あの世がどんなところかなんて考えたこともなかった。
三途の川があるとか、鬼がいるとか、色々と話に聞くことはあったが、実物がどんなものかなんて誰も知らなかった。当然だ、あの世へ行って帰ってきた者なんていない。
おれは今、そのあの世という場所に浮かんでいた。やけに重い小さな鎌を持たされて。わけもわからないうちに死神をやれと言われて。
三途の川があるとか、鬼がいるとか、色々と話に聞くことはあったが、実物がどんなものかなんて誰も知らなかった。当然だ、あの世へ行って帰ってきた者なんていない。
おれは今、そのあの世という場所に浮かんでいた。やけに重い小さな鎌を持たされて。わけもわからないうちに死神をやれと言われて。
第弐話「相棒」
偉そうな死神に与えられた頭蓋骨による効果なのか、少しずつ闇が晴れて周囲を見渡せるようになってきた。どうやらここは木造の建物の中らしい。無骨な柱が何本も並んで天井を支えている。どうやら外があるようで、外とはふすまで仕切られている。あの世というものは意外に質素らしい。
外に出てみると、砂利道が真っ直ぐ伸びて、松や杉の木が立ち並び、少し向こうには池もあるようだった。出てきた建物を振り返ってみると、なんとなく神社に似ている。あの世というものは意外と現世と変わらないような気もする。ただし空は星のひとつさえない、吸い込まれてしまいそうな暗闇だった。空の闇からはどこともなしに水が落ちてきて滝を成していて、滝壺からはそれぞれ思い思いの方向へと川が流れ出している。また周囲には浮島というには小さい、地面の欠片のようなものがいくつも浮かんでいて、今自分がいるこの神社のような場所もそのうちのひとつであるらしいことが見てわかった。
「なんだか不思議な場所だな」
見覚えのあるような、しかしどこか現世と違う風景を奇妙に思いながら眺めていると、柱の陰からこちらをじっと見つめている頭蓋骨と眼球のない目が合った。
「あっ」
相手はすぐに柱の後ろに隠れてしまったが、やがておずおずと姿を現した。そして、そのまま何も言わずにこちらを物珍しそうに眺めている。
「……何? おれに何か用なの」
痺れを切らしてこちらから声をかけた。相手はおれが急に声をかけたので驚いている。
「えっ、いや、あの……その、ご、ごめんなさい」
なぜか謝られてしまった。
相手は何か動物の頭蓋骨のようなものを被っている。牛か馬か何かだろうか。その下に影のような黒い身体があるのは例の死神と同じだったが、その表面は毛羽立ったようにもさもさしていて、頭上にはピンと立った耳が生えている。もっとも、今はシュンとして垂れてしまっているが。そして手にはおれのものと同じような鎌を持っている。こいつも死神なのだろう。
「あ、あの」
こんどは向こうから先に口を開いた。
「その鎌……キミも新しく死神になった子だよね? あっ、ご、ごめん」
「何がごめんなのかはわかんないけど、そうらしいね」
「よかった! あっ、いや、よくないよね。ごめん」
よくわからないが、なんだかイライラするやつだ。
「それで、あの。ボクもつい先日、死神に選ばれたんだ。でも、ひとりじゃ心細くって……。もしよかったら、仲良くしてくれたらいいなって……。ご、ごめんね。勝手なこと言っちゃって」
何が勝手なことなのかわからないが。
先日というからには、この世界にもちゃんと日があるんだな。と関心しながら相手の話を聞いていると、ふと突然なんとなく懐かしい気分になった。記憶がないので何が懐かしいのかはわからなかったが、気になって相手の顔をじっと眺めてみる。相手はなぜかびくびくしている。
「あ、あの。ボクの顔に何かついてる?」
「いや、なんでもない」
「……」
「……」
外に出てみると、砂利道が真っ直ぐ伸びて、松や杉の木が立ち並び、少し向こうには池もあるようだった。出てきた建物を振り返ってみると、なんとなく神社に似ている。あの世というものは意外と現世と変わらないような気もする。ただし空は星のひとつさえない、吸い込まれてしまいそうな暗闇だった。空の闇からはどこともなしに水が落ちてきて滝を成していて、滝壺からはそれぞれ思い思いの方向へと川が流れ出している。また周囲には浮島というには小さい、地面の欠片のようなものがいくつも浮かんでいて、今自分がいるこの神社のような場所もそのうちのひとつであるらしいことが見てわかった。
「なんだか不思議な場所だな」
見覚えのあるような、しかしどこか現世と違う風景を奇妙に思いながら眺めていると、柱の陰からこちらをじっと見つめている頭蓋骨と眼球のない目が合った。
「あっ」
相手はすぐに柱の後ろに隠れてしまったが、やがておずおずと姿を現した。そして、そのまま何も言わずにこちらを物珍しそうに眺めている。
「……何? おれに何か用なの」
痺れを切らしてこちらから声をかけた。相手はおれが急に声をかけたので驚いている。
「えっ、いや、あの……その、ご、ごめんなさい」
なぜか謝られてしまった。
相手は何か動物の頭蓋骨のようなものを被っている。牛か馬か何かだろうか。その下に影のような黒い身体があるのは例の死神と同じだったが、その表面は毛羽立ったようにもさもさしていて、頭上にはピンと立った耳が生えている。もっとも、今はシュンとして垂れてしまっているが。そして手にはおれのものと同じような鎌を持っている。こいつも死神なのだろう。
「あ、あの」
こんどは向こうから先に口を開いた。
「その鎌……キミも新しく死神になった子だよね? あっ、ご、ごめん」
「何がごめんなのかはわかんないけど、そうらしいね」
「よかった! あっ、いや、よくないよね。ごめん」
よくわからないが、なんだかイライラするやつだ。
「それで、あの。ボクもつい先日、死神に選ばれたんだ。でも、ひとりじゃ心細くって……。もしよかったら、仲良くしてくれたらいいなって……。ご、ごめんね。勝手なこと言っちゃって」
何が勝手なことなのかわからないが。
先日というからには、この世界にもちゃんと日があるんだな。と関心しながら相手の話を聞いていると、ふと突然なんとなく懐かしい気分になった。記憶がないので何が懐かしいのかはわからなかったが、気になって相手の顔をじっと眺めてみる。相手はなぜかびくびくしている。
「あ、あの。ボクの顔に何かついてる?」
「いや、なんでもない」
「……」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
ちらりと目を合わせると、相手はさっと目をそらす。ちらり、さっ。ちらり、ささっ。
「まぁ、別にいいけど」
「えっ」
耳をピンと立てて、そいつは驚いたような表情になった。
「おれ、前世のこと何も覚えてないし、右も左もわからない状態だから、正直言うとあんたがいてくれると助かる。ま、いいんじゃない、これも何かの縁だし。これからよろしく」
「ほ、ほんと!?」
そいつは尻尾を振って喜んでいた。とてもわかりやすいやつだ。
「よかったー! ボク一人でほんとは怖かったんだよぅ。寂しかったんだよぅ。ありがとう、ごめんねぇ~!」
そいつはおれの胸に飛び込んできた。あ、危ない! 鎌、鎌……ッ!
さらに、そいつはおれの顔を(とは言っても骨なのだが)ベロベロとなめまわした。わかった。こいつ前世は犬だろ。
なぜかここで再び懐かしい感じがした。生前、おれは犬でも飼っていたのだろうか。初対面の死神にいきなり顔をなめまくられているわけだが、不思議と悪い気持ちはしなかった。
「でも、さすがにそろそろ勘弁してほしいんだけど……」
「あっ、ご、ごめん」
そいつは慌てて離れた。
「じゃあ、自己紹介。ボク、ここでは獣頭って呼ばれてるんだよ。被ってる骨でそう呼ばれてるみたい。あの上司の顔が怖い死神は竜頭さんって呼ばれてるみたい」
たしかにこいつは動物の骨を被っている。なるほど、それで獣頭か。良く見れば犬の頭蓋骨のようにも思えてきた。
「キミはなんて呼んだらいいのかな。変わった骨を被ってるよね」
おれの被っている骨はおそらく人骨だろう。人頭さん。……なんか微妙だな。
「あんたの好きに呼んだらいいよ。記憶ないから名前もわからないし」
おれはおれだ。どう呼ばれようとそれは変わらない。
獣頭はしばらく考えてから、明るくこう言い放った。
「じゃあ、ご主人! ご主人って呼んでもいいかな!」
「……へ!?」
さすがにこれは予想外だった。ご主人って。ご主人っておまえ。
「ちなみに聞くけど、あんた性別は?」
「死神に性別はないけど、ボクは生前メスだったよ」
うわぁ。しかも、ボクっ子だった……! それがご主人って。ご主人っておまえ。
メスって言ったぞ。こいつ、生前は犬だ。マチガイナイ。
「……だめかな?」
獣頭はおろおろしている。なんだろう、なんかかわいそうな気分になってきた。
「わ、わかったわかった。もう好きにしてくれ……」
「うん♪ ご主人! よろしくねっ」
獣頭は嬉しそうに尻尾を振った。
一方、おれは複雑な気分だった。
ちらりと目を合わせると、相手はさっと目をそらす。ちらり、さっ。ちらり、ささっ。
「まぁ、別にいいけど」
「えっ」
耳をピンと立てて、そいつは驚いたような表情になった。
「おれ、前世のこと何も覚えてないし、右も左もわからない状態だから、正直言うとあんたがいてくれると助かる。ま、いいんじゃない、これも何かの縁だし。これからよろしく」
「ほ、ほんと!?」
そいつは尻尾を振って喜んでいた。とてもわかりやすいやつだ。
「よかったー! ボク一人でほんとは怖かったんだよぅ。寂しかったんだよぅ。ありがとう、ごめんねぇ~!」
そいつはおれの胸に飛び込んできた。あ、危ない! 鎌、鎌……ッ!
さらに、そいつはおれの顔を(とは言っても骨なのだが)ベロベロとなめまわした。わかった。こいつ前世は犬だろ。
なぜかここで再び懐かしい感じがした。生前、おれは犬でも飼っていたのだろうか。初対面の死神にいきなり顔をなめまくられているわけだが、不思議と悪い気持ちはしなかった。
「でも、さすがにそろそろ勘弁してほしいんだけど……」
「あっ、ご、ごめん」
そいつは慌てて離れた。
「じゃあ、自己紹介。ボク、ここでは獣頭って呼ばれてるんだよ。被ってる骨でそう呼ばれてるみたい。あの上司の顔が怖い死神は竜頭さんって呼ばれてるみたい」
たしかにこいつは動物の骨を被っている。なるほど、それで獣頭か。良く見れば犬の頭蓋骨のようにも思えてきた。
「キミはなんて呼んだらいいのかな。変わった骨を被ってるよね」
おれの被っている骨はおそらく人骨だろう。人頭さん。……なんか微妙だな。
「あんたの好きに呼んだらいいよ。記憶ないから名前もわからないし」
おれはおれだ。どう呼ばれようとそれは変わらない。
獣頭はしばらく考えてから、明るくこう言い放った。
「じゃあ、ご主人! ご主人って呼んでもいいかな!」
「……へ!?」
さすがにこれは予想外だった。ご主人って。ご主人っておまえ。
「ちなみに聞くけど、あんた性別は?」
「死神に性別はないけど、ボクは生前メスだったよ」
うわぁ。しかも、ボクっ子だった……! それがご主人って。ご主人っておまえ。
メスって言ったぞ。こいつ、生前は犬だ。マチガイナイ。
「……だめかな?」
獣頭はおろおろしている。なんだろう、なんかかわいそうな気分になってきた。
「わ、わかったわかった。もう好きにしてくれ……」
「うん♪ ご主人! よろしくねっ」
獣頭は嬉しそうに尻尾を振った。
一方、おれは複雑な気分だった。