信仰は、はかなき者達のために

信仰は、はかなき者達のために ◆CxB4Q1Bk8I



 この娘の反応は、言うならば、素直すぎる。

 八雲紫は、永遠亭を発ってから幾度目かの溜息を漏らす。
 この娘とは、言うまでもなく東風谷早苗――今、紫の前で未知の機械に目を輝かせている少女のことだ。

「ほら、見てくださいよ! わぁ! へぇっ……すごいっ!」
 感動の漏れてばかりの言葉ではその興奮の内容がわからないが、とにかく彼女の知的好奇心、
 ――それほど崇高なものでないにしても、それに近い精神を刺激するに余りあるものだったのだろう。
 余りに簡素に作られた、飾り気の無い車でも、月面を探査したという箔がつけば、恐らくそれに触れる機会の無いであろう人間達には大いなる価値になる。
 この娘は、その価値をそのままに受け止める――余りに素直な、少女なのだ。

「落ち着きの無い子ね」
 紫は、何かを思い出すように、物憂げに言った。
「人間としてはそれなりに落ち着きが備わるべき年齢でしょうに」
「わかってますよっ。でも、やっぱり嬉しくなるじゃないですか、写真でしか見たことが無いものに、こうやって触れるなんて」
 頬を膨らませる様子は、やはり、子供だ。

 放っておけば頬擦りまで始めそうな様子だった早苗を引き剥がし、探査車が異常なく動くことを確認すると、紫は運転席側に座った。

「わ、紫さん、運転できたんですか?」
 目を丸くして聞いてくる早苗の様子に、紫は苦笑いを浮かべる。
「“説明書を読んだのよ”――これで満足?」
「じゃ、じゃあできるんですね?」
「――病人は寝てなさい」
「……安全運転で、お願いしますね」

 早苗が恐る恐る助手席に腰掛けたのを見届けると、紫はレバーに手をかける。
 ほんの数刻前までここに座っていた、今は亡き男の真似事をするだけだ。
 できるか、できないかで言えば――できないのだが。
 しかし、“試す価値はある”。そういう価値観でものを見るのに慣れていなかっただけだ。

 それが紫らしくない真剣な表情に見えたのか、車が動き出すまで、早苗は一言も話しかけてこなかった。
 不安げ、というよりは息をのむような表情で、紫を見守っているようだった。

「この歳で初めての経験があるとは思わなかったわねぇ」
 軽口を叩いてみるが、早苗は乾いた笑いを返しただけで、言った本人も、強張った笑顔を見せるしかなかった。

 気まずい沈黙の後、月面探査車は、そろそろと走り出した。


 ……



「ねぇ、貴女」

 運転に慣れ始めた頃、紫は早苗に声をかけた。
 速度さえ出さなければ、それの運転はさほど難しいことは無かった。
 勿論、顔はまだ正面から動かせないが、表情は幾分崩すことが出来たように思う。
 大妖怪の余裕を、隙あらば見せようとしている自分が、そこにいることに、紫は気付いた。

「はい、何ですか?」
 早苗の声も、一時よりは安らいだものになっていた。
 お互いに、雑談を交わせるくらいには緊張が解けたということだろう。
 紫は、ひとつ呼吸をすると、雑談というには些か重い話を、早苗に持ちかけた。

「死んだ者たちを、弔いたいと思っているのでしょう?」

 紫は、出来るだけ淡々と、抑揚無く言葉にする。
 死、それを可能な限り重くないように、音にして発する。
 そうした気の遣い方には慣れておらず、少し不自然なように思えた。
 早苗は、何を聞かれたのかと戸惑ったような素振りを見せた。
 前だけを向いていた紫は、視界の隅と空気の揺れで、それを捉えた。

 景色は今も止まることなく、後ろへと流れていく。
 大地の凹凸にあわせて二人の視界も細かく上下する。
 暗闇を照らす明かりはその奥のより強い闇へと吸い込まれていく。

「放送の時からずっと、顔に書いてあるわ」
 紫は、静かに、答えた。
 はっ、と両手で顔を触って確かめようとする仕草は、どこまでも彼女らしくて、それでも、
 その表情は決して安らいではいないことを、知っているのだ。

「それでも、貴女は何も言わなかった」
 早苗の返事を待たず、紫は言葉を繋いだ。
「我慢して、いたのでしょう。
 あの覚り妖怪が妹を亡くして心乱していたときも、貴女は、それを言葉にせず、ただ待っていたわ」
 彼女自身がそれを選んだのだから、紫は本当ならば触れることの意味は無いはずだった。
 だがその境界を越えて、彼女の心に触れようとする。
 紫には、その感情はわからない。否、説明はつく、のだろうか。
 それを知ることは、当然の知的好奇心なのだ。
 そして、それを知ることに、恐怖など一片も無いはずなのだ――。

「時間が、状況が、それを許さなかったから先延ばしにしていただけで」
 紫は、車の速度を少し緩めた。
 ライトの照らす森の木々は、佇む黒き巨人達のようだった。

「それでもまだ、弔いたいと」
「――それは」
 早苗が顔を俯かせる。
「人間だから」
 紫は、無機質な声でそう言った。
「人間だから……ですね」
 早苗は、消え入りそうな声で言った。


「ずっと前から。私の目の前で、仲間を失ったときも、家族を失ったときも」
 願ってきたのだ。そして、それは叶わなかった。

「諏訪子様の言葉を信じています。そこに少しの疑いも、無いんです。
 それでも、――人間は、死んだ人を弔います。
 その方法は、ひとつではないですけれど、ずっと昔から、そうだった」
 どこか、諦めのような、冷めた言葉を彼女は選んでいたように、紫には思えた。

「――そう」
 紫が言うと、早苗はふっと溜息を漏らした。
「無意味な事だと、思っているのですね」
「明察ね。死を終焉と捉えるのも、人間だけだもの。
 葬る、というだけなら、色々な面から意味のある行為だと思うわ。
 それを、時間を費やして、追悼し、弔い、供養し、幾度も過去に遡り彼らの安寧を祈る必要は無い。
 妖怪にすれば、滑稽だわ」
 彼女らの言う死とは縁無きものであった。それこそが歪みであったのかもしれない。
 それとは、決定的に相容れぬわけではなかった。
 だが、人間の抱くそれに対する感情を理解することは、おそらく出来なかった。
 表面的な儀式を、冷めた瞳で見守ることが、彼女の日常であったのだ。

「そう、でしょうね」
 早苗は、同じ言葉を小さく繰り返した。
「でも、人間がそうするのには、理由があって」
「それは?」
 紫は、続きを急かした。

「それは――乗り越えるために。
 残された方が救われるために、弔うんです。
 たとえば、墓は偶像ですけど、それを作ることで、そこにいけば亡き人の存在を感じることが出来る。
 その人のために祈ればその存在と繋がっていられる。
 そうやって、喪失の悲しみを紛らわせていたから」
 回答は、おおむね想定どおりで、
「究極の自己満足ね」
 そして、合理的だった。
 人間の命は短い。その間に訪れる別離を、彼女らのように群れて生きる者が耐えるために、それは必要だったのだろう。
 妖怪の弱き精神に必要なのは、彼女らのように乗り越えることを知ることなのかもしれない。

 古明地さとりにも、今それは、必要だったのではないかと、紫は思う。
 弔うこと。墓。彼女が現実をゆっくりと受け止めるために。
 そして、近しい者を目の前で亡くしてなお、それが現実のように思えない、自分にも――。

「人間は、儚い存在ですから」
 早苗は、寂しそうに笑った。
「さっきの話じゃないですけど、信仰が恐怖と同一ならば、この気持ちも同じなのかもしれません。
 弔い、偶像の向こうにある理想を信じ忘れないこと、それはきっと、大事なことなんです。
 だから私達は、墓標を必要としたんだと思います。
 神々や霊の存在が信じられなくなってきた外の世界でも、お墓はその役割を変えずに持っていましたから。
 信仰とは少し形は違いますけれど」


 紫は、車を止めた。
 森の中、目的地にはまだ遠い。
 早苗は意図がわからない風に紫を見た。
 紫は、ようやく、隣を向いて、早苗の顔を見た。
 決して絶望することの無いだろう、凛とした瞳に、紫は憧れさえ覚えるのだ。
「……なら、話は簡単ね」

 紫は早苗に、時間を与えた。そして、自分にも。
 それだけと、向き合うための時間を。

「時間をあげるわ。貴女にはそれが必要なのでしょう」
「――はい」

 早苗の笑顔は、まるで何かを許されたように、安心を形にして見せた。
 それは決して喜びには繋がらない、気休めなのかもしれない。
 だが、それでも、彼女の抱く感情、人間の抱く感情を、紫は好ましくも思っているのは間違いなかったのだから。



 木の枝が、地面に刺さる。
 早苗は、ただ土に枝を刺しただけの墓標を作り続ける。

「これは、慧音さん……、こいしさん……、お燐さんの……」

 一つ、一つと、早苗は、生まれたばかりの子どもに名前をつけるように、それを撫でていく。
 呪詛と祝福は紙一重だ。早苗の儀式染みた行為がそのどちらか、紫ですら、判断が付かなかった。
 それは確かに現人神の業のように思える。

 そして、それに魅入っていた、自分が居た。
 余りに穢れの無い、純な世界に触れたような気がして、それは恐怖に等しいが、
 自身の決して清らではない手が、それを断たんとさえ望むかのように震えるのを感じた。

 頭が重い。痛い? 否、重い。ジンジンと奥底から頭蓋を締め付けるような感覚。だが、それは痛みではなく、重みだった。
 寒気が走る。悪寒とでも言うのか、確かにそれが身体を駆け抜け、直後に熱さが身体の冷えを溶かしていく。
 熱い。頬が暑い。胸が熱い。腕の先が熱い。
 人間ならば風邪だと笑おう。安静にしなさい、薬を飲みなさい、ゆっくりと寝なさい。
 書籍で知りえた方法を一通り教え、それまでだ。早苗だって、そうして治った。
 だが紫は妖怪だ。風邪とは笑える。違う。もっと衝動的な何かだ。
 感情だ。正負もわからぬ感情だ。
 八雲紫は、その瞬間、確かに、焦りと不安を、覚えたのだ――。

……
  ……

 首を絞める指の先にまで、力を入れていく。
 締める、というよりは押し込んで突き破ろうとでもするかのような感覚もあった。
 苦しそうにもがく少女の様子は、駄々をこねる子猫のように見えた。
 僅かな外気でも中に取り込もうと、口をだらしなく開けて、舌は宙を彷徨っていた。
 慈悲を求めるように紫の顔の上を彷徨う視線から、紫は目を逸らす。
 蒼色の瞳が潤んで、涙が流れていく。
 何故、泣くの。紫は問い質したくなった。

 少女の小さな左手が、紫の腕に爪を食い込ませても
 少女の小さな右手が、紫の頬を幾度となく引っ掻いても、
 この両腕は、緩められることはない。

 時間単位でどれくらいか。荒くなった呼吸が、幾度繰り返されただろうか。

 やがて、“それ”は、目を見開いたまま、完全に、動きを無くす。
 苦痛で歪んだ顔は、何故、と最後までわからぬままにいたようだった。
 くすんだ瞳は光を失い、肌は余りに無機質な色に見えた。

 最後まで、彼女は、声をあげなかった。
 末期の水も、彼女には与えられなかった。
 それをさせなかったのは、紫に他ならなかった。

 それは幻想郷のためだった。殺した。
 誰も望んでいないけれど。八雲紫は。
 仕方の無いことだった。自分の手で。
 例え悪意がなくとも。無垢な少女を。
 それは危険だから。汚れを知らない。
 愛しているから。自分を殺しかけた。
 この幻想郷を。例え悪意が無くとも。
 守るために。仕方の無いことだった。
 八雲紫は。誰も望んでいないけれど。
 殺した。それはただ自己満足だった。

 そうして、八雲紫は――






「紫さん、紫さん?」



 紫がはっと気付くと、東風谷早苗が顔を覗き込んでいた。
 少し泥に汚れた掌を、その目の前でひらひらと振って見せていた。
 ああ。幻か。夢か。それとも現実なのか。
「悪かったわね、ちょっと考え事を」
 ――何が考え事なのだろう。
 今通りすぎていった幻想は、ただこの一日の中の出来事だった。
 事実と違うのはただひとつ。それを除いては全てが自信の醜さと弱さを露呈させた本当の出来事だったのに。
 八雲紫が彼女と、その理想と、相容れないことを示すように、深くその心に刺さっている、
 怒り? 憎しみ? 焦り、恐怖――
 八雲紫の自身の見せるべきでなかった感情全てが、“それ”を殺そうとした出来事なのだ。。

あの小さな小さな毒人形は、緩められた八雲紫の手をするりと抜けていった。
 八雲紫はそれを、何を思って見届けたのだろう。
 自分が“そう”なってしまうことに、更なる恐怖を覚えたからなのだろうか。

「いいえ。私の心の整理の時間、ありがとうございました」
 どんなに悟ったつもりでも、こういうことの意味はやっぱり大きいです、と彼女は笑った。
 ようやく心落ち着けて辺りを見れば、墓標というには余りに質素なオブジェが幾つか形作られていた。
 整然と並べられた偶像たちは、服と名前を与えられた案山子のように、その一つ一つが“祝福”されていた。

 ああ。
 やはり私は、この娘とは相容れないのだ。それがたまらなく悲しく思えた。
 紫は誰も殺していない。早苗に隠さねばならないことなど、無い。
 だが私は――彼女の言う理想を心地よく思い、受け入れ、それを可能性と認め、
 大妖怪であるということの意味に疑問を抱き、

 されどそれを失うことが怖いのだ。

 身体の奥の衝動と、八雲紫に課された足枷が、それを裏付けるのだ。
 重い。熱い。寒い。突き上げるような感情は、理想とはかけ離れたものだ。

 もし彼女にそれを許すかと問うたなら、許すと言ってくれるだろう。
 むしろ自分の弱さを露呈したことを、彼女は全く罪の無い笑顔で受け入れるだろう。
 でもそれが何になる。
 彼女が神に近くあればあるほど、自身は妖怪であることを自覚しなければならない。
 自分の中に、彼女の抱く妖怪としての悪があることを、認めねばならない気持ちになり、それはとても怖いのだ。
 浄化するかの如く神々しくあった東風谷早苗の振る舞いに、自身にかつて芽吹いた嫌悪されるべき感情を再び想起させてまで、
 “大妖怪”八雲紫は八雲紫を操って彼女を拒絶しようとしている。

 それでも。

「それじゃ、行きましょう。もう運転も大丈夫そうですね」
 それでも東風谷早苗は、変わらぬ笑顔を見せてくれる。
 墓標にさえも祝福を与える、神たる彼女とは違う表情だ。
 それが八雲紫を、少しでも安心させることを、無視できないでいる。
 だから、思わず、“八雲紫らしい”悪戯な笑みを浮かべて問うた。
「貴女もやってみる? 案外できるものよ」
「え、あの、私免許ないですし」
 その反応がたまらなく可笑しくて、紫は思わず、声をあげて笑った。

「貴女、やっぱり面白いわね」
 きょとんとする早苗を尻目に、探査車の運転席に座る。
「さ、行くわよ」
 ぽんぽんと隣の席を叩き、早苗に座るように促した。

 助手席に、そろりと早苗が座る。
 寄り添う二つの墓標に最後に一度だけ目を遣ると、紫は前を向く。
 確とそこに在り、静かに紫を見送っている。
 それはきっと、“藍”と“橙”、そう名づけられていた。

 緩やかに、車は走り出す。

「墓を与えられるだけで、なんとなく、彼女達が笑ってくれた気がするものね」
 紫は、特に考えることも無く、そう口にしていた。
 そう信じてみるのだって、悪くないじゃない。
「多分それは、私達は忘れていませんよって、言ってあげることですから」
 早苗は、それに返した。
「それも自己満足ですわ」
 その言葉に偽りは無い。
 それでも、それこそが、不思議と、八雲紫の脆い心を落ち着かせるのだ。




【G-4 一日目・夜中】

【八雲紫】
[状態]正常
[装備]クナイ(8本)
[道具]支給品一式×2、酒29本、不明アイテム(0~2)武器は無かったと思われる
    空き瓶1本、信管、月面探査車、八意永琳のレポート、救急箱
    色々な煙草(12箱)、ライター、栞付き日記 、バードショット×1
[思考・状況]基本方針:主催者をスキマ送りにする。
 1.博麗神社へ向かう
 2.八意永琳との接触
 3.ゲームの破壊
 4.幽々子の捜索
 5.自分は大妖怪であり続けなければならないと感じていることに疑問


【東風谷早苗】
[状態]:軽度の風邪(回復中)
[装備]:博麗霊夢のお払い棒、霧雨魔理沙の衣服、包丁、
[道具]:基本支給品×2、制限解除装置(少なくとも四回目の定時放送まで使用不可)、
    魔理沙の家の布団とタオル、東風谷早苗の衣服(びしょ濡れ)、上海人形
    諏訪子の帽子、輝夜宛の手紙
[思考・状況] 基本行動方針:理想を信じて、生き残ってみせる
1.八雲紫と一緒に博麗神社へ向かう
2.ルーミアを説得する。説得できなかった場合、戦うことも視野に入れる
3.人間と妖怪の中に潜む悪を退治してみせる


158:DECOY 時系列順 160:行き止まりの絶望(前編)
158:DECOY 投下順 160:行き止まりの絶望(前編)
152:仰空 八雲紫 163:消えた歴史
152:仰空 東風谷早苗 163:消えた歴史


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最終更新:2011年05月25日 22:08
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