アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(後編) ◆CxB4Q1Bk8I
『―――幻想郷は、平和なんだけどかなり危ういですね。人間らしいドロドロしたやり取りが一切無い平和です。
ちょっと傾いたり穴でも空いてしまえば、サラサラ血さながらきれいさっぱり流れてしまう』
幽々子が腕の中に大事に抱えていた宝物が、音も無く崩れていく。
その瞳だけが幽々子を見据えたまま、愛らしい笑顔を残したまま、大事な何かが消えていく。
西行寺の名に痛いほど染みた感覚。
繋ぎ止めることの出来ない、生命との別離。
「――嘘」
毀れた声に、意味など無かった。
幽々子の目は、大事な従者の向こう側に、一人の騒霊を映していた。
リリカ・プリズムリバーは、目を大きく見開き、この世の全てを敵と看做すかのような憎しみをその全身に纏い、そこに立っていた。
その胸を貫いた銃弾の通り道から、血が紅い川となって流れている。
その表情は怒りに滾り、正気とは思えない呻り声をあげていた。
鈴仙に撃たれる瞬間、確かに彼女は死を逃れ得ないはずだった。
だが、幽々子の行動による、鈴仙の僅かなズレと、リリカを包んでいた警戒心による反応が、致命傷からリリカを救っていたのだ。
その傷はとても無事とは言えない。激痛が今も身体を叩く。
撃たれた後、一瞬は、少なくとも、気を失っていた。
それは激痛と死そのものから、自信の精神を守るための、ある種の自衛本能だった。
されど、そのまま死に呑まれることが無かった理由は、彼女ですらわからなかった。
彼女が霊だったから、なのかもしれない。意志の力といえば陳腐かもしれない。
ただ、下手をすればそのまま死ぬ、という傷の自覚こそあったが、その自覚はその感情にも行動にも肉体にも、作用しなかった。
リリカの心は、今は、彼女に、行動を促していた。
深手を負った体を動かすほどに、強く体を衝き動かした。
リリカを駆り立てたものは、幾重にも連なった感情の爆発だった。
リリカ・プリズムリバーは、その身体を弾丸が貫いたそのとき、最初に、悔しいと思った。
死から逃れ、思いを新たにし、目標を抱き、生きると誓った。
それが、この様で、終わってしまうのは、余りにも悔しかった。
次に抱いたのは、怒りだった。
自分に何の非があっただろうか。
この二人のことを見誤ったのは過失だが、何一つとして、非はないと思っていた。
何故こんな目に。理不尽な世界に対して、リリカは怒りを覚えた。
そして、意識が無を彷徨ううちに、妬みがあふれてきた。
このような仕打ちを受けたことに対して、というのもあるが、それ以上に、
幽々子と鈴仙の話している内容が、ぼうっとする意識の中で、どこかから聞こえてきて、それに対して抱いた感情が、妬みに近かった。
主と従者。彼女たちの立場について、朦朧とした頭でも、そういうものだと理解できた。
それは、彼女たちが、現実を放棄し、理想の夢だけに囚われた結果に過ぎないと、リリカは知っていた。
自分は、姉の死も、それから逃れる夢から覚めて、遠く回り道をしたけれど、受け止めたというのに、
未だ夢から覚めずに、泡沫の幸せを享受しているこの二人に、嫉妬したのだ。
そして、最後の感情は、他の感情が鬩ぎ合う間に、そのリリカの身体を操った。
それは、最も彼女らしく、狡猾に機を伺っていたのかもしれない。
他のあらゆる感情を巻き込んで、リリカ・プリズムリバーを立ち上がらせた。
何かが乗り移ったように、心を蹴る、やり場の無い破壊衝動――。
それはつまり、罪に対して罰を与えたい、負の感情を発散させたいという、至極単純な感情だった。
だが、リリカ自身はそれを正当化できた。
彼女の掲げる正義の為に、悪を討つことは許される筈だった。
だから、躊躇いもなく、その手で、二つ目の命を奪うことを、許した。
最後の箍を外したのは、精神の旋律を狂わせる瞳ではなく、音でもなく、彼女自身であった。
リリカが、赤く染まる倒れた鈴仙の白い首筋から、鈍く光る何かを力強く抜く。
噴き出す紅い液体が、リリカの赤い服を、白い肌を、細い腕を二重に染めていく。
混ざり合った二種類の紅は、濁りきった兎の眼の色に似ていた。
「あ、あ、あ」
声にならない、悲鳴にもならない呻きをあげ、幽々子は空気を抱きしめたまま、ただ口を開閉した。
鈴仙は幽々子に許しを請うた。幽々子は鈴仙を許した。
二人の間では、それだけが大事な、互いの場所を守るために必要なことだった。
それだけで全ての罪を許され、全ての悪を許した気持ちを抱けた。
だがそんなことは、リリカには、何一つとして意味を成さないことだった。
裏切られ、傷つけられ、苦しみを与えられたのは、他ならぬリリカだったというのに、
狭い世界を見ていた二人は、ただそれだけのことすらも、理解していなかった。
地面に伏し、空気の抜けるような音だけを断続的に上げ続ける、ぴくりとも動かない鈴仙を挟んで、
その手に血の滴る包丁を持ち、リリカは吐血の跡をその唇から顎にかけて残したまま、幽々子を侮蔑と敵対の意思を含んだ眼で睨んでいた。
その膝は既に地についていた。その手の武器だけは離すものかと握り締めているが、体が既に限界であることを、隠すことすら出来ない様子だった。
されど幽々子はその眼を見ることも出来ず、ただ焦点の合わない瞳は足元で地に伏す紅を映していた。
「うそ、あ、嫌、でも、そんな、駄目、違う、死なないで、嫌」
幽々子の一杯になった心から溢れてくるのは、意味の無い感情の断片。
壊れかけた精神の隙間から流れ出る、その身を滅ぼす猛毒。
やがて自分自身すら否定しかねないほどの、現実に対する拒否反応。
「――あ」
だが、幽々子は知っていた。
こういうときに、どうすれば、自分は自分を保てるのか。
二度、否、三度、或いは、四度……繰り返された経験が、記憶の中で眠っている。
それを、この瞬間だけ起こせば、自分の精神の平和を、取り戻すことが出来ると、知っている。
彼女は“全てを忘れてしまうことが救いであると知っていた” のだ。
今の動揺が、嘘みたいに消えていく。
ちょうど、冬の雲の中を抜けて、天空が視界に開けていくように、晴れていく。
「……そうね」
地に這い、蠢き、空気の抜けるような音を出しているこれは、一体何か。
そう。違うのだ。“これ”は私の従者ではない。
簡単な話だった。
穴が開けば、埋めればいい。
見たくないのなら、隠せばいい。
何度と無く繰り返されてきたのだ。
幾度も塗り替えられた幽々子の記憶は、それに対する抵抗を、既に失っていた。
書き換えられる記憶を、幽々子の精神は、すんなりと受け入れた。
◇
何故だろう。
遠のく意識の中で、誰かの夢を見た気がした。
何よりも幸せで、何よりも儚い泡沫の夢。
私は一人じゃなくて、心を預けられる人が隣にいて、笑いあっていた。
ただそれだけの風景だというのに、心に深く刻まれて、本当の最後の瞬間まで忘れられない気がした。
そして、鈴仙は、自分が死ぬことと、最期に何をすべきかを悟った。
自分の主が泣かないようにしなければならない。
自分の主に先立つことを謝らなければならない。
これ以上お仕えすることもお守りすることもできなくて申し訳ありません。
自分の為に、誰かの為に、それを言わなければならなかった。
信じた主の姿を見るのも、これで最後だろうから。
私が存在した価値全てを主に託しても構わないから。
心地よい夢を振り切って、鈴仙は瞼を開けた。
まず眼に飛び込んだのは、一面の紅色。
自分の血が染める視界の向こう側から、
鈴仙が全てを捧げた主が、覗き込んでいた。
泣いて、いない。
悲しんでいない。
その最期に向けられる視線は――どこまでも冷たく、暗く。
或いは――全くの無で。
それは、先程まで自分に向けられていた、愛情の篭った眼差しではなく。
――それはつまり、従者に向けられる主の眼差しなどではなく。
「――これ、じゃなかったのね」
幽々子の視線が、声が、言葉が、表情が――鈴仙の価値を、存在を、意味を、否定した。
『そ、ん、な』
潰えゆく命の最後に刻まれたものは――
『ゆゆ、こ、さま』
その罪に対して、十分すぎる罰だったのかもしれない。
伸ばしかけた手は誰にも届くことは無く、
救いを求める声は誰にも届くことは無く、
暗闇の支配する中、鈴仙は眼を見開いたまま、
ただ愛だけを欲して、されどそれを満たされることは無く、
――美しいほどに残酷な喜劇は、ただ絶望する一匹の兎を映したまま、音も無く幕を閉じた。
◇
リリカ・プリズムリバーは、動くことが出来なかった。
体中の興奮が冷め、ただ今更体の危機を伝える激痛だけが、張り付いたように残っているのを感じた。
目の前で繰り広げられた、西行寺幽々子の豹変とも言うべき事象を、リリカは目の当たりにしていた。
血溜りに膝を浸し、血の抜けた顔が蒼白くなっていく。
今は、残った僅かな闘争心だけで武器を握り、体を支えているだけに過ぎない。
「――ねぇ、リリカ」
幽々子の、遠い遠い声が、聞こえた。
されど、それは朦朧とするリリカの意識を全てそれに向けさせるだけの、圧力と存在感を以って語りかける。
「貴女は私の従者だったかしら?」
質問の意味がわからない。
リリカは幽々子の眼を見た。
否、違う。意味はわかる。意図もわかる。
それでも、リリカは答えあぐねる。
おそらく、本来の従者を失った幽々子は、その代わりとなるものを求めているに違いない。
それを演じた鈴仙は、私を撃ち、私に刺され、最後には、幽々子に否定されて死んだ。
その空席に、次もまた誰かを置き、幽々子は自分を保とうとしている。
私は、それを肯定するべきなのか。
リリカ・プリズムリバーの名を捨て、西行寺幽々子の従者という位置を得ることで、自分を守るべきなのか。
――否。
そう叫ぶと、やっとの思いで支えていた上半身が崩れる。
武器を投げ出して、腕で顔を地面との激突から守るのが精一杯だった。
何故、叫んだのだ。
答えるべきではなかったかもしれない。
或いは受け入れるべきだったかもしれない。
それでも。
約束がある。目的がある。幻でない、夢がある。
姉の、ヤマメの、命の重みを背負っている。
レミリア・スカーレットに薄っぺらいと切り捨てられた誇り。
されど、如何に蹂躙されても、捨てることのなかった、大事な誇り。
体の血液が抜けていくという、霊体にあるまじき状況、朦朧としていく意識の中で、
それらを捨ててしまうことだけは、否定しなくてはいけないと、最後のプライドが告げていた。
「そう、貴女、私の従者じゃなかったのね。従者を騙って、私を騙そうとしていたの?
“あの子”をどこに隠したのかしら?
さぁ、教えて頂戴な」
それは、まるで“亡霊”の声のようだった。
リリカが顔を上げると、そこに、幽々子が立っていた。
白い肌に、柔らかな微笑みはそのままに。
されど一目でわかるほど、幽々子は、心の底からの、冷たさを隠していなかった。
「ねぇ、早く」
艶かしく、されど深遠から誘うような妖しい声。
死という海に、相手を引きずりこんでしまいそうな、清廉の唄声。
リリカには、幽々子の背から、桃色の霧が溢れてくるのが見えた。
流血で霞む眼を擦れば、それは、蝶の群れであった。
ひらひらと羽ばたき、美しい舞を見せる、それは西行寺幽々子そのものの、分身。
「あ、いや、嘘、こ、ない、で」
リリカは、ここにきて、初めて、死の恐怖を、感じた。
彼女はそれが死をもたらす凶兆であることを知っている。
体が傷つき、血を流して、されどその意思を折ることの無かったリリカだが、
目の前に、死そのものを見せ付けられていることは、彼女を強く動揺させた。
余力を振り絞り、リリカは腕で体を支え、幽々子の元から這いずり去ろうとする。
ここに居てはいけない。
もはや、死を待つだけの体でありながら、リリカは迫る死を否定しようとした。
それは、霊体になって、死に掛けて、なお、彼女は生きていることを、強く心に思っているゆえの、本能によるものだった。
ずる、ずる、と両腕で体を引き摺る。
地面と擦れて、その度に肉片が削り取られているのではないかと思ってしまうほどの激痛が走る。
この場から逃げ出そうという意思だけで、リリカは、今動いていた。
後ろから、足音はしない。それでも、空気が告げている。
何かわからないことを呟きながら、決して追いつこうとしているわけではない速度で、幽々子はリリカの惨めな逃走に、付き合っている。
振り返ったら、その瞬間にこそ、自分は殺されてしまう。強く、そう感じていた。
歩幅で言えば10歩にも満たない距離、それが限界だった。
腕が、前へ出ない。体が、動かない。
店の扉まで、あと少しだった。
「そう――教えてくれないの?
私の可愛いあの子を、どこへやったのか」
リリカの周囲を、桃色の鮮やかな蝶の群れが包み込む。
タイムリミット。ゲームオーバー。
悔しかった。でも、どうにもならなかった。
この生き様に、アンコールは、なかった。
ソロコンサートは、拍手も無いまま、終わってしまった。
ごめんなさい、姉さん。ヤマメ。
死ぬときは、こんなにも、鮮やかな景色に囲まれる、ものなのかしら。
桃色の、綺麗な霧に身を包まれて、このまま天に昇るような、感覚。
桃源郷とは、もしかしたら、こういう景色を、言うのかもしれない。
でも。
綺麗に廻る万華鏡のような世界より、
広い空を、見たかった。
どこまでも音が響く、
どこまでも飛んでいける、
天空の花の都を。
太陽を、月を、星を――。
必死に、体を捻り、仰向けになる。
されど、視界一杯に広がるのは、無機質な天井。
扉は今も、閉ざされたまま。
桃色と紅色の牢獄は、無表情に彼女を見守っていた。
リリカが最期に見た世界は、ただそれだけだった。
◇
西行寺幽々子は、荷物を纏めると、惨劇の跡地に再度立つ。
二つ転がる死体は、傍目、血塗れになる程の外傷で命を失ったように見える。
だが、その実際の生を奪ったのは、死という概念、あるいは絶望そのものであった、のかもしれない。
それには、何一つ、幽々子は感情を動かされない。
幽々子が、嘗て自らを滅した理由ともなった、他者の生命の抜け殻は、既に、ただのモノとしか見られなかった。
幽々子は何一つとして狂いのない、どこまでも平常な行動を、とっていた。
鈴仙の遺した武器を、何の感慨も無く、そのスキマに詰め込む。
リリカのスキマも覗いてみるが、霊撃符以外はガラクタのようだと判断し、そこに捨て置くことにした。
「さて」
滞りなく準備を整え、幽々子は優雅に立ち上がる。
「“あの子”はどこかしら?」
幽々子の世界にはただ二人だけがいればよかった。
それ以外は、従者を騙り自分に取り入ろうとする悪しかいないと知った。
だから、幽々子のやることは決まっていた。
ただ一人の従者を見つけ、他の全てを殺せと命じればいい。
或いは、その一人の従者を守るためならば、自ら――。
それだけで、自分の世界は、守られる。
幽々子の、殺してはいけないという最後の箍は、幾度目かの喪失が、完全に壊してしまった。
良くも悪くも、閻魔の手によって嵌められた箍。
殺したのだという言葉と、殺してはいないという心。
相反する故に、その境を明確にしていた箍。
魂魄妖夢を殺したのは自分ではないと、それを証明するだけのために、閻魔の言う自分を否定し続けていた。
だが魂魄妖夢の存在した記憶など、既に彼女は喪失していたのだから。
意志だけが一人歩きして、最後の一線だけを越えずにいたという意味は、既に喪われていたのだ。
西行寺幽々子は、彼女の世界を守るために、彼女の世界を守っていた殻を破り捨てた。
彼女は、ただその夢を守ることだけを、肯定と否定の基準に置いた。
その夢を守るために、自分の中の大事なものを、ぐちゃぐちゃに塗り替えてしまうことを許した。
幽々子は歩き出す。
その目的も、精神も、はっきりとしていて、むしろ爽快なほどだった。
――彼女は、西行寺幽々子は、死に誘う亡霊であった。
その思考に、なぜ、という疑問は既に無い。
永遠となった“泡沫の夢”だけが、ただ彼女の究極の真実となった。
【F-4 香霖堂 一日目夜中】
【西行寺幽々子】
[状態]健康、親指に切り傷、記憶と精神の喪失と補完の途上
[装備]香霖堂店主の衣服、64式小銃狙撃仕様(10/20)
[道具]支給品一式×5(水一本使用)、藍のメモ(内容はお任せします)、八雲紫の傘、牛刀、中華包丁、魂魄妖夢の衣服(破損)
博麗霊夢の衣服一着、霧雨魔理沙の衣服一着、破片手榴弾×2、毒薬(少量)、永琳の書置き、64式小銃弾(20×8)、霊撃札(24枚)
[思考・状況]私の可愛い従者はどこかしら?
1.従者を探す。
2.従者を騙る者を排除する。
※幽々子の能力制限について
1.心身ともに健やかな者には通用しない。ある程度、身体や心が傷ついて初めて効果が現れる。
2.狙った箇所へ正確に放てない。蝶は本能によって、常に死に近い者から手招きを始める。制御不能。
3.普通では自分の意思で出すことができない。感情が高ぶっていると出せる可能性はある。
それ以外の詳細は、次の書き手にお任せします。
※能力制限について、発動条件が緩くなっています。
【鈴仙・優曇華院・イナバ 死亡】
【リリカ・プリズムリバー 死亡】
【残り21人】
最終更新:2011年07月11日 23:14