―1952年夏 鎌倉市 腰越漁港
終戦から4年が経とうとしていた。
ここ、腰越漁港は周辺漁民の要請で1950年に入って整備計画が始まり、52年の頭には駆逐艦の艤装を用いた軍艦防波堤が設置されていた。
まだ周辺施設などの整備は続いていたが、防波堤の設置により港内は安全に船を泊めておける場所となり、少しづつ活気が出てきていた。
そんな漁港の防波堤に立つ少女が一人。
彼女の名は臘雪(ろうせつ)。この防波堤に艤装を提供した、雨氷型駆逐艦の59番艦だった。
臘雪には"海上警備隊"創設の折、警備船として編入の打診もあったが、それを断ってこういう形に落ち着いたのだった。
防波堤から沖を見れば江ノ島があり、陸地から島に向かって架かる弁天橋があり、手前には綺麗な砂浜がある。
人の生活と、海の関わりがひと目に見られる場所。
彼女はここからの眺めがとても気に入っていた。
毎日のように訪れ、眺めて、長い時間を過ごしていた。
この日もそのようにして過ごすつもりだったようだが、今日は少し様子が違った。
「よっ!何突っ立ってんだ?」
臘雪が声のする方へ振り向くと、そこには黄色のラインが印象的な少年が居た。
彼の名は細氷。雨氷型駆逐艦の14番艦。当然、臘雪にとってはかなり上の方の兄だ。
兄であることに気付いた臘雪は、細氷に小さく手を振る。
「時々見かけてたからそのうち声掛けようって思ってたんだ。……あーそっか、ここなんだな、例の防波堤ってのは」
防波堤に上がってくる細氷。その手には、何やら布に包まれた細いものと木箱があった。
「臘雪ちゃんさ、こんないい場所でただ眺めてるだけなんてもったいねーよ?」
そう言いながら、細氷は持っていたものを広げる。臘雪は興味津々といった様子でそれを眺める。
「釣り道具さ。釣りはしたことあるか?」
臘雪は少し考えた後、首を横に振る。
「そうかそうか、なら使い方を教えてやるよ。まず組み立てだが……」
細氷は何本かに分割された釣り竿をテキパキと組み立て、リールをつける。
「どうだ、まだまだ貴重な国産スピニングリールだ、カッコいいだろ?」
くるくるとハンドルを回して見せる細氷。目を輝かせる臘雪。
「もちろん、これだけで終わりじゃないぞ」
リールから糸を繰り出し、ガイドへ通していく。先まで通すと、今度は仕掛けを取り出して結びつける。
「今日はエサにオキアミを持ってきたけど、まぁ、割となんでもいいぜ。狙う魚によっても変わってくるしな」
細氷は竿を手に取り、立ち上がる。
「よーく見とけよ?ここの糸を指で抑えて、それからこのベールってとこを起こしてだな……」
竿を後ろへ倒すとそのままヒュンッと振り上げる。綺麗に飛んでいく仕掛け。
感動して拍手をする臘雪。
「へへっ、これでようやく釣りの始まりなんだぞ?ウキを注意して見とけよ」
波間に揺れるウキ。さすがにそうそうすぐには釣れない。
「そうだ、結局臘雪ちゃんはなんでずっと立ってたんだ?」
細氷がそう訊くと、臘雪は港の内側を指差す。その先には、夜の漁から帰ってきたばかりの漁民達の姿があった。
「ははん、ああやって港を使ってくれてる姿を眺めるのが好き……ってワケか」
臘雪はニコッとして頷く。
「まっ、僕はこういうとこを使わせてもらう側だったんだけどな、ははっ」
そんな他愛もない話をしていると、ウキがピクピクと震え始めた。
「おっ、来たな……良いか、まだ慌てちゃダメだぞ。全部沈むまで待つんだぞ」
ウキがちゃぽんと引き込まれるように沈む。すると細氷はグイと竿を立てる。
「こうやって"アワセ"をしてやると、針がしっかりかかるんだぞ、忘れるなよ~?」
カリカリとリールを巻き取る。わくわくしながら見守る臘雪。
手前まで寄せ切ると、海面から釣れた魚を引き上げる。網も用意していたが、その必要は無かったようだ。
「ちょっと小さいな……もうちょっと大きいと、ここのドラグってツマミを緩めたりしてやる必要があるんだが、ま、それは追々覚えてくれよ」
臘雪は釣れた魚を指差し首を傾げる。
「あぁ、こいつはクロダイ……チヌとも言うな。黒いけどタイの仲間だぞ。同じような白身の魚だ」
細氷はナイフを取り出し。エラ蓋の中と尾ビレの付け根に突き立てる。グッとナイフを入れると一瞬暴れたがすぐにだらりとし、血が流れ出る。
「美味しく食べたかったらこうやってキチンと締めるんだぞ。命をいただくんだから、より美味しくいただくほうが失礼ないだろ」
そう言うと魚を氷の詰まった木箱にしまい、釣り竿を臘雪に手渡す。
「さ、やってみな」
.
細氷はそれからしばらく臘雪の元を訪れ、釣りの手ほどきをした。
少し天気の悪い日、満潮、引き潮、ベタ凪……波の高い日はさすがに来なかった。
ウキ釣りだけでなく、投げ釣り、フカセ釣り、サビキ釣りなども覚えた。
小舟を出して、少し沖で釣りをすることもあった。久々の海上の感覚を味わった。
釣った魚をその場で料理してみることもあった。楽しい日々が続いた。
しかし、そんな日々もいつまでも続くわけではなかった。
「これでもう、僕からは教えてやれることは無いかな」
釣りを終え、片付けを終えた細氷の一言。臘雪は一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに微笑み、頷いた。
「この道具一式全部やるよ。これからは臘雪ちゃんの手元にあったほうが、こいつらも嬉しいだろうしな」
臘雪は少し戸惑いを見せたが、やはりすぐ微笑んで、お辞儀をした。
「良いってことよ。こいつらを大切にしてくれよ、臘雪ちゃん」
コクコクと頷く臘雪。懐からメモを取り出し、書いて見せる。
"ありがとう"と丸い文字で書かれていた。
「ははっ、伝わってるから改めて書かなくたっていいんだぞ!それじゃ、達者でな!」
夕陽に照らされる細氷の背中を見送る臘雪。
彼と会うことはもう、当分無いのだろうな、と予感していた。
ここ、腰越漁港は周辺漁民の要請で1950年に入って整備計画が始まり、52年の頭には駆逐艦の艤装を用いた軍艦防波堤が設置されていた。
まだ周辺施設などの整備は続いていたが、防波堤の設置により港内は安全に船を泊めておける場所となり、少しづつ活気が出てきていた。
そんな漁港の防波堤に立つ少女が一人。
彼女の名は臘雪(ろうせつ)。この防波堤に艤装を提供した、雨氷型駆逐艦の59番艦だった。
臘雪には"海上警備隊"創設の折、警備船として編入の打診もあったが、それを断ってこういう形に落ち着いたのだった。
防波堤から沖を見れば江ノ島があり、陸地から島に向かって架かる弁天橋があり、手前には綺麗な砂浜がある。
人の生活と、海の関わりがひと目に見られる場所。
彼女はここからの眺めがとても気に入っていた。
毎日のように訪れ、眺めて、長い時間を過ごしていた。
この日もそのようにして過ごすつもりだったようだが、今日は少し様子が違った。
「よっ!何突っ立ってんだ?」
臘雪が声のする方へ振り向くと、そこには黄色のラインが印象的な少年が居た。
彼の名は細氷。雨氷型駆逐艦の14番艦。当然、臘雪にとってはかなり上の方の兄だ。
兄であることに気付いた臘雪は、細氷に小さく手を振る。
「時々見かけてたからそのうち声掛けようって思ってたんだ。……あーそっか、ここなんだな、例の防波堤ってのは」
防波堤に上がってくる細氷。その手には、何やら布に包まれた細いものと木箱があった。
「臘雪ちゃんさ、こんないい場所でただ眺めてるだけなんてもったいねーよ?」
そう言いながら、細氷は持っていたものを広げる。臘雪は興味津々といった様子でそれを眺める。
「釣り道具さ。釣りはしたことあるか?」
臘雪は少し考えた後、首を横に振る。
「そうかそうか、なら使い方を教えてやるよ。まず組み立てだが……」
細氷は何本かに分割された釣り竿をテキパキと組み立て、リールをつける。
「どうだ、まだまだ貴重な国産スピニングリールだ、カッコいいだろ?」
くるくるとハンドルを回して見せる細氷。目を輝かせる臘雪。
「もちろん、これだけで終わりじゃないぞ」
リールから糸を繰り出し、ガイドへ通していく。先まで通すと、今度は仕掛けを取り出して結びつける。
「今日はエサにオキアミを持ってきたけど、まぁ、割となんでもいいぜ。狙う魚によっても変わってくるしな」
細氷は竿を手に取り、立ち上がる。
「よーく見とけよ?ここの糸を指で抑えて、それからこのベールってとこを起こしてだな……」
竿を後ろへ倒すとそのままヒュンッと振り上げる。綺麗に飛んでいく仕掛け。
感動して拍手をする臘雪。
「へへっ、これでようやく釣りの始まりなんだぞ?ウキを注意して見とけよ」
波間に揺れるウキ。さすがにそうそうすぐには釣れない。
「そうだ、結局臘雪ちゃんはなんでずっと立ってたんだ?」
細氷がそう訊くと、臘雪は港の内側を指差す。その先には、夜の漁から帰ってきたばかりの漁民達の姿があった。
「ははん、ああやって港を使ってくれてる姿を眺めるのが好き……ってワケか」
臘雪はニコッとして頷く。
「まっ、僕はこういうとこを使わせてもらう側だったんだけどな、ははっ」
そんな他愛もない話をしていると、ウキがピクピクと震え始めた。
「おっ、来たな……良いか、まだ慌てちゃダメだぞ。全部沈むまで待つんだぞ」
ウキがちゃぽんと引き込まれるように沈む。すると細氷はグイと竿を立てる。
「こうやって"アワセ"をしてやると、針がしっかりかかるんだぞ、忘れるなよ~?」
カリカリとリールを巻き取る。わくわくしながら見守る臘雪。
手前まで寄せ切ると、海面から釣れた魚を引き上げる。網も用意していたが、その必要は無かったようだ。
「ちょっと小さいな……もうちょっと大きいと、ここのドラグってツマミを緩めたりしてやる必要があるんだが、ま、それは追々覚えてくれよ」
臘雪は釣れた魚を指差し首を傾げる。
「あぁ、こいつはクロダイ……チヌとも言うな。黒いけどタイの仲間だぞ。同じような白身の魚だ」
細氷はナイフを取り出し。エラ蓋の中と尾ビレの付け根に突き立てる。グッとナイフを入れると一瞬暴れたがすぐにだらりとし、血が流れ出る。
「美味しく食べたかったらこうやってキチンと締めるんだぞ。命をいただくんだから、より美味しくいただくほうが失礼ないだろ」
そう言うと魚を氷の詰まった木箱にしまい、釣り竿を臘雪に手渡す。
「さ、やってみな」
.
細氷はそれからしばらく臘雪の元を訪れ、釣りの手ほどきをした。
少し天気の悪い日、満潮、引き潮、ベタ凪……波の高い日はさすがに来なかった。
ウキ釣りだけでなく、投げ釣り、フカセ釣り、サビキ釣りなども覚えた。
小舟を出して、少し沖で釣りをすることもあった。久々の海上の感覚を味わった。
釣った魚をその場で料理してみることもあった。楽しい日々が続いた。
しかし、そんな日々もいつまでも続くわけではなかった。
「これでもう、僕からは教えてやれることは無いかな」
釣りを終え、片付けを終えた細氷の一言。臘雪は一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに微笑み、頷いた。
「この道具一式全部やるよ。これからは臘雪ちゃんの手元にあったほうが、こいつらも嬉しいだろうしな」
臘雪は少し戸惑いを見せたが、やはりすぐ微笑んで、お辞儀をした。
「良いってことよ。こいつらを大切にしてくれよ、臘雪ちゃん」
コクコクと頷く臘雪。懐からメモを取り出し、書いて見せる。
"ありがとう"と丸い文字で書かれていた。
「ははっ、伝わってるから改めて書かなくたっていいんだぞ!それじゃ、達者でな!」
夕陽に照らされる細氷の背中を見送る臘雪。
彼と会うことはもう、当分無いのだろうな、と予感していた。
腰越漁港のいちばん外側の防波堤。今日もまた、少女はそこに立ち、魚を釣っている。
(おわり)
(おわり)