Chapter28「オットーの愛2:あなたになら飼われてもいい」
雲に身を隠しながらしばらく天馬のあとを追っていくと、前方に大きな魔導船が見えてきた。
あれには見覚えがある。たまにバルハラ城で見かけたことがあった。
名前はたしか、ヒルディスヴィーニ号。フレイヤ様の所有する船だ。
あれには見覚えがある。たまにバルハラ城で見かけたことがあった。
名前はたしか、ヒルディスヴィーニ号。フレイヤ様の所有する船だ。
「セッちゃん殿! 一旦止まれるか」
「任せろ」
「任せろ」
少し離れた位置の雲の中に身を隠して、そこからヒルディスヴィーニの様子を窺うことにした。あの船がここにあるということは、おそらくフレイヤ様も……。
ここまであとを追ってきた天馬は船のデッキへと近づいていった。同様にして、別の方角からもう一頭の天馬が姿を現すと、同じようにデッキに向かう。
天馬たちが船の上に降り立つと、扉を開けて船室から一人の女性が姿を現した。
天馬たちが船の上に降り立つと、扉を開けて船室から一人の女性が姿を現した。
(フレイヤ様!!)
あれは確かにフレイヤ様だ。
密かにお慕いしていたフレイヤ様を俺が見間違えるわけがない。
しかし、それは俺の知るフレイヤ様とは少し雰囲気が違っていた。
密かにお慕いしていたフレイヤ様を俺が見間違えるわけがない。
しかし、それは俺の知るフレイヤ様とは少し雰囲気が違っていた。
「遅い!! 集合時間をとうに過ぎているわよ。一体何をしていたの?」
俺の知っているフレイヤ様は、あんなふうに怒鳴ったりすることは決してしないお方だった。だがあのお顔は間違いなくフレイヤ様のもの。どうなっているんだ。
天馬から降りた二人のヴァルキュリアは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、お姉様。レギンとはぐれちゃって……。ねえ、ヒルデ?」
「おい、ミスト。いつも言ってるだろ。お姉様じゃなくて、フレイヤ様と呼べ」
「えー。だって、お姉様はお姉様だもん。あたしにとってお姉様はお姉様だけ!」
「お姉様お姉様うるさい! だいたいな、いつもおまえは礼儀がなってないぞ!」
「おい、ミスト。いつも言ってるだろ。お姉様じゃなくて、フレイヤ様と呼べ」
「えー。だって、お姉様はお姉様だもん。あたしにとってお姉様はお姉様だけ!」
「お姉様お姉様うるさい! だいたいな、いつもおまえは礼儀がなってないぞ!」
魔法でこっそり風向きを変えて彼女たちの会話に耳を傾けていると、セルシウスがどこかで見たような光景だな、と少し面白そうに言った。俺には心当たりがなかったが、言われてみれば騒がしいほうの女はセッテに少し似ているかもしれない。
片方は会ったことのある女だ。フリードやクエリアと初めて会ったときに戦ったあの雷槍の使い手、ブリュンヒルデ。もう一人の騒がしいのはミストというのか。そして今ここにはいないが、レギンと呼ばれる仲間もいることが会話からわかる。
口喧嘩を始めたヴァルキュリアたちを、フレイヤ様は再び怒鳴りつけた。
仕えるべき相手の前で口喧嘩とは、従者としてまるでなっていないな。
仕えるべき相手の前で口喧嘩とは、従者としてまるでなっていないな。
「言い訳はもう結構! そんなものより成果を持ってきなさい。トロウ様はフレイを騙る偽者を追っておられるわ。しかし最近になって突然そいつは姿を消してしまった。それをすぐにでも見つけるのが私たちの任務なのよ。わかってるの!?」
とてもフレイヤ様とは思えないきつい口調で、フレイヤ様と同じ顔の女性はまくし立てた。
「まあまあ、お姉様ぁ。あんまし怒ると、しわができちゃいますよぉ?」
ミストはへらへらと笑っている。なんなんだあいつは。
「嗚呼、怒ってるフレイヤ様もまた清く正しく美しい。いい、実にいいぞ……」
一方ブリュンヒルデはうっとりとした危険な笑みを浮かべている。
あれで従者が務まるのか。ヴァルキュリアにはろくなやつがいないらしい。
あれで従者が務まるのか。ヴァルキュリアにはろくなやつがいないらしい。
「とにかく早くフレイの偽者を見つけなさい! トロウ様を失望させてしまうことになるじゃないの! これじゃあ、私の評価が下がってしまうわ」
「でもでもお姉様。レギンはどうするの?」
「放っておきなさい!! 任務が最優先に決まっているでしょう!? わかったらほら早く行って! これ以上、私を怒らせないでちょうだい!」
「でもでもお姉様。レギンはどうするの?」
「放っておきなさい!! 任務が最優先に決まっているでしょう!? わかったらほら早く行って! これ以上、私を怒らせないでちょうだい!」
追い出されるようにヴァルキュリアたちは天馬に乗って飛び立っていった。
従者があれでは、怒鳴りたくなる気持ちもわかる。ああ、フレイヤ様。人知れず苦労されてたのですね……。それであんなに雰囲気が変わってしまわれたのか。
従者があれでは、怒鳴りたくなる気持ちもわかる。ああ、フレイヤ様。人知れず苦労されてたのですね……。それであんなに雰囲気が変わってしまわれたのか。
そのまま様子を窺っていると、フレイヤ様はこちらをじっと見つめ始めた。まるで目が合っているかのようだ。もしやこれは運命なのでは。俺とフレイヤ様には、見えざる運命の赤い糸が繋がっているのではないだろうか。
などとうっかり都合のいい想像をしていると、フレイヤ様が言った。
などとうっかり都合のいい想像をしていると、フレイヤ様が言った。
「いつまで隠れているつもりなの? 出てこないなら雲ごと魔法で消し飛ばしてあげるわよ。それでもいいのなら、じっとしていなさい」
どうやら最初から俺たちのことはお見通しだったらしい。さすがフレイヤ様だ。
(むっ、見つかったらしい。どうするのだ?)
(ここは彼女の言葉に従おう。船に寄せてくれ)
(ここは彼女の言葉に従おう。船に寄せてくれ)
姿を現して近寄っていくと、フレイヤ様は船の上に降りるよう促した。
ヒルディスヴィーニはグリンブルスティよりもずっと大きな船で、セルシウスが乗っても十分な広さがあるぐらいに立派なデッキを備えている。
船の上に降り立った俺たちを見て、フレイヤ様はこう言った。
ヒルディスヴィーニはグリンブルスティよりもずっと大きな船で、セルシウスが乗っても十分な広さがあるぐらいに立派なデッキを備えている。
船の上に降り立った俺たちを見て、フレイヤ様はこう言った。
「あら。何者かと思えば、あなたには見覚えがあるわ。たしかフレイの従者の……ええっと、名前はなんて言ったかしらねぇ。いちいち従者なんて覚えていないわ」
「オットーです」
「ああ、そうそうそれよ。オットー、たしか風の魔道士だったかしらね」
「オットーです」
「ああ、そうそうそれよ。オットー、たしか風の魔道士だったかしらね」
俺はフレイヤ様の態度に違和感を覚えた。
最初から雰囲気が違うとは思っていたが、それは今、確信に変わった。
いくらフレイヤ様でも、実の弟のフレイ様と幼少期を共にした俺のことを忘れるわけがない。
最初から雰囲気が違うとは思っていたが、それは今、確信に変わった。
いくらフレイヤ様でも、実の弟のフレイ様と幼少期を共にした俺のことを忘れるわけがない。
まだみんなが幼かった頃。セッテがムスペへ修行へ行くよりも前だから、少なくとも十年以上前だろうか。
まだ十歳にも満たなかった当時のフレイ様と俺、そしてセッテはよく共に遊んだものだった。その遊びの輪には時折フレイヤ様も加わることがあった。だから、俺やセッテのこともフレイヤ様はよく知っているはずなのだ。
まだ十歳にも満たなかった当時のフレイ様と俺、そしてセッテはよく共に遊んだものだった。その遊びの輪には時折フレイヤ様も加わることがあった。だから、俺やセッテのこともフレイヤ様はよく知っているはずなのだ。
(どういうことだ。もしかしてあのフレイヤ様は偽者なのか? それとも、ニョルズ陛下と同様にトロウに洗脳されているのか)
フレイヤ様? の顔をじっと見つめていると、彼女は表情を歪めて言った。
「そういえばトロウ様が言ってたわねぇ……。弟が死んだのは、オットーとセッテの責任だって。そうなのね、あなたが私の弟を奪ったのね……」
フレイ様が死んだだって?
たしか以前ブリュンヒルデと戦ったときも、彼女が同じようなことを言っていたのをよく覚えている。
するとつまり、トロウはフレイ様を死んだことにして周囲の者を騙しているということになるのだろうか。そしてフレイヤ様もそれを信じ込んでいて、結果としてトロウのいいなりになっている。そういうことなのかもしれない。
たしか以前ブリュンヒルデと戦ったときも、彼女が同じようなことを言っていたのをよく覚えている。
するとつまり、トロウはフレイ様を死んだことにして周囲の者を騙しているということになるのだろうか。そしてフレイヤ様もそれを信じ込んでいて、結果としてトロウのいいなりになっている。そういうことなのかもしれない。
「許さないわ、オットー。よくも私のかわいい弟を殺してくれたわね」
「待ってください、フレイヤ様。あなたはトロウに騙されているんです!」
「黙りなさいっ!! この無礼者め。私はヴァルキュリアの長よ。こう見えても、戦いには慣れているの。だから決めたわ……」
「待ってください、フレイヤ様。あなたはトロウに騙されているんです!」
「黙りなさいっ!! この無礼者め。私はヴァルキュリアの長よ。こう見えても、戦いには慣れているの。だから決めたわ……」
うつむいたフレイヤの表情が見る見るうちに暗くなっていく。髪は逆立ち、黒い闇のオーラが彼女の身体からあふれ出す。そして顔を上げた彼女は、もはや俺の知るフレイヤ様の顔をしていなかった。
「おまえはこの私が直々にぶち殺してやるわ!! 覚悟なさい!!」
鬼のような形相でフレイヤはこちらをにらみつけた。
……違う。あれは俺の知るフレイヤ様ではない。
偽者なのか、洗脳されているのかはわからない。
だがひとつだけ言えることがある。
偽者なのか、洗脳されているのかはわからない。
だがひとつだけ言えることがある。
「どちらにせよ、フレイヤ様はトロウの支配下にあるということだな。それなら、ここは戦うしかない。俺はフレイヤ様の笑顔を取り戻してみせる!!」
振り向いてセルシウスに目で合図を送る。と、すぐにセルシウスは頷いた。
そして背中に俺が乗ったことを確認すると、翼を広げて空高く飛び上がった。
そして背中に俺が乗ったことを確認すると、翼を広げて空高く飛び上がった。
「逃げようしても無駄よ。死になさい!」
フレイヤが手を振りかざすと、セルシウスの周囲にある雲が黒く、大きく変わっていく。そして雲から雨粒が落ち始めると、その粒のひとつひとつが矢に変化して一斉にセルシウスに襲い掛かった。
「これは! 変性の魔法か。人間にしては高度な技を使うな」
「幼少期からフレイヤ様は手品がお好きだったが、ここまで上達していたとは!」
「これは厄介だな。少し揺れるぞ、しっかりつかまっておれ!」
「幼少期からフレイヤ様は手品がお好きだったが、ここまで上達していたとは!」
「これは厄介だな。少し揺れるぞ、しっかりつかまっておれ!」
セルシウスは目にも止まらぬ速さで、飛び交う矢の隙間を縫うように切り抜けていく。あるいは目の前に迫った矢の雨を、炎を吐いて一気に焼き払った。
「ちっ、あの竜が邪魔ね。先にあっちに消えてもらおうかしら!」
フレイヤが両手を向かい合わせると、その間から闇のオーラを纏う球が生じる。それをいくつも生み出しては、フレイヤはセルシウスに向かって発射した。
闇球はいくらセルシウスがかわしても、追尾してその後を追い続けてくる。その数も次々と増えていくので、追いつかれるのは時間の問題だ。
ならばここは俺の出番だ。セルシウスがなんとか攻撃をかわしてくれている間に俺は呪文を唱え切った。すると巨大な竜巻がセルシウスを中心として発生し、向かってくる闇球をすべて弾いて飛ばした。
弾かれた闇球はしゃぼん玉のように割れ、複数の小さな泡となって飛び散った。
その泡のいくつかがセルシウスに接触したが、どうやらダメージはないようだ。
弾かれた闇球はしゃぼん玉のように割れ、複数の小さな泡となって飛び散った。
その泡のいくつかがセルシウスに接触したが、どうやらダメージはないようだ。
「大丈夫か、セルシウス!」
「私は平気だ。リンドヴルムよ、セッちゃん殿とはもう呼んでくれぬのか?」
「冗談が言えるならまだ余裕そうだな。ここからは攻めに転じるぞ」
「よしきた! 距離を詰める。守りは頼んだぞ」
「私は平気だ。リンドヴルムよ、セッちゃん殿とはもう呼んでくれぬのか?」
「冗談が言えるならまだ余裕そうだな。ここからは攻めに転じるぞ」
「よしきた! 距離を詰める。守りは頼んだぞ」
空中で一度静止すると、セルシウスは急降下して一気にフレイヤへと突撃した。
フレイヤは漆黒の炎や雷を撃ち放って迎撃体勢を取ったが、セルシウスの周囲を覆う竜巻がすべての攻撃をかき消した。
フレイヤは漆黒の炎や雷を撃ち放って迎撃体勢を取ったが、セルシウスの周囲を覆う竜巻がすべての攻撃をかき消した。
「今だッ!!」
十分に距離を詰めたところでセルシウスは灼熱の炎を吐いた。それと同時に俺は防御に使っていた竜巻を前方へと押し出した。
灼熱の炎は竜巻と混ざり合って、うねり上がる風を受けた火は燃え盛る炎の渦、火炎流と化す。渦巻く業火がフレイヤを呑み込んだ。魔導船ヒルディスヴィーニから天高く、炎の柱が立ち昇る。
灼熱の炎は竜巻と混ざり合って、うねり上がる風を受けた火は燃え盛る炎の渦、火炎流と化す。渦巻く業火がフレイヤを呑み込んだ。魔導船ヒルディスヴィーニから天高く、炎の柱が立ち昇る。
「やったか!?」
しかし、そのとき背後から拍手が聞こえてきた。
すぐに振り返ると、フレイヤの姿がそこに浮かんでいる。
すぐに振り返ると、フレイヤの姿がそこに浮かんでいる。
「よくできました。……と言ってあげたいけれど、これじゃ落第ね。炎と風を組み合わせるのは面白い発想だけど、技が大掛かりすぎて隙だらけじゃない」
そう言ってフレイヤが炎の柱を指差すと、火炎流はまるで何事もなかったかのように消えてしまった。船に焦げ目のひとつすらつけることもなくだ。
「転移魔法でかわしたか。それに今のは……どうやって!?」
「うふふ、簡単なことよ。空気を燃える前の状態に戻しただけ。炎も風も、どちらも空気を媒体にしていることぐらいはわかるわよね?」
「まさか! 時間遡行だと!? 我々竜族ですら修得が困難な魔法を、どうしておまえのような人間が扱えるのだ!?」
「答える義理はないわ。もう諦めなさい。あなたたちに勝ち目なんかないの」
「うふふ、簡単なことよ。空気を燃える前の状態に戻しただけ。炎も風も、どちらも空気を媒体にしていることぐらいはわかるわよね?」
「まさか! 時間遡行だと!? 我々竜族ですら修得が困難な魔法を、どうしておまえのような人間が扱えるのだ!?」
「答える義理はないわ。もう諦めなさい。あなたたちに勝ち目なんかないの」
フレイヤがにやりと笑うと同時に、セルシウスの身体ががくんと下がった。そしてその高度は徐々に下がっていく。大丈夫かと問いかけるも返事はない。セルシウスは歯を食い縛って必死の形相で苦痛に耐えている様子だった。
「どうしたんだセルシウス! どこをやられた? いつの間に!?」
身を乗り出してセルシウスの身体を確認すると、脚や尾の先端が黒く染まっているのが見えた。そこはたしかさっきの闇球の泡に触れた部分だ。
「か、身体が……お、重い……ッ!!」
搾り出すような声でセルシウスが身体の異変を伝えた。
黒くなった脚や尾は急速に冷たくなっていき、何かに押し潰されるような激痛がその部分を襲っているらしい。さらにその痛みは徐々に全身に広がっていっているという。
黒くなった脚や尾は急速に冷たくなっていき、何かに押し潰されるような激痛がその部分を襲っているらしい。さらにその痛みは徐々に全身に広がっていっているという。
再びセルシウスの状態を確認すると、たしかにさっきよりも黒く染まっている部分が増えている。さっきまでは先端だけだったものが、今ではすでに下半身全体を覆ってしまっている。
「だ、だめだ……。もう限、界、だ……」
力尽きたセルシウスはそのまま真下に墜落した。幸いにもそこは魔導船の真上だったので空の底に落下するのは免れたが、墜落してセルシウスの背中から投げ出された俺が次に見たのは、セルシウスの顔が石へと変わる瞬間だった。
セルシウスは竜の形をした石へと完全に変わってしまった。最後の瞬間に、その目からは涙が一滴こぼれたが、それさえも下に落ちる前に石化してしまい、水滴のような形をした石ころが冷たい音を響かせて俺の目の前に転がった。
俺は震える手でその石ころを拾った。
冷たい。すごく冷たい。本当に石そのものだった。
ふらふらと立ち上がり、石になったセルシウスの身体に触れてみた。
やはり冷たい。さっきまで乗っていたセルシウスの背中は少し熱い気がするぐらいだったのに、今では氷のように冷たくなってしまっている。
冷たい。すごく冷たい。本当に石そのものだった。
ふらふらと立ち上がり、石になったセルシウスの身体に触れてみた。
やはり冷たい。さっきまで乗っていたセルシウスの背中は少し熱い気がするぐらいだったのに、今では氷のように冷たくなってしまっている。
「ば、馬鹿な……。こんなこと……!」
何が起こった? セルシウスは? どうなった!?
石になった? 冷たい? 死んでしまったのか!?
石になった? 冷たい? 死んでしまったのか!?
身体の震えが止まらない。ひざががくがくしてまともに立っていることもできない。目の奥が熱い。頭が痛い。そしてすごく息苦しい感じがする。
俺は思わずその場にへたり込んでしまった。
俺は思わずその場にへたり込んでしまった。
「あーあ。歯向かわなければこんなことにならなくて済んだのに。愚かね」
背後からあいつの声が聞こえる。
よくもセルシウスを。あいつがフレイヤ様と同じ顔をして、同じ声でしゃべっているからといって、もう俺はあいつをフレイヤ様とは思わない。俺はあいつを絶対に許せない。
よくもセルシウスを。あいつがフレイヤ様と同じ顔をして、同じ声でしゃべっているからといって、もう俺はあいつをフレイヤ様とは思わない。俺はあいつを絶対に許せない。
すぐにでも振り返ってセルシウスの無念を晴らしてやりたかった。
今すぐに立ち上がってあいつの顔をぶん殴ってやりたかった。首を絞めてやりたかった。船から突き落としてやりたかった。
今すぐに立ち上がってあいつの顔をぶん殴ってやりたかった。首を絞めてやりたかった。船から突き落としてやりたかった。
しかし、身体に力が入らず動くことができなかった。
まるで痙攣しているかのように、がたがたと身体は震えるだけだ。
まるで痙攣しているかのように、がたがたと身体は震えるだけだ。
「あらまあ。震えちゃって、かわいそうに。……そうねぇ。本当は殺してやろうかと思っていたけれど、あなたよく見るとなかなか凛々しい顔立ちをしてるのよね。どうしようっかなぁ~」
あいつはしゃがみ込んで俺の顔を覗きこんできた。
やめろ。こっちを見るな。その顔を俺に見せるな。
やめろ。こっちを見るな。その顔を俺に見せるな。
「気に入った。私のしもべになると誓うのなら、命だけは助けてあげてもいいわ。ただし私の命令には絶対服従。あなたは私の所有物よ! それでどう?」
黙れ。その声でしゃべるな。その姿でそれ以上、息をするな。
これ以上、俺のフレイヤ様を汚すな!!
これ以上、俺のフレイヤ様を汚すな!!
「返事がないってことは肯定よね。いいわ、これからあなたは私のしもべよ。さっそくだけど、私も天馬みたいな乗り物が欲しかったのよね。船よりももっと小回りが利いて、でも天馬よりも強くて、しかも私の命令に忠実な乗り物がね」
あいつは俺の頭に手を乗せて、げらげらと笑ってから言った。
「命令よ、私のしもべオットーよ。私の乗り物になりなさい」
ガツンと頭に強い衝撃。雷に打たれたような衝撃が背骨を伝って全身を貫いた。
「ぐ……う、うう、うぐぁぁあああぁあぁぁ……ッ!!」
全身の痙攣が激しくなり、心臓が破裂しそうなほど暴れるように拍動する。
身体中のあらゆる骨がめきめきと軋みながら形を変えていく。あまりの激痛に涙と血が噴出したが、意識は薄れるどころか逆に鮮明になっていく。
身体中のあらゆる骨がめきめきと軋みながら形を変えていく。あまりの激痛に涙と血が噴出したが、意識は薄れるどころか逆に鮮明になっていく。
両手を見ると、親指以外の指がどれも異常なほど長く伸びていくのが目に入る。そして、それぞれの指の間に水かきのような膜が発達していった。また手首の内側から胴にかけても同様の膜が張っていき、両腕はコウモリの翼のように変化した。
腰骨はどんどん湾曲していき、自ずと身体は前屈みのような体勢へと変わる。それと同時に脚は太く大きくがっしりとしたものへと成長し、足先の鉤爪が力強く船のデッキを踏みしめる。
首は長く伸びて視線の位置がどんどん高くなっていく。歯が抜け落ちながら顎が前方へと突出していくと、変化が終わる頃には鋭い牙がすでに生えそろっていた。
振り返ると長い首のせいか、自分の背中がしっかりとよく見える。衣服はもう破れてぼろぼろになっていて、鱗と羽毛に覆われた背中の先には太く立派な尾が揺れている。
そしてその背中にあいつ――いや、フレイヤ様が腰かけられると、俺の後頭部にある二本のツノをつかんでこう仰られた。
「さっきあの火竜にリンドヴルムと呼ばれていたわね。だから望みどおり、あなたには風竜になってもらったわ。あなたは特別に私のペットとして、一生そばにおいてあげる。ありがたく思うことね」
フレイヤ様が”私”の喉を優しく撫でてくださっている。
ああ、とても心地よい。不思議と安心した気分になってくる。さっきまでの震えと恐怖心が嘘のように消えてしまった。
ああ、とても心地よい。不思議と安心した気分になってくる。さっきまでの震えと恐怖心が嘘のように消えてしまった。
私の名はリンドヴルム……フレイヤ様の忠実なるしもべ……。
「さて、まずはあなたがちゃんと空を飛べるのか確かめてあげないとね。そのついでにフレイの偽者がいる場所へと案内してもらおうかしら。さあ、行きなさい!」
フレイヤ様に命じられて、私は翼となった両腕を羽ばたかせた。
飛び方など知らなかったが、風竜としての本能がそうさせるのであろう。迷うことなく私の身体は宙に浮かび上がると、ふわりと軽やかに空を舞った。
飛び方など知らなかったが、風竜としての本能がそうさせるのであろう。迷うことなく私の身体は宙に浮かび上がると、ふわりと軽やかに空を舞った。
「ふふ、上出来ね。私の魔法も大したものだわぁ!」
下方にはヒルディスヴィーニ号が見える。その上には黒い石の塊がある。
(竜の石像……? はて。何か私は大切なことを忘れているような……)
私はしばらくその石像をじっと眺めていたが、フレイヤ様が私のツノを引っ張りながら命令を下さったので、すぐにそれに従った。
「命令よ。さっそく偽フレイのいる場所へ私を連れて行きなさい!」
フレイのいる場所。
知っている、私はその場所を知っているぞ。
知っている、私はその場所を知っているぞ。
その地はアルヴ。知る者しかたどり着けない秘密の隠れ里。
知っている、私はそこへ至る道を知っている。
知っている、私はそこへ至る道を知っている。
私はフレイヤ様を乗せてアルヴの地へと向かった。
背中の上では、フレイヤ様の美しい高笑いが天高く響いていた。
背中の上では、フレイヤ様の美しい高笑いが天高く響いていた。