Chapter47「地竜族の追憶2:ギンヌンガガプ、最後の日」
それは何の前触れもなくやってきた。
禍々しい漆黒の闇をまとった、ムスペの火竜でもない、ニヴルの氷竜でもない、もちろん地竜でも風竜でもない、見たことのない竜だった。
禍々しい漆黒の闇をまとった、ムスペの火竜でもない、ニヴルの氷竜でもない、もちろん地竜でも風竜でもない、見たことのない竜だった。
「クッククク……。ようやく封印を破ることができた。あんな寒くて冷たいところに何千年も閉じ込めておくとは酷いことをする。同じ星の力を授かった仲間だというのに、よくも俺だけ仲間はずれにしてくれたものだ」
そいつは最長老フェギオンの目の前に突如として現れた。
その日、私はいつものようにお爺ちゃんの話を聞きに来ていたところだった。
その日、私はいつものようにお爺ちゃんの話を聞きに来ていたところだった。
「お、お主は……そんなまさか! あの封印を自力で破ったというのか?」
漆黒の竜は年老いた地竜を見下ろして言った。
「おやおや、これはこれは。もはや見る影もないが、その額のモミジのような特徴的な紋様には見覚えがありますねぇ。ずいぶん老いたものだな、フェギオン?」
「くッ……ニーズヘッグ、貴様。今さら私に何の用じゃ」
「長きにわたる封印のおかげで俺はこんなにも若いままで生きていられる。もうジジイのおまえとは違ってね! そこで……そう。今回はそのお礼をさせてもらいに来ました。なぁーに、遠慮は要りませんよ。ふ、ふふふ……」
「くッ……ニーズヘッグ、貴様。今さら私に何の用じゃ」
「長きにわたる封印のおかげで俺はこんなにも若いままで生きていられる。もうジジイのおまえとは違ってね! そこで……そう。今回はそのお礼をさせてもらいに来ました。なぁーに、遠慮は要りませんよ。ふ、ふふふ……」
ニーズヘッグと呼ばれた竜は怪しげな笑みを浮かべている。
「おじちゃん誰? お爺ちゃんの知り合い?」
まだ幼い私は愚かだった。幼くて、そして穢れを知らないからこそ、この漆黒の竜の邪悪さに気付くことができなかった。
「おっとお譲ちゃん。おじちゃんじゃなくてお兄さんと呼びなさい。お爺ちゃんは大事な話があるんです。子どもはおねんねしてなさい」
そう言ってニーズヘッグは私のほうへとそっと手をかざす。
「やめろ! その子は関係ないじゃろう! お主が用があるのは私のはず。無関係の者を巻き込むのはやめてもらおうか」
「無関係? それはどうでしょうねぇ……。我々は星の力を授かった特別な存在だったはず。それがいざ目覚めてみればなんです、今のこの世界は。誰も彼もが魔法を使える。これではちっとも我々が特別ではない。どうせ、みんなおまえたちの子孫なんでしょう? 無関係とは言えませんねぇ。ククク……」
「黙れ。その子に手を出すんじゃないぞ。もしそのときは私とて黙ってはいない」
「どうぞご勝手に。俺は決めたのだ。邪魔な者はすべて排除すると。そして今はおまえも邪魔者だ。俺はすべての頂点に立つことに決めたぞ! この俺こそがッ! すべての頂点でありッ! 最も特別な存在となるのだ!!」
「無関係? それはどうでしょうねぇ……。我々は星の力を授かった特別な存在だったはず。それがいざ目覚めてみればなんです、今のこの世界は。誰も彼もが魔法を使える。これではちっとも我々が特別ではない。どうせ、みんなおまえたちの子孫なんでしょう? 無関係とは言えませんねぇ。ククク……」
「黙れ。その子に手を出すんじゃないぞ。もしそのときは私とて黙ってはいない」
「どうぞご勝手に。俺は決めたのだ。邪魔な者はすべて排除すると。そして今はおまえも邪魔者だ。俺はすべての頂点に立つことに決めたぞ! この俺こそがッ! すべての頂点でありッ! 最も特別な存在となるのだ!!」
ニーズヘッグが大きく翼を広げて高く掲げると、一瞬にして晴れ渡っていた空が暗黒に染まる。そして深い地響きとともに、重苦しい空気があふれて胸を締め付け始める。
「ゲホッ……お、お爺ちゃん。なに……これ……。苦し、い……」
「これはいかん。ジオクルス! ここは私に任せて早く逃げろ!」
「で、でも、お爺ちゃんは……」
「私に構うな! 大丈夫じゃ。お爺ちゃんは伝説のお爺ちゃんじゃぞ。こんなやつになど負けはせん。心配は要らん。だから今は、早う行け!」
「これはいかん。ジオクルス! ここは私に任せて早く逃げろ!」
「で、でも、お爺ちゃんは……」
「私に構うな! 大丈夫じゃ。お爺ちゃんは伝説のお爺ちゃんじゃぞ。こんなやつになど負けはせん。心配は要らん。だから今は、早う行け!」
促されて私は駆け出した。
「おおっと、逃がしませんよぉ! 女子どもとて容赦はしない!」
漆黒の影が私の行く先に立ち塞がる。が、
「そうはさせんッ!」
フェギオンは身を呈して私を庇った。
影はフェギオンにまとわりつくと、ただの黒い霧のようでありながら、しかし確かな質量をもって力任せにフェギオンを締め上げていく。
影はフェギオンにまとわりつくと、ただの黒い霧のようでありながら、しかし確かな質量をもって力任せにフェギオンを締め上げていく。
「お爺ちゃん!!」
「こ、この程度どうってことないわい! いいから行かんか! お主を庇いながらではまともに戦えん。それよりもそうじゃ。このことを早くお父さんに知らせるんじゃ。カペレイオンならなんとかしてくれるはずじゃ!」
「わ、わかった。すぐに呼んで来るから!」
「こ、この程度どうってことないわい! いいから行かんか! お主を庇いながらではまともに戦えん。それよりもそうじゃ。このことを早くお父さんに知らせるんじゃ。カペレイオンならなんとかしてくれるはずじゃ!」
「わ、わかった。すぐに呼んで来るから!」
それから私は振り返らずに走った。
地竜王カペレイオンのいる、この国の王城にあたる神木の社へと急いだ。
しかし走り出して少しもしないうちに、背後で大きな爆発が起こった。爆風に吹き飛ばされた私はそのまま意識を失ってしまった。
地竜王カペレイオンのいる、この国の王城にあたる神木の社へと急いだ。
しかし走り出して少しもしないうちに、背後で大きな爆発が起こった。爆風に吹き飛ばされた私はそのまま意識を失ってしまった。
次に意識を取り戻したときに私が見た景色は、それまでのものとはまったく一変していた。
木々の緑も、鳥の歌声も、川のせせらぎもそこには何ひとつない。
あるのは岩。岩石。欠片。破片。土煙。霧。静寂。不安。恐怖。そして悪夢。
木々の緑も、鳥の歌声も、川のせせらぎもそこには何ひとつない。
あるのは岩。岩石。欠片。破片。土煙。霧。静寂。不安。恐怖。そして悪夢。
私は浮遊する岩石のひとつの上で目を覚ました。
周囲には大きさの様々な岩がいくつも浮かんでいる。
一体何が起こったのだろう。私はギンヌンガの湖畔の森を走っていたはずだ。
しかしいくら周囲を見回しても、私の知る場所はどこにも存在しない。
周囲には大きさの様々な岩がいくつも浮かんでいる。
一体何が起こったのだろう。私はギンヌンガの湖畔の森を走っていたはずだ。
しかしいくら周囲を見回しても、私の知る場所はどこにも存在しない。
第三の大陸ギンヌンガはもうどこにも存在しない。
地竜の王国ギンヌンガガプは完全に失われた。消滅してしまった。
周囲の浮遊岩石はギンヌンガだったもの。もうギンヌンガではないもの。
地竜の王国ギンヌンガガプは完全に失われた。消滅してしまった。
周囲の浮遊岩石はギンヌンガだったもの。もうギンヌンガではないもの。
私は呆然としながら、さっきまで祖国だったはずの空間を眺めていた。
「……え? お、お爺ちゃん? え、えっ? どういうこと。だってここは……えっ!? じゃあみんなは? お父さんは!? あの黒い竜はどこ!? どうして、なんで、どうなって……。う、うう……。うわぁぁああぁぁぁぁぁっ!!」
一人取り残された私は頭の中が真っ白になった。
ここはかつて地竜の国があった場所。
ムスペから北西の地点――浮遊岩石群。
ムスペから北西の地点――浮遊岩石群。
行き場も帰る場所も失くした私は、気がつくと大樹ユグドラシルへと向かっていた。お爺ちゃんの昔話でよく聞かされていた場所でなんとなく印象に残っていたからなのかもしれない。
行ったことはなかったが、あそこには地竜王の命で大樹を守護する地竜たちが常駐していると話に聞いている。
国は滅ぼされてしまったが、地竜は滅んだわけではない。彼らを頼って、力になってもらおう。そう考えて、私は大樹へと急いだ。
行ったことはなかったが、あそこには地竜王の命で大樹を守護する地竜たちが常駐していると話に聞いている。
国は滅ぼされてしまったが、地竜は滅んだわけではない。彼らを頼って、力になってもらおう。そう考えて、私は大樹へと急いだ。
大樹に到着すると私は事情を話し、大樹の地竜たちの協力を得ることができた。彼らは一目散に祖国のあった場所に向かったが、その惨状を目の当たりにして、私に力を貸すと誓ってくれた。
「姫さま、我々で祖国の仇を討ちましょう! そのニーズヘッグとかいう黒竜、絶対に許すわけにはいきません。犠牲になった仲間たちや国王の無念を晴らすためにも……!」
「協力感謝します。でも私を姫と呼ぶのはやめてほしい。だって祖国はもうないから……。だから私はもう姫でもなんでもない。私はただのジオクルスだ」
「協力感謝します。でも私を姫と呼ぶのはやめてほしい。だって祖国はもうないから……。だから私はもう姫でもなんでもない。私はただのジオクルスだ」
しばらく経って、私と同様に爆風に吹き飛ばされただけで命が助かった地竜たちも、噂を聞きつけて大樹へと集ってきた。仲間が集まったところで私たちは、あの黒竜に復讐の戦いを挑もうとしたが、それ以来ニーズヘッグは姿をくらましてしまい、空のどこを捜しても見つけ出すことができない私たちは途方に暮れた。
それから三百年ほど経った頃だったろうか。大樹を登って地上から人類がやってきたのは。
人間たちが言うには、地上の世界は滅んで暮らせない状態になってしまい、救いを求めて彼らは大樹を登ってきたのだという。
人間たちが言うには、地上の世界は滅んで暮らせない状態になってしまい、救いを求めて彼らは大樹を登ってきたのだという。
祖国を失い今や地竜たちの暮らせる土地はこの大樹のみ。これ以上、自分たちの領域を失ってたまるものかと仲間内からは反対の声も上がったが、私は人間たちを受け入れて大樹に住まわせることにした。
何か深い理由があったわけではない。ただお爺ちゃんから聞かされた昔話の影響なのか、人間という生き物にそれほど警戒心のようなものを持っていなかったというのはある。ギンヌンガよりもより大きな自然の世界に生きる種族、人間。自然を愛する心は地竜とは変わらないはず。だからむしろ親近感があった。
それに彼らも私たちと同様に祖国を失った立場。立場が同じなら互いに理解し合うことができるはずだ。黒竜に立ち向かうなら仲間は多いに越したこともない。
それに彼らも私たちと同様に祖国を失った立場。立場が同じなら互いに理解し合うことができるはずだ。黒竜に立ち向かうなら仲間は多いに越したこともない。
やがて人間たちは大樹の上に彼らの国を築く。
彼らは私たちの知らない技術を用いて次々と家を建て、そして街ができた。これが後のユミル国であり、バルハラの城下街になる。
さらに彼らは地竜から教わった魔法をあっという間に修得してしまうと、彼らの技術と魔法を組み合わせて、魔具と呼ばれる道具を生み出したり、魔力で空を飛ぶ魔導船と呼ばれる乗り物を作ったりと、これまでに存在しなかった新しいものを次々と創り出していった。
彼らは私たちの知らない技術を用いて次々と家を建て、そして街ができた。これが後のユミル国であり、バルハラの城下街になる。
さらに彼らは地竜から教わった魔法をあっという間に修得してしまうと、彼らの技術と魔法を組み合わせて、魔具と呼ばれる道具を生み出したり、魔力で空を飛ぶ魔導船と呼ばれる乗り物を作ったりと、これまでに存在しなかった新しいものを次々と創り出していった。
私はそんな人間たちのこれまで空にはなかった能力に可能性を感じた。
彼らの力を借りれば、ニーズヘッグの居所を突き止めることができるかもしれない。そして彼らの力を借りれば、奴を倒して祖国の無念を晴らせるかもしれない。
彼らの力を借りれば、ニーズヘッグの居所を突き止めることができるかもしれない。そして彼らの力を借りれば、奴を倒して祖国の無念を晴らせるかもしれない。
私たちは人間の持つ未知の能力を解明するために、人間に姿を変えて彼らと同じように暮らしてみることを始めた。そしてやがて地竜たちは、ユミルの人間たちの生活の中に溶け込んでいくようになっていった。
人間は地竜よりも寿命が短い。そのため、この国の王はすぐに世代交代する。
国を治めるものがすぐに交代してしまっては国が安定しないのではないか。そう心配した私はユミル王家と深く関わっていくようになった。そのかいあってか、ユミル王国は数百年と続く歴史を積み上げていく。
それから月日は流れ、やがてニョルズが国王となり、フレイ王子が産まれ、そしてユミルに旅の者を名乗るあの漆黒の魔道士が現れた。
国を治めるものがすぐに交代してしまっては国が安定しないのではないか。そう心配した私はユミル王家と深く関わっていくようになった。そのかいあってか、ユミル王国は数百年と続く歴史を積み上げていく。
それから月日は流れ、やがてニョルズが国王となり、フレイ王子が産まれ、そしてユミルに旅の者を名乗るあの漆黒の魔道士が現れた。
ニョルズはこの魔道士の才能を買って、王宮魔道士に取り立てた。漆黒の魔道士は異例のスピードで王宮魔道士のナンバー3まで登りつめると、三番手を意味するトロウの異名をニョルズから授かった。奴の暴走が始まったのはこの頃からだ。
トロウの正体がニーズヘッグだとすぐに気付けなかったのは私の失態だった。
気付いた頃にはニョルズはトロウの言いなりになっており、一方私はというと、先手を打たれて城から追い出されてしまい、さらには深手を負う羽目になった。
気付いた頃にはニョルズはトロウの言いなりになっており、一方私はというと、先手を打たれて城から追い出されてしまい、さらには深手を負う羽目になった。
そこで城を追い出された私は城下街で魔具を取り扱う店を開き、店を訪れる者から魔法に秀でた者を見つけて味方につけようとした。
そこに現れたのがフレイたちだった。
そこに現れたのがフレイたちだった。
あとは知っての通り。紆余曲折あってアルヴに至る。
今、ユミル国はトロウの手にある。つまり大樹は奴に掌握されてしまっている。
祖国に続いて大樹までも失うわけにはいかない。地竜族の誇りにかけても、絶対に大樹だけは失ってはいけない。
それにあそこはお爺ちゃんにとって重要な意味を持つ特別な場所だ。だから私は大樹を絶対に守らなければならない。
祖国に続いて大樹までも失うわけにはいかない。地竜族の誇りにかけても、絶対に大樹だけは失ってはいけない。
それにあそこはお爺ちゃんにとって重要な意味を持つ特別な場所だ。だから私は大樹を絶対に守らなければならない。
もしあのとき私にもっと力があれば……。
なんどそう思ったことだろう。逃げずにお爺ちゃんと一緒に戦って、もしあの場で奴を倒せていれば、祖国が滅ぶことなどなかったのに。そう、何度も後悔した。
なんどそう思ったことだろう。逃げずにお爺ちゃんと一緒に戦って、もしあの場で奴を倒せていれば、祖国が滅ぶことなどなかったのに。そう、何度も後悔した。
しかし、もう過ぎてしまったこと。過去には戻れない。もう過ぎたことを悔やんだって、どうしようもない。大切なのは今をどうするかだ。
あの頃の私には逃げることしかできなかった。
でも次はもう逃げない。逃げるわけにはいかない。
逃げたせいでこんどは大樹が消滅した、なんてことは絶対にあってはならない。
でも次はもう逃げない。逃げるわけにはいかない。
逃げたせいでこんどは大樹が消滅した、なんてことは絶対にあってはならない。
失敗はもう許されない。絶対に成功しなければならない。
だから万全の状態を整えておきたい。そのためにも戦力は一人でも多く欲しい。
だから万全の状態を整えておきたい。そのためにも戦力は一人でも多く欲しい。
さて、ここでようやく場面は現在へと戻る――
今、私の目の前には機械という旧時代の技術を持った人間、グリムがいる。
旧時代のものだからといって馬鹿にはできない。それは地上の人間にとっては古いものなのかもしれないが、空の世界にはなかったものだ。
それと魔法との組み合わせで人間は魔導船のような新しいものを生み出してきたのだ。それはまさに私が求めていた、人間の未知なる力。
旧時代のものだからといって馬鹿にはできない。それは地上の人間にとっては古いものなのかもしれないが、空の世界にはなかったものだ。
それと魔法との組み合わせで人間は魔導船のような新しいものを生み出してきたのだ。それはまさに私が求めていた、人間の未知なる力。
私は今ここに、ひとつの答えを見た気がする。
(機械……か。なるほど、これは使えるかもしれんな)
トロウも同じく空の出身であるなら、機械というものは知らないはず。だからこそ、それを用いることで奴の不意を突けるかもしれない。
だから私は思った。
この人間の力はトロウを倒すために必要だ、と。
この人間の力はトロウを倒すために必要だ、と。
だから私は言った。
「グリム。お主に相談したいことがあるのじゃが……」