夢よりも儚い砕月

夢よりも儚い砕月 ◆ZnsDLFmGsk



 霧の湖の畔で大木に背を預け座り込み、湖畔を見つめる猫が一匹。
 昼間の霧の湖はよく霧に覆われていると言うが、それにしても薄気味わるい霧だった。
 降り注ぐ陽射しは薄霧に遮られ減衰し、優しげな薄明かりとなって湖上を照らす。
 そうして、そこにひとつの矛盾があった。
 本来ならば頭上より照り付けるものと、鏡面の様に湖に反射するものと、
とにかく溢れんばかりの光に満ち溢れているだろうこの空間を……
 けれど今支配しているのは、ただぼんやりとした薄闇であった。
 真っ昼間でありながらも夜の浸食を受けたその綻びた空間に、
猫は違和感と安心感を混ぜ込んだ奇天烈な感想を抱いた。
 しかし精神面と反して肉体がそれに動じる事は無い、
火焔猫燐はぴくりともせずただ死体の様にぢっと、ゆらゆらと揺れる湖面を見つめていた。

 そこには薄く白く朧気に、歪んだまぁるい影が映っていた。

 アハッ、アハハ……
 オカシイね、とってもヘンだよねぇ?

 いつの間に月が昇っていたんだろう?
 呆れる程に容易く、その馬鹿げた疑問が脳裏に浮上した。
 深く辺りを包んだ白霧は陽光を薄め、月明かりと見紛うまでに優しげなモノへと変えていた。
 偽物の月はまぁるく湖面に浮かび、微笑む様にゆらりと波に揺れている。
 それが猫には何だか可笑しくて、まるで慰められている様に思えた。

 日が昇れば朝が来る様に……
 世界にはキチっとした法則やルールがあるって何処のどいつが言ってたっけ?
 それってあたいがちょいと眼を離した程度で破綻する様なもんだったのかな?

 湖面の月を愛でつつ猫は嘲う。

 アハッ、おっかしいねぇ……
 もしかしてあたいを頭蓋骨ごと裏返して、現実と妄想を取り替えちゃったのかなぁ?
 うんうん、だったらこの優しい月明かりも納得だよ。
 世界が全部あたいの妄想ならあたいに優しいのは当然だもんねぇ。
 それならこの気味の悪さだって我慢できるってもんだよ。

 ケラケラと渇いた笑い声を口の端から溢し、虚ろに湖面を見つめるその猫の姿は本当に死体の様であった。
 傷だらけであちらこちらから血液を垂れ流し、右の眼窩を空気に晒しながら……
 木の根元で事切れた様にだらりと四肢を伸ばし、ぐったりして動かない。
 ただ時折ぴくりと痙攣したように釣り上がる口端と、やたらギラギラ不気味に輝く左の瞳だけが生き物を主張していた。

 ノルアドレナリンの分泌異常。
 ドーパミンの分泌異常。

 痛覚なんてとっくに死んでいた。
 もしかしたら他にも色んなものが死んじゃってるかも知れない。
 アハ、もしかしたらもうすぐあたいは死体になっちゃうのかも。
 ひょっとすりゃ死体なのに生き長らえてるだけかもね。
 意識はそれなりにハッキリしてて、思考だってぐるんぐるんと忙しなく走ってる。
 うん、むしろ壊れる前のちゃんと生きてた頃より明瞭に考えられる事だってある。
 例えば、今、この世界の仕組みだとか……
 あたいがどれだけ狂っているかとかね、アハハ、アハ……

 ゆらゆらと揺れる朧月もまるであたいを笑ってくれているみたいだった。

 ああ、きっとあたいはこうやって内側から剥がれ落ちていって、
何もかも無くなって、内の腑から腐り落ちて死んじゃうんだろうなぁ。

 ケラケラ、ケラケラ。

 きっとそれはおぞましくて恐ろしい事なんだろうけれど、
なんだろうね、感覚がちょっと麻痺してる所為かなぁ、よく分からなかった。
 なんだか薄い膜の様なものが脳をべったりコーティングしているみたいで、
自分の事なのに酷く鈍く感じて、まるで自分が第三者になった様に遠くに思える。
 アハッ、こりゃあいいっ。
 じゃあこのままあたいが死んだら、あたいの死体をゲット出来るって事かな?
 自分の死体なんてそうそうお目にかかれるもんじゃ無いよね、ラッキーだよねぇ?

 ケラケラ、ケラケラ。

 ゆっくりとした動作で薄暗い空に右手を翳す。
 持ち上げた腕はアルコール中毒を起こしているみたいにぶるぶると震えていた。
 なんだかなぁ、いったいいつの間にこんな風になっちゃったんだろうねぇ?

――あなたは最低の猫よ。私の親友をこんな毒で殺して

 ホントわっかんないねぇ、ククッ、アハ、アハハ……
 なんだか本当に可笑しくって、吹き出すみたいに息を吐いた。
 ずっと口を開けてぼーっとしていた所為かな?
 口が酷く渇いてて上手く笑いを吐き出せず、漏れ出たのは咽せる様な渇いた声だった。
 同時に、渇き唾液が失われた口内から鼻をつく悪臭が立ち上っている事にも気づく。
 アハハ、酷すぎて笑っちゃうね、こりゃあんまりにあんまりじゃないかなぁ?

――そこまでよ。この大嘘吐き

 嘘だったのは今まで生きてきた全部かな?
 それともこれから生きていく全部なのかな?

 ケラケラ、ケラケラ。

――お燐。どうして、こんなことを

 脳裏にしがみついて離れないあのこいし様の表情が、何故か昔のさとり様達の笑顔と重なった。
 引き摺られる様に様々な事が想起された。
 嫌なことも楽しかったことも……
 けれど今のあたいのコーティング済みの脳みそでは、それらはぜんぶぼんやりしてて、
遠すぎて、とにかくぐちゃぐちゃだった。
 アハハ……

 くちゅりとあたいの聴覚が湿った音を捉える。
 同時に鈍くなっていた感覚が弾ける様な刺激を受け、再び活性化する。
 気でも違ったんだろうね、あたいは抉られたその右の眼窩に指を突っ込んで掻き回していた。
 ビリビリと神経系を焼き切る様な稲妻が迸る。
 喘ぐほどの激痛……は無い、過剰に分泌された脳内物質は全てを塗り潰してしまう。
 そう、即ち訪れたのはびくりと身を震わせるほどの多幸感、充実感。
 冷静になって振り返えれば実に馬鹿馬鹿しく思うけど、この時のあたいは……
 ゴミ同然の右眼球の残りを拭い取るというその自身の行いを、とても有意義で合理的なものに感じていた。
 そう、自身の過去が朧気なものに変わりつつあると気づいた時、あたいの中でいびつな使命感の様なものが沸き上がったんだ。

 まぁ、どっちにしろあたいはもう狂っているんだし、
狂ってるあたいが狂った事をしても別にふつーだよねぇ?

 眼窩から指を抜くと、我慢しきれなくなってあたいは立ち上がった。
 立ち上がり、そして大声で笑った。
 とてもシアワセで、頭蓋骨の中で花火でも上がっているみたいに全てが鮮明だった。

 アハハッ、そうだよっ、あたいはコレを欲っしていたんだよ!
 脳みそを覆っていた膜は一瞬ではじけ飛んだみたい、とにかくスッキリしてる。
 霞みかけていたさとり様やお空の笑顔もキレイに思い出せる。
 アハ、アハハハ、やっぱりあたいはじっとしてちゃいけなかったんだ。
 あたいの内側から滲み出るものなんてきっと毒みたいな何かしかないんだよ。
 やっぱり外からの刺激がなきゃダメなのさ、じゃないとたぶん腐っちゃうんだよね。

 半刻に満たない休憩だったけれど、それなりに疲れは取れていた。
 見れば腕の震えだって収まっている様に思える。
 んー、いや違うかな、何だか目がチカチカしてるし、それは見間違いか気のせいかもね。
 アハッ、とにかくやる気とか色々が全身から溢れ出してしょうがないよ。
 実際がどうだろうと、あたいはこんなに元気いっぱいなんだ、早く死体集めを再開しないとねっ!

 どれだけ元気かを証明しようと、ぴよんぴよんと跳ねてみる。
 そして2、3回跳ねた所でかくんと右膝から崩れ顔面を地面に強打した。

 ククッ、アハハ……でもぜんぜん痛くない。
 きっともうあたいを傷付けられるものなんて無くなっちゃったんだ。
 なんだかこのままなら何だって出来そうな気がする。
 とても愉快な……そう、ユメの中にいるみたいな感じだ。
 まぁ実際なぁんも痛くないし、ひょっとするとこれはユメなのかもしれないけどね、アハハ。

「ねぇさとり様、ほめてよ! あたいはこんなに無敵になったよ!」

 アハ、アハハ、また妖怪として格が上がっちゃったかな。
 もし生きるって事がシアワセになる為のものだとするならさ、
きっともうあたいは辿り着いちゃったんだろうね! まったく最高だねっ!

 ケラケラ、ケラケラ。

 もっと死体を集めるんだ、死体コレクションをいーっぱい増やすんだ。
 アハハ、お空はなんて言うかなぁ。
 ん? んー、いやぁ、ダメだよ炉に焼べるなんてとんでも無い。
 これはあたいのコレクションさ、絶対保存用だよ。
 さとり様もびっくりするだろうなぁ。
 それで、あー、えーっと……さとり様に会ったらどうすればいいんだったっけ?
 大体さ、今更さとり様に会ってあたいはどうしようって言うんだろねぇ?
 まぁとにかく殺しちゃえば、それでぜんぶ解決なのかな?
 いけないねぇ、また頭がぼんやりしてきたよ。
 早いとこ新しい死体を探さないとね。
 さぁ、初志貫徹といこうじゃないの。
 狙いはあの怪しい洋館にけってーい、なんだかあたいのレーダーがピクピク反応するしね。
 がんばろー、と腕を振り上げ景気づけると、
あたいは朧に見えるその洋館目掛けてふらふらと歩き出した。

 そうして、湖を離れ霧を抜けると月なんてもう何処にも見当たらなかった。
 ただどこまでも透き通った空気と痛々しい日射しを投げ付けてくる太陽があるだけだ。
 だとすりゃ、あの霧の中であたいが見ていたモノは一体なんだったんだろう?

 照り付ける太陽は容赦なくあたいの影を浮き彫りにする。
 その余りの肌寒さに、あたいは少しだけ怖くなった。

 ああ、このままじゃダメだ。 このままじゃオカシクなってしまうよ。
 あたいはとにかく沢山の死体を見つけなきゃいけない、上質の死体を集めなきゃいけない。
 そうすれば、そうしたらもっとシアワセになれる。
 そして……

――本当に救えないわね

――あんたは悪魔だわ。吸血鬼なんかよりも、よっぽど悪魔らしい

 きっとこいし様達にも見直して貰えるんだ。
 アハハ、そうだよねっ、そうだよね?

 襲われる事に対する恐怖なんて、そんなモノはとっくにどっかに落っことしていた。
 あの天狗のお姉さんを手に入れたあの時から……
 あたいは恐怖する対象から、恐怖を与える存在へとランクアップしたんだからね。

 もっと死体は増える。
 あたいはもっともっと強くむてきになれる。

 ねぇ、誰か褒めてよ。



【C-2 紅魔館周辺の森林 一日目・昼】

【火焔猫燐】
[状態]右目消失、頬にあざ、左肩に中度の刺傷(出血)、
   脳内物質の過剰分泌により何らかの精神病を発症しかかっている可能性があります
[装備]洩矢の鉄の輪×2 
[道具]支給品一式×2、首輪探知機、萃香の瓢箪、気質発現装置、東のつづら 萃香の分銅●
[思考・状況]基本方針:死体集め
1.したいあつめはたのしいな~
2.もう誰も信用しない
3. うさぎさんに“お礼”をする。

※C-3の南西部は気質発現装置により濃霧に包まれました、正午には解除されます。
※【気質発現装置】は現在居る1ブロックの一部の天候をランダムに変化、4時間で解除されます。12時間使用制限。
※リヤカー{死体が3~4人ほど収まる大きさ、スキマ袋*1積載(中身は空です。)}はC-3南西部の森湖畔沿いに安置されています。


98:寝・逃・げでリセット! ~ 2nd reincarnation 時系列順 100:強く儚い、貴女達。
98:寝・逃・げでリセット! ~ 2nd reincarnation 投下順 100:強く儚い、貴女達。
78:黒猫の行方 火焔猫燐 108:驟雨の死骸と腹の中、それでも太陽信じてる。(前編)

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最終更新:2015年11月25日 02:30
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