仰空 ◆Ok1sMSayUQ
「もう夜なんですね……」
永遠亭から一歩を踏み出した東風谷早苗が、空を仰ぎ見ながら言う。
八雲紫もつられるようにして空を見上げる。
太陽は姿を消し、代わって広がるのは淡い光を放ちながら己の存在を誇示する星々と、月。
多少雲がかかってはいるものの、その煌々たる光や昼に負けじとしているかのようだった。
この黄金色の光。煌びやかでありながら儚さも漂わせる光が、古くから人間の雅を刺激し、妖怪にも活力を与えてきた。
人間にも妖怪にも必要な、安らぎを象徴する光――
なんとなくそんなことを思った紫は、多少は落ち着きを取り戻してきているらしいと自覚した。
森近霖之助の死から、早数刻が経過しようとしている。
契約を守れず、済まなかった。一方的な謝罪の言葉を押し付けて、遠くへ行ってしまった霖之助。
殺し合いの中でさえ愚直に紫の言葉を信じ、最後まで傍にいようとしていた男。
失ってから、紫は今まで一人ではなかったことに気付いた。
いつだって、どこでだって、紫がどう思おうが構わずお節介を焼こうとしてくれていた人々に、囲まれていた。
霖之助だけではない。式神の八雲藍。その式神の橙。
言葉には出さずとも、距離を取ってはいても、常に気遣ってくれるやさしさがあった。
一人じゃ、なかった。
その事実を確かめられたのをどこか心嬉しく思う一方で、なら今はどうなのだ、と自問している自分がいた。
貰うばかりで、なにひとつ返すことのできていない自分。
いやそうする相手さえ見つけられず、現在という時間の中で、再び一人になってしまった自分。
彼らに、彼女らに誇っていられる、誇りとしてあり続けられる、本当の大妖怪であるために何ができているのだろうか。
その答えはまだ見つけられていない。
だから……見つけられるまでは、死なない。投げ出さない。
紫が一先ず抱えた結論が、それだった。
「とりあえず、麓まで歩きましょう。車がどうなってるかも確かめなきゃ」
「車があるんですか?」
「月の月面探査車よ」
へぇー、と早苗は興味津々のようだった。
彼女の年代であるなら、あれは歴史の教科書かなにかでしか見たことがない代物だろう。
それを直に触れられるのだから反応するのは当然のことなのかもしれない。
「あれ? なんで置いたままに?」
「運転できるのがいなかったからよ」
「紫さんも?」
「け……怪我をしてたからよ、私は」
「運転できないんですか?」
「あのね」
「できないんですね」
早苗はにこにことしている。
嫌味な笑顔ではなく、意外な一面を知ったという笑顔だった。
反論する気も失せた紫は「勝手にそう思ってなさい」と話を打ち切ったものの、気恥ずかしさは収まらなかった。
「まあそうですよね。確か、アレでしたっけ? スキマっていうの。あれ便利そうですもんね。どこにでも行けるって」
「今は使えないけど」
「どこでもドアみたいでいいですよねー。私が持ってたらそれに頼ってばかりになるかも」
実際、頼り過ぎていたお陰で数々のロクでもない目に遭ってきた紫は耳が痛くなる思いだった。
それにしてもよく喋る、と明るい表情の早苗を見ながら思う。
寝ていたとはいえ、第一印象と全然違うし、さとりの語っていた早苗とは似ても似つかないではないか。
熱でうなされている間にどこか調子でも狂ったのだろうか。
疑いを抱き始めた紫を察したかのように「別に体は大丈夫ですよ」と早苗が応じていた。
「確かに、色んな人も亡くしました。慧音さんも、神奈子様も、諏訪子様も」
スキマ袋から洩矢諏訪子の帽子を取り出し、胸に抱く。
帽子についている、どこか愛嬌のある目玉がくりくりと揺れた。
それは自由奔放だった諏訪子の名残であり、いなくなってしまった存在の重さだった。
そう、一人であるのは紫だけではない。早苗もだ。
拠るべき家、家族を亡くし、孤独に生きるには広すぎる幻想郷に取り残されている。
「みんないい方でした。なんで、死ななきゃいけなかったんだろうって、今でもそう思ってます。理不尽を許したわけじゃないです」
先程とは打って変わって、水を打ったような静かな声だった。そして、微かな怒りを含んでいた。
奪ったのは天災でも何でもない。悪意や打算が生み出した圧力。恐怖という名の圧力が彼女らを押し潰してしまった。
人間、妖怪、神様、妖精。多種多様な存在が蠢く幻想郷は、それぞれの種族の利害や権益がひしめき合っている。
少しでも優位に立とうと策を張り巡らし、他者より上に立とうとするのは外の世界と何も変わりがない。
だから互いに争い合う。殺しあうことだって簡単に受け入れる。自分達はそういう存在なのだと、幻想郷が言っている。
そうして共食いを始めた挙句、自分達という忘れられた存在は緩やかな死を迎えてゆくのだろう。
誰とも触れ合うことなく、孤独に、寂しく。
そんなものは必要ないと言い張って。
「でも、それでも……それだけじゃないって、私は信じたい」
逃れようのないしがらみ。種族同士の持つ因縁を断ち切らんとするように、早苗は声を鋭くした。
「人間と妖怪……それだけじゃない、妖精や、幽霊。みんなと、仲良くできるって」
「それは幻想よ」
紫は反論した。間違っていると思ったからではない。
歴史という時間が積み上げてきた溝は深い。互いに目を背け合い、堆積した業の深さは人間には到底解決できるものではない。
それでもなお挑むのであれば、覚悟を示してもらいたかった。
紫を始めとする、妖怪達が信じてきた論理。妖怪は人間を襲わなくてはならないという論理に対抗する意見を見せて貰いたかった。
妖怪は生きてきた時間が長過ぎて……考える方法さえ、忘れかけてしまっているのだから。
「妖怪は人間を襲わなくてはならない。争い合うことは変えようのないものなのよ。事実、こうして殺し合いは進んでいる。
私だってそう。たまたまこんなことを催した連中が気に入らないだけで、争うのが嫌だなんて思っていない。
敵の敵は味方っていうだけで、あなたの仲間なんかじゃないのよ、東風谷早苗」
「そうでしょうか」
それまで虚空を向いていた早苗の視線が、紫に向けられる。
強い意志を秘めた、なにかを信じている者のみが持つ視線。信じる力と言い換えてもいい、不可視の力を含んだ視線だった。
どこか気圧されたような気分になり、紫は見ていられずに、先程の早苗のように虚空を見上げた。
「どうして、妖怪は人間を襲わなくてはいけないんでしょう?」
「そういう
ルールだから……といっても、あなたは納得しないわね」
「はい。……だって、私たちは、考えたり、悩んだり、苦しんだり、間違ったりするから」
そういうことができる存在だから、盲目的にルールに従っているだけというのは納得できない。
既にして様々な修羅場を乗り越えている早苗に、知らぬ存ぜぬでは押し通せはしないだろう。
いや、勘付いているかもしれない。妖怪が人間を襲う理由なんて。
「私達の力の源は畏れ。暗闇。恐怖。不安。人間はそういうものを恐れ、逃れるために、原因が私たちにあるとした。
人間の恐れが、私たちを成長させてきた。襲って、より恐怖を植えつければ、より強くなれた」
「諏訪子様から聞いたことがあります。昔の諏訪子様は、恐怖で信仰を得ていた、って」
「土着神の頂点だったわね、あの子は。敬わなければ人間に不都合なことを与える。それが恐怖だったのね」
「だったら、私達が感じる恐怖とは、信仰と同一なんじゃないでしょうか」
紫は言葉をなくした。それは全く聞いたことのない、新しい言葉だった。
何も言ってこないことを続きを促していると見たのか、早苗は言葉を続ける。
「怖れることも、信仰することも、本質的には同じで、信じることなんじゃないでしょうか。
その人が必要だから、信頼して、いい関係を築いてゆくんじゃないかって、私は思うんです。
だって敬わなければ罰を与えるぞっていうのって、言い換えればいい関係なら無敵ってことじゃないですか。
妖怪もそうだと思うんです。恐怖を畏れるなら、それを味方にしてしまえば無敵です。争ったりしなくっても。
妖怪の方も畏れられて強くなって、もっと磐石になるってことです。私達は信じ合える……ううん、信仰できるはずなんです」
乱暴な理論だと思いながらも、人間と神と妖怪全てを知らなければ生まれようもないであろう理論に、
これが可能性か、と感想を結んでいた。
恐怖を可能性と捉え、それを取り込んでゆこうとする。
遠ざけるのでもなければ、排除しようというのでもなく、自らのものとする。
人間とはそういうものだった。
物事を多面的に考え、工夫し、試行を重ねて、より良いものに作り変えてゆこうとする。
そうして文明を発達させてきたのだし、新しいものを生み出し続けてきた。
「もちろん、そんな打算的なことばっかりじゃないですけど……でも、だからパートナーになれるんじゃないか、って思います」
言い切った早苗の言葉には、自信が溢れていた。
どこか向こう見ずで、若さに溢れた人間の少女。
可能性という内なる神を信じて行動している、どこまでもバカ正直に真っ直ぐな少女だった。
だから嫌われ者であるはずのサトリと一緒に行動できたのだろう。
未来という不確定なものを信じているからこそ、妖怪の現在を気にせずにいられるのだろうし、大切にもできる。
信仰、か。まさに守矢の風祝の鑑だと思い、いい子を持ったものだと諏訪子に語りかけてみた。
帽子の目玉が嬉しそうに揺れたように感じられ、自慢げにしているようにも思われた。
「あ、たまにはケンカだってすることもあると思いますので、そのときは退治してやります」
「弾幕ごっこで?」
「恨みっこなしでね」
苦笑が漏れた。理想家の言葉だと思う。
しかし、確かに可能性は示された。ほんの少し信じて、歩み寄るだけで、
自分たちという存在も少しずつ進化してゆけるのかもしれない。古明地さとりがそうなりつつあるように。
衰退してゆくだけかと思われていた妖怪にも、まだ可能性という名の、内なる神がいるのだとしたら。
私の中にも、内なる神が存在しているのだとしたら。
それを『信仰』することで、大妖怪としての誇りを持てるようになるのかもしれない。
信じるもの自体はまだ見つからなかったけれど……それでも、道は一つだけではないらしいのだから。
「笑わないでくださいよ」
早苗の表情は、明るいものへと戻っていた。
親しみの篭った声は、種族の境界さえ取り払うような優しい色をしていた。
「いかにも人間の言葉だからね。青臭いのよ」
「……まるでお年寄りの言葉ですね」
「あら早苗、顔にごみがついてるわ」
「え? へ?」
スッ、と手を伸ばし、ごみなんて付いてないのに、取ってあげる素振りを見せつつ……
ぎゅーっ、と両の頬を抓った。思いっきり。
「いひゃひゃひゃひゃ! いひゃいれす~!」
「あらあら、中々取れないわねえ」
縦に何回か引っ張ったあと、次は横に引っ張る。
とりあえず、年寄りと言われて気に入らなかった。
一応自覚はあるが、まだ少女だ。妖怪の少女である。
ついでに、腕が本調子になっているか確かめる意味合いもあった。
今さっき思いついたことだったのだが。
「わざとれすよねじぇったい!」
「妖怪の親切心を無下にするのは好ましくないわよ」
最後に、円を描くようにしてほっぺたを引っ張りまわし、それでお仕置きは仕舞いにしてやることにした。
中々腕の調子は良好なようである。
伸びきったところで指を離すと、弾力のある頬はすぐに元通りとなった。
涙目の早苗を眺めながら、そういえば昔はこの手の悪戯をよくやっていたことを思い出していた。
最近はなんやかんやと異変や事件続きで、そんな暇すらなくなっていたけれど。
「よし、取れたわ。しつこいごみでしたこと」
「うぅ~、何が気に入らなかったんですか~」
答える必要はないので、含み笑いで応じておく。
はっきりしないことが不満なのか、赤くなった頬を膨らませる早苗。
その様子を見ているともっと悪戯したい気分に駆られたが、これくらいにしておかないと行動に支障が出る。
加えて古明地さとりと分かれて行動している手前、いつまでも遊んでいるわけにもいかない。
さあ行きましょうと優雅に言葉を流しつつ、紫は先を歩き始めた。
「あぁ! もう! 待ってくださいよ~!」
とてとてと後をついてくる早苗の気配を感じながら、紫はこの人間を少しずつ気に入っていることを自覚していた。
人間と妖怪は敵だとつい先程まで主張していたというのに、この心変わりというか、現金さは一体何なのだろう。
同じということなのだろうか。同じ『心』を持った存在だから、こんな愚かで、正直な気持ちを持てるということなのか。
この気持ちが、正しいのか、間違っていることなのかは判断がつかなかったが……心地よいことは、確かだった。
【G-6 一日目・夜】
【八雲紫】
[状態]正常
[装備]クナイ(8本)
[道具]支給品一式×2、酒29本、不明アイテム(0~2)武器は無かったと思われる
空き瓶1本、信管、月面探査車、八意永琳のレポート、救急箱
色々な煙草(12箱)、ライター、栞付き日記 、バードショット×1
[思考・状況]基本方針:主催者をスキマ送りにする。
1. 博麗神社へ向かう
2.八意永琳との接触
3.ゲームの破壊
4.幽々子の捜索
5.自分は大妖怪であり続けなければならないと感じていることに疑問
【東風谷早苗】
[状態]:軽度の風邪(回復中)
[装備]:博麗霊夢のお払い棒、霧雨魔理沙の衣服、包丁、
[道具]:基本支給品×2、制限解除装置(少なくとも四回目の定時放送まで使用不可)、
魔理沙の家の布団とタオル、東風谷早苗の衣服(びしょ濡れ)、上海人形
諏訪子の帽子、輝夜宛の手紙
[思考・状況] 基本行動方針:理想を信じて、生き残ってみせる
1.八雲紫と一緒に博麗神社へ向かう
2.
ルーミアを説得する。説得できなかった場合、戦うことも視野に入れる
3.人間と妖怪の中に潜む悪を退治してみせる
最終更新:2011年04月18日 20:57