アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(前編)

アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(前編) ◆CxB4Q1Bk8I



『さて、それでは3回目の放送を始めますわ』

 どこか遠くで、 嘗て師匠と仰いだ八意永琳――或いはその偽者が、死者の名を読み上げている。
 心の抑揚を感じない、世界を知らない天才の声だった。
 知った名前もあった。嘗ての主の名もあった。
 しかし、そのうちのひとつとして、私にとって意味のある名前は、無かった。


『あら、うどんげ、そんなに動揺しないでいいわよ。
 姫様の名前が呼ばれたって。私が姫様をあんな危険な場所に送り込むと?
 そんなことはしないわ。
 ただ、操り人形は壊されちゃったみたいだからね。
 しばらく、ここでまっていてもらいますわ』

 自分に言葉をかけられた。
 いくらかの遅れののちに、それを理解する。
 されど、親しみや愛情なんて、その言葉のどこにも、感じられなかった。

 うどんげ。そう呼ばれたことも、あったような気はするけれど。
 それは、ただの一回も私を救ってくれなかった、とうに忘れたような、過去の話だった。

 やめてください、“八意永琳”。
 今はもう、私は貴女の弟子ではないし、“姫様”の何でもないのですから。


「ねぇ鈴仙、今の放送聞いたかしら?
 また一杯、死んでしまったわね」
「はい幽々子様。
 でもご安心ください、私が幽々子様をお守りします」
「そう、安心したわ鈴仙。もちろん、貴女も死んでは駄目よ?
 八意永琳が貴女の名前を出すものだから、ちょっとびっくりしちゃったの」
「大丈夫です幽々子様。
 何を言われても、私は貴女の従者ですから。何も心配要りません」
「そうよね鈴仙。貴女は私の可愛い従者。
 口先だけの幻惑で、私と鈴仙の信頼を切り裂こうなんて、八意永琳も甘いわね」

 幽々子様が私の頭を撫でてくれた。
 私は幽々子様に笑顔を見せた。

 数多くの犠牲を告げた、煩いだけの放送が終わった後の、静寂の中。

 夕陽と血で紅く染まる世界の中心で、おぞましい肉塊達の隣で、
 私はただ一人の主人に仕えることが出来たことの、幸せを噛みしめていた。


 ――それから少しの時間が流れて。

 血の匂い満ちる部屋の中、紅く染まった塊の隣。鈴仙は今もただ静かにそこに在った。

 心を捧げることのできるひとが、自分にはいる。
 それだけが鈴仙の気持ちを充実させ、彼女が以前ここに来たときのような脱兎と同じではない事を感じさせていた。

 これだけ自分の心が充ちることがあっただろうか?
 これだけ自分が救われる気分になったことがあっただろうか?
 これだけ自分の存在意義に納得できることがあっただろうか?

 今の自分が、いままでの遠い記憶の彼方、どんな時代のどんな場所の自分より、価値あるものだった。
 無限にあった過去よりも、今だけを自分は信じていたかった。


 幽々子様は一人、奥の寝室に篭ってしまわれた。
 休息も必要なものなのよ、貴女も体を休めておきなさい。そう、幽々子様は仰った。
 幽々子様は聡明だ。そして、私の体を気遣ってくださった。

 幽々子という絶対的な支柱を得て、鈴仙の精神は安寧の中にあった。
 目的も、意味も、全てがはっきりとしている。
 こんな感覚は長らく無かったのだ。
 自分が今まで置かれていた環境は、ただの檻の中でしかなく、自分は何も出来なかった。
 今は違う。紐で繋がれていたとしても、それが私の役割を示してくれる。

 自分はここに存在していい。

 それを証明するために、ずいぶん回り道をした。


 幽々子様は自分の存在を肯定してくれる。
 自分が存在して幽々子様がそれを認めるのならば、自分の存在に意味はある。
 死を恐れたことすら、今は過去のことだった。
 この場所を守るために、初めて、命を投げ出しても惜しくはないと、思ったのだ。


 手持ちの武器は主を守るためにいつでも敵を射抜くことが出来る。
 自身の体はいつでも主を守るために立ち上がることが出来る。

 それはある種の決意であり、同時に決別であった。
 本当に望む場所を手に入れるための儀式でもあった。

 鈴仙は銃を取ると両手で握り、目を閉じた。
 この居場所を完全なものとするために、今誓いを立てるのだ。

 私は幽々子様の“銃”となり“盾”となる――


 鈴仙は、突如背中を這うようなぞくりとした感覚に襲われた。
 地の底から湧いた霧が自分だけを包み込んだような、孤独で不気味な感覚。
 誰かに覗き見られているような、誰かに耳元で囁かれているような――
 驚いて辺りを見回すが、何一つ周囲の様子に変化は無い。
 耳を欹ててみるも、何一つ鈴仙に働きかける音は無い。

 だが、鈴仙は、その正体について、あまりに大きい心当たりがあった。

 つまり――そこに置き去りにされたおぞましいなにかが、
 自分を睨み、自分に語りかけているのではないか。

“お前などが幽々子様の盾となれようものか”と。
“穢れた心で幽々子様の従者などを騙れるものか”と。


 幽々子がそれを忘却の海に沈めても、鈴仙はそれが幽々子の昔の従者だったことを知っている。
 幽々子が否定するから、鈴仙はそれを自分の世界からも排そうとしていた。
 だが、自ら記憶を書き換えた幽々子ほどには、鈴仙は狂えなかった。
 自分で世界を否定した幽々子のようには、
 世界が自分を否定したと思い込んでいた鈴仙は、狂うことが出来なかった。

 だから、鈴仙は思ったのだ。
 この声は、亡き少女の遺した心なのだと。
 彼女の場所に入っていった私という存在に、彼女は嫉妬しているのだと。

 可哀相だという感情もあった。
 彼女の仇を取るという誓いもあった。
 されど、鈴仙は、今その身を委ねる狭い世界の中で、それは価値のないものだと知っていた。

 だから、彼女の声も、彼女が存在した事実も、今度こそ、その心から消し去ろうとした。
 それは、今、鈴仙には――幽々子には不要なものだと思ったから。

 ただ。それを消し去るために乗り越えなくてはいけない、壁があることも、鈴仙は知っている。

 つまり、今の自分の位置は、妖夢の代替品だということ。
 全ての慈愛は、魂魄妖夢がずっと向けられていたものの続きでしかない。

 不完全な、安寧。

 それを悟りながらも受け入れていた。
 自分は半端だと知っていた。だからこそ、鈴仙は強く思う。
 幽々子に、本当の意味で、認めてもらいたい。本当の居場所をそこにおきたい。

 本当の、安寧。

 鈴仙は、それを手に入れるために、幽々子に全てを捧げることを、誓おうとしたのだ。

 その場所に最初に居た魂魄妖夢が、如何にその意味に悩み自ら死に急いだのかも知らずに、
 ただ安寧と平穏だけの為にその場所を我が物としたかったのだ。


 鈴仙は、考える。

 元々魂魄妖夢の在った場所に自分が納まるために出来ることは何か。
 彼女の遺した心に対し、鈴仙が完全に勝るために必要なことは何か。

 そして、鈴仙は、真っ先に、ひとつだけ、あまりに具体的に、思いついてしまったものがあった。

 ――魂魄妖夢という存在を自分の中に取り込むということ。

 その一瞬頭を過ぎった思考を、しかし鈴仙は全力で否定した。
 駄目だ、それだけは。あらゆる感覚がそう叫んでいる。
 ごりごりと骨を削る音が、脳裏に染み付いて取れない。
 口の中に残る血の味が、精神に巣食って離れない。

 それは、生きる者の所業ではない。

 幽々子様は、それを決して許さないだろう。
 たとえその相手が、幽々子様の記憶から、完全に消失したものだったとしても。


 静かに、背後の襖が開いた。
 廻る思考の中に在った鈴仙は、それ咄嗟には反応できなかった。

「ねぇ」

 振り向くと、幽々子が、鈴仙を見下ろしていた。
 襖に手をかけたまま、相も変らぬ微笑と眼差しを浮かべたまま。
 鈴仙は、全ての喧しい思考回路を切断して、意識を主に向けた。

「は、はいっ、幽々子様!」
「何か考え事?」

 幽々子は優しく、柔らかに聞く。
 されど、鈴仙にとって絶対の存在になろうとしていた幽々子の問いは、詰問に近かった。
 鈴仙は今の自分のおぞましい思考を見破られたのかと身を震わせる。
 如何な発し方をしても、幽々子の声は鈴仙に強制力と慈愛を持って働きかけ、その全てが心に沁みるようにその感情を左右させる。

「べ、別に、そういったわけでは」
「あら、本当?」

 決して。決して。幽々子様の望まぬことなど、私は――

「まぁ、いいわ。貴女の考え方まで、私は覗いたりしないもの。
 でも、貴女が思ったことは、私も知りたいの。――心が離れてしまう前に。
 だから、もし気が向いたら、話して頂戴。一人で悩んじゃ駄目よ?」

 幽々子はどこまでも優しく、しかし有無を言わさぬ調子で鈴仙に言った。
 この言葉に、ノーを言える存在がいるとは、鈴仙には思えなかった。

「はい、幽々子様」

 鈴仙の言葉を聞くと、幽々子はにっこりと笑った。
 それは或いは、見るもの全ての心を掻き乱す兎の瞳のように、鈴仙の心を揺れ動かした。

「いい子ね、鈴仙。
 ……そう、それよりも、誰か、外にいるみたいなのよ。
 ね、鈴仙。見てきてもらえるかしら?」

 鈴仙は、まず自身の安寧が決して破られたわけではないことに安堵し、
 それから、その言葉の示す、今最も優先すべき事項を理解した。

「っ、それは申し訳ありません。気付かずに」

 自分の思考に囚われて周囲への警戒を疎かにするとは。鈴仙は深く恥じ入った。
 従者としては、あまりに不覚ではないか。申し訳ありません、幽々子様。

「そうね鈴仙。貴女は少し未熟だけど、立派な従者なんだから。
 あんまり気を抜いてちゃ駄目よ。
 私を守ってくれるのは、鈴仙、貴女だけだもの」
「はい、幽々子様」

 幽々子は、鈴仙に手を差し伸べる。
 鈴仙はその手をとって立ち上がる。

 その手に凶器を構え鈴仙は、彼女と幽々子の間を裂く何かが在るのかを、確かめに向かう。
 その場所に自分がいるために。銃でも盾でも構わない。
 たとえ不完全なままだとしても、
 鈴仙は幽々子の投影する何かになろうとしていた。


 そして、数分という時間が経過し、鈴仙は存在するだろう敵を見極めるべく、家の中を移動していた。
 慎重に、その誰かに気配を悟られぬように、ゆっくりと歩く。 
 居住部と店を繋ぐ場所で、鈴仙は気配を感じて足を止めた。
 壁を隔てた向こう側、外から誰かが中の様子を伺っている。
 この場には窓は無い。おそらく聞き耳を立てているのだろう。
 されど、鈴仙の呼吸や鼓動は相手に聞こえないはずだ。
 鈴仙には、その相手の呼吸、鼓動さえも、はっきりと感じることは出来るが。
 鈴仙は冷静に現状を考える。

 おそらく相手は一人である。呼吸の間合いから、それは推測できる。
 こちらに完全に気づいている様子は無い。相手は建物から近い場所に居る。もしこちらに気づいているのなら、それは不用意すぎる。
 一応の警戒をしつつ、中の様子を探りたいということだろう。その目的は如何にしても。

 ひとつ、ふたつ、深く呼吸をする。
 手元の銃は、幽々子様から賜ったもの。これを無駄にするわけにはいかない。

 それに付属しているスコープは、遠距離からの狙撃用。
 もし、ただ相手を殺せとだけ言われたのならば、何一つ傷つくことなく、それをやり遂げる自信はあった。

 だが、幽々子様は見て来いと仰ったのだ。
 今はまだ、様子見の時間だ。鈴仙は静かに、時を待つ。



 やがて、外の誰かが歩き出す。中に誰もいないと踏んだのか、警戒心を緩めているのが丸わかりだ。
 軍人である鈴仙に比べて、こういった場面についてはまるで素人なのだろう。
 相手は玄関に回るだろうと予測を立て、鈴仙は早足で先回りする。
 ガラクタの山に身を隠し、戸が開くのを待った。

 程なくして、来訪者を継げるベルが鳴り、誰かが店に足を踏み入れた。

「……ぅ動くなッ!」

 銃を構え、立ち上がる鈴仙。
 その目にまず映ったのは、赤という色。
 先程の血塗れの妖怪でも帰ってきたかと、鈴仙の体に吐き気のような悪寒が走る。
 だが一呼吸のうちにそうではないと知る。
 ひっ、とあがった声は彼女のものではなく、またその目には、あの忘れたい存在の欠片も映らない。
 冷静さを保った鈴仙は、相手の様子を隙無く観察することが出来た。
 向けた銃の先で、一人の少女が怯えて両手を挙げていた。
 赤く派手に見える衣装に、茶色の髪。低めの身長のせいか、随分と幼く見える。
 面識は、ある。おそらく、騒霊姉妹のうちの誰かだった筈だ。
 その相手は驚愕の表情で鈴仙を見つめ、言葉を選びきれずに思いつきのような勢いで声を発していた。

「な、なにもしない! ほんと! お願い、ね!」

 必死の形相での叫びだった。
 それは、命乞いのようだった。
 鈴仙は拍子抜けしたが、彼女には幽々子を守るという使命がある。それに、この相手を信用すべきかの判断もつかない。

「話はあと! 壁に両手を! スキマ袋はそこに置く! 変な真似をしたらッ……」

「大丈夫、鈴仙。武器を下ろしなさい」

 鈴仙の声を遮る、高く透き通る声。
 それは絶対的な強制力を持って鈴仙に従わせる。

「はい、幽々子様」
リリカ・プリズムリバーね。お久しぶり。健在だったかしら?」

 いつの間にか鈴仙の後ろに来ていた幽々子が、優しく侵入者に声をかける。
 武器を下ろした鈴仙の肩に、そっと手を置くと、二度、大丈夫と声をかけた。

「あ、ああ、はあぁ……」

 安心したのかその場に崩れるように座り込むリリカを、鈴仙はただその赤い瞳でぼうっと眺めていた。



 幽々子の、一先ず落ち着いて情報の交換でも、という声で、場の空気は一気にそちらに動いた。
 リリカが返事をする前に、鈴仙は即座に反応し、幽々子に一言二言耳打ちすると、その店の中に椅子を並べ始めた。
 そして、幽々子に座るように促した。
 流れるような作業に、リリカは少しだけ感動を覚えた。

 店の奥側に、中心を向くようにして置かれた椅子に幽々子が座り、鈴仙はその後ろに立った。
 まるで幽々子のボディーガードみたいねと、軽口を叩きそうになるのをリリカは堪えた。
 幽々子がそれを認めているのだから、信頼はしているのだろう。それを茶化すのは、ある意味空気が読めていない。

 リリカは、幽々子の正面、ちょうど入り口を背にして置かれた椅子に座るように鈴仙に促された。
 幽々子からは幾分、会話するには遠すぎる位置だと感じた。
 その間、リリカの足で大股で3歩ほど。
 若干ぞんざいな扱いに少し不満を抱いたが、特に言うほどの事でもないと、そのまま座ることにする。

 幽々子は微笑を浮かべ、鈴仙は無表情でリリカを見ていた。
 侵入したのが自分である以上、こちらから話をするのは、当然だろう。
 そう考え、リリカは口火を切る。

「私、リリカ・プリズムリバー……って、二人とも知ってるか。
 姉さん達……を、亡くしちゃったけど、その分まで生きたいって思ってる。もちろん、殺し合いには反対」

 そう言って二人の顔を交互に見る。
 幽々子は微笑を浮かべたまま、少し頷いた。
 鈴仙は特段反応を見せなかったが、リリカの話は聞いているようだった。

 一先ず、敵対する意志を持っているわけではない。
 二人の反応を見、そう考えてリリカは胸を撫で下ろす。

 次に、最も彼女にとって枷となる存在。彼女の行動の理由として最も大きい存在のことを、強い調子で口にする。

「それで! 聞いてほしいんだけど。
 ――レミリア・スカーレットが殺し合いに乗っているのよ! あの冷たい感じのメイドを連れて!
 私、あいつに殺されかけた! 指もこんな風に切られて!」

 リリカは、二度目の遭遇の時の様子を、細かに大胆に、手で表情で表しながら、二人に伝える。
 その恐怖を、彼女たちの危険さを、これでもかというくらいに訴えかける。
 痛みを、苦しみを、思い出しながら、畏怖と憤怒がリリカの声を段々と大きくさせていく。

「私、絶対に許さない。あいつが他に誰か殺す前に止めなくちゃいけない!
 だから、仲間を探してるの! お願い、手を貸してほしい!」

 そこで、一息つき、二人の顔を見比べた。
 幽々子は相も変らぬ微笑を、鈴仙は何故か少し悲しそうな顔を、浮かべていた。

「やはり……吸血鬼というものは残虐で非道な存在ですわね」
「その通りです、幽々子様」

 幽々子が考えを述べ、鈴仙が同意する。

「大丈夫よ、リリカ。力を合わせれば敵は大したこと無いわ。
 いざ、それと戦うときになったら言いなさいな。私たちも、惜しまず力を貸すわ。ね、鈴仙?」
「はい、幽々子様」

 字面だけ見れば、二人はリリカに全面的に協力してくれるようだった。

 だが。
 二、三と言葉を交わすにつれて、言いようもない違和感が、リリカに纏わりつく。
 昂ぶった気持ちが落ち着いてくるにつれて、表現できない不信感が、リリカを覆っていく。

 幽々子を頼ってきた。幽々子は自分を信じてくれた。
 私の話も聞いてくれたし、私に協力すると言ってくれた。
 なのに、なんだというのか、この根拠の無い不安は?

 落ち着くの、リリカ・プリズムリバー。
 私の持ち味は、“最小努力”で“最大利益”を得ること。
 この胸糞の悪いゲームの中で、今まで中々それを生かす機会は無かった。
 信頼できそうな存在に会えたことや、その他の諸々の出来事のせいで、冷静さを欠いていたのだ。
 それでも、ようやく、それを乗り越えて、“慣れてきた”のだから。
 目的に“狡猾”になるために、あらゆることに敏感でなくてはならない。

 そう、幽々子を頼るときに注意すべきことは何だった?
 従者を失って心を壊してないか、それに気をつけるべきだったと、自分は考えていたではないか?
 そうだ。自分が姉を失ったと話したとき、全く反応を見せなかったのは、おかしくないだろうか?
 同じ、身内を失ったもの同士だというのに。

 そして、不気味な信頼関係がそこに存在している、鈴仙との関係は、いったいどういうものなのか――?

 聞けるのか?
 いや、聞くのが怖い。

 思い当たることが意外に多いことに、気づいてしまっている。

 従者を失ったのに悲しみの表情も無く、鈴仙をまるで永く共に過ごしてきた従者のように扱っている。
 果たして彼女の上辺の安定は、何を覆い隠す仮面なのだろうか。

 芽吹いた不審の種は、瞬く間にリリカの心にその蔓を絡ませていく。
 もし心を壊してしまっているのなら、その上辺の言葉も何も、信じることの出来ない存在でしかない。
 気づけばリリカは、今までのようには幽々子を見られずにいた。

 そして、鈴仙の視線に、気付いた。
 黙りこんだ私を、不安と不審を抱いた私を、じっと、訝しむ、というよりは敵対心の篭った瞳で睨んでいた。
 その赤い瞳は、心の中に渦巻く疑心を、粟立つほどに掻き乱してくる。

 もしかしたら、自ら地雷の中に足を突っ込んでしまったのかもしれない。
 既にこの場は、自分が協力を求める会議の場ではなく、ただ彼女たちが作り上げた空間で、このままではそれに取り込まれてしまう気がした。
 それは、レミリアと咲夜が築いた様な、歪んではあれど確とした主従関係ではなく、
 盲目の精神の絡まりあった迷路のような世界だろうと思った。

 リリカは、気付かれぬように、膝の上に乗せていたスキマ袋を握り締める。
 この空間は、既に自分の信じられるもののない世界だった。
 だから、逃げるか、抗うか、それとも、全てを諦めて取り込まれてしまうか。
 それだけの選択肢から、リリカは選ばなければならなかった。

 だが、リリカは、その時、迷っていたのだ。




 鈴仙は、リリカの表情、態度の変化をじっと見ていた。
 一息に自分の体験と感情を話したリリカ。
 そして考え込むように黙ってしまったリリカ。

 幽々子様は、その続きを急かしたりしない。
 されど鈴仙にはわかるのだ。リリカが、何かを心に引っ掛けてしまったことを。

 鈴仙は従者だ。主の安全を第一に考えなければならない。
 だから、鈴仙はこの相手を、本当に信頼に足るのか見極める義務がある。

 幽々子様はリリカを信頼しているのだろう。本来ならば、自分に口出す権利は無い。
 されど、鈴仙は、それを有耶無耶なまま納得することが出来なかった。

 幽々子様は、お優しい。
 そして、聡明だ。
 されど、これまで心労重なること甚だしかったのだ。
 だから鈴仙は、惨劇の爪痕の残る店の奥へと来客を案内して余計な火種を作るまいとしたし、
 幽々子様の望む姿を――それは自分にとっても心地よかったから――演じてきた。
 そんな状態だからこそ、自分に可能な限り、畏れ多い事ながら、自分は幽々子様の手足、目鼻とならなければならないと、思っている。

 だから、それは重要だったのだ。
 リリカの見せた表情の変化に、幽々子様は気づいてなどいないのではないか、ということ。

 気づいてください、幽々子様。
 あの、リリカの表情に。
 あの、リリカの視線に。
 決して、幽々子様に心許してはいない、
 それどころか、あろうことか不審を抱いている、この身の程知らずのことを。

 リリカが、鈴仙を見た。
 疑惑を確信に変えようとしているような、眼をしていた。
 そして、おそらく、こちらの考えにも、気付いた。
 その手にしたスキマ袋を強く握ったのがわかった。

 そこから、一体、何を出すつもりなのか。
 万が一にでも、武器を出すつもりならば――。

 私だけが、気づいているとすれば。
 リリカが、幽々子様に不審を抱いているとすれば。 
 リリカが、幽々子様を僅かだって傷つける意思があるとすれば。
 その前に、私が、行動しなければならない。


 主のために従者がするべきこと、
 従者が主に認められるためにすべきこと、

 それは何だ。

 ――誰かが、ひとつだけ、耳元で囁いた。

 鈴仙は、それに頷いた。
 それはあまりに短絡的な思考だった、かもしれない。
 それでも、鎌首を擡げた従者の心は、誰かを投影するように、その手を武器へと伸ばさせる。

 ――それは剣ではなかった。
 されど、人を殺めるために、人が造り、人が鍛えた武器だった。

 敵を撃ち、主を守るために、それは在るのだから。
 鈴仙がそれを、今、使わない理由は無いのだ。

 ――申し訳ありません、幽々子様。

 そう、心に思うが早く、
 迷うことなく、それを一気に引き抜いた。
 それの持つ機能を、弄る時間などない。武器が相手を貫けば、それでいいのだ。

 リリカの驚愕した視線がそれを捉えるより早く、その銃口は彼女を捉え――





「――ねぇ、鈴仙」

 前触れも無く、幽々子が振り向いた。
 その声は、鈴仙に絶対的な能力を持って、得体の知れない力をその身体の動きに加えようとする。
 されど、僅かに、どうにもならない瞬間を、越えてしまっていた。
 鈴仙の、引き金にかけた指は止まらなかった。

 鈴仙の腕が、その反動を受け止めた瞬間。
 轟音が、香霖堂を揺らした。


「っぁあああああああああああっ!」

 怒号とも取れるような悲鳴を上げ、リリカは胸から赤い血を吹いて椅子から転げ落ちる。
 床の振動と、重みを受け止めた音が鈴仙には感じ取れた。
 体を貫いたのだろう、銃弾が店の壁を抉った。

「幽々子様、お気をつけください! こいつは武器をッ!」

 鈴仙は、反撃に備えるために幽々子の前に飛び出た。
 背後で、幽々子が椅子から立ち上がる音が聞こえた。


 そこからは、封じられた時間の中であるかの如く、ゆっくりと世界が動いたように感じた。

 リリカは、地面に伏し、うめき声を上げていた。
 反撃はない。スキマ袋は彼女の横に落ちていた。
 リリカは、どくどくと流れる血の海の中で、生まれたての生物がするように、何かを求めているように手で辺りを弄り、
 死をその身に刻み込むような、怨嗟と苦痛に満ちた声をあげ、
 されど声と認識できたそれは、時とともに呻きとなり、雑音となり、

 ――やがて、何も聞こえなくなった。


 自分の武器で、リリカ・プリズムリバーを撃った。
 主を傷つける可能性のある存在を、自らの力で排除した。
 従者として、その行動に一点の曇りは無いと思った。

 されど、そこには高揚感も誇らしさもまるで無く、ただ――


 鈴仙の目は、動かなくなったリリカを離れ、背後の幽々子を見ていた。
 目だけではない。全ての感覚が、今撃ち抜いた相手ではなく、自分の主を追おうと動いた。


「何故」

 幽々子は、生気の無い、零度の瞳と表情で、鈴仙を見ていた。

「何故――撃ったの」

 凍てつくような、聞くものを震えさせる声で、幽々子は問うた。

「……それは」
「何故――わかってくれないの?」

 されど鈴仙は――触れてはいけない禁忌に、土足で踏み入れてしまったのだという、激しい後悔に駆られていた。

「何故――私を信じてくれないの?」

 幽々子の眼の奥は、再び、鈴仙ではない誰かを見出しているのだと、悟ってしまったから。


「幽々子様……申し訳ありません……。これは、その……」

 撃つまではハッキリとした理由があった。
 自分の気付いた事実。従者のあるべき姿。心の声。全てが認めた行動だった。

 しかし今、それは霧散してしまったかのように、形を失ってしまっている。
 言葉にならない。表現できない。
 果たして自分は、何をしたかったのか。

 ただ焦燥に駆られただけの、お粗末な暴走だったのではないか。
 ただ幽々子様を守ろうとすることだけを、従者の役目だと思ってしまったのではないか。
 ただ幽々子様のそばに在るために、その他のものを排除しようとしただけなのではないか。
 或いはただ幽々子様に自分を認めてもらいたくて――

 それは、どれが真実でも、まるで狂気の瞳に駆られたような、見るに耐えない愚考ではないか――。


「私を信じられなかったんでしょう?」

 そんなことは。
 私が幽々子様を信じないはずなど。

「そんなっ! ただ私は」
「撃てとも言ってないわよね? 殺せとも?」

 幽々子は、ほんの少し、顔を綻ばせる。
 されどそれは、全く、鈴仙の心を落ち着かせず、それ以上に、眼の冷たさとの対比が不気味で、鈴仙を震えさせる。

「それは……」
「リリカ・プリズムリバーは私たちを害そうとなどしてないでしょう?」
「いえ、それは」
「ねぇ鈴仙、私を失望させないで頂戴ね――」

 自分を、否定される。
 そう予感がした、その次の瞬間には、鈴仙は叫んでいた。

「ですが幽々子様、お聞きくださいッ!」

 叫んでから、鈴仙は、ハッとしたように口を押さえる。
 これは、主に対する反抗のようなものではないか。
 言い訳は、自分の立場を崩してしまうことを、鈴仙は痛いほど知っている。

 禁忌だった。それを、自ら破ってしまった。
 強い後悔に、鈴仙は襲われた。

 沈黙。
 それは、鈴仙の心を、強く圧迫していく。
 嘗てのような自分に、戻っていくかのようだった。
 言い訳だけを巡らせてた、過去の決別した筈の自分に。


 そして、幽々子がぽつりと、呟くように言った。

「――大丈夫、わかってるわ。
 鈴仙。そんなもの、聞く必要も無いでしょう?」

 鈴仙は、幽々子の表情が、柔らかくなるのを、感じた。




「鈴仙。私は貴女を信じてるわ。
 貴女は未熟なことをしちゃったけど、それも、きっと私のためなんでしょう?
 わかってるわ。だから、心配しないで」

 幽々子は、鈴仙の顔が、ぱっと明るくなるのを、感じた。

 否、実際は驚いているだけなのかもしれない。
 それでも、幽々子にとって、鈴仙が、暗い表情から開放されたのを感じることが出来て、幸せな気分になれた。

 そうだ。
 私は、この表情を、見たかったのだ。

「今ならまだ、許せるから。ね、私の可愛い鈴仙。
 決して思い悩んだりしないで。一人で抱え込んだりしないで。
 私はいつだって貴女の味方」

 鈴仙の背に、幽々子は優しく腕を回した。
 包み込むような仕草に触れ、恐々と顔を上げた鈴仙を、幽々子は愛しく思った。

「でもね、みんなを傷つけるのは私の本意じゃないのよ、鈴仙。
 そして、それ以上に、貴女が傷つくかもしれないことを、させたくないの。
 わかって頂戴ね」

 こうやって、抱きしめたかったのだ。

「……はい。申し訳ありません、幽々子様」

 全てから赦されたような、安堵の声。
 この言葉を、本当に、聞きたかった。
 鈴仙の頬を涙が伝うのを、幽々子はそっと拭った。

「大丈夫、許してあげる。
 貴方の不器用なまっすぐさも、思い込みの激しいところも、私は好きよ。
 だから、これからも、一緒にいましょう。
 決して離れないで。私を一人にしないで」

 私たちが二人でいるから、伝えられる。
 この言葉を、伝えたかった。

「はい、ありがとう、ございます……幽々子様」


 仕草も、言葉も、全て、幽々子が、本当に、望んだものだった。
 誰に対して、望んだものなのか。そんなことは、幽々子の中で、既に意味を失っていた。

 抱きとめた従者の瞳に、安堵と信頼の火が宿り、




 ――次の瞬間に、掻き消えた。


157:墜ちる 時系列順 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(後編)
152:仰空 投下順 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(後編)
138:Who's lost mind? 西行寺幽々子 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(後編)
138:Who's lost mind? 鈴仙・優曇華院・イナバ 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(後編)
147:人を探して、三千歩 リリカ・プリズムリバー 153:アルティメットトゥルース ~Fruhlingstraum(後編)


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最終更新:2011年03月15日 15:31
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