Chapter21「竜の涙」
「――以上が我々の調査でわかったことです」
バルハラ屋上。ウィルオンはラルガ、ヴァイルからゼロの過去についてを知らされた。
ゼロはオーシャンのために魔竜を封印しようとしていた。
そこにケツァルの王家は全く関係がない。ただオーシャンを喜ばせるためだけにゼロは行動していた。
オーシャンの無念を晴らすことで、あの世で彼女が笑ってくることを信じて。
「どうやら私が初代様を慕っていたように、ゼロはオーシャンを慕っていたようですね」
「おまえ、その初代様を一度裏切ったじゃないか」
「あ、あれはただの勘違いだったんです! 私はただ国のためを思って…」
「ああ、わかってるよ。そのことはもういい。しかし、どうしたものだろうな。ゼロの考えも理解できないことはない。けど、ティルは俺にとって大事な友達なんだ。なんとかティルも助けてゼロも納得できる方法があればいいんだけど」
一方を立てればもう一方が立たず。そんなことはよくあることだ。
両者が納得できる答えがあればそれが理想ではあるが、そういった答えはそう簡単には見つからない。
大抵はどちらかが折れるか、両者が妥協するしかないのが常だ。
絶対的な善も悪も存在しない。ただ立場によって敵になるか味方になるか、それだけに過ぎないのだ。
「最も効率的に敵を無くす手段としては、その敵を味方にしてしまうのがいいと聞いたことがありますけどね」
「ゼロを味方に? たしかにそれができれば一番いいけど、ケツァルが眼中にないあいつを俺が説得できるとは思えないな」
「ウィルオン様。ゼロを味方にするのもよろしいとは思いますが、それではムスペを敵として据えることになってしまいます。これは今後の我が国の将来にも関わる問題、他国との無用なトラブルは避けたいところです」
「というと?」
「ムスペを味方につける方法を考えたほうが得策でしょう。ここでムスペと親交を深めておけば、それはいずれ我が国にとって有利にはたらくでしょう。売れる恩は売れるうちに売っておくべきです」
「つまりゼロを見捨てろってことか。両方を味方にしてしまうことはできないのか?」
「それが理想ですが……あまり現実的な案とは言えませんね。やはりどちらかを味方につけてしまうほうが確実です。そして我々は立場上、ムスペを味方につけざるを得ないでしょう」
敵の敵は味方、とはよく言うが、敵の味方は敵とは限らない。
互いに目的が同じなら手を組むこともあるだろう、というのが敵の敵は味方の考え方だ。
そう考えるなら敵の味方が、本当に敵の仲間なのか、手を組んでいるだけなのかを分けて考えることができる。
この件においてはゼロは魔竜を絶対的に敵視しているが、セルシウスは相対的に敵視しているだけに過ぎない。
つまり、ゼロは魔竜の封印そのものを目的としているが、セルシウスはケツァルとの約束を重視しているのであって、魔竜の封印そのものが目的というわけではないのだ。
たしかにゼロとセルシウスは魔竜の封印を目指しているが、最終的な目的は互いに異なる。
また両者の境遇は同じように見えてそれは異なる。
ゼロは故オーシャンに、セルシウスは故ケツァルに義を通そうとしている。
しかし、セルシウスはケツァルから直接約束を受けたのに対して、ゼロは自身の思い込みで行動している節があるのだ。
たしかにオーシャンは「私に代わってリムリプスをお願い」とゼロやフロウに託した。なぜならそれがオーシャンがケツァルから受けた天竜としての使命だったからだ。
ここでセルシウスやオーシャンに共通するのは、ケツァルに義を通すために魔竜を封印しようとしていることだ。
そこに私情は関与しない。それが自身の役目だからそうする。それだけだ。
だがゼロは違う。
オーシャンに義を通すために魔竜を封印しようとしているところはゼロにもある。だがそれだけではない。
結果的にオーシャンを死に追いやった魔竜そのものをゼロは憎んでいた。そこに私情を挟んでいるのだ。
それゆえにゼロは魔竜に固執する。
そこがゼロと、オーシャンやセルシウスとの決定的な違いだった。
だからこそ、ゼロは魔竜の封印そのものを目的としてしまっているのだ。
一方で魔竜の封印はあくまで目的のための手段でしかないセルシウス側においては、まだ手段を改める余地がある。
その余地にこそ何か解決の糸口があるはずだ。
「――ですから、ムスペを味方につけたほうがまだリムリプスを封印せずにすむ可能性は高いでしょうね」
「なるほど…。って待てよ。ラルガ、それはつまりティルを助けるのを協力してくれるということだよな。おまえは初代ケツァルにも仕えていたんだろ。その初代の意向に反することになるが、おまえはいいのか?」
「意向に反することと裏切ることは違います。私は参謀ですからね。王が間違ったことをしようとすればそれを正すのが私の役目。それはたまに勘違いもしますけど……私は私なりの正義で考えます。そして今回はたまたまウィルオン様とその考える方向が同じだったというだけのことですよ」
「ラルガ…!」
「それに今の私はウィルオン様に仕えているのですから。ウィルオン様の命令とあれば、家臣はそれに従うのが当然というものです。もちろん、参謀としてご意見はさせていただきますけどね」
「俺も同様。何が正しいかは己の目で見極める。兵とは剣だ。剣は敵を殺すのがその役目。その役目をよく知っているからこそ、剣は味方を護ることもできる。俺は元帥としてその剣を束ねるのが役目。ただ意味もなく刃を振り回すのが本当の力ではない」
「ヴァイル…!」
「俺が忠誠を誓うのは火竜王様だが、我が主はケツァル王国のためにそれを護る剣となれと命じられた。国を護るためには王を護らねばならん。今度こそ俺はこの国を護るとここに誓おう。必要とあれば俺を剣として、兵たちに剣の誓約を捧げればいい」
王が側近、蒼と紅の竜は仕えるべき主に頭を垂れて忠節の意を表した。
「おまえたち…」
「「なんなりとご命令を」」
「ありがとう。それでは、是非とも俺におまえたちの力を貸してくれ」
誰も俺の話を聞いてくれない?
それは間違いだった。こんなに近くに俺の話をしっかりと受け止めてくれる存在がいた。
ただそれに気が付けなかっただけだったのだ。
「それなら、やることは決まった。だがその前にあいつと話をしておかなければならないな」
運命は……未来は変えられる。
しかしそれがすでに確定してしまった避けられない運命なら、それは受け入れるしかない。
その上で可能な限り運命に抗うべきなのだ。
行こう。俺の話をしっかりと受け止めてくれるもうひとつの仲間のもとへ。運命を受け入れるために。
バルハラ屋上。ウィルオンはラルガ、ヴァイルからゼロの過去についてを知らされた。
ゼロはオーシャンのために魔竜を封印しようとしていた。
そこにケツァルの王家は全く関係がない。ただオーシャンを喜ばせるためだけにゼロは行動していた。
オーシャンの無念を晴らすことで、あの世で彼女が笑ってくることを信じて。
「どうやら私が初代様を慕っていたように、ゼロはオーシャンを慕っていたようですね」
「おまえ、その初代様を一度裏切ったじゃないか」
「あ、あれはただの勘違いだったんです! 私はただ国のためを思って…」
「ああ、わかってるよ。そのことはもういい。しかし、どうしたものだろうな。ゼロの考えも理解できないことはない。けど、ティルは俺にとって大事な友達なんだ。なんとかティルも助けてゼロも納得できる方法があればいいんだけど」
一方を立てればもう一方が立たず。そんなことはよくあることだ。
両者が納得できる答えがあればそれが理想ではあるが、そういった答えはそう簡単には見つからない。
大抵はどちらかが折れるか、両者が妥協するしかないのが常だ。
絶対的な善も悪も存在しない。ただ立場によって敵になるか味方になるか、それだけに過ぎないのだ。
「最も効率的に敵を無くす手段としては、その敵を味方にしてしまうのがいいと聞いたことがありますけどね」
「ゼロを味方に? たしかにそれができれば一番いいけど、ケツァルが眼中にないあいつを俺が説得できるとは思えないな」
「ウィルオン様。ゼロを味方にするのもよろしいとは思いますが、それではムスペを敵として据えることになってしまいます。これは今後の我が国の将来にも関わる問題、他国との無用なトラブルは避けたいところです」
「というと?」
「ムスペを味方につける方法を考えたほうが得策でしょう。ここでムスペと親交を深めておけば、それはいずれ我が国にとって有利にはたらくでしょう。売れる恩は売れるうちに売っておくべきです」
「つまりゼロを見捨てろってことか。両方を味方にしてしまうことはできないのか?」
「それが理想ですが……あまり現実的な案とは言えませんね。やはりどちらかを味方につけてしまうほうが確実です。そして我々は立場上、ムスペを味方につけざるを得ないでしょう」
敵の敵は味方、とはよく言うが、敵の味方は敵とは限らない。
互いに目的が同じなら手を組むこともあるだろう、というのが敵の敵は味方の考え方だ。
そう考えるなら敵の味方が、本当に敵の仲間なのか、手を組んでいるだけなのかを分けて考えることができる。
この件においてはゼロは魔竜を絶対的に敵視しているが、セルシウスは相対的に敵視しているだけに過ぎない。
つまり、ゼロは魔竜の封印そのものを目的としているが、セルシウスはケツァルとの約束を重視しているのであって、魔竜の封印そのものが目的というわけではないのだ。
たしかにゼロとセルシウスは魔竜の封印を目指しているが、最終的な目的は互いに異なる。
また両者の境遇は同じように見えてそれは異なる。
ゼロは故オーシャンに、セルシウスは故ケツァルに義を通そうとしている。
しかし、セルシウスはケツァルから直接約束を受けたのに対して、ゼロは自身の思い込みで行動している節があるのだ。
たしかにオーシャンは「私に代わってリムリプスをお願い」とゼロやフロウに託した。なぜならそれがオーシャンがケツァルから受けた天竜としての使命だったからだ。
ここでセルシウスやオーシャンに共通するのは、ケツァルに義を通すために魔竜を封印しようとしていることだ。
そこに私情は関与しない。それが自身の役目だからそうする。それだけだ。
だがゼロは違う。
オーシャンに義を通すために魔竜を封印しようとしているところはゼロにもある。だがそれだけではない。
結果的にオーシャンを死に追いやった魔竜そのものをゼロは憎んでいた。そこに私情を挟んでいるのだ。
それゆえにゼロは魔竜に固執する。
そこがゼロと、オーシャンやセルシウスとの決定的な違いだった。
だからこそ、ゼロは魔竜の封印そのものを目的としてしまっているのだ。
一方で魔竜の封印はあくまで目的のための手段でしかないセルシウス側においては、まだ手段を改める余地がある。
その余地にこそ何か解決の糸口があるはずだ。
「――ですから、ムスペを味方につけたほうがまだリムリプスを封印せずにすむ可能性は高いでしょうね」
「なるほど…。って待てよ。ラルガ、それはつまりティルを助けるのを協力してくれるということだよな。おまえは初代ケツァルにも仕えていたんだろ。その初代の意向に反することになるが、おまえはいいのか?」
「意向に反することと裏切ることは違います。私は参謀ですからね。王が間違ったことをしようとすればそれを正すのが私の役目。それはたまに勘違いもしますけど……私は私なりの正義で考えます。そして今回はたまたまウィルオン様とその考える方向が同じだったというだけのことですよ」
「ラルガ…!」
「それに今の私はウィルオン様に仕えているのですから。ウィルオン様の命令とあれば、家臣はそれに従うのが当然というものです。もちろん、参謀としてご意見はさせていただきますけどね」
「俺も同様。何が正しいかは己の目で見極める。兵とは剣だ。剣は敵を殺すのがその役目。その役目をよく知っているからこそ、剣は味方を護ることもできる。俺は元帥としてその剣を束ねるのが役目。ただ意味もなく刃を振り回すのが本当の力ではない」
「ヴァイル…!」
「俺が忠誠を誓うのは火竜王様だが、我が主はケツァル王国のためにそれを護る剣となれと命じられた。国を護るためには王を護らねばならん。今度こそ俺はこの国を護るとここに誓おう。必要とあれば俺を剣として、兵たちに剣の誓約を捧げればいい」
王が側近、蒼と紅の竜は仕えるべき主に頭を垂れて忠節の意を表した。
「おまえたち…」
「「なんなりとご命令を」」
「ありがとう。それでは、是非とも俺におまえたちの力を貸してくれ」
誰も俺の話を聞いてくれない?
それは間違いだった。こんなに近くに俺の話をしっかりと受け止めてくれる存在がいた。
ただそれに気が付けなかっただけだったのだ。
「それなら、やることは決まった。だがその前にあいつと話をしておかなければならないな」
運命は……未来は変えられる。
しかしそれがすでに確定してしまった避けられない運命なら、それは受け入れるしかない。
その上で可能な限り運命に抗うべきなのだ。
行こう。俺の話をしっかりと受け止めてくれるもうひとつの仲間のもとへ。運命を受け入れるために。
「そうか、それで母さんは…」
一方でナープたちはティルが知る限りのゼロの過去についてを知らされていた。
「ごめん」
「ティルのせいじゃないよ。それで恨んだりはしない」
「まぁ、お父さんボクらが物心つく前からいなかったわけだしね」
「でも俺の親父は違った。つまり、オーシャンの仇を討とうとしてるってことなんだろ?」
父親に対して怒りを募らせるリクにウィザは言った。
「ちょっと違うんじゃないかな。聞いてて思ったんだけど、ゼロってディサに少し似てるんだ。師匠想いなところがね。ゼロは師匠のオーシャンの幸せを思って、ティルを封印しようとしてるんだと思う」
「でもその師匠はもういないんだろ。師匠の幸せも何もないじゃないか」
「そう単純なものじゃないんだよ。そうだね……師匠の幸せというか、ゼロ自身の心の整理ができてないと言ったらいいのかな」
死者はもう話さない。泣かない。笑わない。
ほとんどの国に死んだ者はあの世にいくという信仰が存在するが、実際には死後は無でしかない。
死んだ者に対して葬式を行うのは、死者を喜ばせるためではない。死者は喜ばない。無だからだ。
ではなぜ行うのか。
それは残された者たちの心の整理のためなのだ。
葬儀を行うことで別れを受け入れる。決別する。
本来は葬儀とはそういう意味合いの儀式なのだ。
しかし、それでも愛すべき存在を失った苦しみを忘れられない者たちがいる。
そんな者たちの心を救うために、あの世で自分たちを見守ってくれているという考えは生まれる。
死者を敬うというのは、死者のためではなく残された者たちのためなのだ。
死者への畏敬とは、裏返せば失った者への愛の表れなのだ。
「本当にそのお師匠さんを大切に思ってたのね」
「それがなんだ。親父はただ未練たらしく引きずってるだけじゃないか! それよりももっとお袋を大切にしろってんだ」
「そのおふくろさんに説得してもらうことはできないの?」
「いや、もういないんだよ」
「ああ…ごめん」
失った者への愛が死者への敬意として表れる。
しかし、時にはその失った者を他の者で代用しようと試みる心理が働く場合もある。
ゼロの場合がそうだった。
早くに母親を失い、父は家庭を顧みず、また妻にも先立たれてしまった。
ゼロの心は空っぽだった。
そこに現れたのがオーシャンだった。
ゼロは母親や妻へと向けていた愛をオーシャンへと向けてしまった。
それはゼロの歪んだ愛だった。
「そんなことをしても……死んだ者はもう帰っては来ないんだよ…」
早くに母親を失い、父は家庭を顧みない。そういう点ではリクも同じ境遇だった。
ただ違ったのは、リクには周囲に祖父ウクツや信じられる友がいたことだ。
あるいはリクがティルに依存するのはゼロのオーシャンへのものと近いものがあるのかもしれない。
しかし、仲間の存在が心の暴走を防いだのだった。
「そうだ。ウクツは説得できないのか? ゼロの父さんなんだろ」
「じいちゃんか。……どうかな。あまり仲よさそうじゃないし、ティルを助けることもあまり乗り気じゃなかったしな。国の問題だから手が出せないって」
似た境遇のリクをゼロがティルを渡すよううまく説得できなかったように、ウクツもまたゼロをうまく説得することはできないだろう。
ウクツとゼロ。ゼロとリク。
この親子は血が繋がっているにも関わらず、互いに疎遠過ぎたのだ。
「やっぱりゼロを説得するのは難しそうだね。火竜王を説得する方法を考えようよ」
「あっ、そうだった。セルシウスのこと調べるんだったね。じゃあムスペに行かなきゃ!」
「おまえ絶対ムスペまんじゅう目当てだろ。心配だ、僕もついていく」
クリア、サーフ、そしてナープは再びムスペへと向かうことに決めた。
「うーん。ボクはちょっとお師匠様に相談してみようかな。ディサに話を聞くのも参考になるかも」
ウィザは再び師匠のいるルーンへと向かうことに決めた。
「そうか。俺はもう少し考えてみるよ」
ナープたち、そしてウィザは空へと飛び立っていった。
ホワイトプラトウの洞窟にはリク、リシェ、ティルだけが残った。
一方でナープたちはティルが知る限りのゼロの過去についてを知らされていた。
「ごめん」
「ティルのせいじゃないよ。それで恨んだりはしない」
「まぁ、お父さんボクらが物心つく前からいなかったわけだしね」
「でも俺の親父は違った。つまり、オーシャンの仇を討とうとしてるってことなんだろ?」
父親に対して怒りを募らせるリクにウィザは言った。
「ちょっと違うんじゃないかな。聞いてて思ったんだけど、ゼロってディサに少し似てるんだ。師匠想いなところがね。ゼロは師匠のオーシャンの幸せを思って、ティルを封印しようとしてるんだと思う」
「でもその師匠はもういないんだろ。師匠の幸せも何もないじゃないか」
「そう単純なものじゃないんだよ。そうだね……師匠の幸せというか、ゼロ自身の心の整理ができてないと言ったらいいのかな」
死者はもう話さない。泣かない。笑わない。
ほとんどの国に死んだ者はあの世にいくという信仰が存在するが、実際には死後は無でしかない。
死んだ者に対して葬式を行うのは、死者を喜ばせるためではない。死者は喜ばない。無だからだ。
ではなぜ行うのか。
それは残された者たちの心の整理のためなのだ。
葬儀を行うことで別れを受け入れる。決別する。
本来は葬儀とはそういう意味合いの儀式なのだ。
しかし、それでも愛すべき存在を失った苦しみを忘れられない者たちがいる。
そんな者たちの心を救うために、あの世で自分たちを見守ってくれているという考えは生まれる。
死者を敬うというのは、死者のためではなく残された者たちのためなのだ。
死者への畏敬とは、裏返せば失った者への愛の表れなのだ。
「本当にそのお師匠さんを大切に思ってたのね」
「それがなんだ。親父はただ未練たらしく引きずってるだけじゃないか! それよりももっとお袋を大切にしろってんだ」
「そのおふくろさんに説得してもらうことはできないの?」
「いや、もういないんだよ」
「ああ…ごめん」
失った者への愛が死者への敬意として表れる。
しかし、時にはその失った者を他の者で代用しようと試みる心理が働く場合もある。
ゼロの場合がそうだった。
早くに母親を失い、父は家庭を顧みず、また妻にも先立たれてしまった。
ゼロの心は空っぽだった。
そこに現れたのがオーシャンだった。
ゼロは母親や妻へと向けていた愛をオーシャンへと向けてしまった。
それはゼロの歪んだ愛だった。
「そんなことをしても……死んだ者はもう帰っては来ないんだよ…」
早くに母親を失い、父は家庭を顧みない。そういう点ではリクも同じ境遇だった。
ただ違ったのは、リクには周囲に祖父ウクツや信じられる友がいたことだ。
あるいはリクがティルに依存するのはゼロのオーシャンへのものと近いものがあるのかもしれない。
しかし、仲間の存在が心の暴走を防いだのだった。
「そうだ。ウクツは説得できないのか? ゼロの父さんなんだろ」
「じいちゃんか。……どうかな。あまり仲よさそうじゃないし、ティルを助けることもあまり乗り気じゃなかったしな。国の問題だから手が出せないって」
似た境遇のリクをゼロがティルを渡すよううまく説得できなかったように、ウクツもまたゼロをうまく説得することはできないだろう。
ウクツとゼロ。ゼロとリク。
この親子は血が繋がっているにも関わらず、互いに疎遠過ぎたのだ。
「やっぱりゼロを説得するのは難しそうだね。火竜王を説得する方法を考えようよ」
「あっ、そうだった。セルシウスのこと調べるんだったね。じゃあムスペに行かなきゃ!」
「おまえ絶対ムスペまんじゅう目当てだろ。心配だ、僕もついていく」
クリア、サーフ、そしてナープは再びムスペへと向かうことに決めた。
「うーん。ボクはちょっとお師匠様に相談してみようかな。ディサに話を聞くのも参考になるかも」
ウィザは再び師匠のいるルーンへと向かうことに決めた。
「そうか。俺はもう少し考えてみるよ」
ナープたち、そしてウィザは空へと飛び立っていった。
ホワイトプラトウの洞窟にはリク、リシェ、ティルだけが残った。
先刻までとは打って変わって洞窟には沈黙が流れる。
その沈黙を先に破ったのはティルのほうだった。
「ねぇ、リク…。どうしてそこまで僕のことを助けようとするの?」
「どうしてって……。そりゃもちろんティルのことが大切だからさ」
「大切って?」
「親父もセルシウスも、魔竜だから危ないからっていうけど、ティルはそんな危険な存在じゃないって俺がよく知ってる。なのに封印されるなんておかしいだろ!」
「僕が自ら封印されることを望んでいても?」
「そうであったとしてもだ。それは本当におまえの本心か?」
「本心だよ。だって僕は……!」
「あ、あの……オレは席を外したほうがいいかな。ちょっと出歩いてくるよ…」
場の雰囲気に居た堪れない空気を感じたリシェは静かに洞窟から出ていった。
退出するリシェの背を見つめながら、再び沈黙が訪れる。
「…………だって、何?」
こんどはリクのほうから沈黙を破った。
ティルは続けた。
「う、うん。たしかに僕はこの力を悪用したりするつもりはこれっぽっちもないよ。けど、それだけじゃだめなんだ。みんながこの力を恐れてる。この力を巡って争いが起きる。だからみんな不安になる。そんな力は存在しちゃだめなんだ! だから僕は存在しちゃいけないんだ!」
「なんでそうなるんだよ! みんなって誰だよ! 俺たちは……俺はティルと一緒にいたいんだ。一緒に笑いたいんだ。それじゃだめなのか!?」
「そういう問題じゃないんだ。そりゃ僕だってリクたちと一緒にいるのは楽しいよ。覚えてる? 水門の城で僕がラルガにさらわれたときのこと」
「ああ、もちろんだ」
「あのときはまだ記憶が戻ってなかったけど、あのときのことはちゃんと覚えてる。リクたちが助けに来てくれてすごく嬉しかったよ。それからナープたちは一旦どこかへ行っちゃったけど、あのあと少しの間だったけどリクやウクツと一緒に暮らしてたんだよね。ウィルオンやタネはかせも時々遊びに来たりしてさ。あれもすごく楽しかった。すごく新鮮な感じだった。今までこんなに僕の近くにいてくれる存在はなかったから……僕はとても幸せだったよ」
「そうだろ! そうだったろ!? 俺だってすごく楽しかったんだ。幸せだったんだ! あの日々がもっと続けばいいと思ってた。なのに……どうしてこんなことになっちまったんだ。ラルガがまたティルをさらっていって、やっと助けられたと思ったらこんどは親父が現れて、魔竜だかなんだか知らないが封印しなきゃならない? ふざけんな!!」
思わずリクは足下の岩肌を拳で殴りつけていた。
「リ、リク…」
「なんでだよ……わかんねえよ……! 魔竜ってなんだよ! ティルはティルじゃないか!! ちくしょう…ちくしょう……っ!!」
リク何度も何度も拳を叩きつけていた。
そんなリクの様子を見て、ティルはか細い声で言った。
「もういいんだよ」
「え……?」
「僕はもう十分幸せを味わったよ。もう思い残すことはない。だからリクたちも、もうそんなに僕のことで苦しまなくていいんだよ」
「な……何を言うんだ。全然苦しくなんかない! またティルと笑いあえるためなら、俺はどんなことだって平気なんだ! だからッ!! ……だから、そんな哀しいこと言わないでくれ」
「リク……」
そのまま再び沈黙が続いた。
もうこんどはどちらが沈黙を破ることもなかった。
その沈黙を先に破ったのはティルのほうだった。
「ねぇ、リク…。どうしてそこまで僕のことを助けようとするの?」
「どうしてって……。そりゃもちろんティルのことが大切だからさ」
「大切って?」
「親父もセルシウスも、魔竜だから危ないからっていうけど、ティルはそんな危険な存在じゃないって俺がよく知ってる。なのに封印されるなんておかしいだろ!」
「僕が自ら封印されることを望んでいても?」
「そうであったとしてもだ。それは本当におまえの本心か?」
「本心だよ。だって僕は……!」
「あ、あの……オレは席を外したほうがいいかな。ちょっと出歩いてくるよ…」
場の雰囲気に居た堪れない空気を感じたリシェは静かに洞窟から出ていった。
退出するリシェの背を見つめながら、再び沈黙が訪れる。
「…………だって、何?」
こんどはリクのほうから沈黙を破った。
ティルは続けた。
「う、うん。たしかに僕はこの力を悪用したりするつもりはこれっぽっちもないよ。けど、それだけじゃだめなんだ。みんながこの力を恐れてる。この力を巡って争いが起きる。だからみんな不安になる。そんな力は存在しちゃだめなんだ! だから僕は存在しちゃいけないんだ!」
「なんでそうなるんだよ! みんなって誰だよ! 俺たちは……俺はティルと一緒にいたいんだ。一緒に笑いたいんだ。それじゃだめなのか!?」
「そういう問題じゃないんだ。そりゃ僕だってリクたちと一緒にいるのは楽しいよ。覚えてる? 水門の城で僕がラルガにさらわれたときのこと」
「ああ、もちろんだ」
「あのときはまだ記憶が戻ってなかったけど、あのときのことはちゃんと覚えてる。リクたちが助けに来てくれてすごく嬉しかったよ。それからナープたちは一旦どこかへ行っちゃったけど、あのあと少しの間だったけどリクやウクツと一緒に暮らしてたんだよね。ウィルオンやタネはかせも時々遊びに来たりしてさ。あれもすごく楽しかった。すごく新鮮な感じだった。今までこんなに僕の近くにいてくれる存在はなかったから……僕はとても幸せだったよ」
「そうだろ! そうだったろ!? 俺だってすごく楽しかったんだ。幸せだったんだ! あの日々がもっと続けばいいと思ってた。なのに……どうしてこんなことになっちまったんだ。ラルガがまたティルをさらっていって、やっと助けられたと思ったらこんどは親父が現れて、魔竜だかなんだか知らないが封印しなきゃならない? ふざけんな!!」
思わずリクは足下の岩肌を拳で殴りつけていた。
「リ、リク…」
「なんでだよ……わかんねえよ……! 魔竜ってなんだよ! ティルはティルじゃないか!! ちくしょう…ちくしょう……っ!!」
リク何度も何度も拳を叩きつけていた。
そんなリクの様子を見て、ティルはか細い声で言った。
「もういいんだよ」
「え……?」
「僕はもう十分幸せを味わったよ。もう思い残すことはない。だからリクたちも、もうそんなに僕のことで苦しまなくていいんだよ」
「な……何を言うんだ。全然苦しくなんかない! またティルと笑いあえるためなら、俺はどんなことだって平気なんだ! だからッ!! ……だから、そんな哀しいこと言わないでくれ」
「リク……」
そのまま再び沈黙が続いた。
もうこんどはどちらが沈黙を破ることもなかった。
いつの間にか日が暮れていた。
ナープたちもウィザも、そしてリシェも戻っては来なかった。
洞窟の薄闇の中でリクは疲れて眠ってしまっていた。
ティルはリクを起こさないように、そっとその隣を抜けると洞窟の外に立った。
今夜は少し欠けた十三夜の月だ。
銀色の月が夜空に美しくも儚げに映える。
ティルは目を閉じて力を解放する。
するとティルの影は見る見るうちに大きくなり、魔竜リムリプスとしての本来の姿になった。
魔竜の蒼銀色の鱗は月の光を受けて、その月と同じ程に美しく、そして儚く輝く。
リムリプスは洞窟を振り返った。
その巨体よりもすでに小さくなってしまったその洞窟の口の中で、リクは静かに寝息を立てている。
しばらくその姿を見つめていた。
が、魔竜はついに心を決めると、最愛の友に別れの言葉を告げる。
「ごめんね、リク…。それからごめんね、みんな。でも僕は……」
銀色のしずくが月に照らされて光った。
ぽつりと落ちる。ひとつ。またひとつ。
それは竜の涙。
竜の涙はとても価値があるものなのだという。気高い竜は滅多に涙など見せない。
竜人族のそれとは異なり、古代からの血を色濃く残す竜のそれは特別な力を持っている。
伝承ではそれは万病に効き、どんな怪我であろうとたちどころに治してしまう。さらにどんな宝石よりも価値がある。
しかし涙を滅多に見せないからといって、竜が血も涙もない冷たい心を持つのかというと決してそうではない。
竜とはとても心優しい生き物なのだ。それは、あるいは人よりもずっと……。
ゆえに竜は苦しむ。
古来より竜はただ存在するだけで人々を恐怖させてきた。
恐れた人々は武器を手にし、鎧をまとい、悪しき竜は成敗すべしと攻めかかった。
人間そのものがほとんど存在しなくなってしまったこの世界ではそれも今は昔の物語だったが、ティルのような太古より生きてきた竜はその記憶を色濃く残している。
ティルはとても優しかった。
だからこそ、自分が原因で周囲の者たちが苦しむことが堪えられなかったのだ。
再び振り返る。
そして最後の言葉を送った。
「さよなら…」
魔竜は銀の翼を広げる。
そして静かに飛び去った。最愛の友をそこに残して。
月に魔竜の影が消える。
空にはいくつもの銀のしずくが輝いていた。
美しく。そして儚く。
ナープたちもウィザも、そしてリシェも戻っては来なかった。
洞窟の薄闇の中でリクは疲れて眠ってしまっていた。
ティルはリクを起こさないように、そっとその隣を抜けると洞窟の外に立った。
今夜は少し欠けた十三夜の月だ。
銀色の月が夜空に美しくも儚げに映える。
ティルは目を閉じて力を解放する。
するとティルの影は見る見るうちに大きくなり、魔竜リムリプスとしての本来の姿になった。
魔竜の蒼銀色の鱗は月の光を受けて、その月と同じ程に美しく、そして儚く輝く。
リムリプスは洞窟を振り返った。
その巨体よりもすでに小さくなってしまったその洞窟の口の中で、リクは静かに寝息を立てている。
しばらくその姿を見つめていた。
が、魔竜はついに心を決めると、最愛の友に別れの言葉を告げる。
「ごめんね、リク…。それからごめんね、みんな。でも僕は……」
銀色のしずくが月に照らされて光った。
ぽつりと落ちる。ひとつ。またひとつ。
それは竜の涙。
竜の涙はとても価値があるものなのだという。気高い竜は滅多に涙など見せない。
竜人族のそれとは異なり、古代からの血を色濃く残す竜のそれは特別な力を持っている。
伝承ではそれは万病に効き、どんな怪我であろうとたちどころに治してしまう。さらにどんな宝石よりも価値がある。
しかし涙を滅多に見せないからといって、竜が血も涙もない冷たい心を持つのかというと決してそうではない。
竜とはとても心優しい生き物なのだ。それは、あるいは人よりもずっと……。
ゆえに竜は苦しむ。
古来より竜はただ存在するだけで人々を恐怖させてきた。
恐れた人々は武器を手にし、鎧をまとい、悪しき竜は成敗すべしと攻めかかった。
人間そのものがほとんど存在しなくなってしまったこの世界ではそれも今は昔の物語だったが、ティルのような太古より生きてきた竜はその記憶を色濃く残している。
ティルはとても優しかった。
だからこそ、自分が原因で周囲の者たちが苦しむことが堪えられなかったのだ。
再び振り返る。
そして最後の言葉を送った。
「さよなら…」
魔竜は銀の翼を広げる。
そして静かに飛び去った。最愛の友をそこに残して。
月に魔竜の影が消える。
空にはいくつもの銀のしずくが輝いていた。
美しく。そして儚く。