浮かぶ。
 実は、永琳は最初の部屋から一歩も動いてなくて、自分たちが遭遇したのは彼女の分身体かもしれない。
 どこかに主催者専用の地下通路が隠されていて、人目につかない移動は容易なのかもしれない。
 いや、そもそも施設自体が地下にあるという可能性も―――
 種族柄、なまじ想像力が豊かなにとりは、無限に広がるイフの仮定に煩悶する。
 このままではいけない。眉間に刻まれた皺を伸ばして、しっかりしろ! と頬を叩いて活を入れた。
 まだ探し始めたばかりだ。きっと何かヒントくらいは見つかるはず。
 そうして、奮起と落胆を繰り返す時間は、瞬く間に過ぎ去り……。



 ―――二時間経過。
 この頃になると、二人の顔には諦観の方が色濃く表れていた。
 アテが外れた、永琳の施設はない、と断定したわけではない。二人の目では見つけられない程に巧妙に隠されているのだろう。
 しかし、懸命な努力が空回りしたことに違いはない。萃香が何かに耐えるかのように、歯を食いしばる。
 今ほど能力が使えない自分をもどかしいと思った事はなかった。

(―――私は、こんなにもちっぽけだったのか)

 何て無様な。何て滑稽な。今の自分はただ他より腕力が強いだけの、ただの小娘に過ぎない。
 こうして歩き回っている間にも、誰かが助けを求めながら、力尽きようとしているかもしれないのに。

「……にとり、紅魔館に行こう。見つけるには人手が足りないみたいだ」
「そう、だね。……萃香、大丈夫? 少し顔色が悪いよ?」
「……そうかな? 酔いは醒めてるはずなのにおかしいね。……心配かけてゴメンよ」
「な、何謝ってんのさ。らしくないよ」
「本当に、どうしちゃったんだろうね。……ああ、こんな時に言うべきじゃないってわかってるんだけど」


 どっかに酒落ちてないかなぁ。


 泣きそうな声で、ポツリ、と一言そう呟いた。






 そして、回想は終わり、現在の時間まで戻る。
 あれから萃香は一言も喋らない。
 退屈な日常に帰る、というささやかな望みは、主催者の放送によって打ち砕かれてしまった。
 まだやり直しはきくかもしれない。だが、もう完全に元に戻ることは……二度とない。
 これ以上、八意永琳の好きにさせたくなくても、今の自分では何が出来るのか、どうすればいいのかすらもわからない。
 酒によって逃避することも出来ない萃香の心は雪隠詰めにあい、時が経つほどに自己嫌悪と焦燥感を募らせていく。

 そんな萃香を案じたにとりは、参加者の多そうな人里を避け、南に迂回するルートで紅魔館に向かう事を提案した。
 今の彼女では、もし危険人物と遭遇しても満足に戦えないだろう。保身も多分に入り混じってるが、何よりも萃香の身が心配だった。
 この小さな鬼を死なせたくない。強いけど脆い、この優しい少女と一緒に元の日常に戻りたい。
 昨日までは鬼という種族に恐怖と偏見を抱いていたのに、この心変わりは何だろう、とにとりは自分の単純な思考回路に一人ごちた。
 でもそれは、きっと鬼の弱さを見てしまったから。
 いくら強くても、その心の在り様は自分たちのような下位の妖怪と何ら変わりない事を知ってしまったからに違いない。
 皮肉な話だが、この殺し合いによって二人の距離は縮まった。
 人間と同じく、鬼である彼女も自分の盟友である、とにとりは思ったのだ。

(……とはいえ、この気まずい雰囲気は何とかしないとね。人目を避けるルートを取るのは仕方ないけど、やっぱ誰かと会って話したいよ。
 私は気の利いたことを言うのがニガテだしなぁ……)

 二人きりだと間がもたない。かと言って萃香が纏う重い空気を紛らわすには自分一人じゃ役不足ときた。
 何とかならないもんか、とにとりがもう何度目になるかわからない溜め息を吐こうとした時。

「……誰かいるよ。気をつけて」

 魔法の森から紅魔館に進路を取って数時間。その間、無言を通し続けた萃香が初めて口を開いた。
 だが、その内容は穏やかじゃない。二人の間に緊張が走り、にとりは目線だけで周囲を窺った。
 ゴツゴツ、とした小さな岩山が無数に連なっている。
 視線の先には、魔法の森のようなおどろおどろしさがない、普通の森林がポツン、と見えた。
 青い空。鳶色の大地。雑然と聳える葉のない闊葉樹。そして、乱立する二メートル弱程の岩山。
 隠れるに困らない場所だ。もしかして待ち伏せされていたのか?

「す、萃香」
「大丈夫。少なくとも殺気は感じられない。にとりの姿は見えてないと思うけど、一応物陰に隠れてて」

 まるで、私に何かあったらすぐに逃げろ、と言われてるような気がして、にとりの表情が歪む。

「……これだけは約束して。ヤバい相手だったらすぐに逃げるって」
「ああ。精々上手くやるさ」

 小さく頷きあった後、万が一の狙撃に備えて、二人は同時に動いた。
 にとりは後退し、萃香は近場にある岩山に身を寄せた後、第三者にも聞こえるよう大声を張り上げた。

「―――聞けぇ! 私は伊吹の鬼、大江山の伊吹萃香だ! この殺し合いには鬼の誇りに誓って乗ってない!
 手前は何だ! 狗か? 間者か? それとも酔いに囃子た道化者か!? 乱痴気騒ぎがしたけりゃ面ァ見せな!!」
(おいおいおい! 挑発してどうすんのよ~~!?)

 怒声に近い萃香の名乗りに、にとりは口元に手をやって青褪める。
 不甲斐ない己に苛立っていたのか、比較的温厚であるはずの萃香はいつもよりも好戦的だった。
 いや、或いはこうやって自らを鼓舞しなければ、その威を保てない程に追い詰められているのかもしれない。
 永遠にも思える長い沈黙の後、今にも消えそうな、か細い女性の声が二人の耳に届いた。

「……本当に、殺し合いには乗ってないの?」

 その声は萃香の迫力に気圧されてか、少々怯えているように聞こえる。
 二人はすぐさま声のあった方向に顔を向けた。だが声の主の姿は全く見えない。
 死角に上手く隠れているのか、それとも何か別の手段を用いているのか。
 萃香は先ほどよりも幾分穏やかな声で、声の主の質問に答えた。

「……ああ、鬼は嘘をつかない。もしあんたがこのゲームに反対してるって言うなら、私たちは味方だ」
「……」
「信用出来ないかい? なら……」
「……ッ!?」

 微かに聞こえた息を呑む音は、果たして誰のものだったのか。
 反応がないことを確認した萃香は、おもむろに岩陰から姿を見せて、さっきまで歩いていた路上に腰を下ろし、胡坐を組んだ。
 そして、懐に入れていたスキマ袋をポイッ、と脇に放り投げる。
 まるで狙ってください、と言わんばかりの自殺行為。唖然としたにとりが警戒も忘れて声をあげた。

「バッ! 何考えてんのさ萃香!!」
「にとりは黙ってな! こんな殺し合いの中、口先だけで信用してもらおう、ってのが甘いんだ!
 疑心暗鬼を取っ払いたけりゃ、こっちも命を賭けて当たるしかない。覚悟はもう出来ている!」
「な、何が覚悟だ! 残されるモンの気持ちも少しは考えろ!!」

 にとりは必死の形相で萃香に詰め寄り、何とか物陰に移動させようと、喚きながら腕を引っ張った。
 だが、意固地になってる萃香は、聞く耳持たずといった体で、目をつぶりテコでも動かない。
 二人ともすっかり遭遇者の事など忘れ、どこかコント染みた―――本人達は必死な―――やり取りを交わし続ける。
 張り詰めた空気が急速に弛緩していくのを感じた遭遇者、レティ・ホワイトロックは、支給品であり仲間でもあるサニーミルクの能力を解いて、今も罵詈雑言を言い合う鬼と河童の前に姿を現した。

「……お初にお目にかかります。私は雪女に類する妖怪、レティ・ホワイトロックと言います。
 こっちの妖精が、連れのサニーミルク。光の屈折を操る程度の能力を持っています。私たちはこの能力で姿を隠していました」
「レ、レティ~~」
「大丈夫、……大丈夫よ。私を信じて」

 不安そうな眼差しでレティの服の裾をギュッ、と握る妖精の少女を宥めつつ、レティは緊張した面持ちで正面から二人を見据えた。
 その右手には日除け傘のつもりなのか、先端に広葉の茂った太めの枝が握られている。
 もう片方の手にも武器らしきものはない。お互い武器はなくとも弾幕による殺傷手段を有しているので一概に非武装とは言えないが、隠せる身を敢えて晒すことによって、レティもまた敵意がない事を精一杯に主張したのだ。
 レティの出現により、萃香もにとりも諍いを忘れて視線を合わせた。その際、光学迷彩をちゃんと脱ぐことも忘れない。
 突然現れたにとりにサニーミルクは「わわっ!」と間の抜けた声をあげて、レティの背中にサッ、と隠れた。

「どうやら話が通じる相手のようで安心したよ。
 私は河城にとり。妖怪の山をねぐらにしてる谷ガッパさ。貴方たちも二人連れなのかい?」
「ええ。この殺し合いに逆らいたいけど、私たちだけじゃどうする事も出来ないから、一緒に反対してくれる仲間を募っていた所なの。……貴方たちは?」
「同じ穴のムジナってやつだよ。今は伝手を辿って、紅魔館に向かってる最中なんだけど」
「……伝手? 悪魔の城に何の用があるの?」

 にとりの説明にレティが怪訝な顔で反応する。
 噂しか知らない彼女は、あの館にあまり良いイメージを持っていないようだ。
 萃香が補足する形で、にとりの話を継いだ。

「吸血鬼の、妹の方と鉢合わせたんだ。私たちと志が一緒かどうかはわからないけど、少なくともあいつも主催者と反目していた。
 敵の敵は味方っていうからね。とりあえず紅魔館で落ち合うことになったんだよ」
「吸血鬼、ね。……信用していいのかしら?」
「やけに疑り深いね。まあこんな状況じゃ無理もないけど、……それとも何かあったの?」
「それは……」
「まぁまぁ。お互い危険はないってわかったんだしさ。ここはゆっくりと腰を据えて情報交換といこうじゃないか」

 間を割って入ったにとりの一言によって、四人は岩を背にした日陰に腰を下ろす事にした。






 お互いが今まで見聞きした情報の交換は、滞りなく進められた。
 レティの話の中で最も衝撃的だったのが、永琳と魔理沙がすでに遭遇し、あろう事か敵意なく会話をしていた、という事実であった。

「嘘、だろ……。あ、あの魔理沙がこんな殺し合いに乗ってるはずないじゃないか!」

 霧雨魔理沙という少女を、他の三人よりもよく知っているにとりが震える声で反論する。

「会話の内容はよく聞こえなかったわ。でも、少なくともお互いを害そうとしているようには見えなかった。
 ……それに、貴方達の話によれば、あの博麗の巫女ですら殺す側に回ったんでしょう? もしかしたら彼女だって……」
「……」

 レティの言葉に、楼観剣の刃を向けられた恐怖が甦ったのか、にとりは力なく項垂れる。
 蒐集癖といった悪癖もある魔理沙だが、その心根は情に厚く、幻想郷にいる誰よりも正義感が強い。
 いい意味でも悪い意味でも、自分の好きな人間像を地でいく彼女は、紛れもなくにとりの友人だった。
 そんな魔理沙でさえグレーの位置にいるというのなら、確かに誰を信用していいかわからないという、レティの態度も頷ける。
 それでもにとりは信じたかった。あいつは霊夢とは違う、と。永琳との会話には何か理由があるのだろう、と。

 一方、レティもまた、二人の妖怪に与えられた情報を頭の中で吟味していた。
 自身にも嵌められている首輪に特殊なカラクリがある事。博麗霊夢が殺し合いに乗っている事。
 そして、萃香たちの話を聞く限り、先の放送で感じたものとほぼ合致している八意永琳の人格。
 端的に言えば、狂ってる。あくまで彼女は殺し合いを首肯している。そんな永琳に反抗の構えを見せなかった魔理沙もまた……。
 断定はしなかったが、レティは普通の魔法使いも『主催者側』である可能性が高いと見た。

(……だけど、私は彼女の事を責められるのかしら。
 知らなかったとはいえ、参加者をこの手で殺めた私も、主催者たちと同類なのかもしれない)

 萃香やにとりにも明かせなかった殺人罪。
 リリーホワイトの命を絶ったのは、間違いなく自分の弾幕によるものだった。
 その事実は認めているが、唯でさえデリケートな利害関係に自ら波紋を投じる勇気など、今のレティにはなかった。
 仲間を見つけた事に破顔している少女たちを見ると、隠し事をしている罪悪感で胸が痛む。
 だがようやく、自分よりも力と知識に秀でた仲間たちを得る事が出来たのだ。
 例え欺くことになろうとも、このチャンスは逃せない。自分のためにも、自分についてきてくれているサニーミルクのためにも。
 確かに協力者の存在は必要不可欠。しかし、レティはそれが叶った所で、手放しに喜ぶことなど出来なかった。
 仲間が出来ても悩みはその形を変えるだけで、結局は彼女の心を苛む結果となる。
 裏切りに怯え、疑う事を止められないレティが真の安息を得られるのは、このゲームが完全に終わった時だけなのかもしれない。

「レティ、だいじょうぶ? 何だかすごく辛そうな顔してるよ?」
「……平気。心配しないで。頼もしい仲間も出来たし、こんな殺し合い……きっとすぐに終わらせる事ができるわよ」

 自分に言い聞かせるように笑顔を作るレティを見て、サニーミルクはますます悲しそうな顔をした。
 無理をしているのが一目でわかる微笑。
 確かにわたしは頼りないかもしれないけど、出来れば打ち明けて欲しい。相談して欲しい。
 わたしたちはパートナーなんだから。仲間がいっぱい増えたって、それだけは絶対に変わらないんだから。

「……おや? どうしたんだい妖精さん? そんな泣きそう顔してさ」

 そんなサニーミルクの悲痛めいた表情を見て、にとりが頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
 そして何を勘違いしたのか、得心がいったように何度も頷くと、ゴソゴソ、と自分のスキマ袋から何かを取り出そうと探り始めた。

「ははっ、突然知らないのがいっぱい増えたんで心細いんだろ? 妖精は精神的に幼いっていうしね。
 それにしても、最初見た時は犬の餌にもならないと思ってたのに、まさかコイツを使うことになるとはねぇ。
 この殺し合いといい、人生何が起こるかわからないもんだ」

 そう言って手に持ったのは、S15缶のサクマ式ドロップスだった。
 太平洋戦争末期を舞台にした某ジブリ映画に出てくる、例の飴玉が詰まった缶詰である。
 蓋を開けて見ると、色とりどりの飴玉が小さな穴から零れ落ちた。
 見たこともない物体ににとり以外の三人は、興味津々といった様子で手の中にある菓子を覗き込んだ。
 レティが飴玉を一つつまんで、訝しそうに鼻を寄せる。

「……甘い匂いがするけど食べ物なの?」
「みたいだね。外の世界の菓子だと思うけど、口に入れてみたら結構美味しくってさ。子供はこういう甘いモンには目がないだろ?」
「こ、子供じゃないもん!」

 そう言いつつも、惹かれるものがあるのかチラチラ、と宝石箱のような缶詰をチラ見するサニーミルク。
 珍しいものに目がいってしまうのは、妖精の本能のようなものである。
 サニーミルクの煮え切らない態度に苦笑したにとりは、少女の顎を素早く掴み、その小さな口の中に飴玉を放った。
 最初は目を剥いて抵抗したサニーミルクだが、口の中をコロコロ、と動かすうちに顔を綻ばせ、目をキラキラ輝かせながら感嘆の声をあげた。

「な、何コレあっまーい! こんなの食べたことない! 何か果物っぽい味がする~」
「……私も一個もらってもいいかしら?」
「へぇー。んじゃ私も一つ」

 蕩けるような笑顔で大絶賛するサニーミルクを見て、レティや萃香もそれに便乗する。
 思った以上の好評ぶりに、にとりもつい嬉しくなってしまい、はにかんだ笑顔でそれに応えた。

「外の世界ってすごいのね。こんな嗜好品まであるなんて」
「酒の肴にはなりそうもないけどねぇ」
「おかわりー!」
「はいはい。まだまだ沢山あるから責っ付かないでよー」

 渡された飴玉を、今度は躊躇なく口に入れたサニーミルクは、幸せそうに舌を転がしたが……。

「―――うっ!」

 小さな呻き声と共に、少女の顔色が変わった。
 突然の豹変に三人は目の色を変えて、苦しそうに口を抑えるサニーミルクに顔を向けた。
 まさか毒……? という疑念が瞬時にレティの頭に過ぎる。

「にとり……貴方……」
「えっ!? い、いやそんなハズは」

 猜疑に満ちた視線を向けられたにとりは、慌てて力いっぱい両手を振った。
 そんな彼女にかまわず、何とか飴を吐き出させようとレティは今も俯くサニーミルクの元に駆け寄る。

「サニー!」

 その声に反応したのか、サニーミルクが顔を上げた。その目に大粒の涙を溜めて口を開く。

「うぅ~。か、からいよぉ。舌がスースーするぅ~」

 伸ばした舌には、白い飴玉がちょこん、と乗っかっていた。

「「「…………」」」

 うぎゅー、と奇声をあげながら、元気よく飴玉を吐き出すサニーミルクを見て、三人は目を点にして棒立ちになる他なかった。
 いち早く放心が解けたにとりが試しとばかりに、まだ手の中にある白い飴を口に入れてみる。
 ……確かに他の飴とは毛色の違う味だ。子供の味覚には合わないかもしれない。
 要はハズレくじを引いただけなのかと、にとりは脱力してへなへな、と肩を落とした。
 彼女たちは知らない。飴缶に混じっている白いハッカ飴は大半のお子様の大敵である事を。
 無論、人によることも付け加えておく。

「―――ぷっ。あはははははは!」
「す、萃香?」

 憔悴したにとりの顔を見て、同じ結論に至ったのであろう萃香が、突然腹を抱えて笑い出した。
 目まぐるしい展開の変化に、にとりとレティは困惑した表情で顔を見合わせる。
 サニーミルクは「白いの以外ー!」と喚きながら、獣のように俊敏な動作で飴缶を奪い去った。

「だ、だって、にとりの顔が百面相みたいにコロコロ変わって。
 い、いや! そんなハズは! って。 い、いや! そんなハズは! ってさ……ぷくくくく」

 下手な声真似までして悪ノリする萃香に、不謹慎だ、と口を尖らせるも、にとりは内心で胸を撫で下ろしていた。
 人を笑いの種にするのは面白くないが、萃香が一時的にでも笑顔を取り戻してくれたのだ。これくらい安いものである。
 そして、そのきっかけとなってくれた新たな仲間たちに、にとりはこっそりと感謝した。

 今の萃香はどこか危うい。
 正体のわからない相手に身を投げ出した先ほどの蛮勇は、まるで死ぬ事を求めているかのように見えた。
 捨て鉢になっているわけじゃない。だが、失いかけた誇りは自己犠牲で取り戻せる、と思っている節がある。
 言い方を変えるなら、酒で酔えない分、使命感に酔おうとしている。……そんな歪みすら危ぶまれた。

 束の間の平穏はこれで終わり。これからもきっと、萃香も自分も苦しむだろう。想像を絶する苦難に襲われるのだろう。
 でもまだ諦めない。抗う事を止めない。
 だって、自分たちはまだ生きているのだから。まだ笑うことが出来るのだから。
 武士道は死ぬことと見つけたり、なんてカビの生えた美徳なんか、私ののびーるアームで吹き飛ばしてやる。
 生きて、あの平和な日常に仲間たちと一緒に帰ってみせる。どんな目にあっても、どんな事をしてもだ。
 にとりは新たに芽生えた誓いを胸に、ギュッ、と固く拳を握り締めた。

「……さて、笑ったし休憩も済んだし、そろそろ出発するとしますかね。レティたちはどうすんの?」
「貴方たちについていくわ。このまま二人で足踏みしていても、何も始まらないしね」
「このお菓子持っててもいい?」
「あー、あげるあげる。好きなだけ食べておくれ」
「やったぁ!」

 三者三様の思惑を内に秘めて、妖怪(+妖精)の一行は歩き出す。
 目指す先は紅魔館。そこに何が待ち受けているのかは、まだ誰にも分からない。
 先頭を歩く萃香に歩調を合わせ、にとりは決然とした様相で彼女の隣に並んた。

「萃香、あんたは本当に頑固者さね。きっと今は何を言っても無駄なんだろうね」
「……何だい? 藪から棒に」
「わからないならそれでいいさ。でも、一つ肝に銘じて欲しいことがあるんだ」
「……」
「あんたが死んだら私は泣くよ。あんたみたいに地面ぶん殴りまくって思い切り泣いてやる」
「……私だってむざむざ死ぬつもりはないよ。でも、あんたらを守れるのは私しかいないからね」

 先程の口喧嘩を思い出したのか、萃香はそう言ってバツが悪そうにそっぽを向いた。
 確かに最初はにとりもそう思ってた。戦いは全部彼女に任せればいい、と考えていた。
 でも今は違う。自分で立てた誓いを守るために、可能な限り彼女のフォローに回ってみせる。

「自惚れんじゃないよ。全部一人で抱え込んで、勝手に満足して死なれちゃ夢見が悪いったらありゃしない」
「にとり……」
「あんたは一人で戦ってるわけじゃないんだ。……背中くらい私に守らせておくれよ」

 言いたいことは言った、と少々の気恥ずかしさから、にとりは天を仰いで目線を逸らした。萃香もそれにつられるように空を見上げる。
 前に進むなら上を向いて歩こう。
 天頂に迫ろうとする陽の光を顔から浴びて、萃香は今更ながらにこの世界も明るいのだという事に気がついた。



【D-5 高原地帯 一日目 午前】
【伊吹萃香】
[状態]かすり傷 疲労(小) 精神疲労(中)
[装備]なし
[道具]支給品一式 盃
[思考・状況]基本方針;意味のない殺し合いはしない
1.紅魔館へ向う。ある程度人が集まったら主催者の本拠地を探す
2.鬼の誇りにかけて皆を守る。いざとなったらこの身を盾にしてでも……
3.仲間を探して霊夢の目を覚まさせる
4.酒を探したい
※永琳が死ねば全員が死ぬと思っています
※レティと情報交換しました



【河城にとり】
[状態]疲労(小) 精神疲労(中)
[装備]光学迷彩
[道具]支給品一式 ランダムアイテム0~1(武器はないようです)
[思考・状況]基本方針;萃香と一緒に仲間や武器を探す
1.紅魔館へ向かう。ある程度人が集まったら主催者の本拠地を探す
2.皆で生きて帰る。盟友は絶対に見捨てない
3.首輪を調べる
4.霊夢や永琳には会いたくない
※首輪に生体感知機能が付いてることに気づいています
※永琳が死ねば全員死ぬと思っています
※レティと情報交換しました



レティ・ホワイトロック
[状態]健康(足に軽いケガ:支障なし)
[装備]なし
[道具]支給品一式×2、不明アイテム×1(リリーの分)、サニーミルク(S15缶のサクマ式ドロップス所有)
[思考・状況]基本方針:殺し合いに乗る気は無い。可能なら止めたい
1.紅魔館へ向かう(少々の躊躇い)
2.この殺し合いに関する情報を集め、それを活用できる仲間を探す
3.仲間は信頼できることを重視して慎重に選びたい
※永琳が死ねば全員死ぬと思っています
※萃香たちと情報交換しました


73:沈まぬ3つの太陽/いつか帰るところ 時系列順 75:灰色に交わる道の先で
73:沈まぬ3つの太陽/いつか帰るところ 投下順 75:灰色に交わる道の先で
54:各々の正義、各々の守るもの(後編) 伊吹萃香 86:悪石島の日食(前編)
54:各々の正義、各々の守るもの(後編) 河城にとり 86:悪石島の日食(前編)
62:Gefrorne Tranen レティ・ホワイトロック 86:悪石島の日食(前編)

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最終更新:2009年09月05日 02:42
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