月の頭脳の苦渋 ◆MajJuRU0cM
「……どこかしら、ここは」
八意永琳は眠りから覚めて開口一番に呟いた。
「永遠亭で寝ていた筈なんだけど。……夢遊病かしら? 嫌だわ、もしかしたらボケたのかもしれない」
などと一人で語ってみても誰もいない。本人はつまらなそうだが、それがどれほど幸運なことか。ここが殺し合いの場だということを知らない永琳に察しろという方が無理な話だ。
「…さっさと帰って寝直したいわね。夜更かしは肌に悪いというのに」
呟きは止めず、何を思ったのかふいにかがみ込むと地面の土を少しばかり摘んだ。
手で擦り合わせ、匂いをかぐ。
「……変ね」
今度は近くに会った木々を手で擦った。この葉の数を数えるように、細かく綿密に枝の端から根元までをつぶさに観察した。
「……やっぱり変だわ」
永琳が最初に感じた違和感。それは“音”だ。虫のせせらぎ、野鳥の囀り。幻想郷に来てから途絶えることのなかった自然の声がまったく聞こえない。
少し調べてわかったが、土に含まれる微生物、気や葉に掴まって眠る虫達、その一切を確認することができなかった。
世界は様々な生き物と自然とが均衡を保ち、循環を繰り返し維持される。その循環を断ち切られてなお乱れることのないこの場所はあまりにも不条理な所だった。
なまじ安定している場所だからこそ、これなら妖精の類でもこの異常には気づかないだろう。
ふと、永琳は夜空を見上げた。月、そして周りに点々と連なる星々。それらは永琳の知る夜空ではなかった。
「…誰が黒幕かは知らないけれど、星の位置が滅茶苦茶よ? せめて北極星くらいはでっち上げなさい」
永琳は敢えて黒幕の不出来を口にしてみせた。
「あの月も偽物みたいだし。…もしかして、わざと“私達”に教えてるのかしら。だとしたらよほどの自信家ね。愚かな程に」
自身に付けられた妙な首輪と、不自然な筈なのに不思議と崩壊もせずにパワーバランスが安定してるこの地。それだけで月の頭脳は自分が何か役割を担っていること、そしてそれをこの地で強要されていることを看破していた。
それも永琳にとっては単純なこと。
身体に常に密着され取り外しの効かない首輪の設計から考えて、おそらくはここから抜け出さないようにする保険。
能力制限と生殺与奪、そして“モルモット”を観察するための盗聴、この三つの要素はまず確実に備わっているだろう。
一番の問題は黒幕の正体だが……さすがに見当がつかなかった。いや、それを考えるのはもう少し先でいい。まだ一番貴重な情報源を調べていない。
近くに置いてあった袋に手をのばし、中身を一つ一つ取り出した。
二三日はある食糧、光を照らす道具、地図、名簿。
「随分と出てくるわね。…スキマ妖怪の面目丸潰れよ? 紫」
ここにはいない、しかし今現在最もこの状況を打破する道に近いであろう紫の存在は是が非でも出会いたいものだと永琳は考えていた。
「さて…、これらが示す黒幕の意図、私達の役割、繋ぎ合わさせてもらうわよ」
出てきた道具、その全てを完全に脳にインプットし、永琳は黒幕の思考を読み取るために思慮の海へとダイブした。
サバイバル用品のような用意周到な道具、地図に刻まれるエリア、想像以上に多いモルモット達、一つ一つのピースを当てはめこれらが意味することを読み取っていく。
(…まったく面倒ね。何も言われずに放り込まれたのは多分私だけみたいだし。いいなぁ、皆)
横道に逸れた事を考えながらも、月の頭脳は絶え間なく働き除々にその輪郭を見せ始める。数千、数万もの仮説が思考の波となって波紋を描き……
「……最悪」
そう、まさに最悪の仮設に思い至った。彼女の導き出した結論によれば、それが現実である可能性が多くの仮説の中で一番高い。
(この仮説が真実なら、こんな悠長にはしてられない。けど…)
可能性が高いとはいえ、そうである確率は数パーセント以下。さらに、それを前提に動いたとして、その行動が裏目に出る可能性も同じくらいにある。結局どう動くかは賭けにしかならない。
(どうしようかしら…)
頭が良すぎるのも困りものとは贅沢な悩みだと思い、苦笑する。
そこでふと、まだ確認していない紙が荷物の間に挟まっていたのに気づいた。
それを見て、永琳は何となく嫌な感じを受けた。そこに思考というものはない。いうならば、長年生きてきた者の勘とでもいうのだろうか。
永琳はゆっくりとそれを拾い上げ、中を見た。それは、ある人物からの自分へ向けての極めて不快な手紙だった。
『やあやあ初めまして、八意永琳君。
君のことだからあらかた状況を理解していることと思う。
いくつもの可能性の中で君が最悪だと考える状況。それがまさに今君が置かれている状況だよ。
今回のような参加者への介入はできるだけ避けたい事象ではあるのだが、
ルール説明もなしに君だけを放り出したのではフェアじゃないからね。
こうして事の重大さを教えるに至るわけだよ。
君には色々と感謝してるんだ。だから今回は特別サービス。嬉しい情報を教えてあげよう。君にとっていちばん大切なあのお姫様のことだよ。
彼女はちょっとした勘違いから君を救うために殺し合いに乗ってしまったんだ。まったくもって残念な話だよ。
すぐに止めてあげないと、いずれは身を滅ぼすかもしれないね。
どうだい? 最高に嬉しい情報だっただろ? 私は恩を仇で返すような極悪人とは違うのだよ。はっはっは。
では、適度な健闘を祈っているよ。“主催者”さん
───楽園の素敵な神主より───』
「……やってくれたわね」
紙を握りつぶし、地獄の業火に耐えるようにか細い声をあげた。
腸が煮え繰り返るとはこのことを言うのだと、長年生きてきて初めて思った。
(落ち着け。落ち着け私。…確かに状況は最悪だった。思ってた以上に最悪だった。でも、まだ挽回はできる)
この自称神主の言を信じれば、まだ姫は誰も殺していない。誰かと既に接触した可能性は否めないが、それでもまだ引き返せるレベルだ。
一刻も早く姫を探し出して止める。ただそれを成す為には少々突撃思考にならざるを得ない。
そして、この殺し合いでそんな思考は愚の骨頂だということも理解してる。特に永琳は参加者全員から恨みを買っているのだ。
説得して仲間になってもらうというだけでも相当骨が折れそうだし、何より参加者との下手な接触はとても危険だ。自分にとっても相手にとっても。
人手は欲しい。だが相手は選ばなければならない。
そこが永琳にとってもどかしい所だった。
ふと、夜空に何かが打ち上がった。
「あれは…弾幕かしら?」
妙なことをしたものだ。危険を冒してでも仲間を集めようと思ったのか、はたまた光に群がった虫達を駆逐しようとでも思ったのか。
向かうか向かわないか決めかねていた時、同じ方角から光の束が射出されたのが見えた。
「…魔理沙ね」
あの魔法は見たことがある。戦闘中のようだが、少なくともあの近くに霧雨魔理沙はいる。
(あの娘は意外と常識があるし、殺し合いに乗ってない確率でいえばこの中ではダントツね)
人間であるという要素は痛いが、それなりに強いしそこらの妖怪よりある意味頑丈だ。仲間にするのはもってこいともいえた。
永琳はそれ以上迷うことはなかった。
殺し合いに乗った人間は十中八九近くにいるが、臆していてはそれこそどうやって姫を救い出すというのだ。
素早く支給品を袋に詰め込む。
早々に破り捨てたい衝動に駆られながらも、手紙も一緒に袋に押し込んだ。
(こんなものでも、交渉の足しにはなる。ここは感情で動くところではないわ)
まるで言い訳するかのように自分に言い聞かせながら永琳は走った。
「…この私をいいように使ってくれたこと、必ず後悔させてやる」
確かに永琳は冷静だった。姫への愛に比べ、こんな状況に陥りながらも永琳は冷静だった。
だが、やはりそこには渦巻く憎悪の念と焦燥感があり、それらがたった一つの事実を永琳から削ぎ落していた。
この手紙。殺し合いが始まる前から渡されていたこの手紙。それに何故ゲーム中に起きた出来事が書いてあったのか。そこから導かれることは何なのか。
月の頭脳と呼ばれる永琳なら容易に辿り着く疑念。それを怒りから失念していた。
あるいはそれも、楽園の神主が仕向けたことなのかもしれない。
くしゃくしゃになった紙。その中に書かれた文字が人知れず消えていった。
【B-7 一日目・黎明】
【八意永琳】
[状態]激しい怒りと焦燥感
[装備]なし
[道具]支給品 ランダムアイテム1~3個(武器は入ってません) 神主からの手紙
[思考・状況]基本方針;輝夜を止めて、ここから脱出
1. 光の束へと向かう
2. 魔理沙と接触し、誤解を解いてから仲間になってもらう(ただしそれに執着する気はありません)
※この場所が幻想郷ではないと考えています
※自分の置かれた状況を理解しました。
【備考】
※手紙は白紙になりました。また、なんらかの仕掛けが施されている可能性があります
※この会場内には極端に生物がいません。
最終更新:2009年04月01日 05:09