制圧部隊は狩り尽くされた。獣たちの歯牙にかかって。
そして獣たちは復讐を果たすため、この管理区画へ向かっている。
所長室へ研究員のひとりがそれを慌てて知らせに来た。
それを聞いて男は意味ありげに歪んだ笑みを顔に浮かべてみせる。
「所長、お気を確かに…」
心配した部下たちがそっと声をかける。
しかし、男は決して気が触れて笑い出したのではない。
これで邪魔な制圧部隊は消えた。一人残らず!
もう誰も”主”に事態を報告できるものはいない。”主”は制圧部隊の長からしか報告を受け取らないからだ。
こんどこそ私の椅子を脅かすものは完全になくなったのだ。
「残すは脱走した失敗作どもだけですね。いいでしょう……ここまで昇ってくるがいい。一人残らず処分してあげますよ! はっはっははははは!」
部下たちは様子のおかしい所長に戸惑うばかりだ。
だが何もおかしいことなどない。なぜなら、これこそがこの男の本性だったからだ。
子は親の背中を見て育つ。逆を言えば、親もまた子に似ているのだ。
そう。根本的にこの男は同じなのだ、頭一つだけを残して消えてしまったあの男と……。
しかし、その事実をこの男はまだ知らない。
「さぁ、おまえたち。直に失敗作どもはここへ攻め込んでくるでしょう。すぐに迎え撃つ準備を整えるのです!」
そして男は笑う。
愚かにも勝利を確信して笑う。
傲りは身を滅ぼすとも知らずに。
そして獣たちは復讐を果たすため、この管理区画へ向かっている。
所長室へ研究員のひとりがそれを慌てて知らせに来た。
それを聞いて男は意味ありげに歪んだ笑みを顔に浮かべてみせる。
「所長、お気を確かに…」
心配した部下たちがそっと声をかける。
しかし、男は決して気が触れて笑い出したのではない。
これで邪魔な制圧部隊は消えた。一人残らず!
もう誰も”主”に事態を報告できるものはいない。”主”は制圧部隊の長からしか報告を受け取らないからだ。
こんどこそ私の椅子を脅かすものは完全になくなったのだ。
「残すは脱走した失敗作どもだけですね。いいでしょう……ここまで昇ってくるがいい。一人残らず処分してあげますよ! はっはっははははは!」
部下たちは様子のおかしい所長に戸惑うばかりだ。
だが何もおかしいことなどない。なぜなら、これこそがこの男の本性だったからだ。
子は親の背中を見て育つ。逆を言えば、親もまた子に似ているのだ。
そう。根本的にこの男は同じなのだ、頭一つだけを残して消えてしまったあの男と……。
しかし、その事実をこの男はまだ知らない。
「さぁ、おまえたち。直に失敗作どもはここへ攻め込んでくるでしょう。すぐに迎え撃つ準備を整えるのです!」
そして男は笑う。
愚かにも勝利を確信して笑う。
傲りは身を滅ぼすとも知らずに。
『神への冒涜』九人目「解放軍 / Go our Way」
アダモフの死を乗り越えて解放軍は行く。アダモフの遺志を継いで我らは行く。
目指すは3階管理区画。目的は研究責任者。
今こそ復讐を。
アダモフの分も重ねて倍にして返してやるのだ。
東西二手に分かれて階段を駆け上る。
左右から挟み撃ちにしてやる作戦だ。
段を上り切り一気に攻め込む。その先に待ち受けるのは――
「おや……早かったじゃないか」
「なんだ、合流してしまったのか?」
見知った顔に突き当たった。
「まさか何もないってわけじゃないだろうな。ここまで来てそりゃねぇぜ」
東西の階段から上って突き当たるまでは一直線の一本道。
途中に扉やそれに準ずるようなものもなかった。
「そうだ、たしかここの見取り図を拾ってただろう。あれは今誰が持ってるんだい?」
メルが聞くと同行していた仲間のキメラの一人が見取り図を取り出した。
いや、三人と言ったほうが正しいかもしれない。
「わたしらが持ってますよ、姐さん」
山羊の頭が答えた。
「ミランダ、例のやつを頼む」
続いて獅子の頭が言う。
「あいよ、このたてがみの中にしっかりと……ほら、これさ」
そして蛇の尾が見取り図を取り出してメルに渡した。
”彼ら”は1つの身体に3つの頭を持つ。そしてそれぞれが別々の意識を有する。
すなわち、獅子の頭のホセ。山羊の頭のアンドレ。そして蛇の尾のミランダ。
彼らはいわゆる典型的なキメラだった。
研究者の手によって戯れに融合させられてしまったのかもしれない。
三人がいかにして一個体にされてしまったのか、その過程は実験を執行した研究者たちにしかわからない。
見取り図を受け取る。
確認すると3階通路にはひとつだけ部屋への入り口があることが記されている。
唯一の扉を潜って細い通路を進んだ先の大部屋。そこが目指すべき管理区画だ。
大部屋のさらに奥には所長室や倉庫などがあるらしい。
改めて今いる通路を見渡すが、見取り図にあるような扉はどこにも見当たらない。
「どうなってるんだ? 扉なんてどこにも……」
「待って。そこの壁少し変じゃない?」
目を凝らしてよく見ると、壁に細い線のような筋が見える。
手の自由になっている仲間のキメラがその壁を調べてみると、壁が開き小さな端末が姿を現す。
「これは…」
端末には小さなモニタと、数字やいくつかの文字が印されたパネルが設けられている。
パネルを操作するとモニタ上に入力した文字や数字が並んでいく。そして……
『Error:パスワードが違います。正しいコードを入力してください。(3回の失敗でロックされます)』
さらによく調べると端末が現れた壁の近くにも同様の筋が見える。
「こいつ……開くぞ!」
「ふぅん。どうやらこの先が目的の場所のようだねぇ…」
「回数制限があるから、百打ちゃあたるってわけにもいかないな」
失敗作たちは皆が表の病院から騙されて連れてこられたか、確保班に拉致されてきたものばかりだった。
当然ながらパスワードなど知るはずもない。
エイドの死体から回収した書類を取り出し確認するが、そこにもそれらしいものは記されていなかった。
「仕方ないね、下手に弄るわけにもいかない。建物内を探して回るのがいいだろうね。もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれない」
しかし、制圧部隊は掃討したもののまだ気は抜けない。
研究所内の壁は抉られ、血は飛び散り、研究者の亡骸はあちこちに転がっている。それは制圧部隊に襲われるよりも前からすでに確認できた。さらに腐臭を放ち仲間たちを怒り惑わせたあの肉塊も……。
未知の”先客”がいるのは間違いない。そしてそれが味方であるとも限らない。
目的を果たすためには全滅だけは避けなければならなかった。
そのために一同はさっきと同様に二手に分かれて一方は探索に、一方はこの場に残り、交代で情報収集を行うことにするのだった。
目指すは3階管理区画。目的は研究責任者。
今こそ復讐を。
アダモフの分も重ねて倍にして返してやるのだ。
東西二手に分かれて階段を駆け上る。
左右から挟み撃ちにしてやる作戦だ。
段を上り切り一気に攻め込む。その先に待ち受けるのは――
「おや……早かったじゃないか」
「なんだ、合流してしまったのか?」
見知った顔に突き当たった。
「まさか何もないってわけじゃないだろうな。ここまで来てそりゃねぇぜ」
東西の階段から上って突き当たるまでは一直線の一本道。
途中に扉やそれに準ずるようなものもなかった。
「そうだ、たしかここの見取り図を拾ってただろう。あれは今誰が持ってるんだい?」
メルが聞くと同行していた仲間のキメラの一人が見取り図を取り出した。
いや、三人と言ったほうが正しいかもしれない。
「わたしらが持ってますよ、姐さん」
山羊の頭が答えた。
「ミランダ、例のやつを頼む」
続いて獅子の頭が言う。
「あいよ、このたてがみの中にしっかりと……ほら、これさ」
そして蛇の尾が見取り図を取り出してメルに渡した。
”彼ら”は1つの身体に3つの頭を持つ。そしてそれぞれが別々の意識を有する。
すなわち、獅子の頭のホセ。山羊の頭のアンドレ。そして蛇の尾のミランダ。
彼らはいわゆる典型的なキメラだった。
研究者の手によって戯れに融合させられてしまったのかもしれない。
三人がいかにして一個体にされてしまったのか、その過程は実験を執行した研究者たちにしかわからない。
見取り図を受け取る。
確認すると3階通路にはひとつだけ部屋への入り口があることが記されている。
唯一の扉を潜って細い通路を進んだ先の大部屋。そこが目指すべき管理区画だ。
大部屋のさらに奥には所長室や倉庫などがあるらしい。
改めて今いる通路を見渡すが、見取り図にあるような扉はどこにも見当たらない。
「どうなってるんだ? 扉なんてどこにも……」
「待って。そこの壁少し変じゃない?」
目を凝らしてよく見ると、壁に細い線のような筋が見える。
手の自由になっている仲間のキメラがその壁を調べてみると、壁が開き小さな端末が姿を現す。
「これは…」
端末には小さなモニタと、数字やいくつかの文字が印されたパネルが設けられている。
パネルを操作するとモニタ上に入力した文字や数字が並んでいく。そして……
『Error:パスワードが違います。正しいコードを入力してください。(3回の失敗でロックされます)』
さらによく調べると端末が現れた壁の近くにも同様の筋が見える。
「こいつ……開くぞ!」
「ふぅん。どうやらこの先が目的の場所のようだねぇ…」
「回数制限があるから、百打ちゃあたるってわけにもいかないな」
失敗作たちは皆が表の病院から騙されて連れてこられたか、確保班に拉致されてきたものばかりだった。
当然ながらパスワードなど知るはずもない。
エイドの死体から回収した書類を取り出し確認するが、そこにもそれらしいものは記されていなかった。
「仕方ないね、下手に弄るわけにもいかない。建物内を探して回るのがいいだろうね。もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれない」
しかし、制圧部隊は掃討したもののまだ気は抜けない。
研究所内の壁は抉られ、血は飛び散り、研究者の亡骸はあちこちに転がっている。それは制圧部隊に襲われるよりも前からすでに確認できた。さらに腐臭を放ち仲間たちを怒り惑わせたあの肉塊も……。
未知の”先客”がいるのは間違いない。そしてそれが味方であるとも限らない。
目的を果たすためには全滅だけは避けなければならなかった。
そのために一同はさっきと同様に二手に分かれて一方は探索に、一方はこの場に残り、交代で情報収集を行うことにするのだった。
「しかし……アダモフの件は残念じゃったのぅ」
キメラの一人、ディエゴが口を開いた。
爬虫類のような容姿をしている。あるいは伝承上の竜とも言えるかもしれない。
メルがその言葉に返す。
「そうだね…。アダモフのおかげであたしたちはあの地下牢から脱出できたんだ。アダモフのためにも、あたしらは絶対に研究者どもに屈するわけにはいかない。これはアダモフの仇打ちでもあるんだ」
「彼の遺志は残されたわしらで継いでやらねばのぅ…」
メルたちは端末の前に残っていた。
今はテオの率いるグループが情報収集に向かっている。
「テオ、大丈夫かな…」
「きっと大丈夫じゃよ。彼はアダモフに代わって本当によくやってくれておる」
竜は心配するメルを優しく励ます。
もうずいぶん長い時間が経ったような気もしたが、アダモフがやられたのはついさっきのことだ。
誰もがまだその心の傷から立ち直れてはいないのだ。
「そう……だね。辛いのはみんな同じなんだものね。あたしがしっかりしなきゃ……」
そう言ってはみせるが、ディエゴには彼女こそがもっとも辛そうに見えた。
あたしにはテオという旦那がいる。
これはもちろんそういう気持ちから来るものじゃない。
でも、たしかにあたしにはアダモフに対しての特別な感情があった。
アダモフは希望だった。
彼がいてくれたおかげであたしは立ち直ることができたんだ。
大げさかもしれないけど、アダモフは言わば命の恩人。
そんな彼にあたしはなんとかお礼をしてやりたかった。そのためにこの脱出を提案したんだ。
なのに、そのせいでアダモフは――
メルは責任を感じていた。
アダモフが犠牲になったのは自分のせいではなかったのかと……。
「姐さん、落ち込んでる暇はなさそうですぜ」
双頭のキメラがそんなメルに注意を促す。
先ほど見取り図を手渡してくれたキメラだ。
彼の示す先を見ると、その先に見覚えのないキメラの姿がゆらりと揺れていた。
獅子の頭のホセを見ているとアダモフを思い出してしまい、居た堪れない気持ちになってしまうがそうも言っていられない。
「あれは……人狼? ということはあいつもあたしらと同じ被害者だね」
それは狼と人間が混ざり合ったような姿をしていた。
目はどこか虚ろで、舌はだらりと涎を垂らしながら伸びている。
「気を付けてください。あいつ……なんか様子がヘンです」
「そのようだね。あんたたちは下がってな! まずはあたしが話してみる。敵と決めつけるにはまだ早いよ」
メルはしっかりと相手を見据えて、慎重にその人狼へと近づいて行く。
仲間たちは揃って相手を睨みつける。
もしあれが敵だとわかれば、いつでも攻撃できる体勢だ。
制圧部隊との戦いではアダモフの死によるショックで忘れてしまっていたが、こちらの手にはアマンダのライフルや、デテンが遺した非適応薬の麻酔銃もある。いざというときはこれで……。
万が一のことがあってもすぐに回避できる程度の間合いを残してメルは立ち止まる。
四足のメルに対して人狼は二足で歩くことができるらしい。メルは人狼を見上げる形になるが、それにしてもずいぶんと大きな相手だった。
解放軍にも似たような容貌のキメラはいたが、それに比べると幾分か華奢にも見える。しかし身の丈は軽く2メートルは超えているようだ。
「ウウ……グルル…」
人狼は後ずさる。
気にせずメルは話しかける。
「待ちな。あんたは何者だい?」
人狼は何も答えない。
かまわず続ける。
「怖がらなくていい。見たところ、あんたもあたしらと同じようだけど…。もしそうならあたしらは味方同士だ」
だが油断はできない。隙は決して見せない。
人狼の爪や毛皮が血に塗れていることをメルは見逃したりなどしない。
「ガウゥ……ク、来るナ……」
さらに人狼は後ずさる。ずいぶんと怯えているような様子だった。
しばらくの沈黙。
虎と人狼が睨み合う。
「何をそんなに恐れるんだい? もう怖がる必要はない。あたしたちは仲間だ。そうだ、もしよかったらあたしらと一緒に……」
メルは人狼に向かって一歩踏み出した。
すると、
「ウググ……グァァオオォォォオオオゥ!!」
突然、人狼が虎に飛びかかる。
爪を立てた腕が迫る。
咄嗟にそれをかわす。
狙いを外した腕は床にぶつかる。
ぶつかった床は鋭い鉤爪に抉られて穴が開いた。
「姐さん、危ない!」
飛び出してきたキメラの獅子と山羊の双頭が人狼にぶつかる。人狼は弾き飛ばされ壁にぶつかり倒れた。
双頭のキメラはすかさずそこに覆いかぶさる。
獅子が人狼の首筋に牙を立て……
「待って! その子を殺してはだめ!!」
慌てて獅子の頭がぴたりと動きを止める。
その隙を狙って人狼が噛み付きにかかるが、山羊の頭突きがそれを阻む。
人狼はその一撃によって気を失った。
一方、蛇の尾が声の主を確認する。
人狼のさらに向こうには白衣を纏ったニンゲンの姿が見えた。
キメラの一人、ディエゴが口を開いた。
爬虫類のような容姿をしている。あるいは伝承上の竜とも言えるかもしれない。
メルがその言葉に返す。
「そうだね…。アダモフのおかげであたしたちはあの地下牢から脱出できたんだ。アダモフのためにも、あたしらは絶対に研究者どもに屈するわけにはいかない。これはアダモフの仇打ちでもあるんだ」
「彼の遺志は残されたわしらで継いでやらねばのぅ…」
メルたちは端末の前に残っていた。
今はテオの率いるグループが情報収集に向かっている。
「テオ、大丈夫かな…」
「きっと大丈夫じゃよ。彼はアダモフに代わって本当によくやってくれておる」
竜は心配するメルを優しく励ます。
もうずいぶん長い時間が経ったような気もしたが、アダモフがやられたのはついさっきのことだ。
誰もがまだその心の傷から立ち直れてはいないのだ。
「そう……だね。辛いのはみんな同じなんだものね。あたしがしっかりしなきゃ……」
そう言ってはみせるが、ディエゴには彼女こそがもっとも辛そうに見えた。
あたしにはテオという旦那がいる。
これはもちろんそういう気持ちから来るものじゃない。
でも、たしかにあたしにはアダモフに対しての特別な感情があった。
アダモフは希望だった。
彼がいてくれたおかげであたしは立ち直ることができたんだ。
大げさかもしれないけど、アダモフは言わば命の恩人。
そんな彼にあたしはなんとかお礼をしてやりたかった。そのためにこの脱出を提案したんだ。
なのに、そのせいでアダモフは――
メルは責任を感じていた。
アダモフが犠牲になったのは自分のせいではなかったのかと……。
「姐さん、落ち込んでる暇はなさそうですぜ」
双頭のキメラがそんなメルに注意を促す。
先ほど見取り図を手渡してくれたキメラだ。
彼の示す先を見ると、その先に見覚えのないキメラの姿がゆらりと揺れていた。
獅子の頭のホセを見ているとアダモフを思い出してしまい、居た堪れない気持ちになってしまうがそうも言っていられない。
「あれは……人狼? ということはあいつもあたしらと同じ被害者だね」
それは狼と人間が混ざり合ったような姿をしていた。
目はどこか虚ろで、舌はだらりと涎を垂らしながら伸びている。
「気を付けてください。あいつ……なんか様子がヘンです」
「そのようだね。あんたたちは下がってな! まずはあたしが話してみる。敵と決めつけるにはまだ早いよ」
メルはしっかりと相手を見据えて、慎重にその人狼へと近づいて行く。
仲間たちは揃って相手を睨みつける。
もしあれが敵だとわかれば、いつでも攻撃できる体勢だ。
制圧部隊との戦いではアダモフの死によるショックで忘れてしまっていたが、こちらの手にはアマンダのライフルや、デテンが遺した非適応薬の麻酔銃もある。いざというときはこれで……。
万が一のことがあってもすぐに回避できる程度の間合いを残してメルは立ち止まる。
四足のメルに対して人狼は二足で歩くことができるらしい。メルは人狼を見上げる形になるが、それにしてもずいぶんと大きな相手だった。
解放軍にも似たような容貌のキメラはいたが、それに比べると幾分か華奢にも見える。しかし身の丈は軽く2メートルは超えているようだ。
「ウウ……グルル…」
人狼は後ずさる。
気にせずメルは話しかける。
「待ちな。あんたは何者だい?」
人狼は何も答えない。
かまわず続ける。
「怖がらなくていい。見たところ、あんたもあたしらと同じようだけど…。もしそうならあたしらは味方同士だ」
だが油断はできない。隙は決して見せない。
人狼の爪や毛皮が血に塗れていることをメルは見逃したりなどしない。
「ガウゥ……ク、来るナ……」
さらに人狼は後ずさる。ずいぶんと怯えているような様子だった。
しばらくの沈黙。
虎と人狼が睨み合う。
「何をそんなに恐れるんだい? もう怖がる必要はない。あたしたちは仲間だ。そうだ、もしよかったらあたしらと一緒に……」
メルは人狼に向かって一歩踏み出した。
すると、
「ウググ……グァァオオォォォオオオゥ!!」
突然、人狼が虎に飛びかかる。
爪を立てた腕が迫る。
咄嗟にそれをかわす。
狙いを外した腕は床にぶつかる。
ぶつかった床は鋭い鉤爪に抉られて穴が開いた。
「姐さん、危ない!」
飛び出してきたキメラの獅子と山羊の双頭が人狼にぶつかる。人狼は弾き飛ばされ壁にぶつかり倒れた。
双頭のキメラはすかさずそこに覆いかぶさる。
獅子が人狼の首筋に牙を立て……
「待って! その子を殺してはだめ!!」
慌てて獅子の頭がぴたりと動きを止める。
その隙を狙って人狼が噛み付きにかかるが、山羊の頭突きがそれを阻む。
人狼はその一撃によって気を失った。
一方、蛇の尾が声の主を確認する。
人狼のさらに向こうには白衣を纏ったニンゲンの姿が見えた。
白衣の女は壁際に追い詰められていた。
周囲を獣やキメラ、ゾンビたちが取り囲む。逃げ場はない。
気を失った人狼は医療用のチューブで拘束されていた。これもエイドの死体から回収したものだ。
虎はあからさまに敵意を見せつけながら女にさらに詰め寄る。
「それで、あんたは何だい? 殺しちゃいけないってのはどういう意味だい? ちゃあんと説明してもらおうか!」
不機嫌そうに虎の尾が逆立つ。
周囲からは唸り声が聞こえてくる。
「私は……八神。この研究所で働いている者よ」
「科学者ダと! 敵だ、殺セ殺セ!」
「コノ恨ミ、晴ラサデオクベキカ!」
獣たちは口々に咆えてかかる。
虎はそれを一喝した。
「黙りな! まずは話を聞こうじゃないか。礼はそのあとでたっぷりしてやるよ…。それじゃあ八神、殺しちゃいけないってのはどういうことなのか、わかりやすく教えてもらおうじゃないか。それはどういう意味だい?」
八神は素直に尋問に応じる。
「ええ。まず予想はついているでしょうけど、彼はあなたたちと同じく被検体になった一人よ。私たちは被検体Yと呼んでいた……」
八神はこれまでの経緯を話し始めた。
被検体Yがジェームスと共に実験室から脱走した後、エイドは担当していたジェームスを追った。
八神は被検体Yを追おうとしたが所長からの呼び出しがかかったので、被検体Yの追跡は部下たちが引き継いだ。
しかし部下たちは、被検体Yの手にかかってみんな殺されてしまった。
八神は所長からすべての責任を押し付けられてしまう。
彼女に拒否するという選択肢はなかった。彼女は所長に逆らうことができない。
なぜなら八神は所長に弱みを握られているからだ。
周囲を獣やキメラ、ゾンビたちが取り囲む。逃げ場はない。
気を失った人狼は医療用のチューブで拘束されていた。これもエイドの死体から回収したものだ。
虎はあからさまに敵意を見せつけながら女にさらに詰め寄る。
「それで、あんたは何だい? 殺しちゃいけないってのはどういう意味だい? ちゃあんと説明してもらおうか!」
不機嫌そうに虎の尾が逆立つ。
周囲からは唸り声が聞こえてくる。
「私は……八神。この研究所で働いている者よ」
「科学者ダと! 敵だ、殺セ殺セ!」
「コノ恨ミ、晴ラサデオクベキカ!」
獣たちは口々に咆えてかかる。
虎はそれを一喝した。
「黙りな! まずは話を聞こうじゃないか。礼はそのあとでたっぷりしてやるよ…。それじゃあ八神、殺しちゃいけないってのはどういうことなのか、わかりやすく教えてもらおうじゃないか。それはどういう意味だい?」
八神は素直に尋問に応じる。
「ええ。まず予想はついているでしょうけど、彼はあなたたちと同じく被検体になった一人よ。私たちは被検体Yと呼んでいた……」
八神はこれまでの経緯を話し始めた。
被検体Yがジェームスと共に実験室から脱走した後、エイドは担当していたジェームスを追った。
八神は被検体Yを追おうとしたが所長からの呼び出しがかかったので、被検体Yの追跡は部下たちが引き継いだ。
しかし部下たちは、被検体Yの手にかかってみんな殺されてしまった。
八神は所長からすべての責任を押し付けられてしまう。
彼女に拒否するという選択肢はなかった。彼女は所長に逆らうことができない。
なぜなら八神は所長に弱みを握られているからだ。
八神は表の病院で働く優秀な医者の一人だった。
しかしある日、八神は医療ミスを起こしてしまったのだ。
院長は病院を守るため、被害者の家族に金をつかませてその事実をもみ消した。
そして院長はなんとその金を八神に全額要求したのだ。とても個人が支払えるようなものではなかった。
途方に暮れる八神。
そこに研究に協力すれば助けてやると声をかけたのがこの研究所の所長だった。
願ってもない話だった。八神は喜んでその話を受けることにした。
こうして借金は全額返済された……かのように見えた。
しかし八神にとっては借金を返す相手が院長から所長に変わったというだけのことだったのだ。
研究所が八神の借金を肩代わりしたかわりに、その分だけ八神は研究に手を貸さなければならなかった。
研究の内容を知らされて八神は愕然とした。
医者ともあろう者が、患者を実験台にするような非人道的な実験など認められるわけがなかった。
所長は協力を断れば医療ミスの事実を世間に公表すると八神を脅した。もしそうなれば院長にどんな目に遭わされるかわかったものではない。
さらに所長はもし借金が返済できなかった場合には、八神にその身体で不足分を支払ってもらうと付け加えた。
その意味するところは、八神が実験の被検体になるということだ。彼女も適応者だったのだ。
だから八神は所長に逆らうことができない。
こんな研究には反対だった。こんなことが裏でまかり通っているなど信じられなかった。
その片棒を担がされることなど到底容認できるようなことではなかった。
しかし八神は逆らうことができない。許された選択肢はただ素直に頭を下げて「はい」と答えることのみ。
半ば強制的に、八神は所長の奴隷としていいように使われてきたのだった。
しかしある日、八神は医療ミスを起こしてしまったのだ。
院長は病院を守るため、被害者の家族に金をつかませてその事実をもみ消した。
そして院長はなんとその金を八神に全額要求したのだ。とても個人が支払えるようなものではなかった。
途方に暮れる八神。
そこに研究に協力すれば助けてやると声をかけたのがこの研究所の所長だった。
願ってもない話だった。八神は喜んでその話を受けることにした。
こうして借金は全額返済された……かのように見えた。
しかし八神にとっては借金を返す相手が院長から所長に変わったというだけのことだったのだ。
研究所が八神の借金を肩代わりしたかわりに、その分だけ八神は研究に手を貸さなければならなかった。
研究の内容を知らされて八神は愕然とした。
医者ともあろう者が、患者を実験台にするような非人道的な実験など認められるわけがなかった。
所長は協力を断れば医療ミスの事実を世間に公表すると八神を脅した。もしそうなれば院長にどんな目に遭わされるかわかったものではない。
さらに所長はもし借金が返済できなかった場合には、八神にその身体で不足分を支払ってもらうと付け加えた。
その意味するところは、八神が実験の被検体になるということだ。彼女も適応者だったのだ。
だから八神は所長に逆らうことができない。
こんな研究には反対だった。こんなことが裏でまかり通っているなど信じられなかった。
その片棒を担がされることなど到底容認できるようなことではなかった。
しかし八神は逆らうことができない。許された選択肢はただ素直に頭を下げて「はい」と答えることのみ。
半ば強制的に、八神は所長の奴隷としていいように使われてきたのだった。
八神は所長に言われるがままに動かざるを得なかった。
すべての責任を負わされた八神は所長に代わって上からの命令を遂行しなければならない。
命じられたのは、制圧部隊が到着するまでに事態を収拾しろということだ。
まずは逃げ出した被検体Yの確保、処分。
それからこの研究所は破棄されることに決まったため、すべての痕跡の抹消。それには失敗作たちの処分も含まれた。
失敗作たちのことを研究班のデテンに任せた八神は、記録の抹消のため一人で自身の研究室に向かう。
所長に呼び出され管理区画に向かう前に、八神は偶然アマンダが人狼を狙撃するところを目撃していたので油断していたのだ。
被検体Yは死んだと思っていた。
たしかに被検体Yは頭を銃で撃ち抜かれていた。
だが、生きていた!
エイドの研究室の前を通りかかった八神は人狼に襲われてしまう。
人狼の牙が、鉤爪が迫る。
もうだめかと思ったそのときだった。
人狼は八神の顔を見るなり、突然頭を抱えて苦しみ始めたのだ。
研究所内に人狼の咆哮が響き渡る。
そして苦しそうに呟き始めた。
「ウ……ググ。オ、レハ……イヤ、私ハ……ウウウ…。オマエハ……ヤ、ガミ。知ッテイル? 思イ出セナイ……ヤガミ、ヤガミ。ヤガミヤガミヤガミ……デモ確カニ知ッテイル…!」
(この子、もしかして記憶が戻りかけている!?)
もはや人狼に敵意はないようだった。
八神の顔をじっと見つめながら、何度も何度もその名を繰り返す。
そこに突然響いてくる声。
『我々は制圧部隊だ! 無駄な抵抗は止めて、直ちに投降せよ!!』
人狼は驚いて飛び上がった。
敵ダ。敵ガ来タ。
俺ヲ脅カス敵ダ。
奴ラ、俺ヲ殺シニ来タンダ――!
本能的に危険を察知する。
ふと八神と目が合う。
「ヤガ、ミ……?」
これが誰なのか、自分とどういう関係にあたる者なのかは未だ思い出せない。
しかし今はこれが自分の知っている人だとわかる唯一の相手だ。
この人を危険に晒してはならない。この人を守るべきだ。
不意にそんな考えが脳裏に湧き起こる。
「きゃっ。な、何を!?」
「グルル、ル…。ヤガミ、守ル」
人狼は八神を抱え上げると急いで制圧部隊から遠ざかった。
背後からは、解放軍と制圧部隊との戦いの音が聞こえてきていた。
すべての責任を負わされた八神は所長に代わって上からの命令を遂行しなければならない。
命じられたのは、制圧部隊が到着するまでに事態を収拾しろということだ。
まずは逃げ出した被検体Yの確保、処分。
それからこの研究所は破棄されることに決まったため、すべての痕跡の抹消。それには失敗作たちの処分も含まれた。
失敗作たちのことを研究班のデテンに任せた八神は、記録の抹消のため一人で自身の研究室に向かう。
所長に呼び出され管理区画に向かう前に、八神は偶然アマンダが人狼を狙撃するところを目撃していたので油断していたのだ。
被検体Yは死んだと思っていた。
たしかに被検体Yは頭を銃で撃ち抜かれていた。
だが、生きていた!
エイドの研究室の前を通りかかった八神は人狼に襲われてしまう。
人狼の牙が、鉤爪が迫る。
もうだめかと思ったそのときだった。
人狼は八神の顔を見るなり、突然頭を抱えて苦しみ始めたのだ。
研究所内に人狼の咆哮が響き渡る。
そして苦しそうに呟き始めた。
「ウ……ググ。オ、レハ……イヤ、私ハ……ウウウ…。オマエハ……ヤ、ガミ。知ッテイル? 思イ出セナイ……ヤガミ、ヤガミ。ヤガミヤガミヤガミ……デモ確カニ知ッテイル…!」
(この子、もしかして記憶が戻りかけている!?)
もはや人狼に敵意はないようだった。
八神の顔をじっと見つめながら、何度も何度もその名を繰り返す。
そこに突然響いてくる声。
『我々は制圧部隊だ! 無駄な抵抗は止めて、直ちに投降せよ!!』
人狼は驚いて飛び上がった。
敵ダ。敵ガ来タ。
俺ヲ脅カス敵ダ。
奴ラ、俺ヲ殺シニ来タンダ――!
本能的に危険を察知する。
ふと八神と目が合う。
「ヤガ、ミ……?」
これが誰なのか、自分とどういう関係にあたる者なのかは未だ思い出せない。
しかし今はこれが自分の知っている人だとわかる唯一の相手だ。
この人を危険に晒してはならない。この人を守るべきだ。
不意にそんな考えが脳裏に湧き起こる。
「きゃっ。な、何を!?」
「グルル、ル…。ヤガミ、守ル」
人狼は八神を抱え上げると急いで制圧部隊から遠ざかった。
背後からは、解放軍と制圧部隊との戦いの音が聞こえてきていた。
「この子は私を匿ってくれていたの。この子は悪い子じゃない、私にはわかるわ。だから殺しちゃいけない! さっきは……あなたたちを制圧部隊だと勘違いしただけよ、きっと」
「そうかねぇ。その言葉、果たしてどこまで信じられたものか…」
メルは訝しむような目で八神を睨む。
その眼には深い憎しみの色が見て取れた。
八神は獣たちをかき分けると、被検体Yの前に立ちはだかって庇ってみせる。
「お願い、殺さないで! 私はこの子が不憫でならない…」
「不憫だって? あんたたちが手を下したくせによくもそんなことが言えたもんだね!」
「それは……わかっているわ。でも私は逆らえなかった。私は弱かった。脅されていたとはいえ、自分が助かるために多くの罪もない被検者たちを生贄に捧げてきてしまった。それが私の罪だということはよくわかってる。仕方がなかったと言って逃げるつもりはないわ。でも過去を悔いても今となってはどうしようもない。だから、せめて私はあなたたちの力になりたい。それが私のせめてもの罪滅ぼしのつもりなのよ」
「それで? あたしらをどう助けてくれるっていうんだい」
「知っている限りの情報はすべて教えるわ。私は研究班じゃないから、あなたたちを元に戻してあげられるかはわからないけど、資料なら残っているものはすべて提供すると約束する」
「ふん。それだけかい?」
その程度のことじゃ自分たちの怒りは治まらないとでも言いたげに、虎はさらに鋭く八神を睨み付ける。
「……もちろんこれだけじゃないわ」
八神は覚悟を決めて一人頷く。
彼女は悔いていた。いつも自分を責めていた。
いつでも所長の言いなりになっている自分が赦せなかった。
あの男さえ……あいつさえいなければこんなことにはならなかった。
所長がいなければ私は今頃、院長に要求された借金で首が回らなくなっていただろう。
たしかに院長の要求は不当なものだったかもしれないが、私が医療ミスという過ちを起こしたのは紛れもない事実。責任が自分にあるならその報いは甘んじて受けよう。
自分が助かるために犠牲者を増やしてしまったことも私の罪。その報いも当然受けるつもりだ。
だが所長に押し付けられた責任の報いを受ける義理は私にはないのだ。
所長の脅迫が怖くて私はその押し付けを撥ね除けることができなかった。
そして事態の収拾を命じられたが、それよりも先に制圧部隊が到着してしまった。
制圧部隊は解放軍が一掃したが八神はその事実を知らない。しかし、それはどちらでも同じことだ。
あの男、所長は失敗を犯した八神を口封じのために消しにかかることだろう。彼女を被検体とすることで。
もはや退路はない。
ならばこれしか生き残る道はなかった。
あいつさえ……あの男さえいなければ……。
「私はあの男が憎い。あの男さえいなければ私は苦しまなくても済むのに…!」
八神は一瞬その瞳に憎しみの色を宿すが、すぐに冷静さを取り戻すと解放軍に文字通り力を貸すことを申し出た。
「私も戦うわ。あなたたちは所長を倒すつもりなんでしょう? 私もあの男には因縁があってね。目的は同じはずよ」
「そんなこと言っといて、あとから裏切ろうなんて考えちゃいないだろうね」
虎は値踏みするかのように白衣の女を睨み回す。
しかし覚悟を決めた女もまたしっかりとした目で虎を睨み返す。
「皮肉にもあたしらはあんたたちのおかげで牙も爪もあるんだ。あんたを喰い殺すことなんて簡単にできちまうんだからね! よーく、肝に銘じておくんだね」
「もし私が裏切ったと見なしたならすぐにでも私を好きにするがいいわ」
どっちにしたって私にはもうこれ以外の道なんか――
「後悔したって知らないよ」
「……いいでしょう。そこまで言うのなら、まずは誠意を見せます。私はその端末のパスワードを知っているわ。それをあなたたちに教える。これで少しは信頼していただけるかしら」
「ふん、まだあたしはあんたを仲間と認めたわけじゃないからね!」
一人と一匹の睨み合いは、情報を集めに出ていたテオたちが戻ってくるまでしばらく続いた。
「そうかねぇ。その言葉、果たしてどこまで信じられたものか…」
メルは訝しむような目で八神を睨む。
その眼には深い憎しみの色が見て取れた。
八神は獣たちをかき分けると、被検体Yの前に立ちはだかって庇ってみせる。
「お願い、殺さないで! 私はこの子が不憫でならない…」
「不憫だって? あんたたちが手を下したくせによくもそんなことが言えたもんだね!」
「それは……わかっているわ。でも私は逆らえなかった。私は弱かった。脅されていたとはいえ、自分が助かるために多くの罪もない被検者たちを生贄に捧げてきてしまった。それが私の罪だということはよくわかってる。仕方がなかったと言って逃げるつもりはないわ。でも過去を悔いても今となってはどうしようもない。だから、せめて私はあなたたちの力になりたい。それが私のせめてもの罪滅ぼしのつもりなのよ」
「それで? あたしらをどう助けてくれるっていうんだい」
「知っている限りの情報はすべて教えるわ。私は研究班じゃないから、あなたたちを元に戻してあげられるかはわからないけど、資料なら残っているものはすべて提供すると約束する」
「ふん。それだけかい?」
その程度のことじゃ自分たちの怒りは治まらないとでも言いたげに、虎はさらに鋭く八神を睨み付ける。
「……もちろんこれだけじゃないわ」
八神は覚悟を決めて一人頷く。
彼女は悔いていた。いつも自分を責めていた。
いつでも所長の言いなりになっている自分が赦せなかった。
あの男さえ……あいつさえいなければこんなことにはならなかった。
所長がいなければ私は今頃、院長に要求された借金で首が回らなくなっていただろう。
たしかに院長の要求は不当なものだったかもしれないが、私が医療ミスという過ちを起こしたのは紛れもない事実。責任が自分にあるならその報いは甘んじて受けよう。
自分が助かるために犠牲者を増やしてしまったことも私の罪。その報いも当然受けるつもりだ。
だが所長に押し付けられた責任の報いを受ける義理は私にはないのだ。
所長の脅迫が怖くて私はその押し付けを撥ね除けることができなかった。
そして事態の収拾を命じられたが、それよりも先に制圧部隊が到着してしまった。
制圧部隊は解放軍が一掃したが八神はその事実を知らない。しかし、それはどちらでも同じことだ。
あの男、所長は失敗を犯した八神を口封じのために消しにかかることだろう。彼女を被検体とすることで。
もはや退路はない。
ならばこれしか生き残る道はなかった。
あいつさえ……あの男さえいなければ……。
「私はあの男が憎い。あの男さえいなければ私は苦しまなくても済むのに…!」
八神は一瞬その瞳に憎しみの色を宿すが、すぐに冷静さを取り戻すと解放軍に文字通り力を貸すことを申し出た。
「私も戦うわ。あなたたちは所長を倒すつもりなんでしょう? 私もあの男には因縁があってね。目的は同じはずよ」
「そんなこと言っといて、あとから裏切ろうなんて考えちゃいないだろうね」
虎は値踏みするかのように白衣の女を睨み回す。
しかし覚悟を決めた女もまたしっかりとした目で虎を睨み返す。
「皮肉にもあたしらはあんたたちのおかげで牙も爪もあるんだ。あんたを喰い殺すことなんて簡単にできちまうんだからね! よーく、肝に銘じておくんだね」
「もし私が裏切ったと見なしたならすぐにでも私を好きにするがいいわ」
どっちにしたって私にはもうこれ以外の道なんか――
「後悔したって知らないよ」
「……いいでしょう。そこまで言うのなら、まずは誠意を見せます。私はその端末のパスワードを知っているわ。それをあなたたちに教える。これで少しは信頼していただけるかしら」
「ふん、まだあたしはあんたを仲間と認めたわけじゃないからね!」
一人と一匹の睨み合いは、情報を集めに出ていたテオたちが戻ってくるまでしばらく続いた。
テオたちが合流し、八神や被検体Yのことをひとしきり説明した。
手掛かりを探しに出ていた仲間たちもメルと同様、八神を信用し切れないところがあった。
しかしパスワードの手掛かりになるものは何一つ見つからなかったので、それを教えてくれるという条件を呑んでしぶしぶ味方に迎え入れた。
「それじゃあ、さっそく開けてもらおうじゃないか。見せておくれよ、その誠意ってやつをさ」
「わかったわ」
八神が端末に近づく。
するとそのとき、拘束されていた被検体Yが意識を取り戻して暴れ始めた。
「こいつ! 厄介だな。こいつも連れていくのか? 錯乱しているじゃねえか。こいつはもうだめだろう、いっそひと思いに……」
仲間の一人が麻酔銃を向ける。
「だ、だめよ!」
八神はその前に立ちふさがる。
彼女は数多くの被検体に手を出してきてしまっていた。
そのすべての被害者に彼女は責任を感じていたが、もはやどの失敗作が自分の手にかかったものなのかはわからなかった。それほどまでに多くの犠牲を出してきた研究だったのだ。
被検体Yはそんな八神が唯一覚えている自分の生贄。
せめてこの子だけはなんとしても救ってやりたい――
八神はこの人狼にとくに特別な感情を抱いていた。
仲間の一人と八神が睨み合う。
それを仲裁したのはディエゴだった。
「まあまあ、お二人さん。少し落ち着くのじゃ。わしは昔、催眠術を嗜んでおってのぅ。ここはひとつ、わしに任せてもらえんかの」
そう言うなり、竜は人狼の瞳をじっと見つめる。
人狼は怯えていた。
八神のことはまだよく思い出せないが知っている相手だ。唯一、安心できる相手だ。
だが、このまわりに取り囲んでいるやつらはなんだ。
この目の前にいる鱗だらけのやつはなんだ。
知らない知らない知ラナイ。
怖イ怖イコワイ。
未知なる存在は恐怖を生む。なぜなら、それがどういうものなのか把握できないから。どういう動きをして、どう対処すればいいのか。自分に対して害はあるのかないのか。何をされるのかがわからないから。
だから恐れる。怯える。恐怖する。
もしかしたらこいつは自分を獲ッテ喰ウかもシれない。襲わレるかもシレナイ。敵カモシレナイ!
ヤラレテカラデハ遅イ。
喰ウカ、喰ワレルカダ。
ナラバヤラレル前ニヤルシカナイ。
己ノ身ヲ守ルタメニ、ヤルシカナイ!
「グルルル……」
思わず唸り声が喉の奥から漏れる。瞳孔は大きく開き、心臓は激しく脈打つ。
いつでも敵の攻撃を避けられるように。いつでも飛びかかれるように。
きつく拘束されているので見動きは取れない。が、決して隙は見せない。周囲を警戒して意識を張り巡らせる。
「ふむ」
竜はそんな人狼の様子を見ると、屈みこんで目線の高さを座らされた体勢で拘束を受けている人狼の目の高さに合わせる。
竜の大きな前脚が伸びる。人狼の顔に影を落とす。
――ヤラレル!
人狼は身を捩りその影から逃れようとするが、竜の指示によって他のキメラたちに身体を取り押さえられてしまい、それも適わない。
せめて一矢報いてやると牙を剥くが、影はその上を通り過ぎ頭上から迫ってくる。
思わず身を縮こまらせる。固く目を閉じる。
すると、ひんやりとした感触。
竜の前脚は優しく人狼の両瞼を覆った。
「グル……る、るるる……る」
自然と唸り声が収まっていく。
続いて何か別の声が聴こえてくる。
耳を傾ける。どうやら目の前のこいつが発しているもののようだということはわかった。
相手が何を言っているのかは理解できない。頭に入ってこない。
しかし、それは柔らかく温かい声だった。どこか心地よい感じさえする。
その声が身体を包み込む。声が心地よい。無意識のうちに尾が揺れる。
「がうぅ……」
不思議と心が落ち着いていった。固くなった心が解きほぐされていく……。
「さぁ、目を開けなされ」
声だ。
久しぶりに”ことば”を聞いた気がする。
解かる。これは私にも解かるぞ。
覆いかぶせられていた影の気配が遠のく。そっと瞼を開く。
目の前には相変わらず見慣れない異形のものたちの姿。取り囲まれている。
しかし、不思議と恐れはなかった。
「……ここ…は? どうして私はこんなところに。おまえは……誰だ?」
周囲を見回す。知っている顔は……ひとつだけあった。
そうだ、あれは八神だ。
だが八神とは誰だ?
確かに八神を知っている。しかし思い出せない。
「一体何があったんだ。急に頭が痛くなって、身体の様子がおかしくなって、それから……だめだ、思い出せない」
八神が声をかけてくる。
「そう…。だったら、あなたはそれを思い出さないほうがきっと幸せよ……」
もし自分が大変なことをしでかしていたと思い出してしまったら、こんどこそ彼の精神は崩壊してしまうかもしれない。
心配する八神をよそに、仲間たちは歓声を上げる。
「やるじゃないか、じいさん!」
「すげー。治しちまったぞ!」
「いやいや、大したことじゃないわい」
「おい、こいつも見てやってくれよ。おれの相棒なんだが、ゾンビ化しちまって精神が不安定なんだよ」
「こっちもお願い」
「こいつも頼むぜ」
「これこれ、そんなに一遍にできんじゃろう。戦いが終わってからにしなされ」
急に株の上がったディエゴは仲間たちに引っ張り蛸にされていた。
手掛かりを探しに出ていた仲間たちもメルと同様、八神を信用し切れないところがあった。
しかしパスワードの手掛かりになるものは何一つ見つからなかったので、それを教えてくれるという条件を呑んでしぶしぶ味方に迎え入れた。
「それじゃあ、さっそく開けてもらおうじゃないか。見せておくれよ、その誠意ってやつをさ」
「わかったわ」
八神が端末に近づく。
するとそのとき、拘束されていた被検体Yが意識を取り戻して暴れ始めた。
「こいつ! 厄介だな。こいつも連れていくのか? 錯乱しているじゃねえか。こいつはもうだめだろう、いっそひと思いに……」
仲間の一人が麻酔銃を向ける。
「だ、だめよ!」
八神はその前に立ちふさがる。
彼女は数多くの被検体に手を出してきてしまっていた。
そのすべての被害者に彼女は責任を感じていたが、もはやどの失敗作が自分の手にかかったものなのかはわからなかった。それほどまでに多くの犠牲を出してきた研究だったのだ。
被検体Yはそんな八神が唯一覚えている自分の生贄。
せめてこの子だけはなんとしても救ってやりたい――
八神はこの人狼にとくに特別な感情を抱いていた。
仲間の一人と八神が睨み合う。
それを仲裁したのはディエゴだった。
「まあまあ、お二人さん。少し落ち着くのじゃ。わしは昔、催眠術を嗜んでおってのぅ。ここはひとつ、わしに任せてもらえんかの」
そう言うなり、竜は人狼の瞳をじっと見つめる。
人狼は怯えていた。
八神のことはまだよく思い出せないが知っている相手だ。唯一、安心できる相手だ。
だが、このまわりに取り囲んでいるやつらはなんだ。
この目の前にいる鱗だらけのやつはなんだ。
知らない知らない知ラナイ。
怖イ怖イコワイ。
未知なる存在は恐怖を生む。なぜなら、それがどういうものなのか把握できないから。どういう動きをして、どう対処すればいいのか。自分に対して害はあるのかないのか。何をされるのかがわからないから。
だから恐れる。怯える。恐怖する。
もしかしたらこいつは自分を獲ッテ喰ウかもシれない。襲わレるかもシレナイ。敵カモシレナイ!
ヤラレテカラデハ遅イ。
喰ウカ、喰ワレルカダ。
ナラバヤラレル前ニヤルシカナイ。
己ノ身ヲ守ルタメニ、ヤルシカナイ!
「グルルル……」
思わず唸り声が喉の奥から漏れる。瞳孔は大きく開き、心臓は激しく脈打つ。
いつでも敵の攻撃を避けられるように。いつでも飛びかかれるように。
きつく拘束されているので見動きは取れない。が、決して隙は見せない。周囲を警戒して意識を張り巡らせる。
「ふむ」
竜はそんな人狼の様子を見ると、屈みこんで目線の高さを座らされた体勢で拘束を受けている人狼の目の高さに合わせる。
竜の大きな前脚が伸びる。人狼の顔に影を落とす。
――ヤラレル!
人狼は身を捩りその影から逃れようとするが、竜の指示によって他のキメラたちに身体を取り押さえられてしまい、それも適わない。
せめて一矢報いてやると牙を剥くが、影はその上を通り過ぎ頭上から迫ってくる。
思わず身を縮こまらせる。固く目を閉じる。
すると、ひんやりとした感触。
竜の前脚は優しく人狼の両瞼を覆った。
「グル……る、るるる……る」
自然と唸り声が収まっていく。
続いて何か別の声が聴こえてくる。
耳を傾ける。どうやら目の前のこいつが発しているもののようだということはわかった。
相手が何を言っているのかは理解できない。頭に入ってこない。
しかし、それは柔らかく温かい声だった。どこか心地よい感じさえする。
その声が身体を包み込む。声が心地よい。無意識のうちに尾が揺れる。
「がうぅ……」
不思議と心が落ち着いていった。固くなった心が解きほぐされていく……。
「さぁ、目を開けなされ」
声だ。
久しぶりに”ことば”を聞いた気がする。
解かる。これは私にも解かるぞ。
覆いかぶせられていた影の気配が遠のく。そっと瞼を開く。
目の前には相変わらず見慣れない異形のものたちの姿。取り囲まれている。
しかし、不思議と恐れはなかった。
「……ここ…は? どうして私はこんなところに。おまえは……誰だ?」
周囲を見回す。知っている顔は……ひとつだけあった。
そうだ、あれは八神だ。
だが八神とは誰だ?
確かに八神を知っている。しかし思い出せない。
「一体何があったんだ。急に頭が痛くなって、身体の様子がおかしくなって、それから……だめだ、思い出せない」
八神が声をかけてくる。
「そう…。だったら、あなたはそれを思い出さないほうがきっと幸せよ……」
もし自分が大変なことをしでかしていたと思い出してしまったら、こんどこそ彼の精神は崩壊してしまうかもしれない。
心配する八神をよそに、仲間たちは歓声を上げる。
「やるじゃないか、じいさん!」
「すげー。治しちまったぞ!」
「いやいや、大したことじゃないわい」
「おい、こいつも見てやってくれよ。おれの相棒なんだが、ゾンビ化しちまって精神が不安定なんだよ」
「こっちもお願い」
「こいつも頼むぜ」
「これこれ、そんなに一遍にできんじゃろう。戦いが終わってからにしなされ」
急に株の上がったディエゴは仲間たちに引っ張り蛸にされていた。
ふと、ある臭いが鼻をくすぐる。不思議と安心できる臭いだ。
人狼の目の前にこんどはテオが立つ。
「よう。良かったな、自分を取り戻せて。おれはテオだ。おまえは」
自分に話しかけているのだということに気付いて恐る恐る口を開く。
「わ、私は……わからないんだ。ここがどこなのかも、自分が誰なのかも」
「へぇ。記憶喪失ってやつかい?」
その質問に八神が答える。
「彼は、その……”処置”を受ける以前の段階ですでに記憶を失っていたの。確保班……他の研究員が彼を病院へ連れてきた。名前は私も知らない」
「誘拐か。本当に最低だな、おまえら科学者は」
狼が八神を蔑んだような目で睨む。
「否定はしないわ…。受けている報告では、彼はこの研究にとって都合の悪い”事故”を起こしたらしいけど、詳しい内容は知らされていない」
「そうかい。まぁ、そんなことはおれには関係ねぇがな。それじゃあ、おまえ。名前がないなら何て呼べばいい?」
人狼は好きに呼んでくれてかまわない、と答えた。
そこでテオは彼をルーガルと呼ぶのはどうかと提案した。
「るー、がる?」
ルーガルとは狼男を意味する。
テオの祖国の言葉だ。『loup-garou』と書く。
「よし、ルーガル。おまえもおれたちと共に闘ってくれねえか。おれたちをこんな目に遭わせたやつに復讐してやるんだ。元に戻れる方法がないかも探す。こんな研究、潰してしまったほうが世のためだぜ」
「復讐か……。私はおまえたちのおかげで自分の心を取り戻すことができたんだ。それなら私はその恩を返さなければならない。わかった、協力する。私も共に闘う」
こうして人狼ルーガルも解放軍の仲間として加えられた。
どうせ記憶がないのだ。他にいくあてもない。
あるいは彼らと行動を共にするうちに、記憶を取り戻せるかもしれない。
「それにしても驚いたわね。まさか彼が生きていたなんて」
ふと八神がそう呟いた。
八神は確かに人狼がアマンダに頭を撃ち抜かれるところを目撃した。
人狼が倒れ、ぴくりとも動かなくなったのを確かにその目で見た。
しかし人狼は蘇り、自身の研究室へと向かう八神に鉢合わせ、ついさっきまで制圧部隊から彼女を庇い匿っていたのだ。
「もしかしたら……きっとこれは副作用が出たのね」
テオがそれを問い詰める。
「副作用? 約束だろ、話してもらおうか」
「もちろんよ」
この研究所で行われていた実験の目的は3つ存在した。
第一目標は『野生生物に匹敵する強靭な肉体を持つ強化軍隊を得る』こと。
第二目標は『完全獣化させて敵の目を欺く野生部隊を得る』こと。
そして、この第二目標の段階で生み出されたのがテオたち失敗作であり、その初期段階の頃はキメラやゾンビたちが生み出されていた。
ここまでは、解放軍の面々もエイドから手に入れた資料で知っていた。
しかし、さらに第三目標が存在していたのだ。
ゾンビを生みだした失敗で偶然にも不死の副作用が得られたことを知った上層部は、これまでの目標とは別に新たな目標を設置した。
それはこの副作用だけを取り出して、不老不死の薬を開発することだった。
これまでの研究とは逆に全く獣化させることなく、しかし副作用だけは残す。
その研究の過程で被検体とされたのがジェームスや人狼ルーガルだった。
第二目標達成以後に行われた実験にも関わらず、ルーガルが人間と狼の混ざり合った中途半端な姿と化したのはこのためだ。
第二目的についてはほぼ完成形だった薬品に、さらに手を加えたまだまだ研究段階の薬品だったため、その負担に耐えきれなかったジェームスは無残な肉塊へと成り果て、ルーガルは精神に異常をきたしてしまったのだ。
「不老不死だと。ばかばかしい」
テオはそれを鼻で笑った。
「私だって、なんと愚かしいことかと思ってる。人には神によって定められた寿命というものがある。それを覆そうなんて……おこがましいにも程がある!」
かつて原初の人間、アダムとイヴは禁断の果実を口にするという罪を犯した。
それが神の怒りに触れ、そのときから人間は限られた寿命を生きることになったのだ。
「神の定めに逆らうなんて、まさしく神への冒涜よ! それに上層部の頂点に立つ男。会ったことはないけど、自分を主と呼ばせていたわ。自ら神を名乗るなんて許されない!」
「へぇ。こんな研究をやってたわりには、ずいぶん熱心なんじゃねえか」
「私はその”主”が憎い。あの男…所長が憎い。この研究が憎い! ……これが私があなたたちに協力する理由よ」
「……わかった。少しだけは信じてやってもいい」
「それはありがたいことね」
狼と女は互いに冷淡なようすで言葉を交わした。
人狼の目の前にこんどはテオが立つ。
「よう。良かったな、自分を取り戻せて。おれはテオだ。おまえは」
自分に話しかけているのだということに気付いて恐る恐る口を開く。
「わ、私は……わからないんだ。ここがどこなのかも、自分が誰なのかも」
「へぇ。記憶喪失ってやつかい?」
その質問に八神が答える。
「彼は、その……”処置”を受ける以前の段階ですでに記憶を失っていたの。確保班……他の研究員が彼を病院へ連れてきた。名前は私も知らない」
「誘拐か。本当に最低だな、おまえら科学者は」
狼が八神を蔑んだような目で睨む。
「否定はしないわ…。受けている報告では、彼はこの研究にとって都合の悪い”事故”を起こしたらしいけど、詳しい内容は知らされていない」
「そうかい。まぁ、そんなことはおれには関係ねぇがな。それじゃあ、おまえ。名前がないなら何て呼べばいい?」
人狼は好きに呼んでくれてかまわない、と答えた。
そこでテオは彼をルーガルと呼ぶのはどうかと提案した。
「るー、がる?」
ルーガルとは狼男を意味する。
テオの祖国の言葉だ。『loup-garou』と書く。
「よし、ルーガル。おまえもおれたちと共に闘ってくれねえか。おれたちをこんな目に遭わせたやつに復讐してやるんだ。元に戻れる方法がないかも探す。こんな研究、潰してしまったほうが世のためだぜ」
「復讐か……。私はおまえたちのおかげで自分の心を取り戻すことができたんだ。それなら私はその恩を返さなければならない。わかった、協力する。私も共に闘う」
こうして人狼ルーガルも解放軍の仲間として加えられた。
どうせ記憶がないのだ。他にいくあてもない。
あるいは彼らと行動を共にするうちに、記憶を取り戻せるかもしれない。
「それにしても驚いたわね。まさか彼が生きていたなんて」
ふと八神がそう呟いた。
八神は確かに人狼がアマンダに頭を撃ち抜かれるところを目撃した。
人狼が倒れ、ぴくりとも動かなくなったのを確かにその目で見た。
しかし人狼は蘇り、自身の研究室へと向かう八神に鉢合わせ、ついさっきまで制圧部隊から彼女を庇い匿っていたのだ。
「もしかしたら……きっとこれは副作用が出たのね」
テオがそれを問い詰める。
「副作用? 約束だろ、話してもらおうか」
「もちろんよ」
この研究所で行われていた実験の目的は3つ存在した。
第一目標は『野生生物に匹敵する強靭な肉体を持つ強化軍隊を得る』こと。
第二目標は『完全獣化させて敵の目を欺く野生部隊を得る』こと。
そして、この第二目標の段階で生み出されたのがテオたち失敗作であり、その初期段階の頃はキメラやゾンビたちが生み出されていた。
ここまでは、解放軍の面々もエイドから手に入れた資料で知っていた。
しかし、さらに第三目標が存在していたのだ。
ゾンビを生みだした失敗で偶然にも不死の副作用が得られたことを知った上層部は、これまでの目標とは別に新たな目標を設置した。
それはこの副作用だけを取り出して、不老不死の薬を開発することだった。
これまでの研究とは逆に全く獣化させることなく、しかし副作用だけは残す。
その研究の過程で被検体とされたのがジェームスや人狼ルーガルだった。
第二目標達成以後に行われた実験にも関わらず、ルーガルが人間と狼の混ざり合った中途半端な姿と化したのはこのためだ。
第二目的についてはほぼ完成形だった薬品に、さらに手を加えたまだまだ研究段階の薬品だったため、その負担に耐えきれなかったジェームスは無残な肉塊へと成り果て、ルーガルは精神に異常をきたしてしまったのだ。
「不老不死だと。ばかばかしい」
テオはそれを鼻で笑った。
「私だって、なんと愚かしいことかと思ってる。人には神によって定められた寿命というものがある。それを覆そうなんて……おこがましいにも程がある!」
かつて原初の人間、アダムとイヴは禁断の果実を口にするという罪を犯した。
それが神の怒りに触れ、そのときから人間は限られた寿命を生きることになったのだ。
「神の定めに逆らうなんて、まさしく神への冒涜よ! それに上層部の頂点に立つ男。会ったことはないけど、自分を主と呼ばせていたわ。自ら神を名乗るなんて許されない!」
「へぇ。こんな研究をやってたわりには、ずいぶん熱心なんじゃねえか」
「私はその”主”が憎い。あの男…所長が憎い。この研究が憎い! ……これが私があなたたちに協力する理由よ」
「……わかった。少しだけは信じてやってもいい」
「それはありがたいことね」
狼と女は互いに冷淡なようすで言葉を交わした。
八神は改めて壁の端末に面すると、慣れた手つきでパスワードを入力していく。
入力を終えると端末の隣の壁は静かに開き、奥へと続く通路が姿を現した。
「いよいよだ…。あんたたち、油断するんじゃないよ!」
メルが音頭を取り、解放軍はついに目的の管理区画へと突入する。
今まさに、決戦は始まろうとしていた。
入力を終えると端末の隣の壁は静かに開き、奥へと続く通路が姿を現した。
「いよいよだ…。あんたたち、油断するんじゃないよ!」
メルが音頭を取り、解放軍はついに目的の管理区画へと突入する。
今まさに、決戦は始まろうとしていた。