―1945年8月5日 四国近海
「広島地区に警戒警報が出たとの情報あり」
「私達の向かっている地点、今回もきっと当たりに違いないわ」
「そうだといいな」
「迎撃地点を決めている軍令部の後野とかいう人、凄いわね」
駆逐艦『雨打』は『牡丹雪』の先導により、目標地点へ向けて航行中だった。
今回の任務は中四国方面へ向かう敵爆撃編隊の可能な限りの漸減である。
『雨打』はドイツからもたらされた24cm重高射砲を装備した特殊な艦であり、今まで13機の超重爆撃墜を記録していた。
『牡丹雪』はいわゆるレーダーピケット艦であり、対水中・水上・対空索敵能力を強化された艦だ。
二人は迎撃任務のたびに組み、参謀本部の指定した地点へ向かい、迎撃を行っていた。
それぞれこの任務で組むために造られた艦というわけではなかったが、不思議と息は合っていた。
「でもね、牡丹雪」
「………」
牡丹雪は返事をしない。彼はとんでもなく無愛想で、表情さえ狐面の下に隠している。
だが雨打は、彼のそんなところをなんとなく気に入っていた。
「私一人では目標まで向かえない。このあたりを哨戒してくれている艦ももちろんだけど、この瞬間は誰よりあなたに感謝してるのよ、牡丹雪」
「何言ってんだか」
「いいの。聞き流してちょうだい」
牡丹雪は無愛想なばかりか憎まれ口を叩くタイプだった。
戦闘においても役割故か一歩下がったところから見ているだけのことも少なくない。
彼が攻撃に参加しなかったから損害が出た、と非難する者さえ居た。
彼はどちらかといえば嫌われ者だった。
それでも雨打は彼を弟として気遣っていたし、行動をともにする機会もあり信頼していた。
例え素っ気無い反応が返ってきたとしても、彼女は彼にきちんと伝わっていると信じていた。
日付が変わる頃、牡丹雪は再び警報の情報を受け取った。
「また警報が来た」
「もっと早く出ていれば、そいつらも落とせたのかしら」
「それは命令に無い。余計なことは考えなくて良い」
「それもそうね」
しばらくしてふと、雨打は夜空を見上げた。
漆黒の海の切れ目に細い、細い月が上ってきていた。
それは触れれば折れてしまいそうな脆さを感じさせた。
「……まるで私みたい」
彼女は数時間ほど前の、姉妹艦である毒雨との会話を思い出していた。
敵は数百機。その中から数機落としたところで大差はない。
それはそうだ。彼の言っていることは正論であった。
では何のためにこの任務はあるのだろうか。
「ねぇ、牡丹雪」
「……何」
「私は……さ。みんなを守りたくて、この任務をやってるの」
本土の街の人々、母港のみんな、そして。
「でもね、その守りたいうちの一人から、そんなの無意味だ、なんて言われたらさ?」
雨打は言葉を詰まらせるが、なんとか振り絞る。
「牡丹雪なら、なんて答えるの」
「くだらない。命令だからやるだけだ」
「命令だったらなんでもやると言うの」
「いや……」
牡丹雪は振り向く。
「信じるに足る命令ならやる。役割を持つ自分が信じるか信じないか。それだけだろ」
彼らしい答えだった。
国のため、戦友のためといった感情は彼の意識の外だった。
それが嫌われている理由のひとつでもあったのだが、ここでは違った。
「そっか……ありがとう。ちょっとだけ整理ついた」
「何のことやら」
「気にしないで」
「先行展開の哨戒艦から情報。この先敵潜の潜伏あり。少し迂回する」
「ええ、了解」
すぐ終わるような話を何度か重ねながら、割り出された射点へ向かう。二人の日常的な任務。
普通の駆逐艦とは大きく異なる任務だったが、雨打は満足していたし、誇りとさえ思っていた。
少し揺らいでいた自信も、すぐ取り戻すことができた。
「警報が解除されたとの情報」
「そっか……」
しかし、二人は暗夜の海を進む。
この時間に指定があったということは、これからまだ敵機が来る可能性があるのだ。
「このあたりだ。それじゃ」
射点に着き、牡丹雪はこの場から離れる。
もしこのまま待機し続けて敵に見つかり、二隻同時に沈めば大事だからだ。
リスク分散。これもまた、二人のいつものルールだった。
「今夜も誘導ありがとう牡丹雪」
やはり返事はないが、構わず続ける。
「必ず落として帰るから。それじゃ、またね」
「私達の向かっている地点、今回もきっと当たりに違いないわ」
「そうだといいな」
「迎撃地点を決めている軍令部の後野とかいう人、凄いわね」
駆逐艦『雨打』は『牡丹雪』の先導により、目標地点へ向けて航行中だった。
今回の任務は中四国方面へ向かう敵爆撃編隊の可能な限りの漸減である。
『雨打』はドイツからもたらされた24cm重高射砲を装備した特殊な艦であり、今まで13機の超重爆撃墜を記録していた。
『牡丹雪』はいわゆるレーダーピケット艦であり、対水中・水上・対空索敵能力を強化された艦だ。
二人は迎撃任務のたびに組み、参謀本部の指定した地点へ向かい、迎撃を行っていた。
それぞれこの任務で組むために造られた艦というわけではなかったが、不思議と息は合っていた。
「でもね、牡丹雪」
「………」
牡丹雪は返事をしない。彼はとんでもなく無愛想で、表情さえ狐面の下に隠している。
だが雨打は、彼のそんなところをなんとなく気に入っていた。
「私一人では目標まで向かえない。このあたりを哨戒してくれている艦ももちろんだけど、この瞬間は誰よりあなたに感謝してるのよ、牡丹雪」
「何言ってんだか」
「いいの。聞き流してちょうだい」
牡丹雪は無愛想なばかりか憎まれ口を叩くタイプだった。
戦闘においても役割故か一歩下がったところから見ているだけのことも少なくない。
彼が攻撃に参加しなかったから損害が出た、と非難する者さえ居た。
彼はどちらかといえば嫌われ者だった。
それでも雨打は彼を弟として気遣っていたし、行動をともにする機会もあり信頼していた。
例え素っ気無い反応が返ってきたとしても、彼女は彼にきちんと伝わっていると信じていた。
日付が変わる頃、牡丹雪は再び警報の情報を受け取った。
「また警報が来た」
「もっと早く出ていれば、そいつらも落とせたのかしら」
「それは命令に無い。余計なことは考えなくて良い」
「それもそうね」
しばらくしてふと、雨打は夜空を見上げた。
漆黒の海の切れ目に細い、細い月が上ってきていた。
それは触れれば折れてしまいそうな脆さを感じさせた。
「……まるで私みたい」
彼女は数時間ほど前の、姉妹艦である毒雨との会話を思い出していた。
敵は数百機。その中から数機落としたところで大差はない。
それはそうだ。彼の言っていることは正論であった。
では何のためにこの任務はあるのだろうか。
「ねぇ、牡丹雪」
「……何」
「私は……さ。みんなを守りたくて、この任務をやってるの」
本土の街の人々、母港のみんな、そして。
「でもね、その守りたいうちの一人から、そんなの無意味だ、なんて言われたらさ?」
雨打は言葉を詰まらせるが、なんとか振り絞る。
「牡丹雪なら、なんて答えるの」
「くだらない。命令だからやるだけだ」
「命令だったらなんでもやると言うの」
「いや……」
牡丹雪は振り向く。
「信じるに足る命令ならやる。役割を持つ自分が信じるか信じないか。それだけだろ」
彼らしい答えだった。
国のため、戦友のためといった感情は彼の意識の外だった。
それが嫌われている理由のひとつでもあったのだが、ここでは違った。
「そっか……ありがとう。ちょっとだけ整理ついた」
「何のことやら」
「気にしないで」
「先行展開の哨戒艦から情報。この先敵潜の潜伏あり。少し迂回する」
「ええ、了解」
すぐ終わるような話を何度か重ねながら、割り出された射点へ向かう。二人の日常的な任務。
普通の駆逐艦とは大きく異なる任務だったが、雨打は満足していたし、誇りとさえ思っていた。
少し揺らいでいた自信も、すぐ取り戻すことができた。
「警報が解除されたとの情報」
「そっか……」
しかし、二人は暗夜の海を進む。
この時間に指定があったということは、これからまだ敵機が来る可能性があるのだ。
「このあたりだ。それじゃ」
射点に着き、牡丹雪はこの場から離れる。
もしこのまま待機し続けて敵に見つかり、二隻同時に沈めば大事だからだ。
リスク分散。これもまた、二人のいつものルールだった。
「今夜も誘導ありがとう牡丹雪」
やはり返事はないが、構わず続ける。
「必ず落として帰るから。それじゃ、またね」
牡丹雪は予め決まっていた待機場所へ向かっていた。
雨打が実際に射撃を開始する際には、彼が観測した気象条件などを伝え、諸元入力を助けることになっている。
「このあたりは確か、さっき潜水艦が居ると言っていた場所だったか」
敵襲に備え、牡丹雪は水中聴音器の伝える波形に集中していた。
その時だった。
聴音機が異常な波形を検知した。
明らかに何かが水上で爆発した波形だ。
少し遅れて、遠くに小さく爆発音が聞こえた。
「まさか」
珍しく胸騒ぎを覚えた牡丹雪は、予定を変えて分かれた地点へ引き返した。
無事であってくれ、といつにない感情からか、船速が無意識に上がる。
あまり上げ過ぎると潜水艦に見つかるかもしれなかったが、それどころではなかった。
雨打の待機場所が近づいても、彼女の艦影は見えない。
到着してもなお、周辺に姿は見えなかった。
牡丹雪が面を外すと、油の臭いが鼻を突いた。
暗くてわかりにくいが、海面が油でキラキラと光っている。
その中で揺らめいているものを見つける。黒く薄汚れているが、青いリボンだ。
雨打の、胸元で結ばれているはずの。
牡丹雪はここでようやく、彼女がここで沈んだことを確信した。
「……軍令部へ報告。駆逐艦雨打の喪失を確認。作戦は失敗した。これより帰投する」
雨打が実際に射撃を開始する際には、彼が観測した気象条件などを伝え、諸元入力を助けることになっている。
「このあたりは確か、さっき潜水艦が居ると言っていた場所だったか」
敵襲に備え、牡丹雪は水中聴音器の伝える波形に集中していた。
その時だった。
聴音機が異常な波形を検知した。
明らかに何かが水上で爆発した波形だ。
少し遅れて、遠くに小さく爆発音が聞こえた。
「まさか」
珍しく胸騒ぎを覚えた牡丹雪は、予定を変えて分かれた地点へ引き返した。
無事であってくれ、といつにない感情からか、船速が無意識に上がる。
あまり上げ過ぎると潜水艦に見つかるかもしれなかったが、それどころではなかった。
雨打の待機場所が近づいても、彼女の艦影は見えない。
到着してもなお、周辺に姿は見えなかった。
牡丹雪が面を外すと、油の臭いが鼻を突いた。
暗くてわかりにくいが、海面が油でキラキラと光っている。
その中で揺らめいているものを見つける。黒く薄汚れているが、青いリボンだ。
雨打の、胸元で結ばれているはずの。
牡丹雪はここでようやく、彼女がここで沈んだことを確信した。
「……軍令部へ報告。駆逐艦雨打の喪失を確認。作戦は失敗した。これより帰投する」
1945年8月6日 昼前
「お前、今朝広島市に落とされた爆弾のことを知っているか」
牡丹雪は知っていた。帰路で傍受した無線通信は混乱状態だった。
「現在調査中だが、たった一機の、ただの一発で広島は壊滅したらしい」
牡丹雪は知っていた。電探に機影があったのだから。
「新型爆弾だよ」
牡丹雪は知る由もなかった。
単機であればいつもの偵察だろう、失敗しても損害は少ない。そう考えていたのだ。
「哨戒艦からも報告が入っている。あのあたりでカタリナを1機落としたそうだ」
周辺に水上艦も潜水艦も反応はなかった。
航空機も居なかったはずだが、もし海面スレスレを低速で飛行していたのなら、彼の電探にさえ引っかかることはない。
やられた。たった13機の撃墜とはいえ、雨打の存在は目立ち過ぎていた。
高射砲陣地の無い海の上で大口径高射砲の迎撃を受けることなどありえない。
それぐらいアメリカ軍もわかっていたのだ。
彼らは新型爆弾を広島に確実に投下すべく、カタリナを飛ばしていたのだ。
航路上の索敵のためか攻撃のためかはわからないが、現に雨打は沈んだ。
牡丹雪は自分が離れなければ、とふと考えた。
レーダーピケットとはいえそれなりの武装は持っている。
彼女が上空に集中していても、自分が機銃で迎撃できたかもしれない。
「損害状況は現在確認中だが、非常に混乱している」
明らかに普通ではない様子であることはわかっている。
1発で何千、何万、下手すれば何十万……。
雨打が命に代えてでも守りたかったであろうものが、その1機、1発で。
彼女が聞いたらどう思うだろうか。何と言うだろうか。
何を言われたとしても、自分には何も言い返せない。
今、自分は面の下でどんな顔をしているだろうか。
もちろん、指揮官には見えていない。しかし、牡丹雪自身にもわからなかった。
「雨打を喪ったことで取りうる迎撃手段は減った。だが、貴艦の役割は変わらない」
牡丹雪はいつの間にか下がっていた視線をはっと上げる。
「今後は航空隊とも連携し、更なる新型爆弾の投下に備えろ。情報は少ない。明日、明後日にでも別の場所へ投下されるのかもしれないのだ」
情報を収集し、伝える。それが彼の役割だ。
「これ以上の新型爆弾投下を許すな。今夜から単艦で哨戒に出てもらう」
「了解しました」
新たな役割を与えられた。次こそ、成し遂げる。牡丹雪は薄汚れたリボンを片手に握り締め、心に誓った。
(おわり)
牡丹雪は知っていた。帰路で傍受した無線通信は混乱状態だった。
「現在調査中だが、たった一機の、ただの一発で広島は壊滅したらしい」
牡丹雪は知っていた。電探に機影があったのだから。
「新型爆弾だよ」
牡丹雪は知る由もなかった。
単機であればいつもの偵察だろう、失敗しても損害は少ない。そう考えていたのだ。
「哨戒艦からも報告が入っている。あのあたりでカタリナを1機落としたそうだ」
周辺に水上艦も潜水艦も反応はなかった。
航空機も居なかったはずだが、もし海面スレスレを低速で飛行していたのなら、彼の電探にさえ引っかかることはない。
やられた。たった13機の撃墜とはいえ、雨打の存在は目立ち過ぎていた。
高射砲陣地の無い海の上で大口径高射砲の迎撃を受けることなどありえない。
それぐらいアメリカ軍もわかっていたのだ。
彼らは新型爆弾を広島に確実に投下すべく、カタリナを飛ばしていたのだ。
航路上の索敵のためか攻撃のためかはわからないが、現に雨打は沈んだ。
牡丹雪は自分が離れなければ、とふと考えた。
レーダーピケットとはいえそれなりの武装は持っている。
彼女が上空に集中していても、自分が機銃で迎撃できたかもしれない。
「損害状況は現在確認中だが、非常に混乱している」
明らかに普通ではない様子であることはわかっている。
1発で何千、何万、下手すれば何十万……。
雨打が命に代えてでも守りたかったであろうものが、その1機、1発で。
彼女が聞いたらどう思うだろうか。何と言うだろうか。
何を言われたとしても、自分には何も言い返せない。
今、自分は面の下でどんな顔をしているだろうか。
もちろん、指揮官には見えていない。しかし、牡丹雪自身にもわからなかった。
「雨打を喪ったことで取りうる迎撃手段は減った。だが、貴艦の役割は変わらない」
牡丹雪はいつの間にか下がっていた視線をはっと上げる。
「今後は航空隊とも連携し、更なる新型爆弾の投下に備えろ。情報は少ない。明日、明後日にでも別の場所へ投下されるのかもしれないのだ」
情報を収集し、伝える。それが彼の役割だ。
「これ以上の新型爆弾投下を許すな。今夜から単艦で哨戒に出てもらう」
「了解しました」
新たな役割を与えられた。次こそ、成し遂げる。牡丹雪は薄汚れたリボンを片手に握り締め、心に誓った。
(おわり)