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フェリル城。元はフェリル領主の城であったが今はゴブリンの勢力が接収し、使っている。
山間にある事もあり、かつては難航不落の城塞とも言われたこの城も今では度重なる戦闘により、見るも無残な姿をさらしていた。
チルク「ふー…おっそろしかったけど、なんとか凌いだね。王室育ちのボンボンだって聞いてたけど、頭の回る側近がいるらしいね。
僕等の脅威である魔法を上手く使ってくる。」
最早何度目かわからない戦闘を、辛うじて生き延び防衛したチルクは、
傷の手当をしながら、傍らに腰を下ろしたゴブリンの洞主、バルバッタに笑い掛ける。
しかしいつもと違い、バルバッタは何か深刻な表情のままでいた。
バル「チルク、生き残ったのはどれくらいだ?」
チルク「…戦士が40、魔術師が50かな?」
チルクの言葉にバルバッタは小さくため息をついた。戦闘の際には先陣きって進み、
大きな勝鬨の声をあげ続けるバルバッタであったが、チルクの前では時折この様な悲しい表情をする。
バル「減っちまったなぁ…。皆、気のいい奴だったってのに…」
チルク「……。」
今日の戦闘で知り合いが大分減った。幼い頃から共に山を駆け巡り、人里の食料を奪う時にも一緒に行い、
バルバッタが先頭に立って挙兵した時からの仲間も、今では両手で数える程しかいない。
バル「なぁ、チルク。義弟よ。」
チルク「なんだい、義兄さん。」
バル「俺はアッタマ悪いからよく分からねぇが…今、人間が抑えてるフェリルの地を取れれば、本当にガキンチョ達が飢え死ぬ事はねぇんだな?」
チルク「…確実に、とは言えない。でも農耕さえ始めて文化が根付けば、今までみたいな狩猟や強奪だけの暮らしと比べて、飢え死ぬゴブリンは格段に減るはずだ。
それに食料の確実な確保が出来る様になれば文化を育てる余裕も出て来る。医学だって、育てられるはずだよ。」
食料の乏しいフェリルの山間では、飢えた子ゴブリンで溢れ、簡単な病気でさえ、治療出来ずに命を落とす事が多い。
ふざけた言動をよく取り、有権者達からは疎まれ続けているバルバッタだが、チルクだけは彼がいつもそれらに心を痛め、真剣に悩んでいた事を知っている。

チルク「でも、少なく僕達はバルバッタを支持してるよ。バルバッタがやらなきゃこのフェリル城を奪取する事はできなかった。
それにこのフェリル城にあった食料と薬で沢山のゴブリンが助かったんだからさ。」
バル「…だと、いいんだがよ。」
空元気ながらも二人で笑い合っていた時、部屋の扉が勢い良く開き、ゴブリンが転がり込んで来た。

ケニ「バルバッタ兄貴、大変だ!」
自称、バルバッタ一番弟子の二刀流剣士ケニタルだ。後ろにはバルバッタを信奉するツヌモも居る。
バル「どうした?」
ツヌモ「ゴートの軍が、何時の間にか近い所に!それも大分人数が多い!」
バル「なんだと!?」
チルク「なんだって!?」
がたりと立ち上がるバルバッタとチルク。
バル「馬鹿な。さっき撃退したばかりじゃねーか!皆まだ怪我の治療も終えてねぇってのに!」
チルク「それに城壁の補修だって終わってないよ!?攻撃に耐えられない!第一、一体何処にそれだけの戦力が…」
フー「どうやらゴート軍はシャルパイラ遺跡に軍を隠していた様ですね。」
更に後ろから部屋に入って来たゴブリンの少女がフーリエンが、冷静に淡々と報告する。
フー「敵軍の中にゴート本人が見えます。恐らく先程のは攻撃特化の先発部隊。本隊は今来ている方でしょう。」
これから来るのが本隊。その言葉を聞いて一同の顔色がさっと青くなった。
今の戦力と準備では先程と同レベルの部隊でも勝てそうにないというのは誰にも分かりきっている事であった。
チルク「バ…バルバッタ。どうしよう。このままじゃ全滅しちゃうよ…逃げた方が…」
ケニ「ケッ!この臆病モンチルクが!こうなったら一人でも多くぶっ殺してやらぁ!」
ツヌモ「そーだ!折角手に入れたモンを奪われてたまるかってんだ!」
フー「私はチルクの案に賛成です。人間が書く物語じゃあるまいし、玉砕なんて愚かの極みだと思いますよ。」
焦りもあってぐちゃぐちゃになりつつある四人を見つつ、一人だけ騒がず思案していたバルバッタが、思い詰めた表情のまま立ち上がる
バル「おい、チルク。お前ぇ、仲間連れて逃げろ。」ケニ「兄貴!?」
ツヌモ「何言ってんですか!」
驚愕する二人の方を向いて、バルバッタは彼らの肩を掴む。
バル「どーせこんまま行ったって文字通り犬死にじゃねーか。
それよか一体退いて相手が勝って油断した所を奇襲してみろ、奴等、なんにも出来ずに逃げるだろうよ!」
ケニ「おぉ、流石兄貴!」
ツヌモ「確かに!そっちのが良さそうだ!」
ケニタルとツヌモはバルバッタの意見に深く感動して騒ぎ出す。
フー「そんなの、上手くいくはずな…」
相手がその程度の事に対策を立て無いはずが無いと分かっているフーリエンが否定しようした所、バルバッタが手で口を塞いでじっと見つめる。
フーリエンはハッとする。バルバッタは、明らかに分かっている目をしていた。その上でこう言っているのだ。好戦的な二人を退かせる為に。
チルク「で、でも…幾ら逃げたって追い付かれるよ。こっちは怪我人だって居るんだ。」
バル「なぁに、心配ねぇって!この俺様が囮になって奴ら引き付けとくからよ!」
チルク「でも、それじゃ義兄さんが!」
思わぬ提案に思わず普段二人の時にしか言わない義兄さんと口走るチルク。それだけ混乱してしまっているのだ。
そんなチルクの様子を見て、バルバッタはニヤリと笑った。
バル「ヒャッハッハ!こちとら秘宝!マクラヌスを持ってんだぜ?王子なんてボンボン程度にゃ捕まらねぇよ!いっそ数人沈めておちょくってやらぁ。」
嘘だ。フーリエンは気づいた。マクラヌスがあると言っても多勢に無勢が過ぎる。
確かにバルバッタは同世代のゴブリン内では一番強いが、単体で人間相手に勝てる程特出した力がある訳じゃない。
そんな事ゴブリンの賢者アスターゼか竜王ルルニーガ位しか出来ないだろう。
しかし、バルバッタを信頼仕切っているチルクは気付かない。納得した表情で引き下がった。
バル「そーと決まればお前等!さっさと撤退準備を始めやがれ!」


ゴート軍到着が刻一刻と迫る中、ゴブリン達は撤退の準備を急いでいた。ある者は怪我した仲間を背負い、ある者は今後の為に食料と薬を担ぐ。
チルクが率先して指示を飛ばし、ケニタルとツヌモが尻を蹴っ飛ばして急がせる中、フーリエンはバルバッタの居る部屋へと足を運んだ。
部屋ではバルバッタがいつもの簡素な鎧を着込み、剣に欠けや不備が無いかをチェックしている所であった。
フー「何を考えているんですか?バルバッタ。」
バルバッタは声を掛けられて初めてフーリエンに気付き、にっこりと笑う。
バル「おお、フーリエンか。お前はもう準備終わったのか?したらちょっと鎧見てくんねーか?肩口がきつくってよ。」
フー「ごまかさないで下さい。」
口ではそう言いつつバルバッタの後ろに回り、フーリエンはショルダー部分を締める紐を少しだけ緩める。
フー「ゴート軍は一人で相手出来る物じゃありませんし、一人で突っ込んできた相手をおめおめと逃がす程間抜けじゃないって事は貴方は良く知っているでしょう?
魔法に弱い私達ゴブリンを守る為に一人突っ込んでマクラヌスをぶっ放して敵の魔力を削り続けた貴方なら…」
バルバッタは答えない。答えないからこそ、それが答えになっていた。
フー「物語の、悲劇の主人公にでもなったつもりですか。私達ゴブリンがそんなものになれない事、分かりきっているでしょう。
第一、貴方が居なくなって誰がフェリル党を率いるんですか?」
バル「チルクがいる。」
バルバッタのその答えにフーリエンはため息をつく。
フー「確かにチルクは多少頭が回る様ですが、基本的に臆病です。為政者ならとにかく、戦時に上に立つ器では」
バルバッタはフーリエンに全てを言わさず、両肩を掴みぐっと力を込める。
バル「あいつを、この俺様の義弟を侮るなよ。確かにあいつは弱気だ。オーク5匹相手に逃げ出す位だ。」
フー「…」
バル「でもな、俺がオーク5匹倒す間にあいつは頭を廻らせて策を練る。そして俺がもう5匹を倒す間に20匹倒すんだ。
チルクは、肝さえ据われば強くなる。それこそ、ルルニーガやアスターゼに迫る程にな。」
フーリエンは答えない。いや、今まで見た事も無いバルバッタの気迫に圧されて、口を動かす事が出来なかった。
そこにケニタル達と馬鹿やったりヒャッハーと叫んで突っ込んでは慌てて逃げてくる様な普段の姿は無く、一人の戦士がそこに居た。

両者は共に沈黙し、静寂だけが部屋を支配する。
静寂は部屋の扉が開く音で破られた。
チルク「バルバッタ、大体準備が…」
チルクは部屋に入るなり、驚愕の表情で二人を見る。
バル「ん?どうしたチルク。」
バルバッタの質問にチルクは顔を赤らめて目を逸らす。
チルク「あー…えと、邪魔だったかな?」
バル「あん?」
バルバッタは首を傾げて自分の様子を鑑みた。
フーリエンの肩を真っ正面から力一杯掴んでいた自分がいた。まるで、告白の現場の様でもある。
バルバッタは慌てて手を離した。
バル「バ…馬鹿!そんなんじゃねぇよ!くだらない勘違いすんな!」
フー「あら、力一杯私の肩を掴んでおいてそういう事言うんですか?さっきの言葉は嘘なんですか?」
バル「んなっ!?」
フーリエンは気圧されたお返しとばかりにニヤリと笑って言う。
バル「違うだろ!いや、さっき言ったのは嘘じゃ無いけど違うだろ!」
チルク「いや、慌てなくていいよバルバッタ。僕が君の秘密を喋るハズも無いんだから。」
バル「そうじゃ無くて!あー…そうだ!準備が終わったんだって?」
フー「わざとらしいですねぇ。」
横でクスクスとフーリエンが笑う。バルバッタはギロリと一睨みした。
バル「準備が終わったんだったらちょうどいい。俺からチルクに渡しときたいモンがあったんだ。」
チルク「渡したいもの?」
バルバッタは部屋の隅に置いてあった袋をチルクの方に放る。おっと、と声をあげてチルクはその袋を抱き取った。
チルク「これは?」
バル「俺の荷物に決まってんだろ。お前は俺に荷物持ったまま戦えってのか?大事なモンとかも入ってっから丁重に扱ってくれよ?
それと念の為、追い付かれた時の為の秘策も入れといた。ある程度逃げた後に開けて確認しとけ。」
チルク「分かった、預かっとくよ。でも秘策って別に今見ても…」
袋を開け様としたチルクの頭をバルバッタはパカンと殴った。
バル「んな、時間あったらとっとと撤退しやがれ。なぁにこちとら秘宝持ちなんだ。心配いらねぇよ!ほらさっさと行った行った!」
二人の背中を押して、部屋から追い出す。
バル「おいフーリエン!チルクはちょいとおっちょこちょいだからよ、しっかりサポートしてやってくれや。」
フー「…えぇ、分かりました。」
チルク「酷いよバルバッタ!僕はそんなに頼りないかい!?」
バル「言われたくなけりゃ仕事をキッチリこなせ!いい加減俺を頼らずとも仕事の一つや二つ出来る様になりやがれ。」
チルク「言ったね!?見てなよ?一人の脱落者も無しに脱出してやるからね!そして帰って来たら認めさせてやるからね!」
バル「ヒャハッ!言うねぇ。しかし、でなきゃゴブリンの理想郷なんざ作れねぇからな!」
チルク「だね。んじゃ、行ってくるよ!バルバッタも頑張って!」
バル「おう、任せとけ!しっかり足止めしてやんよ!」
二人は笑い合いハイタッチをして、チルクは城を後にした。


チルクがバルバッタから受けとった秘策が「秘宝マクラヌス」である事に気付くのは、城を出て暫く後の事だった。


「老師、この通りです!」
もう何度目であろうか。チルクはアスターゼの庵を訪ねては、その門前に
座り込んでいた。
「………」
大賢人はただそれを黙殺する。既に破門した身とはいえ、かつての弟子が
しでかしたことで、もはや人間とゴブリンとの関係は修復不可能にまでなっていた。
戦を避け、逃げ延びるフェリル党の残党たちを匿うことも限界になりつつある。
 ふと、外を見やると、雨が降り出した。その後、どれほどであろうか、
両者は沈黙のまま門を隔てて対峙した。そろそろ、根を上げて帰るころだろう。
いつもがそうだ。チルクとて、自由な身ではない。一党を食わせていくために、
いつまでもここで油を売っているわけにもいかないのだ。だが――
――轟音、そして一瞬の後、一匹のゴブリンが庵の中へと侵入する。
アスターゼと目が合う。他でもない、チルクだ。

「なぜ、バルバッタは死なねばならなかったのか」
大賢人の庵の門は、並大抵のことで破れはしない。魔力負荷限界をいくらか超えたのだろう、
チルクは魔力を集中させたであろう利き腕を裂傷させつつ、血と雨を滴らせたままの姿だ。
だが、そこには、若さに任せ、血に走る者の浅ましさはなく、むしろ凍てつく寒空のような
冷徹さを窺わせる。
「秘宝を持ってしまったことが彼奴の最期。己の分を弁えず、限界を超えてひた走った
結果がこれじゃ。結果、多くの同胞を巻き添えにし、今、また、次代を担う子らをも狂わせる」
「確かに、貴方に取っては、狂った妄想に過ぎないでしょう、ボクらの理想は。
そう、人間たちに敗北することしかできなかった貴方にとっては!」
大賢人の表情は、微塵も変わりはしないが、内心では、わずかばかりの怒りと、感心が
芽生えていた。
「貴方や竜王は確かに大した方々だ。だが、貴方がたは、自身に陶酔するあまり、
次代の可能性を奪ってしまっている」
バルバッタのフェリル党結成より数十年ほど前であったか、ルルニーガとアスターゼを
中心とするゴブリンたちが、少数ながら、人間に対し独立戦争をしかけたことがあった。
「貴方たちの代の頃は、良かったでしょう。おかげで、貴方は人間たちから
ありったけの知識を、ルルニーガ殿は、ありったけの武術と勇名を得ることができたの
ですから。それに対して、ボクたちの挙兵はなんだったのでしょう? ただ、ゴブリンが
劣等種であるとを知らしめただけではいないですか!」
「………」

「忘れてはいないぞ。魔王召喚が実現したのは、貴方にも責任がある! 貴方の
あの論文だ。そして、魔王召喚、人間たちの王朝の崩壊、それらは、ゴート軍がこの地に
流れ着くことを予期させる。貴方ならば、戦って勝てないことを知っていた筈だ。そう、
バルバッタは、ボクの義兄は、貴方が殺したんだ!」
無言のままアスターゼは腰を上げる、動作らしい動作もなく、ティアマトが4体、チルク
の四方に召喚される。――――――――――――。


その数日後、フェリルの北部の山間部に、鋭気に満ちた目をしたゴブリンたちが集う。
「ほう、わしが呼びに行くまでもなく、老師自ら動くとはな」
「ほっほ、お互い、若い者には勝てぬと見る」
大賢人の見やる先には、若い男の戦士ゴブリンたちと軽い喧嘩のようなものをしている
半人半獣の娘がいた。
「負けられては困る。我らの理想、あやつらに預けるためにも、できうる限りの道は拓く」
「死ぬるのなら、御主一人にしてもらおうかの」
「ぬかせ」
「チルク、逸るゴブリンたちをよく今日まで鎮めてくれました。いよいよですね」
フーリエン。普段冷静な彼女も、新たな英雄の誕生、そして自分たち種族の
日の出に心を躍らせていた。
「やるぞ! あたしとルルニーガさまと、それとそれとみんなでおおあばれだ!」
ムッテンベル。バルバッタの代には、前線に出れなかった彼女も、牙を研いでこの日を待っていた。
「ああ、みんな。よく集まってくれた。人間たちは、今、内輪揉めでボクたちだけに戦力を
集中できない。皆の中には、亡きバルバッタの仇を討ちたいという者も多いだろう。ボクもその一人だ。
だが、王都に全力を傾けるゴート軍をこちらに向き直らせる必要はない。まずは、フェリルに残った奴らを
侮らせたままに、追い込む。奴らは、最期に後悔するだろう、ゴブリンを侮ったことを!」
「オォオオオオオーーーーーー!!!」

新生フェリル党の初動は、ゴブリンらしからぬ少数によって行われた。
少数というのは、フェリル党のメンバーのみのことを指し、実際に戦場に居合わせたゴブリンの数は
相当数のものであった。
「不始末だな、代官殿」
「マクセンか。その呼び方はよせ、私には合わん」
「ファルシス騎士団が、砂漠の民に追われて、南下してきてやがる。あの匹夫共と正面からぶつかるのは
気が引ける。ある程度、暴れさせて山地に誘い込んで撃つがいいか?」
「ああ、今回の襲撃も以前と変わらぬ散発的なものだ。野犬どもは餌を欲しがって里へ降りてきたに過ぎん。
おまえも、ラムソンの番犬どもに食い殺されぬよう気をつけろよ」
フェリルの代官=テステヌは此度のゴブリンの襲撃もまた、取るに足らぬ些事。モンスターの襲撃と同等のものと
思っていた。彼の手腕により、見事に罠に嵌り、死傷したゴブリンの数はかなりの数となった。
それに対し、フェリル党の精鋭たちは、数えるほどの脱落者もなく、生還してみせ、また、多くの同胞を救出した。
これにより、知なく、統率なきゴブリンの脆さを痛感したゴブリンたちにフェリル党は英雄視されていく。


その10日ほど後、これもまだ、公的に戦争とは呼ばれず、所謂事変と呼ばれる戦いがあった。
戦いの場は、彼らの始まりの地、フェリル城……。
王都攻略戦において、本軍は連戦連勝。その報を受け、また、フェリル特有の風習における精霊節であったため、
城内はお祭り騒ぎとなっていた。祭りの目玉は何と言っても、ゴート軍と前フェリル党の戦いを描いた演劇であろう。
邪悪な魔法を使う悪の獣鬼が正義の王子によって成敗されるという、子供向けのものであった。
それは、今まさに、時代の英雄にして、大陸の覇者となりつつあるゴート三世その人を取り上げたものである。
演劇は物語の佳境に入り、悪の獣鬼に王子がとどめを刺そうとしたその瞬間、
「そして、王子は、力尽きるのでした」
どこからか放たれた魔法が王子役の役者を射抜く。役者は、口を目から炎を噴き、倒れることもできず、その場で
火柱にされる。瞬間――、フードを被ることで耳を隠していた女ゴブリンたちが降り立ち、大衆の前でゴート軍役の
男たちを惨殺しはじめる。剣が一振りされると、フードがめくりあがり、獣の耳が露になる。
また一振りされると、血飛沫が悲鳴なくあがる。騒ぎを聞きつけた兵士たちがやってくるが、丸い何かが投げつけるられると煙が立ち込め、
視界が奪われる。聴覚・嗅覚の鋭い彼女たちには、悪視界も障害にはならない。たじろぐ屈強な兵士たちの胸倉に飛び掛り、
喉元に刃を突き立てる。
祭りの喧騒は一瞬にして、悲鳴と混乱の色へと変わってしまった。
「派手な催しになったな」
見張り台をひとつ潰した後、竜王は城内で暴れまわる兵たちを督戦していた。
演劇を見ていた、または、祭りに来ていた人間の子供たちは、この日以降、ゴブリンを善と見ることはないだろう。
代官=テステヌはこの事変を持ってもゴブリンたちを野犬と蔑視するのをやめたかったが、
「我らは、フェリル党! 亡きゴブリンの英雄、バルバッタの意思を継ぐ者たちなり。
我らは、フェリル国人たちがゴブリンへの弾圧をやめ、ゴブリンの自治・独立を認めることをここに要求する。
此度の無作法な襲撃は、先の戦乱の後に、不当に殺傷された我が一族への追悼の意を込めたものである。
この要求に対する返答が10日以内にない場合、我々は宣戦の布告も辞さない覚悟である」
「野犬が、生意気に人間の真似をするか。おまえたちに、権利などない。害悪は除かれてしかるべきだ」
事後処理をしてテステヌは唖然とした。非戦闘員以外の死傷者の少なさにである。暗い考えが頭をもたげるが、
頭を振ってそれを否定する。まさかな―――と。


その10日の間に周辺の事情は大きく変わった。整然と撤退するはずのマクセン軍であったが、
陥陣営の異名をとるロイタールと土の賢者ワットサルトの前に、無様に追撃される形となる。
「卿の同胞はうまく動いているようだな」
土の賢者は傍らに立つゴブリンに問う。
「まだ、本格的は動きもないのにわかるのですか」
土のマタナ。彼は、表情のない表情のまま、問い返す。
「ふっ、私の眼は節穴ではないぞ。10日間の猶予の間に、ずいぶんと見えない攻撃をしている
ようではないか。しかし、大賢人が軍師についたとはいえ、見事の一言であるな。あれでは、
フェリル城陥落は時間の問題だろうて」
改めて、土の賢者の聡明さを知ることとなるマタナは、表情のない表情のまま、視線をそらした。
一方、フェリル城では。
「確かにベヒーモスなのだな」「はっ、間違いありません」
予想外に思い切った南下政策。これでは誘い込むのではなく、追い込まれている。マクセンは無事か、
それも心配であった。フェリル城東部の山間部は騎士団に制圧されるのも時間の問題。
さらには、王子の本軍との連絡は途絶して3日が経つ。兵たちの間に不安が広がっている。
そして、ゴブリン。奴らは途方もない、本当に途方もない数をこの城の付近へと集結させている。
どうしてこうなった。―――そうだ、この頭痛は、ゴブリンどものせいだ。あの厄介な獣共は、
騎士団にぶつけてやればいい。犬同士、仲良く食い合えばいい。今は、戦力集結と、状況把握が
肝要だ。一人で全てしょいこむこともない。
そう決心すると、テステヌは、兵たちに号令する。多少の動揺も、持ち前のカリスマで静めると、
テステヌ軍は、独自の退路を用いてどの勢力とも交戦せずにフェリル城、フェリル東から脱出する。
「さて、今後の方針だけど」
チルクは、幕僚たちを集めて軍議を開いていた。フェリル党の新たな本陣、フェリル城本丸にて。
マタナをファルシス騎士団に客将として派遣したのは、アスターゼの策であった。
フェリル島上陸以後、ファルシス騎士団とは共闘する密約をかわしていたが……。

フェリル党の動きは早かった。チルクをはじめとする有力者たちは、武装解除を理由に、
ファルシス騎士団の駐屯地へとやって来た。
「ふん、人間の真似事か? 軍師よ、本当に使えるのだろうな」
白い甲冑に身を包む巨漢。ロイタール都尉はいぶかしむ。
「私が教育したマタナの例もあります。ゴブリンの可能性は未知数です。それに、
敵を油断させるのにも最適でしょう」
「騎士よりもさらに前線を任せられる狗か……いっそ哀れだな」
やや細身の騎士、ホーニングはそう言い放つ。

「やっぱり、追い返そう。彼らは、今ボクらも敵に回せば、三方に敵を持つことになる。
それに対して、こっちは……。今生かしておく必要はないよ。討てるときに討っておこう」
―――。
「しかし、それでは、我が軍は信用を失います」
「そう、でもそうしなきゃいけない程の相手なんだ。騙まし討ちの形にはなるけど、
レオームがやったのとそうは変わりない。なに、彼らには、負け犬になってもらうよ」

「ええ、哀れですね騎士とは」
その声と共に、無数の召喚獣らが騎士団本営内部に召喚される。
それと連動して、煙玉が投げ込まれ、特務隊が突入する。
「やはり、そう来たか。だが、想定内だ。ベヒーモスたちは敵だ、そう、召喚獣は全て敵」
混乱らしい混乱もなしに、召喚獣たちは討ち倒され、特務隊のゴブリンガールたちも撤退していく。
「ゴブリンたちが約束を破ったぞ! 全軍、戦闘用意!!」
小賢しい浅知恵を看破し、圧倒的な武威で叩きのめす。そういうシナリオが彼らの中にはできていたの
であろう。だが、
「どけどけぇっ! 陥陣営、ロイタールのお通りだーーーっ! うぉっ!?」
最前衛のゴブリンらを蹴散らすロイタールの無敵の突撃を止める者がいた。彼の白馬が、片手で
頭を抑えられ、止められている。
「もらったぁーーーっ!」
さらに、ホーニングが側面から突撃するも、これも片手で止められる。
「なんだ!?」「両都尉が止められるだと」「おい、あの面は」「ああ、聞いたことがある」
「しかと見よ、人の子らよ。我こそは、ルルニーガ!」
二頭の駿馬を地面に叩きつけ、二騎の騎士を落馬させる。
「フェリル党が洞主、チルクの先槍である!」
遠心力をつけて振るわれた豪腕が、防御に出した槍をひしゃげつつ、ロイタールの首を
もぎとる。騎士の誇りはどこへやら、ホーニングは脱兎のごとく逃げ去る。
その一瞬のできごとに、その場の人間たちは唖然としていた。土の賢者さえも。
そして、土の賢者の最後の時が近づいてきた。
「なに、貴様、どこから!?」
チルク。ベヒーモスの腹のしたに掴まって騎士団本陣奥深く侵入していた。
小高い岡の上で、高らかにその名を呼ぶとともに、溢れ出す魔力がその場にいる全ての
目を釘付けにした。


            「マクラヌス!」


その日、ゴブリンは人間に勝利した。


  • ちょっとゴブリンプレイしてくるわ -- 名無しさん (2011-02-09 23:45:06)
  • 俺もちょっくらいってくるわ。だれかバルバッタの死亡イベント実装してくれないかな。 -- 名無しさん (2011-02-10 02:18:21)
  • 熱い -- 名無しさん (2011-02-10 21:19:31)
  • ばるばったーーー涙でたぜ -- 名無しさん (2011-02-20 13:47:33)
  • 俺もゴブリンプレイしてくるわ -- 名無しさん (2011-02-20 18:54:13)
  • 要所が破綻しまくりだが熱いことは間違いない -- 名無しさん (2011-02-20 19:00:55)
  • VTのゴブリンは本当に熱いと思う -- 名無しさん (2011-09-25 03:02:46)
  • ↑わかる。FT演義とかの影響もあるのかな -- 名無しさん (2023-10-24 18:39:45)
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最終更新:2023年10月24日 18:39