『神への冒涜』十人目「責任者 / Be seeing You」
3階、管理区画へと続く通路を八神、人狼ルーガルが新たに加わった解放軍が行く。
八神が入力したパスワードによって開かれた扉の先には細長い一本の通路が続いていた。
「隠れられそうなところはないねぇ…。非適応薬を撃ち込まれたら一巻の終わりだよ」
「隙を見せるわけにはいかねえな。気を引き締めて行くぞ」
通路はそのまま一本道でまっすぐ進み、突き当たりには大きな扉があった。
おそらく、ここが目的の管理区画だろう。その扉は既に開かれていた。
「罠……?」
「でも、ここで立ち止まるわけにはいかないさ」
扉の奥を窺い見る。
少し広めのその部屋には、多数の端末や通信機器、研究所のメインコンピュータと思われる機械などが立ち並んでいる。
壁にはいくつもの大きなモニタ画面が。画面にはこの建物のあちこちが映し出されており、このモニタを眺めているメルたちの姿もそこに映っていた。
「やつらめ、こいつで俺たちを監視してやがったんだな」
しかし、部屋の中には所長や研究員の誰の姿もなく、監視モニタにもそれらしき姿は映っていなかった。
所長室と思われる部屋を見つけたがそこももぬけの空で、まだ仄かに温かいティーカップだけが残されていた。
一足遅く逃げられてしまったのだろうか。
「そんなはずはないわ」と八神。
入口には制圧部隊が迫っていた。制圧部隊との戦いの最中に外へ逃げ出した研究員の姿は誰も見ていない。
見落とした可能性がないとは言い切れないが、あの所長に限ってそんな危険な方法をとるとは考えられないという。
さらにこの研究所には、正面の入口以外には屋上から飛び降りでもしない限りは外部へ脱出する方法がない。
「案外、追い詰められてまさに屋上から飛び降りてたりしてね」
「あの男は研究が外部に漏れることをひどく恐れていたわ。自分の目で安全を確認でもしない限り、決して何かを信じようとはしない。そんな男が追い詰められて身を投げるような真似をするかしら」
「屋上か…。そこへはどうやって行くんだ?」
「そこから出られるわ」
管理区画には入ってきた扉と所長室への扉の他にもうひとつの扉があった。
「あと確認していないのはその屋上だけだねぇ。……でも」
屋上への扉を開けようとしてふと思いとどまった。
この部屋には窓が無いので外の様子を窺い知ることはできない。扉を開けてみない限りはそこに所長や研究員がいるのかどうかはわからないのだ。
しかし、気になるのは開け放されていた扉。そして姿の消えた研究員たち。
これが罠である可能性も否定はできなかった。なぜなら相手はこちらのことを監視していたのである。ということは、おそらくもうこちらの狙いはばれてしまっていると考えて間違いないだろう。
メルが扉を前にして思い悩んでいると、そこに獅子の頭のキメラ、ホセが割って入った。
「姐さん、悩んでいてもしかたがありません。今は立ち止まらずに進むべきです」
続いて同じキメラの今度は山羊の頭のほう、アンドレが言う。
「それにもし本当にやつらが逃げてしまっただけだったのなら、わたしたちに悩んでいる時間はありません。相手にさらに逃げる時間を与えてしまうだけです」
さらに同じキメラの今度は蛇の尾、ミランダが続ける。
「アダモフさんに代わってあたいらを率いてきてくれた姐御が悩むなんてらしくないもんさ。わかった、ここはあたいらに任せなって」
ひとつの胴体に3つの頭を持つ彼らはそれぞれ個々の意識を持つが互いに影響されるものなのであろうか、3人の意見はいつも共通していた。
アダモフを初めとしてメルやテオは、地下に幽閉されていた被検体たちに希望を与えた。アダモフは道半ばにして倒れてしまったが、ここで立ち止まってはいけない。なぜなら、それはアダモフの想いを無駄にすることになるからだ。
とくに頭だけだとはいえ、同じ獅子の姿を持つホセはアダモフに憧れ、そしてその期待に応えたいと考えていた。
アダモフがいなくなってしまったからと言ってそれは変わらない。解放軍のために行動することが亡きアダモフのためになる。
3人は誓った。アダモフのためにも進まなければならないのだと。立ち止まっている暇などないのだと。
「よし、おれたちが先行して様子を見てくる。何か分かったら合図しよう」
屋上への扉を前に息をひそめて陣形を組む。
扉の前にキメラと虎が。後の仲間はいつでも突入できる体勢だ。
ホセとメルが面と向かい合って頷き合う。
そして勢いよく扉を押しあけてホセが先陣を切って突入、素早く飛び出しながらも警戒心を忘れることなく周囲の気配を探る。
すると突然の閃光。
「くっ、目が…っ」
どうっと重い音。キメラの巨体が床に仰向けに転がった。
尾のミランダが慌てて状況を把握しようとする。
ここからはホセやアンドレの顔はよく見えないが、まるでぴくりとも動かない。
「い、一体何が起こったっていうんだい?」
いくら身に力を込めても身体は一寸たりとも動かない。
ミランダからは確認できなかったが、扉の向こうにいたメルからはよく見ることができた。獅子と山羊の頭に注射器が刺さっているのを。
動かない身体に一人の影が近付いた。
影は一歩一歩、しっかりとキメラの蛇の尾のもとへ、ミランダへと近づいて行く。
「なっ、なんだあんたは!?」
ミランダは身の危険を感じたが、まったく見動きが取ることができない。
もの言わず、男の影がさらに近付きキメラの身体のすぐ横で立ち止まった。男は値踏みするかのようにキメラを眺めまわしている。
「ふん。制圧部隊を退けてこちらに向かってくると聞いてどれ程のものかと思ったが。……所詮は失敗作か」
「何をする気……い、いやっ、やめ…っ!!」
男は表情を変えることもなく蛇の尾を踏み潰した。尾はもう動かなくなった。
そして扉の向こうから驚いた表情でこちらを見ているメルや、その後ろにいるであろう失敗作たちに向かって男は言った。
「くっくっく…。楽しみに待っていましたよ。よくぞあの制圧部隊を消してくれましたね! ……実に都合がいい。まさに計画通りだ。これで私の立場は保証されたも同然、感謝しますよおまえたち」
「所長……!!」
八神が叫んだ。
「あいつが……責任者か!」
「オレたちをこんな目に遭わせた張本人!」
獣たちの間にどよめきが走る。
「おやおや、八神。そんなところで何をやっているのですか? 私の審判を遂行できなかった愚か者め。ふっはっははははは、できそこない同士お似合いではありませんか!」
八神はきっ、と男を睨みつける。
「ふん、気に入らないやつめ。誰がおまえを助けてやったと思っているんだ? おまえは恩を仇で返そうというのか? ふっ、頭の悪い八神君にはお仕置きが必要なようですねぇ…」
「もう脅したって無駄よ」
八神が扉の外へと歩み出る。
所長の背後には研究員たちが横に広がってずらりと立ち並んでいた。研究員たちは揃って八神に麻酔銃を向ける。
「そんな銃で何をするつもりなの? 非適応薬は私には効果なんてないわよ。ここの研究者ならわかるでしょう」
屈みこんで倒れたキメラの身体をそっと撫でると、立ち上がり八神は再び所長を睨みつけた。
「もうおしまいよ、所長。あなたさえいなければ、もう私も彼らも苦しむことなんてない」
「”彼ら”? その失敗作どものことかね? ああ、八神。おまえは何て憐れなんでしょうねぇ、くっははは」
「どうせ任務に失敗した私にはもう後はないのでしょう? だから脅しなんてもう無意味よ。所長……私はあなたを許さない。せめて最後にあなたをこの手で止めてみせる!」
「ふ…。追い詰められて本当に頭がおかしくなってしまったか。おまえが? この私を? 止めるだって!? ははは、何を言っているのだか。今まで私の言いなりになってきたおまえに何ができるっていうんです。……できやしない」
「いいえ、私は本気よ」
「できないさ。おまえは私の奴隷に過ぎないんだよ。おまえは命令されないと何もできないんだよ。いや、その命令すらも遂行できないんでしたっけねぇ……くくく」
「違うッ! 私は…!」
「だったらやってみろ!! 止められるものなら止めてみるがいい!!」
「ううっ……うわぁぁぁあああああっ!!」
男は八神の怒りを誘った。挑発に乗せられた八神は叫びながら男に向かって銃を向ける。その手にはアマンダのライフルが握られていた。
「愚かな…。やれ!」
男の命令で、頭に血が上って無防備な八神に麻酔銃が撃ち込まれる。八神に何本もの注射器が突き立った。
「あぐっ…! …………い、言ったでしょ。こんなもの、私には何の効果もない」
注射器に込められているのは非適応薬のはずだ。ただの人間には当然何の作用も起こさない。
一瞬は怯んだ八神だったが、これくらいのことでは諦めるものかとライフルを構え直して男に向けた。
「それはたしかに、ただの人間であれば何の効果もありませんよ。ところで八神、我々の研究の目的は何だったか覚えていますか?」
「目的……? 強化軍隊とか不死の薬とかいう馬鹿げたことでしょう!」
「馬鹿げただと……まぁいい。八神、これはもちろん知っていますね?」
男が一枚の紙切れを取り出してみせる。
「これは最新の研究経過のレポートです。ちょっと読んでみましょうか。えーなになにぃ…」
八神が入力したパスワードによって開かれた扉の先には細長い一本の通路が続いていた。
「隠れられそうなところはないねぇ…。非適応薬を撃ち込まれたら一巻の終わりだよ」
「隙を見せるわけにはいかねえな。気を引き締めて行くぞ」
通路はそのまま一本道でまっすぐ進み、突き当たりには大きな扉があった。
おそらく、ここが目的の管理区画だろう。その扉は既に開かれていた。
「罠……?」
「でも、ここで立ち止まるわけにはいかないさ」
扉の奥を窺い見る。
少し広めのその部屋には、多数の端末や通信機器、研究所のメインコンピュータと思われる機械などが立ち並んでいる。
壁にはいくつもの大きなモニタ画面が。画面にはこの建物のあちこちが映し出されており、このモニタを眺めているメルたちの姿もそこに映っていた。
「やつらめ、こいつで俺たちを監視してやがったんだな」
しかし、部屋の中には所長や研究員の誰の姿もなく、監視モニタにもそれらしき姿は映っていなかった。
所長室と思われる部屋を見つけたがそこももぬけの空で、まだ仄かに温かいティーカップだけが残されていた。
一足遅く逃げられてしまったのだろうか。
「そんなはずはないわ」と八神。
入口には制圧部隊が迫っていた。制圧部隊との戦いの最中に外へ逃げ出した研究員の姿は誰も見ていない。
見落とした可能性がないとは言い切れないが、あの所長に限ってそんな危険な方法をとるとは考えられないという。
さらにこの研究所には、正面の入口以外には屋上から飛び降りでもしない限りは外部へ脱出する方法がない。
「案外、追い詰められてまさに屋上から飛び降りてたりしてね」
「あの男は研究が外部に漏れることをひどく恐れていたわ。自分の目で安全を確認でもしない限り、決して何かを信じようとはしない。そんな男が追い詰められて身を投げるような真似をするかしら」
「屋上か…。そこへはどうやって行くんだ?」
「そこから出られるわ」
管理区画には入ってきた扉と所長室への扉の他にもうひとつの扉があった。
「あと確認していないのはその屋上だけだねぇ。……でも」
屋上への扉を開けようとしてふと思いとどまった。
この部屋には窓が無いので外の様子を窺い知ることはできない。扉を開けてみない限りはそこに所長や研究員がいるのかどうかはわからないのだ。
しかし、気になるのは開け放されていた扉。そして姿の消えた研究員たち。
これが罠である可能性も否定はできなかった。なぜなら相手はこちらのことを監視していたのである。ということは、おそらくもうこちらの狙いはばれてしまっていると考えて間違いないだろう。
メルが扉を前にして思い悩んでいると、そこに獅子の頭のキメラ、ホセが割って入った。
「姐さん、悩んでいてもしかたがありません。今は立ち止まらずに進むべきです」
続いて同じキメラの今度は山羊の頭のほう、アンドレが言う。
「それにもし本当にやつらが逃げてしまっただけだったのなら、わたしたちに悩んでいる時間はありません。相手にさらに逃げる時間を与えてしまうだけです」
さらに同じキメラの今度は蛇の尾、ミランダが続ける。
「アダモフさんに代わってあたいらを率いてきてくれた姐御が悩むなんてらしくないもんさ。わかった、ここはあたいらに任せなって」
ひとつの胴体に3つの頭を持つ彼らはそれぞれ個々の意識を持つが互いに影響されるものなのであろうか、3人の意見はいつも共通していた。
アダモフを初めとしてメルやテオは、地下に幽閉されていた被検体たちに希望を与えた。アダモフは道半ばにして倒れてしまったが、ここで立ち止まってはいけない。なぜなら、それはアダモフの想いを無駄にすることになるからだ。
とくに頭だけだとはいえ、同じ獅子の姿を持つホセはアダモフに憧れ、そしてその期待に応えたいと考えていた。
アダモフがいなくなってしまったからと言ってそれは変わらない。解放軍のために行動することが亡きアダモフのためになる。
3人は誓った。アダモフのためにも進まなければならないのだと。立ち止まっている暇などないのだと。
「よし、おれたちが先行して様子を見てくる。何か分かったら合図しよう」
屋上への扉を前に息をひそめて陣形を組む。
扉の前にキメラと虎が。後の仲間はいつでも突入できる体勢だ。
ホセとメルが面と向かい合って頷き合う。
そして勢いよく扉を押しあけてホセが先陣を切って突入、素早く飛び出しながらも警戒心を忘れることなく周囲の気配を探る。
すると突然の閃光。
「くっ、目が…っ」
どうっと重い音。キメラの巨体が床に仰向けに転がった。
尾のミランダが慌てて状況を把握しようとする。
ここからはホセやアンドレの顔はよく見えないが、まるでぴくりとも動かない。
「い、一体何が起こったっていうんだい?」
いくら身に力を込めても身体は一寸たりとも動かない。
ミランダからは確認できなかったが、扉の向こうにいたメルからはよく見ることができた。獅子と山羊の頭に注射器が刺さっているのを。
動かない身体に一人の影が近付いた。
影は一歩一歩、しっかりとキメラの蛇の尾のもとへ、ミランダへと近づいて行く。
「なっ、なんだあんたは!?」
ミランダは身の危険を感じたが、まったく見動きが取ることができない。
もの言わず、男の影がさらに近付きキメラの身体のすぐ横で立ち止まった。男は値踏みするかのようにキメラを眺めまわしている。
「ふん。制圧部隊を退けてこちらに向かってくると聞いてどれ程のものかと思ったが。……所詮は失敗作か」
「何をする気……い、いやっ、やめ…っ!!」
男は表情を変えることもなく蛇の尾を踏み潰した。尾はもう動かなくなった。
そして扉の向こうから驚いた表情でこちらを見ているメルや、その後ろにいるであろう失敗作たちに向かって男は言った。
「くっくっく…。楽しみに待っていましたよ。よくぞあの制圧部隊を消してくれましたね! ……実に都合がいい。まさに計画通りだ。これで私の立場は保証されたも同然、感謝しますよおまえたち」
「所長……!!」
八神が叫んだ。
「あいつが……責任者か!」
「オレたちをこんな目に遭わせた張本人!」
獣たちの間にどよめきが走る。
「おやおや、八神。そんなところで何をやっているのですか? 私の審判を遂行できなかった愚か者め。ふっはっははははは、できそこない同士お似合いではありませんか!」
八神はきっ、と男を睨みつける。
「ふん、気に入らないやつめ。誰がおまえを助けてやったと思っているんだ? おまえは恩を仇で返そうというのか? ふっ、頭の悪い八神君にはお仕置きが必要なようですねぇ…」
「もう脅したって無駄よ」
八神が扉の外へと歩み出る。
所長の背後には研究員たちが横に広がってずらりと立ち並んでいた。研究員たちは揃って八神に麻酔銃を向ける。
「そんな銃で何をするつもりなの? 非適応薬は私には効果なんてないわよ。ここの研究者ならわかるでしょう」
屈みこんで倒れたキメラの身体をそっと撫でると、立ち上がり八神は再び所長を睨みつけた。
「もうおしまいよ、所長。あなたさえいなければ、もう私も彼らも苦しむことなんてない」
「”彼ら”? その失敗作どものことかね? ああ、八神。おまえは何て憐れなんでしょうねぇ、くっははは」
「どうせ任務に失敗した私にはもう後はないのでしょう? だから脅しなんてもう無意味よ。所長……私はあなたを許さない。せめて最後にあなたをこの手で止めてみせる!」
「ふ…。追い詰められて本当に頭がおかしくなってしまったか。おまえが? この私を? 止めるだって!? ははは、何を言っているのだか。今まで私の言いなりになってきたおまえに何ができるっていうんです。……できやしない」
「いいえ、私は本気よ」
「できないさ。おまえは私の奴隷に過ぎないんだよ。おまえは命令されないと何もできないんだよ。いや、その命令すらも遂行できないんでしたっけねぇ……くくく」
「違うッ! 私は…!」
「だったらやってみろ!! 止められるものなら止めてみるがいい!!」
「ううっ……うわぁぁぁあああああっ!!」
男は八神の怒りを誘った。挑発に乗せられた八神は叫びながら男に向かって銃を向ける。その手にはアマンダのライフルが握られていた。
「愚かな…。やれ!」
男の命令で、頭に血が上って無防備な八神に麻酔銃が撃ち込まれる。八神に何本もの注射器が突き立った。
「あぐっ…! …………い、言ったでしょ。こんなもの、私には何の効果もない」
注射器に込められているのは非適応薬のはずだ。ただの人間には当然何の作用も起こさない。
一瞬は怯んだ八神だったが、これくらいのことでは諦めるものかとライフルを構え直して男に向けた。
「それはたしかに、ただの人間であれば何の効果もありませんよ。ところで八神、我々の研究の目的は何だったか覚えていますか?」
「目的……? 強化軍隊とか不死の薬とかいう馬鹿げたことでしょう!」
「馬鹿げただと……まぁいい。八神、これはもちろん知っていますね?」
男が一枚の紙切れを取り出してみせる。
「これは最新の研究経過のレポートです。ちょっと読んでみましょうか。えーなになにぃ…」
経過1:精神の錯乱、及びショック死。適性を持たない者は直ちに死亡する。
経過2:外見の変化、錯乱及び暴走→処分
経過3:中途半端な獣化、精神が不安定で目的1を達成するには時期尚早。
一方で、必要以上の変化を見せる個体が現れる→目的2の研究に利用可能
経過4:獣人化、目的1の達成(ただし適応者のみ)。引き続き、研究を進める
経過5:完獣化を目指す。精神錯乱、暴走の再問題
経過6:逆に自我を失ってしまうようになった。これは失敗である
経過7:完獣化達成(適応者のみ)。一部に”絶対に死ねない”副作用発生(見た目はゾンビのよう)
不適応者は経過2と同様、自我を失って暴走。研究完了につき実験個体は隔離。第三目的着手……
経過2:外見の変化、錯乱及び暴走→処分
経過3:中途半端な獣化、精神が不安定で目的1を達成するには時期尚早。
一方で、必要以上の変化を見せる個体が現れる→目的2の研究に利用可能
経過4:獣人化、目的1の達成(ただし適応者のみ)。引き続き、研究を進める
経過5:完獣化を目指す。精神錯乱、暴走の再問題
経過6:逆に自我を失ってしまうようになった。これは失敗である
経過7:完獣化達成(適応者のみ)。一部に”絶対に死ねない”副作用発生(見た目はゾンビのよう)
不適応者は経過2と同様、自我を失って暴走。研究完了につき実験個体は隔離。第三目的着手……
「それが一体何だって言うの」
男がにやりと笑いながら続けて読み上げた。
「えーと、『経過8:無差別獣化成功。第一目的の試験的軍事利用開始』……ですね。さぁて、八神。この意味がおわかりですか?」
「何が言いたいの…!」
「憐れな。よろしい、無知なあなたでも理解できるように説明しましょう!」
男が合図すると、研究員の一人が再び八神に発砲した。八神の首筋に、新たに一本の注射器が突き立つ。これはさっきまでのものとは違う形をしていた。
「!?」
大きく胸が脈打う。
突然、激しい頭痛と目眩が、そして熱さが八神を襲う。
「ま、まさか」
「おわかりですか? 『経過8:無差別獣化成功』……くっくっくくくく。適性がどうとか、そんなものはもう関係ないんですよ!」
「し、しまっ……た」
八神はその場へと崩れ落ちる。
息が荒い。目が回る。身体が悲鳴を上げている。
――これが、私の罪の、報い……なのか。
ゆっくりと八神の身体に変化が起こり始める、が。
さらに一発の銃声。
「!!」
八神の尻に突き立った一本の注射器。中身は言うまでもなく非適応薬だ。
つまり適性を失った披検体は――死ぬ。
「ぐ……うう………っ! サ………………エ、ル……」
寒い。
身体が凍えるように寒い。
頭の中で大銅鑼が鳴り響き、音が一度響くごとに意識が身体から遠ざかり、引き剥がされていく。
気がだんだん遠くなる。音が遠くなる。
身体から意識が遠のく程に周囲は暗く、狭く、そして寒くなっていく。
ああ、もう、何も、見、え、な……。
男がにやりと笑いながら続けて読み上げた。
「えーと、『経過8:無差別獣化成功。第一目的の試験的軍事利用開始』……ですね。さぁて、八神。この意味がおわかりですか?」
「何が言いたいの…!」
「憐れな。よろしい、無知なあなたでも理解できるように説明しましょう!」
男が合図すると、研究員の一人が再び八神に発砲した。八神の首筋に、新たに一本の注射器が突き立つ。これはさっきまでのものとは違う形をしていた。
「!?」
大きく胸が脈打う。
突然、激しい頭痛と目眩が、そして熱さが八神を襲う。
「ま、まさか」
「おわかりですか? 『経過8:無差別獣化成功』……くっくっくくくく。適性がどうとか、そんなものはもう関係ないんですよ!」
「し、しまっ……た」
八神はその場へと崩れ落ちる。
息が荒い。目が回る。身体が悲鳴を上げている。
――これが、私の罪の、報い……なのか。
ゆっくりと八神の身体に変化が起こり始める、が。
さらに一発の銃声。
「!!」
八神の尻に突き立った一本の注射器。中身は言うまでもなく非適応薬だ。
つまり適性を失った披検体は――死ぬ。
「ぐ……うう………っ! サ………………エ、ル……」
寒い。
身体が凍えるように寒い。
頭の中で大銅鑼が鳴り響き、音が一度響くごとに意識が身体から遠ざかり、引き剥がされていく。
気がだんだん遠くなる。音が遠くなる。
身体から意識が遠のく程に周囲は暗く、狭く、そして寒くなっていく。
ああ、もう、何も、見、え、な……。
横たわる八神を前にして、男は笑っていた。
「…っはっははははは! そうとも、適性がないのなら”つくってしまえばいい”のだよ。ふっはっははははは!」
最初に撃ち込まれた麻酔弾に入っていたのは非適性薬ではなく、適性をつくる薬品だったのだ。そして次に撃ち込まれた注射器によって八神の身体に変化が始まる。しかし、そこで適性を消してしまえば……あとは言うまでもない。
「や、八神ぃーっ!!」
扉の向こうから悲痛な叫びが聞こえてきた。
「くそっ、貴様よくも八神を!」
ルーガルが飛び出すと、八神の仇と男に喰いかかろうとする。
「ま、待て! それじゃおまえもホセの二の舞だ!」
待っていたと言わんばかりに注射器が飛び交う。
咄嗟にゾンビたちが飛び出して、身を呈して人狼を庇った。
「ああ、なんてことだい。また仲間が……!」
制圧部隊との衝突のときと同じだ、とメルは思わず顔を背けた。
しかし、再び見るとそこには無事な様子のルーガルやゾンビたちの姿がある。人狼にもゾンビにもたしかに注射器は突き刺さっていた。
「こ、これは一体!?」
解放軍の仲間たちはこれに驚いた。しかし、驚いたのは彼らだけではなかった。
「ま、待て! 私はこんな報告受けていないぞ! おい、どうなっている!!」
「わ、わかりません! かつてゾンビたちを処分した例がなかったもので…」
研究員たちも不測の事態に大慌てだった。
おそらく不死の特性を持つゾンビたちや、不死の研究が始まった後に”処置”を受けたルーガルは、その特性ゆえに非適応薬を受けても死ぬことはないのだろう。思えば、人狼がアマンダ将軍に頭を撃ち抜かれたにも関わらず生きていたのはその特性のせいだったのかもしれない。
(これは……いける!)
メルはこれを勝機と見た。
そしてすぐに指示を飛ばす。
「ルーガル筆頭にゾンビたちは前へ! 壁を作って敵の弾幕を防ぐんだ! あたしらに麻酔銃はもう効かないよ、徐々に距離を詰めて一気に畳みかけるんだ!!」
「よし、おまえたちおれに続け! 今こそ怨みを晴らす時、これ以上の犠牲を出さないためにも一人も逃がすな!!」
「「ウオオオオォォ!!」」
咆哮と共に突撃。
ゾンビたちは前方にて壁となり非適応薬の攻撃を封じる。続いてテオ率いる獣やキメラたちが隙を突いて研究員に襲いかかる。非適応薬をものともしない人狼は一人、前へ出て遊撃する。
「な、なんてこった…! いざというときのための非適応薬が!」
「ひぃぃっ! こんなの敵うわけがない…。増援の制圧部隊は来ないのか!?」
慌てるがあまり屋上から飛び降りる者、自ら命を絶つ者、仲間を盾にしようとする者……。混乱に陥った研究員たちはまるで統率がとれていない。非適応薬という必殺の頼みの綱を失っては尚更だ。
逃げ惑う研究員たちは一人、また一人と倒されて、初めは数ではほぼ互角だった解放軍と研究員たちだったが、見る見るうちにその数の差は開いて行った。そしてとうとう、残るは数人と所長を残すのみとなってしまった。
目の前には失敗作たちが迫っている。彼らは研究所の屋上の角へと追い詰められて、もうどこにも逃げ場はなかった。
「しょ、所長! なんとかしてください!!」
「所長だけが頼りです! た、助けて!!」
寄りすがる研究員たちを振りほどきながら、男は何か手段はないかと必死で探る。
言うまでもなく自分だけが助かる算段だ。どうすれば、最も確実に己の地位を失うことなく場を治めることができるのか。
(こ、このままでは失敗作どもが外部へと逃げ出して行ってしまう。それはだめだ! それでは研究が明るみになってしまう。もう八神もいないし、このままでは私が責任に問われてしまう! だめだ、だめだだめだだめだ。このできそこないどもを生きて帰すわけにはいかない!!)
じりじりと獣たちは距離を詰める。
すると、怯えた研究員たちは所長にすがり、しがみつく。
「ええい、うるさい! 邪魔だ、私に触るなぁ!!」
振り払われた研究員たちは、ある者は獣の餌食に。ある者は屋上から下へ真っ逆さまに落ちて行った。
「ぐぁぁあああ……」
「しょ、所長……そんな酷い……」
そして残るはとうとうこの男、所長だけになってしまった。
仲間たちを掻き分けてメルが先頭へと出て言った。
「あんたが責任者かい? さぁて、観念をおし。もうあんた一人だけさ。命が惜しかったら吐いてもらうよ! あたしらをもとに戻す方法はあるのかい!? 研究所はここだけなのかい!?」
メルが低く唸り声を上げながら詰め寄るが、男は全く意にも介さない様子でただひたすら難しい顔をして唸るのみだ。
そして、ふっと一瞬穏やかな表情になったかと思うと、顔色の悪い様子で不気味に笑い始めた。
「は……はは、ひゃ、っは。はは、はははは…。あっはっはははははははははははははは!!!」
獣たちはその様子に思わずたじろいだ。
「な、なんだ?! 気味が悪ぃ…」
「きっと追い詰められておかしくなったんだ。憐れなやつだな」
しかし決してそうではなかった。
「天才だ。私は天才だよ……くっくくく。どうして今までこんなことに気がつかなかったんだ」
男は諦めたわけでも、狂ったわけでもなかった。いや、初めから狂ってはいたのかもしれないが。
ついに見つけたのだ。自分が最も確実に助かる方法を。
「そうだよ、八神君。やはりあなたには感謝しますよ。最後の最後におまえは私を救ってくれたのだからね!」
今となっては男は八神と同じ立場だった。
もう後はない。このままではこの失態の責任を問われて”主”から罰を受けることになるだろう。いや、それ以前に目の前にいる失敗作たちは男を許すことなどできない。情報を引き出すために今は生かされているのかもしれないが、用が済めばすぐにでも殺されてしまうだろう。
待っているのは死の運命――
「だが……私は死なん!!」
男は懐から注射器を取り出すと、それを自分の腕に突き立てた。
「な、なんだ!?」
咄嗟のことに誰もそれを止めることなどできなかった。
「八神ぃ…。おまえの言うとおりだ。相手の言いなりになっているから逃げ道が塞がってしまうのだよ…!」
目の前で男の筋肉が異常に発達し始める。
「こいつ、何をしやがった!」
「ふははは…。まだ未完成ではあるが研究していた不死薬が役に立つときが来た! 主など知るか。所長なんて小さい座などもう知るか。私こそが”主”になってやる…。私は死を超越する…! 私は人を越える…!! 私が主……神になってやるのだ!! 研究の成果を主にくれてやるぐらいなら私が有効に使ってやるわ!!」
男の身体は急速に変化を見せ、それはとくに胴体の筋肉を中心に大きく発達していった。
胴体は肥大化し、まるで壁のようになる。皮膚は薄暗く変色し、徐々に硬質化していく。
「うおお…。力がみなぎってくるではないか。なんと素晴らしい…!」
さらに身体は肥大化し、もとの四肢は成長した胴体に埋もれて先端部分以外は見えなくなってしまった。
腹部や背はさらに硬化し、もはや獣たちがいくら爪を立てても牙を立てても傷一つ付けられない程になった。まさに鉄壁の護り。もはや何者も彼を傷つけることはできない。
「これで私は不死身にして無敵だ!! 誰も私を倒すことなど不可の……ぐ、ううっ!?」
肥大化した身体はそれ相応の質量を有し、その重さに敵わず男は仰向けに倒れてしまった。たとえ鉄壁の護りを持とうとも、重力には何者も抗えない。
その酷く重量のある身体を男は自らの力で起き上がらせることができない。
その姿はさながら……否、まさしく巨大な亀そのものだった。
「なんだこいつ…。勝手に自滅しやがった」
「神じゃなくて亀になっちまったねぇ…」
甲羅と化した胴体からは、申し訳程度に四肢やいつの間にか生えていた尾が姿を覗かせていた。
「なんだこれは……!? こ、こんなはずでは…! こんなのは嫌だ。こんな姿のまま生きるぐらいならせめて死なせてくれ! ひ、非適応薬を!!」
「……残念だったな。不死の特性を持つ者に非適応薬は効かない。今まで同じ苦しみを大勢に与えてきたんだ。せめて同じ苦しみを味わって報いを受けるがいいさ。……永遠にな!!」
「や、やめろ…」
ヒレのように変化した四肢をばたつかせながら亀は必死に抵抗するが、ひっくり返ったままの姿でどうすることもできない。ルーガルは亀をゆっくりと、しかししっかりと持ち上げると、力任せにそれを放り投げてしまった。
「やめろぉぉおおおおおお!!」
亀は勢いよく回転しながら宙を舞うとそのまま研究所の向こう、表の病院のさらに先に見える海へと飛んで行った。
「亀は長生きだってか。一生そのまま苦しんでいるがいい。これは今までおまえたちに苦しめられて来たみんなの分だ」
不死薬は中途半端に完成していたのだ。
男はこれから永遠に巨大な亀として生きていくことを運命づけられた。この星が滅ぶ日が来るそのときまで。いや、不死の亀はたとえ宇宙に放り出されても死なないかもしれない。
こうして彼らの復讐は完了した。
もとに戻る方法は見つからなかったが、少なくともこれで新たな犠牲者が増えることはもうない。
「…っはっははははは! そうとも、適性がないのなら”つくってしまえばいい”のだよ。ふっはっははははは!」
最初に撃ち込まれた麻酔弾に入っていたのは非適性薬ではなく、適性をつくる薬品だったのだ。そして次に撃ち込まれた注射器によって八神の身体に変化が始まる。しかし、そこで適性を消してしまえば……あとは言うまでもない。
「や、八神ぃーっ!!」
扉の向こうから悲痛な叫びが聞こえてきた。
「くそっ、貴様よくも八神を!」
ルーガルが飛び出すと、八神の仇と男に喰いかかろうとする。
「ま、待て! それじゃおまえもホセの二の舞だ!」
待っていたと言わんばかりに注射器が飛び交う。
咄嗟にゾンビたちが飛び出して、身を呈して人狼を庇った。
「ああ、なんてことだい。また仲間が……!」
制圧部隊との衝突のときと同じだ、とメルは思わず顔を背けた。
しかし、再び見るとそこには無事な様子のルーガルやゾンビたちの姿がある。人狼にもゾンビにもたしかに注射器は突き刺さっていた。
「こ、これは一体!?」
解放軍の仲間たちはこれに驚いた。しかし、驚いたのは彼らだけではなかった。
「ま、待て! 私はこんな報告受けていないぞ! おい、どうなっている!!」
「わ、わかりません! かつてゾンビたちを処分した例がなかったもので…」
研究員たちも不測の事態に大慌てだった。
おそらく不死の特性を持つゾンビたちや、不死の研究が始まった後に”処置”を受けたルーガルは、その特性ゆえに非適応薬を受けても死ぬことはないのだろう。思えば、人狼がアマンダ将軍に頭を撃ち抜かれたにも関わらず生きていたのはその特性のせいだったのかもしれない。
(これは……いける!)
メルはこれを勝機と見た。
そしてすぐに指示を飛ばす。
「ルーガル筆頭にゾンビたちは前へ! 壁を作って敵の弾幕を防ぐんだ! あたしらに麻酔銃はもう効かないよ、徐々に距離を詰めて一気に畳みかけるんだ!!」
「よし、おまえたちおれに続け! 今こそ怨みを晴らす時、これ以上の犠牲を出さないためにも一人も逃がすな!!」
「「ウオオオオォォ!!」」
咆哮と共に突撃。
ゾンビたちは前方にて壁となり非適応薬の攻撃を封じる。続いてテオ率いる獣やキメラたちが隙を突いて研究員に襲いかかる。非適応薬をものともしない人狼は一人、前へ出て遊撃する。
「な、なんてこった…! いざというときのための非適応薬が!」
「ひぃぃっ! こんなの敵うわけがない…。増援の制圧部隊は来ないのか!?」
慌てるがあまり屋上から飛び降りる者、自ら命を絶つ者、仲間を盾にしようとする者……。混乱に陥った研究員たちはまるで統率がとれていない。非適応薬という必殺の頼みの綱を失っては尚更だ。
逃げ惑う研究員たちは一人、また一人と倒されて、初めは数ではほぼ互角だった解放軍と研究員たちだったが、見る見るうちにその数の差は開いて行った。そしてとうとう、残るは数人と所長を残すのみとなってしまった。
目の前には失敗作たちが迫っている。彼らは研究所の屋上の角へと追い詰められて、もうどこにも逃げ場はなかった。
「しょ、所長! なんとかしてください!!」
「所長だけが頼りです! た、助けて!!」
寄りすがる研究員たちを振りほどきながら、男は何か手段はないかと必死で探る。
言うまでもなく自分だけが助かる算段だ。どうすれば、最も確実に己の地位を失うことなく場を治めることができるのか。
(こ、このままでは失敗作どもが外部へと逃げ出して行ってしまう。それはだめだ! それでは研究が明るみになってしまう。もう八神もいないし、このままでは私が責任に問われてしまう! だめだ、だめだだめだだめだ。このできそこないどもを生きて帰すわけにはいかない!!)
じりじりと獣たちは距離を詰める。
すると、怯えた研究員たちは所長にすがり、しがみつく。
「ええい、うるさい! 邪魔だ、私に触るなぁ!!」
振り払われた研究員たちは、ある者は獣の餌食に。ある者は屋上から下へ真っ逆さまに落ちて行った。
「ぐぁぁあああ……」
「しょ、所長……そんな酷い……」
そして残るはとうとうこの男、所長だけになってしまった。
仲間たちを掻き分けてメルが先頭へと出て言った。
「あんたが責任者かい? さぁて、観念をおし。もうあんた一人だけさ。命が惜しかったら吐いてもらうよ! あたしらをもとに戻す方法はあるのかい!? 研究所はここだけなのかい!?」
メルが低く唸り声を上げながら詰め寄るが、男は全く意にも介さない様子でただひたすら難しい顔をして唸るのみだ。
そして、ふっと一瞬穏やかな表情になったかと思うと、顔色の悪い様子で不気味に笑い始めた。
「は……はは、ひゃ、っは。はは、はははは…。あっはっはははははははははははははは!!!」
獣たちはその様子に思わずたじろいだ。
「な、なんだ?! 気味が悪ぃ…」
「きっと追い詰められておかしくなったんだ。憐れなやつだな」
しかし決してそうではなかった。
「天才だ。私は天才だよ……くっくくく。どうして今までこんなことに気がつかなかったんだ」
男は諦めたわけでも、狂ったわけでもなかった。いや、初めから狂ってはいたのかもしれないが。
ついに見つけたのだ。自分が最も確実に助かる方法を。
「そうだよ、八神君。やはりあなたには感謝しますよ。最後の最後におまえは私を救ってくれたのだからね!」
今となっては男は八神と同じ立場だった。
もう後はない。このままではこの失態の責任を問われて”主”から罰を受けることになるだろう。いや、それ以前に目の前にいる失敗作たちは男を許すことなどできない。情報を引き出すために今は生かされているのかもしれないが、用が済めばすぐにでも殺されてしまうだろう。
待っているのは死の運命――
「だが……私は死なん!!」
男は懐から注射器を取り出すと、それを自分の腕に突き立てた。
「な、なんだ!?」
咄嗟のことに誰もそれを止めることなどできなかった。
「八神ぃ…。おまえの言うとおりだ。相手の言いなりになっているから逃げ道が塞がってしまうのだよ…!」
目の前で男の筋肉が異常に発達し始める。
「こいつ、何をしやがった!」
「ふははは…。まだ未完成ではあるが研究していた不死薬が役に立つときが来た! 主など知るか。所長なんて小さい座などもう知るか。私こそが”主”になってやる…。私は死を超越する…! 私は人を越える…!! 私が主……神になってやるのだ!! 研究の成果を主にくれてやるぐらいなら私が有効に使ってやるわ!!」
男の身体は急速に変化を見せ、それはとくに胴体の筋肉を中心に大きく発達していった。
胴体は肥大化し、まるで壁のようになる。皮膚は薄暗く変色し、徐々に硬質化していく。
「うおお…。力がみなぎってくるではないか。なんと素晴らしい…!」
さらに身体は肥大化し、もとの四肢は成長した胴体に埋もれて先端部分以外は見えなくなってしまった。
腹部や背はさらに硬化し、もはや獣たちがいくら爪を立てても牙を立てても傷一つ付けられない程になった。まさに鉄壁の護り。もはや何者も彼を傷つけることはできない。
「これで私は不死身にして無敵だ!! 誰も私を倒すことなど不可の……ぐ、ううっ!?」
肥大化した身体はそれ相応の質量を有し、その重さに敵わず男は仰向けに倒れてしまった。たとえ鉄壁の護りを持とうとも、重力には何者も抗えない。
その酷く重量のある身体を男は自らの力で起き上がらせることができない。
その姿はさながら……否、まさしく巨大な亀そのものだった。
「なんだこいつ…。勝手に自滅しやがった」
「神じゃなくて亀になっちまったねぇ…」
甲羅と化した胴体からは、申し訳程度に四肢やいつの間にか生えていた尾が姿を覗かせていた。
「なんだこれは……!? こ、こんなはずでは…! こんなのは嫌だ。こんな姿のまま生きるぐらいならせめて死なせてくれ! ひ、非適応薬を!!」
「……残念だったな。不死の特性を持つ者に非適応薬は効かない。今まで同じ苦しみを大勢に与えてきたんだ。せめて同じ苦しみを味わって報いを受けるがいいさ。……永遠にな!!」
「や、やめろ…」
ヒレのように変化した四肢をばたつかせながら亀は必死に抵抗するが、ひっくり返ったままの姿でどうすることもできない。ルーガルは亀をゆっくりと、しかししっかりと持ち上げると、力任せにそれを放り投げてしまった。
「やめろぉぉおおおおおお!!」
亀は勢いよく回転しながら宙を舞うとそのまま研究所の向こう、表の病院のさらに先に見える海へと飛んで行った。
「亀は長生きだってか。一生そのまま苦しんでいるがいい。これは今までおまえたちに苦しめられて来たみんなの分だ」
不死薬は中途半端に完成していたのだ。
男はこれから永遠に巨大な亀として生きていくことを運命づけられた。この星が滅ぶ日が来るそのときまで。いや、不死の亀はたとえ宇宙に放り出されても死なないかもしれない。
こうして彼らの復讐は完了した。
もとに戻る方法は見つからなかったが、少なくともこれで新たな犠牲者が増えることはもうない。
――かのように思われたが、後にこの研究所で気がかりな資料が発見された。
あの男、研究所メディカル=エデンの所長はサマエルのコードネームを持ち、この”研究”の幹部の一人に過ぎなかったのだ。
資料は”主”の存在と、ラミエルやラグエルなどと呼ばれる別の幹部の存在を示していた。
「エル……天使の名か。神や天使を騙るとは。研究内容もさることながら、一体どれだけ神への冒涜をするつもりなんだ、こいつらは」
「どうせ自分が神だとでも思っているんでしょ。それよりも、まだ戦いは終わっていなかったのかと落胆することはないよ。これはあたしらにとっての希望でもあるんだ。まだもとに戻れる可能性があるってことだからねぇ」
「そうだな。それにあんな研究がまだ残っているとわかった以上、それを放っておくわけにもいかねえ。アダモフの遺志を継いでおれたちは闘い続けるさ。これ以上の犠牲者を出さないために!」
資料は”主”の存在と、ラミエルやラグエルなどと呼ばれる別の幹部の存在を示していた。
「エル……天使の名か。神や天使を騙るとは。研究内容もさることながら、一体どれだけ神への冒涜をするつもりなんだ、こいつらは」
「どうせ自分が神だとでも思っているんでしょ。それよりも、まだ戦いは終わっていなかったのかと落胆することはないよ。これはあたしらにとっての希望でもあるんだ。まだもとに戻れる可能性があるってことだからねぇ」
「そうだな。それにあんな研究がまだ残っているとわかった以上、それを放っておくわけにもいかねえ。アダモフの遺志を継いでおれたちは闘い続けるさ。これ以上の犠牲者を出さないために!」
こうしてすべての研究所を壊滅させるために解放軍の仲間たちは各地に散って行った。
この日を境に世界各地であらゆる施設での不審な事故や、新種の動物の目撃情報、言葉を話す獣の伝説などを耳にするようになるのだが、それはまた別のお話である……。
しかし忘れないでほしい。
歴史には決して語られぬ、人々を奇怪な研究から守るために人知れず闘った、かつては人だった者たちの存在が確かにあったということを。
この日を境に世界各地であらゆる施設での不審な事故や、新種の動物の目撃情報、言葉を話す獣の伝説などを耳にするようになるのだが、それはまた別のお話である……。
しかし忘れないでほしい。
歴史には決して語られぬ、人々を奇怪な研究から守るために人知れず闘った、かつては人だった者たちの存在が確かにあったということを。