脱兎堕ち~Tauschung

脱兎堕ち~Tauschung ◆CxB4Q1Bk8I



 この道は、きっと、善い方になど続いていない。

 それでも、引き返すことは許されない。
 立ち止まればそこで終わりだ。
 だから、進むしかない。

 生の甘美な香りに惑わされ、挙句全てを失って、逃げるように入り込んだ道。

 もうリンゴを食べてしまったのだから、私は楽園には戻れない。
 大事なもの全てが私を見捨てても、私は原罪を背負って、生きる。

 その果てに救われる、そんな幻想を願っていた。
 たとえそれがどんな形であっても。たとえそれがどんな手段であっても。






 太陽が頂点から僅かに傾きかけた頃合。


 香霖堂。
 魔法の森の入り口、てゐと別れてから少し東に歩いたところに、それはあった。
 外から流れてきた品などを取り扱う古道具屋だ。
 客を迎えるには少々工夫の足りない、店主同様に愛想の無い店構え。

 鈴仙は今、それを少し離れた木々の陰から覗いている。


 ここにやってきたのは、人妖、武器、情報の探索を目的としている。
 この先のことを考えれば、それらの重要性はかなり高い。
 しなければならない事をリストアップして重み付けし、上から片付ける。鈴仙にとっても日常の範囲の思考だ。

 そうした『いつもどおり』の考え方が、心を押し潰しそうな様々なことから鈴仙を守ってくれるような、そんな気がしていた。


 店の正面には山積みの道具達。
 二度と使われることの無いだろう、商品価値の無いと判断されたモノたち。
 行き先の無い彼らの墓場が作られていた。

 誰かが拾ってあげれば、ほんの少し工夫すれば、きっと何かの役に立つかもしれないのに。
 鈴仙には、それらが哀れに思えた。


 店の周囲に、人妖の気配は感じない。
 と言うものの、既にこのフィールド自体がが異様な気配に包まれているのだから、そういった感覚もアテにはしていない。
 慎重である事は損では無いと、先ずは正面ではなく建物の裏に大きく回り込んだ。
 誰の視線も無い事を確認し、木々に身を隠しながら近づき、店の裏に辿り着く。
 壁を背に耳を澄ますが物音一つなく、また誰かが動いている様子も無い。
 足音がしないように一歩一歩と壁沿いに歩き、玄関へさらに回り込んだ。

 ライフルを持つ手に力が入る。
 万に一つ程度の可能性とは言え、待ち伏せなどされていては危うい。
 足の爪先から耳の先まで神経を尖らせ、息を整える。

 扉に手を掛け、慎重にそれを開いた。
 カランカランと何かが鳴り、店に来訪者が来た事を伝える。
 鈴仙の耳がビクリと立つ。もしや罠か、という可能性が頭を過ぎる。
 思わず扉の前から離れ、店の脇の壁を背に息を潜める。
 罅入った肋骨から激痛が走るが、それを問題にしている場合ではない。
 積み上げられたガラクタの山を盾に、他の僅かな物音でも聞き逃すまいと耳を尖らせる。

 その音がただの扉の仕掛けで、何の動きも無い事がわかっても、数分の間はそこで息を潜めた。
 周囲の木の枝に遮られて疎らに降り注ぐ日光は、潜む鈴仙を避けるかのように店を照らしている。

 どうやら安全だとわかり、ライフルを握りなおすと、再度店の入り口へ向かう。
 日光が随分と眩しくて、とても冬が終わったばかりとは思えない。
 物の陰とはいえ、あまり身を晒しながらではいたくない。
 少し早足で、扉を一気に開いて中に侵入する。
 再度カランカランという音が店の中に響いたが、様子は先程と何も変わらない。問題ないだろう。


 中は成程、商品らしい古道具がわりと整然と置かれている。
 家具類から食品まで、所狭しと並ぶ道具は、其々幻想郷ではあまり見ることの無い珍しいものも多かった。
 中々興味深い場所だと、思った。
 主が主なだけに、鈴仙も骨董品や貴重品に無関心と言うわけではない。
 尤も、今はそれらをのんびり眺めている場合ではないことはわかっているし、ここの古道具はあまり自分に貢献しないことも、明らかだ。


 周りを軽く見渡して、軽く溜息。そして奥へ進もうとして、気付いた。

 商品と、店の帳簿などが置いてあるカウンターの向こう側。
 居間と思われる部屋に、何かが『居る』のが見えた。

 手近な棚の横に身を隠す。
 怯えて揺れる長い耳を片手で押さえ、頭をその脇から覗かせる。

 一瞬青く見えたのはどうやら衣類のようだ。
 それには「中身」が存在するように見える。

 そして、それを中心に広がる鈍赤の模様が、決定的に気付かせた。

 居間に、死体が、ある。


 ライフルを握る手が汗ばむ。
 身体で銃身を支えながら、片手ずつ交互にスカートで汗を拭う。

 奥からは動きが無い。
 二度の来客音でも動きがなかったのだから、ここには生存している人妖はいない、のだろう。
 それでもまだ、鈴仙は慎重だった。

 物陰を何度か経由し、居間に辿り着く。
 和風に設えてあるが、この状況下で作法などどうでもよいこと。
 遠慮なく、土足のまま居間に足を踏み入れた。


 その奥、小さな卓袱台を挟んで二つ、命の抜け殻が転がっていた。
 数刻と経たぬ間に染み付いた血の匂いが、ここが惨劇の舞台であった事を告げる。


 片方は妖精。
 黒く長い髪に幼さを残した顔。外見は姫様にどことなく似ている。
 腹部を何かに貫かれており、青いスカートに流れ出た血が赤紫の斑模様を作っている。
 それ以外に外傷もなく、一つの攻撃が致命傷になったのだろう。
 表情はあまり読み取れないが、外傷の割には安らかな、と言うこともできる。
 倒れたというより横たえられたその身体は、死の間際か死後か、恐らく誰かに一度抱きかかえられている。

 それだけでも、十分に、救われたのかもしれない。
 そんな感傷を、それも自分にはもう届かない幻想だと、振り払った。

 そしてもう片方。
 銀髪に、まだ幼いとは言え整った顔立ち。
 見覚えは…大分ある。何度も顔を合わせた相手だ。
 こちらは外傷は酷いものの、それらは死に直結するとは思えない。
 第一、傷を負った後に服を着替えた様子がある。淡い色の、どこか記憶にある和風の装束だが、それには傷が見当たらない。
 死因は外傷以外にあると見ていいだろう。
 ただ、薬師見習いの鈴仙でも、彼女が何故死んだのかが不明だった。
 毒物のようにも思えないし、苦しみながら死んだようにも見えない。

 だが少なくとも、それが生きていないことは理解できる。
 まるで彼女の存在そのものから、生というそれだけを抜き取っただけのような、そんな印象さえ受ける。

 魂魄妖夢。主の為に剣を振るうことなく散ったのだろうか。
 私とは違って、きっと、迷い無く主の為に命を張るのだろうけれど。
 今は、動くことも無い。


 こうして哀れな惨劇の犠牲者を見ても自分が平常心でいることが、奇妙な違和感をもって自分を襲う。
 それは自分が穢れたからなのだろう。墜ちた世界に浸かったまま、その色に染まってしまったからなのだろう。
 他人を見捨てる精神も、此処まで極まったのかと自虐するかのように嗤った。

 そして、そうなんだと、わかっているのに。
 言葉で洩れたのは、自分を救う言葉だった。

「可哀想に、仇はとるから」

 墜ちて墜ちても尚、誰かの為という大義名分がある事を求めることを無視できなかった。
 馬鹿なものだ。
 自己否定を認めながら、自己満足を求めている私はきっと滑稽な道化師なのだろう。



 ここには、何も無い。
 果てた命の跡が残るだけで、生者に相応しい何かは残っていない。

 死はこんなにも身近にある。
 気侭に生きていただけであろう妖精も、半身が霊体であった魂魄妖夢も、逃れることの出来なかった結末。
 でもそれを直視したくない。
 少なくともあと3つ、自分の手で同じような骸を作らなければならないと、そうでなければ自分がそうなるのだと、思いたくないから。


 居間を離れ、一応全ての部屋を覗くが、有用そうなものは手に入らなかった。
 襖が外してあったり、箪笥の服を漁った形跡があったが、どちらも魂魄妖夢の仕業だろうと考えられた。
 ここで服を着替え、何者かを迎え撃ったのだろうか。
 妖精と妖夢の関係、手を下した殺人者、妖夢の死因、居たはずの第三者。謎はあるが、それを考えるには情報も時間も足りない。
 一つ溜息をつき、二つの抜け殻に僅かばかりの哀れみの視線を向けると黙祷し、居間を後にした。




 再び古道具の道を抜け、外へと向かう。

 来た時と同じように、種々多様な商品の間を進み――鈴仙は、足を止めてしまった。

 商品と思わしき古びた大鏡の中の自分と、目が逢った。
 鏡に映るのは怯えた兎の青白い顔。
 赤い瞳は生気を失ったように黒ずんでいて、
 見たものを狂わせる狂気の瞳は、澱んだ夢を映していた。

 もし、鏡の向こうの瞳が私を狂わせてくれるのならば、もっと楽になれるのかもしれない。
 躊躇いなく命を奪い、それでいて何事もなかったかの如くに日常に回帰して。
 自分が自分で無かったから、という愚かな言い訳を、自分の中で正当化して。
 そんな怠惰な幸福と戯れる幻想に浸れるのかもしれない。

 突如として湧いた不可思議な感情に、鈴仙は呑まれる様に同意した。
 そうやってまた、鏡の向こうの誰かに、救ってもらおうとしていた。
 強張ったように微笑みかけると、鏡の向こうから嘲笑が帰ってきた。


 鏡に掌を合わせる。
 その向こうの哀れな兎の掌は、氷のように冷たかった。
 生の温かさは無い。鏡の向こうは理想郷なんかでは無く、ただ現実を映すだけのものだった。
 その冷たさは夢に逃げ込もうとした心を現世に引き戻した。
 濁った狂気の瞳が、鏡の中から、逃げられないよと嗤った。

 逃げて逃げて、追い詰められた箱の中で
 向かい合った相手と同じ罪を見つめ合って
 ここは牢獄なんだと、知った。


 私はこれから、3人を殺さなければならない。
 罪を犯した私が、死という罰から逃れるために、償いという名の罪を重ねなければならない。

 それだけが、現実だった。



 扉を開けると、客の退出を告げる無機質な音が店内に響いた。
 その音を背に、鈴仙は香霖堂を去る。

 鈴仙は、武器を握り締めた。


 追い詰められた兎は、猟犬をも蹴り殺すというけれど。
 それが出来なかったから、こうして惨めに自分を否定しながら穢れた地面に這い蹲って生きている。

 私にお似合いの台詞は、きっとこうだ。

『どうか見逃してください、代わりに仲間を差し上げます』

 それから自分は狩られる兎ではなく、狩人になる。
 非情にも仲間を裏切って、自分の命可愛さに誰かを差し出す外道に堕ちる。

 ここまで堕ちればもう、仲間のところには戻れない。
 差し出された哀れな仲間と、穢れ役を背負った自分が全ての不幸を背負っても。
 生き残った仲間達が幸せならば、彼女達が穢れ役から逃れられるならば、それで自分は救われるのだからと、無様に生きる自分を正当化するだけだ。



 自分を否定する事は、できなかった。
 自分が生きることを拒否することなど、出来る筈もなかった。

 夢も自分を救ってくれなかった。
 幻想に浸ることも、過去の中に自分を預ける事も、叶わなかった。

 だから、認めた。
 全ての記憶と幻想を、罪悪感を、自己否定と自己肯定を、抱えたまま、生きることを。


「ごめんなさい」

 これから狩る者達のために。否、自分の心の救いのために。
 一言だけ、呟いた。 




【F-4 一日目 香霖堂 真昼】

【鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(中)、肋骨二本に罅、精神疲労
[装備]アサルトライフルFN SCAR(18/20)、破片手榴弾×2
[道具]支給品一式×2、毒薬(少量)、FN SCARの予備マガジン×3
[思考・状況]基本方針:保身最優先 参加者を三人殺す
1.輝夜の言葉に従って殺す
2.穣子と雛、静葉、こいしに対する大きな罪悪感

※殺す三人の内にルーミア、さらに魂魄妖夢・スターサファイアの殺害者を考えています。


115:紫鏡 時系列順 117:誰がために鐘は鳴る(前編)
115:紫鏡 投下順 117:誰がために鐘は鳴る(前編)
105:ウソツキウサギ 鈴仙・優曇華院・イナバ 124:月兎/賢者/二人の道

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最終更新:2010年03月24日 22:53
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